中国高速鉄道事故と福島原発事故は同質同根だ(2)、(私たちは東日本大震災にいかに向き合うか、その27)

中国高速鉄道事故と福島原発事故の第2の共通点は、事故の原因や真相を覆い隠そうとする関係当局の根深い(深刻な)隠蔽体質の存在だ。今回の事故で中国鉄道省のとった証拠隠滅の対応は、「穴を掘って事故車体を埋める」という中国古来の原始的なもので、その行動は“世界中の物笑い”になった。心ある中国国民なら“世界中の恥さらし”と感じたことだろう。

だがこの点では、日本の原子力ムラの住人たちも決して引けを取らない。東電や原子力安全・保安院は、事故発生直後から炉心溶融の可能性を否定し、メルトダウンを確認してからも依然として事実を隠し続けた。それどころかNHKなどマスメディアを総動員して、御用学者たちの解説付きで可能な限り事故の規模や程度を軽く見せようとした。そして毎日の記者会見では、枝野官房長官が判を押したように「直ちに健康への影響はない」とオウム返しに述べるのが常だった。

こんな状況だから、中国でも日本でも当局発表をそのまま信じる者は誰もいない。中国では鉄道省が死者40人・負傷者約190人と発表しているが、ネット上では「行方不明者が29人いる」との情報が流され、政府が否定したにもかかわらず、当局が犠牲者を隠しているのではないかとの疑いが消えない。死者数をめぐっても、「死者35人を超えると地元政府幹部が更迭されるため、超えた分は行方不明扱いにした」との噂が出回っている。(東京新聞、8月8日)

また事故原因についても、鉄道省は最初落雷による信号系統の乱れ(電気系統のショート)だとする「天災説」を強調していたが、そのうちに列車運行システム全体に及ぶ制御系統に重大な構造的欠陥があったとの「人災説」を打ち消すことが出来なくなった。それに最近では、事故列車を真っ先に埋めたのは、車体の安全装置の不備(あるいは故意による手抜き構造欠陥)を隠すためだったとの指摘も出ている。

いずれにしても中国が「世界一の国産技術」を誇り、各国で特許を申請して世界の高速鉄道建設市場へ乗り出そうとしていた矢先だけに、鉄道省傘下の車両メーカーや建設事業体に与えるダメージは計り知れない。この危機的事態を乗り切るためには、温家宝首相がいうように事故原因の徹底究明と事故調査結果の全面公開以外にないが、その直後から事故調査の報道規制が敷かれて真相究明が妨害されるなど、出口は全く見えてこない。ただはっきりしていることは、「事故車両を埋める」という古典的な証拠隠滅方法が、中国の技術に対する世界の信頼を粉々に打ち砕いたことだけである。

しかしこの点においても、日本の原子力ムラの隠蔽体質は中国の人後に落ちない。それは、東電が「想定外」の巨大津波を理由にした「天災説」を主張し、事故免責に持ち込もうとする卑劣な体質にも通じている。それはまた、政府が福島第一原発事故の危機レベルを「チエルノブイリ級7」だと公表しておきながら、原発事故対策において最も肝心な放射線量の総量や核物質の種類をいまだに公開していないことにも通じている。

7月下旬、衆議院厚生労働委員会参考人として出席した児玉龍彦教授(東大アイソトープ総合センター長)は、「7万人が自宅を離れてさまよっている時に、国会はいったい何をやっているのか」と激しく政府や国会を批判した。私などはその発言をインターネットで見て、「東大にもこんな立派な学者がいたのか」と感激したぐらいだ。児玉教授が苛立ちを露わにした背景には、放射能汚染から国民の生命や健康を守るためには、原発から放出された放射性物質の中身や総量を正確に把握しなければならないにもかかわらず、事故後数カ月近くが経過しても、いまだその全容が明らかにされないことへの激しい不信感があるからだ。

児玉教授は、「私たちの推計では、原発からの放射性物質の放出量はウランに換算して広島原爆20個分に上ります。しかも、原爆に比べて放射線の減り方が遅い。少量の汚染ならその場の線量を考えればいい。でも、総量が膨大な場合、粒子の拡散を考える必要があります。これは「非線形」という難しい科学になり、予測がつかない場所で濃縮が起こる」との重大な指摘をしている。そして、低線量による内部被曝の問題は専門家の間でも意見が異なり混乱が生まれているので、「いま「安全」か「危ないか」の決着をつけるより、「測定と除染」に徹することが大事です」との的確かつ重要な判断を示している。(毎日新聞、8月8日)

だが、原子力ムラの閉鎖性と隠蔽体質は根深い。朝日新聞社の「報道と人権委員会」は、「原発事故報道に関して、戦時中と同じように『大本営発表』をそのままメディアが垂れ流したのではないか」との批判をめぐって議論しているが、関係者の発言はいずれもきわめて歯切れが悪い。

外部委員の「報道内容が東電と政府当局に全面的に依存していたという印象はぬぐえない」、「メディアに対する国民の批判というのは、要するに『発表ジャーナリズム』になっているという不信感ではないか」、「今回の事故では、放射性物質の拡散を予測する緊急時迅速予測システム(SPEEDI)のデータの公開遅れが批判された。最も活用すべきときに公開を渋った政府に対して、メディアはもっと強く公開を迫るべきだった」との意見に対しても、納得できる回答はない。(朝日新聞、8月10日)

佐賀玄海原発の再開をめぐる「やらせメール事件」でも、その後に明かになった事実は、そもそも古川知事の積極的関与と指示が事件の発端であり、また第三者委員会の調査に対する九電側の組織的な証拠隠滅作業がいまだに続いているという醜悪な実態だった。郷原三者委員会委員長は、記者会見において九電役員が証拠書類の破棄を部下に命じた件に触れ、「これほど露骨で悪質な(証拠隠滅)行為は許しがたい」と怒気を込めて語った。(各紙、8月9日)

 つまるところ、中国鉄道省は古典的(乱暴かつ粗雑)な方法で、日本原子力ムラは現代的(巧妙かつ醜悪)な方法で、大事故・大災害の原因究明と真相解明を覆い隠そうとしたのである。(東北被災地の復興計画調査をめぐる報告は、いずれ書くつもりだが、京都の五山送り火をめぐる残念な経緯は現地でも大きな話題になっていた。次回あたりで私見を述べたい)。