上からの「常幹声明」の徹底討議だけでは選挙総括が一方通行になる、立憲民主を軸とした新野党共闘は成立するか(4)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その91)

 トランプ旋風が東南アジア一帯に吹き荒れる中、もう総選挙のことなど何処かへ吹き飛んでしまったような気がする今日この頃だ。それほど昨今の情勢の移り変わりは早いので今さらとは思うが、それでも周回遅れの話をするのも無駄ではないと思い直して書くことにした。それは共産党の選挙総括のやり方についてである。

 10月22日の投開票が終わって選挙結果が判明した翌日の23日、「総選挙の結果について」と題する共産党中央委員会常任幹部会声明が出された。政党として選挙結果についての声明を出すことは党支持者に対する責務であり、有権者の関心に応えるうえでも必要不可欠な行動だといえる。

 私の周辺でも、民進が選挙直前に希望の党へ合流するという逆流のもとで共産が市民と野党の共闘をぶれずに追求し、共闘勢力の一本化のために全国67の小選挙区で予定候補者を降ろすなどして共闘勢力(特に立憲民主)の議席獲得に貢献したことは高く評価されている。小選挙区で候補者を立てないことは比例区の得票減につながることを百も承知の上で敢えて決断したのだから、共産の行動は大いに称賛されていい。支援を受けた立憲民主からは感謝の言葉はあまり聞こえてこないが、これなどは政党間の信義にもとる態度といってもよく、今後の野党共闘の在り方に影を投げかけるものだ。

 とはいえ、共産にとって比例代表選挙で前回606万票(11・4%)から440万票(7・9%)へ後退したことは痛恨の極みだったに違いない。もともと850万票を目指していたのだから、目標の約半分という結果は言葉を失うほどのショックだったのではないか。常幹声明はその原因を「党の力不足」に求め、「総選挙の教訓と総括は、党内外のみなさんのご意見に真摯に耳を傾け、次の中央委員会総会で行います」と述べている。選挙総括についての本格的な討議はこれから始まるのだろう。

 だが私としては、これに続く11月4日の赤旗主張として出された「『常幹声明』を討議・具体化し、草の根から『集い』を開いて広範な国民と日本の未来を語り合い、強く大きな党づくりへ、11月から前進しよう」との檄文の内容が気になった。檄文の前半は、逆流の中で共産が奮闘したことに確信を持ち、市民と野党の共闘のさらなる発展を呼びかけるもの。後半は、そのための具体的な行動として「共産党をまるごと支持してもらえる人を広げていくための集いを開く」「機関誌拡大を通して党勢拡大を追求する」「世代的継承のため青年、学生、労働者へ働きかける」ことが提起されている。

 この内容は政党としては当然の行動提起であろうが、檄文は組織を元気づけるための「チラシ」のようなもので「選挙総括」とは到底言えない。ところが、檄文の中には「『常幹声明』の討議を通じて、選挙戦の特徴と結果の見方、党が果たした役割などへの理解を深め、次のたたかいへ立ち上がりましょう」といった趣旨のことが繰り返し強調されているので、それがあたかも「選挙総括まがい」のような印象を与えてしまうのだ。

 上部組織が出した「選挙戦の特徴と見方」を下部組織や末端組織が討議(学習)するだけでは、選挙総括としては不十分なのではないか(成立しない)。民主集中制という組織原則は、「民主」が前提にならなければ機能しないものだ。選挙総括は、全国津々浦々で選挙戦をたたかった支持者や地方組織など党内外の声をまず取り上げ、そこでの様々な意見や討論を積み重ねながらでなければ「本音の総括」にはならないだろう。「党内外のみなさんの真摯なご意見」に耳を傾ける前に「常幹声明」を徹底討議してしまっては、個人や地方組織の本音は消えてしまう(消されてしまう)。これでは「民主なき集中」になってしまうのである。 
 常幹声明のいう「党の力不足」とは、この檄文を読む限り目に見える(物理的な)党勢後退と機関紙数の減少を意味しているようだ。なにしろ選挙戦最中の10月に「赤旗読者は全都道府県が日刊紙、日曜版ともに後退しました」とあるのだから、事態が重大な局面にあることは想像できる。しかし本当に重要なのは、政党への幅広い共感と信頼を呼び起こすような「力=政治力」の涵養であって、機関紙拡大はその一面にすぎない。そして本物の政治力の涵養は、自由で闊達な選挙総括の中から生まれるのであって、「常幹声明」を討議するだけの上意下達的な一方通行からは生まれない。

 地元の新聞販売店の店主から聞いた話では、最近引っ越してきた新しいマンションの住民たちはそのほとんどが新聞の定期購読をしないのだという。つい最近も知人の店主が「30戸もあるマンションで新聞を取ってくれたのはたった4軒でっせ!」と嘆いていた。学生たちが新聞を読まなくなったのはかなり以前からだが、最近は大人も読まなくなってきたのだろう。こんなご時世に「1カ月でも3カ月でもいいから置いてください」というだけでは先が見えている。本当の「力=政治力」を付ける方法を真剣に考えるときがやってきたのである。(つづく)