中国新型コロナウイルス肺炎の拡大でインバウンド観光に黄信号、京都市内の宿泊施設過剰問題の破綻が一段と早まるおそれ、安倍内閣支持率下落と野党共闘の行方(16)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その193)

 

 政府観光庁が1月17日に発表した2019年の訪日外国人旅行者数(推計)は3188万人(対前年比69万人増、2.2%増)だった。2018年は3119万人(対前年比250万人増、8.7%増)だから、これまでの伸びに比べて大幅な下落となった。訪日客数は辛うじて前年を上回ったものの、当初の2020年4000万人の目標達成は難しいとされている。最大の要因は、日韓関係の悪化にともなう韓国人客の激減だ。2019年の韓国からの訪日客は196万人減、25.9%減の558万人となり、僅か1年で4分の1が消えたことになる。

 

 一方、中国人客は959万人(対前年比121万人増、14.5%増、全体に占める割合30.0%)と絶好調だ。JTBは韓国人客の減少にもかかわらず、2020年の訪日客数を3450万人(262万人増、8.2%増)と強気の予測をしている。これは、中国人客の増加がこれからも続くと見なしているからだ。

 

京都市の観光統計は、2018年までの数字が『京都観光総合調査』(市産業観光局)で公表されている。2016年から2018年までの最近3年間の外国人宿泊客数(延べ人数)は631万5千人から961万5千人へ1.5倍の伸びとなっており、うち韓国人客は30万人(全体の4.8%)から57.7万人(同6.0%)へ1.9倍、中国人客は146万人(同23.1%)から246万5千人(同25.6%)へ1.7倍と伸びが大きい。

 

訪日外国客の国・地域別割合を2018年で比較すると、中国人客は全国26.5%、京都25.6%とほとんど変わらないが、韓国人客は全国14.2%に対して京都6.0%と半分以下になる(全国では九州の比率が高い)。したがって、たとえ韓国人客が4分の1減ったとしても、京都では比較的影響が少ないと思われているようだ。

 

問題は中国人客の動向だろう。2109年の全国数字をそのまま京都市にスライドして宿泊客数を推計すると、京都市内の中国人客の延べ宿泊客数は246万人の1.15倍、283万人になる。京都市全体の外国人延べ宿泊客数は961万人の1.02倍、980万人だから、中国人客が宿泊客全体の3割近くを占めることになる。京都中が中国人客で溢れかえっていると感じるはそのためで、もし中国人客に異変が生じると京都の宿泊施設は大打撃を受けることになる。

 

心配なのは、中国の湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスによる肺炎の感染が急速に広がってきていることだ。2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)ウイルスの発生時には情報が隠蔽され、そのことが事態の拡大と深刻化を招いたことがよく知られている。今回は中国政府が情報公開を徹底して対応に当たることを表明しているものの、イギリス・ロンドン大学の研究チームは1月12日までの感染者数が1700名を上回るのではないかと指摘している(中国政府発表は数十人だった)。

 

中国では間もなく30億人が大移動する旧正月(春節)が始まる。海外旅行もSARSが流行した2003年の年間2000万人から2018年には8倍の1億6000万人に急増しており、春節の海外旅行のトップは日本になっている。もし、中国で新型コロナウイルス肺炎が拡大するような事態になれば、旅行先の日本に影響が及ぶことは避けられないだろう。

 

 インバウンド偏重の観光政策は、災害や感染症の発生、国際経済や国際関係の悪化、テロや戦争などによる変動が大きく、極めて脆弱な体質であることを指摘しなければならない。災害列島日本では東日本大震災、大型台風・西日本豪雨などの自然災害が間断なく発生し、その度に外国人旅行者は大きく減少した。最近の日韓関係の悪化にともなう韓国人観光客の激減もその典型の1つであり、これに中国人客の感染症拡大が加わると「観光立国日本」はパニック状態に陥るかもしれない。

 

これに対して菅官房長官は、昨年9月の記者会見で「韓国は大幅減になったが、中国が16%、欧米や東南アジアは13%の大幅増となっている。1月から8月までの総数も3.9%増だ」と述べ依然として強気の姿勢を崩さず、政府が掲げる「2020年外国人旅行者4000万人」目標は達成可能であり、そのための環境整備に取り組むことが政府の役割だと重ねて強調していた(各紙9月20日)。だが、このような強気発言はもはや通用しない。

 

京都の宿泊施設急増問題は、もはや〝宿泊施設過剰問題〟に転化しているのではないか。門川候補は「急増問題」に取り組むと言っているが、「過剰問題」には目を瞑っている。京都の「オーバーホテル問題」は、2020年東京オリンピック後を待たずして遠からず本格化するかもしれないのである。(つづく)