2021年はデルタで暮れ、2022年はオミクロンで明けた、されど野党共闘は「霧の中」、岸田内閣と野党共闘(その9)

 毎日がまるで物理学の教科書を読んでいるような感じで時間が過ぎていく。「デルタ」だの「オミクロン」だの、ギリシャ語のアルファベットが世上に溢れているからだ。こんな言葉を毎日聞かされると、日本中が新型コロナウイルスのパンデミックに翻弄されているような気がする。新規感染者数が級数的に増えていくような状況の下では、人びとの不安が募るのも無理がない。しかし、全てが「霧の中」では、我々の生活は立ち行かない。運を天に任せるわけにはいかないからだ。

 

こんな時には「安心」を求めるのが人びとの心情というものだろう。たとえ確固たる方針が示されなくても、権力の座にある者が「丁寧な説明」をすれば何となく安心したような気になる。人びとの「気持ちに寄り添う」という言葉がやたらに流行るのはそのためだ。菅政権が岸田政権に代わってからの世論の変化が、このことをあらわしている。

 

 直近の時事通信社の世論調査(全国18歳以上男女2000人対象、個別面接方式、2022年1月7~10日実施、有効回収率64.6%)によれば、岸田内閣の支持率は昨年10月の発足以降、初めて5割を超えた。内閣支持率は前月比6.8ポイント増の51.7%、不支持率は5.3ポイント減の18.7%だった。時事通信社は「調査期間は新型コロナウイルスの変異株『オミクロン株』の感染者が全国で急増し始めた時期と重なるが、水際対策などコロナ対応や、安倍・菅両政権と比べ『丁寧な説明』に努める姿勢が一定の評価を得たとみられる」と解説している。

 

 一方、政党支持率の方はどうか。与党は自民党25.6%、公明党3.0%と相対的多数を占めるが3割には届かない。野党の方は日本維新の会4.3%、立憲民主党4.0%、共産党1.6%、れいわ新選組0.8%、国民民主党0.7%、社民党0.4%と相変わらず低迷していて、維新を除く野党は全部足しても1割に満たない。ダントツは、言うまでもなく「支持政党なし」57.4%で最大多数を占める。この数字を見ると、日本の政党政治の基盤が大きく揺らいでいることは間違いない。圧倒的多数が「無党派層」で占められている現状は、深刻な政治不信・政党不信を反映していると考えるべきで、この現実に向き合わずにいくら「政権交代」を叫んでも国民の支持は得られない。

 

 ところで、衆院選前は鳴り物入りで騒がれていた「野党共闘」はその後どうなったのだろうか。最近「野党共闘」について精力的に記事を書いている産経新聞の論調を見よう。産経の力点は、立民が連合の縛りで動くに動けず、野党共闘がズルズルと後退していく状況をクローズアップすることに力点が置かれている。政局がその方向に動いているので、記事にも力がこもっているというわけだ。

 

 「立憲民主党の泉健太代表が今夏の参院選に向けた対応に苦しんでいる。泉氏は『与党の改選過半数阻止』を目標に掲げ、勝敗のカギを握る32の改選1人区で共産党を含めた野党候補の一本化を目指しているが、立民最大の支援団体である連合は共産との決別を求め、調整は容易でない。『与党一強状態を打ち破り、二大政党体制のもとで与野党が切磋琢磨する緊張感のある政治にしなければならない』。東京都内で5日開かれた連合の新年交換会では、芳野友子会長が泉氏や国民民主党の玉木雄一郎代表らを前にこうハッパをかけた。立民が勢力を後退させた昨年の衆院選について、党内には枝野幸男前代表が共産との『限定的な閣外からの協力』で合意したことが足を引っ張ったとの見方がある。芳野氏は昨年12月の産経新聞のインタビューで、立民に『決別してほしい』ときっぱり語った」(産経2022年1月6日)

 「立憲民主党や共産党などの野党は32の1人区で候補者を一本化し、与党の議席を減らしたい考えだが、共闘をめぐり同床異夢の状況にあり、調整は難航しそうだ。(略)立民最大の支援団体の連合は共産との共闘を否定し、国民民主党との連携強化を求めている。泉氏も番組で国民民主との協議に意欲を示し、共産については皇室や安全保障などの見解の違いを理由に『立民が政権を構成する政党ということにおいては現在、想定にはない』と断言した。ただ、立民と共闘した昨年の衆院選で議席を減らしたにもかかわらず、野党連立政権樹立を掲げる共産の志位和夫委員長は引き続き立民との連携を深化させたい考えだ。立民としても1人区で自民党候補のほかに共産候補と争えば野党勢力の後退になりかねない」(同1月10日)

 

 連合の動きも活発をきわめている。芳野会長は就任以来、誰の指示によるのか知らないがとにかく精力的に動き回っている。連合は立民を牽制する一方、自民への急接近も目に付く。昨年暮れの12月8日、芳野会長は連合トップとしては「7~8年ぶり」に自民党本部を訪問し、茂木幹事長や麻生副総裁と面会して会長就任のあいさつをした。その際、茂木氏から「連合初の女性会長として頑張ってほしい」などとエールを送られたという(読売2021年12月31日)。

 

また、今年1月5日には岸田首相が自民党の首相として「9年ぶり」に連合の新年交歓会に出席し、「政治の安定という観点から与党にも理解と協力を心からお願いする」と呼びかけた。芳野氏は、首相の看板政策「新しい資本主義実現会議」のメンバーとしても起用されている。芳野会長は5日の記者会見で自民党との接近を問われ、「共産党を除く各党に政策要請している」と答えた(日経1月6日)。首相はまた1月14日、新年交歓会のお礼をかねて官邸を訪れた芳野会長に面会し、「連合に期待しているので頑張ってほしい」と激励した(同1月15日)。連合は共産党を除く各政党と連携し、「二大政党体制」の構築を目指しているのだろう。

 

こうした政局を朝日新聞は「野党共闘へ、難しい調整」との見出しで次のように解説している。

「野党側の焦点は、1人区で候補者を一本化できるかどうかだが、調整は難航が予想される。(略)昨年10月の衆院選で敗北した立憲は、『野党共闘』の検証を進めている。共産党と『限定的な閣外からの協力』とする政権枠組み合意を結んで挑んだが、安全保障をめぐる溝を与党や支援団体の連合会長からも批判されて失速したからだ。泉氏は9日のNHK番組で『立憲の政権を構成する政党に共産は想定にない』と明確にし、『候補者調整や国民の命と暮らしを守る政治に変えて行く部分では共通するところがある』と連携を続ける考えを示した」(朝日1月13日)

 

要するに、泉代表の思惑は共産との「限定的な閣外協力」の公約を解消し、部分的な政策連携で候補者の一本化を図りたいというものだ。問題は共産がこれに応じるかどうかだが、志位委員長は「限定的な閣外協力」は公党間の約束なので、立憲の代表が変わったからと言って解消できるものではないと反論している。衆院選では「歴史的な政権公約」だとして選挙戦を戦ってきた経緯があり、この「政権公約」を破棄することは「野党共闘」の崩壊につながる恐れがあるからだろう。

 

一方、国民民主党は、小池東京都知事が特別顧問を務める地域政党「都民ファーストの会」との連携を推進している。玉木雄一郎代表は9日のNHK番組で、参院選に関し「外交、安全保障、エネルギーなど、基本的な政策の一致なくして選挙協力はない。逆に政策で一致できる政党とは選挙協力していきたい」と述べ、「都民ファーストの会」との連携については、「政策的な一致の先に選挙協力ができるのであれば、それは排除するものではない」と強調した。また岸田首相が「敵基地攻撃能力」の推進に意欲を燃やしているのに関しては、「敵基地攻撃能力という言葉はどうかと思うが、相手領域内で抑止する力は必要だ」と主張して賛意を示した(産経1月10日)。

 

こうなると、「敵基地攻撃能力」について反対している立憲とは安全保障面で政策が一致しなくなり、連合の推進する「立憲民主党と国民民主党の共闘」は難しくなる。と言って、立憲が国民と政策的に妥協すれば、今度は立憲支持層が離反する恐れもある。泉代表は「ジレンマ」ならぬ「トリレンマ」に直面しており、政治経験が浅く確たる政治思想を持たないような人物が、この難局を乗り切れるとはとても思われない。

 

野党共闘は深い「霧の中」にある。霧の晴れた時にいったいどのような光景が現れるのだろうか。それは泉代表の辞任かそれとも立憲の分裂か、オミクロンで明けた2022年の政局の行方は目が離せない。(つづく)

立憲民主党と共産党がこのままの状態では参院選で〝共倒れ〟する、「政治対決の弁証法」ではなく「国民世論の弁証法」による総括が必要だ、岸田内閣と野党共闘(その8)

 こんな後ろ向きの感想を年末に書く破目になるとは夢にも思わなかった。2021年10月衆院選が終わって以降、立憲と共産との間で野党共闘に関する総括の話がまったく進んでいない。それに比べて連合芳野会長の発言は過激一方になる始末。まるで〝反共のカラス〟(カナリアと言いたいところだが)のように、「立憲と共産の選挙協力は間違っている」「連合と共産は相いれない」「次の参院選は立憲と国民の挙力でやってほしい」などと喚き立てている。

 

12月16日の中央執行委員会で公表した連合の衆院選総括では、「『野党共闘』は(共産党)綱領にもとづく統一戦線の一つの形であり、共産主義社会実現のための手段であることは明白」とし、「『野党共闘の足を引っ張るな』と批判される所以は全くない」と突っぱねた(朝日12月20日)。要するに、立憲が選挙で負けたのは立憲の「支持率の低さ」でもなければ、政党としての「自力のなさ」でもなく、全ては共産との選挙協力に原因がある――というのが、連合の見立てなのである。

 

 芳野会長はまた同日の記者会見において、まるで立憲の後見人であるかのような口調で「共産との決別」が必要だとの考えを立憲新執行部に伝えると言明した。会見の主な内容は次の通りだ(朝日12月17日)。

 ――自民党幹部が衆院選の勝因は「連合が立憲民主党と共産党の共闘を否定したからだ」と発言した。

 「連合としては、立憲を基軸に国民民主党と連携しながら選挙戦を戦うのはこれまでもそうだし、これからもそうなる。立憲と市民連合、共産との関係で連合組合員の票の行き場がなくなったのは事実としてあったのではないか」

 ――参院選で共産との選挙区調整は容認するのか。

 「連合としては、立憲と国民民主でやっていただきたい」

 ――共産を含む野党共闘は「あり得ない」と言うが、野党共闘という言葉には選挙区調整も含むのか。

 「選挙区調整は与野党一対一の構造をつくる戦略としてあり得る。調整は、立憲と国民民主の間でやっていただきたい。その先は政党がやることだ」

 

これに対して元民主党幹事長の輿石東氏は、日経新聞(オピニオン欄「野党立て直しの処方箋」12月20日)において「労組との関係 問い直せ」との見出しで連合とは異なった見解を表明している(抜粋)。つまり、見直すべきは「野党共闘」ではなくして「労組との関係」だと言いたいのだろう。

「政党にとって労働組合はあくまでも応援団であり、そもそも立場が異なる。そこを混同してはいけない。政党は政策の実現のために政権を取るのが最終目標だ。一方、労組は暮らしを守るための集まりであり、賃上げや労働時間といった生活に関する要求で団結している。平和な国づくりといった大きな目標では一致できても、個別の要求は労組ごとに違って当然だ」

「立憲民主党は揺れのとまらないヤジロウベエのようだ。右を向いて連合の顔色をうかがい、左を向いて共産党を気にする。揺れてばかりで前に進まない。これでは国民は支持しようとは思わない。先の衆院選で立民が議席を減らしたのは共産党と組んだからだという人がいる。それが理由のすべてではない。支持率が上がらないのは詰まるところ、ヤジロウベエに政権を任せられない、と有権者が感じているからだ」

 

その後、立憲内での議論がいっこうに進まないことに業を煮やしたのか、各メディアからは立憲の奮起を促す記事が相次いでいる。毎日新聞(オピニオン「記者の目」12月17日)は、宮原記者(政治部)が「社会の問題掘り起こせ」とのタイトルで、「衆院選敗北で引責辞任した立憲民主党の枝野幸男前代表の後任に泉健太氏が選出された。泉氏は『対決型』から『政策立案型』への転換を通じて党再建を進める考えだ。だが、私は代表選の取材を通じて『党のイメージを変えるだけでいいのか』との思いを抱いた。泉執行部になっても党勢回復の兆しは見えていない。来年夏に参院選が迫る中、対応が急がれる」「立憲が今注力すべきは『対決か提案か』の路線問題以上に、自らの理念を磨き、行政や社会の問題点を掘り起こすことだろう」と指摘する。

 

朝日新聞も大型記事「記者解説、野党共闘 問われる立憲」(12月20日)のなかで、南記者(政治部)が「参院選を前に国会運営での野党の足並みがそろわず、立憲民主党新代表に早くも試練」「本質的な問題は野党第1党の魅力不足。野党共闘という戦術を否定することは早計」「『人権尊重』『多様性』などの理念を体現する布陣と、課題解決への実践が必要」と、立憲の弱点をわかりやすく解説している。つまり、東京五輪が開かれた1964年、当時の成田社会党書記長が党機関紙で同党が弱い理由を3点挙げたことを紹介して、立憲の弱点は一つ目が選挙期間前からの地域住民への働きかけが弱いという「日常活動の不足」。二つ目に組織としての実体がなく、議員がいるだけという「議員党的な体質」。三つ目が「労働組合依存」だと端的に指摘した。三つ目の労働組合依存は、連合の意のままに振り回される立憲執行部に対する批判であることはいうまでもない。

 

各社の12月世論調査の結果はもっと厳しい。調査実施順に並べてみると、立憲は新代表の選出でイメーチェンジを図ったにもかかわらず、また国会代表質問で「対決型」から「提案型」へ転換したにもかかわらず、世論調査にはさしたる変化があらわれていない。泉新代表に対する期待感は、「期待しない」が「期待する」を上回り、政党支持率も依然として低迷している(維新に追い抜かれるケースも出てきた)。

【読売新聞】(12月3~5日実施、回答%)

  〇政党支持率:自民41,維新8,立憲7,公明3,共産2、国民1

  〇立憲新代表の泉健太氏に期待するか、「期待する」34,「期待しない」46

【時事通信社】(12月10~13日実施、同)

  〇政党支持率:自民26.4,立憲5.0、維新4.9、公明3.6、共産1.0,国民0.6

【毎日新聞】(12月18日実施、同)

  〇政党支持率:自民27,維新22、立憲11,共産5,公明4,国民3

  〇立憲新代表の泉健太氏に期待するか、「期待する」27,「期待しない」39

【朝日新聞】(12月18~19日実施、同)

  〇政党支持率:自民36,立憲8,維新7、公明3,共産2,国民1

  〇立憲新代表の泉健太氏に期待するか、「期待する」40,「期待しない」43

 

 一方、立憲との選挙協力を今後も堅持するという方針の共産党に対しても、世論調査の結果は厳しいものがある。共産は立憲との選挙協力が敗北に終わった原因を「野党が初めて本格的な共闘の態勢(共通政策、政権協力、選挙協力)を作って総選挙に臨んだことが、支配勢力に日本の歴史でも初めての共産党が協力する政権が生まれる恐れを抱かせ、危機感にかられた支配勢力が一部メディアも総動員して必死の野党共闘攻撃、共産党攻撃を行った」(赤旗11月29日)からだと、もっぱら政治権力構造の観点から分析している。しかし、この総括には各メディアの世論調査の結果がまったく反映されていない。各社の野党共闘に関する評価を見よう。

【共同通信】(11月1、2日実施、回答%)

 〇立憲民主、共産など野党5党は、213の小選挙区で統一候補を擁立し、当選は59人でした。5党は今後こうした共闘関係を続けた方がいいと思いますか、見直した方がいいと思いますか、「続けた方がいい」32.2,「見直した方がいい」61.5

【読売新聞】(11月1、2日実施、同)

  〇立憲民主党が今後も共産党と協力して政権交代を目指すのが良いと思うか、「思う」30,「思わない」57

【朝日新聞】(11月6、7日実施、同)

  〇衆院選では立憲や共産など野党5党が217選挙区で候補者の一本化を進めた。来夏の参院選で一本化を進めるべきと思うか、「進めるべきだ」27,「そうは思わない」51

 〇立憲と共産が安全保障政策などで主張の異なるまま、選挙協力することに問題があると思うか、「問題だ」54、「そうは思わない」31

【日経新聞】(11月10、11日実施、同)

  〇立憲民主党が共産党との選挙協力を続けるべきか、やめるべきか、「続けるべきだ」25、「やめるべきだ」56

【毎日新聞】(11月13日実施、同)

  〇先の衆院選で立憲と共産が選挙協力したが、来年の参院選でも続けるべきか、「続けるべきだ」19、「続けるべきでない」43

【産経新聞】(11月13、14日実施、同)

  〇先の衆院選で立憲民主党と共産党が選挙区で統一候補を擁立した「野党共闘』を続けた方がよいか、続けない方がよいか、「続けた方がよい」32.2、「続けない方がよい」55.9

 

 共産はこの結果をいったいどう見ているのだろうか。赤旗は都合のいい調査結果が出た時には報道するが、そうでない時には無視する傾向が多い。これでは勝った戦争は大々的に報道(宣伝)するが、敗戦には一切触れなかった戦時中の「大本営発表」と何ら変わらない。要するに、世論の動向を科学的に分析し、政策立案や選挙戦略に反映させという政党としての基本要件が欠落しているのである。

 

 政治情勢は支配権力と野党の対決だけで決まるのではない。いかなる政治権力も世論の支持がなければ権力を維持することができない。まして、権力を持たない野党が支配権力と対抗していくためには、世論の支持は不可欠である。共産は「史上初めての本格的な野党共闘」だと自画自賛する選挙協力体制が、国民世論には支持されなかったという現実を認めなければならない。国民の政治意識のありかを冷静に見ないで、これを政治権力の対決構造だけに矮小化し、あくまでも既定方針を貫こうとする態度は、大日本帝国陸軍の「失敗の本質」を再び繰り返すことになる。

 

 立憲も共産も冷静な選挙協力に関する総括が必要なのではないか。連合が言う如く「共産との選挙協力が敗因のすべて」であれば、立憲は共産と決別して独自の道を歩めばよい。共産は「政治権力との対決がすべて」であれば、「千万人と雖も我往かん」との気概で〝政治対決の弁証法〟を実践すればよい。来年夏の参院選はもうそこまで迫っている。立憲と共産が〝共倒れ〟になる日はそう遠くないのかもしれない。

 

〝政治対決の弁証法=支配勢力と共産党との攻防プロセス〟の角度からの分析では、総選挙敗北を総括できない、岸田内閣と野党共闘(その7)

 今回の衆院選で共産と協力したことが立憲の議席減につながった――とする意見が立憲民主党の内外で強まっている。先日行われた立憲代表選挙においてもこの点が事実上の争点となり、共産との共闘のあり方を見直す方針を掲げた泉健太氏が代表に選出された。泉健太氏は、12月8日から始まった衆院代表質問では「政策立案型」政党への脱皮を強調し、自民とも共産とも距離を取る「穏健中道路線」をめざす方向を明らかにした。代表質問の内容も政権批判を封印し、与党張りの政策提案に力点を置いた。政権との対立軸を示さなければならない野党第一党の代表質問とは思えない弱腰ぶりで、森友学園問題の再調査や日本学術会議の会員任命拒否問題への追及もなかった(毎日社説、12月9日)。

 

同じく12月8日のこの日、立憲民主党は共産や社民など野党各党と国会運営で連携するために開いてきた「野党国会対策委員長会談」の定例開催をやめることを決めた。泉代表が共産との共闘のあり方を見直す方針を掲げているので、続ける意義が薄いと判断したからだという(朝日、同)。

 

 また就任以来、野党共闘批判を続けている連合芳野会長は日経新聞のインタビューの中で、「共産との選挙協力は一貫してありえない」「立民と国民が選挙協力すべきだ」「自公両党には是々非々で臨む、敵対する必要はない」「維新との関係はこれから判断する」などと好き勝手放題な発言している(日経12月11日)。

 ――立民は衆院選で議席を減らしました。

 「政権批判が強く映ってしまった。どういう国、社会を目指すのかが非常にわかるづらかった。もう少しわかりやすく打ち出してほしい」

 ――共産党との共闘で連合の組合員が離れることがありましたか。

 「あったと判断している。共産党が協力に絡むのは一貫してありえない。現場が混乱する」

 ――参院選の1人区はどう対処すべきですか。

 「立民と国民で協力してもらえればと思う」

 ――両党の合流を求めると呼びかけましたが。

 「国民、立民が協力して戦うという意味での合流だ。政党がくっつくということではない。それは政党が考えるべきで連合が介入すべきことではない」

 ――自民、公明両党との関係はどう考えますか。

 「連合の考え方に近い部分があれば政策実現の観点から是々非々だ。敵対する必要はない」

 ――選挙で自民党を応援する可能性は。

 「それはない」

 ――日本維新の会とは協力しますか。

 「維新との関係に非常に慎重な地方組織もある。現場の意見を聞きながらこれから判断する」

 

 こうした報道が相次いでいるからか、12月3~5日に実施された読売新聞世論調査では、立憲民主党が今後も共産党と協力して政権交代を目指すのがよいと思うかとの質問には、「思わない」63%(前回57%)、「思う」24%(同30%)と否定的回答が大勢を占めた。この傾向は、野党支持層でも「思わない」58%(同51%)と変わらない(読売、12月6日)。

 

 これらの一連の報道から感じることは、立憲の共産との共闘見直し路線がもはや既成事実となり、「共産包囲網」ともいうべき世論状況が大きく形成されていることだろう。これに対して、共産はどのように反論しているのだろうか。志位委員長の第4回中央委員会総会における報告は、以下のようなものだ(しんぶん赤旗、11月29日)。

 (1)今回の選挙戦を支配勢力(自民・公明と補完勢力)と、野党共闘・共産との攻防プロセス、すなわち〝政治対決の弁証法〟という角度からとらえることが重要だ。

 (2)その場合の重要なポイントは、①野党が初めて本格的な共闘の態勢(共通政策、政権協力、選挙協力)を作って総選挙に臨んだこと。②こうした展開は、支配勢力に日本の歴史でも初めての共産党が協力する政権が生まれる恐れを抱かせたこと。③危機感にかられた支配勢力が一部メディアも総動員し、必死の野党共闘攻撃、共産党攻撃を行ったこと――を総括の視点に据えることだ。

 (3)言い換えれば、野党共闘と共産党が支配勢力に攻め込み、追い詰めたからこそ相手も必死の反撃を加えてきたのであって、野党共闘そのものが間違っていたわけではない。ただ、準備の遅れもあり、支配勢力の激しい共闘攻撃に対して野党が力を合わせて反撃できなかったことは認めなければならない。

 

 しかし、この〝政治対決の弁証法〟の論法は、「我々が強くなればなるほど敵も強くなる」という、これまで繰り返してきた共産党の「強がり」の主張をそのまま言い換えたものにすぎない。これでは、これまで以上に頑張らなければ選挙戦に勝てないということになり、「ガンバリズム=特攻精神」を発揮する以外に方法が見つからなくなる。我が陣営の作戦はあくまでも正しい、絶対に間違っていないという司令官の大号令が前提になり、彼我の戦力を冷静に比較分析することなく作戦を組み立てたミスが決定的に見過ごされている。このような日本帝国陸軍の『失敗の本質』が飽くことなく繰り返されるのは、司令官1強体制のもとで組織が硬直しており、多面的な議論が行われなくなっていることの反映だろう。

 

 とはいえ、立憲泉代表の「政策立案型」「穏健中道路線」が世論の支持を得ているとは思えない。先の読売新聞世論調査においても、立憲民主党の新代表に選ばれた泉健太氏に「期待する」との回答は34%にとどまり、「期待しない」は46%だった。支持政党別にみると、立憲支持層では「期待する」が約7割を占めたが、無党派層では「期待する」が30%にとどまり、「期待しない」42%を下回った(読売、12月6日)。政党支持率では、自民41%(前回39%)、公明3%(同4%)、維新8%(同10%)に対して、立憲7%(同11%)、共産2%(同2%)、国民1%(同2%)だった。

 

 すでに、泉代表に対しては「軽量級」で存在感がない、野党第一党としての迫力がない、これでは公明党との区別がつかないなどなど、多くの批判が出ている。この間隙を縫って維新が躍進するようなことになれば、事態は急転する。参院選の前に方針転換が行われるのか、それともこのまま「提案型中道路線」を続けるのか、立憲の行方が注目される。(つづく)

泉健太政調会長の〝野党候補一本化〟は「地域事情による=京都を除く」のダブルスタンダード(二枚舌)で成り立っている、泉氏はその理由を立憲支持者に説明しなければならない、岸田内閣と野党共闘(その6)

 立憲民主党代表選挙が本格化してきた。自民党総裁選挙の二番煎じの感があるが、それでもマスメディアで大きく取り上げられ、NHKテレビの日曜討論会にも出演するようになると、候補者一人ひとりの発言はそれなりの重みをもつようになる。一方、共産党の方は、機関紙で「志位委員長の発言を広げよう」「常幹声明を討議・具体化し、公約実現と大きな党づくりに踏み出そう」と連日呼びかけているが、こちらの方はいっこうにニュースにならない。マスメディアが取り上げるような新味ある材料が見つからないからだろう。

 

 代表選が告示された11月19日、逢坂誠二、小川淳也、泉健太、西村智奈美の4候補は党本部で記者会見し、政策や党改革の抱負を語った。その中で野党間の選挙協力に関しては、逢坂氏は「地域事情に配慮しながらできる限り(与党と)1対1の構図を作る」、小川氏は「野党は一本化する努力が必要だ」、泉氏は「(参院選の)1人区では一本化を目指していくことを明確にしたい」、西村氏は「(選挙協力は)自公政権の議席を一つでも減らしていくためには必要不可欠だ」とそれぞれ言明した。いずれも「野党共闘」は基本的に継続するとのことである(日経11月20日)。

 

 一方、共産党との選挙協力に関しては、各候補とも明確な方針を示さなかった。政権奪取時に共産が「限定的な閣外からの協力」をするという合意に関しては、泉氏は「連立や閣外協力という言葉が先走ったことを真摯に反省すべきだ」と合意の見直しを示唆したのに対して、逢坂、西村、小川3氏は合意への姿勢を明確にしていない(毎日11月20日)。

 

 私は、泉氏が「野党候補一本化」を言明したことに驚いた。これまでも再三再四指摘してきたように、泉氏は今回衆院選において地元京都での野党候補一本化には徹頭徹尾反対し、野党共闘に端から背を向けてきた人物だからである。たとえば、立憲民主党京都府連は衆院選前の10月9日、役員会と常任幹事会を開いた際、立憲京都府連会長を務める泉氏は、共産党から協議の申し入れのあった共闘については、「京都は自民、共産両党とは議席を争った地。これまでも非自民・非共産の立場で支持されてきた」と説明し、「『野党統一候補』という考えは取らないし、共産との選挙協力はない」と重ねて強調している(毎日10月10日)。

 

今回、枝野代表とともに幹事長を辞任した福山氏も、京都新聞(10月12日)の「――共産党とは「限定的な閣外協力」で合意したが、京都では共闘しない。福山幹事長、泉健太政調会長の地元で共闘しないことを有権者にどう説明するか」との質問に答えて、「私も共産党と20年以上、選挙を含めて争っている。一方、全国的には自公を倒すために共産を含めて他の野党と選挙区調整をして戦う機運がすごく高まっている。今回は『市民連合』が仲介した常識的な政策を実現する限定的な閣外からの協力であり、日米安保や天皇制、自衛隊の存在では以前から変わらない距離で共産党と向き合う」と、訳のわからない説明を相変わらず繰り返している。

 

 福山幹事長と泉政調会長は、いずれも共産党と選挙協力を結んだ立憲民主党の幹部(当事者)ではないか。それが京都では、これまで共産党と選挙戦を戦ってきたという理由にならない理由で「共闘しない」「選挙協力しない」と言うのでは、政党間の選挙協力なんて「いったいなんだ!?」ということになる。国政選挙における政党間の選挙協力に関する合意が、「地域事情」によって簡単に変更されたり破棄されたりすることが許されるのであれば、政党間の選挙協力は無意味なものになり、有権者には見向きもされなくなる。

 

 朝日新聞地方版(11月20日)は、立憲代表選に泉氏が立候補したことに関して、府内各党の反応を伝えている。立憲京都府連は11月21日に常任幹事会を開き、代表選への対応を協議するというが、田中健志幹事長は「政策について活発な議論を交わすことで、野党第1党としての存在感を高めてもらうことを期待する」と語ったという。一方、京都3区(泉氏が当選)で党候補の擁立を見送った共産党については、「10月の衆院選で立憲と『共闘』した共産党の渡辺和俊・府委員長は『新代表のもとで野党共闘を進めて、共通政策の発展に取り組まれることを望む。自公政権に対抗するため、国民の関心を引きつけてほしい』と述べた」という。共産党は、泉氏を含め新代表に誰になっても歓迎するということだろうか。

 

 京都では参院選に向けての前哨戦が早くも始まっている。立憲京都府連は11月5日、来年夏の参院選京都選挙区(改選数2)に現職で党幹事長の福山哲郎氏(59)を擁立すると決めた。福山氏は先月下旬、京都新聞社の取材に対し、来夏の参院選への対応について「私は自民党、共産党と戦うことになるだろう。私は私の主張を訴えていく」と述べていた。京都選挙区では、自民党府連が今期限りでの政界引退を表明した二之湯国家公安委員長(77)の後任に、京都市議の吉井章氏(54)を擁立すると決め、共産党も候補者擁立を目指している(京都新聞11月6日)。

 

 だが、福山氏の見通しは限りなく甘い。日本維新の会の馬場幹事長は11月10日の定例会見で、来年夏の参院選京都選挙区(改選数2)に向け「実際に候補者を発掘していく作業に入っていきたい」と述べ、独自候補の擁立に積極的に動く考えを示した。馬場氏は、先の衆院選で京都府内の維新の比例票が自民党(約33万8千票)に次いで2位(約26万6千票)だったことを踏まえ、2人区の京都について「候補者を出して活動すれば、当選する可能性が非常に高い都道府県になっている」と分析。衆院選で堀場幸子氏が比例復活を果たした京都1区で「かなりの得票をいただいている」とも述べ、「堀場さんを中心に京都の地方議員とタイアップして党勢を拡大し、次の参院選では京都でも1議席お預かりできるように努力したい」と意欲を見せた(京都新聞11月11日)。

 

 泉氏は、代表選における「野党候補一本化」の公約と地元京都での「野党共闘反対」の矛盾について説明しなければならない。「地域事情が国政選挙公約に優先する」理由を明確に説明できなければ、政治家としては失格の「ダブルスタンダード=二枚舌」を弄する人物になる。泉氏がこのまま頬かぶりを続けるのか、それとも納得できる説明をするのか、京都3区の有権者はもとより全国の立憲支持者の目が注がれているからである。

 

 福山氏も安泰というわけにはいかない。維新候補が来年参院選に候補者を擁立すれば、共産党との対決を強調して保守票を取り込もうとする立憲京都府連の選挙戦略は根元から崩れることになる。野党統一候補であり立憲副代表の辻元清美氏(京都府に隣接する大阪10区)は、今回の衆院選では名もない維新新人候補に大差で敗れ、比例復活もできなかった。自民党と共産党の間で「ヌエ」のように生き延びてきた民主党は、立憲民主党に衣替えしたもののその本質は変わっていない。福山氏がその路線を取り続けるかぎり生き残る保証はない。泉氏や福山氏に代表される「野党共闘拒否路線」はいまや終焉のときを迎えたのである。(つづく)

【番外編】歴史的、文化的、学術的価値の高い京都府立植物園の〝イベント広場化〟は許されない、京都府に開発整備計画の白紙撤回を求める

立憲民主党代表選については、どうやら泉健太政調会長と逢坂誠二元政調会長の2人の政調会長経験者に的が絞られつつあるようだ。この件についてはいずれ別稿で論じることにして、今回は私の古巣である京都府立大学と京都府立植物園をめぐる「緊急事態」について報告したい。

 

京都府が、府立植物園や府立大学などの文教施設が集まる左京区の「北山エリア」を再開発しようという計画が進んでいる。2021年11月8,9日には住民向けの府の説明会が開かれ、参加者たちからは多くの反対の声が相次いだ。メディア各紙でもその様子が詳しく伝えられている。以下、朝日新聞(11月11日)、京都民報(11月14日)、毎日新聞(11月16日)の3つの記事の中から主な内容を紹介しよう。

 

【朝日新聞】

見出しの「北山エリア再開発計画、植物園影響 懸念の声」「園内外に商業施設」「『自然楽しむ場壊す』見直し求める署名10万筆」とあるように、記事は批判的な論調で展開されている。

――整備計画の対象は、京都市営地下鉄北山駅の南に広がる約38ヘクタールの府有地。その3分の2(甲子園球場約6個分)を占めるのが、約1万千種の植物を保有している府立植物園だ。府は、この一帯は「賑わいや交流機能が少なく、周遊、滞在しにくい」「多くの施設が老朽化している」として、昨年「北山エリア整備計画」を策定した。計画では園西側の鴨川沿いにレストランやミュージアムショップを作り、北山通沿いにも商業施設を整備して、人の流れを園内に引き込みやすくするという。植物園の周りでも、園の南側にある府立大の体育館を約1万席のアリーナを備えて施設に建て替え、園の東側に劇場など芸術複合施設を作ることも検討している。

――この計画には反対の声が相次いでいる。植物園と道路を隔てる生け垣が伐採される恐れがあるほか、観覧温室の移転が検討されており、移動に伴い植物が枯れるリスクがあると懸念されているためだ。住民や全国の園芸関係者らが計画見直しを求める署名活動中で、歴代園長も反対の立場で会見をひらく異例の事態になっている。

 

【京都民報】

 京都民報の記事はもっと厳しい。「北山エリア整備基本計画、初の住民説明会に500人」「府立植物園開発、緑地削る計画、理解できない」「1万人アリーナ、なぜ大学施設を開発に使う」「反対意見噴出も府は推進姿勢」「〝署名運動さらに〟見直し求める署名10万人突破、『なからぎの会』が報告」との見出しにあるように、多くの反対の声が上っているにもかかわらず、計画推進の姿勢を崩さない府の態度を厳しく批判している。

 ――京都府は8、9の両日、府立植物園の開発や府立大学に1万人規模のアリーナ建設計画を盛り込んだ「北山エリア整備基本計画」についての初の住民説明会を行いました。参加した住民からは「植物園の開発は中止を」「府立大に1万人のアリーナは要らない」「計画を白紙撤回すべき」などの意見が相次ぎ、府側は明確な回答を避けながらも計画推進姿勢を示しました。また、参加した大学の研究者からは、「植物園をしっかり残せば文化遺産になる。もっと勉強し直してほしい」「なぜ広大な緑地を削るような計画を作るのか、理解できない」などの意見が出されました。

 ――「京都府立植物園整備計画の見直しを求める会」(なからぎの森の会)などが呼びかけてきた見直しを求める署名が、ネット署名などを合わせて10万人分を超えました。8日の説明会後、同会は感想交流などを行う集会を開催。代表は「説明会では、多くのみなさんが見直してほしいと声を上げた。今後も府にタウンミーティングを開くよう求めていきたい。今日をスタートにして頑張っていこう」と呼びかけました。

 

【毎日新聞】

 毎日新聞は、府側の態度を中心に伝えている。

 ――地域住民はこれまで、説明会の開催を再三要望していた。府の担当者は8日の会の冒頭で「コロナ下でどんな形で開くべきか模索していた。遅くなり申し訳ない」と陳謝した。府は「計画は最大限のイメージで、具体的な中身は検討中」と強調した。府側は、住民らから反対意見があることを踏まえ、植物園の整備の方向性を議論する有識者懇話会の設置を発表。懇話 会は、植物園の専門家を中心に経済界、文化界などからメンバーを選定中と説明した。国内外の植物園の取り組みを参考に、整備の方向性を議論するという。

 ――アリーナをめぐっては「学生の教育活動を最終戦すべきだ」との意見や、防犯面を不安視する声も上がった。アリーナなどの建設費や管理面に関する質問も相次いだが、府は「設備面を検討中」として明言しなかった。

 

 メディア各紙の報道にもあるように、長年府民に親しまれてきた植物園の開発計画に対しては多くの府民が関心を寄せている。また、園芸関係者や専門家の間でも開発計画が植物園の学術的価値を損なわないかについて、深刻な懸念が広がっている。私も「なからぎの会」の要請に応えて署名呼びかけ人の1員になったが、そのときに書いたのが以下の一文である

 

歴史的、文化的、学術的価値の高い京都府立植物園の〝イベント広場化〟は許されない

日本最初の公立植物園であり1924年(大正13年)1月に開園した京都府立植物園は、「生きた植物の博物館」として国際的評価を得ている歴史的、文化的、学術的価値の高い植物園である。しかし、その植物園が存廃の危機に曝されたことが過去にあった。終戦直後、京都に進駐した米占領軍によって植物園が全面接収され、米軍家族宿舎(デペンデントハウス)の建設工事によって貴重な樹木や山野草などが根こそぎ破壊されたのである。『京都府立植物園誌』(1959年3月刊)は、1958年(昭和33年)末に接収が解除された当時の惨状を次のように記している。

 

「大典を記念して大正の初期に建設計画を立て、大正13年から有料開園となった京都植物園は、毎年整備を重ね全国でもその比を見ない立派な植物園に完成したのであるが、昭和21年についに進駐軍の接収するところとなった。それから10年余り進駐軍兵舎となり、昭和32年末に返還を受けるまで、植物園としての管理がなされていないので、いま荒涼とした植物園に臨み、復元の困難さを痛感している」

 

「家屋・道路等の突貫工事が始まったのは、昭和21年10月頃であり、営々30年にわたって生育した樹木は何等顧みられることなく伐採され、花壇、薬草園及び生態園等々も跡形もなくなってしまった。第1期工事は大体昭和22年4月に完了し、家屋には米軍家族が直ちに入居した。昭和22年6月から11月頃までが第2期工事であり、このときに東北隅の菊花壇、苗場、薬草園等々がブルドーザーの響きとともに一瞬にして消滅し、代わりに広い道路が完成したが、この道路はついに使用されずに終わった」

 

「宿舎の建設にともない、京都司令部アンダーソン教育部長らの進言にもかかわらず、残された貴重樹種も藪蚊の発生防止という名目で下枝を全部切り払われ、灌木のほとんどが除去された。また、池には強力な薬剤を投入して貴重な魚類を絶滅せしめ、後には干し上げたので池辺の水温を好む多数の植物は全滅した。病虫害防止用薬剤撒布による薬害は甚だしく、枯死する樹木が続出した」

 

対日講和条約が発効すれば、占領軍は撤退することがボッダム宣言に明記されていたにもかかわらず、米占領軍はサンフランシスコ講和条約調印(1951年9月)後も植物園に居座り続けた。周辺住民は、1953年に「植物園返還同盟」を結成して返還運動をスタートさせ、約3000人の署名を集めて蜷川知事に返還を強く要請した(都新聞1953年9月15日、夕刊京都9月16日)。日本植物園協会もアメリカ植物園協会宛に府立植物園の実情を訴え、接収解除への努力を重ねた(「府政だより資料版」194号・1972年2月1日発行)。京都府もこれに応え、政府特別調達庁に対して粘り強く接収解除の折衝を続けた。

 

1954年(昭和29年)4月30日、府立大学グランド部分が返還され、1957年(昭和32年)12月12日全面返還が実現した。政府特別調達庁は、国家財産となった米軍住宅とその付属施設を府がそっくり引き取ることを希望していた。しかし、蜷川知事は、「つわものどもの夢の跡はいっさい要らない。持って帰ってもらおう!」と拒否したという。「それは、文化施設を軍靴で踏みにじった者に対するやるかたない憤懣が吐かせた言葉であり、府民のすべてが心に思っていたことでもあった」と「府政だより資料版(195号)」(1972年3月1日発行)は結んでいる。

 

荒廃した植物園の再建は苦闘の連続だった。全面返還後、米軍建物の撤去などにほぼ1年を要し、工事跡の整備にはトラック1万台分の膨大な土の運搬が必要だった。定年退職後、その功績を称えて府立植物園初の「名誉園長」の称号を贈られた松谷茂氏は、著書『打って出る京都府立植物園~幾多の苦難を乗り越えて~』(淡交社2011年刊)の中で次のように語っている。

 

「返還された植物園の現状を府民に報告するため、昭和34年4月15日から12日間の無料公開を行った。アンケートを実施したところ、再開園に向けて大きな弾みとなる数多くの府民・市民から力強い応援の声をいただいた。『1日も早く開園せよ』『有料でよいから早く開園せよ』『公園化することなく純粋の植物園にせよ』...。大典記念京都植物園の『普通教育を基本とし、大自然に接して英気を養い、園内遊覧のうちに草木の名称、用途、食用植物、熱帯植物、有毒植物、特用植物(染料、工芸植物)、薬用植物及び園芸植物等の知識と天然の摂理一般を普及させ、加えて我が国植物学会各分野の学術研究に資する目的』とする崇高な理念を、府民・市民が忘れることなく後押ししてくれた格好だ」

 

「再開園にあたってのコンセプトは、『遊びの場ではなく、あくまでも自然観察を中心とする府民の憩いの場であり、単なる公園ではなく総合植物園であること』。この理念は、私が携わってきた15年間、決して揺らぐことなく押し進め、そして継承してきたつもりだ。また昭和34年11月、日本植物園協会の臨時総会が臨時公開中の当園で開催され、『京都植物園の復興』が決議された」

 

国民を苦難のどん底に陥れた太平洋戦争の終戦(敗戦)から四半世紀、この間、府民・市民と京都府がともに手を携えて再建してきた府立植物園が、いま心無い関係者の手によって再び存廃の危機に曝されようとしている。イベント開発をなりわいとする商業コンサルタントの甘言に乗って、歴史的、文化的、学術的価値の高い府立植物園が、ただ集まって楽しむだけの「イベント広場」にされようとしているのである。

 

20世紀の高度経済成長にともなう「開発ブーム」は、もはや過去の遺産となった。また、21世紀初頭に流行した「イベント開発」も時代遅れの遺物になりつつある。時代は、国連が2016年に提唱した〝持続可能な開発目標(SDGs)〟を実現する局面へ大きく変わろうとしている。SDGs(Sustainable Development Goals)は、世界の人々の暮らしにかかわる「未来のかたち」を提起したものであり、経済・社会・環境にまたがる17目標が互いに連関して全体の目標体系を形作っていて、政府、自治体、企業、コミュニティを横断する世界共通のキーワードとなりつつある。

 

SDGs17目標の中には、「教育の質と生涯教育」(目標4)、「持続可能な自然資源管理」(目標14、15)が掲げられている。比叡と北山をのぞみ、日本最初の親水河川である鴨川と一体化している比類ない自然環境は、まさにSDGsの理念を体現する世界の先行事例の府立植物園にふさわしい。府立植物園はまた、「生きた植物の博物館=生涯教育の場」として機能している最高の存在でもある。政府、自治体、企業、国民が総力を挙げてSDGsを達成するための努力を傾けている現在、その時代に逆行するような府立植物園の「イベント広場化」を絶対に許してはならない。占領軍支配のもとにあっても「植物園返還運動」を果敢に展開した府民・市民は、今回もまた国連〝持続可能な開発目標〟を掲げて、この歴史的暴挙をふたたび阻止し粉砕するだろう。

「敵に塩を送る」ことは美談だが、立憲京都府連を支援することは「票をドブに捨てる」のと同じことだ、岸田内閣と野党共闘(その5)

 ことわざ辞典によれば、「敵に塩を送る」ことの意味は、敵が苦しんでいるときに弱みにつけ込もうとするのではなく、逆にその弱みを助ける行為を指すとされている。「正々堂々」「真っ向勝負」の意味に通じる部分があり、そこには相手と自分が最善の状態で戦いたいというニュアンスが含まれている。今回の総選挙に関して言えば、立憲と野党各党は政策合意に基づき多くの選挙区で候補者を一本化したが、一本化できなかった選挙区も相当あったことも忘れてはならないだろう。一本化できなかった選挙区ではそれなりの事情もあるのだから、野党各党は「正々堂々」「真つ向勝負」で互いに戦うのは当然であり、それが有権者に対して政党の取るべき真摯な態度だと言える。

 

 ところが、この中で世にも世にも奇怪な動きをした選挙区があった。立憲民主党の福山幹事長や泉政調会長、国民民主党の前原代表代行、共産党の穀田国対委員長など、野党各党の幹部を輩出している京都の選挙区である。総選挙投開票日の翌日、11月1日に開かれた共産党京都府委員会の総選挙報告集会では、渡辺委員長が次のような報告をしている(京都民報11月7日)。

 「今回の選挙では、9月8日に市民連合と野党4党が20項目の共通政策に合意し、30日には、枝野代表と志位委員長の間で共通政策実現のためにわが党が閣外から協力する政権合意が成立し、その上に公示直前の調整によって約7割の小選挙区で野党候補の一本化が実現して選挙戦に臨みました。野党の陣容が整い、メディアも総じて『自公対野党共闘』などと二極対決の構図が報道の基本となりました。野党間のこの合意と協力は、都市部を中心に自民党の有力議員の議席を奪って、一本化した62選挙区で野党候補が当選するなど、一定の力を発揮しました。京都では、6選挙区中2選挙区で自民党が議席を失い、3区・6区で一本化された野党候補が当選しました。私たちはこのことを喜び、当選者がこれまで以上に国会共闘を発展に尽力し、20項目の野党共通政策実現のために奮闘されることを期待します」

 

 これだけ読めば、京都では1区・3区・6区で野党候補が一本化され、3区・6区では一本化された野党候補が勝利したように聞こえる。しかし、メディア各紙はどこもそのような報道をしていない。幾つかその事例を挙げよう(要約)。

 「(京都)1区は、12期務めた自民の伊吹文明元衆院議長が引退して、新顔2人と前職1人が争い、自民新顔の勝目康氏が初当選を決めた。共産前職の穀田恵二氏は比例区で復活当選して10選を決めた。今回も『悲願』の小選挙区初勝利は果たせなかった。選挙戦では、党国対委員長として野党共闘の旗振り役を担った実績を強調し、自公政権のコロナ対策を批判。党も1区を『必勝区中の必勝区』と位置づけ、穀田氏を『実質上の野党統一候補』と訴えたが、実際には1区で選挙協力はできていなかった」(朝日11月1日)。

 「京都1区では、初当選した自民新顔の勝目康氏に自民支持層の82%、公明支持層の8割弱が投票した。ただ、立憲が候補を擁立しなかったことで『実質上の野党統一候補』と訴えた共産前職の穀田恵二氏には、共産支持層の96%が投票した一方、立憲支持層で投票したのは59%だった。全国レベルでの野党共闘路線とは異なり、京都では共産が共闘に前向きな一方、立憲は共産との共闘に否定的だった。立憲支持層の32%は、維新新顔の堀場幸子氏に流れていた。一方、共産が候補者を立てなかった3区では、立憲の泉健太氏に共産の93%が投票していた。同じく共産候補がいなかった6区でも、共産支持層の91%が立憲の山井和則氏に投票し、山井氏の小選挙区の議席奪取を後押しした」(朝日11月2日)。

 

 朝日記事が示すように、京都ではどの選挙区においても野党候補は一本化されていない。1区では共産が穀田氏を「実質上の野党統一候補」と勝手に言っているだけで、福山氏や泉氏は自らが野党共闘に責任を負う党幹部の要職にありながら、立憲京都府連や京都連合の意向を受けて最初から最後まで「京都では共産と共闘はしない」との態度を頑なに変えなかった。二枚舌もいいところだが、これに同調する立憲支持層の3分の1が(あろうことか)、維新の会候補に投票したのである。

 

3区と6区でも共産は(頼まれもしないのに)候補者を擁立せず、それを「野党共闘の大義」であり、「野党候補の一本化」などと勝手に称しているにすぎない。共産支持層は、なぜこんな(荒唐無稽な)府委員会の方針に疑問を抱こうとしないのか。共産支持層の9割超が府委員会の指示に従って(共闘拒否の先頭に立つ)泉政調会長に投票し、当選に貢献したのである。私などはこれは「敵に塩を送る」どころの話ではなく、戦う前から「白旗を上げる」行為そのものではないか――と思うのだが、京都3区ではそんな風に考える有権者はいなかったらしい。

 

 しばらくして、毎日新聞(11月5日)が今回の選挙状況を総括する記事を掲載した。長い記事なので骨子の部分だけを抜粋しよう。

 「街頭演説で穀田陣営は、立憲重鎮(小沢一郎、原口一博、中村喜四郎、赤松広隆など)からの為書きを並べて立憲との連携を強調する選挙戦を展開した。ただ、これとは対照的に立憲府連は共産との連携を拒否し続けた。他府県では立憲候補が共産の集会などに参加して連携を訴える場面もあったが、京都の小選挙区ではそのような姿は最後まで見られなかった。立憲府連には、福山哲郎幹事長や泉健太政調会長など立憲幹部も名を連ねる。にもかかわらず、府連会長を務める泉氏自身が『選挙協力できる環境にない』と共産との対決姿勢を強調するなど、中央との違いは鮮明だった」

 「投開票の結果、穀田氏は6万5201票で次点となり、維新新人に約3000票差まで迫られた。得票数は、前回17年(6万1938票)を約3000票上積みしただけで、得票率30.5%は前回33.3%を下回った。結果的には苦戦とも見える状況に、穀田氏は『野党共闘の意義や展望を伝える期間がなかった』と振り返る。共産府委員会の幹部は、候補の擁立を見送った京都3区、6区で立憲が優位に選挙戦を進めたことを引き合いに、『我が党の票がなければ2人と通っていない』と強弁する。そして、自らに言い聞かせるように語った。『野党共闘は初挑戦だから、全てうまくいくわけはない。今後もこの道を進む以外にない』と」

 

 京都1区の得票数・得票率をもう少し詳しく説明しよう。まず、自民勝目氏が8万6238票(40.4%)を得票して伊吹氏の8万8106票(47.3%)をほぼ継承することに成功した。これに対して、穀田氏は前回17年衆院選の比例近畿で立憲が1区で得た約3万6000票を取り込むことができなかった。維新新人の堀場氏が予想外の6万2007票(29.1%)を得票して、その多くを奪ったからである。ちなみに維新は、京都1区の比例代表で5万4042票(17.9%)を得票し、前回17年の1万9547票(10.4%)から3万4000票も上積みしている。一方、自民は6万665票(28.4%)で前回5万8152票(30.8%)から2500票の微増、共産も3万3636票(15.7%)で前回3万1814票(16.9%)から1800票しか上積みできなかった。立憲の2万4165票(11.3%)と前回3万6233票(19.2%)の減少差1万2000票の多くが、投票数の増加分とともに維新に持っていかれたのだ。

 

 全国でも同様の傾向が出ている。読売新聞(11月1日)は、「共産支持層の大半が立憲候補を支援する一方、立憲支持層から共産候補への支援は限定的で、共闘に関する温度差が明らかになった」とする出口調査分析を掲載している。それによると、全289小選挙区のうち213選挙区で野党5党が統一候補を立て、このうち160選挙区では立憲候補に、39選挙区では共産候補にそれぞれ統一した。同紙の出口調査では、立憲候補に一本化した選挙区全体では、統一候補は立憲支持層の90%、共産支持層の82%を固めた一方、共産候補に一本化した選挙区全体では、統一候補は共産支持層の80%を固めたのに対して、立憲支持層は46%にとどまり、自民候補に20%、維新候補に11%が流れた。野党5党が統一候補を一本化した選挙区においてもこうなのだから、京都1区のように立憲が共闘拒否の姿勢を明確にしている選挙区では、共産が「実質上の野党統一候補」になることは極めて難しかったのである。

 

 直近の朝日新聞世論調査(11月6、7日実施)では、今回の衆院選で自民党が過半数を大きく超える議席を獲得したことは「よかった」47%、「よくなかった」34%という驚くべき結果が出た。過半数超えの理由は「自公の連立政権が評価されたから」19%、「野党に期待できないから」65%だった。維新が議席を増やして自民、立憲に次ぐ第3党に躍進した理由は「維新への期待から」40%、「ほかの政党に期待できないから」46%だった。衆院選では立憲や共産など野党5党が候補者の一本化を進めたが、来夏の参院選で一本化を「進めるべきだ」27%にとどまり、「そうは思わない」51%だった。立憲と共産が安全保障政策などで主張の異なるまま、選挙協力することには「問題だ」54%、「そうは思わない」31%で、両党の支持層で温度差がみられ、立憲支持層では58%が「問題だ」と答えたのに対し、共産支持層は「そうは思わない」が「問題だ」より多かった。いずれの回答からも、今回の野党共闘に対する大きな失望感が読み取れる。

 

 この先、事態はどう展開するのだろうか。目下の話題は、立憲民主党枝野代表の後任を決める代表選に集中している。代表選に立候補するためには国会議員の推薦人20人を集める必要があるが、衆参約140人規模の立憲にとって推薦人20人のハードルはかなり高いとされている。朝日新聞(11月6日)は、「昨年9月に旧立憲と国民民主党の一部などが合流した際の代表選で、枝野氏と戦った泉健太政調会長は今春、『新政権研究会』を立ち上げた。20人台半ばが参加し、自前のグループで推薦人を確保できるのが強みで、今回も有力候補だ」と伝えている。

 

 泉氏は今回総選挙でも、京都では「共産との共闘」を頑なに拒否した共闘反対派の急先鋒だ。「死んでも共産とは一緒にならない」と宣言する前原氏とは政治信条が極めて近く、国民民主党時代に常に行動を共にしてきた仲である。その泉氏がもしも次期立憲代表に選出されることになれば、渡辺共産府委員長が「京都では3区・6区で一本化された野党候補が当選しました。私たちはこのことを喜び、当選者がこれまで以上に国会共闘を発展に尽力し、20項目の野党共通政策実現のために奮闘されることを期待します」とするとの期待は、無残にも裏切られることになる。

 

私は冒頭で、立憲京都府連を支援することは「票をドブに捨てる」のと同じことだと(ドギツイ言葉で)言ったが、おそらく事態はそれだけにはとどまらないだろう。共産府委員会は「敵に火薬を送る」ことで、野党共闘を木端微塵にするような切っ掛けを作ったと言われても仕方がない――、こんな事態が起こらないよう立憲代表選の行方を見守りたい。(つづく)

 

 

共産党はなぜ党首の直接選挙を実施しないのか、政策論議もなく、党首交代もない「改革拒否政党」の前途は危うい、岸田内閣と野党共闘(その4)

 今回の衆院選で自民党が大勝した背景には、周到に仕組まれた総選挙前の党首選挙の実施がある。自民は事前の党首選挙を本番の総選挙さながらに演出し、その巧みな選挙戦術によって菅前首相のダークイメージをクリアーすることに成功した。自民の党首選挙に注ぎ込まれたメディア報道量は総選挙のそれよりもはるかに多く、その意味で自民は本番の総選挙を「戦わずして勝った」といえる。総選挙前に大々的に展開された党首選挙によって自民はメディア空間を独占し、その余勢を駈って総選挙の勝利を手にしたのである。

 

 これに対して野党共闘は、前回の拙ブログでも指摘したように、不人気な枝野代表(立民)と志位委員長(共産)という両党の「1強コンビ」が手を組んだことで、メディア効果が更に低下した。枝野代表はそのことを自覚していたのか、選挙中は志位委員長と一緒に映像を撮られることを極力回避したという。せっかく野党共闘を組んだのだから、せめてもにこやかに握手している「ツーショット写真」でイメージチェンジを図るかと思いきや、今まで通りの「枝野1強」にこだわったのである。

 

その結果、枝野代表が出ずっぱりになることで立民のイメージはますます硬直化し、「能面スピーチ」も最後まで止むことがなかった。立民は枝野代表に代わるフレッシュな人材を「選挙の顔」として起用できず、最後の最後まで「政権交代」を象徴するイメージをつくり上げることができなかった。立民は、政権交代に不可欠な「選挙の風」を巻き起こすことができず、小選挙区では野党共闘のお陰で辛うじて議席を増やしたものの、比例代表区では大幅に議席を減らした。「枝野1強」に象徴される立民の旧態依然たる体質が、「新しい器=野党共闘」に「新しい酒=革新勢力」を盛ることを拒んだのである。

 

 一方、志位委員長のほうはどうか。こちらの方はもう朝から晩まで志位委員長ばかりがクローズアップされて、それ以外の光景はどこを探しても見つからなかった。共産は「志位1人政党」かと思うぐらいの露出ぶりで、これでは志位委員長の存在は「昔の名前と顔で出ています」という懐メロ(ナツメロ)程度の宣伝効果にしかならない。有権者は同じ人物が性懲りもなく出てくると、たとえ違うことを言っていても「また同じだ」と受け取ってしまう。聞く前から拒否感が前面に出て(いわゆるマスキング効果)、共産のいう「歴史的なチャレンジ」などいっこうに話題にはならなかったのである。かっての「共産=革新政党」のイメージはどこへやら、いまは「志位1強=改革拒否政党」になったのではないか――、私の周辺ではこんな評価がもっぱら行きわたっている。

 

 事態を抜本的に変えなければならない――、さすがの立民もそう決意したのだろう。枝野代表が辞任し、新しい党首を選ぶことになったのがその表れだ。立民の党首選挙が実施されれば、世論も少しこの話題で盛り上がるのではないか。枝野氏に代わるフレッシュな人材が党員や党友の直接選挙で選ばれることになれば、今までの「枝野1強」にうんざりしていた世論にも少しは変化が生まれるというものだ。まして、意表を突くフレッシュな代表が選出されることにでもなれば、立民の政党支持率にも大きな変化が生じるかもしれない。これからの党首選挙の行方が注目される。

 

 これに対して、共産の方はうんともすんとも反応しない。志位委員長は総選挙翌日の11月1日、党本部で記者会見し、議席と得票数を減らしたにもかかわらず「責任はない」と明確に否定した。同日付の「総選挙の結果について」と題する常任幹部会声明も同様の趣旨で展開されており、志位委員長をはじめ幹部役員の政治責任は一切棚上げされている。政治は「結果がすべて」だから、結果責任をとらないというのは格好がつかないだろう――と思うのだが、不思議なことにそうはならないのである。理由は「我が党は、政治責任を取らなければならないのは間違った政治方針を取った場合だ。今度の選挙では、党の対応でも(野党)共闘でも政策でも、方針そのものは正確だったと確信を持っている」(毎日11月2日)というものだ。だが、これでは共産がこれから幾ら議席と得票数を減らし続けても、志位委員長は政治責任を取らず、党首の座に永久に座り続けることになる。

 

 こんな世間外れの見解を党内ではいったいどう受け止めているのだろうか。機関紙赤旗は即刻、「『常幹声明』を討議・具体化し、公約実現と強く大きな党づくりに踏み出そう」(中央委員会書記局、11月4日)とのキャンペーンを開始した。

 ――常任幹事会の声明「総選挙の結果について」の討議がスタートし、「選挙結果の見方がわかり、スッキリした」「共闘の道を胸を張って進んでいきたい」など、積極的に受け止められています。同時に、全党が懸命に奮闘したにも関わらず残念な結果になっただけに、〝がっかり感〟〝モヤモヤ感〟を多くの支部と党員がもっています。選挙結果と今後の課題がみんなの腑に落ちるよう、丁寧に討議することが重要です。

 

 この書記局キャンペーンを読むと、共産の党内議論の進め方がよくわかる。常幹声明が出てから僅か2日後に、(まだ誰も読んでいないにもかかわらず)「選挙結果の見方がわかりスッキリした」との感想が上から一方的に流され、「選挙結果と今後の課題がみんなの腑に落ちるよう丁寧に討議することが重要です」との指示が出されるのである。このやり方は、選挙活動に参加した党員や支持者の疑問や意見を時間をかけて積み上げるのではなく、上からの常幹声明を「丁寧に討議」することで党内の見解を即刻集約し、選挙結果に関する原因究明や役員幹部の政治責任追及を封じようとしている――としか思えない。最近は、さすがに上部指示を教科書のように「学習」するという言葉は使われなくなったが、言われたことをそのまま「討議」するのでは、これまでの「学習」とさほど変わらない。

 

 最近、若者の間では「保守政党」「革新政党」という言葉が使われなくなったと聞く。われわれオールド世代では政策の内容で、政党の「保守」「革新」を判断するのが普通だったが、最近では「改革」とう言葉が基準になって政党の評価が行われているように思える。そういえば、今回躍進した日本維新の会のキャッチフレーズも「改革政党」だった。「身を切る改革」「大阪での改革実績」を強調した維新が世論の風を集め、「革新の大義」を掲げて「歴史的にチャレンジ」した共産が敗れたのである。

 

 私は、今回の選挙の敗因を「力不足」の問題に一元化するのは誤りだと思う。共産は党首を直接選挙することもやっていないし、幹部役員の定年制も設けていない。90歳を越える役員が上席を占める常任幹部会が政策のすべてを決定し、そこで党首が実質的に決められ、志位委員長が相も変わらず続投する――、こんなことが百年一日の如く繰り返されてきただけだ。政策論議もなく、党首交代もない「改革拒否政党」の前途は危うい。いまこそ共産は党首直接選挙を実施し、志位委員長に代わるフレッシュな人材を登用すべきではないか。次回は、「事実上野党共闘」を目指した京都1区選挙の分析をしたい。(つづく)