大都市交通には役割(機能)が質的に異なった“線交通”と“面交通“の2つの交通がある、大阪府・大阪市に従属する堺市のまちづくりはこれまで“線交通”の視点しかなかった、堺市の都市構造の歪み(1)、堺市長選の分析(その9)、改憲勢力に如何に立ち向かうか(39)

 堺市の都市計画・まちづくりの構造的な欠陥は、「大阪市から自立できなかったことだ」とこれまで繰り返し述べてきた。その象徴が堺市内の交通網の歪みである。このことは堺市当局も気付いていたらしく、堺市建築都市局(鉄道整備室)は、『自治大阪』(大阪府市町村振興協会発行、2008年8月号)のコラムのなかで次のように述べている。

 「本市には、南海本線阪堺線、南海高野線、JR阪和線、地下鉄御堂筋線泉北高速鉄道の6つの鉄軌道があり、その全てが大阪市堺市を結ぶ南北方向が主体となっています。また、大阪市堺市の移動は鉄道が約6割を占めていますが、堺市内の鉄道による移動はわずか5%程度となっています。このように本市では、大阪都心部を中心とした都市構造が形成されており、堺市独自の都市圏形成に資する東西方向の鉄軌道整備が課題となっています」

 関西は「私鉄王国」だといわれる。阪神、阪急、南海、京阪、近鉄の5大私鉄網が大阪大都市圏をくまなくカバーする形で整備され、最近では民営化されたJRがそれに加わった。大阪市を中心とする鉄道網はいまや世界でも屈指の広域交通ネットワークに成長し、それによって道路交通の渋滞による交通マヒや環境汚染が著しく軽減されていることは実に喜ばしいことだ。このように、ある地点から別の地点へできるだけ短時間に大量の人・物を輸送する交通を“線交通“といい、高速鉄道網がその代表的存在である。

 と同時に、比類のない関西の鉄道網が大阪市(都心)への求心性を一段と加速し、周辺自治体を「大阪の衛星都市」の位置に従属させてきたことについても留意しなければならないだろう。確かにこれら周辺自治体では鉄道沿線に急速な開発が進み、都市の骨格が鉄道網を軸にして形成され、そのことが都市の利便性を高め、人口を引き寄せて地域の活性化に寄与してきたことは疑いない。

 だがその一方で、衛星都市化によって堺市のように鉄道網が偏在してバランスのとれた地域発展が妨げられ、そのことが「成熟したまちづくり」のネックになっているケースも多々見られるようになってきている。都市の魅力を支える要素はただ「利便性」が満たされればよいのではなく、「歴史・文化」や「環境」などの“地域アメニティ”、そして地域(歴史・文化・環境)に根付いた地場産業・地域産業が住民に重視されるようになってくると、便利だけしか取り柄のないような都市は次第に見捨てられるようになっていくのである。これを「足による投票」(魅力のない都市から住民が引っ越す現象)という。

 前々回の日記で紹介した衛星都市化の指標として、「大阪市への15歳以上の通勤・通学者の割合」を挙げた。堺市の比率は25.1%である。それでは(歴史は違うが)同じ政令指定都市である神戸市と京都市はどうか。神戸市はわずか7.8%、京都市はもっと少ない3.5%である。大阪市と神戸市・京都市との間は、快速であれば30分以内という至近距離にある。それでいながら、なぜかくも神戸市と京都市から大阪市への通勤・通学人口が少ないのか。答えは神戸市と京都市大阪市の衛星都市ではなく“自立した都市”だからだ。

 衛星都市化とは、単なる通勤・通学人口が多いということを意味するだけではない。仕事と学校はもとより日常生活上の買物や娯楽・観劇などまでが中心都市(大阪市)に依存し、地元を尊重しない(顧みない)気風が市民・住民のなかに蔓延していくことだ。自分の住んでいる自治体に愛着や誇りを持てない、自分の日常生活の大半を中心都市(大阪市)で過ごす、こんな堺市民が増えていけば「堺の自治」は内部から崩壊する。

 いままさしく、堺市は「大阪市の通勤・通学都市」(“線交通”だけの都市)で終わるのか、それとも“自立した魅力のあるまちづくり”を進めるかの岐路に立っている。そしてそのまちづくり哲学(コンセプト)を支える重要なツールが“面交通”の充実である。“面交通”とは、地域や都市のなかでブラウン運動的に発生する「ぶらぶら交通」のことである。病院に行った帰りに買物をして、そこで落ち合った友達とお茶を飲み、お喋りをしてから帰途につく。休日には公園で散策してスポーツ公園で汗を流し、近くの商店街に立ち寄って一杯飲み屋で時間を過ごすといった「多目的型シティライフ」に対応する交通である。

 神戸や京都では「歩くまち」が都市観光のキーワードなっている。「歩く」とは、「ぶらぶら歩きのできる魅力あるまち」をつくるということだ。1日乗車券を買って好きな時に好きな場所に行き、ゆったりとした都市の魅力を満喫するということだ。こんな“面交通”に柔軟に対応できる交通手段はいったい何なのか。こじれにこじれた堺の「LRT構想」はもう一度原点に返って考え直した方がよさそうだ。(つづく)