京都大学学生寄宿舎「吉田寮」をめぐる存廃問題の経緯と今後の行方について(1)、大学当局と寮自治会との間で新しい合意は成立するか

 

 

周知の如く、欧米の伝統的大学では寄宿舎がカレッジの中核に位置づけられ、教師と学生が生活を共にするコミュニティ空間として継承されてきた。寄宿舎は、教室、講堂、図書館、実験室などと共に高等教育にとって不可欠な教育施設の一環であり、寄宿舎のない大学の存在は考えられない。日本の旧制高校や旧制大学においてもこの伝統は引き継がれ、大正初期に京都帝国大学学生寄宿舎として建設された吉田寮は、その意味で日本の高等教育の生き証人であり、大学発展の歴史を象徴する建築物だと言える。

 

 吉田寮の教育史的、文化史的、建築史的価値を高く評価した日本建築学会(近畿支部)と建築史学会は、それぞれ2015年5月と11月に京都大学山極壽一総長に対して「京都大学学生寄宿舎吉田寮の保存活用に関する要望書」を提出し、その積極的活用を強く訴えた。これは吉田寮が1913(大正2)年建設の日本最古の現存する学生寮であるとともに、部材の多くが1889(明治22)年建設の第三高等中学校寄宿舎を転用したものであり、創建当時まで建築意匠や工法の特徴を追跡できる貴重な歴史的文化財であるからだ。

 

吉田寮はまた「大学の街・京都」を象徴する建築物でもある。京都はとりわけ大学・学生と市民とのかかわりが深い都市であり、大学が市民生活や地域社会の中に溶け込み、アカデミック・インフラとしての役割を果たしている。そのことが、他都市には見られない京都独特のアイデンティティを形づくり、京都の品格と風格を一段と高めていることは間違いない。吉田寮は京都大学の単なる教育施設であるばかりでなく、京都市民の共有財産でもあり、歴史都市・京都を代表するシンボル建築の1つなのである。

 

ところが不幸なことに、この数年間、大学当局と寮自治会の関係が急激に悪化し、両者の話し合いによって様々な問題を解決してきたこれまでの「合意システム」が機能しなくなった。理由は多々考えられるが、大学当局からすれば寮自治会による管理実態が不透明であり、話し合いによる解決を待っていては寮生活の秩序と安全を確保できないと映ったのであろう。一方、寮自治会からすれば、大学当局の話し合いの拒否は、寮自治会から管理権を奪って統制下におき、吉田寮の廃寮を含む建て替え計画を強行しようとしているのではないか...との不信を募らせることになった。

 

こうした膠着状態が続く中で大きな転機が訪れた。大学当局は2017年12月、

吉田寮の全寮生に18年9月末での退去を求める基本方針を突如発表した。多くの寮生は大学が用意した民間賃貸住宅などに移ったが、数十名の寮生は移転に応ぜず、事態は一触即発の状態で年を越すことになった。そして今年の1月17日、大学当局の申し立てにもとづき 京都地方裁判所が別人が寮に住まないようにするため、物件の占有や保管を裁判所が担う「占有移転禁止」の仮処分を決定し、地裁の執行官が寮を訪れ決定の公示書を掲示した。このことは、やがて寮生の強制退去を求める事態が遠からず訪れることを予測させるものだった。

 

だがこの間、大学当局の強硬姿勢に対しては、学内はもとより市民やメディアからも多くの批判が寄せられた。各方面からの有形無形の働きかけが功を奏したのか、大学の姿勢に変化が生じたのは2月12日のことである。この日、大学当局は「吉田寮の今後のあり方について」と題する新たな方針を発表し、以下の提案を行った。

(1)吉田寮現棟(食堂を含む)については寮生の退去を前提に、将来、安全確保に加えて収容人員の増加や設備の充実等を図りうる措置を講じた上で学生寄宿舎として供用する。

(2)上記の措置を講じるにあたっては、現棟(旧来の建物)の建築物としての歴史的経緯を配慮する。

(3)吉田寮新棟(最近の建物)については、2018年9月末日までに全寮生の退去を求めた基本方針を変更し、一定条件を満たせば、学生寄宿舎として供用する。

(4)吉田寮の今後のあり方の詳細については、広く学内の意見を聞きつつこれからも検討を続ける。

(5)新棟に居住し、責任ある自治に基づき共同生活の運営を行う意思のある寮生に対しては、話し合いを行う。

 

これに対して寮自治会も従来の方針を転換し、2月20日「吉田寮の未来のための私たちの提案」と山極総長・川添学生担当理事宛の「表明ならびに要求」に関する新たな文書を発表した。その趣旨は以下のようなものだ。

 (1)自分たちが残していきたい吉田寮の在り方として、①経済的困難をはじめとする様々な事情を抱えた学生の福利厚生施設、②豊かな自治が行われ多様な人が集い交わる場、③吉田寮現棟の歴史的な価値を守る、という立場を明示する。そのために、大学当局に対して以下の表明ならびに要求を行う。

(2)2019年春季の入寮募集について、現棟に関しては実施しない(新棟は通常通りの日程で実施する)。

(3)安全性の担保されている吉田寮食堂の継続使用と清掃や点検といった吉田寮自治会による従来通りの現棟の維持管理を行うことを大学当局との合意にいたることをもって、吉田寮自治会は本年5月末を目途として現棟における全寮生の居住を取りやめることとする。

(4)現棟の老朽化対策に関する吉田寮自治会との建設的な話し合いを早急に再開することを求める。

(5)上記の要求について、大学当局への回答期限を2019年3月13日とする。

 

以上がこれまでの簡単な経緯であるが、この問題に元寮生の私自身がどう関わってきたか、また市民はどのように考えているか、これからどのような方向に展望を見出すかなどなど、順次筆を進めたい。(つづく)