“開発幻想”から脱しきれない川内村災害復興ビジョン、“帰村宣言”は現実のものとなり得るか(6)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その22)、震災1周年の東北地方を訪ねて(92)

川内村の視察や研修に訪れる全国の自治体は相当多いらしく、私が訪れた直前にも鹿児島県から薩摩川内市川内原発の立地自治体)の職員が研修に来ていた。川内村がそのときにつくった研修資料・『福島第一原子力発電所事故に伴う川内村の状況と避難・帰村の経緯』(30頁、2012年11月)は全体状況がよくわかる好資料であり、副村長から参考資料として頂いた。

この資料には、人口・産業・土地利用など村の基礎データが最近に至るまで整理され、避難の経緯や帰村宣言の趣旨、放射能汚染状況(放射線量マップ)と除染作業の計画日程、新しい村づくりと復興への課題などが手際よく編集されている。また「総合計画及び復興計画の策定について」の項目には、2012年度中に第四次総合計画と復興計画の策定作業が目下進行中であり、2013年3月の定例議会には提出予定とある。

川内村は、1889(明治22)年4月の町村制施行により上川内村と下川内村が合併して誕生した小さな山村だ。しかしそれ以来、今日に至るまで120年有余にわたって一度も合併することなく、戦後の昭和大合併や平成大合併もやり過ごして独自の路線を歩んできた稀有の自治体なのである。その時々の村政の羅針盤になったのが、3回にわたって策定された10年単位の「川内村総合計画」だった。

これらの総合計画は、「川内村総合計画」(1983〜1992年)、「第二次川内村総合計画」(1993〜2002年)、「第三次川内村総合計画」(2003〜2012年)として受け継がれ、並行して1989年度には「山林都市「川内高原」開発構想」も策定されている。3次にわたる総合計画の基本理念は、「快適で住みよい緑豊かな活力のある村、山林都市「川内高原」の創造」であり、美しい自然と豊かな森林資源、特に公有林を有効に活用する今後50年から100年先を見据えた遠大な構想となっている。

だが「第三次総合計画」が終わる直前に原発事故が村を襲った。すべてを「ゼロ」からやり直さなければならない緊急事態の下で、川内村が取りあえずまとめたのは『川内村災害復興支援ビジョン(案)』(2011年6月)およびそれにもとづく『川内村災害復興ビジョン』(2011年9月)である。この復興ビジョンはいわゆる復興計画そのものではなく、計画策定のための準備作業であり、そのために必要な各分野の復興支援策のラフスケッチを試みたものだ。

しかし復興ビジョンをまとめるに当たって行われた世帯アンケート調査(2011年6月)のなかには、「問19、今後の原子力発電所についてどのように考えますか」とか「問24、川内村を復興させるためには大規模な開発が必要と思われますか」といった相変わらずの従来型質問も含まれていた。原発災害によって存亡の危機に直面しているにもかかわらず、この段階では村自身がいまだ「脱原発」の方向性を見出せず、また復興の方策に関しても「大規模開発」への幻想を捨て切れないなど、混乱の極みにあったのである。

 ちなみに、原発の是非(問19)に対する住民(避難世帯)の回答は、「原子力発電所を廃止すべき」461(65.7%)、「安全性を十分に満たせば稼働させてもよい」187(26.6%)、「原子力発電所を活用すべき」28(4.0%)、無回答10(1.4%)というものであり、避難世帯の間においても原発肯定意見がなお1/3近くに達するという驚くべき意識状況にあった。このアンケート結果は、「原発漬け」になってきた原発周辺自治体(双葉郡など)が麻薬中毒のような原発依存から抜け出すのが行政にとっても住民にとっても至難の業であることを示すものだ。

 また大規模開発の必要性(問24)に関する回答については、「必要」509(72.5%)、「必要でない」118(16.8%)、無回答75(10.7%)との内訳にみられるように、こちらの方は“巨大開発願望”が圧倒的だ。その中身も(複数回答)「川内村の枠を超えた双葉郡全体の総合的開発」318(62.5%)、「人口増加のための村有地の宅地造成開発」288(56.6%)、「原発関連の研究機関・監視機関等の誘致」189(37.1%)、「原発災害総合病院の設置」181(35.6%)、「教育水準向上のための教育機関の設置」102(20.0%)、「大規模スポーツ施設等の設置」56(11.0%)など多岐にわたっている。

勿論、この回答の選択肢は行政(あるいは調査設計を依頼された民間コンサルタント)が用意したものだから、村役場のなかにも同様の開発路線を志向する空気が充満しているのだろう。高度成長時代に全国を吹き荒れた“地域開発幻想”がポスト成長時代になっても開発機会に恵まれない小規模自治体(行政と住民の双方)に取りつき、広野町のような原発事故(ピンチ)を「開発チャンス」と考える自治体が後を絶たないのである。

その結果、住民アンケート調査の意向を反映させたとする『川内村災害復興ビジョン』には、産業振興と雇用の場に関するビジョン工程表の「半年後からの施策」として、“地産地消”(農業・畜産業、土木建築業など)を含めた「雇用の場」の確保がトップに掲げられているものの、その他は全て開発関連の復興プロジェクトとなっている。以下はそのリストである。

①第一原子力発電所廃炉に伴う労働力の供給源的役割
②災害がれき等を撤去するための労働への従事、災害復旧企業の誘致
放射能汚染除去や放射線量を監視するための企業の誘致
ベッドタウン化による住宅建設促進による労働の場の確保
⑤既存の観光資源の活用と新たな観光事業の開発
⑥エコエネルギーを活用した産業育成による雇用のか確保
自然エネルギーを取り入れた住宅建設による雇用の確保
⑧各種企業の情報データを保存する設備機関の誘致
放射性物質の研究研修機関の新設
⑩広域的な廃棄物処理施設の整備(災害廃棄物処理を含む)

原発事故発生直後の緊急事態の最中に「半年後からの施策」としてこのような開発プロジェクトをリストアップすることなど正気の沙汰とは思われないが、それでも“復興ビジョン”として発表されるとなるとその影響は大きい。『川内村災害復興ビジョン』が(行政の)「自作自演のシナリオ」とはいえ、それが村民(避難者)の意識や感情を一定程度反映している限り、その現実可能性はさておき、その後の復興のあり方を方向づける可能性を否定しきれないからだ。(つづく)