墓穴を掘り始めた菅政権、学術会議人事介入への責任回避のために弄した言い訳が裏目に、菅内閣と野党共闘の行方(3)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その228)

 

10月11日(日)、朝7時のNHKニュースを観て驚いた。NHKが菅政権の日本学術会議への人事介入問題について初めて真面(まとも)な報道をしたのである。これまでは政府側の言い分を長々と述べ、最後に反対意見を申し訳程度に付け加えるだけだった。「ご飯論法」「チャーハン論法」との比喩で言えば、「刺身のツマ論法」ともいうべき姑息な報道姿勢であり、国民の視聴料で支えられている公共放送としての責任を端から放棄したのも同然の態度だった。ところが、ここにきて(多少なりとも)変化があらわれたのだ。

 

事は、菅首相が10月9日、内閣府記者会のインタビューに答えて、学術会議が提出した会員候補105人のうち6人を除外する前の名簿は「見ていない」と言明したことに発している。自分自身が確認した名簿は99人分で、105人分の名簿は「見ていない」というのである。それでいて誰が6人分を除外したかは明らかにせず、「総合的・俯瞰的な立場」から6人を任命しなかったというのだから滅茶苦茶だ。これでは6人を確認しないまま首相が任命しなかったことになり、6人はまるで〝幽霊〟のような扱い方をされている。菅首相は、自分が直接手を下したのではないと言わんばかりの「責任逃れ」の発言をしたのだろうが、これが裏目に出たのである。

 

NHKニュースは、NHKに直接寄せられた岡田正則早稲田大学教授(行政法学、任命されなかった6人のうちの1人)の意見を詳しく紹介し、ことの是非が明らかになることを促した。岡田教授の意見は、「市民社会フォーラム」のメーリングリストでも紹介されており、ご本人の了解を得ているとのことで広く拡散することが呼びかけられている。間違うといけないので、岡田教授の意見をそのまま再録しよう。

――昨日、学術会議が推薦した105人のリストを首相自身が見ていないということが、首相発言で明らかになりました。その意味は、菅首相の「任命行為の違法性」がますます明確になった、ということです。総理大臣が推薦段階の105人の名簿を見ることなく任命行為を行った、ということであれば、法的には当然、次のようなことになります。

 

(1)「推薦段階の105人の名簿については『見ていない』」、「自身が決裁する直前に会員候補のリストを見た段階で99人だった」ということは、日本学術会議からの推薦リストに基づかずに任命した、ということです。これは、明らかに、日本学術会議法7条2項「会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。」という規定に反する行為です。

(2)6人の名前を見ることなく決裁した、ということは、学術会議からの6人の推薦が内閣総理大臣に到達していなかった、ということですから、改めて6人について「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」という行為を、内閣総理大臣は行わなければなりません。任命権者に推薦が到達していないのですから、任命拒否はありえないし、なしえないことです。

(3)任命権を有する内閣総理大臣に推薦リストが到達する前に何者かがリスト上の名前を105人から99人に削除した、ということであれば、総理大臣の任命権に対する重大な侵害であり、日本学術会議の選考権に対する重大な侵害です。リストを改ざんした者は、虚偽公文書作成罪(刑法156条)の犯罪人です。

(4)推薦のあった6人を選ぶことなく、放置して「今回の任命について、変更することは考えていない」という態度をとることは、憲法15条に違反します。なぜなら、国民固有の権利である「公務員を選定する行為」を内閣総理大臣は放棄できないところ、その職務を行わないことは、憲法と法律によって命じられた職務上の義務に違反するからです。

    このようなあからさまな首相の違法行為と職務怠慢は、即座に是正されなければなりません。10月10日(土)  岡田正則(早稲田大学)

 

 誠に行政法学者らしい理路整然とした意見であり、誰が読んでみても菅首相の側に分があるとは思えない。だからこそ、さすがのNHKも無視できなくなり、日曜日の早朝ニュースに取り上げることになったのだろう。本来ならば、日曜討論でも本格的に取り上げるべき論題であり、今後の更なる展開に期待したい。

 

 ところで、今回の菅政権による学術会議への人事介入は体制側にとっても予想外の痛手となったらしく、それをカバーするための「あの手この手」の情報操作が繰り出されている。最も醜悪なのは、テレビ番組やネット番組で学術会議や同会員を誹謗する〝ニセ情報〟を流して事態を「泥仕合」化させ、菅政権の責任をあいまいにしようとする策謀だろう。

 

10月5日のフジテレビ番組「バイキングMORE」では、同局の平井文夫上席解説委員が、日本学術会議のように公金で運営している学術団体は、「欧米では全部民間。日本だけが税金でやっている」と発言した上で、「民営化して、自分たちで会費を払って提言すればいいんじゃないんですか。だってこの人たち6年、ここで働いたら、その後、学士院というところへ行って、年間250万円年金をもらえるんですよ。死ぬまで。みなさんの税金から。そういうルールになっているんです」と続け、スタジオから「えーっ」と驚きの声が上がったという。いずれも事実に反した「真っ赤なウソ」だ。

 

この平井氏の発言を安倍前政権や菅政権の支持者が次々にツイート。自民党の長尾敬衆院議員は「同じ立命館大学出身の平井先輩! よくぞ番組で言ってくださいました! ありがとうございます。この既得権益の在り方、しっかりと是正してまいります」とまで投稿するなど、広く拡散したという(毎日10月10日)。また、その2日前の10月3日には、自民党の長島昭久衆院議員が「(日本学術会議の)ОBが所属する日本学士院へ年間6億円も支出」「その3分の2を財源に終身年金が給付されている」とツイッターに投稿していた(朝日10月11日)。

 

 これを知った学者たちがカンカンに怒ったことは言うまでもない。自民党政権が推し進めてきたF35戦闘機105機1兆2000億円、イージス・アショア2基4500億円などといったアメリカ兵器の「爆買い」には一切触れず、2400億円(5年工事)の沖縄辺野古基地埋立が2兆5000億円(13年工事)に膨張したことも棚に上げ、その一方で「涙金」のような学術会議の運営費10億円(職員人件費を含む)を殊更に取り上げ、あたかも無駄遣いしているようなニセ情報を振りまいたのである。予算不足の中で交通費さえ自弁で賄うことも多い学術会議会員たちがこれらの発言を知って、この政権が学問研究の意味や存在意義が分からない「たたき上げ内閣」であることを痛感したことは言うまでもない。

 

 京都では、立命館大学関係者たちも猛烈に怒っている。同大学が誇る松宮教授(刑事法学)の名誉が、こともあろうに同大学出身のテレビ番組解説委員や国会議員のニセ情報によって中傷され、一方的に誹謗されたのである。同教授とは思想信条を異にする人たちも「こんなことは許せない!」「大学の恥だ!」と言っている。一片の謝罪で言い逃れすることはもはや不可能だ。ニセ情報によって人を傷つけた責任は追及されなければならない。それがマスメディアの倫理であり、国会議員としての最低の政治責任である。そして、それらを誘導した菅政権は厳しい国民の審判を受けることになるだろう。(つづく)

獰猛な〝思想統制〟の牙を剝いたたたき上げ菅政権、日本学術会議への乱暴な人事介入は学問の自由(憲法第23条)を否定する、菅内閣と野党共闘の行方(2)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その227)

 

 計算し尽くされたイメージ戦略で「地方出身、たたき上げの苦労人」「庶民の気持ちがわかる政治家」との評判を打ち立てたかに見える菅首相が、最初に剝いた獰猛な牙が日本学術会議への〝蛮行〟とも言える乱暴な人事介入だった。この1件で「国家観がない」などと言われていた菅首相が、その実は思想信条の自由、学問研究の自由を真正面から踏みにじる「思想統制国家=憲法を否定するファッショ的独裁国家」を目指していることが白日の下に明らかになった。

 

 菅首相による日本学術会議への人事介入が明らかになったのは10月1日、次期会長を決める総会の席上だった。山極前会長(前京大総長)から同会議が推薦した新会員105人のうち6人が、菅首相によって任命を拒否されたことが報告され、異例の事態に会場は騒然となったという。日本学術会議の会員は210人で任期は6年、3年ごとに半数が改選されることになっている。今回の改選では8月31日に推薦候補者名簿が学術会議から内閣府に提出され、それに基づき内閣府が9月24日に推薦候補者リストを起案し、9月28日に首相官邸が決裁したとされる。内閣府は目下のところ、6人の名前が削除された時期や理由は明らかにしていないが、菅首相の意向が強く反映されたことは間違いない(毎日10月4日)。

 

朝日新聞(10月2日)は、「学術会議推薦の会員任命 首相、6氏を除外」と1面で伝え、除外された理由を6氏が「安保法制・普天間・秘密法・共謀罪に批判・反対」したことに求めている。また、次のような元会長の広渡東大名誉教授(法社会学)の談話を掲載している。

 「日本学術会議法では、会員は学術会議の『推薦に基づいて』総理大臣が任命するとあり、これまでは推薦したとおりに任命されてきた。今回は法の趣旨を曲げており、違法の疑いが大きく、かつ不当だ。問題は人文社会系の学者に限定して任命を拒否したこと。現代社会を批判的に分析しないと成り立たない学問が狙い撃ちされている。萎縮効果を考えているとしか思えない」

 

 毎日新聞(10月4日)は、10月2日の野党合同ヒアリングで明らかになった内閣法制局の答弁を踏まえ、今回の人事介入に至ったこれまでの経過を伝えている。第2次安倍政権発足後の2016年、3人の欠員を補充するため学術会議選考委員会が候補者を選んだところ、政府が差し替えを要求してきたことがあったという。だが、選考委員会がこれに応じなかった結果、3ポストは結局17年秋まで欠員のままとなった。また2018年には、内閣府が内閣法制局に対して「学術会議から推薦された候補を全員任命しなければならないわけではなく、拒否もできるということでよいか」という趣旨の照会をしており、すでにこの時点から政府の意に沿わない学術会議会員の排除を検討していたものと思われる。

 

 そして、今回の事件である。菅内閣発足直前の9月2日、内閣府から口頭で内閣法制局に対して再び照会があり、8月31日提出の学術会議候補者推薦リストについての検討が始まった。内閣法制局は「2018年の時の資料を踏まえて変更はない」と回答したというが、肝心の2018年当時の資料は公開されていない。菅首相が内閣法制局の資料に基づいて判断したのか、それとも独自に解釈を変更して特定会員の排除に踏み切ったのか今のところは分からない。しかし、2004年に現行の推薦制度が始まって以来の異例の出来事であり、菅首相が明確な理由を語ることが求められていることには変わりない。

 

 この出来事は、学者の端くれである私にとっても決して無関係のことではない。学術会議会員がまだ投票で選ばれていた頃、私は第5部(工学部)会員に立候補した恩師・西山夘三(京大建築学科教授)の選挙運動を手伝っていた。第5部では歴代の学会ボスがトコロテン方式で会員に選ばれており、それに風穴を開けるための思い切った立候補だった。幸い建築学会はもとよりそれ以外の多くの工学部系学会から心ある支持票を得て、西山は5期連続して学術会議会員に選ばれ、学問思想の自由委員会や国土問題委員会などで活躍することができた。その後、ほどなくして会員は推薦方式で選ばれることになったが、人文系ではまだ民主的なプロセスを経て優れた学者が選ばれる慣行が続いていた。

 

 加えて、今回の事件は私にとって他人ごととは思えない事情がある。菅首相によって任命拒否された学術会議会員候補推薦者6人の中に、「旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」で、この間行動を共にしてきた松宮孝明立命館大学(刑法学)が含まれているのである。松宮教授は衆目が一致する刑法学の権威であり、人格識見ともに我が国を代表する優れた学者であって、学術会議会員に相応しい候補者であることは論を俟たない。このような学者が1内閣の政治的思惑によって学術会議会員から排除されることになれば、学術会議の存在意義は根本から失われてしまう。

 

菅首相は、発足当初の高支持率で「してやったり!」とほくそ笑んだのではないか。官僚を人事管理を通して統制した成功体験を学界にも拡げるため、拙速にも学術会議会員の人事介入に踏み切ったのであろう。だが、学界は官僚機構とは違う。思想信条を守るためには命を懸ける学者・研究者は数知れない。遠からずして菅政権は、国民の思想統制を企むファッショ的な政治権力として厳しい批判に曝されるだろう。携帯料金の値下げぐらいで国民が騙されると思ったら大間違いだ。内閣支持率が急落してから態度を変えてももう遅い。菅政権は発足直後から大きく躓いたのである。(つづく)

菅政権からは日本学術会議への乱暴な人事介入案件を突き付けられ、学内では退任会見一つすら開けない山極総長の惨めな最後、山極壽一京大総長の虚像と実像(その6、最終版)

 

 山極氏は、2020年9月30日の京大総長退任に際して次のような所感を述べている(京都大学HP)。

「私が総長になってまず立てた方針は、『ボトムアップ型でいく』ということでした。自ら先頭で旗を振って人を引っ張るのではなく、私が掲げる理念に基づいていろいろな人にアイデアを出してもらい、私自身はその後押しをする役目を果たそうと考えました。執行部についても同様で、総長室を廃止し、理事には大きな責任と権限を持っていただくようにしました。2017年6月に国立大学協会会長、同年10月に日本学術会議会長に就任しました(二つの会長を同時に兼任したのは私が初めてだったそうです)。多忙を極めたものの、執行部がうまく機能し、私の不在を補って理事たちがそれぞれの職域で活躍し大きな成果をあげてくれたと思います」

 

この所感には、山極氏の言う「ボトムアップ」の意味がよくあらわれている。山極氏の総長就任のために努力した学部教授会や京大職組を始めとする学内教職員、そして学生たちの意向を大学運営に反映させるのではなく、国立大学協会会長と日本学術会議会長の同時就任という「多忙」を理由にして10名にも足らない理事グループ(執行部)に学内運営を一手に任せ、自らのリーダーシップを発揮しなかった(できなかった)構図が余すところなくあらわれているからである。

 

 同氏は所感の中で、京大の自由な学風の根幹である表現の自由(タテカン問題)や学生との対話(吉田寮問題)、大学の社会的責任(731部隊軍医将校学位検証問題、琉球人骨返還問題)など、在任中に学内外から問題解決の責任を問われた課題には一言も触れず、お笑い芸人並みの「おもろいこと」に京都大学の個性や多様性を求めるなど、学問研究の府である大学の存在意義や社会的責任を著しく矮小化し、学問の府を貶めている。自らが「ゴリラタレント」としてマスメディアで面白おかしく活躍するのは自由だとしても、それを大学全体のカラーとして喧伝することとは別問題であり、大学トップとしての識見に欠け、品位を貶めることおびただしいと言わなければならない。

 

 また、研究力強化に関しては自らが設置した「高等研究院」について次のように誇らしげに述べている。

 「研究力強化に貢献してくれているのが、2016年に設置した高等研究院です。研究分野を問わず、本庶先生をはじめ国際的に極めて顕著な功績のある教員が所属し最先端研究を持続的に展開しています。また、日本社会にもっと数学力を定着させる契機としたいと考え、フィールズ賞を受賞した偉大な数学者である森重文先生を研究院長として数学を本学の看板としたいと考えました」

 

 だがしかし、ここには山極氏の長年の盟友であり、京大霊長類研究所(犬山市)所長も務めた松沢哲郎氏の名前がなぜか出てこない。松沢氏は高等研究院発足当初から3年にわたって副院長の要職を務め、山極総長の意を受けて高等研究院の運営に当たってきた人物である。松沢氏はチンパンジー研究の第一人者と知られ、2013年には文化功労者にも選ばれている。ところが今年4月、国の会計検査院検査により霊長類研究所施設工事をめぐる研究費の不正使用が発覚し、松沢氏を含む教官4人が公的研究費など約5億円を不正支出したことが判明した。大学は異議申立期間を設けた上で調査結果を公表し、不正に関わった教員らを処分する方針だというが、現在に至るも処分の公表はない。松沢氏は副院長のポストを本庶祐氏に譲ったものの、依然として現職(特別教授)のまま在籍しており、文化功労者も辞退していない(多額の特別教授年俸と文化功労者に与えられる特別功労年金を受領し続けている)。

 

山極氏は自分の手で盟友を処分することが忍びないのか、それとも処分すれば自分の経歴に汚点が残ることを恐れているのか、その理由は定かでない。しかし山極氏は、松沢氏を任期中に処分することが総長としての当然の職責であるにもかかわらず事態を放置したままであり、当の松沢氏も研究者としての最低の責任すら取ろうとしていない。これでは大学としての研究倫理は地に堕ちたも同然であり、研究費不正をした人物が特別教授に居座り続けていることは高等研究院の恥を世界にさらすことになる。山極氏が松沢氏の名前を隠してもいずれ事態は明らかにしなければならない。こんな姑息なやり方はいつまでも通用するはずがないのである。

 

 山極総長の退任に際しては、私はその模様を多くのメディアが取り上げるものだとばかり思っていた。だが、これまで同氏を「天」まで持ち上げてきた大手各紙がどこも沈黙を守っている。京大記者クラブに所属していた各紙記者たちはいったい何をしているのか、それとも記者が書きたくともデスクが書かせようとしないのか、事情はよく分からないが不思議でならない。その中で唯一気を吐いたのが地元紙の京都新聞だ。京大記者クラブのベテラン、広瀬記者が10月1日の社会面で大きく取り上げた。見出しは「京大総長 退任会見なし、歴代実施『コロナ理由』異例対応」、「『対話』強調も言行不一致」というものだ。

 

 「京都大の山極寿一総長が(9月)30日、6年間の任期を終えて退任した。歴代の総長が行ってきた退任会見は開かない異例の対応で、京大ホームページに所感を文書で掲載。『多彩な人が共存する中で新しい発想が紡ぎ出される大学にしたかった』とし、新型コロナウイルスの感染が広がっている現状でも『対話』を大切にする京大の本質は『一切変わっていない』と強調した。京大は退任会見を行わない理由について、新型コロナの感染防止を挙げる。ただ京大は学生で感染者が出た場合など複数の記者会見を今年も実施し、新たに総長に就任する湊長博氏も10月2日に京大で会見する」

 「『伝統である〈自由の学風〉を生かし対話を重視する』。総長就任が決まった2014年7月に京都市左京区の京都大であった会見でも山極寿一氏は力強く語った。しかしその言葉とは裏腹に在任中に十分な「対話」があったとは言い難い。立て看板撤去を巡っては、新たな規定を実施した直後の18年6月の記者会見で『市からの指導については学生と対話できるわけがない』と強調。また吉田寮生らの退去が問題となっていた19年2月の会見では寮生らと『話し合う価値はある』と述べたものの約3カ月後、京大は提訴した。14年10月の就任以来、2~6カ月ごとに開催されてきた記者会見も吉田寮問題について発言した19年2月が最後となった。定例会見が中断した理由について京大は『日本学術会議会長などを兼ねていたため日程確保が難しかった』などと説明している。しかし今年9月末で任期が終わった日本学術会議会長の退任会見は、同24日に東京都港区で対面形式で実施した。ゴリラ研究で名高く『名物総長』となることを期待された山極氏だが、さまざまな困難な課題に直面するなか最後まで言行の不一致を印象付ける形になった」

 

 就任当初は学内から歓呼の声で迎えられた山極総長が、6年後には退任会見すら開かず消えることはいったいどうしたことなのか。理由は明白だろう。退任会見を開けば6年間の「業績」「実績」に対して遠慮会釈のない質問が寄せられ、外見とはあまりにもかけ離れた実像が明らかになるのを恐れたからだ。そうとしか思えない。総じて言えば、山極氏はあまりもマスメディアに持て過ぎた。「ゴリラタレント」としての名声が「京大総長」の虚像を形づくり、余りにも実像とかけ離れた溝を埋められなくなったのだ。「老兵は死なず、消えるのみ」との言葉は奥ゆかしいが、ただ「消える」だけではあまりにも寂しい。せめても山極氏が回顧録でも出し、在任中の反省を後世に残すことを期待する。いつまでもご壮健で。

影も形も感じられない合流新党・立憲民主党の存在感、このままでは次期総選挙で野党は惨敗する、菅内閣と野党共闘の行方(1)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その226)

 菅官房長官が首相に就任したのは9月16日、メディア各社ではこの日と翌日の両日にかけて緊急世論調査が実施された。その結果が18日に報じられたが、各社とも60~70%台の高支持率を記録しており、菅内閣の支持率の高さには驚くばかりだ。この件について何人かの友人と意見交換したが、「アベチャンに早く辞めてもらいたかったからだろう」というのが一致した意見だった。安倍長期政権に飽いた世論の高まりが「アベチャン以外なら誰でもいい!」との空気になり、そこに菅内閣が登場したというわけだ。だから、この高支持率はいわば「瞬間風速」的な支持率であり、これがいつまで続くかは目下のところわからない。

 

 菅内閣の高支持率発進に比べて見るに堪えないのは、野党各党の低迷ぶりだ。各社世論調査の政党支持率、次期総選挙で投票したい政党を並べてみると以下のような結果になる。

 

【朝日新聞】

 〇政党支持率、自民41%、立憲6%、公明3%、維新2%、共産2%、

支持政党なし38%

 〇投票したい政党、自民48%、立憲12%、公明6%、維新8%、共産4%、          わからない15%

【毎日新聞】

 〇政党支持率、自民44%、立憲12%、公明4%、維新8%、共産5%、        支持政党なし22%

 〇投票したい政党、自民44%、立憲15%、公明4%、維新8%、共産5%、          なし10%、わからない7%

【共同通信】

 〇政党支持率、自民47.8%、立憲7.0%、公明3.4%、維新4.7%、共産4.0%、        支持政党なし28.0%

 〇投票したい政党、自民44.4%、立憲9.0%、公明5.9%、維新6.1%、共産4.5%、         わからない25.8%

 

 与党側の自民・公明・維新を合わせると、政党支持率は46~56%、投票したい政党は56~62%となり、次期総選挙では与党側が過半数を占めることは確実だ。これに対して野党側の立憲・共産の政党支持率は8~17%、投票したい政党は13.5~20%でしかなく、与党側の3分の1にも達しない。次期総選挙においても、与党側の改憲勢力が3分の2を占めるような事態は決して不思議ではないのである。

 

 その最大の原因は、合流新党・立憲民主党の不振・不評にあることは論を俟たない。共同通信調査の結果分析には、次のような注目すべき指摘がある(京都新聞9月18日)。

 

 「共同通信社の全国緊急電話世論調査で、旧『立憲民主党』と旧『国民民主党』などが合流して新たにできた立憲民主党の支持率は7.0%だった。9月上旬の調査では旧立民は10.7%。単純比較できないが、目立った合流効果は見えず、伸び悩んだと言えそうだ...。次期衆院選の比例投票先についても立民は9.0%で、9月上旬の調査で聞いた『合流新党』15.7%から減少。幹部は『結党したばかりで、まだ何もしていない。地道に政策を訴えていくしかない』と強調した。また立民への期待を聞いたところ、『期待する』は36.9%、『期待しない』は55.8%だった」

 

 合流新党・立憲民主党は、衆参両院合わせて150人近い勢力を擁する野党第一党になったにもかかわらず、政党支持率は僅か7%、次期総選挙での投票先が9%というのはいったいどうしたことだろうか。しかも、合流前の立憲民主党から政党支持率も投票先比率も大幅に減少している。これでは、新党結成が却ってマイナス方向にしか働いていない。

 

合流新党・立憲民主党が不振・不評なのは、「まだ何もしていない」からではなくて、合流前に嫌と言うほど「すべきでないことをした」ためだ。長期にわたってゴタゴタ話しを繰り返し、不毛の駆け引きと取引を続けてきたことが野党の存在意義を失わせ、新党イメージを決定的に傷つけたのである。なかでも、国民民主党の玉木代表に最後まで振り回されたことの影響が大きい。もともと自分が代表にならなければ合流する気のない同氏を相手にしていたずらに時間を浪費し、安倍内閣が末期症状を呈しているにもかかわらず、「政権交代」をアピールできる新党結成の絶好のチャンスを逃してしまったのである。

 

こんな野党の醜態をむしろ「好機」と捉えたのが与党側だったのではないか。安倍前首相の持病悪化を口実にして突如辞任表明に踏み切り、野党側に付け入る隙を与えず、あっという間に菅内閣への「政権委譲」を実現してしまったのである。このことが野党側の醜態と相まって菅内閣への支持を集め、それが驚くような高支持率となってあらわれたのだと言えよう。菅内閣は「スピード感」を政権の特質として打ち出しているが、野党側がいつまでもモタモタしているようだと、これからもイニシアティブをとることは難しい。

 

 加えてもう一つ、合流新党・立憲民主党の不振・不評の原因を挙げるならば、それは合流新党の代表に選ばれた枝野氏に人を惹きつける魅力がないことだろう。先日も民放テレビ番組に出演した枝野氏の話しぶりを観たが、能面のような無表情で場の雰囲気もわきまえず自説を一方的に喋り続ける有様には心底閉口した。このことは友人たちの間でも期せずして話題になり、「あれではダメだ!」「もっと魅力的な人物に替えなければ」と図らずも意見が一致した。

 

政治家は自分の表情をつくるというが、枝野氏には長い政治キャリアにもかかわらず、それが見られないというのはどうしたことか。民進党代表の前原氏の策動で野党第一党が崩壊した時に「枝野コール」が起って以来、枝野氏の表情には進化がない。立憲民主党がその後振るわなかった原因を全てそれに押し付けるつもりはないが、もっと人間的な魅力のある「彫りの深い顔」を代表に迎えられないものだろうかと思わずにはいられない。(つづく)

まるで〝土光臨調答申〟を思わせる菅官房長官の社会像、時代の変わり目にも歴史の転換期にも無関心な人物に国政は任せられない、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(48)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その225)

 

日本記者クラブ主催の自民党総裁選討論会(9月13日)に関する各紙の特集記事を丹念に読んだ。翌14日のNHK日曜討論会も熱心に観た。そして、最有力候補だとされる菅官房長官の発言に心底幻滅した。この人物は、安倍首相が政権を投げ出した原因についても、新型コロナ禍で世界が時代の変わり目を迎えていることについても何一つ分かっていないのだ。菅官房長官は次のように言う(朝日9月13日)。

「めざす社会像は自助、共助、公助、そして絆。まずは自分でやってみる。地域や家族が互いに助け合う。そのうえで政府がセーフティーネットでお守りする。縦割り行政、先例主義、既得権益を打破し、規制緩和を進め、国民に信頼される社会をつくっていく」

 

 瞬間思い出したのだが、土光臨調(第2次臨時行政調査会)の「行政改革に関する第一次答申」(1981年7月)の一節だ。冒頭に同じようなことが書いてある(行政改革の理念)。

 「来るべき高齢化社会、成熟社会は一面で停滞をもたらしやすいが、その中で活力ある福祉社会を実現するためには、自由経済社会の持つ民間の創造的活力を生かし、適正な経済成長を確保することが大前提となろう。その下で、資源・エネルギーを始めとする成長制約要因や経済摩擦要因を克服しつつ、長期にわたる経済発展を図っていくことが肝要である。同時に、家庭、地域、企業等が大きな役割を果たしてきた我が国社会の特性は、今後もこれを発展させていくことが望ましい。すなわち、個人の自立・自助の精神に立脚した家庭や近隣、職場や地域社会での連帯を基礎としつつ、効率の良い政府が適正な負担の下に福祉の充実を図ることが望ましい」

 

 土光臨調は表向き「福祉社会の実現」を行政改革の理念として掲げたが、実際やったことは、(1)政府規制の緩和、(2)政府公社の民営化、(3)医療と福祉の削減、(4)地方財政の削減など、国民生活に〝痛み〟を与えるものばかりだった。ただ、NHKの映像で「メザシをおかずに朝食する土光さん」の「つつましい個人生活」の姿が拡散され、国民の間で〝行革フィーバー〟ともいうべき状況が生み出されたことは、政治権力にとってマスメディアが如何に大きな影響を与えるかを教えるものだった。

 

 菅官房長官の発言も「たたき上げ」イメージを拡散するため、周到に準備されていたことがわかる。菅氏は、秋田の農村出身でありながら苦労して上京し、働きながら学んだ庶民出身の「たたき上げ」の政治家を売り物にしている。だが『週刊文春』などによれば、それらが「経歴詐称」ではないかとの疑問が早くも持ち上がっている。調べればすぐにわかることなのに、大手メディアでは話題にならない。菅氏の「天敵」とされる小池東京都知事も同様の疑いが指摘されているが、権謀術数に長けたお二人は案外「同じ穴の狢(むじな)」なのかもしれない。

 

 話を本題に戻そう。「自助、共助、公助」といったキャッチコピーは何処にでも転がっているありふれたものだ。電通や博報堂のプロは言うに及ばず、ちょっとしたメディア関係者に相談すればもう少しましなコピーが用意できたにもかかわらず、なぜこんな古臭い(二宮金次郎ばりの道徳めいた)言葉を持ち出すのか。「たたき上げ」の庶民イメージを演出するにしても、もう少し気の利いたフレーズがなかったのか理解に苦しむことが多い。

 

 コロナ禍に日本中が喘いでいる現在、「自助」や「共助」をいくら強調したところで、それが国民の心に響くとは到底思えない。働きたくとも働けない、店を開きたくても開けない、自分も周辺もみんな困っている...多くの国民が食うや食わずの「新しい日常」に直面していま、こんな古臭い言葉を平然と並べるのは時代感覚が狂っているとしか思えない。権力の中枢に7年8カ月も居座っていたことで世の中の動きや庶民の気持ちがわからなくなり、それが上から目線のこんな言葉を吐くことになったのだろう。

 

「メザシの土光さん」がフィーバーを引き起こしたのは、多少なりともそこに明治人間の気骨が感じられ、昔風の生活に国民の共感が寄せられたからだ。だが、「令和おじさん」の菅氏には共感できるような雰囲気が何一つ見られない。記者クラブでの質疑応答では、「森友・加計・桜」問題に関してはあくまでシラを切って国民の疑惑に答えようとせず、「辺野古移設」問題については既に決まったこととして沖縄の民意を顧みない、露骨な権力体質が顕わになっただけだ。それでいて、国民には「自助」「共助」を強要するのだから、こんな人物が政権を担うことになると、世の中が殺伐とした社会になることは目に見えている。

 

菅氏の発言や行動を見ていると、安倍政権の官房長官として「裏仕事」をこなしているときはそれでよかったのかもしれないが、自分が表舞台の主役として登場するとなるとそうかいかないのではないかと思う。個別案件処理に徹する「汚れ役」のままでは、表舞台に立てないからだ。慌てて衣装直しをしたが、セリフまで変える訓練ができていなかった...。そのことが「めざす社会像は自助、共助、公助、そして絆。まずは自分でやってみる」といった陳腐なセリフになったと思えば納得がいく。要するに、大きな時代の流れを読めず、歴史の動きや転換期を察知することができない通り一遍の平凡な人物だということだ。

 

この点、9月13日の毎日社説、「日本記者クラブ討論会、菅氏のビジョンが見えぬ」は本質を突いている。「菅氏の発言は目先の個別政策にとどまり、大きなビジョンは見えなかった」との指摘である。

(1)外交・安全保障政策については米中対立が激化する中、菅氏は中国との向き合い方について「主張すべき点はしっかり主張しながら。一つ一つ解決する」と述べたというが、社説では「これでは何も言っていないのと等しい」と切って棄てられている。

(2)経済・財政政策に関しては現状の追認に終始し、社会保障制度をどう持続可能にするかについて、菅氏は「コロナ対策を継続させていくことが大事だ」と強調しただけだった。「コロナ対策はもちろん重要だ。だからといって、中長期の方針を示さない理由にしてはならない」とこれも切り返されている。

(3)消費税の引き上げについては、民放のテレビ番組で言及したことを指摘されると、菅氏は「今後10年間は引き上げないという安倍晋三首相の発言を踏襲する」と語り、火消しに努めたという。

(4)結論は、「菅氏は安倍政権の継承と前進を掲げるが、前進に関わる発信が余りにも乏しい。総裁選での優位な状況を受け、言質を取らせまいとして『守りの慎重姿勢』をとっているのであれば残念だ。(自民党内総裁選は)事実上の次期首相選びである。中長期的な視点での国のあり方や外交・安全保障の明確なビジョンを欠くようでは、不安が募る」というものだった。

 

しかし、私はこれが菅氏の実像であって単なる慎重姿勢だとは思わない。菅氏にはこれ以上のビジョンがなく、またこれ以外のことを語れないというのが事の真相ではないか。菅氏には、民放テレビ番組で語った「どんなに頑張っても人口減少は避けられない。将来的なことを考えたら、行政改革は徹底して行った上で、国民の皆さんにお願いをして消費税は引き上げざるを得ない」という当面の方針以外は念頭になく、後は「一つ一つ解決する」と言うしかないのである。

 

今日9月14日は自民党総裁選の日だ。菅氏が官房長官から次期首相に変身する日でもある。菅氏が表舞台の主役になるには「大化け」しなければならない。果たしてそれが可能かどうか、遠くない将来にその結果は出るだろう。(つづく)

人口減少対策は放置する、行革リストラはやる、消費税は上げる―、言いたい放題の菅官房長官、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(47)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その224)

 

前回に引き続き、新聞世論調査に見る菅官房長官の「虚像」と「実像」のギャップについて述べたい。毎日新聞調査(9月8日実施)と共同通信調査(9月8、9両日実施)の結果についてである。

 

【毎日新聞】

〇安倍内閣を支持しますか。「支持する」50%(前回34%)、「支持しない」42%(同59%)

〇自民総裁選が始まりました。新しく選ばれる総裁が次の首相になります。あなたが投票できるとしたら、誰に投票しますか。「石破」36%、「菅」44%、「岸田」9%

〇あなたが次の首相に期待するのは、安倍政権からの継続性ですか。それとも政策や政治姿勢の変化ですか。「継続性を期待する」33%、「変化を期待する」55%

〇安倍政権の新型コロナウイルス対策を評価しますか。「評価する」29%、「評価しない」47%、「どちらとも言えない」24%

〇安倍政権の経済政策を評価しますか。「評価する」45%、「評価しない」35%、「どちらとも言えない」20%

〇安倍政権の社会保障政策を評価しますか。「評価する」29%、「評価しない」41%、「どちらとも言えない」29%

〇安倍政権の外交・安全保障政策を評価しますか。「評価する」57%、「評価しない」27%、「どちらとも言えない」16%

〇安倍政権の政治姿勢を評価しますか。「評価する」43%、「評価しない」39%、「どちらとも言えない」17%

 

【共同通信】

 〇自民党の総裁選が8日に公示され、3人が立候補しました。新しく選ばれた自民党総裁が次の首相に就任する見通しです。あなたは、次の首相に誰がふさわしいと思いますか。「石破」30.9%、「菅」50.2%、「岸田」8.0%

 〇次の首相に、あなたが期待する課題は何ですか。二つまでお答えください。「新型コロナウイルス対策」43.9%、「景気・雇用」34.9%、「財政再建」18.5%、「年金・医療・介護」30.0%、「子育て・少子化対策」17.4%、「震災復興・防災対策」7.4%、「外交・安全保障」19.8%、「地域活性化」13.6%、「憲法改正」4.8%

 〇あなたは、次の首相が、大胆な金融緩和を柱とした安倍政権の経済政策「アベノミクス」を継承するべきだと思いますか。見直すべきだと思いますか。「継承するべきだ」33.3%、「見直すべきだ」58.9%

〇あなたは、次の首相が、憲法改正に向けた安倍晋三首相の積極的な姿勢を引き継ぐべきだと思いますか。その必要はないと思いますか。「引き継ぐべきだ」36.0%、「引き継ぐ必要はない」57.9%

 〇あなたは、次の首相が、大胆な金融緩和を柱とした安倍政権の経済政策「アベノミクス」を継承するべきだと思いますか。見直すべきだと思いますか。「継承するべきだ」33.3%、「見直すべきだ」58.9%

 

上記2つの調査結果が示す最大の特徴は、菅官房長官を次の首相に推す回答が多いにもかかわらず、同氏の公約である「安倍政権の継承」を肯定する回答が3分の1程度しかないということだ。毎日調査はそのことをズバリ質問しているが、回答は「継承」33%よりも「変化」55%が倍近くになり、大差で「変化」が期待されている。おそらく「継承」を支持する3分の1は、これまで安倍政権を支えてきた「保守岩盤層」によるものだろうが、世論の大半は「変化」に傾いている。

 

共同通信調査も、安倍政権のアイデンティティだった改憲姿勢とアベノミクスについて継承の是非を問うているが、回答はいずれも「見直すべき」が6割近くになり、「引き継ぐべき」(3分の1程度)を大きく上回っている。要するに国民世論の所在は明確なのであり、新政権が国民世論に応えようとすれば、安倍政権の政策を抜本的に見直すほかはないのである。

 

それでは、掲げている政策と政治姿勢が「安倍政権・安倍政治の継承」であるにもかかわらず、なぜ菅官房長官が後継者としてクローズアップされるのか。理由は明らかだろう。安倍辞任劇が唐突に仕掛けられ、しかもその原因が持病の難病であることが大々的に報道されたために、国民の間では次期政権への政策課題やそれにふさわしい候補を考える暇もなく、自民党内の派閥の駆け引きと取り引きであっという間に後継者が決まってしまったからだ。

 

こうなると、安倍政権の官房長官として朝夕記者会見を続けてきた菅氏が圧倒的に優位になることは目に見えている。マスメディアへの露出度で政治家の人気が左右される状況の下では、「知った顔」の菅氏に注目が集まるのはごく自然なことだ。だが、問題はこれからだろう。菅氏が次期首相となり政権を担うようになると、国民は菅政権が「安倍と変わらない」ことが次第に気付くようになってくる。

 

この点で注目されるのは、菅官房長官が9月10日、東京テレビの立候補者討論会の席上で、消費税については「(将来的には)引き上げざるを得ない」との認識を示したことだ。菅氏は石破、岸田両氏と共に出演した番組で、「消費税は将来的に10%以上に上げるべきか」と質問されたのに対し、菅氏は「○」のフリップを掲げた。その上で「引き上げるという発言はしないほうが良いと思った。だが、どんなに頑張っても人口減少は避けられない。将来的なことを考えたら、行政改革は徹底して行った上で、国民の皆さんにお願いをして消費税は引き上げざるを得ないのかなと思った」と述べたのである。石破、岸田両氏はともに「△」のフリップを掲げた(毎日電子版、9月11日)。

 

総裁選で菅氏がすでに7割以上の支持票を固めていることもあってか、思わず本音が出たのだろう。自分が新政権を担う以上「甘いことばかり言っていられない!」との気持ちが働いたのか、「人口減少は避けられない=少子化対策はやらない」「行政改革は徹底してやる=社会保障をスリム化する」「消費税を上げる=法人税は上げない」との本音を明け透けに打ち出したのである。

 

菅氏の政権構想は上記の世論調査結果とは全く反するもので、国民の期待を100%裏切るものだ。こんな政権構想の下で行政リストラが実行され、消費税が増税されたら、日本社会はズタズタにされ、日本経済は消費不況で崩壊すること間違いなしだ。翌日、菅氏は「消費税増税は10年先のこと」と慌てて訂正したが、覆水はもはや盆に返らない。今後はこの発言が大問題として発展していくだろう。

 

自民総裁選と同時並行的に行われていた立憲民主・国民民主両党の合流案件は、玉木氏らの不参加はあったが、一応合流新党である「立憲民主党」の結成を見た。この件についてはいずれ論評したいと思うが、今回の毎日調査を見る限り「前評判」は散々だ。

 

〇立憲民主党と国民民主党などが合流して新党を結成することが決まりました。あなたの野党に対する期待は高まりましたか。「期待は高まった」24%、「期待は低くなった」10%、「もともと期待していない」65%

 

こんな回答選択肢をよく考えたものだが、「もともと期待していない」という回答が3分の2に達したことは衝撃的だ。「期待する、しない」の以前の問題として、野党そのものの存在意義が無視されているのである。このまま総選挙に突入すれば野党の惨敗は免れず、結成されたばかりの合流新党が「海のモズク」になってしまわないとも限らない。

 

野党が存在意義(レゾンデートル)を懸けて戦うためには、野党が総結集するための旗印が必要だ。菅官房長官は図らずも政権与党の立場からその旗印を示したのではないか。「人口減少対策に抜本的に取り組む」「社会保障を飛躍的に拡充する」「消費税を減税する」――このような国民全体を引きつける選挙公約が必要だ。立憲民主党の安住国対委員長が、菅発言に対して「次期総選挙で争点になる」「消費税解散になるかもしれない」(産経電子版、9月11日)と述べたというが、この総選挙戦略は重要だ。次の展開が期待される。(つづく)

安倍政権、病気を理由にした引退劇の演出で「負の遺産」をチャラに、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(46)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その223)

 

 安倍首相の辞任後、各社の世論調査で内閣支持率が軒並み上昇していることに驚いている。共同通信(8月29、30日実施)の内閣支持率は56.9%、僅か1週間前調査(8月22、23日実施)の36.0%から20.9ポイント急上昇した。読売新聞(9月4~6日実施)も52%と前回調査(8月7~9日)の37%から15ポイント上昇し、不支持率は38%へ16ポイント低下した。

 

政党支持率も読売調査では自民党が41%(前回33%)に上昇し、立憲民主党は4%(同5%)にとどまった。また、総裁選に立候補表明した3氏のうち次の首相にふさわしい人としては菅官房長官が46%でトップとなり、石破元幹事長が33%、岸田政調会長が9%となった。自民党は政党支持率が好調なことから、党内では早期の衆院解散論も浮上しており、菅官房長官も早期解散を否定していない。

 

 それにしてもあれほどまで支持率が低下し、末期的症状を呈していた安倍内閣がなぜいま思い出したように支持されるのか。読売調査の男女別集計によれば、男性56%(前回44%)、女性49%(同31%)となり、とくに女性の上昇幅が18ポイントと大きい。年代別でも全ての年代で支持が不支持を上回ったという。男女、年代を問わず支持率がこれほど高いのはなぜだろうか。読売はその理由を、安倍内閣の7年8カ月の実績を「評価する」74%が「評価しない」24%を大きく上回ったことを挙げているが、私は必ずしもそうは思わない。

 

 いろんな解釈が可能だと思うが、私は安倍首相が持病の難病悪化を前面に出して〝引退劇〟を演出したことがその基本的な原因だと見ている。情緒的雰囲気に弱い日本人の国民性が安倍首相への個人的な同情心を掻き立て、長期政権に対する評価を冷静に分析することなく「負の遺産」も含めて全てを水に流してしまったのである。持病の難病を押して「国家国民のため全身全霊を傾けてきた」という言葉がメディアを通して増幅され、「ご苦労様」とのねぎらいの感情が全国的に広がったのであろう。そうでなければ、男女、年代を問わずこれだけの高い支持率が出るはずがない。

 

 この〝引退劇〟の演出は、後継者レースにも決定的な影響を与えている。自民党総裁選挙で目下独走中の菅官房長官は、これまではほとんど新人に近い存在で知名度もそれほど高くなかった。昨年9月から今年8月までの8回の読売世論調査は、自民党の中から「次の首相に相応しい人」を選んでいるが、菅氏の支持はいつも3~5%程度で石破氏や小泉氏を大きく下回っていた。それが今回の調査では、菅氏46%、石破氏33%、岸田氏9%となり、あっという間に次期首相候補のトップに躍り出たのである。

 

 菅官房長官は安倍政権の主軸として数々の汚れ仕事をこなし、「負の遺産」を一手に引き受けてきた前政権の責任者であることは誰もが知っている。にもかかわらず、なぜ菅氏が次期首相候補の一番手となり、しかも安倍政権の政策をそのまま継承すると言えるのか訳が分からない。しかし、これも安倍首相が「志半ば」にして引退するとの演出が功を奏して、安倍政権のやり残した政策課題を継ぐのは首相を支えてきた菅氏が一番との「大義名分」がつくられたと思えば、納得がいく。

 

 ただ、菅内閣が安倍政権とは何ら変わらないというのでは、さすがに新味が出せずに短命内閣で終わることになる。そこで打ち出されたのが「菅=たたき上げの政治家」というキャッチコピーだ。漢字もろくに読めない人物や官僚作文をなぞるだけの人物が、ただ世襲政治家というだけで首相になることの弊害については多くの国民が実感(痛感)している。だからこそ菅氏が「安倍3代」に代表される世襲政治から脱却するためには、政策が変えられない以上、当分は「たたき上げ」の泥臭いイメージで勝負するほかはない。

 

しかし、菅氏の本質は冷酷極まりない権力政治が真骨頂であり、遠からずしてその本性は遺憾なく発揮されるだろう。安倍政権以上に官僚政治が徹底され、国会と国民を軽視する権威主義が政府全体に貫徹されるだろう。衆院解散は間近いのではないか。菅内閣の本性が暴露される前に本格政権を構築したい―、これが菅氏の政治戦略だからである。(つづく)