経営計画の裏付けのない「雄勝中心部計画」は単なるデザイン・スケッチにすぎない、経営主体もわからない「津波避難モール」計画は“砂上の楼閣“なのだ、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編16)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その67)

雄勝中心部における跡地開発計画の中核施設は、津波浸水地域に計画された「スポーツ公園」(サッカー場、テニスコート、野球場など)、雄勝湾の景観を活かした「親水公園」、そして「津波避難モール」という名の「海の駅」を含む複合商業施設である。公園施設の計画はまだ出来上がっていないようだが、「津波避難モール」についてはアーキエイドのヨコミゾマコト氏と東北大学都市・建築学専攻の連名による簡単な設計図面(配置図、平面図、面積表など)が、2012年1月10日時点ですでに出来上がっている。

またこの他にも、スポーツ公園の規模や位置が異なり、親水公園ならぬ「メモリアル公園」が計画されている『雄勝地区中心部支所構想図』(2012年3月16日)というゾーニング計画も存在する。こちらの方は「関係機関との調整が済んでおりません」という但し書きがつけられているので、この種の構想図が複数案つくられ(住民協議は全くないままに)関係機関との調整が行われていたと推測される。

ヨコミゾ・東北大学の共同プロジェクトである「津波避難モール」プランは、海の家(レストラン・店舗)、商店街・食品加工施設、伝統工芸会館などからなる5棟の施設で構成され、施設群が一体的な屋根で覆われる構造になっている。規模は床面積3150平方メートル、建築面積(屋根面積)8500平方メートルというのだから、宅地造成も含めて総工費10億円近い大プロジェクト計画だと考えてよい。

津波災害地域の復興施設だということで(予算を取りやすいとの思惑から)「津波避難モール」という奇妙キテレツな名称になったらしいが、しかし最大の問題はそれが本当に実現可能なプランなのか、つまり施設経営が成り立つかどうかということだろう。たとえ計画が実現して施設が建設されたとしても経営的にペイしなければ、過疎地域の類似施設のように早晩閉鎖されて空き家になる他はないからである。

通常この種のプロジェクト計画が提案される場合、当然のことながら施設(建築)計画の前提となる施設利用者数見込みや収支予測など経営上の裏付け資料が要求される。民間企業が進出する場合、多額の費用を投じて徹底的な「マーケティング調査」(需要予測)が行われるように、およそ経営計画をともなわないプロジェクト計画の提案などあり得ない。だが、アーキエイドの「津波避難モール」計画には、信じられないことだが、経営収支はおろか経営主体に関しても何の記載もない。雄勝中心部の“復興のコア”になる施設の経営主体が、石巻市なのか、民間企業なのか、それとも非営利企業なのかが全く分からないのである。

アーキエイドのホームページによれば、雄勝中心部の復興計画は、「東北大学4年生の設計課題として、スタジオマスターのヨコミゾマコトとそれを支援した東北大の堀口徹、菅原麻衣子らによって展開されたプロジェクト」だとある。そうであるとするなら、経営計画の検討などを必要としない学生の設計課題をあたかも津波浸水跡地の復興計画案として住民・被災者の前に出すなど、まるで「騙し絵」のようなものではないか。

それに「津波避難モール」プランは、たとえ学生の建築設計課題だとしても恐ろしく問題が多い(多すぎる)。まず「海の駅」という名称は「道の駅」のアナロジーであろうが、「海の駅」と「道の駅」は施設の性格も立地条件も全く違う。「海の駅」は、主としてレジャーボートの停泊地やヨットハーバーなどマリンスポーツ・マリンレジャーの拠点施設であり、これに海鮮市場、温泉、宿泊設備などが加わった大型レジャー施設である。だから立地場所は大都市周辺に集中しており、既存施設は東北地方においては皆無といってよい(調べればわかる)。雄勝中心部がそれにふさわしい立地条件を有しているかどうかは、子ども(学生)でもわかることだ。

それでは「道の駅」はどうか。全国で千カ所近くある「道の駅」を調べてみると、その全ては国土幹線道路沿いにつくられている。つまり交通量が非常に多い幹線道路沿いでなければそもそも成り立たない施設なのだ。高速道路の整備にともない国土幹線道路の交通量が増えるに従って道路利用者が高齢者や子ども連れの家族にも広がり、短時間しか休憩できないような従来のトイレと簡易飲食店だけのサービスエリアだけでは対応できなくなった。そこで一定時間滞在できる地元産品の売り出しもかねた物産販売店やレストランが設けられるようになり、その周辺地域の豊かな自然環境や歴史文化など観光資源情報をPRする展示スペース(記念館など)も付け加えられるようになったのである。

雄勝中心部は、牡鹿半島突端部に近い場所に位置するいわば「行き止まり」とも言ってもよい場所にある。国土幹線道路からは遠く離れているし、地方主要道の中継地点でもない。そもそも大量の通過交通が発生するような場所ではないのである。そこに何処でもあるような「道の駅」をつくっても結果は目に見えている。国土交通省農林水産省などの国庫補助金でつくられた類似施設が、いま全国各地で「残骸」を曝しているのが目に入らないのであろうか。また原発電源交付金を使って建てられた隣接地域の各種公園や観光施設が、実質的に「空地・空家化」しているのがわからないのであろうか。

過疎地域の地域経済を支える(支えている)のは、外来者を当てにした観光施設でもなければレジャー施設でもない。そこに住み、日々の生活を営んでいる地域住民の生活なのだ。小なりといえどもそこでの住民の生業と消費生活が地域経済の基礎を支えているのであり、地域社会を維持しているのである。とすれば、雄勝地区の7割以上、雄勝中心部の8割以上の住民を他地域に転出させる(追い出す)「雄勝地区震災復興まちづくり計画」がどれほど悲惨な結果をもたらすかは容易にわかることだ。(つづく)