都構想住民投票だけでは維新の消長を判断できない、次期「大阪ダブル選挙」が維新の命運を決するだろう、大阪都構想住民投票の意義と課題について(3)、橋下維新の策略と手法を考える(その31)

 拙ブログに対して、前回に倍するコメントをいただいた。それも常連氏だけではなく新参氏からのコメントも相当多かった。ありがたいことだ。それに、いただいたコメントは多様な知見に富んでいる。大阪が都市形成のうえでも社会階層のうえでも、如何に複雑な構造を持つ大都市であるかを教えられた。また数ある大都市の中でも、大阪がひときわ低迷する日本経済のシワヨセを食っている有様もよくわかった。

 これらの多彩な知見は、関係する研究分野たとえば都市社会学や経済地理学さらには私の専攻する都市計画・まちづくりにとっても貴重な示唆に富む。しかし、拙ブログは大阪を「解釈」するためのものではなく「変革」するためのものだから、これ以上「大阪論」に深入りすることは避けたいと思う。そんなことは(コメントの中にもあった)マスメディアに登場する二流三流の評論家に任せておけばよいことだ。

 それでは、論点として深めるべき課題はなにか。それは「ポスト橋下」の維新の動向を見究めることだろう。前回も書いたように、大方のマスメディアは橋下氏が政界から引退すれが大阪維新は瓦解するといった面白半分の情報(いわゆるガセネタ)を流している。でも、私は果たして「そうなのだろうか?」と疑問に思う。維新はそんなに簡単には消滅しないし、大阪政局はこれからもまだまだ混乱が続くと考えるからだ。都構想住民投票という「一難」は去ったが、次の「大阪ダブル選挙」という新たな一難が控えていると思うからだ。

私は、橋下氏は表向き「引退」するかもしれないが、実質的には大阪維新のリーダーである続けると考えている。また府議会・市議会の第1党である維新がそう簡単に崩壊するとも思わない。なぜなら橋下氏や維新は次期「大阪ダブル選挙」に勝利し、依然として大阪の制空権を握り続けることを意図しているからだ。これは私一人の考えではない。大阪事情に詳しい関係者と集団討議した結果、そんな結論に行き着いたのである。

実は、都構想住民投票の熱気がまだ続いている週末の2日間、4回ばかり連続して住民投票後の大阪情勢を議論する機会があった。ひとつは大阪府市OBを含む行政関係者との複数の懇談、もうひとつは都構想の問題点を指摘した学者グループの集まり、そして京都ジャーナリスト9条の会での議論である。その中で話題になったのは、第1が橋下氏の去就、第2が大阪維新の今後についてだった。

第1の点に関しては、橋下氏は住民投票後の記者会見で「政治家はやらない」と言明して引退を表明したが、「橋下氏は2万パーセント引退しない。4万パーセントと言ってもいい」というのが関係者の一致した意見だった。理由は都構想住民投票で維新が70万票近い大量票を確保したこと、マスメディアの中で「橋下待望論」が意識的にかきたてられていること(政治家継続のラブコールが続いている)、大阪府市政への復帰はなくとも国政進出への可能性が取り沙汰されていること、などなどによるものだ。

この点を鋭く指摘したのが映画作家想田和弘氏だろう。想田氏は朝日新聞耕論「『橋下徹』を語ろう」(2015年5月23日)のなかで、「『劇場』は終わっていない」と題して次のように語っている(一部抜粋)。
「投票結果を受けた記者会見は、橋下氏の真骨頂。論理ではなく、人びとの感情を操作することにたけた能力をいかんなく発揮し、『次の出番』につなげました。(略)散り際の美学を愛する日本人の琴線に触れたため、『潔い』とか『すがすがしい』などと受け止められました。(略)しかし、これは政治です。『大阪都構想が実現しなければ大阪は駄目になる』とまで主張していた政治家が、『本当に悔いがない』『幸せな7年半だった』と笑顔で語り、彼の言葉通りならばダメになってしまうはずの大阪を全く心配していないように見えるのはどういうことなのでしょう。結局、住民投票は大阪のためでなく、彼個人のための私的な勝負事にすぎなかったのではないでしょうか」

私も全く同感だ。端的に言えば、橋下氏は(支配階級の一翼としての)権力者になりたいと言う野心のために「私党・維新」をつくって大阪府市政を支配し、彼の大好きな「大勝負」「大戦(おおいくさ)」のために莫大な公金を注ぎ込み(出直し市長選も含めて)、市民を混乱に陥れて翻弄(愚弄)すること快感を覚えるという極め付きの扇動・独裁型人間なのである。そんな人物に大阪府市政のトップリーダーの位置を与えたことは悔やんでも悔やみきれないが、これは既成事実なのだからとにかく受け入れる他はない。だから、都構想住民投票の否決を受けて橋下氏が「引退」表明したことに反対派の府市民は大喜びをしたのである。

しかし冷静に考えて見れば、橋下氏が一旦味わった「権力の旨味」や「操作・支配する喜び」を忘れるはずがないし、手放すはずもない。想田氏が言うように「次の出番」を確保するためには、「ここはいったん引いた方がよい」と計算したに過ぎない。それが橋下氏の真骨頂である「さわやか引退記者会見」の演出となり、彼とともにテレビ番組の視聴率を稼いできた記者たちの「辞めないで!」という「花を添える」懇願の場となったのである。

本来ならすぐに辞めてもおかしくはないのだが、記者会見の翌日、橋下氏は(図々しくも)幹部職員に「任期中は今までどおりにやる」との指示を出し、早速「都構想特別区」にかわる「総合区」の検討を命じた。総合区制度は昨年5月の地方自治法改正で新設されたもので、窓口業務中心の政令市の行政区を「総合区」に衣替えし、予算提案や職員の任命権を持つ特別職の「総合区長」を議会の同意を得て選任できるというもの。自民・公明両党は大阪都構想の対案として総合区設置を掲げていたので、橋下氏は機を逃さず総合区設置協議を両党に持ちかけたと言うわけだ。

だが、僅か半年しか残されていない市長任期中に総合区設置の協議を始めるなど正気の沙汰ではない。維新が単独強行で決めた特別区の区割り案が市民の不安を呼び、それが都構想否決の一大要因になったように、総合区の区割りそのものが最大の「政治マター」になることは明らかなのだから、そこには橋下氏一流の策略が隠されていると見なければならない。ならば、その「隠し玉」とは何か。それは維新が公明党を総合区設置の土俵に巻き込み、都構想反対4派連合を分断して次期「大阪ダブル選挙」の主導権を握るためだと思う。

すでにその予兆は現れている。5月22日開会の大阪市議会本会議で正副議長が選出され、予想に反して大阪維新の会が議長ポストを獲得したことがそれだ。当初、都構想反対派の間では自民党を議長に推すことで話がついていたというが、それが突然公明党の「白紙投票」(創価学会の指示によるとか)の態度豹変で情勢が一変し、維新が議長ポストを占めることになった。まるで絵に描いたような出来事ではないか。公明関係者は「自民への牽制球だ。秋の市長選もあるし『簡単に協力しないよ』ということ。市長に対する『対話の用意がある』との意思表示でもある」と言うが(毎日新聞、2015年5月23日)、これなど次期「大阪ダブル選挙」に向かっての事実上の維新・公明の連係プレーの始まりかもしれない。

さてコメント諸氏はこの事態を如何に判断されるであろうか。私は容易ならぬ事態がまたもや始まったと考えるが、意見をうかがいたい。(つづく)