2019年参院選の総括に正面から向き合わない政党には未来がない、京都で2019年参院選の結果を巡る討論会があった(3)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その168)

 本稿は、当初2部構成だった。第1部が「全体動向の特徴」、第2部が「野党共闘の行方はどうなる」である。しかし、討論会で報告した時、時間の制約で野党共闘の一翼である共産の問題点については十分に触れることができなかった。レジュメ自体も極めて不十分だったので全面的に書き直し、3部構成として「共産は第2ステージの野党共闘に対応できるか」を書き加えた。今回はその改訂版である。

 

Ⅲ.共産は第2ステージの野党共闘に対応できるか

 

1.上意下達の常幹声明、3つの疑問

 

 〇問題は、野党共闘が第2ステージに入るこれからの局面において、共産が果たしてこの事態に対応できるかどうかということだ。志位委員長は「れいわ」に対して積極的協力の姿勢を打ち出しているが、その場合に立民を含む野党共闘がどのような形になるか、目下のところ「想定外」でしかない。共産を取り巻く懸念材料には事欠かないが、官僚的組織運営と指導方針の硬直化がますます進み、組織の高齢化が相まって「基礎体力=党勢」が目に見えて落ちてきていることは誰の眼にも明らかになっている。にもかかわらず、今回の参院選総括においてもこのような深刻な事態を直視することなく、従来からの硬直した「党勢拡大一本やり」の運動方針から未だ離れることができないのは悲惨と言うほかない。

 

〇事実経過を追うと、投開票日の翌日7月22日には下部組織の討議を一切抜きにした「参議院選挙の結果について」(常幹声明)が出されて23日の赤旗に掲載され、25日には「『常幹声明』を直ちに討議し、公約実現のたたかい、党員拡大を根幹にすえた党勢拡大にふみだそう」(書記局)と問答無用の檄が飛ばされるという有様だ。しかも、常幹声明の中身が不可思議極まりない代物なのである。

「比例代表選挙で、わが党が改選5議席から4議席に後退したことは残念です。同時に私たちは、今回の参院選の比例代表得で獲得した得票数・得票率をこの間の国政選挙の流れの中でとらえることが大切です。わが党は、今度の参議院選挙で2017年総選挙の比例代表で得た『440万票、7.90%』を出発点にし、『850万票、15%以上』の目標に向けてどれだけのばせるかのたたかいとして奮闘してきました。この基準にてらして、比例代表で低投票率のもと448万票の得票、8.95%の得票率を獲得し、17年総選挙と比較してそれぞれを前進させたことは、次の総選挙で躍進をかちとるうえで、重要な足がかりになると確信するものです」

 

〇この常幹声明に対して感じる疑問は、第1は手の届きそうにない「850万票、15%以上」を依然として党勢拡大目標に掲げていること。第2は2017年衆院選の比例代表得票数440万票(7.9%)を今回参院選の比較基準にしていること。第3は今回参院選の低投票率を根拠として448万票(9.0%)の得票を「前進」だと総括していることの3点である。

 

〇「参院選850万票、15%以上」という数値目標は、2016年参院選を翌年に控えた2015年1月、志位委員長が第3回中央委員会総会において提起したものだ。志位委員長はこう発言している(カッコ内は筆者注)。

「次期国政選挙の目標について。総選挙の結果と教訓を踏まえ(2014年衆院選、比例代表得票数606万票、得票率11.4%)、次期国政選挙(2016年参院選)の目標を比例代表選挙で『850万票、得票率15%以上』とし、これに正面から挑むことを提案します。この目標は、国政選挙における過去最高の峰―1998年の参議院選挙での819万票、14.6%を上回り、新たな峰をめざそうというものです。また、この目標は、綱領実現をめざす『成長・発展目標』の達成を現実的視野にとらえる目標となります」

 

2.虚構の選挙目標、「850万票、15%以上」

 

〇2015年と言えば、共産が比例代表得票数で過去最高を記録した1996年衆院選726万票(13.1%)、1998年参院選819万票(14.6%)から既に20年近くも経過している。現在の選挙制度に変わってからの国政選挙の結果を見ると、参院選、衆院選ともに上記選挙(※)がいずれも例外的に「突出」した事例だったことがよくわかる。全体を通してみれば、参院選13回のうち300万票台4回、400万票台5回、500万票台3回と400万票台が最大多数であり、800万票台は1回のみで得票率が2ケタになったのは2回にすぎない。

 

〇衆院選では8回のうち300万票台1回、400万票台4回、600万票台2回、700万票台1回であり、これも400万票台が最大多数であることに変わりない。なのに、1回しか得票したことのない819万票(14.6%)を超える「850万票、15%以上」が、どうして「綱領実現をめざす『成長・発展目標』の達成を現実的視野にとらえる目標」になるのであろうか。

【現在選挙制度に基づく共産比例代表得票数・得票率の推移、参院選、衆院選】

         参院選           衆院選

1980年代   1983年416万票(9.0%) 

1986年543万票(9.5%) 

           1989年395万票(7.0%) 

1990年代    1992年353万票(7.9%) 

1995年387万票(9.5%)  ※1996年726万票(13.1%)

         ※1998年819万票(14.6%) 

2000年代    2001年432万票(7.9%)    2000年671万票(11.2%)

2004年436万票(7.8%)   2003年458万票(7.8%)

           2007年440万票(7.5%)    2005年491万票(7.3%)

                                         2009年494万票(7.0%)

2010年代    2010年356万票(9.0%)    2012年368万票(6.1%)

2013年515万票(9.7%)    2014年606万票(11.4%)

           2016年601万票(10.7%)  2017年440万票(7.9%)

2019年448万票(9.0%) 

 

〇おそらくその背景には、2010年代に入って300万票台に落ち込んでいた国政選挙の比例代表得票数が、2013年参院選では500万票台、2014年衆院選では600万票台に乗り、党勢が上向いたとの判断があったのだろう。しかし、「850万票、15%以上」という目標は、2013年参院選515万票の1.7倍、2014年衆院選606万票の1.4倍に当たり、これを達成するのが容易でないことは誰の眼にも明らかだ。最大の理由は、1960年代から倍々ゲームで躍進してきた党勢(党員数、機関紙読者数)が見る影もなく落ち込んでいるからである。

 

〇京都新聞2017年1月19日によると、2017年当初の党勢は「党員数は約30万人でこの20年間に約7万人減少。収入の柱である機関紙『赤旗』の発行部数(日刊紙と日曜版の合計)も20年前と比べると半減した」とある。20年前と言えば、1960年代に入党した若者の多くが壮年期に達した頃であり、活動エネルギーも最高潮の時期だった。それから20年、多くは高齢者となって活動量は目に見えて落ちてきており、その上党員数の減少にも歯止めが掛からない。実質的な活動量は20年前から半減していると見なければならない。質量ともに低下の一途を辿っている組織に対して、「850万票、15%以上」という途方もない大きな目標を押し付けることはできないし、押し付けたとしても〝虚構の目標〟になることは目に見えている。

 

3.なぜ、2017年衆院選が比較基準になるのか

 

〇第2の疑問は、「850万票、15%以上」が提起されたときの基準は2014年衆院選の606万票、11.4%だったのに、それが常幹声明ではなぜ2017年衆院選の440万票、7.9%になったかについてである。参院選の目標を衆院選の実績を基準にして設定することは、両選挙の性格や制度が異なることから避けなければならず、本来的には2013年参院選の515万票、9.7%を基準にすべきだと考えるが、ここではこの話にはこれ以上深入りしないことにしよう。

 

〇その上で思うことは、「わが党は、今度の参議院選挙で2017年総選挙の比例代表で得た『440万票、7.90%』を出発点にし、『850万票、15%以上』の目標に向けてどれだけのばせるかのたたかいとして奮闘してきました」という常幹声明の内容が理解しがたいことだ。「850万票、15%以上」という目標が提起された出発点は明らかに2014年衆院選の「606万票、11.4%」だったのであり、それが何時の間にか2017年衆院選の「440万票、7.9%」にすり替えられている。2013年参院選以降、国政選挙では2度の参院選と衆院選が行われているが、2017年衆院選は共産の比例代表得票数が440万票(7.9%)の最低レベルに落ち込んだ選挙だった。最低レベルの選挙を「基準」にすれば、今回参院選の448万票(9.0%)も「前進」と言えないこともないが、そんな詭弁は余りも悲しいではないか。

 

 〇第3の疑問は、常幹声明が「この基準にてらして、比例代表で低投票率のもと448万票の得票、8.95%の得票率を獲得し、17年総選挙と比較してそれぞれを前進させたことは、次の総選挙で躍進をかちとるうえで重要な足がかりになると確信するものです」と言っていることだ。このことは、今回参院選は48.6%の低投票率であるにもかかわらず、投票率53.7%の2017年衆院選を上回る得票だったことを評価していることを意味する。

 

〇しかし、衆院選と参院選における投票率と共産の比例代表得票数の関係は、参院選では相対的な関係が認められるものの、衆院選ではほとんど関係が見られないのでこの論法は成立しない。言い換えれば、投票率の高低を基準にして衆院選と参院選の得票数を比較することはできないし、しても無意味だということなのである。例えば、2012年衆院選は投票率が59.3%と高かったのに369万票しか得票できなかった。2013年参院選は投票率が52.6%に下がったけれども得票数は515万票に増えた。この両選挙を比較して、2013年参院選が2012年衆院選よりも「前進」したなどと総括することにどれだけの意味があるというのだろうか。

 

【2010年代の衆院選、参院選の投票率と共産得票数・投票率の関係】

衆院選         2012年      2014年      2017年

得票数、得票率  369万票(6.1%)  606万票(11.4%) 440万票(7.9%)

投票率        59.3%       52.7%      53.7%

 

参院選         2013年      2016年      2019年

得票数、得票率  515万票(9.7%)  602万票(10.7%) 448万票(9.0%)

投票率        52.6%       54.7%      48.6%

 

 〇こんな現象が起るのは、衆院選が政権選挙である以上その都度予期しない「想定外」の政変が引き起こされて投票率は上がるものの、事態に対応できない政党が振り落とされて得票を減らすためである。共産が大量の票を失った2012年衆院選(投票率59.3%)は「第3極」の躍進が起り、2017年衆院選(投票率53.7%)は民進党分裂に伴う「枝野立民」の旗揚げがブームを呼んだ選挙だった。

 

 〇このように性格の異なる衆院選と参院選をごちゃ混ぜにして、2017年衆院選得票数を「基準」に今回参院選の結果を論じようとすることなど、まともな政党のすることではあるまい。衆院選は衆院選で、参院選は参院選で、それぞれ時系列的な客観分析が求められることは自明の理なのであり、2016年参院選の602万票(10.7%)が2019年参院選では448万票(9.0%)に落ち込み、▲154万票、減少率▲25.4%になった事実を直視することから、今回参院選の総括は始まると言わなければならない。

 

4.空想的ロマン主義と化した拡大目標

 

〇2015年1月に提起された「比例代表850万票、15%以上」の目標は、2016年参院選では602万票(10.7%)と遠く及ばず、2017年衆院選に至っては440万票(7.9%)にまで落ち込んだ。常識ある組織なら「850万票、15%以上」という目標がもはや〝虚構の数字〟であることに気付くはずだ。だが、そうならないところにこの組織の非現実性(観念的体質)がある。目標達成がますます遠のく現状に苛立った志位委員長は、2018年6月の第4回中央委員会総会で次のように発言している。

「1958年の第7回党大会以来、わが党は、党勢拡大に力を集中する『月間』や『大運動』に取り組んできましたが、率直に言って自ら決めた目標を達成したのは1970年代中頃までの運動であり、その後は奮闘はするが目標を達成できないという状況が続いてきました。今回の『特別月間』ではこうした状況を打ち破りたい、『やれるだけやる』ではなくて、文字通り全ての都道府県、地区委員会、支部が『目標を必ずやり切る』運動として成功させたいと思います」

「『特別月間』のこの目標は、参院選躍進にむけた中間目標であって、党勢拡大の流れをさらに加速させて、来年の参議院選挙は党員も読者も『前回比3割増以上』の党勢でたたかうという目標に挑戦することに『決議案』が呼びかけていることです。この目標の提起は新しい提起であります。『前回比3割増以上』という目標は、党員でも読者でも現勢の1.4倍以上をめざすという目標になります。どんな複雑な情勢が展開したとしても、参院選で『850万票、15%以上』という比例目標をやりきる、その保障をつくるということを考えたら、これはどうしても必要な目標です。2010年代に『成長・発展目標』を達成するという大志とロマンある目標との関係でも、『前回比3割増以上』に正面から挑戦しようではありませんか」

「わが党の歴史をふりかえれば、前回選挙時比で130%以上の党勢を築いて、次の選挙戦で勝利をめざすというのは、1960年代から70年代の時期には、全党が当たり前のように追求してきた選挙戦の鉄則でした。党綱領路線確定後の「第1躍進の時期」―1969年の総選挙、72年の総選挙などでは、いずれも前回比130%の党勢を築いて選挙を戦い、連続躍進を勝ち取っています。(略)来年の参議院選挙・統一地方選挙をそのような党勢拡大と選挙躍進の本格的な好循環をつくる選挙にしていこうではありませんか」

 

〇だが、それとは逆に浮かび上がってきた現実は、ごく最近になって公表された「2017年衆院選比で党員7300人減、日刊紙1万5千人減、日曜版7万7千人減」(赤旗2019年7月30日)という、その後の党勢衰退を示す冷厳な事実だった。本来なら、2013年参院選の党勢を基準に「前回比3割増以上」という目標を掲げたわけだから、党勢の推移(増減)を客観的に分析しようとすれば、2013年時点の数値とその後の増減数が示されなければならない。2013年7月から19年7月に至る6年間の数値が2017年7月以降の2年間に短縮されたのでは、党勢の推移が「何割減」なのかわからないのである。

 

〇とは言え、2017年当初の党勢が「党員数は約30万人でこの20年間に約7万人減少。収入の柱である機関紙『赤旗』の発行部数(日刊紙と日曜版の合計)も20年前と比べると半減した」との京都新聞記事と照合すると、これまでの20年間の年平均減少数は党員3500人減、機関紙読者5万人減となり、この2年間の年平均減少数(党員3650人減、年間読者4万6千人減)とほぼ合致する。20世紀末から21世紀にかけて党勢が確実に衰退し続けているのであり、この現実に立脚すれば、「革命的ロマン主義」を掲げて〝虚構の目標〟を追求することの弊害は大きい。それが「空想的ロマン主義」に陥り、実態を覆い隠す観念主義に転化するからである。

 

5.日本帝国陸軍における「失敗の本質」を想起させる

 

〇過去の(一時的な)成功体験を絶対化・普遍化して基本方針を定立し、その後の情勢変化や敵味方の戦力の変化を一切考慮することなく、ただひたすらに「進軍」「突撃」を命じ続けたのが日本帝国陸軍の体質であり伝統であった。この軍事組織の欠陥を鋭く分析したのが、防衛大学校の戦史研究グループを中心に編纂された『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(中公文庫、1991年)である。

 

〇不遜な比喩かも知れないが、私にはこの日本帝国陸軍の体質と伝統が現在の共産にも流れている(受け継がれている)ような気がしてならない。共産主義が「戦時共産主義」として生まれ、革命を遂行するためには軍隊に比すべき上意下達システムが貫徹され、それが党内民主主義の成長を妨げてきたことは歴史の教えるところだからである。ソ連をはじめ各国の共産政権が連鎖的に崩壊したのも、また現在の中国の強権的体質が批判されているのも全てはこの点に関わっている。

 

〇そんな思いで本書を読み直してみたのだが、多くの兵隊の命を奪った作戦の失敗が軍事組織の欠陥に直結していることを改めて痛感した(ちなみに私は満洲生まれの帰国者)。以下、幾つかの抜粋を紹介して本稿を終わりたい。

 

「日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向があった。これはおそらく科学的思考が組織の思考のクセとして共有されるまでに至っていなかったことと関係があるのだろう。(略)第15軍がビルマでインパール作戦を策定したときにも、牟田口中将の『必勝の信念』に対し、補佐すべき幕僚はもはや何を言っても無理だというムード(空気)に包まれてしまった。この無謀な作戦を変更ないし中止させるべき上級司令部も次々に組織内の融和と調和を優先させ、軍事的合理性をこれに従属させた」(283~284頁)

 

「およそ日本軍には、失敗の蓄積・伝播を組織的に行うリーダーシップもシステムも欠如していたというべきである。ノモンハンでソ連軍に敗北を喫したときは、近代陸戦の性格について学習すべきチャンスであった。ここでは戦車や銃砲が決定的な威力を発揮したが、陸軍は装備の近代化を進める代わりに、兵力量の増加に重点を置く方向で対処した。装備の不足を補うのに兵員を増加させ、その精神力の優位性を強調したのである。こうした精神主義は二つの点で日本軍の組織的な学習を妨げる結果になった。一つは敵戦力の過小評価である。(略)もう一つの問題点は、自己の戦力を過大評価することである。(略)ガダルカナル島での正面からの一斉突撃という日露戦争以来の戦法は、功を奏さなかったにもかかわらず何度も繰り返し行われた。そればかりか、その後の戦場でもこの教条的戦法は墨守された。失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分へ伝播していくということはおどろくほど実行されなかった」(325~326頁)

 

「それでは、なぜ日本軍は組織としての環境適応に失敗したのか。逆説的ではあるが、その原因の一つは過去の成功への「過剰適応」が挙げられる。過剰適応は適応能力を締め出すのである。(略)組織が継続的に環境に適応いくためには、組織は主体的にその戦略と組織を革新していかなければならない。このような自己革新組織の本質は、自己と世界に関する新たな認識的枠組みを作り出すこと、すなわち概念の創造にある。しかしながら、既成の秩序を組み換えたりして新たな概念を創り出すことは、われわれの最も苦手とするところであった。日本軍のエリートには、狭義の現場主義を超えた形而上的思考が脆弱で、普遍的な概念の創造とその操作化ができる者は殆どいなかったと言われる所以がここにある」(410頁)