若者に支持されない政党には未来がない、体質改善できない政党は生物学的法則で淘汰される、立憲民主を軸とした新野党共闘は成立するか(3)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その90)

 前回の拙ブログで、共産党の得票率低下(京都選挙区)の原因は支持者の高齢化による活動力の低下にあると書いた。なぜ、共産の支持者がかくも中高年層に偏っているのか。その理由として、民主集中制に象徴されるような共産の「組織文化」に若者たちが馴染めないからだとも書いた。街頭宣伝している人もビラ配りをしている人もそのほとんどが中高年層で、とにかく若者の姿が見えないのだ。大都市部ではともかく郡部に行くともはや機関紙の配り手がなく、郵送に切り替えているところも出てきているのだという。これは京都だけの現象ではなく、全国に共通するというのだから事態は重大だろう。未来を担う若者たちにソッポ向かれては、政党のこれからの展望が開けないからだ。

 今回の衆院選は、選挙権年齢が「18歳以上」に引き下げられてから初めて実施された総選挙だった。私が各紙の出口調査のなかでとりわけ注目していたのは年代別の政党支持率だ。日経新聞はこの点、選挙前から若者層の投票行動の特徴を「保守」「低投票」とズバリ指摘していた。投票当日の出口調査の結果はまさにその通りになった。
「若年層の特徴の一つが、安倍内閣の支持率が比較的高い点だ。日経が10〜11日に実施した衆院選の序盤情勢調査で、18〜19歳の内閣支持率は52%と不支持率の32%を上回った。不支持率(48%)が支持率(37%)より高い全体平均とは逆の結果となり、支持率が3割台だった40歳代以上の世代と比べて『保守的』だ。(略)低投票意欲も特徴の一つ。日経調査では、今回の衆院選の投票に『行く』と答えたのは18〜19歳で79%。年代別で最も低かった。明るい選挙推進協会が昨年の参院選で実施した調査によると、18〜20歳代の若年層が投票を棄権した理由として最も多く挙げたのが『あまり関心がなかったから』の40.3%。『仕事があったから』などを挙げる人が多かった中高年と比べると政治への関心の低さが鮮明となった」(日経2017年10月19日)
出口調査で18〜19歳の有権者にどの政党を支持するか聞くと、39.9%が自民党と答えた。希望の党が10.7%で続いた。(略)若年層の多くが自民を支持する傾向が浮き彫りになった。年代別に自民の支持率をみると、20代が40.6%と最高だった。次に70歳以上が40.2%と高く、18〜19歳が続いた。40〜60代はいずれも30%台前半だった。立憲民主は60代の17.8%が支持するなど高齢層の支持率が高かった。最も高かったのは60代。70歳以上が16.7%とそれに次いで高かった。10〜30代ではいずれも10%を下回り、高齢層ほど支持を集める傾向が強かった。共産も高齢層のほうが若年層より支持率が高かった」(日経2017年10月22日電子版)

 ちなみに全年代を合わせた政党支持は、自民36.0%(18歳・19歳39.9%、以下同じ)、立憲民主14.0%(7.0%)、希望11.8%(10.7%)、公明5.4%(6.5%)、共産5.3%(3.3%)、維新3.8%(3.9%)、支持政党なし18.8%(24.1%)というもので、もはや若者の保守傾向は明白だろう(同上)。

 この傾向は、18歳選挙権を国政選挙で初めて導入した昨年の2016年参院選ですでに明らかだった。共同通信出口調査に基づいて若者層の政党別投票先を分析した日経新聞は、この段階で若者層の保守化を次のように明確に指摘していた。
 「国政選挙で18〜19歳が初めて投票した今年の参院選では、18〜19歳に比例代表の投票先を聞くと、自民40.0%、民進19.2%、公明10.6%、おおさか維新7.4%、共産7.2%、その他15.3%で、若年層が自民を選ぶ傾向が浮かんだ。自民への投票を年代別に見ると、20歳代43.2%、30歳代40.9%、18、19歳40.0%の順で高く、40歳代以上の各年代はいずれも4割未満だった」(日経2016年7月11日電子版)

 この状況をして「この頃の若いものは!」と言って嘆くことは簡単だ。しかし、戦後の革新運動を担ってきた中高年層の視点から、一方的に若者層を批判することは的外れだろう。長年、学生たちと接してきた私の実感から言えば、現代の若者層の感覚や感性は「限定的指向性」「選択的自発性」とも言える際立った特徴を有している。「限定的指向性」とは特定の社会事象に興味を示す傾向のことであり、「選択的自発性」とは特定の分野で自発性を発揮する傾向のことだ。

 私たちの世代が理想としてきた人間像は、「全面的に発達した社会人」だった。社会のあらゆる事象に関心を持ち、新聞を隈なく読み、政治問題や社会問題をわがことのように考え、自分の意思を集団的(組織的)に表現して社会を動かすことを使命と感じるような人物像が理想とされてきたのである。当時の学生運動のリーダーたちの姿を思い浮かべれば、そのキャラクターはほぼ想像がつく。

 昔人間と比べて、現代の若者が社会的関心や情熱を決して失っているわけではない。災害時のボランティア活動一つを取って見ても、彼・彼女らがどれほど献身的に行動するかは周知の事実だ。ともすれば見落としがちな社会的弱者や少数派の問題に対しても、若者たちのアンテナは鋭くて見逃しはしない。ただ、社会が多様化し複雑化するにつれて問題構造が巨大になり、その全容を把握することが困難になっているだけだ。若者たちは「時と場所」を得れば驚くような主体性と自発性を発揮する。問題は、現在の政党活動がこのような若者たちを引き付ける感性と魅力を失っていることだ。若者の「保守」「低投票」はその証なのである。若者たちは興味と関心があれば投票にも行くし、政治活動にも参加する。そんな機会と場所を政党が提供できていないだけなのである。

 今回の衆院選の結果を共産がどのように考えているか、まだ正式の総括は出されていない。だが、志位委員長が11月1日、特別国会開会にあたって党国会議員団総会で行った挨拶の中にはその趣旨が明確に見てとれる。以下はその一節である(赤旗2017年11月2日)。
 「市民と野党の共闘を前進させながら、いかにして日本共産党の躍進を勝ち取るか。これは、新しい努力と探求が求められる課題であります。総選挙の結果を受けての常任幹部会の声明では、二つの内容での努力と探求を呼びかけました。第一は、日本共産党の綱領、理念、歴史を丸ごと理解していただき、共産党を丸ごと支持してもらえる方を広げる活動を日常的に抜本的に強めることであります。第二は、日本共産党の自力を強めること、すなわち、党員拡大を根幹にした党勢拡大を前進させることであります」

 この挨拶は、共産を「丸ごと」受けてくれるような支持者を増やすこと、党員を拡大することに尽きている。要するに、党の体質改善には触れることなく今まで通りの方針を貫徹することを求めたものだ。だが、共産を「丸ごと」受け入れてくれる若者がどれだけいるだろうか。そのことは、かって隆盛を誇った青年下部組織が壊滅状態に陥っていること一つを取ってみでも明らかだろう。

それともこの挨拶は、民主集中制に象徴される「組織文化」の問題点に言及することもなく、党幹部の定年制もない前近代的組織のままで自力強化が可能とでも考えているのだろうか。なにしろ、中国共産党でさえが70歳定年制を守っているこの時世に、80歳を超える幹部が日本ではいまだ多大な影響力を行使しているのである。 
 だが、いかに科学的社会主義を唱える政党でも「高齢化」という生物学的法則を避けるわけにはいかない。高齢化はいわば「自然科学法則」として組織全体に呵責のない勢いで浸透していくのであり、いかなる科学的社会主義で以てしてもこの自然科学法則を否定することはできない。人口学の推計手法を適用すれば、現在の年齢構成が将来どのような結果を引き起こすかは余りも明白だ。生物学的消滅を避けようとすれば、若者を引き付けるような開かれた組織に向かって抜本的改革に踏み切るほかはないのである。(つづく)