「サル芝居」は3日間しか続かなかった、山田真貴子内閣広報官の辞職が意味するもの、菅内閣と野党共闘の行方(25)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その250)

前回の拙ブログで「反省だけならサルでもできる」と書いた。2月25日、7万円接待問題に関する国会予算委員会での山田真貴子内閣広報官の答弁を聞いてのことだ。サルの調教師が「反省!」と言ったら、サルが目の前の机に片手を付いて首を垂れると言うあのユーモラスなポーズのことである。山田内閣広報官はきっと調教師の菅首相から「反省!」と命令され、その通りの「ポーズ」を取ったのだろう。「サル真似」とは言わないが、そのしおらし気な風情はいかにも「反省」しているかのようだった。

 

だが、事態は翌日から急転する。総務省幹部を連続接待した東北新社が2月26日、菅首相長男を統括部長から解任・更迭して人事部付にすることを発表した。長男はまた、子会社の「囲碁将棋チャンネル」取締役も辞任した。会食に長男と度々同席しながら監督責任を果たせなかったとして、二宮社長も同日付で辞任した。こうして接待側の責任者たちが次々と辞任するに及んで、接待された側の山田氏に対しても「辞任すべき」との声が日増しに高まり、包囲網は刻々と狭まっていったのである。

 

 加えて菅首相が2月26日、6府県を対象とする新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言先行解除に際し、通例となっている記者会見を突如中止したことも国民の不信に輪をかけた。山田広報官が記者団の集中砲火を浴びることを懸念したのか、それとも首相自身が山田氏の任命責任を問われることを避けたかったのか、あるいはその両方だったのか、いずれにしてもさしたる理由のないままに同日夕刻、「ぶら下がり会見」に急きょ切り替えたのである。

 

 ところが、この「ぶら下がり会見」が裏目に出た。日頃はほとんどモノを言わない番記者たちが、ここぞとばかりに記者会見を中止した理由を追及した。6府県の緊急事態宣言先行解除に関する首相説明などはどこかへ吹っ飛んでしまい、広報官が仕切らない本来の記者会見が実現したのである。「山田広報官のことは全く関係ない!」と弁明する首相の表情が大写しで同時中継され、否定すれば否定するほど「山田隠し」の構図が浮かび上がる結果となった。

 

 山田氏の広報官としての強権ぶりは有名だったらしい。会見に参加する記者たちから事前に事細かに質問内容を聞き出し、それをもとに官僚が「答弁書」を作り、菅首相はお得意のペーパー読みで回答をするだけだ。山田氏は政権の意に沿わない質問をする記者は徹底的に無視し、いくら手を挙げても指名しない。首相の答えに納得せずに食い下がる記者に対しては、制止することも厭わない。挙句の果ては「このあと次の日程があります」と質問を途中で打ち切り、首相を窮地から救い出すレスキュー隊の役割も引き受けていた。

 

 情けないのは、山田氏にかくの如くいい様に牛耳られている記者クラブの方だろう。首相会見は記者クラブの主催なのだから、司会は当然記者クラブが引き受けて然るべきなのに、唯々諾々と官邸側の差配に従っている始末、これでは真面な記者会見など出来るわけがない。背後にはNHKから民放、衛星放送まですべての許認可権を独占している総務省の睨みがあるからだというが、その頂点に立つのが山田内閣広報官だったというわけだ。

 

だが、山田氏は記者クラブを牛耳っても利害関係のない国民全体を支配することはできない。記者会見の仕切りは広報官の仕事の一部にすぎず、本来の仕事は国民に対して政府見解を伝える「政府窓口」であり、国民に信頼されなければ政府方針は伝わらない。スポークスパーソンは、国民の信頼に足る人物でなければ務まらない職責であり、政治家と同じく「信なくば立たず」の世界に生きているからだ。その職責にある山田氏が、利害関係者の菅首相長男から7万円余の接待を受け、「顔を覚えていない」「話もしなかった」などと噓八百を並べた瞬間に、彼女の「サル芝居」は事実上終わったのである。2月25日に「反省!」のポーズをとってから僅か3日、2月28日に山田氏は辞表を提出し、「急病入院」を口実に官邸を去ることになった。まるで、ドラマを見ているような3日間だった。

 

 この頃、菅首相は週末になると表情が暗く、口数が少なくなるという。世論調査がある度に支持率が低下し、最近では大半の世論調査で「不支持」が「支持」を上回るようになった。いつ不時着するかもしれない〝超低空飛行〟が続いている上に、「コロナ対応の失敗」「東京五輪開催をめぐる森元首相の女性蔑視発言」「同じく後任をめぐる失態」「総務省や農水省の接待問題」が相次ぎ、とりわけ菅首相の抜擢人事だった山田内閣広報官の接待ダメージがボディブローのように利いてきている。

 

菅首相は目下、言を左右にして任命責任を回避しようとしているが、いずれは責任を取らざるを得なくなる。まして、自分の長男が当事者であるだけに、如何なる口実をでっち上げても人間としての責任を免れることはできない。国民の信頼を失った政治家は国民の信託に応えることができず、政界を去るほかはない。菅首相をめぐる暗闇は、河井夫妻の分かりやすい選挙買収事件よりもはるかに深く、それを垣間見せたのが山田広報官に演じさせた「サル芝居」だったのである。(つづく)

「反省」だけならサルでもできる、責任を取らないことが問題なのだ、山田内閣広報官7万円接待問題にみる菅政権の腐敗構造、菅内閣と野党共闘の行方(24)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その249)

 2月25日、7万円接待問題に関する国会予算委員会での山田真貴子内閣広報官の答弁を聞いて、瞬間「反省だけなら猿でもできる」というCMを思い出した。猿の調教師が「反省!」と言ったら、猿が目の前の机に片手を付いて首を垂れると言うあのユーモラスなポーズだ。それが如何にもしおらしげに反省しているように見えて、拍手大喝采だった。ゼミの学生たちにも大うけで時々その仕草を真似ていたことを覚えている。それを「猿真似(さるまね)」というのかどうかは知らないが、山田氏の答弁の雰囲気はそれにそっくりだったのである。

 

菅首相長男らから超多額の接待を受けていた山田内閣広報官は、野党議員の追及に対して「国家公務員倫理規程に反した行為でした」「深く反省しています」「心の緩みがありました」などと神妙に繰り返したものの、「責任を取ります」「辞任します」とは絶対に言わなかった。きっと調教師である菅首相から「反省だけ!」と命令され、その通りの「ポーズ」を取っただけのことだろう。山田氏が辞めると自らの任命責任を問われることになるので、菅首相としては辞めさせるわけにはいかなかったのである。

 

 菅首相は24日、山田氏を厳重注意したとした上で、「真摯(しんし)に反省しているので、今後とも女性広報官として職務の中で頑張ってほしい」と語り、続投させる考えを示した。これを受けて加藤官房長官は、25日の記者会見で山田氏が1カ月分給与の10分の6(約70万円)を自主返納し、「東北新社」へは飲食代の返金を申し出たことを明らかにし、これをして「本人は今回のことを深く反省し、職責の重さを十分に踏まえた対応」と受け止め、山田氏には「高い倫理観をもって公正に職務を遂行するよう、いっそう精励してもらいたい」と伝えたという。「反省」して給与の一部を自主返納すれば、万事終わりにするつもりなのだろう。

 

山田内閣広報官は、我々研究者仲間ではつとに有名な人物だ。菅首相が就任直後、学術会議会員候補者6名の任命を拒否し、その後出演したNHK「ニュースウオッチ9」でキャスターからその経緯を問い質された際、「答えられることと答えられないことがある」と言いよどんだ場面があった。要するに、任命拒否の理由は「答えられない」ような理不尽なことだと自分で認めてしまったのである。

 

予定にない突然の質問に激怒した菅首相の意を受け、山田氏が放送翌日にNHKに抗議電話を入れたとするニュースが駆け巡った。当該キャスターは今年3月で番組から降板させられることが決定したこともあって、その信ぴょう性がますます高まっていたのである。ところが、山田氏は25日、野党議員の質問に対して「番組出演後に電話を行ったことはございません」と明確に否定した。

 

ここでまた思い出すのが、加藤厚労相時代に有名になった「ご飯論法」のことだ。「ご飯を食べたか」という質問に対して、パンは食べているのに「ご飯は食べていない」と答える本質を紛らわせる答弁技術のことだ。山田氏の場合は「抗議をしたかどうか」がNHK介入の本質であって、「電話をしたかどうか」は伝達手段の話にすぎない。「電話をしたことはなかった」としても、別の方法で抗議した可能性までを否定しているわけではないのである。

 

ことごとさように、首相官邸による情報操作は極めて複雑で高度化している。しかし、このような目先のテクニックで国民をだませると思ったら大間違いだ。高齢者世帯の1カ月分食事代にも匹敵する高額な接待を、赤坂のホテル内にあるフランス料理店で受けた山田氏が、首相長男を含めてのたった5人の会食で、「長男の顔をよく覚えていない」だとか、「長男に会ったことはそれほど大事なこととは思っていない」だとか、「大した話はしなかった」とか...、そんな噓八百が通じるはずがないのである。

 

内閣広報官に本来求められる資質は、国民に信頼される情報発信者であるかどうかであって、質問する記者の数を制限したり、質問を遮って首相の答弁を助けたりすることではないだろう。これまでは、女性初の内閣広報官だということもあって「ご祝儀相場」が続いてきたが、今回の事件で局面は一気に「乱相場」に突入する。政治ジャーナリストの伊藤惇夫氏は、テレビ番組で「山田さんが広報官として(首相の)会見を仕切っている間はこの問題は幕引きにならないと思います」「山田さんは会見を仕切るだけでなく、政権の政策を広報していくという役割も大きい。従って、山田さんが政策をPRして、果たして国民がそれを信頼するかという問題も出てきます。発信に国民の信頼を得られるかということです」とコメントしている。

 

 菅首相は、本日26日に予定されていた緊急事態宣言の先行解除に伴う記者会見を急きょ見送る方針だという。首相は1月の首都圏への宣言や関西など7府県の追加、2月上旬の10都府県での延長の際にはいずれも会見を開いていた。首相は、宣言を延長した2月2日の会見では「国民にきちんと情報発信し、説明責任を果たしたい」などと語っていたにもかかわらずである。今回は記者会見ではなく、官邸のエントランスホールで首相が記者団の質問を受ける方式を検討するというが、真相は、山田内閣広報官が仕切る記者会見を開けないということだろう。端的に言えば、山田氏はもはや胸を張って国民の前に立てなくなったということだ。

 

 国民の信を失った内閣広報官を続投させることは、菅政権の命運にかかわる大問題だ。山田氏は早晩姿を消すだろう。菅政権の命運を少しでも延ばすために。(つづく)

「会食首相」ありて「接待長男」あり、総務省接待漬けの構造と背景、菅内閣と野党共闘の行方(23)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その248)

 

 2021年2月23日、各紙朝刊には総務省接待関連の大見出しが躍った。「接待 総務省11人処分へ」「東北新社側との会食 13人計39回」「長男関与、首相おわび」「『接待づけ』疑惑噴出」「総務省幹部ら『利害関係者と思わず』、口そろえ『利害誘導なかった』」「『長男の問題』距離置く首相」「抜擢の内閣広報官 1回で7.4万円」「ちらつく『首相の影』」「野党『長男 特別扱い』、総務省接待問題」「背景に衛星放送苦境」などなど。

 

 研究者仲間でもこの話題はホットニュースになった。菅首相の「ステーキ会食」などが相次いだ時もそうだったが、彼らが訪れる場所といい、食事のメニューといい、年金生活のオールドボーイにとっては「彼我の差」を感じることばかり、皆「頭にくる!」と憤っていた。

 

 それにしても谷脇総務審議官の接待額は1回4万7千円、元総務審議官の山田内閣広報官に至っては何と7万4千円というのだから、一体どんな店で、どんな接待を受けていたのか想像もつかない。千円単位の割勘で付き合っている者にとっては「別世界」の出来事、取り立てて騒ぐこともない――と言ってしまえばそれまでのことだが、首相長男絡みの高級官僚接待問題だから無視するわけにはいかない。

 

 各紙の報道によると、問題(事件)の構造と背景がくっきりと浮かび上がってくる。この間の経緯を振り返ると、2017年から2020年にかけての「東北新社」関連の放送事業の許認可にともなう接待は、中枢幹部だけでも合計20回に上る。接待官僚はすべて「菅長男が利害関係者と思わなかった」「長男らの接待を受け、放送事業について話をしたのは事実だが、利害誘導はなかった」と口を揃え、武田総務相に至っては、「内部調査をしたが、放送行政を歪めている事実は確認できなかった」と居直る始末だ。

 

 だが、会食時の録音が暴露されるまでは「知らない」「存じない」「記憶にない」一点張りだった官僚たちが、その後は一転して「菅長男は利害関係者」と認めるに及んで、彼らの〝虚偽答弁〟が白日の下に曝されることになった。総務省の内部調査にしても、口裏合わせの「身内調査」にすぎないことが明らかになってきたのである。以下、各紙報道から事実経過を記そう。

 

(1)2006年9月、菅氏が総務相に就任、当時「プラプラ遊んでいた」無職の長男(25歳)を大臣秘書官に任命

(2)2007年7月、長男は秘書官退官後、2008年に放送事業を手掛ける「東北新社」に(縁故)入社。同社は1961年、秋田県出身で菅首相と懇意の植村氏が創設。菅首相は同社から500万円の政治献金を受領、また常日頃から会食を共にする関係。

 (3)2017年1月、総務省が東北新社をBS4K放送事業者に認定。その前年2016年に吉田大臣官房審議官2回、秋本総合通信基盤局課長2回、計4回接待

 (4)2018年4月、総務省がCSの「囲碁・将棋チャンネル」をハイビジョン未対応で唯一、衛星基幹放送事業として認定。この間、2017年から2018年にかけて谷脇総合通信基盤局長1回、吉田大臣官房総括審議官1回、秋本総合通信基盤局課長・部長2回、計4回接待

 (5)2020年3月、総務省が東北新社子会社「スターチャンネル」の放送事項の変更を許可。この間、2019年から2020年半ばにかけて山田総務審議官1回、谷脇総合通信基盤局長・総務審議官2回、吉田情報流通行政局長・総務審議官1回、秋本電気通信事業部長・情報流通行政局長2回、湯本情報流通行政局課長2回、計8回接待

 (6)2020年3月、長男が東北新社子会社「囲碁・将棋チャンネル」の取締役に就任、東北新社エンタメ事業部統括部長を兼任

 (7)2020年11月、「スターチャンネル」のスロット(放送周波数の割り当て)縮小。その前後の2020年10月から12月にかけて谷脇総務審議官1回、吉田総務審議官1回、秋本情報流通行政局長1回、湯本大臣官房審議官1回、計4回接待

 

 こうした事態を受けて、総務省では関係者11人を国家公務員倫理規程違反で処分すると言うが、その大元の東北新社関係の方の調査は全く進んでいない。菅首相長男の事情聴取や国会陳述も全ては「これからの課題」、いつ消えてしまわないとも限らない。

 

 問題の構造は明白だ。許認可競争が激しい放送事業とりわけ衛星放送電波の確保をめぐる競争に勝ち残るためには、許認可権を持つ総務省にコネクションルートをつくり、そのパイプを通じて権益を確保する以外に方法がない。東北新社のような地方弱小事業者の場合は、資本力に乏しく実績もないのでとりわけ許認可申請が難しいとされる。だからこそ、そのことを十分承知の上で東北新社は菅首相長男をスカウトし、彼をロビー活動に起用することを意図したのだろう。

 

 「天領」といわれる総務省内での菅首相の権力は絶対だ。その息子を「ロビー活動=接待」の担当にすれば、菅首相の意向を忖度して動く官僚たちを手玉に取ることはたやすい――と睨んだのである。長男は期待に応えて大活躍した。官僚のランクに応じて接待場所を選定し、彼・彼女らの自尊心や満足感を満たすことに腐心した。『週刊文春』の掲載写真のなかには、長男が官僚に向かって両手を合わせて頭を下げるシーンがある。官僚の方は手土産の袋をぶら下げ、タクシーチケットを手にしてご満悦の様子、見るも無残な光景ではないか。

 

 かって一世を風靡した〝官僚の矜持〟はいったい何処に行ってしまったのか、城山三郎氏がもし現代の官界を描くとすればいったいどんな官僚像を描くのか。誰でもいい、安倍長期政権の下で地に堕ちた〝官僚の矜持〟の行方を完膚無きままに暴いてほしい。(つづく)

菅首相は安倍〝身内政治〟の直系の継承者、身内政治の主役は「首相夫人」から「首相長男」へバトンタッチ、菅内閣と野党共闘の行方(22)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その247)

 事の発端は、『週刊文春』が「菅首相長男 高級官僚を違法接待」と題して報じた 2021年2月18日号の記事 だった。2020年10月から12月にかけ、総務省の許認可を受けて衛星放送を運営する東北新社の部長職にある菅首相長男が、総務省ナンバー2で菅政権の看板政策「携帯値下げ」のキーマンである総務審議官らを高級料亭で接待していたと報じたのだ。このとき接待を受けていたのは、もう一人の総務審議官、衛星放送の許認可にかかわる情報流通行政局長。部下の官房審議官などだった。彼らは高額な飲食代を奢ってもらったうえに、タクシーチケットや手土産なども受け取ったと言う。

 

 菅首相は、長男の総務省幹部接待問題が明るみに出てからというものは、これをなんとか「対岸の火事」にするべく腐心を重ねてきた。私は、前回の拙ブログで「もはや菅首相は火だるま状態」と書いたが、その時点ではメディアはまだ「火種を抱えた状態」だと見なしていた。たしかに「火だるま状態」とは言い過ぎだったかもしれないが、しかし菅首相の周囲にはこの他にも数々の不祥事が「野火」のように広がり、身辺に迫りつつあったことは事実なのだ。

 

 それにしても『週刊文春』の取材力は空恐ろしい。今週号(2021年2月25日号)の続編トップ記事は、「菅首相長男『ウソ答弁』証拠音声を公開する」だった。私はいつも『週刊文春』を愛読しているが(京阪電車丹波橋駅構内の本屋で立ち読みする)、記事には「その日、秋本氏の入店を確認した小誌記者は店内に複数の客として入店し、“密談”の一部始終を目撃、付近の席で音声をメモ代わりに録音していた」「音声記録には他の客の会話や雑音も多かったが、専門業者にノイズ除去を依頼して解析を進めると、あの夜の会話が次々に明らかになった。公益に資するため証拠音声の公開に踏み切ることにした」とある。

 

 これまで数々のスクープをものにしてきた『週刊文春』の記事は、フリージャーナリストの「持ち込みネタ」が多いと聞いていた。ところが今回のスクープ記事は、文春記者たちの直接取材によるもので、事前に総務省幹部らが菅首相長男らと会食することを把握したうえで客として隣室に張り込み、会話を録音したというのである。この情報網は「文春恐るべし」と言うほかないが、しかし裏を返せば、菅首相長男らの行動はそれほど露骨だったのであり、警戒心もなかったということだ。菅氏の威光を笠に着ることで長年甘い汁を吸ってきた長男は、父親が総務相に就任するや否や25歳の若さで大臣秘書官に抜擢され、それ以来営々と総務省幹部との人脈を築いてきた。長男は父親の威光で東北新社の部長となり、総務省からの許認可にかかわる子会社の取締役も兼任し、総務省の幹部と毎年、酒を酌み交わすような親密な間柄(確認されているだけで12回)になった。今回の違法接待問題は、間違いなくその延長線上で起きたことなのである。

 

長男の違法接待問題を国会予算委員会で追及された菅首相は、終始「他人事」のようにシラを切り続けてきた。「長男は民間人」「私とは別人格」「長男にもプライバシーがある」「私自身は全く承知していない」などなど、誰が聞いても噴飯ものの言い訳を並べるだけで、頑として事実を認めようとはしない。しかし、こんな子供だましの言い訳が長く続くはずがない。音声録音を当の長男が「自分の声」だと認め、同席していた衛星放送子会社の社長も同様の確認をしたことで、もはや申し開きできなくなったのである。

 

一方、接待で会食費やタクシー代の提供を受けていた局長は、これまで「要望を受けた記憶はない」「衛星放送の話題は記憶にない」など恥知らずの答弁を繰り返してきたが、こちらの方も一転して放送に絡む話題を認めざるを得なくなり、首相長男についても「利害関係者だ」と明言するところまで追い詰められた。国家公務員法の倫理規程に反して利害関係者の接待を受け、許認可権を持つ放送行政に絡む意見を交わしたことは事実だったのであり、これまでの答弁が「虚偽答弁」だったことが明らかになったのだ。当該局長ら2人は「通常人事」という名目で即刻更迭され、大臣官房付となった。

 

 菅首相は目指すべき社会像の筆頭に「自助」を謳い、「既得権益の打破」が自らの政治信条だと明言してきた。また、世襲議員が多い自民党内で「たたき上げの苦労人」と自称し、「世襲打破」のスローガンも掲げてきた。その本人が政治力を駆使して無職の長男を公金で大臣秘書官に雇い(これぞ世襲的人事)、多数の総務官僚との接点を持たせて酒食を共にする関係を築かせ、既得権益を活用する行動に出た。そればかりではない。菅首相は東北新社の創業者親子から2018年までに計500万円の個人献金を受けており、数回にわたって会食もしている。親子ぐるみで東北新社との親密な関係を持ち、長男が大臣秘書官を退職してからは同社への就職の尽力までしている。「既得権益の打破」どころか、まさしく「既得権益のフル活用」ではないか。

 

 20年前の大蔵官僚接待問題すなわち大手銀行MOF担(大蔵省担当)による〝ノーパンしゃぶしゃぶ事件〟は、国家官僚と金融資本の醜悪な癒着関係を象徴するおぞましい事件として国民の激しい怒りを買った。国家公務員倫理規程ができたのはそれからのことであり、利害関係者との接触は厳しく禁じられてきたはずだった。それが安倍政権による身内政治の横行によっていつの間にかなし崩し状態となり、加えて安倍首相自身の100回を超える虚偽答弁が常態化するに及んで、官僚が「記憶にございません」と言い続ければ追及から逃げられるような風潮を生んだ。

 

「首相夫人」が主役だった安倍政権の身内政治に対して、今度は「首相長男」が主役を演じる菅政権の身内政治が登場した。「首相夫人」のお友達に対して財務省幹部が国家財産を法外な安値で払い下げ、そのための証拠書類を隠蔽改ざんし、それに抗議する近畿財務局職員が自ら命を絶つといった悲劇の記憶が新しいいま、今度は「首相長男」が菅首相の「天領」といわれる総務省へのロビー活動に乗り出し、放送行政の利権を獲得するために総務省幹部を接待漬けにするという事件が発生したのである。主役は「首相夫人」から「首相長男」に交代したが、首相の威光を官僚が忖度し、法を曲げた身内政治が罷り通ると言う事態は変わらない。

 

2月22日から国会予算委員会において本格的な議論が始まる。菅首相はこの事態に対して如何に答弁するか、武田総務相はどこまで調査内容を明らかにするか、国民は固唾を呑んでその行方を見守っている。(つづく)

側近から身内へ不祥事の連鎖広がる、〝火だるま〟になった菅首相はこれからどうする、菅内閣と野党共闘の行方(21)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その246)

 

 このところ、菅首相の身辺がにわかに慌ただしくなってきた。総裁選で菅氏の懐刀として活躍した吉川元農相が収賄事件で議員辞職そして在宅起訴、参院広島選挙区で菅官房長官(当時)が肝いり候補として応援した河合案里議員が公職選挙法違反(買収)で有罪判決そして議員辞職などなど、菅首相側近議員の悪質極まる政治犯罪が相次いでいるからだ。彼・彼女らが次から次へと議員辞職に追い込まれるなか、今度は放送事業会社に勤務する菅首相の長男が放送事業所管の総務省幹部を接待し、食事代、手土産、タクシー代などを会社で負担していた不祥事が発覚したのである。

 

 国家公務員が所管する事業の利害関係者から接待を受けることは、国家公務員倫理法に基づく明白な倫理規程違反であり、処分を免れない重大事だ。衆院予算委員会の審議でこの疑惑を追及された菅首相は、例によって「長男は別の人格、一民間人であって国会で答弁することではない」と突っぱねたが、国民の目にはそうは映らない。総務相を務めた菅首相にとって総務省は古巣のようなものであり、長男は大臣秘書官だった。菅首相が、現在においても総務省に対して絶大な影響力を維持していることは周知の事実であり、同省関係者は「首相の息子に誘われたら、断れないだろう」と語っている(毎日2月5日)。菅首相の長男は安倍前首相の昭恵夫人と同じく、首相の権威を笠に着て総務省幹部に接近したことは誰の目にも明らかなのだ。

 

 安倍前首相や昭恵夫人の知り合いが政府から特別待遇を受け、それが森友学園問題や加計学園問題の不祥事につながったことは記憶に新しい。文科省や財務省の官僚から特別の便宜を図ってもらって国政を私物化したことの弊害は、この間の最大の政治スキャンダルとして国民の脳裏に固く刻み込まれている。それが、またぞろ菅政権においても繰り返されるようなことになると、国民の政治不信は決定的なものになり、コロナ対策で失策を重ねてきた菅政権にとって致命傷になること間違いなしだ。

 

 そうでなくても、最近の菅政権を取り巻く政治環境は厳しさを増している。「この首相ありてこの与党議員あり――」ともいうべき事件が頻発しており、国民は「いい加減にしてほしい!」と憤っているからだ。自民党幹部議員や文科省副大臣の要職にある若手議員が、非常事態宣言の最中に銀座の高級クラブを深夜までハシゴするとか、公明党幹部議員が「これに負けじ」とばかり深夜の銀座に出没するとか、とかく国民を愚弄した振る舞いが絶えない。菅首相は副大臣を更迭し、自民党はこれら議員の離党を勧告したというが、菅氏自身が二階幹事長らと「ステーキ会食」をして自粛無視の口火を切った張本人だけに、その威信は地に堕ちている。国民から政治不信を突き付けられている人物が、何を言っても信用されないのは当然と言うべきだろう。

 

 菅首相が政治生命を懸ける政策課題についても暗雲が垂れ込めている。表看板に「デジタル革命」を掲げたものの、その適用第一例である新型コロナ感染者との接触を確認するスマホアプリ「COCOA」が故障状態のままで4カ月も放置され、利用者には何一つ知らされていなかったという(信じられないような)事態が続いていたのである。アプリ利用者が非通知状態を故障ではなく「感染していない」と錯覚すれば、感染者が自覚のないままに感染拡大のインフルエンサーとなり、多くの国民を生命の危機に曝す可能性が高まる。恐るべき事態だと言うべきだろう。

 

 加えて、東京五輪組織委員会の森会長(元首相)の女性差別発言が飛び出した。ご当人からすれば、日頃の思いを率直に言っただけのことだろうが、タイミングが悪すぎた。コロナ禍のなかで東京五輪が中止の瀬戸際に追い込まれているその時、五輪憲章が掲げる男女平等原則を真っ向から否定するような森発言は、予想を超えた国内外世論の大きな反発を招いたからだ。ご本人は辞任するつもりはいっこうにないようだが、居座れば居座るほど世論が厳しさを増すことは避け難い。遠からずして森会長は辞任に追い込まれ、菅首相が命運を懸ける東京五輪の中止を求める内外世論はさらに高まるだろう。

 

 この他、私にとっても見過ごせないことがある。それは、菅首相が日本学術会議会員6名を任命拒否するにあたって、「年10億円」の国費が学術会議に投じられていることを理由に、首相としての任命権限があると主張したことだ。ところが、先日の小池共産党書記局長の国会質問によって、安倍首相や菅官房長官が第2次安倍内閣の7年間で「内閣官房機密費(報償費)」86億円を使い、そのうち領収書不要の「政策推進費」が78億円に上ることが明らかになったことだ。自分は「年11億円」もの国費を密室で自由に使いながら、210人の学術会議会員と2000人の連携会員が手弁当で活動している学術会議予算の「年10億円」(それも7割が職員給与など事務局経費)をさも過大であるかのように主張する...こんな理不尽なことが許されていいわけがない。

 

 菅首相は周辺や身内の不祥事の連続によって、もはや〝火だるま〟状態にあると言ってもいいだろう。燃え上がった炎を消すことはもう不可能だ。菅首相には退陣する道しか残されていないのである。(つづく)

菅首相と二階幹事長は〝刎頸の交わり〟権力の座はともに去らなければならない、菅内閣と野党共闘の行方(20)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その245)

 衆参両院本会議での質疑応答が終わった。野党各党代表はそれぞれ鋭い質問を浴びせたが、菅首相の答弁はほぼ「ゼロ回答」に近かった。既定方針を柔軟に修正するだけの余裕がないのか、それとも絶対多数の与党勢力に胡坐(あぐら)をかいているのか、とにかく強行姿勢だけが突出した答弁だった。菅首相には想定問答集にない(臨機応変の)答弁をする能力がないことはもはや周知の事実だが、原稿を棒読みするだけでは国民にアピールすることは到底できない。官房長官時代の記者会見と同様に、菅氏には目前の相手しか眼中になく、その背後に国民の目や耳があることに考えが及ばないのだろう。

 

 その中で異彩を放ったのが、二階自民党幹事長の代表質問だった。政党代表として討論会(例えば、NHK日曜討論)などには滅多に姿を見せない二階幹事長が1月20日の衆院本会議の代表質問に立ち、使い古された「庶民政治家」「地方の代表」の言葉を駆使して、てらいもなく菅首相を(天まで)持ち上げたのだ。もはや「自助・共助・公助、そして絆」といった持論を語れなくなった菅首相に対して、二階氏は「地方の実情を理解している政治家の代表。地方に対する哲学、思いを」と促し、わざわざ〝政治哲学〟という言葉まで使って、「哲学」を語る宰相のイメージを演出しようとしたのである。

 

しかし、対する首相答弁は、「現場の声に幅広く耳を傾け、国民目線で政策を進めてきました。まずは(コロナ)感染を収束させ、にぎわいのあるまちを取り戻すべく全力を尽くします」という決意表明程度のものだった。問う方も答える方も凡そ〝政治哲学〟には程遠い人物だから、「哲学問答」などできるはずがない。なのに、無理な演出をしようとするので、こんなお粗末な茶番劇が繰り返されることになる。安倍長期政権以降、日本の保守政治家の資質が劣化に劣化を重ねていることを象徴するような最低のやりとりだった。

 

 私がもうひとつ注目したのは、第3次補正予算に関するやり取りだ。菅政権は、緊急事態宣言再発例の前に補正予算案を決定しており、その中には感染拡大防止対策の予算が十分に計上されていない。その代り、感染収束後の景気対策として「GoToトラベル事業」の延長に約1兆円、「国土強靭化計画」などに約3兆円の(不要不急とも言える)巨額の予算が盛り込まれているのである。両事業は、菅首相と二階幹事長の〝刎頸の交わり〟を象徴する肝いりの事業だ。二階幹事長は両事業を予算化することの見返りに菅首相の実現に注力し、菅氏はそれに応えることで権力の座を得たからである。

 

 野党の枝野氏や小池氏は、両事業の予算を感染拡大防止対策に振り替えるよう要求したが、菅首相は頑として応じなかった。菅・二階両氏の権力基盤(利権同盟)の要である両事業の予算を削ることは、菅政権の不安定化につながるおそれがあり、首相は何としても両事業予算を死守するしかなかったからだろう。権力(利権)掌握のためには変幻自在の行動をとる二階氏にとって、両事業の予算削減に易々と応じるような菅首相は「御用済み」となりかねないからである。

 

 巷間、二階幹事長は「利権政治の手練れ」として名を馳せてきた。これまで自民党内の政権抗争の隙間を縫って幹事長ポストを確保し、「水面下のキングメーカー」として暗躍してきたからだ。だから、今回も「別れたら次の人」といった噂が広まるのだろうが、新型コロナウイルスの感染拡大は並大抵の惨事ではない。100年に1度と言われるような究極の危機であり、国内政治はおろか国際政治の枠組みまでが根元から変革を迫られるような大惨事なのだ。利権政治の手練れ如きが対処できる局面ではないのである。

 

 コロナ対策よりも利権政治を優先する菅首相と二階幹事長は、国民不在の政策の重大な誤りによって政権の座をともに去らなければならない。〝刎頸の交わり〟の刎頸とは、文字通り「ともに首を刎ねられる」ことを意味する。二階氏は、菅首相を引きずり降ろして自分だけが生き残ろうとすることなど到底許されない政治情勢だと知るべきだ。すでに、世論は菅政権を完全に見放している。最近の世論調査の中から、1月8~11日実施の時事通信調査の結果を見よう。

 

 時事通信調査は、大手メディアでは珍しく全国18歳以上の男女を「個別面接方式」で実施している。今回調査の対象者数は1953人、有効回収率は62.0%だった。コンピューターが無差別で発生させた番号に電話をかける「RRD方式」が一般的になった現在、個別面接方式調査は貴重な存在であり、とりわけ政党支持率に大きな違いが出ることが特徴となっている。例えば、1月9、10両日にRRD方式で行われた共同通信調査では、自民党支持率が41.2%(前回41.5%)となっているのに対して、その前後の時事通信調査では23.7%(前回24.7%)と倍近い差が出ている。私は自分の調査経験からも、個別面接調査の方がより本音に近い意見が聞けると思っているので、かねがね時事通信調査に注目してきた。結果は以下の通りだ。

 

〇菅内閣を「支持する」34.2%(前回43.1%、以下同じ)、「支持しない」39.7%(26.6%)

〇内閣を支持する理由(複数回答)、「他に適当な人がいない」16.4%、「首相を信頼する」8.0%、「印象が良い」6.4%

〇支持しない理由(同)、「期待が持てない」23.5%、「リーダーシップがない」22.6%、「首相を信頼できない」15.4%

〇新型コロナウイルス感染拡大をめぐる政府対応について、「評価する」18.5%、「評価しない」61.4%

〇全国で一時停止している政府の観光支援策「GoToトラベル」について、「継続すべきだ」29.1%、「中止すべきだ」54.9%

〇政党支持、自民党23.7%(24.7%)、公明党3.9%(3.3%)、立憲民主党3.1%(4.1%)、共産党1.7%(1.5%)、日本維新の会1.6%(1.8%)、社民党0.8%(0.4%)、国民民主党0.5%(0.9%)、れいわ新選組0.2%(0.6%)、NHKから自国民を守る党0.1%(0.2%)、「支持政党なし」62.8%(60.3%)

 時事通信調査結果の特徴は、(1)内閣支持率と不支持率が大きく逆転したこと、(2)内閣を支持する理由が「他に適当な人がいない」いった消極的理由が最大なのに対して、支持しない理由には「期待が持てない」「リーダーシップがない」「首相を信頼できない」などの明確な理由が並んでいること、(3)菅政権のコロナ対策とGoTo事業に対して明確な「No」が突き付けられていること、(4)「保守岩盤層」といわれる自民党支持層がそれほど多くないこと――などである。

 

 それからもうひとつ付け加えるとすれば、志位共産党委員長が半年後に迫った東京五輪開催の中止を迫ったのに対して、菅首相はコロナワクチンの接種を前提としない万全の感染拡大防止対策を講じており、中止や延期の意向は全くないと断言したことだ。だがその後、事態は急展開している。共同通信は1月16日、米有力紙ニューヨーク・タイムズ(1月15日電子版)が、新型コロナウイルスの影響で今夏の東京五輪の開催見通しが日々厳しさを増しており、第2次大戦後、初の五輪開催中止に追い込まれる可能性があると伝えた。同紙は日本と米国、欧州主要国で感染拡大が続き、国際オリンピック委員会(IOC)らの間で安全な五輪開催は不可能との声が出始めたと指摘。ディック・パウンドIOC委員(カナダ)が開催に「確信が持てない」と述べたことなどを挙げた。

 

 衝撃だったのは、1月22日のロイター通信で、英タイムズ紙が与党幹部の話として、日本政府は新型コロナウイルス感染症流行のため東京五輪を中止せざるを得ないと非公式に結論付けた――との報道が明らかになったことだ。日本は他の先進国ほど新型コロナの打撃が深刻ではなかったが、このところの感染者急増を受け、政府は外国人の入国を原則禁止し、東京など主要都市に緊急事態宣言を再び発令している。また、最近の世論調査では、選手団の入国による感染拡大への懸念などから国民の約8割が今夏の五輪開催を望んでいないとの結果が示された。タイムズ紙は、こうした世論を背景に日本政府は将来的な東京五輪開催の可能性を残した上で、今夏の五輪中止を発表することで面目を保つ道を模索していると伝えたのである。

 

 この報道に対して1月22日、日本政府は「東京大会に係る本日の報道について」と題したコメントを発表し、東京五輪の開催について「本日、日本政府が東京大会の中止を非公式に結論付けたとの旨の報道がございましたが、そのような事実は全くございません」と真っ向から否定した。いずれが本当か知らないが、事態は間もなく明らかになる。泣いても笑ってもこの3月には東京五輪開催あるいは中止の判断に迫られるからである。だが、情勢は限りなく暗くて絶望的だ。菅首相と二階幹事長の〝刎頸の交わり〟は遠からず終止符を打たれるに違いない。(つづく)

菅政権が〝末期症状〟を呈している、強権・恫喝政治の行きつく先は懲役・罰金行政でしかない、菅内閣と野党共闘の行方(19)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その244)

 

 菅政権が〝末期症状〟を呈している。学術会議会員候補者6人の任命拒否に端を発した菅政権の強権・恫喝政治は、新型コロナ対策が悉く後手に回る中で、遂に懲役・罰金行政に行きついた。厚生労働省は1月15日、感染症の専門部会を開き、新型コロナウイルス対策として入院勧告を拒否した感染者に対して罰則を設ける案を示し、おおむね了承されたという。政府が与野党に示した感染症法改正案では、入院勧告に反した場合には「1年以下の懲役または100万円以下の罰金」、保健所の調査を拒否したり、虚偽の申告を行ったりした場合には「50万円以下の罰金」などが想定されている(各紙、1月16日)。

 

 これに対し、医療系の136学会でつくる日本医学会連合はその前日1月14日、「新型コロナの感染者への偏見を防ぐ対策を講じず、罰則を設けることは倫理的に受け入れ難い」「個人が罰則を恐れて検査を受けなかったり検査結果を隠したりする恐れがあり、感染抑止がかえって困難になる」との緊急反対声明を出した。日本公衆衛生学会と日本疫学会も同日、罰則は適切でないとする声明を出した。学術会議会員候補者(人文社会系)の任命拒否問題ではなかなか動かなかった医学会も、菅政権の強権政治が自らの領域に及んでくるに至って、遂に立ち上がらざるを得なかったのだろう(同上、1月15日)。

 

 それにしても、菅首相の最近の失態(醜態)ぶりは目に余る。新型コロナの感染拡大で緊急事態宣言の対象区域を広げる1月13日の記者会見では、首相は肝心の県名を「福岡県を静岡県」と言い間違えたばかりか、会見の終わりまで言い間違えたこと自体に気づかなかった。麻生元首相の漢字の読み間違えは、国民の失笑(嘲笑)を買って早期退陣の引き金になったが、こちらの方はまだ実害が少なかった。それに比べて菅首相の言い間違えは深刻だ。緊急事態宣言の発令区域が該当する県から関係のない県になれば、当該区域住民の命と健康は守れない。首相がその政治責任を自覚していないとすれば、これはもう「付ける薬がない」ということになる。

 

 かくなる失態を曝しても平然としている(振りをしている)菅首相とは、いったいどういう人物なのか。最近、神戸の友人から送られてきた中野晃一上智大教授(政治学)の安倍・菅分析が面白かった(全国新聞ネット、2020年9月17日、12月22日)。少し長くなるが、さわりだけでも紹介しよう。

 

 「安倍は、2012年12月に民主党政権とともに二大政党制が崩壊した際に政権復帰を果たし、官邸支配と呼ばれる強権的な仕方で不都合な公文書の隠蔽、改ざん、廃棄までも自ら犯すほどに官僚制を掌握、操縦した(略)。森友学園問題、加計学園問題、桜を見る会問題、検察幹部定年延長問題、カジノ汚職事件、河井夫妻による買収事件など枚挙にいとまがない数々のスキャンダルについて、法の支配をゆがめ、説明責任の放棄を繰り返しても、菅官房長官が『全く問題ない』『適切に対応している』『その指摘は当たらない』と言えば済んでしまう、新しい政治体制(レジーム)――言うなれば2012年体制――を築いてきたのである」

 「菅が安倍や二階によって後継首相に選ばれたのは、安倍内閣が倒れても安倍政権を存続させ、その取り組んできた体制変革を定着させるのに最適な人物だからにほかならない。安倍政権とそのミッションを引き継ぐ以外に当面存在基盤がない以上、まずは菅内閣が安倍内閣にとって代わっただけで、実態としては安倍政権がそっくりそのまま続くと言って差し支えない」

 「しかし実態は、老獪な二階が安倍や麻生らの一瞬の隙を突き、『菅総裁誕生』の流れを作ったに過ぎない。菅は、来年9月の任期切れで用済みとなる可能性が高いと見るべきである。なぜか。自民党の世襲政治である。1991年に就任した宮沢喜一以降、自民党総裁・総理はことごとく世襲議員であり、小渕首相が倒れたさなかに密室の談合で選ばれた森喜朗だけが例外である。2006年に安倍が小泉の後を継いで以降、自民党は単なる世襲ではなく、元首相の子か孫でなければ首相に就けないと思えるほどの『スーパー世襲政党』と化しているのである」

 「目下、東京地検特捜部の取り調べでけん制されている安倍にとって、菅は急場しのぎで留守を預からせただけで、使用人として見下しきっているのが実態だろう。事実、辞意表明直後に敵基地攻撃能力に関して談話を発表し、後任首相の手を縛ろうとした。このことだけでも常軌を逸しているが、辞任からわずか2カ月後の11月に衆院解散・総選挙について『もし私が首相だったら非常に強い誘惑に駆られる』とわざわざ言って注目を浴びた。永田町の常識で言えば、菅をよほどばかにしていなければ到底できることではない」

 「同じく元首相の孫で自身も元首相にて今や8年の長きにわたって副総理兼財務相として居座る安倍の盟友・麻生は、党内第2派閥を率いる(略)。80歳でもなおキングメーカーとして影響を保持しようと目論み、傲岸不遜で知られる麻生が、『たたき上げ』の菅を対等の人間として見ているとは到底考えられない」

 

 中野教授は、「菅は来年9月の任期切れで用済みとなる可能性が高い」と言っているが、菅退陣の時期はもっと早いのではないか。なぜなら、菅首相が政権維持(浮揚)のカギと見ている東京五輪開催が、新型コロナの感染拡大で急速にリアリティ(実現可能性)を失いつつあるからだ。すでに国民の大多数(7~8割)が東京五輪開催の「中止」「再延期」が妥当と判断しており、予定通り「実施すべき」とする世論は2割にも満たない。世論はすでに東京五輪から遠く離れており、国民の関心は新型コロナをいかに収束させるかに移っているのである。

 

 毎日新聞東京経済デスクの三沢耕平氏は、1月15日の「オピニオン・記者の目」で、コロナ禍の日本経済を立て直すには、「全てのGoToを即廃止し、給付金の支給による事業者支援に切り替えるべきだ。また、一部のアスリートから再延期を求める声が出始めた東京オリンピックについても今年の開催を返上し、医療崩壊を防ぐために奔走する関係機関への五輪予算の振り向けを真剣に検討する時期だ」と提言している。

 

 また、朝日新聞投書欄(1月15日)には、「五輪中止へ、都知事が先導して」と題する次のような都民の声が掲載されている。

 「小池さん、今こそ『都民ファースト』を掲げたリーダーの出番です。国際オリンピック委員会(IOC)などに働きかけてください。あなたの行動を多くの人が待っています。新型コロナウイルスの感染者が爆発的に急増し、まさにオーバーシュートの中、五輪は不要不急の最たるものとお思いになりませんか」

 「膨大な予算や人的資源は、医療の整備や困窮者のために使って下さい。その日の食べ物にも困り、寝る場所も確保できない人々の映像が毎日のように流れているのはご存じでしょう。皆が幸せにならなければ、世界的なスポーツの祭典を心から楽しむことはできないのです」

 

 安倍前首相の「使用人」にすぎない菅首相、そしてその後釜を狙う(と囁かれている)小池都知事にとっては、東京五輪の返上などは思いもよらないことだろうし、またそんなことを決断できるだけの器でもない。要するに、成り行き任せで小出しのコロナ対策を繰り返しながら、支持率低下とともに自滅していく道を歩いているだけだ。

 

 だが、国民にとって不幸なのは、菅政権の次が見えないことだ。菅政権の失策を批判するだけで、それに代わる政権構想を示すことができない野党は、誰も信用しない。口先だけの批判を並べることはもう止めて、今こそ「ポスト自民」の本格的な政権構想を示すべきときなのである。(つづく)