「みやぎ新しいまち・未来づくり」という“合併天国論”で市町村合併を誘導した浅野県政、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(2)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その36)

 宮城県の地域構造は、仙台都市圏への「一極集中」という点で際立っている。戦後高度成長が始まる前の1955年、仙台都市圏はすでに県人口の39%(67万人)を占めていたが、その後の30年間で倍近い伸びを見せ、1985年には56%(121万人)に達した。2012年現在、さらに64%(149万人)と拡大を続けており、県人口のおよそ2/3が仙台都市圏に集中し、「その他地域」は一貫してシェアを減らしているというわけだ。

 この傾向にさらに輪をかけたのが「平成大合併」だった。浅野県政は、国の「地方分権推進計画」の閣議決定(1998年)に呼応して「市町村合併の組み合わせ」に関する調査研究に着手し、「地方分権一括法」(1999年)が成立して「市町村合併特例法」(2000年)が施行されるやいなや「宮城県市町村合併推進要綱」(同年3月、合併要綱という)を策定した。東北地方各県の合併競争の先陣を切り、逸早く「地方分権の時代にふさわしい地域社会の仕組みづくり」をスタートさせたのである。

 合併要綱では、市町村合併についての県の基本的な考え方が次のように示されている。
「新しい世紀の到来を目前に控え、今日の市町村を取り巻く情勢は、少子高齢化社会の進展、地方分権の推進、国・地方を通じる財政の著しい悪化など大きく変化している。特に人口規模の小さい市町村ほど人口減少率や高齢化率が高くなる傾向にあり、その一方で財政運営は厳しいものとなっている。このまま推移するならば、地域社会の存立基盤そのものが危うくなりかねない地域が出てくることが懸念され、このような地域では必要な住民サービスの維持、向上が困難となることも予想される」。

「このように市町村を取り巻く環境が大きく変わりつつある中、市町村合併は、地域の一体的な整備、市町村の行財政基盤の強化、社会福祉等身近な行政サービスの充実等を図るとともに、将来にわたる地域の持続的な発展を確保するために極めて有効な手段であり、もはや猶予が許されない、検討すべき喫緊の課題である」。

 合併要綱ではまた、市町村合併の効果・メリットについても「地域の一体的なまちづくりによる新たな活力と可能性の創出」、「効率的な行政運営」、「職員の専門性の向上と組織余力の確保」、「住民サービスの充実と住民負担の軽減」、「地域のイメージアップと地域の発展」、「広域的行政課題の解決」の6項目にわたって我田引水的な主張が並んでいる。

このように浅野県政は、市町村が当面する行財政危機に対応するためには「市町村合併以外に道がない」と上意下達的に誘導し、かつ市町村合併をすればあたかも全ての問題が解決されるかのような“合併天国論”を展開した。「みやぎ新しいまち・未来づくり」という舌をかむようなネーミングは、市町村合併の本質である住民自治の剥奪と自治体リストラを覆い隠す「イチジクの葉」であり、ソフトなキャッチコピーであった。

 だが合併要綱のキモ(肝)は、現存する市町村名を明示した「本県における市町村合併の類型及び組合せ」を具体的に提示した部分にあった。仙台市・川崎町を除く9市58町2村が、「中核都市創造型」「都市移行型」「ポテンシャル開花型」「連携進化型」の4類型に分類され、16自治体に集約することが提示された。70市町村を16自治体に再編するという県の合併構想が、いよいよ「合併要綱」という具体的なかたちで動き出したのである。

石巻市は「中核都市創造型」の中心市に位置づけられた。中核都市創造型合併の目標は、「地方分権時代における地域の新たな担い手としての役割、また県土の均衡ある発展の見地から、地方中心都市とりわけ一定以上の人口を有する中核都市を形成する」というものであり、主たる効果は「特例市移行による権限拡充とイメージアップ」などであった。

石巻市にとっては、おそらく「特例市昇格」というニンジンが合併を促進する強烈な動機になったことは疑いない。特例市とは、地方自治法上の政令にもとづいて指定を受けた「法定人口20万人以上」の都市のことであり、都道府県の事務権限の一部(環境行政・都市計画行政など)が移譲され、また地方交付税も増額される。仙台都市圏に県内のヒト・カネ・モノ・情報などあらゆる地域資源が集中する「ガリバー的寡占体制」に風穴を開けるには、石巻市を県北部の地方中心都市に発展させなければならないという強い思いが、地域の支配層に共有されていたからである。(つづく)