堺市長選において、橋下維新はなぜ14万票(42%)もの大量得票を手にしたのか、強固な“維新支持票”が堺市民のなかに存在する理由、堺市長選の分析(その25)、改憲勢力に如何に立ち向かうか(55)

 選挙後、各紙を2日にわたって詳しく読んでみたが、どれもこれもが“維新批判”の論調で埋め尽くされていて、いささか食傷気味の感じを受けた。まったく「その通り!」と言う他はないのだが、マスメディアの大半が「大阪維新の会」「日本維新の会」の結党以来、これまで(最近まで)橋下維新を天まで持ち上げてきたことを考えると、素直に頷く(うなづく)気になれないのである。「本当にそう思って書いているのか?」とつい疑ってしまう。

 堺市長選までは「橋下礼賛記事」が売れた、市長選後は「橋下批判記事」が売れる、だから論調を変えるというのあれば、これはジャーナリズムの本旨に反するだろう。売らんが為の商業ジャーナリズムそのものだ。橋下維新の本質が一夜にして変わるはずがないのに、堺市長選を境に橋下維新に対する評価が180度変わったというのであれば、これまでの論調を徹底的に検証してから出直してほしいと思う。

 とはいえ、マスメディアの論調は一面では世論の反映でもあるので、橋下維新に対する世論の流れが変わればマスメディアの評価も変わらざる得ない。橋下氏の慰安婦・風俗必要発言以来、維新支持率が劇的に低下し、それが東京都議選参院選での維新敗退につながり、今回の堺市長選で止めを刺されたという評価は事実関係そのものであり、いかなる右派ジャーナリズムであってもこれを否定することは難しい。各紙の論調がこれほどまでに揃ったのは、それだけ橋下維新の凋落が決定的であり、もはやそれ以外の評価を下すことが不可能になったからだ。

 ところが不思議なことに、関西とりわけ大阪は橋下維新の“別天地“なのだ(だった)。東京の友人たちからいつも皮肉を込めて揶揄されるのは、「関西では橋下維新と阪神タイガースは不滅」というもの。反論するにはかなり高度な理論を駆使しなければならないので、飲み屋の議論ではたいてい相手方の主張に負けてしまう。それを裏打ちしたのが今年夏の参院選だった。全国的には維新が軒並み落選したにもかかわらず、大阪選挙区では維新候補がなんとトップ当選を果たしたのである。

 この参院選で維新がどれだけの得票率をとったかを大阪府選挙管理委員会のデータで調べてみると、大阪府計28.8%、大阪市29.3%、堺市29.1%、その他31市計28.6%、10町村計28.3%となって、驚くべきことに大都市、衛星都市、地方都市、農山村を問わず、全ての自治体で維新が3割近い得票率を平均して確保している。つまり自治体の規模や性格にかかわりなく、維新がこれだけの得票率を確保しているということは、いかに維新の浸透力が大阪府の隅々にまで及んでいるかを示すものだ。この段階では、橋下維新は大阪の普遍的な“政治現象・社会現象”となっていたのである。

 高度成長にともなう(いまの中国のような)公害問題や住宅問題などあらゆる都市問題が激化した1970年代には、開発行政に反対する激しい住民運動市民運動が起り、その力が全国各地で“革新自治体”を生み出した。大阪でも黒田革新府政をはじめ衛星都市は軒並み革新自治体となり、公害行政や福祉行政などで目覚ましい成果を上げた。それが市民・住民と自治体行政との間に強い連帯意識を生み出し、そこにはかってない固い結びつきが形成された。

 だが、いまは違う。リストラが吹き荒れる自治体行政現場では、市民要求や住民ニーズに応えることが著しく困難だ。だから住民参加・市民参加を表向き標榜しながら、その実は限られた地域有力者が入れ替わり立ち替わり登場し、それに御用学者までが加わった「行政ムラ」ですべての案件が住民不在・市民不在のままで処理される。美辞麗句で飾られた(中身のない)「総合計画」「マスタープラン」「まちづくりビジョン」が性懲りもなく繰り返し策定され、これで「わが町・わが村」の将来発展が約束されるというわけだ。だが実は、そんな上辺だけの行政に住民・市民は「飽き飽き」していたのである。

 私は、橋下維新がかくも大阪一円に広く浸透した最大の原因は、市民・住民の間に積もり積もった“自治体不信、行政不信”に橋下維新が効果的に「火を付けた」からだと考えている。特定の問題に対する不満もさることながら、とにかく自治体全体に対する「漠然とした行政不信」を拭いきれないーー。こんな割り切れない感情を持つ敏感な市民が、橋下維新の熱烈な支持者になったのである。階層的に言えばキチンと税金を納めながら、何の見返りもないと感じている中間層・ミドルクラスが主なサポーターだといえる。

 橋下維新に対する支持の特徴は、一般的には「ふわっとした民意」だといわれる。私もかっては、それが橋下氏一流のデマゴギ―に乗せられた大衆心理だと思っていた。確かにその一面は否定できない。彼の演説を聞いていると、「どこまでが本当で、どこまでがウソか」、はたまた「全てがウソか」がわからなくなるのである。この現象を“ポピュリズム”だと捉え、橋下氏を“ポピュリスト”と規定した政治学者は多い。だが“ポピュリズム政治”がなぜいま市民の心を捉えるのか、それがなぜ橋下維新の支持につながるのかを分析した研究は数えるほどしかない。

 堺市における参院選と市長選の維新得票率を各区で比較してみた。参院選での堺市全体の維新支持率は29%、最高は南区の31%、最低は堺区の27%である。市長選では堺市全体で42%、最高は南区の51%、最低は堺区の37%だ。各区の差を大きいと見るか、小さいと見るかは意見の分かれるところであろうが、次回はその分析をしよう。(つづく)