2019年参院選に向けた連合・立憲民主党・国民民主党の政策協定の内実、統一地方選と参院選を控えて野党共闘はどうなる(2)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その142)

 連合は昨年10月10日、立憲民主党、国民民主党と2019年参院選に向けた連携の覚書を交わし、11月30日には両党それぞれと同内容の政策協定を締結した。朝日新聞(2018年10月12日)によれば、覚書の要点は以下のようなものだ。
(1)立憲民主党、国民民主党、連合は、次期参院選の重要性を踏まえ、与党を利することがないよう、各選挙区における野党間の事前調整の必要性を共有する。それを前提に、連合は両党と政策協定を締結する。
(2)両党は、可能な限り早い段階から候補者擁立について連合・地方連合との話し合いの場を持つ。
(3)1人区では、与野党の1対1の構図を確立すべく、候補者擁立の段階から1人に絞り込む調整が必要との認識を共有。
(4)1人区、複数区ともに、両党いずれかの候補者に絞り込まれた場合には、両党それぞれによう推薦・支援を含め、連合の組織力を最大限発揮しうる環境を構築する。

 問題は政策協定の中身だが、連合のホームページにはその内容が掲載されている。誤解を招かないように、前書きを除いて主要部分を再掲しよう。タイトルは「『つづく社会』『つづけたい社会』の構築に向けて〜その実現を目指し、あらゆる政治・政策資源を発揮〜」というもので、主文は次の3点及び確認事項から構成されている。

〇我々は、すべての人へのディーセントワークの実現、持続的で健全な経済成長、負担の分かち合いと社会の分断を生まない再配分、そして、多様な価値観を認め支え合い、誰一人として取り残さない活力にあふれる共生社会を基本理念に据える。
〇その上で、年齢や性別、障がいの有無にかかわらず、誰もが安心して働き・暮らすことのできる社会保障制度の再構築に全力を挙げるとともに、負担を将来世代に付け回さず、公平・公正に分かち合うための責任ある財政の確立をめざす。
〇本政策協定の意義を踏まえつつ、個別課題の具体化については、立憲民主党(国民民主党)と連合とで十分かつ緊密な協議を行う。
以上の内容に立憲民主党(国民民主党)が合意することを確認し、連合は第25回参議院選挙において立憲民主党(国民民主党)を支援する。なお、与党を利さないため、各選挙区における野党間の事前調整の必要性を共有し、各支援団体の組織力を最大限結集し得る環境を連携・協力し構築する。

 読めば一見してわかるように、この政策協定は美しい言葉で理想社会の姿を謳い上げているものの、それを実現するための政策の中身にはほとんど触れていない。そこには国政の基本である憲法原発、安全保障などに関する態度表明もなければ、安倍政権に対する批判もない。この程度の内容を「政策協定」というのであれば、自公両党が選挙時に「住みよいまちづくりを進めます」「暮らしやすい地域社会を実現します」「みなさんとともに頑張ります」と連呼する(空虚な)内容と何ら変わることがない。

 要するに、この政策協定では主文も前書き程度の意味づけしかなく、言いたいことは、確認事項の「次期参院選において連合は立憲民主党と国民民主党を支援する」「両党は各選挙区での事前調整を行い選挙協力する」と言うことに尽きているのである。いわば政策抜きの「選挙支援協定」であり、政策抜きの「事前調整協定」というわけだ。

 それもそのはず、この「政策協定」を主導したのが他ならぬ神津連合会長なのである。神津氏と言えば、前原氏とともに野党第一党を解体した「A級戦犯」であるはずだが、そんな人物があたかも何事もなかったかのように(口を拭って)今度は分裂させた両党の選挙協力に乗り出すのだから、呆れてものが言えない。彼の辞書には「道義」や「信義」といった言葉がどこにも見つからないのだろう。

 加えて、神津連合会長の上を行くのが「超A級戦犯」の前原氏だ。前原氏は代表の座にありながら野党第一党民進党を解体するという前代未聞の行動に出たが、結局、保守第2党の結成に失敗し、志半ばで地元京都へ戻ってきた。しかし「転んでもただは起きぬ」前原氏のこと、今度は国民民主党京都府連の結成大会を開いて新会長に収まり、「もう一度、京都から現実的な政策を掲げる政党が競う二大政党制をつくるため、原点に戻り頑張りたい」と述べたという(京都新聞2018年8月20日)。

 前原氏は、自らを党分裂の「戦犯」と反省しつつ会長に就いた意義を強調し、野党共闘についてはこうもいったと言う。「私と(立民幹事長の)福山哲郎さん(参院京都選挙区)がもう一度手を握り、京都から非自民非共産の野党結集を図りたい」。同席した玉木共同代表も「選挙と国会対応は(立民と)一枚岩でやっていくため最大限努力する」と訴えた(同上)。こんなこともあって神津連合会長が両党の手打ちに乗り出したのであろうが、その後の京都は参院京都選挙区の候補者擁立をめぐって修羅場状態が続いている。(つづく)