菅政権に「明かり」は見えない、「菅おろし」を見ているだけの野党共闘は仕切り直しが必要だ、菅内閣と野党共闘の行方(40)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(265)、

 

「菅おろし」の動きが自民各派で始まっている。それを加速しているのが止まることのない内閣支持率の低下だ。8月28日実施の毎日新聞世論調査では、菅内閣の支持率は26%、7月17日の前回調査の30%から4ポイント下落した。1年前の政権発足以降、内閣支持率は初めて30%を切り、「過去最低」を更新している。一方、不支持率は66%、前回の62%から4ポイント増えて「過去最悪」の水準となった。要するに、菅内閣を支持している有権者はいまや4分の1に過ぎず、有権者の大多数の3分の2が「ノー」を突き付けているのである。

 

菅首相は、8月25日の記者会見で新型コロナウイルス対策に関し、「明かりははっきりと見え始めている」といつもながらの楽観論を振り撒いた。これまで厳しい規制をかけてきた地域を解除するための記者会見なら話はわかるが、これから北海道や愛知など8道県に緊急事態宣言地域を拡大しようとする矢先の記者会見の席上で、こともあろうに「明かりははっきりと見え始めている」というのだから、この人物は言葉の意味がわかっていないか、状況判断ができないかのどっちかだろう。あるいは、その両方かもしれない。

 

 だが、現実は日に日に厳しさを増している。厚生労働省によると、全国の新規感染者は2万人を超えて最悪レベルになり、各地で病床は逼迫している。その結果、「自宅療養者」という名の病院で治療を受けられない患者数は急増している。8月23日時点での療養中の感染者に占める入院者の割合を示す「入院率」は、東京都9.5%、埼玉県4.9%というのだから、東京では10人に1人、埼玉では20人に1人しか病院で治療を受けられない状況だ(毎日8月26日)。

 

 世論調査は正直だ。菅首相がいくら楽観論を振り撒いても国民はもはやその言葉を信用しない。今回の調査でも、菅政権の新型コロナウイルス対策を「評価する」14%で前回19%から5ポイント減少し、「評価しない」70%で前回63%から7ポイント跳ね上がった。日本の医療が崩壊する不安を感じるかとの問いには、「不安だ」70%、「不安はない」15%を数倍上回った。感染拡大で患者が急増し、入院できない自宅療養者が増え、療養中に死亡するケースが相次いでいることが国民の不安を掻き立てている。政府のコロナ対応の不備や医療体制の逼迫(ひっぱく)が改善されないことへの不満が、内閣支持率の低下につながっているのである。

 

 こんな世論状況の激変を受けて、自民各派では「菅おろし」の動きが加速している。近く予想を超える候補者が名乗りを上げることは必至であり、メディア報道も総裁選一色となり雪崩を打つのではないか。これに対して、野党はいったい何をしているのだろうか。自民党総裁選よりも臨時国会を開けというばかりで、実質的には何もしていない。これでは野党の影はますます薄くなり、政権交代など「夢のまた夢」の状況が続くことになる。

 

 野党共闘に動きがないのは、それを妨害する強固な勢力がいるからだ。言うまでもなく、立憲民主党や国民民主党に大きな影響力をもつ連合の存在である。神津連合会長は「共産党との共闘はあり得ない」と端から野党共闘を拒否しているし、それに同調する連合幹部も各地の選挙ではことあるごとに妨害に動いている。今回の横浜市長選でも、連合は共産党や社民党に推薦を求めない、応援演説は一緒にしない、候補者には近づかないなど、信じられないような注文をつけたという。それでいて勝利したのだから、連合はこのやり方を次期総選挙でも踏襲するつもりなのだろう。

 

 最大の問題は、立憲民主党の枝野代表や福山幹事長がこんな連合の方針に同調していることだ。もともと枝野代表は「本物の保守主義者」だと公言しているし、京都選出の福山幹事長は、「死んでも共産党とは共闘しない」ことを信条とする前原国民民主党代表代行と政治生活をともにしてきた間柄だ。京都では「野党共闘」などもはや死語同様の存在であり、誰一人その可能性を信じていない。枝野・福山ラインが続く限り、本格的な野党共闘は「望み薄」というのが大多数の意見なのである。

 

 毎日新聞世論調査によれば、政党支持率は自民26%(前回28%)、立憲民主10%(同10%)▽日本維新8%(同6%)、共産5%(同7%)、公明3%(同4%)、れいわ2%(同1%)、国民民主1%(同1%)、「支持政党なし」42%(同39%)となっている。また、次期衆院選の比例代表で投票したい政党は、自民24%、立憲民主14%、日本維新8%、共産6%、公明4%、国民民主2%、れいわ新選組2%、「まだ決めていない」37%だった。これを見る限り、政党間の支持率や投票率には構造的な変化が生じていない。したがって、「菅おろし」が成功して新しい自民首相が誕生すれば、これまでと同じ政治が続くことになる。

 

 枝野代表や福山幹事長はおそらくこのことを前提にして行動しているのであろう。もし「政権交代」を本気で考えているのであれば、連合との間で話に決着をつけて共産との政策協定や組織協定に踏み切り、無党派層の獲得に本腰を入れるはずだからである。しかし、そのような気配が露ほどもないところをみると、自民の議席を若干減らし、その分立憲民主の議席を上積みして「野党第一党」を維持することが当面の目標なのではないか。そして、そのうちに自民の中の「本物の保守」に働きかけて「保守新党」を結成し、政権を握ることを考えているのであろう。これが枝野構想であり、枝野代表の政治戦略である以上、枝野・福山ラインが続く限り、それ以外の政権構想を期待しても幻滅に終わるだけだ。

 

 もっとも志位共産党委員長も「保守」を頭から否定していない。8月4日の党本部で党創立99周年を記念して講演し、「自民党政治はまともな保守政治と言えない」と批判する一方、「野党共闘は広大な保守の人々と共産党を含む共闘に発展している」と述べたのである。志位委員長は講演後、記者団に保守層との共闘の例を問われ、「立憲民主党は自らのことを保守と言っており、そういう野党との協力になってくる。自民党出身で保守本流でやってきた亡くなった翁長(雄志前沖縄県知事)さんと共産党が『オール沖縄』の旗のもと協力した経験もある」と説明した。また、「保守の人々」との共闘について「(日本)共産党の歴史の中でもあまりなく、世界でも(各国の)共産党が保守のグループと協力して政治を変えようということはあまりない。まったくユニークな取り組みだ」と意義を強調したという(毎日8月5日)。

 

 こうなってくると、私のようなオールドリベラリストはもはや付いていけない。「まともな保守政治」と「まともでない保守政治」を見分ける基準は何か、自民の中に「まともな保守政治家」がどれぐらいいるのか、立憲民主は「本物の保守」なのか―などなど、次から次へと疑問が湧いてくる。志位委員長が保守グループと協力して政治を変えようというのであれば、今までの野党共闘の枠組みは根本から変えなくてはならない。「菅おろし」が一段落して新首相が誕生し、次期総選挙が始まれば、いやでも野党共闘の内実が問われることになる。百年一日のごとく古びた「野党共闘」のメロディーを繰り返すのか、それとも「まともな保守政治」を実現するため、新しい政党再編に踏み切るのか、いまはその分岐点に差し掛かっているような気がする。(つづく)

日本列島が新型コロナウイルスで〝真っ赤(過去最多)〟に染まっても、菅首相は「自粛」と「宣言」を繰り返すだけ、国民の命を守れない菅内閣は下野しなければならない、菅内閣と野党共闘の行方(39)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その264)

東京五輪が開幕してから今日8月20日で1か月近く(29日)、閉幕してから12日が経過した。国内の新型コロナウイルス新規感染者数の推移をみると、7月23日(開幕)4349人、8月8日(閉幕)1万166人、8月20日(現在)2万5156人と感染拡大は日に日に勢いを増している。五輪開催中に約1万人、閉幕から現在まで約1万人、合わせて2万人余りが増えた勘定だ。開幕時の国内感染者数4349人を基準にすると、閉幕時は3.3倍、現在は5.8倍に達している。

 

菅首相やJOCは、五輪開催と新型コロナ感染者数の増加は「関係ない!」と火消しに必死だが、国民は誰一人そんなゴマカシを信じていない。菅首相は本当のことを言っていない、菅首相の言うことは当てにならない、との評価が行き渡っているからだ。国民には「自粛」を求めながら、その一方、国際的な人の大移動を伴う東京五輪は開催する――、こんな言行不一致な人間の言うことは信用できないと誰もが思っているのである。だから緊急事態宣言をいくら発出しても国民には「馬の耳に念仏」程度にしか届かない。

 

五輪閉幕後、さすがのNHKも連日新型コロナの感染状況を伝えるようになった。夜の「ニュース9」でも、トップでその日の感染状況を伝えるようになったのである。感染状況を示す日本列島地図が大写しになり、「過去最多」を記録した地域が真っ赤に塗られ、それが日に日に拡大していく様子が手に取るように分かるようになった。最初のころは首都圏を中心にした「点」だったが、最近では首都圏と関西圏を結ぶ「線」となった。都市計画研究者の端くれである私には、それが高度成長時代の「太平洋ベルト地帯構想図」に重なって見える。

 

1964年の東京五輪開催当時、日本は「国土開発ブーム」「都市開発ブーム」に沸いていた。1964年東京五輪開催の2年前、1962年に戦後初の「全国総合開発計画」(全総)が閣議決定され、5年後の1969年にはさらにバージョンアップされた「新全国総合開発計画」(新全総)が登場した。京浜工業地帯、阪神工業地帯、北九州工業地帯を結ぶ国土幹線(高速道路、新幹線、通信網など)の建設が急ピッチで進められ、太平洋沿岸の至る所に巨大臨海コンビナートが造成された。日本列島の山という山が削られ、海という海は埋め立てられていったのである。

 

当時は、公害問題が最大の政治課題だった。工場廃液の垂れ流しによる海や河川の汚染が激化して水質汚染が限界に達し、火力発電所や工場からの排気ガスによる大気汚染が都市の上空を分厚く覆っていた。水俣病(熊本、新潟)、イタイイタイ病(富山)、四日市喘息(三重)など地域住民の生命と健康を脅かしていた深刻な公害問題に対して訴訟が始まり、「4大公害訴訟」として一気に国民の最大関心事に浮上した。これを機に全国各地に公害反対住民運動が広まり、山を削って海を埋め立てる開発計画への抗議運動が激化したのである。

 

いま、全国に広がろうとしている新型コロナウイルスの感染状況は、当時の公害問題による凄まじい環境破壊、国土荒廃のあり様を想起させる。新型コロナウイルスは、太平洋ベルト地帯に沿って感染爆発が「点」から「線」へと拡大し、さらには国土全体の「面」にまで広がろうとしている。〝真っ赤(過去最多)〟に塗られた感染地図が全土を覆う日もそう遠くはない。それにもかかわらず、菅首相はパラリンピックを予定通り開催する方針を変えず、「無観客」を掲げながら学校児童生徒の参加を認めようとしている。専門家が「この状況では誰が考えても無理」だと思うことを強行しようとしているのである。

 

菅首相には、政治家に必須の〝歴史観〟や〝科学的想像力〟が決定的に欠落しているように思える。科学や学問に対する最低限のリスペクトすらないことは、学術会議会員候補の任命拒否で明らかになった。任命拒否の理由も説明できず、ただ(政治的に)気に食わないという理由だけで拒否するのは、どこかの「田舎政治」と同じことだ。また、歴史観がないことは、「沖縄のことは戦後生まれの自分は知らない」と沖縄県知事に公言したことで明らかになった。歴史は過去の事実や教訓を深く学んで現在の行動を律するものだから、生まれてくる以前のことは知らなくても平気だというのでは話にならない。

 

横浜市議の政治経験を基に伸し上がった「叩き上げ」の菅氏には、政治家としての基礎教養をつける機会がなかったのではないか。それが安倍内閣で官房長官になり、さらには後継首相になったのがそもそもの間違いだった。こんな不幸な事態は一刻も早く是正しなければならない。燃え盛る新型コロナウイルスの感染爆発を目前にして「打つ手がない」と立ちすくんでいるような人物は、首相の責に耐えることができないからだ。

 

 8月11日の朝日新聞社説は、「コロナ下の首相、菅氏に任せて大丈夫か」と論じた。事実上の退陣要求である。メディア各紙は、全国紙も地方紙もこのことを真剣に考えてほしい。国民の間ではもはや内閣支持率が底を打っているように、早くから菅内閣を見放している。新型コロナウイルスが「燎原の火」のように広がる前に、菅首相を退陣させることが最大の「感染防止対策」なのであるから。(つづく)

 

菅政権の〝1億総動員計画〟は成功しなかった、やり場のない苦痛と徒労感にさいなまれた東京五輪の17日間、菅内閣と野党共闘の行方(38)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その263)

 

東京五輪がようやく終わった。日本が史上最多のメダルを獲得したとかで、多くの国民は勇気と感動を与えられたとメディアは伝えている。テレビに登場するメダリストたちの顔は誰もが輝いていた。この日のために懸命の努力を傾けてきたアスリートにとっては、東京五輪が最高の「晴れの舞台」だったことは間違いない。学生時代にはアスリートの端くれだった私からも心からの祝福を送りたい。

 

彼・彼女らへの気持ちはいささかも変わらない。といって、東京五輪そのものを賛美する気にはさらさらなれない。むしろ東京五輪の17日間は、私にとってはやり場のない苦痛と徒労感にさいなまれた17日間だったといってよい。新型コロナをめぐる国内外の感染状況が刻々と悪化し、それにともなう医療問題や社会問題が噴出しているにもかかわらず、ありとあらゆるメディア空間が「五輪一色」に染められ、それ以外の情報は全く得られない「報道管制」状態が続いていたからだ。これでは「本土決戦」「1億玉砕」のスローガンとともに、連日軍艦マーチが鳴り響いていた終戦時のラジオ放送と同じでないか(私は終戦当時、国民学校1年生だった)。

 

菅政権が政権浮揚のために、東京五輪の開催強行という「賭け」に出たことは誰もが知っている。国民の命と健康を守ることが大前提だと言いながら、実際やったことは「安心安全東京五輪」を百回念仏のように繰り返しただけ。東京を中心に首都圏一帯に感染爆発が広がっても、緊急事態宣言がもはや「お題目」化して見向きされなくなっても、安心安全一本やりの「菅念仏」はいっこうに変わらない。この状態は、もはや「ボキャ貧」というレベルをはるかに超えて「ボキャ欠」の域に達している。「見ていられない!」というのが、われわれシニア層の感想だ。

 

それにしても、漢字も満足に読めない麻生元首相の登場以来(彼は、未曽有を「ミゾユー」と読んだ)、森友問題や桜を見る会疑惑に絡んで118回もの国会虚偽答弁を重ねた恥知らずの安倍前首相、そして官僚が用意した原稿をまともに読めず、読み飛ばしてもそれに気づかない程度の低学力の菅首相など、とにかく最近のわが国の首相は「粒」がそろっている。こんな連中が東京五輪の誘致に血道を上げ、海千山千のIOC幹部を相手にするのだから、手玉に取られても仕方がない。費用対効果分析からいえば、「利益はすべてIOC」「費用はすべて日本国民」ということになり、東京五輪を強行すればするほど、日本国民の負担は級数的に膨らむことになる。

 

東京五輪は日本の恥部をすべてさらけ出した。数々の不祥事は挙げればきりがないが、そんなことは些末なことだ。最大の問題は、日本の首相や東京都知事が国際的イベントを開催するだけの資質も力量もなく、それが国際的に広く知れ渡ったということだ。1国のガバナンスも満足にできないような人物が、その失点を挽回しようとして東京五輪の開催に固執したことがことの始まりだった。足元を見たIOCに徹底的に付け込まれ、時にはおだてられ、そして、骨までしゃぶられた。そのツケは、すべて日本国民が背負うことになるのである。

 

IOCに体よく利用された(だけの)ことは、東京五輪の熱気が冷めるにつれて日に日に明らかになるだろう。「宴」の後の現実を目の当たりにして、日本国民は今更のごとく事態の深刻さに慄然とするのではないか。そして、誰がこんな事態を引き起こしたのか、誰が「五輪囃子」を打ち鳴らしたのか、結果の責任を誰が取るのかなどなど――、そんな怒りと批判が燎原の火のごとく日に日に広がっていくだろう。

 

菅政権は、東京五輪という〝1億総動員計画〟を実行に移した。だが、この計画は成功しなかった。菅首相は「未曽有の困難のなかで成功を収めた」と自画自賛しているが、東京五輪終盤時に実施された各種の世論調査結果は「ノー」を突き付けている。朝日新聞(8月7、8日実施)、読売新聞(8月7~9日実施)、NHK(同)の結果を要約すると、国民世論の所在がクリアーに浮かび上がる。

結論から言えば、(1)国民の3分の1は東京五輪の開催に反対であり、(2)3分の2が「安心安全な大会」になったとは思わず、(3)その原因がこれまでの政府の対応の不備にあると考え、(4)結果として、菅内閣に不支持を突き付けたのである(それも「危険水域」と言われる20%台にまで)。以下はその数字である。(つづく)

 

【東京五輪が開催されてよかったか】

 朝日:よかった56%、よくなかった32%

 読売:よかったと思う64%、思わない28%

 NHK:よかった26%、まあよかった36%、あまりよくなかった18%、

よくなかった16%

 

【東京五輪は菅首相の掲げた「安心安全な大会」にできたか、なったか】

 朝日:できた32%、できなかった54%

 読売:そう思う38%、思わない55%

 NHK:なった31%、ならなかった57%

 

【新型コロナウイルスを巡るこれまでの政府対応を評価できるか】

 朝日:評価する23%、評価しない66%

 読売:評価する38%、評価しない58%

 NHK:大いに評価する3%、ある程度評価する32%、あまり評価しない40%、

まったく評価しない21%

 

【菅内閣を支持するか】

 朝日:支持する28%(前回31%)、支持しない53%(同49%)

 読売:支持する35%(同37%)、支持しない54%(同53%)

 NHK:支持する29%(同33%)、支持しない52%(同46%)

東京で〝感染爆発〟過去最多3865人、全国でも感染者数1万人を超える、「元栓」を全開しながら「蛇口」をいくら閉めても「漏水」は止まらない、菅内閣と野党共闘の行方(37)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その262)

 

新型コロナウイルスの感染拡大がいよいよ全国的に本格化してきた。東京では3日連続で「過去最多」を記録、7月29日には3865人に達した。新型コロナウイルス感染者は東京五輪開催中の首都圏で爆発的に広がり、神奈川1164人(過去最多)、埼玉864人(過去2番目)、千葉576人(同)となった。首都圏(1都3県)全体では6469人となり、全国1万693人の60.5%を占める。

 

首都圏と結びつきの強い西日本での感染拡大も凄まじい。大阪932人、福岡366人、沖縄392人(過去最多)と、先週に比較して1.5倍前後も増えている。これまでの予想では、東京で3000人を超えるのは8月3日ごろだとされてきた。しかし、インド株の変異ウイルスの感染力が強いこともあって、感染拡大のスピードは著しく速い。西浦京大教授の予測では、前週比1.5倍で感染が続くと、都内の1日新規感染者数は8月中旬以降1日1万人前後、同1.3倍でも5000人になるとの試算が出されている(NHKニュース7月29日)。

 

政府は7月30日にも新型コロナウイルス対応の緊急事態宣言(8月2~31日)を神奈川、埼玉、千葉、大阪の4府県に出す方針だという。また、これに合わせて東京、沖縄の緊急事態宣言を8月31日まで延長する。だが、問題は「緊急事態宣言」が感染拡大防止の「決め手」になりうるかどうかということだ。現に、東京では4回目の緊急事態宣言(7月12日)が発令されてから2週間以上も経つのに、その効果はまったくあらわれていない。逆に過去最多の〝感染爆発〟状態が発生しているのである。

 

原因は明らかだろう。菅政権が国民の反対を押し切って五輪開催を強行し、根拠のない「安心・安全神話」を振りまいてきたことが、国民の間に新型コロナウイルスへの「楽観バイアス」を生み出し、それが「自粛ムード」の低下につながっているためだ。この間の事情を毎日新聞(2021年7月30日)は、次のように分析している。

 

「東京都に4回目の緊急事態宣言が発令されてから2週間(7月12~25日)の人出は、過去3回の宣言時と比べて大幅に増えている。若者が集う東京・渋谷では初めて宣言が発令された2020年4月の3倍に迫る人出となっている。(略)度重なる宣言の発令に閉口する人は多く、五輪が自粛の雰囲気をかき消す」

「4回目の宣言について、筑波大の原田隆之教授(臨床心理学)は人々が宣誓に慣れたことや、五輪開催と自粛要請という矛盾するメッセージが併存する点を指摘し、効果を疑問視する。『人間は矛盾を感じて不安定な心理状態になると、自分の都合の良いことだけを受け入れる傾向がある。五輪の熱狂に共感しても、自粛要請は受け流している人が多い』と語る。その上で『1回目の宣言から変わらず、外出自粛を求めるスローガンを繰り返しているだけ。高速道路料金や鉄道運賃を倍増させるなど、国や自治体は実効性を高める対策を早急に検討すべきだ』と提言する」

 

この分析には同感するところが多い。原田教授の指摘も的を射ている。しかし、毎日新聞にとっては「五輪中止」を掲げることはタブーなのか、そこまでは踏み込んでいない。政党の間でも「五輪中止」を主張しているのは共産党だけで、立憲民主党は「五輪中止は却って混乱を大きくする」(枝野代表発言、時事通信7月29日)との立場だ。また、何が何でも五輪開催にこだわるIOCは、アダムス広報部長が7月29日の記者会見で、新型コロナの感染拡大について「パラレルワールド(並行世界)みたいなものだ。私たちから東京に対して感染を広げていることはない」と述べ、東京五輪開催と感染拡大は無関係との認識を示したという。すでに大会関係者の陽性者は7月29日現在198人に達し、29日には1日当たり最大の24人の陽性者が発生しているというのに―、である(毎日7月30日)。

 

私は、「楽観バイアス」にとらわれているのは日本国民ではなく、菅政権とIOCだと思う。正確に言えば、彼らは「楽観バイアスにとらわれている」のでなく、「楽観バイアスを振りまいている」のである。菅政権にとっては政権維持のために、IOCは利権確保のために、いまや「五輪続行」が至上命題になっており、「五輪中止」は彼らの命運を断つ恐れがあるからである。

 

拙ブログのサブタイトルにも掲げたように、「元栓」を全開しながら「蛇口」をいくら閉めても「漏水」は止まらない。東京五輪と感染拡大の関係は、IOCが言うような「並行世界」ではなく、両者は緊密に結ばれた「共存世界」なのである。「元栓=五輪開催」を閉めない限り、「蛇口=自粛」をいくら閉めても「漏水=感染拡大」は止まらない。この自明の法則は、パラリンピック開催時までに証明されるだろう。それは、パラリンピック中止という大事件に発展するかもしれない。(つづく)

米紙ワシントン・ポスト、東京五輪は「完全な失敗」、五輪への期待は「熱気から敵意に」と論評、菅内閣と野党共闘の行方(36)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その261)

7月18日付の共同通信をネットで見て驚いた。東京五輪の現状についてこれほど的確な論評が出されるとは思いもしなかったからだ。ワシントン共同によると、米紙ワシントン・ポスト電子版は17日、開幕を23日に控えた東京五輪について、これまでのところ「完全な失敗に見える」と指摘し、1964年の東京五輪のように日本に誇りをもたらすことは期待できないと指摘した。新型コロナウイルス流行の影響で国民に懐疑論が広がり、当初の五輪への「熱気は敵意に」すら変わっていると報じたのである。

 

翌日7月19日には、時事通信がより詳しい内容を伝えた。米紙ワシントン・ポスト(電子版)は17日、今週開幕の東京五輪について「完全な失敗に向かっているように見える」と論評するコラムを掲載し、五輪招致の理念だった「おもてなし」の精神は後退し、外国人への警戒に取って代わられたと記した。新型コロナウイルス禍の中で開催を強行する国際オリンピック委員会(IOC)や政府の姿勢に国民の反発が強まり、「熱気は不満、無関心、ついには敵意に変わった」と論じた。敗戦からの復興を象徴した1964年の東京五輪と異なり、国家の誇りや経済効果は期待できないとも指摘。周囲と遮断された会場や納税者の負担となる膨大な請求書を見るにつけ「東京都民はなぜ、誰のためにこの犠牲を払うのかを自問自答している」と指摘した。

 

 もう一つ、私を驚かせた記事があった。それは毎日新聞が7月19日、「トヨタ、五輪関連CMの放送取りやめ」「社長の会場応援も見送り」と伝えたことだ。東京五輪の最高位スポンサーを務めるトヨタ自動車は、国内で予定していた五輪関連のテレビCMの放送を取りやめ、豊田章男社長ら関係者の開会式などへの出席も見送るというのである。毎日は、新型コロナウイルスの感染拡大で大会開催に慎重な世論が根強い中、自社のブランドにマイナスイメージが広がるリスクを避けたと分析している。

 

 続いて7月20日、今度は朝日新聞が「五輪最高位スポンサー、パナソニック社長も開会式見送り」と伝えた。パナソニックは最高位のスポンサー契約を国際オリンピック委員会(IOC)と結び、映像用の機材などを納入している。同社によると、業務上必要な幹部は会場に入るが、楠見雄規社長は開会式に出席しない方針だという。五輪に関しては、トヨタ以外にも協賛企業として「ゴールドパートナー」となっているNTTも幹部の開会式への出席を見送る考えだといい、五輪への対応を見直す動きが広がっている。もはや、東京五輪は企業にとっても「マイナスイメージ」に転化したのである。

 

 その一方、IOCバッハ会長は来日以来、連日「進軍ラッパ」を吹き鳴らしている。国際オリンピック委員会(IOC)総会が7月20日、都内のホテルで開かれ、トーマス・バッハ会長、菅義偉首相、五輪組織委の橋本聖子会長、JOCの山下泰裕会長らが出席した。バッハ会長は冒頭のあいさつに立ち、「世界中のアスリートが自分たちの五輪の夢を実現するのを楽しみにしてきた。アスリートは、日本国民の忍耐強さを共有する。今、舞台が整った。感動、涙、喜びがアスリートによって作り出される。それが五輪のマジックとなる。まさに日本も輝く時だ」「世界中の何十億という人々が五輪を楽しみ、日本の国民を称賛する」と滔々と述べたという。「日本はIOCのためにあるの!」「世界はIOCのためにあるの!」と高らかに歌い上げたのである。

 

IOCバッハ会長は先週、菅首相に対し「日本人に対する感染リスクはゼロ」「日本人は大会が始まれば歓迎する」と手前勝手なことを吹聴し、あまつさえ感染状況が改善すれば「有観客」を検討してほしいとまで要求している。東京都民や首都圏住民が感染爆発の危機に直面しているというのに、東京五輪さえ開催できれば、「後は野となれ山となれ!」の態度丸出しだ。それを黙って聞いている菅首相は馬鹿にされているとしか思えないが、本人はそれを自覚していないのだから仕方がない。これが日本の宰相だというのだから、国民は怒りを通り越して悲しくなる。

 

では、開催前の現実はどうか。五輪関係者や選手の中からすでに50人を超える感染者が出ており、濃厚接触者はそれを倍する勢いで広がっている。ところが、IOCは感染の実態を明らかにしない。「個人情報保護」と言って屁理屈で、感染の原因や実態を覆い隠し、「調整」とか何とか言ってとにかく競技をスタートさせることに必死なのだ。大会が中止になりあるいは途中で打ち切られることになれば、巨額の放映権料の返却が派生するので、犠牲者などは横目に競技を続行する以外に選択肢が残されていないのだ。

 

菅内閣はもはや国民の信頼を失っており、政権担当能力が疑われている。直近の世論調査によれば、全てのメディアで内閣支持率が政権発足以来の最低水準を記録している。不支持が最高水準に達しているのはいうまでもない。菅政権にとって誤算だったのは、ワシントン・ポストが指摘するように、東京五輪に対する国見感情が「熱気から敵意に」変化したことだ。菅首相は、国民が日本人選手の金メダルラッシュに狂喜乱舞すれば全ての暗雲が吹っ飛び、菅政権の将来が開けると期待していた。しかし、そこにはこれまで培ってきた政治経験と強権的手法があっただけで、政治哲学も科学的思考もなかった。

 

トヨタ自動車やパナソニックの態度は象徴的だ。東京五輪の最高位スポンサーが東京五輪から身を引くというのである。国民はもとより大企業からも見放された菅政権に未来はない。「叩き上げ者」の限界であり、終末である。(つづく)

野党共闘、最大の障害は枝野立憲民主党代表ではないのか、相次ぐ共闘否定の発言の裏にあるもの、菅内閣と野党共闘の行方(35)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その260)

 2021年7月4日投開票の東京都議選では、定数1~2人の選挙区を中心に立憲、共産両党が候補者をすみ分けし、野党共闘の成果を挙げた。一方、自民党は議席を伸ばしたものの、自公で過半数という目標には届かず、事実上敗北した。ところが、枝野立憲代表は7月6日の党執行役員会で、「自民党に代わる選択肢は我々しかないんだ、ということが十分に届ききっていない選挙になってしまった」と述べただけで、野党共闘については何ら触れなかった(朝日7月6日)。背景には、立憲は共産党と1~3人区で候補者を一本化して7議席伸ばしたものの、都民ファースト(31議席)や共産(19議席)などに及ばず、政権批判票の受け皿として存在感が発揮できなかったことがあるとみられる。

 

 枝野代表の野党共闘に対する否定的発言はこれにとどまらない。都議選最中の6月30日、枝野代表は記者会見で「わが党の公認・推薦候補の当選のために全力で仕事をするのが当然。それをやっていない議員らがいるとすれば信じられないし、許されない」と述べ、立民候補がいる選挙区への応援入りを求めた。その一方、立民候補不在の選挙区での共産候補への応援については、「そうはいっても都内各地で仲間が必死の戦いをしている」と否定的な考えを示す有様(産経6月30日)。要するに、枝野代表の本音は、表向きは野党共闘と言っていても、実質的には共産党との選挙協力はしないということだろう。

 

 決定的なのは、枝野代表が6月17日、連合中央執行委員会に出席し、次期衆院選に向けた共産党との協力について「理念で違う部分があるので共産党との連立政権は考えていない。共有政策でのパーシャル(部分的)な連携や候補者一本化に努力したい」と述べたことだ。会合は非公開だったが、枝野代表は終了後記者団にわざわざ発言内容を明らかにし、「私は従来、神津(里季生)会長などには話をしていたが、改めて連合の皆さんにお伝えをした」と説明した(毎日6月18日)。

 

 これを受けた連合の神津会長は6月17日、記者会見で「理念の違う共産との連立政権はないということを枝野代表が踏み込んで明確に言ったことは積極的に受け止めたい」と応じ、「立憲と国民民主が連立して、政権構想を打ち出すのは、多くの有権者の期待に応えるものだ」と評価した。また、中央執行委員会に同席した国民民主党の玉木雄一郎代表は、記者団に「共産党と連立政権を組まないと(枝野氏が)おっしゃったのは一歩前進だ。ほっとした」と歓迎した(同上)。

 

 一方、コケにされた共産党は枝野発言については「だんまり」を決め込んでいる。枝野発言は赤旗しんぶんでは一切報道されないし、紙面に溢れているのは楽観的な「野党共闘賛歌」一点張りだ。これでは赤旗だけを読んでいる読者は、今すぐにでも野党共闘が実現するかのような印象を抱くだろうし、一般紙を読んでいる読者は「先行き不透明」「五里霧中」との感を一層深くするだろう。自民党議員や閣僚がこれだけ「政治とカネ」の問題で腐敗しきっているというのに、政党支持率で立憲や共産の支持率が依然として低迷しているのは、野党共闘の行く先が見えないためだ。

 

 この動きに右からの一石を投じたのは、国民民主党の榛葉幹事長(参院議員)だ。国民民主党は7月7日、役員会で次期衆院選に向けて連合が求めていた立憲民主党との政策協定を拒否する方針を決めた。連合は当初、連合、立憲、国民民主の3者で結ぶ形を求めてきたが、榛葉幹事長は終了後の記者会見で、立憲とは「主義主張、政策、運動論が異なる」としてこれを拒否、むしろ都民ファーストとの連携に期待を示した。2017年の衆院選では、玉木代表を含む国民民主の多くの議員が、小池氏の率いる「希望の党」の候補として選挙戦に臨んだ。都民ファーストには連合東京の組織内議員もいて、親和性は高いという(朝日7月8日)。

 

 私は国民民主のこの動きを見て、2017年衆院選における前原民進党代表、小池知事、神津連合会長の3者共謀による「民進党解体劇」を思い出した。自民党と希望の党による保守2大政党制を形成して政権を安定させるため、前原氏と小池氏が神津連合会長の後押しで(おそらくは政権中枢幹部の承認のもとに)、野党第一党の民進党を解体してリベラル派を追い出すという〝クーデター〟が決行されたのである。この時、枝野氏はただ単に前原氏との権力闘争に敗れただけで、特に思想上の対決や政策上の違いがあったわけではない。小池氏の手法が余りにも強引で有権者の反発を招き、その結果として枝野氏が「少数派=リベラル派」と見なされたにすぎない。枝野氏はもともと「保守」を自認する政治家であって、民主党政権時代の官房長官としての言動を見れば、その主義主張の所在は明らかだ。

 

 ところが、その後の事の成り行きで、いつの間にか枝野氏が立憲民主党代表となり、野党共闘論議が盛んになる中で、共産党までが首班指名選挙で枝野氏に投票するという事態に発展した。こうして、枝野氏には「野党共闘の要=リベラルの星」というイメージが作られ、野党共闘の行方があたかも枝野代表の手中にあるかのような幻想が広がったのである。しかし、私は枝野氏が立憲民主党を代表しているとも思わないし、枝野代表が「野党共闘の要」だとも思っていない。むしろ、枝野氏が立憲民主代表の座にある限り、野党共闘は永遠に進まないと考えている。野党共闘の最大の障害は枝野氏自身であり、枝野氏が代表の座から降りない限り野党共闘は実現しない。立憲民主党や共産党がそのことに気付くのはいったい何時の日であろうか。(つづく)

 

京都市は京都弁護士会の意見書を尊重しなければならない、理を尽くした意見書を無視すれば、さらに市民の反発を招くだろう(その2)、コロナ禍でも突き進む京都観光(番外編7)

 

 京都弁護士会は、京都市、京都市建築審査会、京都市美観風致審査会に対して、仁和寺前ホテル建設計画の「特例許可」は行うべきでないと意見書で述べている。建築基準法は、第48条第5項ただし書において「特定行政庁(京都市)は、周辺市街地環境を害するおそれがない場合又は公益上やむを得ないと認められる場合に限って許可(特例許可)を与えることができる」とあるが、本計画は特例許可に該当しないとしている。

 

 また、当該ホテル計画は世界文化遺産御室仁和寺の門前であり、同計画の敷地は世界文化遺産のバッファゾーン(緩衝地帯)に含まれていることから、世界遺産の「真正性」「完全性」の保障のために、世界遺産委員会に対して反対意見や公聴会の状況も含めて正確に報告し、その意見を求める手続きを取ることも求めている。

 

 だが、問題なのは、京都市がこの特例許可についての基準を定めていないことから、その時々の市当局の意向によって融通無碍に解釈されることであろう。この点、意見書は、和歌山市の「建築基準法第48条ただし書許可に伴う建築審査会付議基準及び事務要領」を参考事例に挙げている。同要領には、以下のような基準が示されている。

 「法第48条に規定する用途規制は、都市計画における土地利用の実現を図るとともに、市街地の環境を保全するためのもっとも基本的な制限であり、建築物の密度、形態等の制限とあわせて、健康的で文化的な都市生活を実現させ、都市活動をより機能的なものにするため定められたルールである。これにより、市街地を構成する各建築物、各用途相互の悪影響を防止するとともに、それぞれの用途に応じ十分な機能を発揮させようとしている」

 「例外許可は、この基本となる用途規制を補完して、地域の実情に合わせ、より柔軟な規制をするための緩和措置として行われるが、その濫用は基本制度の形骸化を招くおそれがあるため、やむを得ない場合に限り、周辺の土地利用状況を考慮し、かつ利害関係を有する者の意見を尊重し適切に運用するものとする」

 

 この基準からすれば、仁和寺前ホテル建設計画は、建築基準法(第一種住居専用地域)のみならず各種の歴史的景観規制(世界文化遺産仁和寺の緩衝地帯、古都保存法に基づく歴史的風土保存区域、京都市風致条例に基づく風致地区第3種地域及び仁和寺・龍安寺周辺特別修景地域)が二重三重にかけられている保全地域において、まるで「殴り込み」をかけるような暴挙(環境破壊、景観破壊)であることがわかる。

 

 このような世界でも稀な貴重な歴史景観地域(だからこそ、世界文化遺産に登録された)に、「上質」であろうがなかろうが、観光施設である宿泊施設などを建設することはもっての外であって、良識ある市民であれば即座に却下して然るべき代物である。それをこともあろうに、「上質宿泊施設候補選定のための有識者会議」なる業界関係者が、「京都、御室仁和寺門前に固有の伝統と文化を理解し、その門前に立地することをよく理解した上で、地域の伝統的特質の継承を目指す姿勢は上質な宿泊施設として期待できる」として、ホテル計画にゴーサインを出すのだから、呆れてものが言えない。

 

 しかし、問題はそれだけでない。「上質宿泊施設」事業者の「共立メンテナンス」(東京都)が、実は数々の不当労働行為やパワーハラスメントを繰り返している悪質な企業であることが判明してきた。『京都民報』(2021年6月6日付)によれば、その悪行は枚挙の暇もない。

 (1)2018年7月30日、共立メンテナンスが経営するホテルにおいて、ホテル従業員が上司からパワハラを受けたとして上司と同社を相手取り損害賠償を請求したところ、東京地裁が両者に損害賠償の支払いを命ずる判決を言い渡した。

 (2)2020年4月26日、共立メンテナンスが大阪府守口市から児童クラブの運営を委託したが、同社は2020年3月末に指導員13人を雇い止めにしながら労組との団体交渉を拒否。中央労働委員会は4月26日、不当労働行為に当たるとして団体交渉を命じた。

 (3)これらの法令違反によって、大阪府は2020年6月12日までの1カ月、守口市は8月20日までの3カ月、共立メンテナンスの入札参加を停止した。また、京都市も2021年5月18日、別件の法令等違反で共立メンテナンスに「違反が是正されるまで」(2カ月以上)の入札参加を停止している。

 (4)京都市は、これらの事実を把握しながら「有識者会議」には一部しか報告をせず、「有識者会議では計画が評価されており、市としては雇用創出の面など『総合的に判断して』候補に選定した」と市議会で答弁している。

 

 門川市長は、2016年に宿泊施設誘致拡充政策に乗り出したころ、富裕層観光の意義を正規雇用増加の面から強調していた。

 「今、京都では観光がとても活況なのに、市の税収が全く伸びていません。その理由は、宿泊施設や飲食店といった観光業で働く人の75%は非正規雇用であることと無関係ではないと考えています。製造業は非正規雇用の比率が30%です。観光業の非正規雇用の比率がこのままだと、持続可能な産業ではなくなるような気がします。対策の一つが付加価値の高いサービスを提供する宿泊施設を増やし、富裕層に来てもらうことです。金持ち向けのホテルを作りたいというのは、観光業に従事する人の収入を増やし、正規雇用を増やすためです」(『日経ビジネス』2016年5月9日号)。

 

 このため、2017年には「上質宿泊施設誘致制度」を設け、デービッド・アトキンソン(菅内閣成長戦略会議委員)の指南を受けて、「富裕層観光=5つ星ホテル」の誘致に狂奔してきた。2018年末の記者会見では、すでに市内宿泊施設が誘致目標の2020年4万室を大きく超え、5万室を超える勢いになっていたにもかかわらず、「市中心部での宿泊施設の増加抑制は、市場原理と個人の権利を最大限尊重する政治経済や現在の法律では困難」と平然と述べ、「周辺部などで高級施設を増やすことが抑制策になる」とうそぶいていた。要するに、ラグジュアリーホテルを誘致することが目的であり、そのためにはその時々の思い付きを理由に並べてきただけなの話なのである。

 

 「正規雇用」を増やし、「質の高いサービスを提供する高級宿泊施設を増やす」ためと称して、従業員にパワハラと不当労働行為、法令等違反を繰り返す悪質業者を「上質宿泊施設候補」に選定する――、こんなブラックジョークにもならない門川市政は徹底的に糾弾されなければならない。4期目の任期完了を待たず、大々的なリコール運動を始める準備をしなければならない。今がその時である。(つづく)