京都市長選における福山立憲民主党幹事長の二律背反的な振る舞い、国政における野党共闘と京都市長選における〝自公国立社オール5党体制〟は両立するのか、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(12)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その189)

 

 今日の「赤旗」には、昨日1月14日から始まった第28回党大会の記事が大きく出ている。とりわけ大会第1目の3野党代表などの挨拶が全紙を使って掲載されるなど、野党共闘に懸ける共産党の期待が滲み出ているようだ。その中で私が注目したのは、国民民主党は平野幹事長、社民党は吉川幹事長が挨拶しているのに、立憲民主党は福山幹事長ではなく安住国対委員長が挨拶していることである。

 

 それはそうだろう。福山幹事長はその2日前の京都市長選の〝自公国立社オール5党〟総決起大会に立憲民主党を代表して参加し、自民党国会議員と並んで現職候補に檄を飛ばしていたのだから、いくら何でも共産党大会に出られるはずがない。国政では自公与党と「対決」しながら、京都では自公両党と手を組むなどの芸当が平気なこの政党は、いったいどこに立ち位置があるのか疑わしいこと限りない。

 

 立憲民主党京都府連は昨年12月8日、国民民主党京都府連に続いて現職候補の推薦を決めたが、福山氏は同日、京都府連会長を辞任している。各紙は「党務に専念するため」とその辞任理由を伝えているが、実のところは国政では野党共闘を進めているのに、京都では自公両党の推薦する現職候補を応援することへの支持者の反発が強いので(立憲民主の市議の1人がすでに離党している)、京都から「逃げた」のではないかと言われている。

 

それでいて、立憲民主党幹事長という党務に専念すべき要職にありながら、福山氏は京都市長選の〝自公国立社オール5党〟の総決起大会には「党務」を放棄して駆け付けるのだから、こちらの方の絆がよほど太いのだろう。京都ではこのように国政と地方政治のねじれが普通になっているが、国政と京都府市政のねじれのどちらが本筋なのか分からない。権謀術数の渦巻く古都京都では、その「ねじれ」を見抜く市民でなければ政治の先行きはなかなか見通せないのである。

 

話を前回の続きに戻そう。1月12日の「未来の京都をつくる会・総決起集会」(門川候補の選挙母体)で参加者に配布された選挙資料は、(1)A4版43頁の分厚い選挙公約、『市民のみなさまとの141のお約束~確かな実行力!「くらしに安心、まちに活力、みらいに責任」~』、(2)折り畳み式の選挙公約ダイジェスト版(総合編)、(3)『市民のみなさん、「本当のこと」を知っておいてください』のビラ、(4)『京都市創造都市圏・環状ネットワーク』のビラの4種類である。

 

 『141のお約束』は市政資料集ともいえるもので、3期12年の門川市政の実績を強調する編集になっている。でも、これほどの分厚い資料を読みこなす市民はそう多くないと思われるので、ここではダイジェスト版を中心に内容を見てみたい。まず目につくのは、冒頭の「私の決意と基本政策」における次の一節だ。

 「私は次の4年間、これまでの3期12年の延長線上で仕事をする考えはありません。人口減少や少子化の克服、長寿社会への対応、地球温暖化、相次ぐ自然災害、貧困・格差・孤立の克服、更には、市民生活を最重要視した市民の豊かさに繋げる持続可能な観光、しなやかで強靭なレジエント・シティの推進、誰ひとり取り残さないSDGsへの貢献、そして、持続可能な財政の確立。これらの大きな課題に市民の皆様と共に挑戦したい」

 

 人口減少や少子化の克服、地球温暖化といった国家的レベルの課題までを掲げた門川候補の決意に対して、「その意気たるや壮とすべし!」と感嘆するか、「大言壮語にすぎない!」と一蹴するかはそれぞれの自由だが、私はあからさまな「争点ぼかし」だと受け取った。141項目もの膨大な公約を並べれば、一体何が重点政策なのかが分からなくなる。京都ではいま、押し寄せるインバウンド観光客によるオーバツーリズム(観光公害)が大問題になっているのに、この公約集にはこの2つのキーワードが全く出てこない。各種の公約が並列的に並べられているだけなのである。

 

門川氏は、昨年末に開かれた京都新聞の討論会では、「市民生活の快適さなき観光振興はない。政策の総点検を行い、混雑、マナー、宿泊施設の急増という三つのテーマに50の取組を打ち出した」との姿勢を強調していた。しかし、公約ダイジェスト版ではオーバツーリズム(観光公害)の現状を認めたくないのか、「オーバツーリズム」や「観光公害」という言葉は一言も出てこない。混雑、マナー、宿泊施設の急増という三つのテーマは、「観光の今日的課題」と表現されているだけだ。

 

上記の三つのテーマが「観光の今日的課題」すなわち「一時的課題」というのであれば、これらの問題はいずれ消えてなくなるような一時的問題だということになる。だが、市が当初予測した4万室をはるかに上回る6万室近い宿泊施設が建設されつつある現在、2020年以後は空部屋が蔓延してホテル経営が立ち行かなくなり、「宿泊施設急増問題=宿泊施設過剰問題」として、京都観光・京都市政の足かせになること間違いなしだろう。

 

景観政策に関しても言っていることとやっていることが違う。討論会では、「戦後、景観論争が京都の最大のテーマだった。国に対し景観法の制定を求め、10年間は絶対この景観政策が変わることがいけないと理念を守ってきた」、「景観政策は百年の計で評価は50年、100年後に出る。景観政策を変えますとは言っていない」と言いながら、実際はオフィスや若い人の住宅が足りないといった理由で景観規制や都市計画規制を緩和するというのである。公約ダイジェスト版ではこれらの規制緩和には一切触れず、「都市計画の手法を活用し、子育て世代・若者の居住環境・オフィス空間を創出」と書いているだけだ。

 

選挙公約は口ではなく行動で担保されなければならない。「理念」は遵守するが「実際」は規制緩和するというのでは、市民に対して噓をつくことになる。門川氏は、市民生活のための喫緊の対策として「三つのテーマ」を設定した。だがよく考えてみると、混雑対策やマナー対策と宿泊施設急増問題は全く次元の異なる課題ではないかと思う。前者は目先の応急対策の一環であるが、後者は京都の「都市構造=都市の性格」に関わる基本問題なのである。目先の問題を一定解決しても、宿泊施設の急増によって市民の働く場所と住む場所がなくなれば、京都の人口減少が加速し、ゴーストタウン化を阻止することが困難になる。宿泊施設の急増によって「住んでよし、訪れてよし」の観光理念が空文化すれば、国際文化観光都市としての京都の性格が一変する恐れもある。

 

オーバツーリズム(観光公害)への市民の批判が急浮上する中で、門川氏が「三つのテーマ」の1つとして宿泊施設急増問題を取り上げたまではよかったが、それが混雑・マナー対策と同列に論じられるようでは一片の選挙ビラの見出し程度と変わらない。選挙が終わればまた、何事もなかったかのような元の木阿弥状態に戻るだけだ。(つづく)