災害時の“リダンダンシー”(冗長性)を奪った広域合併と欠陥支所体制、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(9)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その43)

平成大合併がもたらした石巻市の悲劇を象徴するかのような特集記事が2つある。ひとつは震災から半年後の「震災と平成大合併(上)、石巻市」(河北新報、2011年10月16日)、もうひとつは1年後の「震災と過疎、石巻雄勝町の今(下)」(同、2012年03月18日)である。浅野知事時代から市町村合併の旗を振り続けてきた河北新報社もさすがに震災後の周辺旧町の惨状を無視できなくなり、「合併と震災」の問題性について言及せざるを得なくなったのだ。

前者の「震災と平成大合併(上)、石巻市」に関する記事は、<職員数4割>との見出しで牡鹿支所の緊急事態を以下のように伝えた。なお、末尾には職員削減に関する簡単な解説をつけている。

「「本庁とは衛星電話で何とかつながっていたが、向こうは向こうで手いっぱい。こっちはこっちでやるしかない状態だった」。牡鹿総合支所長だった成沢正博さん(60)は震災直後を振り返る。太平洋に大きく突き出した牡鹿半島にある旧牡鹿町は、大津波で各浜が壊滅的な被害を受けた。震災で道路は半島の各所で寸断され、一時は陸の孤島と化した。当時の支所の職員数は合併前の約4割の47人。本庁からの支援が得られず、限られた人員で初動対応を余儀なくされた。旧市内に通じる道を確保するため近隣の建設業者に掛け合い、物資を取りに車で旧市内に向かうことができたのは、震災発生から5日目だった。」

 「<石巻市>2005年4月、旧石巻市雄勝、牡鹿、北上、河北、河南、桃生の6町が合併し誕生した。面積は555平方キロで、合併時の人口は宮城県内では仙台市に次ぐ約16万9000人。合併後の行革で職員は約2000人から約300人削減。支所勤務の職員は約300人と旧町時代から約4割減った。震災による死者は2011年10月14日現在3274人、行方不明者は10月1日現在706人。」

この記事は、緊急時の現場の雰囲気をよく伝えている。確かに震災時の緊急対応においては、大幅に削減された人数で職員がこれほどの大災害に立ち向かうことは物理的にも不可能だった。また、たとえ合併前の職員数が確保されていたとしても、災害対応は困難を極めたであろう。しかしより本質的な問題は、住民から選挙で町政を託された首長がもはや役場にはいなかったことだ。

災害緊急時には「行政マニュアル」だけでは事態に対応できない。どれほど詳細なマニュアルが用意されていたとしても、思いもかけない形をとる災害への対応はその場での「臨機応変」の行動を必要とする。そして災害現場での「臨機応変」が大きな“政治的決断“をともなう以上、限られた権限しか与えられていない支所長では対応に限界がある。「臨機応変」とは、住民に直接選ばれたという“正統性”を持つ首長にしてはじめて為し得る政治的判断・決断であり行為なのだ。

まして、牡鹿支所は衛星電話ひとつを除いて市役所との連絡が途絶していた。市役所自体が機能不全に陥り、「支所どころの話」ではなかったのである。この事態は、他の支所においてもほぼ同様だった。地域の事情がそれぞれ異なる旧町をとにかく広域合併した結果、すべての情報と権限が市役所に集中することになり、「自律神経系ネットワーク」が地域から失われたのである。

この事態は、神戸市のような大都市においても同様だった。区役所にさしたる権限を与えず、市役所が全てを掌握するという中央集権的体質が色濃い神戸市では、阪神大震災時に千人近くの職員がいた区役所でさえ独自の緊急対応は困難だった。区長も区役所職員も「市役所からの指令待ち」の状態に置かれ、被災救援活動は遅れに遅れたのである。

災害対応においては、一般的に“リダンダンシー”(冗長性)が求められると言われる。リダンダンシーとは、求められる(必要最低限の)機能に対して「ゆとり」や「余裕」をもった性能を付加することであり、たとえシステムの一部が破壊されたとしても、それに代わる代替機能が作動するように予め備えることだ。コンピューターシステムにおいて、膨大なデータが一瞬にして失われてしまう危険を避けるために、本体に匹敵するような「バックアップシステム」(機能回復システム)が組まれるのはそのためだ。

建物や機械の設計においても、必要とされる性能や容量に対して「ギリギリの設計」をすることなどまずない。一時は「リミットデザイン」(限界設計)などと持て囃された効率主義の時代もあったが、阪神大震災ではこの種の建物は悉く崩壊した。以降、災害に耐える建物や機械の設計は、「粘りのあるリダンダンシー」を確保することが鉄則となったのである。

 しかし宮城県が推進してきた市町村広域合併は、災害対応の必須条件である“リダンダンシー”を地域から奪った。石巻市に合併された旧6町はその最大の被害者であり、555平方キロにも及ぶ広大な市域は市役所に全ての情報と権限を集中する「中央集権型(広域合併)システム」の弊害を一層際立てた。大津波常襲地帯の三陸沿岸部の行政システムは、災害危機に脆い「中央集権システム」ではなく、各自治体が臨機応変に災害対応できる「分節型システム」でなくてはならなかった。石巻市の欠陥支所体制は、まさにこのことを悲劇的に証明したのである。(つづく)