党勢拡大は割り算でも掛け算でもない、生身の人間を動かすことは大変なことなのだ、京都で2019年参院選の結果を巡る討論会があった(10)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その175)

 総会決議は「最大の弱点は党の自力の問題」と規定し、2019年参院選敗北の原因を党勢の後退に求めている。「わが党は、市民と野党の共闘と日本共産党の躍進という二つの大仕事を一体的に追求する国政選挙を、16年参院選、17年総選挙、19年参院選と3回にわたってたたかってきた。そのいずれの選挙においても、最大の教訓として銘記したのは、〝二つの大仕事を同時に取り組むためには、今の党勢はあまりにも小さい〟ということだった」というわけだ。

 

そして、来年1月開催予定の第28回党大会に向けて、「党員拡大でも赤旗読者拡大でも前大会時(2017年1月)の現勢を回復・突破する」という〝党勢拡大大運動〟が提起された。僅か4か月半という短期間に、過去2年半分の党員・機関紙読者の減少分を取り戻そうというのである。具体的には、4カ月半で党員2万人(4400人/月)、機関紙読者14万3千部(3万2千部/月)という目標になるが、果たしてこんなことが可能であろうか。

 

1980年をピークに40年の長期にわたって減り続けてきた党勢を「V字型」に回復させるためには、それ相応の条件があることを示さなければならない。それが野党共闘の前進によって共産党を取り巻く「壁」がなくなったことであり、情勢は「新しい共闘の時代」に入ったということらしい。だが、前回の拙ブログでも検証したように、「新しい共闘の時代」を迎えた2016年参院選以降、19年参院選までの3年間に党勢は党員▲6%、日刊紙▲11%、日曜版▲13%の減少をみており、3回の国政選挙における比例代表得票数は16年参院選602万票から17年衆院選・19年参院選の440万票台へ▲154~162万票も減少するという「想定外の事態」が発生している。つまり、志位委員長が力説するような外部環境の変化とは全く関係なく、党勢と得票数はその後も依然として後退を続けているのである。

 

〝党勢拡大大運動〟と現実との間に真逆の事態が生じるのは、党勢拡大の主体的条件である党組織の状況がリアルに把握されていないか、あるいは(意図的に)報告されていないかのどちらかだろう。拙ブログの試算によれば、党組織の死亡者数/年は5千人前後、離党者数/年もほぼそれに匹敵する規模に達しており、新入党員3千人弱/年では到底埋め切れない状況になっている。それが、8千人/年という凄まじい党員減少数となってあらわれているのである。

 

このような(坂道を転げ落ちるような)党勢後退の勢いを止めるだけでも大変なのに、それを逆転させて党勢拡大につなげることは至難の業というほかない。総会決議は、事もなげに「全ての支部・グループが新しい党員を1人以上」「1支部当たり日刊紙読者2人以上、日曜版読者7人以上」拡大すれば達成できるなどと言っているが、生身の人間がことに当たらなければならない以上、拡大目標数を単に支部・グループの数で割り算するだけという、こんな機械的な計算で生身の人間を動かせると思う方がどうかしている。

 

中央委員会総会以降、赤旗は連日〝党勢拡大大運動〟の大キャンペーンを打っている。スローガンは「野党共闘から野党連合政権へ」というもので、野党共闘をバージョンアップした目標設定で党内を元気づけようとする魂胆らしい。だが、肝心の「野党連合政権」の姿は遠のくばかりだ。「『1強』打破へ野党結集」と銘打って立憲民主党や国民民主党などが結成した衆参統一会派は、1カ月にもわたって政策や人事で揉めた挙句、出来上がった代物は旧民進党の分裂会派の継ぎ合わせで何の新味も面白みもない。記者会見の写真を見ると、野田元首相や枝野元官房長官の見慣れた(見飽きた)顔が並んでいて、もうこれだけでぞっとする(辟易する)。世論調査一つを取って見ても野党連合政権への期待はまったく感じられず、追い風どころか「そよ風」一つも吹いていない「べた凪(なぎ)」状態なのだ。

 

〝党勢拡大大運動〟の結果は来年1月にいずれ明らかになるだろうが、もはや従来方式の拡大運動は限界点に達しており、そのうち党員数にこだわらない新しい政治組織のあり方を考えなければならなくなることは必定だ。党の影響力を党勢で計るのではなくて、支持力の大きさで計るような方向への転換であり、党員数が少なくても政党支持率が上がり、選挙戦では得票数・得票率が伸びるような活動スタイルへの転換である。

 

このことは党組織の抜本的な体質改善なしには不可能だろう。方針は上部機関が「決定」「指示」し、下部組織や個々の党員はそれを「学習」「実行」するだけといった活動スタイルには誰も付いてこない。3割強の党員しか決定事項を読了せず、大半の党員がソッポ向いているという事実(総会決議)がそのことを証明しているではないか。若者は自分の頭で考え、自分が納得しなければ動かない。「目標」を与えられて「学習」「実行」し、「点検」「指示」されるような組織にはもはや誰も寄り付かないのである。

 

とはいえ、組織の体質改善は人間改造の問題だからこれにはとてつもなく時間がかかる。今日まで指示し点検することだけで生きてきた人間が、ある日突然民主的な人間に変われるものではないからだ。まして、80歳半ば及ぶ後期高齢者がいまだ最高幹部として君臨している現状からみれば、65歳以上の幹部が総退陣でもしないかぎり体質改善は当分無理かもしれない。この種の人間がいなくなるまで体質改善は困難だとなると、あと20年ぐらいは党組織の後退が続くという悲劇的な予測も成り立つ。

 

結局、党組織は「人」なのである。魅力ある人間が集まらない組織は人を引き付けることができない。機関紙もまた魅力的な紙面でなければ購読者を増やすことができない。機関紙とはいえ購読料をとるのだから何よりも「新聞」であることが求められる。肝心のニュースが少なくて指示ばかりが目につくようではでは、これは「ビラ・チラシ」の類であって「新聞」とは言えない。紙面から面白くて価値あるニュースがなくなれば、読者は自ずと離れていく。機関紙読者数の減少の背景には、最近の赤旗は「(ものすごく)面白くなくなった」という声が根強く存在することを銘記すべきなのだ。

 

これからの選挙は、地方選挙であれ国政選挙であれ、候補者の人選が決定的な役割を果たすようになるだろう。党名を書いてもらえばそれでいい、といった安易な選挙戦術は通用しなくなる。野党共闘や野党連合政権を「切り札」にすれば自ずと票が集まる―といった「キャッチコピー選挙」も姿を消すだろう。定数が増えたとはいえ埼玉選挙区で新たなに1議席を獲得したことは、地元のために努力を重ねてきた魅力ある候補者があってのことだ。魅力ある候補者を集めるためには党組織自体が魅力ある存在にならなければならない。いずれが「ニワトリかタマゴか」は別にして、要するに抜本的な体質改善なくして〝党勢拡大大運動〟は成功しないのである。