京都選挙区は2017年衆院選の日本の縮図となった、立憲民主を軸とした新野党共闘は成立するか(2)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その89)

 2017年衆院選に臨んで前原民進党代表が小池東京都知事と共謀し、騙まし討ち的に強行した民進党解体劇は野党共闘の分断という当初の目的を果たしたものの、本命の「民進党解体=希望の党躍進」という肝心の目標は果たせなかった。前原氏は10月27日の両院議員総会で、民進党全体が希望の党へ合流する方針を撤回して代表辞意を表明せざるを得なかったが、即時辞任を否定していることもあって党内の紛糾はいまだ収まる気配がない。

 ところがどうだろう。前原氏の地元・京都選挙区では、旧民進党国会議員が希望の党衆院)と立憲民主党参院)に分裂したにもかかわらず、民進京都府連では表立った分裂騒ぎが起こっていない。民進府連と連合京都は、公示直前に民進を離党して希望の党へ合流した3候補(泉、北神、山井)と無所属・前原氏の「全員当選」を目標に精力的な選挙運動を展開し、小池希望の党代表の側近である1区(嶋村)と5区(井上)の落下傘候補に対してもスタッフを配置して支援を続けてきた(毎日新聞2017年10月21日)。なかでも京都1区での落下傘候の擁立は、穀田共産候補の追い落としにあったことはいうまでもない。

 選挙運動が締め切られる投票日前日の午後8時前、京都3区の政治舞台である伏見大手筋商店街では立候補した政党全ての運動員が勢揃いし、泉氏(希望の党)と森氏(維新の会)は本人自らが最後のお願いに街頭に立って声を嗄らしていた。私はたまたま(帰宅途中に)現場を通りかかったのでしばらく様子を見ていたが、運動員の数と言い、掲げているプラカードの数と言い、泉陣営が他候補を圧倒していたのは一目瞭然だった。また、運動員のほとんどが連合傘下の労働組合員であることも一目でわかった。

連合京都は10月27日、京都市内で定期大会を開いた。その席上、来賓として挨拶に立った前原民進党代表は、衆院選の結果について「全て結果責任であり、申し訳ない」と陳謝した。だが、その一方「安倍1強体制を崩す命題は何ら変わらない。地元組織がしっかりブリッジとなり、協力できる体制作りを急ぐべきだ」と強調することも忘れなかった(毎日新聞2017年10月28日)。何のことはない。前原氏は「民進党希望の党へ合流する方針は正しかったが、選挙では思わしい結果を出せなかったので申し訳ない」と詫びたまでで、民進党を解体して野党共闘を分断した政治責任に関しては何ら触れなかったのだ。

 これを受けて、橋元連合京都会長は「安倍政権が『今のタイミングなら勝てる』と打った選挙で、本来あるべき政策の議論もなかった」と選挙戦を振り返った上で、「今後も共産党との選挙協力はあり得ない」と応じた(毎日新聞同上)。要するに民進府連と連合京都は、民進希望の党と立憲民主に分裂しても両党の「ブリッジ」となって結束し、共産党との共闘は今後あくまでも拒否し続けることを再確認したのである。

 京都選挙区での今回の共産完敗の原因は、こんな民進府連と連合京都を相手にしながらいつまでも選挙協力に拘泥し続けたことにあるのではないか。その象徴的な事例は、2016年衆院補選において共産が京都3区での立候補を取り下げたことだ。宮崎某議員の不倫辞職の責任を取った自民が候補者を取り下げたのは当然だとしても、共産が全国での野党共闘の行方を忖度したのか、「共産との選挙協力は拒否する」と大会決議までした民進府連会長の泉氏を勝手連的に支援するという驚くべき方針を打ち出したのだ。

 この衆院補選は2つの深刻な後遺症となってあらわれた。1つは共産支持者の著しい票離れを招いたことであり、京都3区の衆院補選の投票率は30・12%で、戦後に行われた衆議院補欠選挙の中で過去最低の投票率となった。かくいう私も選挙権を与えられて以来、初めて(積極的に)棄権した1人である。もう1つは民進府連と連合京都に対して、共産は袖にされても付いてくるとの驕りと慢心を与えたことだ。またこの衆院補選は、維新の会が「チャンス」とばかり自民と共産の隙間を狙って京都選挙区に進出する契機にもなった。その結果が今回の衆院選にそのままあらわれたのである。以下、その現象を列挙しよう。

 第1は、台風の影響もあったが京都選挙区では投票率が戦後最低の50・90%に落ち込んだことである。今回の衆院選は全国的にも投票率が低く53・68%にとどまったが、それでも戦後最低だった2014年衆院選の52・66%よりもわずかに上回った。だが、京都選挙区では投票率の低下が止まらず(前回は50・99%)、今回も戦後最低を更新し続けている状況だ。有権者が政治離れしている原因の1つに、上記のような不透明な政党関係が横たわっていることは間違いない。

 第2は、前原氏及び希望の党に走った民進前職3人のうちの2人、計3人が低投票率と連合京都の組織力に助けられて小選挙区で当選したことである。かって投票率が低い選挙では共産と公明が強いと言われたこともあったが、現在は両党とも支持者が高齢化していることもあって事情は全く異なる。共産も公明も支持基盤の弱体にともなって投票率が上がらなければ(無党派層の票を獲得しなければ)当選できない体質に変化しており、投票率の低下は両党の得票数・得票率の低下に直結するようになった。この点、連合京都は組織動員力によって一定数の固定票を確保しており、それが今回のような低投票率では大きな力となったのであろう。

 第3は、京都選挙区が希望の党と維新の会の「落下傘候補」の舞台に利用されたことである。京都3区では維新の会の森候補が僅か16,511票しか得票できず、トップ泉氏とは5万票近い大差がついた。しかし、森氏は泉氏の26・2%(惜敗率)しか得票できなかったにもかかわらず、近畿比例ブロックでは1位にランクされていたために比例代表で当選することになった。これは、松井維新の会代表が京都に何とか維新進出の橋頭保をつくりたいとの政治的意図に基づくもので、森氏は無所属の泡まつ候補(2,509票)を除いて4人中の最下位でありながら当選したのである。

それでも森氏は、この前の衆院補選に出馬していたことから地元有権者とは多少とも馴染みはあった。だが、京都5区の希望の党候補・井上氏に至っては、公示直前に天から舞い降りてきた文字通りの落下傘候補だった。地元有権者の誰も知らない希望の党の候補者が、ある日突然、小池氏と前原氏の密室協議で京都5区の候補者として決まったのである。民進府連と連合京都が、地元とは縁もゆかりもない井上氏を支援したのはそのためだろう。

だが、こんな有権者不在・地元無視の立候補が地元有権者に受け入れられるはずがない。井上氏は、果せるかな19,586票(これでも多い)の得票で5人中4位で落選した。ところが驚くべきことには、地元の誰もが知らない井上氏が近畿比例ブロックでは希望の党の第2位にランクされ、5区トップの本田氏の32・4%(惜敗率)の得票率でありながら希望の党比例代表に当選したのである。

一方、割を食ったのは、お隣の奈良1区の馬渕氏だった。馬渕氏は惜敗率97・2%でありながら、近畿比例ブロックでは第3位にランクされていたため惜敗率32・4%の井上氏の後位に退けられて当選できなかった。小池氏と前原氏の密室協議で決まった小池側近候補が、こんな低得票率ですら「希望の党比例代表」として当選することは選挙の私物化以外の何もでもない。そして割を食って馬渕氏が落選したことは、奈良県有権者の候補者選出権を奪ったばかりか、議会制民主主義の土台である選挙制度を根底から破壊するものになった。

 第4は、共産が京都小選挙区で完敗し、近畿比例ブロックでも穀田氏1人しか当選できなかったことだ。野党共闘が分断され、小選挙区での当選可能性が少なくなった段階で、共産は比例区重視の方針に転換した。しかしその時はすでに遅く、京都選挙区では2014年衆院選比例代表得票数193,596票(得票率18・6%)から、今回は150,232票(14・1%)へほぼ4分の1近い票を失った。

 渡辺共産党京都府委員会委員長は、「今回の結果は、いわば統一戦線の発展をめぐる攻防の一断面と言えます。市民と野党の共闘に大いに確信を深め、同時にその中で党が前進できず、後退したことの自己分析を深めることが何より求められます」と選挙総括会議で述べている(京都民報2017年10月29日)。このことの趣旨は、共産が立憲民主に対して積極的に選挙協力したにもかかわらず、有権者の関心が立憲民主に集中して共産が「ウィンウイン関係」を築けなかったと言うことであろう。

 確かに今回の立憲民主ブームは驚異的だった。だが比例代表得票数でみると、共産が遅れを取ったのは立憲民主だけではなく、希望の党に対しても競り負けたことに気づく。京都選挙区の比例代表得票数は、前回の2014年衆院選では自民310,909票(29・9%)、共産193,596票(18・6%)、維新の党189,471票(18・2%)、民主179,765票(17・3%)、公明116,336票(11・2%)で、共産は第2位だった。それが今回は、自民332,064票(31・2%)、立憲民主192,867票(18・1%)、希望の党151,661票(14・3%)、共産150,232票(14・1%)、公明112,371票(10・6%)、維新の会106,945票(10・1%)となって、共産は第4位に後退したのである。

しかし、民主党を母体にした民進党は立憲民主と希望の党に分裂したにもかかわらず、両党を合わせると比例代表得票数は前回18万票(17・3%)から今回の34・5票(32・4%)へほぼ倍増している。そして、この倍増分の多くは自民から2・1万票、維新から8・3万票、共産から4・3万票をそれぞれ奪ったものであり、独り共産が負けたわけではない。

 このことの意味することは決して小さくない。共産の得票減は立憲民主と希望の党の両側から奪われたものであって、立憲民主の所為だけでもなければ希望の党の所為だけでもない。要するに、志位委員長や小池書記局長が言う如く、共産は「自力不足」で負けたのであって、野党共闘の分断に敗因の全てを求めるのには少し無理がある。

 私が考える共産の敗因は複合的だ。立憲民主に負けたのは、革新勢力が民進党解体の危機を回避するために立憲民主に戦略的投票をしたことで大方の説明がつく。一方、希望の党に負けたのは、共産が疑いもなくポピュリズム政党に対して抵抗力を失っているためだ。ポピュリズム政党である希望の党の小池代表が、マヌーバーとはいえ既成勢力に対する「反権力」を唱えたことは、共産支持者から少なからぬ票を奪ったと思う。なぜなら、共産は安倍政権に対する最も先鋭的な反権力政党であるにもかかわらず、他方では民主集中制の組織原則にもとづく強固な権力政党だとみられているからだ。

 渡辺京都府委員長の「市民と野党の共闘に大いに確信を深め、同時にその中で党が前進できず、後退したことの自己分析を深める」との方針が今後どのような具体的方針となってあらわれるか、私を含め京都選挙区の有権者はみな期待を持って注視している。(つづく)