731部隊検証の新たな展開(3)、偽満州皇宮博物院での100部隊遺跡調査が本格化している、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その133)

 国外に目を移すと、中国東北部731部隊の本拠地、黒竜江省ハルビン市では、陳列館の拡張整備や基地全体の公園整備に加えて、731部隊の本丸ともいうべき「ロ号棟」(マルタ収容施設、人体実験室など)の発掘調査が進み、このほどが『侵華日軍第731部隊旧祉、細菌実験室及特設監獄考古発掘報告』が出版されるなど飛躍的な進展が見られる。

 一方、満州国皇帝愛新覚羅溥儀の皇宮が設けられていた首都新京(吉林省長春市)においても、現在は偽満州皇宮博物院となっている一連の宮内府建造物及び庭園などの大掛かりな改修・修復工事が進められている。これらの建造物は、皇帝溥儀の執務室だった勤民楼(塩専売管理所を改修した中古建築)、宮内府新館として建てられた懐遠楼、仮宮廷本殿の同徳殿および皇宮を取り巻く門や塀、監視所、地下防空壕、プール、テニスコート、庭園、車庫、馬場、厩舎などから成っているが、いずれも国庫補助金による突貫工事で当時の全容が蘇りつつある。

 長春市と長年親交のある日中友好協会愛知県支部の家田修氏を仲介にして、偽満州皇宮博物院から戦医研事務局長の西山勝夫氏(滋賀医大名誉教授)と私に招請状が届いたのは今年9月半ばのことである。聞けば、戦後70年を機に戦医研の会誌論文20本を編集した『NO MORE 731日本軍細菌戦部隊〜医学者・医師たちの良心をかけた究明〜』(文理閣、2015年8月)の中の数葉の論文がハルビン市社会科学院731研究所の手で翻訳され、それを読んだ偽満州皇宮博物院館長や研究員が長春市の100部隊(関東軍軍馬防疫廠、細菌部隊として人体実験も行った)の遺跡調査に当たり、意見交換を求めてきたのである。

 西山氏が招聘されたのはそればかりではない。同氏が心血を注いで発掘してきた『関東軍防疫給水部留守名簿』が国立公文書館との数年に及ぶ折衝の末、遂に公開され、『十五年戦争・陸軍留守名簿資料集①〜⑤』(不二出版、2018年8月〜2019年11月)として出版されることになったことがある。当該留守名簿は、関東軍細菌部隊の全容を解明するには不可欠の基礎資料であり、100部隊全員の名簿がわかる留守名簿は、偽満州皇宮博物院にとっても100部隊遺跡調査のための最重要資料と位置づけられている。

 長春市西南部数キロの郊外・猛家屯に位置する100部隊は、1945年当時900名を超える隊員を擁し、規模は50ヘクタール(東西500m×南北1000m)に達する広大な敷地を抱えた軍馬防疫廠であった。100部隊では軍馬の治療や防疫、ワクチン製造などが行われ、細菌兵器(鼻疽菌など)の大量生産体制が整いつつあった。しかし731部隊と同様、終戦と同時に建物は徹底的に破壊され、関係資料は全て焼き払われた。その結果、遺跡は僅か地下室の構造や煙突の一部が残っているにすぎない。

 また戦後は、100部隊の敷地全体が大規模な自動車工場用地に転用され、自動車工場が移転した後は、長春市の郊外開発計画の一環であるマンション団地開発が進んでいるので、最近になって遺跡公園に指定された区域はその一部にすぎない。これは、ハルビン市の731部隊遺跡とは決定的に異なる点であり、もはや遺跡の一部を「記録保存」する程度の余地しか残されていないのが実情であろう。

 加えて、これまで吉林省長春市による本格的な調査も行われていないことから、100部隊関係の資料(写真、文献、図面など)はほとんどないと言っても過言ではない(皆無に近い)。西山氏はともかく、731部隊の基地建設について僅かばかりの知識しか持っていない私までを招聘して意見を求めようとするのは、苦肉の策というべきか、それとも熱意のあらわれというべきか、とにかく雲をつかむような話だったのである。

 そんな五里霧中ともいうべき状況の中で偽満州皇宮博物院の研究員たちが遺跡調査に取り組むのだから、その苦労は推して知るべしというところだろうが、それでも若手研究員たちは意気軒昂で、博物院幹部の意気込みも並々ならぬものがあった。これは帰国してから気付いたのであるが、中国の国家重点ニュースの公式サイト「中国網日本語版(チャイナネット)」の「中日問題」の「政治欄」2018年9月22日版には、「中国侵略旧日本軍の細菌戦第100部隊の秘密に迫る」と題する偽満州皇宮博物院の取り組みに関する詳細なルポルタージュ記事が掲載されている。

文中の資料を整理している若手研究員の写真は9月14日付の撮影だから、ごく最近になって100部隊遺跡調査が「国家重点ニュース」として取り上げられたことがわかる。いわば、731部隊をはじめとする中国全土の戦争遺跡調査が進むなかで、長春市の100部隊遺跡調査も看過できない対象として浮かび上がったのではないか。そして、溥儀皇宮の整備計画の進展とともに100部隊の遺跡調査と整備計画が次の課題として位置づけられたのであろう。

 そういえば、私たちの長春訪問時期と同記事中の偽満皇宮博物院趙継敏院長の発言は符合する。趙院長は「私たちは知られざる当時の様子、非人道的な行為を明らかにするために国内外の専門家や学者と共同で研究を進め、多くの史料と実物を探している。今後は展示のデジタル化などを通して、より多くの人に日本侵略者の細菌戦が世界の人々に与えた影響を知ってもらいたい」と述べており、ちょうどその頃に私たちの招聘が決まったものと思われる。

だが、100部隊について「予備知識ゼロ」の私にとっては、正直なところこの意見交換はいささか重荷だった。そこで日中友好協会の家田氏の紹介で、長春市の皇宮修復工事に携わり、偽満州皇宮博物院とも親交のある丸田洋二氏(清水建設ОB)の助言を受けることにした。丸田氏は卓越した建築技術者であるばかりでなく、大著『曠野に出現した都市新京―満洲清水組の足跡』(櫂歌書房、2015年12月刊)を著した歴史家でもある。博多市在住の丸田氏を訪ねたところ、氏の博学には心底驚いた。(つづく)