民進党解体の〝戦犯〟前原氏が「後悔ない」「引退考えない」を公言する無責任さ、厚顔無恥さ、立憲民主を軸とした新野党共闘は成立するか(9)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その96)

  不愉快極まる1年だった。この1年は、安倍首相夫妻の森友・加計疑惑などに象徴される国政私物化の横行や居直り、財務省国交省官僚の公文書破棄による事実隠蔽など「安倍1強体制」の下で権力腐敗が加速度的に進行した1年だった。にもかかわらず、政権に返り咲いた安倍首相は2017年12月26日で丸5年を迎えたという。これだけの腐臭をまき散らしながら安倍内閣が長期政権として命脈を保っているのは、ひとえに自公与党が選挙戦で勝利し、野党がその一角も崩せない状態が続いているためだ。

ところが、これまで不可能だと思われていた安倍政権に対する野党共闘が、共産の自共対決路線(単独路線)から野党共闘路線(協力路線)への転換によって2016年参院選の選挙区(1人区)で成立し、2017年総選挙ではその延長線上に野党共闘が本格展開を見る段になっていた。その矢先、前原前民進党代表の手によって野党第1党の民進党が解体され、野党共闘は大きく後退した。漁夫の利を占めたのは安倍政権だった。

前原氏が、神津連合会長の後押しで小池東京都知事とタッグを組み、小池新党を立ち上げるために民進党を解体するという前代未聞の政治的策謀(野党再編)は、文字通り「国家的謀略」とも言える大事件だった。前原氏個人に関して言えば、これほど大それたシナリオを独りで組み立てられるほどのキャパシティもなければ、決断力もない。そこにはおそらく、松下政経塾の人脈に連なる国際的ネットワークの後押しや、首相官邸とのパイプラインなどとも絡んだ見えない支援組織が介在し、その代表役として神津連合会長が動いたと考えるのが自然だろう。いまや、前原氏は安倍長期政権を支える最大の功労者であり、安倍首相の〝影の盟友〟と言ってもいい存在なのだ。

総選挙後、暫く鳴りを潜めていたその前原氏が地元の京都新聞に登場したのは2017年12月17日のこと、独占インタビュー記事が大紙面に掲載された。出る方も出る方なら載せる方も載せる方だと思うが、前原氏が京都政界ではいまだ無視できない影響力を有していること、解体されたはずの民進党のなかで再結集への動きがあること、それに山田知事の5選不出馬宣言で来年4月の京都府知事選に向けての新たな体制作りが始まっていることなど、そこにはさまざまな政治的背景があるのだろう。

京都新聞は地方紙なので全国の読者には目に入らない。前原氏のインタビュー記事を要約して紹介したい。以下はその簡単な抜粋である。

衆院選直前に野党第1党を解党し、小池氏が率いる出来たばかりの希望の党への合流を決めた。「奇襲」とも言われた驚きの決断だったが、結果は自民党の大勝に終わった。
「合流は一発逆転を狙った賭けの要素はあった。政党の出来上がりや結果は残念だったが、支持率が希望の半分に満たなかった民進のままで選挙に突っ込めば、議席を減らすだけに終わった。衆院選で希望は議席が50人ほどだったとはいえ、旧民進系の合計は選挙前より増えた。決断してチャレンジして良かった。後悔はない。」
「駆け引きはあっても、前に進むしかないと思った。小池さんが最も割を食ったが、戦友として新たな政治のかたまりをつくっていきたい。まずは民進と希望が合流し、支援組織の連合が応援できるひとかたまりをつくることが大事だ。」

◇自民と並ぶ政権交代可能な二大政党の実現は遠のいた。自身は無所属で当選後、希望に入ったが、引退は考えなかったか。
「寸分もなかった。厳しい選挙でも応援してくれた人への責任がある。もう一度はい上がり、政権政党の中核で仕事をしたい。再編を焦る時期ではなく、再来年の統一地方選参院選の政治決戦に向け、仲間とともに知恵を出し合いたい。」

◇京都の民進系組織も3分裂となった。来年4月に迫る京都府知事選にはどう関わるか。
「希望には、京都選出の国会議員が4人いるが、これまで同様に民進府連と協力関係を保つ。民進府議団の意向を尊重し、支援体制を組む。」

このインタビュー記事を読むと、「政権政党の中核で仕事をしたい」という自分個人の野望実現のためには、いかなる(周辺の)犠牲をいとわない―という前原氏の懲りない性分が浮かび上がってくる。「後悔はない」「(引退を考えたことは)寸分もなかった」という発言は、強がりでも体裁でもなく「本音」なのだ。そこには、野党第1党の民進党を解党したという自責の念もなければ、その後の希望の党の凋落ぶりや先行き不安についての悩みも見られない。まるで「カエルの面にションベン」といった感じなのである。

こんな恥も節操もない人物に1票を投じている有権者京都市民)はいったいどんな人だろうかと思うが、前原後援会は結構強力で世間の批判にも持ちこたえている。全国各地では、放言、失言、暴言を繰り返す自民党議員が、地元では「先生!」と崇められているような政治構造ができ上がっているが、京都の中でもかって「革新の牙城」と言われた左京区で前原氏が断トツ1位で当選してくるところに、京都の革新勢力の衰えを痛感する。悲しいが、これが現実なのである。

とはいえ、前原氏のノーテンキ発言がそのまま通用するかというと必ずしもそうではない。というよりは、民進解体によって民進京都府連もまた分裂状態に陥り、「お先真っ暗」というのが実情なのだ。前原氏のインタビュー記事と並んで掲載された京都新聞の観測記事には、「京都の民進系3分裂、統一選、難しい進路」との見出しで次のような解説が附されている。
立憲民主党希望の党が12月に入り、国会議員による京都府連を相次いで新設し、京都の民主系は、地方議員が残る民進府連を含めて3分裂した。民進府連幹部は『使命を終えた政党』と解散も示唆し、約50人の地方議員は『立憲民主か、希望か』の選択を迫られそうだが、来年4月の府知事選を前に、表立った離党や移籍は控えている。」
民進府連は、会長の安井勉京都市議が『党支持率が1%ほどの政党で選挙したい人はいない。清算するのが筋だ』と、統一地方選までにめどを付けたい考えだ。ただ、ある地方議員は『野党第1党を壊した〝戦犯〟批判のある前原さんの希望か、連合京都が距離を置く福山さんの率いる立憲民主か、難しい選択だ』と頭を抱え込む。」

だが、前原氏や希望の党が支援を期待する連合もまた分裂状態に陥っている。2017年12月22日の日経新聞は「連合に分裂の足音、民進瓦解で再燃、内部の亀裂 根深く」(読み解きポリティクス)と題して、「日本最大の労働組合ナショナルセンター(全国中央組織)、連合が支持政党を決められないでいる。旧民主党時代を含め約20年間支持してきた民進党が10月の衆院選で分裂し、所属した議員が3つの党に分かれたためだ。憲法や安全保障など幅広い政策で考えい方が異なる議員が同居した民進の構造は、連合そのものにも当てはまる。分裂は対岸の火事ではない」として、次のような指摘をしている。
(1)連合は長年の労組間の分裂と対立を繰り返し、1989年に今の姿にたどり着いた。旧民社党を支持する民間中心の「同盟」、旧社会党を支持する官公労が軸だった「総評」を中心に4団体が大同団結。野党第1党の旧民主の結成を後押しし、政権交代可能な勢力構築に寄与した。
(2)しかし、旧民主党内と同様に、同盟系が保守系を、総評系がリベラル系を支援する寄り合い所帯は今も昔も変わらない。同盟系が「立憲民主は共産党と一体。応援できない」と漏らせば、総評系は「安全保障関連法を容認する希望の党は推せない」と反発。今回の野党の分裂は連合内の亀裂を浮き彫りにした。
(3)次回の参院選では総評系の自治労日教組などを母体とする候補が立憲民主から、他の候補は民進や希望から出馬するシナリオも浮上する。全国を1つの選挙区とする参院比例代表で、連合の組織内候補が複数の政党から出馬すれば、連合の内部組織同士で票を奪い合う構図となるのは必至だ。連合幹部は「産別が異なる党から候補を出せば事実上の連合の分裂に陥る」と話す。

 神津連合会長が立会人として推進した民進解体が、連合の分裂に波及しつつあるのは皮肉(自業自得)というほかないが、「自らまいた種」をどう刈り取るかは困難を極めるだろう。立憲民主が希望の党との連携を拒否している以上、民進が立憲民主と希望を含めた統一会派を結成することは不可能だ。事実、12月に入ってからは蓮舫氏をはじめ民進から立憲民主への国会議員の鞍替えが相次いでいるように、今後は民進そのものが帰趨を問われることになる。またそれ以上に、政党支持率が低迷している希望から民進の地方議員が統一地方選に出馬することも考えにくい。

 結局のところ、民進党本体はもとより地方組織が分裂して機能不全に陥り、統一地方選が戦えないような状態になれば、民進は地方から消えていく運命をたどるほかない。また、希望の党の地方組織の設立は京都など一部にとどまり、全国的に確立することも難しい。事態は、前原氏が意図したように民進解体には成功したが、希望の党(第2保守党)の設立には至らず、そして前原氏も希望の党と運命を共にするしかないのである。(つづく)