いまからでも決して遅くない、「雄勝中心部計画=ゴーストタウン計画」を破棄して抜本的に復興計画を見直すべきだ、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編17)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その68)

この「番外編」を閉じるにあたって、いま一度、松舘忠樹氏(元NHK社会部記者)の『震災日誌in仙台』(8月19日)を引用したい。8月19日当日の雄勝未来会議の様子を伝えた氏の日記には、前半はあくまでも高台移転計画を強行しようとする雄勝支所の方針に抗しきれないという厳しい現実、後半はそれでもなお本来の復興まちづくりのあり方を追求しようとする動きが紹介されている。

住民の大半が戻らないという衝撃的な調査結果を伝えた前半では、「雄勝の中心部の復興は一向に進まない。総合支所や伝統産業会館などの公共施設は撤去作業が行われないまま、今も残骸をさらす。このままでは、雄勝のまちが消えてしまう。こうした恐れは住民が誰しも漠然と感じてきた。それを現実のものにしたデータが公表されても、会場からは驚きの声が聞こえなかった。残念ながらこれもうなずける。やはり、そうだったかと皆さん受け止めたようだ」という会場の光景が紹介されている。

これは、どう言っても被災者の声に耳を傾けようとしない市当局や雄勝支所の強硬な態度に対して、もはや住民の多くが発言(異議申し立て)する気力すら失い、故郷を去る他はないと諦めている様子を記したものだ。いわば「お上の意向には逆らえない」、「成り行きまかせ」、「言うだけ無駄」といった前近代的意識が、いまなお圧倒的多数の住民を支配している状況をリアルに描写したものだ。

しかしながら後半では、「住民たちはこのままでは雄勝のまちが消えていくことを恐れている。一旦区域外に移ると回答した住民も、これなら喜んで帰ってくるようなまちづくり。行政には今このことが求められている。残念ながら、この日具体策は何ら示されなかった。雄勝の将来像は依然として描けないままだ。ただ、時間はまだある。行政側が明らかにした工程案では、移転候補地の造成が終わるのは早くても来年度中。住宅の建設つまり新しいまちづくりが始まるのは早くても2年後だ。どんなまちづくりを進めるべきか、住民の側から問題提起していきたい。阿部さん、石井さんはそろってこう話した。住民自治を取り戻すための模索は続く」との希望で結んでいる。
私はこの松館氏の言葉や文中に紹介されているごく少数の「雄勝を考える会」のメンバー、阿部氏や石井氏の発言のなかにこれからの雄勝地区復興まちづくりの限りない“未来”の力を感じる。「復興ファッシズム」ともいうべき住民無視の復興計画を強要されても諦めず、いまなお正々堂々と主張を述べる少数派が住民のなかに存在していることに対して、松館氏と同様、強い共感を覚えるのである。 
振り返って言うと、石巻市の「雄勝地区震災復興まちづくり計画」は残念ながら“全国最悪”の事例であることはまず間違いない。それは、(1)土建国家の復活を目論む国交省の方針を丸呑みした宮城県知事や土木部の意向に沿って、(2)石巻市が建設部を中心に「復興計画=土木事業計画=高台移転計画」を立案し、(3)津波災害を受けた従前居住地を「災害危険区域=建築規制区域」に機械的に指定することによって、(4)家も財産も失った被災者に「高台移転かそれとも転出か」を迫る“二者択一”のファッシズム的復興計画だったのである。

加えて悲劇的だったのは、(5)「復興計画」が広域合併によって「故郷をまもる」という使命感を失った雄勝支所職員によって強引に推進され、(6)復興計画を建築デザインの実験場あるいはビジネスチャンスと捉えた「アーキエイド」(東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク)のメンバーが「復興計画」に加担し、(7)代表資格のない外部公募委員を「雄勝地区震災復興まちづくり協議会」メンバーに起用することによって住民・被災者の意思とかかわりなく「復興計画=高台移転計画」を方向づけし、(8)それらの後方にいた土木系コンサルタント(最近20億円もの復興コンサルタント料契約を結んだ)の手によって実施計画が作成されつつあることだ。

その結果、(9)石巻市が総力を挙げた雄勝支所の高台移転計画はわずか3割弱の被災者の賛成しか得られず、(10)残りの7割強の住民はすべて雄勝地区を離れることになり、(11)なかでも雄勝地区の“心臓部”ともいうべき中心部がほぼ全域にわたって住宅禁止区域に指定されたために、9割近い住民・被災者が故郷を捨てる破目に追い込まれたのである。

だが、事態の深刻さが表面化するのはこれからだ。住宅建築が禁止された雄勝中心部の跡地利用計画は何ひとつ見通しが立たず、予算がつくかどうかも全くわからない五里霧中の状態だからだ。おそらく前回指摘したような跡地利用計画の杜撰さからして現状のまま放置される公算が大であり、今後雄勝中心部は雑草の茂る空地・荒廃地へと急速に変貌していくだろう。周辺部から衰退していく地域に比較して中心部から腐る地域の荒廃速度は早い。雄勝地区はまさにその“最悪コース・最短コース”の道を歩んでいるのであって、これほどの酷い事例を見つけることは全国的にも難しいといわなければならない。

だが逆説的に言えば、“最悪事例”であるからこそ「逆転も可能」だと言いうるのではないか。中途半端な事例であれば、計画を破棄したり変更したりすることは容易でないが、しかし「100%間違っている」と言えるほどの事例であれば、誰が見ても「おかしい」と気付くのはそれほど難しくないからだ。

この「復興計画」の適否を審査する復興庁や国交省の担当官に是非とも訴えたい。もしこの計画が万が一認められるようなことがあれば、阪神大震災における「長田地区再開発計画」と同じく、後世に残る“失敗例ナンバーワン”にノミネートされることは確実だ。その不名誉に加担したくないのであれば、「雄勝中心部計画=ゴーストタウン計画」を破棄して抜本的にまちづくりを見直す他はないのである。

以上を以て、長々と続けてきた「番外編」を一応終わることにしたい。だが、もし雄勝地区の「復興計画」に異変が生じた場合は、いつでも「続番外編」を書く準備をしている。今後とも読者の皆さまからの有益な情報を期待したい。なお、この日記の連載中に「雄勝出身者」という匿名氏から何回もコメントをいただいた。私は内容に妥当性があれば、匿名如何にかかわらず掲載することにしているが、雄勝出身者のコメントは具体的な事実関係を示さないで「現地の事情も分からないで煽るようなことは書くな」とか、「特定の情報源に偏った憶測は止めろ」といった趣旨のものだったので掲載しなかった。しかし無視されるよりはコメントをいただく方が嬉しい。匿名氏には今後も引き続き批判をいただきたい。(つづく)