枝野代表の狙いは何か、統一地方選と参院選を控えて野党共闘はどうなる(1)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その141)

 今年4月の統一地方選と夏の参院選を真近に控えているというのに、野党共闘がいっこうに進まない。近く野党間の話し合いが持たれるというが、同床異夢もいいところだから誰もすんなりと話がまとまるなどとは思っていないだろう。このままでいくと安倍政権の存続に手を貸すと皆が分かっていながら、ズルズルと時間だけが流れていくのではないか。野党共闘が進まない原因ははっきりしている。それは、最大野党の立憲民主党の思惑がそこにないからだ。

 今年に入ってからの各紙の論調も悲観的だ。とりわけ、読売・産経・日経などの与党系メディアは意識的に「野党共闘悲観論」を流している。また、その方が現実の姿に近いだけに妙にリアル感がある。一方、共産党は「本気の共闘」を必死で呼びかけているが、真面目な主張でありながら宙に浮いた感じが拭えない。共闘は相手のある話だけに、相手がその気にならなければ実現不可能だからだ。

 「一寸先は闇」の政治の世界のことだから軽々な予測は慎まなければならないが、野党共闘が進まない現状(原因)を分析することは重要だ。正確な現状分析がなければ選挙戦術を立てることはできないし、イケイケドンドンの精神論だけでは有権者の心を掴むこともできない。野党共闘の重要性を訴えるにしても、それを実現できる条件や可能性に関する的確な分析が伴わない限り、誰もが疑心暗鬼になり信用してくれない。黙って付いていくのは「死の行軍」も厭わない信者集団だけだ。

 現時点で求められるのは、野党共闘のカギとなる立憲民主党とりわけ枝野代表の行動分析である。しかし、この点に関しては各紙とも表立った評価を避けているように見える。枝野代表もその「あいまい状況」に便乗してキチンとした態度表明をしていない。だから、ますます彼が「何を考えているのか」がわからなくなるし、真面目に野党共闘を考えようとする世論も盛り上がらない。

 おそらく枝野代表の狙いもそこにあるのではないか。表向きは野党共闘に期待を持たせながらこのまま「あいまい姿勢」を続け、選挙前の土壇場になって「この指とまれ」の方針を打ち出す算段なのだろう。つまり、枝野代表の念頭には当面「安倍政権打倒」などの政治目標はなく、参院選を通して立憲民主党の政治基盤を確立することが全てだということだ。だから、枝野代表の基本戦略は、(1)自らの行動の制約になるような野党間の政策協定は結ばないで「フリーハンド」の立場を維持する、(2)候補一本化に際しては相手の譲歩は迫るが、ギブアンドテイクの交渉はしない(自らは譲歩しない)、(3)立憲民主党の党勢拡大が実現し、政治基盤が確立した段階で次の政権構想を考える――と言うことになる。

 隔靴搔痒の野党論評の中で、比較的明確な視点を打ち出しているのが今年1月5日付の読売新聞だ。「枝野氏『脱リベラル』、左派連携『限界』、無党派に照準」と題する当該記事の中には、幾つかの注目すべき指摘が含まれている。

第1は、記事の元になった枝野代表の記者会見が1月4日の伊勢神宮参拝時に行われたものであるということだ。安倍首相以下自民党首脳部は、例年仕事始めの1月4日に伊勢神宮参拝を恒例としているが(今年も参拝した)、枝野代表もそれに倣って参拝したという。おまけに蓮舫副代表、福山幹事長などの幹部も同行しており、立憲民主党は1月4日、枝野代表らの伊勢神宮参拝をツイッターの党公式アカウントで報告している。党としての「公式参拝」であることは明らかだ。

だが、このツイッターは党支持者から激しい批判を浴びた。参拝を批判する投稿が瞬く間に千通余りに達し、「支持層に背中を向ける行為、伊勢神宮なんか行かずに(沖縄県名護市)辺野古に行くべき」「自分たちが保守であることを強調したいようだが、それが支持拡大に貢献するとは思わない」「政教分離はどうする?内閣総理大臣になったら参拝する?」などの批判が渦巻いたという(産経1月18日)。福山幹事長は1月15日の記者会見で「個人としての資格で参拝した。党代表の行動、活動を(公式ツイッターで)お知らせしたということだ」と釈明したが、これなどは自民党閣僚が靖国神社参拝時に使う口実にそっくりで、体質までが自民党に似てきたとさらに火に油を注ぐ結果になった。

 第2は、記事の重点が、枝野代表の政治信条が「保守本流」にあることの確認に置かれていることだ。このため、同紙は枝野代表の「自分は保守本流」とのこれまでの言明を紹介し、それを裏付ける行為として、自民党元閣僚を含む衆院会派「無所属の会」議員を立憲民主党に迎え入れた今回の決定を挙げている。また、枝野代表が「リベラル」と称されがちな党の色を薄めようと情報発信を強化していることを指摘し、その一つが今回の伊勢神宮参拝だったことに言及している。

 第3は、枝野代表のこのような行動の背景にあるものとして、立憲民主党の選挙情勢分析の基礎に「左派連携限界説」があることを指摘している点である。枝野代表をはじめ立憲民主党幹部の間では、夏の参院選においては「無党派層への浸透が不可欠」であり、「リベラル系の支持だけでは万年野党にとどまる。ウイングを広げたい」との考えがあるのだという。これだと国民民主党と何ら変わらないが、問題は結党時に掲げた政策とズレが生じることだ。「そもそも立民は、『寄り合い所帯』と評された民主党民進党とは対照的に、主張を先鋭化させることで強固な支持を取り付けてきた経緯がある。党内には『ぶれたと受け止められれば支持は離れる』(幹部)と懸念する声もある」との内部事情があるからである。

 紙面では明言していないが、読売新聞の論調は日経新聞などと同じく、連合が推進する立憲民主党と国民民主党の連携であり、それに伴う従来政策の修正(変更)であろう。①原発ゼロ、②消費税反対、③米軍普天間飛行場辺野古移設反対といった従来の政策を維持するのか、それとも修正して別の政策を掲げるのか「はっきりしろ」と迫っているわけだ。

 ここからは私見だが、立憲民主党が従来の政策を修正すれば、有権者からは「国民への裏切り」として激しいバッシングを受けることは確実だろう。といって、ゆくゆくは「保守本流政権の樹立」を目指す枝野代表らが、その足手まといになるような政策協定を共産党らと結ぶがはずがない。そこで当面の選挙戦術として浮上するのが「あいまい路線」の継続だ。いわば「リベラル政党」との建前を当面維持しながら、政策協定抜きの野党共闘を進め、結果として次のステージへ駒を進めるというシナリオである。果たしてこんな見え透いた田舎芝居が通用するか、今後の推移を見守りたい。(つづく)