震災1周年の東北地方を訪ねて

なぜ、雄勝町地区の復興まちづくりは進まないのか(最終回)、人口の流出を食い止めることこそが本当の復興計画だ、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(17)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その51)

石巻市が「世界の復興モデル都市」を目指すことの是非は別にして、「(世界最大級の)被災都市」であることは間違いない。いま改めて被害状況を振り返ってみても、その凄まじいまでの数字は言葉を失うばかりだ。(『石巻市の復興状況について』、石巻市、201…

なぜ、雄勝町地区の復興まちづくりは進まないのか(七)、ふたたび“世界の復興モデル都市”の可能性について、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(16)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その50)

私はこの石巻市シリーズの冒頭で、「最大の被災都市から世界の復興モデル都市石巻を目指して」という石巻市震災復興計画のサブタイトルにこそ、“石巻市の悲劇”のすべてが凝縮されていると書いた。その理由は、「最大の被災都市」から「世界の復興モデル都市…

なぜ、雄勝町地区の復興まちづくりは進まないのか(六)、高台移転は“特殊解”であって“一般解”ではない、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(15)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その49)

「復興計画(素案)」(2011年11月7日)が公表された段階で、市はすでに雄勝地区を災害危険区域に指定し建築制限をかけることを事実上決定しており、12月市議会にそのための建築条例案を提出することが予定されていた。しかし11月15日からはじまった市内一円…

なぜ、雄勝町地区の復興まちづくりは進まないのか(五)、「復興計画(素案)」に対する雄勝地区住民の批判は正当かつ本質的なものだ、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(14)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その48)

亀山市長・本庁幹部職員約20名、市議数名、雄勝支所長・支所職員数名、雄勝地区住民約100名が参加した「石巻市震災復興基本計画(素案)」に関する意見交換会(2011年11月27日)は、雄勝地区復興まちづくりの歴史的な第3ステ―ジの幕開けとなった。市長挨拶の…

なぜ、雄勝町地区の復興まちづくりは進まないのか(四)、雄勝地区での「復興まちづくり」の信じられないような実態、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(13)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その47)

雄勝地区の復興まちづくりの第1ステージは、市当局・雄勝支所が地区会長(集落代表など)らに呼び掛けて「雄勝地区震災復興まちづくり協議会」を発足させ、亀山市長に「高台移転促進を求める要望書」を提出させた2011年5月から7月までの2ヶ月間だ、と以前に…

なぜ、雄勝町地区の復興まちづくりは進まないのか(三)、防災集団移転促進事業計画の強行は“復興ファッシズム“に転化する、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(12)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その46)

建築基準法第39条に「災害危険区域」に関する条文がある。その内容は、「1.地方公共団体は、条例で、津波、高潮、出水等による危険の著しい区域を災害危険区域として指定することができる」、「2.災害危険区域内における住居の用に供する建築物の禁止その…

なぜ、雄勝町地区の復興まちづくりは進まないのか(二)、住民の基本的人権、“職業選択の自由、居住と移転の自由”を否定する「3点セット復興計画」、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(11)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その45)

復興まちづくりの方向をめぐる被災者・住民対立の背景には、同じ地域に居住しながらも職業や働き場所、生活圏の違いなど生活様式が多様化しているという現実がある。前近代社会(封建社会)は、職業・身分・居住場所が三位一体的に固定され、それが社会と空…

なぜ、雄勝地区の復興まちづくりは進まないのか(一)、被災者を引き裂く“高台移転・職住分離・多重防御3点セット復興計画”、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(10)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その44)

もうひとつの特集記事「震災と過疎 石巻・雄勝町の今(下)」(河北新報、2012年03月18日)は、見出しが「進まぬ計画」「合併影響、人手が不足」「高台移転、溝埋まらず」とあるように、高台移転を前提とする市当局の復興計画が被災者の激しい分裂を招き、思…

災害時の“リダンダンシー”(冗長性)を奪った広域合併と欠陥支所体制、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(9)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その43)

平成大合併がもたらした石巻市の悲劇を象徴するかのような特集記事が2つある。ひとつは震災から半年後の「震災と平成大合併(上)、石巻市」(河北新報、2011年10月16日)、もうひとつは1年後の「震災と過疎、石巻・雄勝町の今(下)」(同、2012年03月18日…

被災直後の“願望アンケート調査”が復興まちづくり調査だと言えるのか、被災者を利用したにすぎない都市基盤整備調査、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(8)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その42)

「石巻市震災復興基本方針」が2011年4月27日に発表されて以降、9月12日の「被災市街地復興推進地域の決定について」までの4ヶ月半、驚異的なスピードで石巻市の「復興まちづくりアンケート調査」と「都市基盤整備復興計画」の策定作業が進められた。全ては宮…

宮城県土木部の“知事特命チーム”が石巻市復興計画の骨格を決めた、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(7)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その41)

前回、震災後僅か2か月足らずで、石巻市の運命を左右しかねない復興計画の骨子が、『石巻の都市基盤整備に向けて』(2011年4月29日)という文書で市建設部から発表されたことを書いた。その手法は、阪神淡路大震災において神戸市都市計画局が震災1ヶ月余りで…

宮城県復興計画の「コピー」と「ペースト」でつくられた“世界復興モデル都市・石巻市復興計画”の内実、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(6)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その40)

石巻市のホームページや「東日本大震災復興計画ポータルサイト」(財団法人国土技術研究センター作成)で石巻市復興計画の関係資料を調べてみたが、しかしその内容は村井県政の復興方針の単なるコピーの域を出ず、内容もお粗末で計画のレベルも低い。これで…

“合併批判”の世論に後押しされて当選しながら、“合併後遺症”を克服しようとしなかった亀山市長、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(5)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その39)

河北新報のデータベースを検索していると、興味深い記事が幾つも浮かび上がってくる。なかでも『回顧‘09』シリーズの記事には、合併後の2度目の石巻市長選に関する鋭い総括が掲載されていて大いに参考になる。石巻総局記者の署名入り記事「不満噴出、刷新…

「新市まちづくり計画」と「財政計画」における“理想と現実”の恐るべき乖離、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(4)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その38)

1市6町の石巻地域合併協議会によって、合併後の新市「石巻市」を建設していくための基本方針を示す「新市まちづくり計画」(2004年)が策定された。計画は「序論」にはじまり、「新市の概要」、「主要指標の見通し」、「新市建設の基本方針」、「新市の施策…

大義と必然性のない合併協議で紛糾した石巻地域合併協議会、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(3)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その37)

平成大合併における石巻市関連の各種記録(石巻地域合併協議会議事録、宮城県市町村課資料、日本都市センター合併情報など)を読むと、無理難題な広域市町村合併がいかに住民自治を侵害し、災害非常時における地域対応力を奪ってきたかがくっきりと浮かび上…

「みやぎ新しいまち・未来づくり」という“合併天国論”で市町村合併を誘導した浅野県政、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(2)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その36)

宮城県の地域構造は、仙台都市圏への「一極集中」という点で際立っている。戦後高度成長が始まる前の1955年、仙台都市圏はすでに県人口の39%(67万人)を占めていたが、その後の30年間で倍近い伸びを見せ、1985年には56%(121万人)に達した。2012年現在、…

なぜ、石巻市は“最大の被災都市”になったのか、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(1)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その35)

前回の岩手県シリーズでは、市町村レベルの復興計画の注目すべき事例として山田町の復興計画を取り上げた。山田町は平成大合併の大波にも呑みこまれることなく町政を維持し、また東日本大震災の復興に際しては高台移転計画偏重のきらいがあるとは言え、旧村…

広域連合は“民主党政権崩壊”とともに機能不全に陥るだろう、河北新報はいかに復興を提言したか(8)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その34)

河北新報の第6部シリーズ、現在進行中の「提言・東北共同復興債による資金調達」が6月20日から始まってから間もなくのこと、「東方広域連携、議論空回り、権限、宮城に集中することに警戒」と題する別の記事が掲載された(6月23日)。出だしが「東北6県の広…

“ショックドクトリン計画”の遅れに苛立ち、東北各県の県・市町村復興計画を冒涜する寺島発言、河北新報はいかに復興を提言したか(7)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その33)

河北新報「自立的復興へ東北再生共同体を創設」に関する第5部シリーズの最終回は、宮城県震災復興会議の副議長を務めた寺島実郎氏(日本総研理事長)へのインタビュー記事だった。「アジア視野に広域構想急げ」と題する寺島氏の発言はまさに“ショックドクト…

奈良県が参加拒否している関西広域連合は“砂上の楼閣“でしかない、河北新報はいかに復興を提言したか(6)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その32)

日本経済新聞(京滋版、2012年6月16日)の記事は、政府が6月15日の閣議において国の出先機関(国土交通省地方整備局、経済産業省経済産業局、環境省地方環境事務所)を2012年度中に地方移管する特例法案の閣議決定を先送りしたことを伝えるものだった。理由…

広域連合に反対する市町村の声を無視する一方的報道、河北新報はいかに復興を提言したか(5)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その31)

震災を契機に東北各県に「東北再生共同体」(広域連合)の創設を提言する河北新報は、関西広域連合の他、2010年10月に「九州広域行政機構(仮称)」の設立に合意した九州地方知事会、2012年2月に「四国広域連合(仮称)」の発足を目指すことで合意した四国知…

東北各県知事にそっぽ向かれた「東北再生共同体=東北再生機構創設」提言、河北新報はいかに復興を提言したか(4)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その30)

「東北が真の自立的復興を遂げるには、東北の域内で政治・経済が完結できる地域主権の実現が不可欠であり、そのためには6県を包括した広域行政組織「東北再生共同体」の創設が必要だ」と訴える河北新報の提言は、言葉こそ美しいが、第5部シリーズの取材記事…

事大主義の「東北再生委員会」ではなく、社内の「東北再生取材班」にこそ復興提言をさせるべきだった、河北新報はいかに復興を提言したか(3)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その29)

河北新報社は、今年元旦に3分野11項目の提言を発表して以来、社内に「東北再生取材班」を編成して全国に取材網を広げ、提言を実現するための課題や道筋を探ってきた。その成果は、これまで第1部「世界に誇る三陸の水産業振興」(10回、1月24日〜31日)、第2…

「東北の歴史」を学ばずして、どうして「東北の未来」(復興)を語れるのか、河北新報はいかに復興を提言したか(2)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その28)

河北新報社の11項目提言の連載は、「新たな東北、新たな一歩」というタイトルの序文から始まる。冒頭の一節は、「「戦後」に代わって「災後」という時代が開けようとしている。私たちは今、歴史の峠に立っている。東日本大震災からの復興を誓い、新しい東北…

「読者に寄り添う姿勢」から「東北地方をリードする姿勢」へ方向転換、河北新報はいかに復興を提言したか(1)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その27)

東日本大震災の発生以来、岩手県の「岩手日報」と同じく宮城県においても「河北新報」が地方紙ならではの健筆をふるってきた。連載企画「証言3.11大震災」「ドキュメント大震災」「焦点3.11大震災」など、被災者の目線に立って未曽有の災害を記録・…

不発に終わった“震災復興税”と“東北州”の策動、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(9)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その26)

復興構想会議の委員15名がどのような基準で選ばれたのか、私は知らない。しかし、そのなかで本当の意味での発言権を持つのは、被災3県の知事であることはいうまでもない。選挙で選ばれた知事は、被災者・被災地の声を文字通り代表する政治的正統性を体現して…

菅政権の“延命手段”に利用された東日本復興構想会議、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(8)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その25)

いまから思えば、東日本復興構想会議は菅首相の“延命手段”のひとつにすぎなかったということであろう。もっと有体に言えば、当時の「菅降ろし」の嵐の中で「死に体」状況に陥っていた菅政権が、不遜にも東日本大震災を奇貨として利用し、絶体絶命の危機を乗…

県の震災復興会議には被災市町長を締め出しながら、自分自身は国の復興構想会議で「被災県代表」として大活躍した村井知事の自己矛盾、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(7)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その24)

「県が国に先んじて計画を作り、策定の過程で次々と国に対して提案する」という役割(作戦命令)を与えられた村井知事は、復興構想会議の第2回会議(4月20日)から第9回会議(6月11日)まで毎回資料を提出し、「国をリード」する勢いで大活躍する。その資料…

東日本大震災復興構想会議において政府・財界が村井知事に課した“作戦命令”、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(6)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その23)

国の復興構想会議において野村総研の名前こそ表に出ることはなかったが、日本経団連・経済同友会・日本商工会議所などの経済団体代表が第3回会議(4月30日)に招致され、それぞれの公式見解を発表している。なかでも経済同友会の『東日本大震災からの復興に…

村井知事は(自著出版で)なぜ野村総研との関係を隠すのか、宮城県震災復興計画を改めて問い直す(5)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その22)

自治体首長が在任中に自著を出版するのは並大抵のことではない。その暇もないほど多忙な公務に忙殺されるためだ。また同時進行形の業務や行動に対して首長自らがその全容を把握しかつ客観的に評価することは、余程の卓越した人物でなければ難しい。多くの政…