国民の〝政治離れ〟が顕著になり、政党政治の劣化が進んでいる、改憲勢力「3分の2割れ」をめぐる攻防(3)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その165)

2019年参院選の結果を見て思うことは、国民の〝政治離れ〟が顕著になり、政党政治の劣化が着実に進んでいることだ。何しろ全国の投票率が48.8%と50%を切り、戦後2番目の低投票率に落ち込んだのである。前回2016年参院選の投票率54.7%を約6ポイントも下回ったので、有権者の過半数が投票に行かなかったことになる。これまでは、大都市部で投票率が低くても地方では高いという傾向があったが、今回は北陸、中国、四国、九州、沖縄の各地方でも軒並み戦後最低に落ち込んだ(朝日新聞7月22日)。国民の政治離れはもはや全国共通の社会現象となりつつある。

 

国民の政治離れの原因が、安倍首相の「ウソをつく政治」にあることは明白だろう。安倍首相は、自らが関わったモリカケ問題についても「知らぬ存ぜず」と強弁し続けているし、財務省の公文書捏造についても一切責任を取ろうとしない。その上、真相究明を求める野党の国会開催、予算委員会開催にも応じない。都合の悪いことには全て蓋をして、憲法審査会の議論だけは進めようとする...。こんな安倍首相の究極のご都合主義に多くの国民は心底から嫌気がさしているのである。

 

私の周辺でも「アベチャン嫌い」が非常に多い。彼・彼女ら(彼女の比率が高い)は安倍首相がテレビに出て来ると即座にテレビを切る。安倍首相自身でなくても例のNHKの政治部女性記者がしたり顔で出て来ると同様の反応を示すのだ。関西風に言うと「けったくそ悪い!」のである。最近ではNHKの報道番組全体が嫌いになったという連中もわんさといる。それでも私は諦めないで投票に行くが、彼・彼女らの少なくない部分が最近は投票に行かなくなった。今回参院選の投票率50%割れは、こんな政治拒否層が劇的に増えている兆候ではないのだろうか。

 

安倍首相はもとより菅官房長官も国民から「安定した支持をいただいた」としきりに宣伝している。NHK報道も同様の分析だ。だが、投票率の低下につれて自民党の比例得票数が大幅に減っていることには一切目をつぶっている。今回参院選の政党別得票確定数はまだ出ていないが、朝日新聞の推計(7月22日)によると、自民党の比例区得票数は前回参院選に比べて2011万票から1800万票までに300万票余りも減っている(議席数19は同じ)。また、改選時の議席数67を57に10議席と大きく減らして、参院での単独過半数を失った。公明党の比例得票数も前回757万票から600万票へと150万票余りの減少だ(議席数7は同じ)。自公与党あわせて450万票余りの大量票を失ったことになる。2割近くの投票を失いながら、「安定した支持をいただいた」などとうそぶいているのは気が知れない。

 

一方、1人区で野党共闘候補が10選挙区で勝利したことは、改憲勢力3分の2を阻止する上で大きな役割を果たしたと言える。改憲勢力は、公示前勢力161議席(238議席の3分の2以上)から157議席(245議席の3分の2未満)に後退し、3分の2の164議席に届かなかった。このことの意義はいくら強調してもし過ぎることはないが、それでも安倍首相は選挙直後の記者会見で他党派の改憲分子を取り込んで3分の2確保を目指すと言明した。野党共闘に加わった国民民主がその標的になっており、同党はこれから野党共闘に止まるのか、改憲勢力に加わるのか、党是のあり方を根本から問われることになる。

 

この点に関して私が注目した1人区は、福島選挙区だった。福島はいうまでもなく東電原発災害の現場であり、東日本大震災の復興においても最も遅れている地域である。安倍首相が「原発汚水は完全にコントロールされている」と大ウソをつき、2020年東京オリンピックの誘致に成功したが、現場では今も原発廃炉の道筋はいっこうに見えず、避難者の帰還もほとんど進んでいない。その上、安倍政権は原発を基幹エネルギーと位置づけ、全国各地の原発再開に次々と踏み切っている。このように二重三重に地元を踏みつけておきながら、こともあろうに安倍首相は今回参院選の第一声を福島で上げたのだ。

 

福島選挙区の結果は、野党共闘候補が軒並み勝利した東北各県に比べても異様だった。現職の自民女性候補が野党共闘女性候補に10万票の大差(自民44万5547票、野党共闘34万4001票)をつけて勝利したのである。聞けば、連合の主力である電力労連が実質的に自民現職の選対となって活動し、電力関連企業や下請け企業の従業員は総力を挙げて自民現職支援に回ったという。国民民主は野党共闘の一員でありながら、この事態を黙認するしかなかった。野党共闘は綺麗ごとばかりではない。野党共闘各派は福島選挙区の総点検を行い、今後の方針について再検討しなければならない。

 

関西では、大阪と京都の複数区で激烈な選挙戦が展開された。大阪は定員4人、京都は定員2人であり、そのいずれにも共産現職がいる。現職は2期目が強いと言われるが、大阪と京都では明暗を分けた。原因は維新旋風だ。それほど大阪の維新旋風は強烈だった。維新の強さは、もはや「改革政党」のイメージだけでは説明できない。端的に言うなら、維新は大阪では「政権与党」なのであり、それが維新旋風の土台になっているということなのである。大阪府知事と大阪市長のツートップを抑えて10年近くともなれば、維新に加担しなければやっていけない事業者が沢山いる。自民党政権の下での巨大な利権構造が大阪では維新政権の下で形成されているのであって、単なるポピュリズム政治の影響によるものだけではないことに注目しなければならない。

 

今回参院選では維新は現職と新人の2人を擁立し、しかもワンツートップで当選した。維新新人が72万9千票、現職が65万9千票、計138万8千票(得票率40%)の大量票を奪い、その煽りを喰って共産現職(37万9千票)と立憲新人(35万5千票)が弾き飛ばされた。公明現職(59万票)は3位、自民現職(55万9千票)は最下位の4位だから、最下位の自民現職と時点の共産現職の間には18万票もの大差があり、共産現職の完敗というほかない。

 

なぜ、これほどまでに大差がついたのか。今回の参院選における共産現職の苦戦は維新旋風の所為ばかりではなく、もともと基礎体力が弱いという構造的弱点があることを指摘しなければならない。参院選直前の共同通信世論調査によれば、政党別支持率は自民21%、公明9%、共産7%、立民5%に対して、維新27%と段違いに高い。共産と立民合わせても維新、自民には遠く及ばず、公明とチョボチョボの水準にしかならないのだから、野党共闘を組んで無党派層26%を狙わない限り、相手にならないことは初めから分かっていたのである。

 

加えて、今回の共産現職の落選は、直前の衆院補選における共産の「惨敗」が大きく響いていると私は考えている。周知のように、この前の衆院補選(大阪12区)では共産現職が「無所属」になって出馬するという大胆な行動に踏み切ったが、結果は得票率9%で最下位、供託金を没収されるという前代未聞の惨敗に終わった(トップは維新新人で得票率39%)。この作戦の誤りが運動員や支持者に与えた衝撃は殊の外大きく、多くの運動員がその時の衝撃から未だ立ち直れないでいると聞いた。しかも、その時の総括が「市民と野党共闘の展望を切り開いた」というこれも前代未聞の内容だったので、多くの支持者からブーイングが起り、大規模な「共産離れ」が起ったというのである。

 

今回参院選の共産現職の苦戦は、党幹部の再三再四の応援にもかかわらず運動員や支持者が最後まで動かなかったことにあるのではないか。幹部が自らの失敗を棚に上げて𠮟咤激励するだけでは、組織は動かないのである。例によって「大阪はよくやった。再度の復帰を帰す」といった程度の総括では、大阪の組織は立ち直れないだろう。それでも総括はまた、「市民と野党共闘の展望を大きく切り開いた」ということになるのだろうか。

 

京都選挙区についてはどうか。京都は「非自民、非共産」を掲げる旧民主系勢力の牙城だが、共産も結構強い。共同通信の世論調査では、京都の政党別支持率は自民35%、共産12%、立民9%、国民4%、維新6%、公明3%と大阪とまるきり様子が違う。旧民主系は国民と立民に分裂したとはいえ、その接着剤となる連合が依然として強力な投票動員力を持っているので両者を合わせれば13%となり、共産と対抗することもできる。そんなことで、今回参院選では国民と立民は候補者擁立をめぐって主導権争いを繰り返した挙句、漸く国民が降りて候補を一本化した。しかし、それが選挙直前だったため、落下傘候補の女性候補はいま一息及ばなかったのである。

 

一方、公明と維新は単独候補を立てるだけの基礎体力がないので、これらは全て自民候補に流れ込んだと言ってよいだろう。投票率が46.4%と全国平均よりも低かったにもかかわらず、自民現職は42万1千票(得票率44%)と前回よりも4万票近く積み上げ、共産現職24万4千票、立民新人23万2千票を大きく引き離した。京都ではなぜ維新が伸びないのか。維新は度々独自候補を擁立すると言明しながら、遂にできなかった。その根底には大阪と京都の政治風土の違いもあるが、京都府知事と京都市長が自民にしっかりと掌握されていることもある。その意味で、首長選挙は今後の野党共闘の行方を占う一大要因になっていくのかもしれない。(つづく)