東日本大震災、橋下維新、憲法96条の3大テーマのなかで何を中心に書けばよいのか、系統的にブログを書くことの悩み、新春雑感(その4)

 私のブログ作法のひとつは、社会的に関心の高いテーマを系統的に分析することだと前回書いた。本来であればテーマごとにブログを書くことも考えられるが、そんなことは時間的にも体力的にも許されないし、また自分の専門分野や能力からみても書ける範囲のことは限られている。いわば時間的制約と能力的制約のなかでブログを書くのだから、時間軸に沿ってその時どきのテーマを限定せざるを得ない。

 そんなことで、最初の頃は自分の関心事(たとえば、政権交代、旧満州ハルビン731部隊遺跡、北朝鮮訪問など)をおもむくままに書いていたのだが、そのうちに幾つかのテーマにしぼるようになった。標題にある東日本大震災、橋下維新、憲法96条がそれである。読者の方のなかにはこの3つのテーマの間にどんな関係があるのか、戸惑われる方も多いことだろう。表面的にはそれぞれが独立したテーマであり、固有の解明すべき問題が多々あるからだ。

 しかし私という個人の内面では、この3つのテーマは互いに切り離せない関係にある。その関係性なるものを掘り下げていくと、人間が尊重される社会をつくりたいと言う強い願望に行きつく。しかしこの願望は単なる希望や思い込みではなく、私の長い人生を通して形作られてきたものだ。旧満州ハルビン市から引き揚げ、大空襲で大阪の夜空が焦げるのを目撃し、戦後の飢餓状態に耐えてきた辛い体験にもとづくものなのである。

 だから、人間の尊厳を保障し、平和と民主主義を希求する日本国憲法は私にとって掛け替えのない存在になった。小学校では教科書に墨を塗って勉強する他はなかったが、中学校になってはじめて『新しい憲法の話』(副読本)に出会った。その時の挿絵にあった「戦争放棄」という坩堝(るつぼ)の絵が忘れられない。坩堝の上から飛行機や戦車・大砲が投げ込まれ、下からピカピカの建物や鉄道が出てくる挿絵である。

 大学で建築学の道を選んだのも、戦災で焼け野原になった都市やまちを何とか復興させたいとの思いからだった。戦後の極度の住宅難は人間性そのものを否定するほどシビアなものだったし、戦後復興と高度成長にともなう深刻な公害問題の発生は住民生活を根底から脅かすものだった。私の都市計画・まちづくり研究への関心は、単なる土木建築的な技術の習得にとどまらず、住宅問題や公害問題を引き起こさずにはおかない政治経済体制に向けられたものだったのである。

 研究生活の半ばで遭遇したのが阪神・淡路大震災だった。阪神・淡路大震災は、私の都市計画・まちづくり研究者としての自負を粉々に打ち砕き、その存在意義(レゾンデ―トル)を根底から問うものだった。そして、その時に思った「こんな大災害は自分の生存中には二度と起こらないだろう」という浅はかな考えを微塵に打ち砕いたのが東日本大震災だった。阪神・淡路大震災の復興まちづくりには駆けつけることが可能であったが、東北はあまりも遠い。こうしてブログを通して東日本大震災の実態を知らせ、東北の復興のあり方を考えることが私の使命になった。

 橋下維新についてはもう言うまでもない。政権移行の混乱に乗じて大阪を乗っ取り、大阪を解体して地方自治・住民自治と大阪のまちを破壊する暴挙を座視することは(大阪の府立高校で学んだ者としては)許されないからだ。大阪は人間の尊厳が最も必要とされる都市であるにもかかわらず、それが橋下維新の手によって逆行させられようとしている。この状態を何としても阻止し、再び府民・市民の手に取り戻したい。これは自分に課した行動綱領であり、アクション・プログラムでもある。

 本題に戻り、今年のブログをどう書くかを考えたい。東日本大震災の復興は予測した如く膠着し、ますます矛盾を深めている。その現状分析は、震災1周年から2年目にかけて調査した経験を踏まえて、経済学者数人との共著を震災3周年までに出版することになっている。『カタストロフィーの経済思想』(仮題)というのがそのタイトルで、出版社は京都の昭和堂だ(すでに再校を終えた)。しかし3月11日が間近に迫っており、かつ脱稿後も事態は急変しているので、近いうちに「震災3周年の東北を訪ねて」シリーズを開始しなければならない。

 ここで問題になるのが、橋下維新とのバッティングだ。今年10月の大阪都構想住民投票を控えて、目下、その前段である府市統合法定協議会での議論が熾烈化し、続く大阪府議会、大阪市議会での賛否がどう転ぶかも目を離せない。おそらくここ数カ月で大阪都構想の成否の行方が判明し、それとともに橋下維新の運命も明らかになるだろうが、そのプロセスを追跡することも疎かにできない。そこでここ当分は橋下維新に集中し、その行方を一応見届けてから東日本大震災の復興問題にシフトすると言う方向で考えたい。ただし「予定はあくまでも予定」だとの前提を付けて。

 「松の内」というのは、正月7日までと15日までの二通りの説があると聞く。本格的に拙ブログを開始するのは、都合のいい後者の方の説を採りたい。読者の皆様、今年もよろしくお願いします。(つづく)