神戸市政の最大の失敗は、宮崎市長が神戸空港計画を断念したことではなく復活させたことであり、笹山・矢田市長が空港建設を引き継いだことだ、阪神・淡路大震災20年を迎えて(その25)

高度成長時代の「輝ける神戸」がポスト成長時代になって「冴えない神戸」になってしまったのはなぜか。ひとつは都市成長が止り、逆に都市収縮が始まっているというのに依然として拡大成長路線を取り続けたこと、もうひとつは市役所一家が市民のまちづくりマインドを尊重せず、官僚的手法で都市計画事業をやり過ぎたことだ。その象徴が神戸空港の建設だった。

最近、震災20年に合わせて出版された矢田前市長の回顧録、『道を切り拓く』(神戸新聞総合出版センター、2015年1月15日刊)を読んだ。政治家の回顧録の中には歴史資料として価値の高いものもあれば、在任中には語れなかった新事実が回顧録の中で明らかにされる場合もある。そんなことを期待して読んでみたが、中身は平凡な「思い出話」でしかなく、さしたる収穫がなかった。「冴えない神戸」を象徴する「冴えない市長」の自叙伝とでも言えようか。

宮崎市長が書いた(といわれる)数々の著書には、「輝ける神戸」をリードしてきた大都市首長としてのそれなりの行政哲学が流れていた。都市開発論、都市経営論、テクノクラート論など、後世の論争を引き起こすに足るだけの宮崎氏の主義主張がそのなかに見出すことが出来たのである。また成功例(これが大部分)も失敗例も書かれており、そのなかには「最大の失敗例」として神戸空港計画を断念したことが挙げられていた。

過日、スカイマークの経営破綻にともなう神戸空港廃港の可能性に言及した拙ブログに対して、「あの時、宮崎市長が神戸空港を断念しなければ、神戸は立派な国際空港都市として成長したのではないか」とのコメントが寄せられた。しかし「歴史にイフがない」と言われるように、当時の物凄い公害問題の存在を抜きにした「後付けの判断」は危険だ。宮崎市長の最大の誤りは神戸空港計画を断念したことではなく、関西空港の決定後に神戸空港を再び持ち出し、「二番煎じの空港」として神戸空港計画を復活させたことだ。さらに、その「最大の誤り」を正す千載一遇の機会を阪神・淡路大震災が与えてくれたにもかかわらず、笹山市長が空港建設に踏み切り、空港整備本部長(当時)だった矢田市長が後継者として空港建設を引き継いだことだ。

矢田氏は、著書の「第5章、阪神・淡路大震災」のなかで神戸空港建設について短く触れ、空港建設反対運動についても若干言及している。しかしその位置付けは全文150頁のなかの僅か20頁(第5章)にすぎず、しかもその中の7頁は被災状況一覧と写真で占められているので、矢田氏自身による文章はたった13頁にすぎない。つまり矢田氏にとっての阪神・淡路大震災は人生の10分の1にも満たない「その程度のもの」でしかなかったのであろう。矢田氏による神戸空港建設の評価は次のようなものだ。

「(阪神・淡路大震災が勃発した)その状況下で、神戸空港は将来のまちに欠かせない都市装置であるとして、笹山市長が2月1日、空港事業の存続を打ち出された。これをめぐって大きな議論が沸き起こった。『空港建設反対、復興に財源を充てろ』の声が高くあり、他方では『百年の計を見ると、今は耐え忍んでも空港建設は粛々と進めるべき』との声があった」
「(空港建設のための)公聴会のあとの選挙で、空港反対を掲げた既成政党のほか新会派も誕生した。空港建設にかかる議論を尽くす趣旨で、市会には特別委員会が設置されていた。建設に向けた手続きには幾多のものがあったが、粛々と進められた。結果、今があるのである」

要するに、矢田氏がここで言っていることは、神戸空港建設には賛否両論の意見があったが、議論も手続きも「粛々と」進められ、「結果、今がある」ということだ。ここには「大事なことはみんなで決めよう」との大義を掲げて展開され、31万筆近い署名を集めた空前の直接請求市民署名運動のことは一言も触れられていないし、神戸空港存続の危機を告げるJAL撤退やスカイマーク経営危機についても素通りしている。「大事なことを市役所一家で決めた」無責任さを感じさせるに十分な歴史資料だろう。

結局、矢田氏が誇らしげに掲げた在任中(3期12年)の業績は、「第6章、市民とともに歩む」のなかの「行財政改革=リストラ」の成果だけだ。市職員(市労連幹部)と当局が一丸となって7千人近い市職員(全職員の3割強)の削減を強行し、財政再建団体の寸前にまで陥った市財政を立て直し、市債残高(借金)を減らしたことを高々と強調しているだけなのである。たしかに膨れ上がった不要不急の外郭団体の整理など必要な改革もあるが、空港建設をはじめ数多くの災害便乗型復興事業のために巨額の起債財源(借金)を投入したことが市財政の破綻を招いたこと、その尻拭いのために市民生活を支える多数の市職員(マンパワー)を犠牲にしたことに関しては全くの頬被りなのである。

ここには矢田氏が「無私利他」が信条だといいながら、市役所一家体制を守るためには市民と市職員の犠牲も厭わない神戸市政の体質が赤裸々に露呈している。「冴えない神戸」の最大の原因は、復興土木事業のために市民の奉仕者である良質の市職員を大量に削減した「ハコモノ」行政にある。(つづく)