“雄勝未来会議”と銘打った市当局・大学アドバイザー・土木コンサルタント三位一体の高台移転計画説明会が開催された、そして学生までが動員された、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編11)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その62)

2012年8月19日に開かれた「雄勝地区復興計画(案)住民説明会及び意見交換会」は、何から何まで異様づくめの集会だった。まず、会の名称が“雄勝未来会議”といういままで聞いたこともない名前に変えられていた。次に、会の主催は石巻市雄勝総合支所、協力が雄勝スタジオとなっていた。「雄勝スタジオ」とは、アーキエイド(東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク)に参加している東京芸大・東北大・日本大など大学アドバイザーの集団であるが、いまや雄勝地区高台移転計画の実動部隊として主催者と肩を並べる存在にまで「成長」していたのである。

この集会は昨年12月以来となる雄勝地区全体を対象にした説明会なので、そのための準備も綿密に行われた。7月末から支所・大学アドバイザー・土木コンサルタントの打ち合わせ会議がひっきりなしに開かれ、部落(浜)ごとの高台移転先と浜再生に関する意見交換会も同時進行的に開かれている。いわば雄勝支所・大学アドバイザー・土木コンサルタントが揃い踏みした“高台移転三位一体体制”が形成され、その総仕上げ(総決起)として8月19日の集会が開かれたのである。

集会に参加したウオッチャーから送られてきた当日の資料やメールによれば、集会は3部構成で、第1部が東北大・日本大・東京芸大3大学の学生による「雄勝の未来を語ろう」、第2部が雄勝支所の「雄勝の復興計画について」の報告、第3部が「意見交換会」だった。問題は内容もさることながら、その時間配分の異様さだ。全体で170分のうち実に第1部に76分が割かれ、肝心の第2部は僅か42分、第3部は52分だった。そして第3部における被災者や住民の質問や発言は、「時間がないので」という司会者の制止の声で再三再四遮られ、打ち切られたという。

この集会の目玉は、言うまでもなく第2部の雄勝支所による復興計画の説明であり、それに対する被災者や住民の質疑や意見交換であったはずだ。第2部の見出しだけを取り出してみても、(1)各地区ごとの(高台移転)意向調査結果について、(2)各地区高台移転候補地及び工事工程(案)について、(3)雄勝手帳(案)について、(4)雄勝地区中心部等復興計画(案)について、(5)災害廃棄物処理状況についてなど、どれもこれも揺るがせにできない重要案件がズラリと並んでいる。これを僅か42分で終わらせたのだから、単純計算をすると1題8分24秒となり、ほとんど説明らしい説明が行われていないといってもよい。

 第2部の内容そのものについては次回に詳しく検討するが、その前にこの集会の持ち方や運営方法に関して私と同様の疑問を感じたジャーナリストに松舘忠樹氏(元NHK社会部記者、仙台在住)がいる。松館氏は東日本大震災発生時から自分の足で被災地をくまなく歩き、被災者の目線に立った優れた被災地レポートを発信し続けている気骨のあるジャーナリストだ。氏のブログ『震災日誌in仙台』(8月19日)には次のような一節がある。少し長くなるが、本質を突いた指摘なので再掲をお許しいただきたいと思う

「実はこの日の議事次第は別の項目からスタートした。冒頭、行政側が復興計画についてのアドバイスを委託した東京芸術大学をはじめ、東北大学日本大学の研究者や学生諸君が次々に壇上に登場した。彼らは自らが考えたという地区ごとの復興プランを実に1時間30分にわたって発表した。例えば、ある漁業集落についてはどの家も地域の伝統的な建築様式を取り入れ縁側を設ける。さらに地域の結び付きを大事にしてそれぞれの家の縁側が向かい合うように配置を考える。道の駅ならぬ海の駅を作ったり、廃校となった小学校の校舎を滞在型観光の拠点として役立てるといったアイデアなどを発表した。中には夢の感じられるプランもあった。彼らが真面目にフィールドワークをし、真剣に考えたことを否定はしない。」

「しかし、冗長だった。学生諸君の”夏休みの自由研究発表”に付きあわされているのではと閉口したのは筆者だけだろうか。会場から「早く本題の議論を!」という声がでたのも当然だ。終了後住民たち数人に感想を聞いた。「夢のある計画で実現すればうれしい」、「研究は自由、だけど将来像を考えるのは私たち住民」、住民たちの意見は半ばした。」

「勿論、問題は別のところにある。地域社会のあり様を考えるのは住民自身である。地域再生の主役は住民なのだ。震災から1年5か月。行政側はこれまで住民の代表も交えた「雄勝地区震災復興まちづくり協議会」を13回にわたって開催してきたという。そこでは、こうした自分たちの地域の未来像を考える議論は重ねられなかったのだろうか? 例えば、小学校校舎を観光拠点に活用するといった発想は、住民の間から生まれてこそ実りのある地域おこしにつながるのだ。」

「行政が住民とともに考えるという方向を模索した形跡はない。住民が自らのあり様を考える途を行政側が閉ざしたとすれば、それは住民自治の放棄に他ならない。住民が担うべき重要な権能を安易に外部機関に委託するのも同じく、住民自治の放棄と言わざるをえない。重ねて言う。調査に参加して雄勝が好きになったという学生たちに非はない。ただ研究者の卵である彼らにあえて言っておきたい。住民は決して研究対象ではない。研究者の使命は住民たちの声にじっくり耳を傾け、彼らに寄り添うことだ。」(つづく)