制度の欠陥でもない、選考の不十分さでもない、それは人事を私物化(私兵化)しようとする橋下大阪市政の必然的結果なのだ、“類が類(友)を呼ぶ”相次ぐ民間人公募区長・民間人公募校長の不祥事件、そして大阪府教育長人事、堺市長選の分析(その16)、改憲勢力に如何に立ち向かうか(46)

 堺市長選が中盤戦に入ったこのところ、大阪維新の会は新聞各紙(大阪本社版)を毎朝広げるのが怖いのではないか。“台風一過”でツイッター事件が少し収まり始めた9月19日、今度は大阪府教委の中原教育長が「公務に対する府民の信頼を維持する」ことを目的として、入学式や卒業式での君が代斉唱の際の校長・准校長の職務として、「教職員の起立と斉唱をそれぞれ現認する。目視で教頭や事務長が行う」と明記した通知文を、9月4日付で全府立高校138校に出し、結果を文書で報告するよう求めたことが発覚した。

 中原教育長と言えば、橋下大阪府知事(当時)の盟友として2010年4月に府立高校に最初の民間人校長として登用され(公募ではない)、2011年6月の「教職員に君が代の起立斉唱を義務付ける条例」の制定後、2012年3月の卒業式で教員が実際に君が代を歌っているかどうか口元の動きを教頭にチェック(監視)させ、その結果を橋下知事にメールで報告したという有名な人物である。そしてこの「業績」を認められて今年4月に大阪府教育長に栄転した中原氏が、満を持して準備したのが今回の全府立高校への通知文であり、大阪府下全域に「教育監視体制」を徹底させようとする指示だったのである。

 私が「台風18号メール問題」でブッシュ前大統領のことを思い出したとの同じように、今度の「君が代口元監視通知問題」ではナチス親衛隊のヒムラ―隊長が直ちに頭に浮かんだ。ヒトラーは自らの「私兵」ともいうべきナチス親衛隊をつくり、その統率を腹心のヒムラ―を登用して一任し、親衛隊による監視体制をナチス全体に広げることによって独裁体制を確立していったのである。それと同じようなことを橋下(知事)市長がやろうとしているのではないか、これが私の第一印象だった。

 ところが翌日の9月20日には、産経新聞が1面トップで「公募校長、新たに3人不祥事」「パワハラ・セクハラ・中抜け疑い」「大阪市、11人中6人トラブル」を伝え、翌21日には社会面トップで、「不祥事続き・・・大阪市「11分の6」の衝撃」、「公募校長、手探り状態」などと詳報した。おまけに同一紙面で「セクハラで処分、東成区長が謝罪、大阪市議会」との記事も同時掲載される始末だ。

 朝日新聞も産経に負けじとばかり、9月20日夕刊トップで「大阪市の民間人校長の不祥事・トラブル」を追いかけ、その具体例を次のように列挙した。
(1)「思い描いた職場と違う」と3カ月足らずで辞職。
(2)保護者の尻に触るなどセクハラ行為で減給・更迭。
(3)市教委が行ったかのように保護者らへのアンケート。
(4)「子どもをつくらないの」などと女性に訪ね謝罪。
(5)全国学力調査の日など3回、手続きせず外出。
(6)校長室で教頭と口論になり、最後に教頭が土下座。

 各紙も次々とこの問題を追いかけ、選考方法や面接方法の改善、研修の強化などの各種の「改善策」が出されている。だが、私はこの一連の不祥事は、制度の問題でもなければ選考方法の問題でもないと思う。橋下改革の中でも鳴り物入りの民間人登用の「甘い蜜」に群がった「橋下同質人間」が惹き起した必然的結果であり、“類が類を呼ぶ”事件だと考えている。背景を説明しよう。

 橋下氏は大阪府知事時代、腹心として中原氏を府立高校校長に登用して「教育監視体制」を実現しようとした。いわば「特命人事」である。だがこの方法を余り乱用すると、「人事の私物化」(スポイル・システム)と非難されかねない。そこで大阪市長時代には「公募」という形式で「橋下大好き人間」を大量に登用しようとした。「公募」であるから機会は平等であり、書類選考や面接で選ばれたのであれば文句をつけられないとの目論見だ。

 だが選考や面接は橋下市長の息のかかった部下が行うのであるから、その内実はわからない。結果として「橋下大好き人間=橋下同質人間」が選ばれることは目に見えている。その一群を「橋下腹心集団」に育て上げ、市役所内で自らの専制支配(独裁体制)を実現していこうと考えたのではないか。これはヒトラーの親衛隊構想と同じことだ。

 しかし残念なことに、「橋下大好き人間=橋下同質人間」はあまりにも質が低すぎた。「橋下腹心集団」にするには品質が悪すぎたのである。それは橋下氏自身が慰安婦問題で国民に正体(品質)を見破られたことと同じ現象だろう。“類は類(友)を呼ぶ”のであって、公正で高潔な人材は、「この市長の下では得られない」というべきだろう。

 自治体の首長は、「聖人君子」とまではいかなくても高潔でなければならない。志の高い人間でなければならないのだ。そしてそのことを「身を以て」教えているのが、目下、堺市長選で奮闘している他ならぬ橋下大阪市長なのである。(つづく)