学校教育法の一部改正で副学長の職務・権限が強化され、大学自治の基盤である教授会権限が剥奪された、京大執行部体制においては総長イニシアティブの空洞化が一路進んだ、山極壽一京大総長の虚像と実像(その5)

 文科省大学振興課長の寄稿論文、「大学のガバナンス改革に関する学校教育法等の改正について」(『大学評価研究』第14号、2015年8月)においては、学校教育法の一部改正の意義が、(1)副学長の職務(第92条第4項関係)、(2)教授会の役割の明確化(第93条関係)に絞って紹介されている。文科省にとっては、それほど上記2項目の改正が重要だったということだろう。以下は、その解説である。

 

【副学長の職務】

 「副学長の職務については、改正前は『学長の職務を助ける』と規定されていたが、これを『学長を助け、命を受けて校務をつかさどる』と改めた。これは、学長の補佐体制を強化するため、学長の指示を受けた範囲において、副学長が自らの権限で校務を処理することを可能にし、より円滑かつ柔軟な大学運営を可能にしようとするものである」

 「今回の法改正の目的の一つは、各大学において学長がリーダーシップを発揮できるようにすることであるが、学長がすべての職務を一人でこなすことは現実的でなく、学内で適切に役割分担を行うことが重要と考えられる。今回の法改正を踏まえ、例えば、日常的な業務執行を副学長に委ね、学長が中長期的なビジョンや運営方針の策定等に注力したり、特定のプロジェクトについては副学長が責任者として実施するなど、学長と副学長が適切な役割分担を行いながら、より機動的で的確な大学運営を推進することが期待される」

 

【教授会の役割の明確化】

 「教授会については、改正前は『大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない』と規定されていたが、教授会は教育研究に関する事項を審議する機関であり、また、決定権者である学長等に対して意見を述べる関係にあることを明確化するため、以下のように改正した。①教授会は、学生の入学、卒業及び課程の終了、学位の授与その他教育研究に関する重要な事項で教授会の意見を聞くことが必要であると学長が定めるものについて、学長が決定を行うに当たり意見を述べるものとした(第93条第2項)。②教授会は、学長等がつかさどる教育研究に関する事項について審議し、及び学長等の求めに応じ、意見を述べることができることとした(第93条第3項)」

 「多くの大学において、本来教学に関する事項を審議すべき教授会が、大学の経営に関する広範な事項について審議を行ったり、法律上審議機関であり、法的にはその審議結果に対して直接責任を負わない教授会が、事実上議決機関として意思決定を行ったりすることで、権限と責任の一致しない状況となっていることが指摘されてきた。今回の法改正は、こうした状況を是正し、教授会の役割、特に学長と教授会との関係を明確化することを通じて、権限と責任の所在を一致させ、各大学における学長のリーダーシップの発揮や機動的な意思決定を一層促進しようというものである」

 

文科省官僚によるこのような露骨な解説が示すように、安倍政権の下では(学内リベラル勢力の後退のために)大学と文科省の力関係が決定的に変化しており、もはや法改正を阻止するようなエネルギーが大学には残っていなかったのだろう。こうして学校教育法の一部改正は、2014年6月17日に公布されるが、これは山極氏が総長に選出される直前のことであり、当然のことながら山極氏は改正条文を読んでいたはずだ。それでいて、従来に比べて飛躍的に存在感が増した副学長ポストに松本体制を支えてきた人物を指名したのはなぜか。

 

私は、山極総長の在任期間中に起った数々の学内問題への対応、例えばタテカンの一方的禁止と撤去、吉田寮寮生との話し合い拒否、退去勧告と提訴、関東軍731部隊軍医将校の学位授与検証の無視、琉球王国人骨の返還拒否などをめぐって、大学当局が「問答無用」の強硬姿勢で臨んできたことにかねがね疑問を抱いていたが、この事態の根本原因が、山極総長の組閣人事(旧体制派を理事・副学長に指名)にあることに思い至ったのはつい最近のことだ。というのは、今回の法改正によって副学長は、これまでの単なる学長補佐役から「日常業務を自らの権限で校務を処理する」ことが可能になったからである。

 

また、「学長が中長期的なビジョンや運営方針の策定等に注力したり、特定のプロジェクトについては副学長が責任者として実施するなど、学長と副学長が適切な役割分担を行いながら、より機動的で的確な大学運営を推進することが期待される」とあるが、国立大学法人京都大学の組織に関する規程によれば、第3条の2(プロボスト)に、「総長が指名する理事は、法人及び京都大学の将来構想、組織改革等に関する包括的又は組織横断的課題について、戦略を立案するとともに、策定された戦略の推進に向け、調整を図るものとする」との条項があり、湊理事・副学長が指名されている。こうして、大学の日常業務はそれぞれの理事・副学長が分担し、大学全体の将来構想や組織改革に関する戦略的課題は「プロボスト=筆頭副学長」が立案・推進するようになると、山極総長がいったいどこでイニシアティブを発揮するのかわからなくなる。

 

これに輪をかけたのが、山極総長が国立大学協会会長、日本学術会議会長の要職に就いたことだ。これらのポストをこなすための東京への出張が重なるようになると、学内問題の処理は勢い理事・副学長の手に委ねられるようになり、山極総長は役員会においても議長席に座るだけの存在、言い換えれば事後報告を受けるだけの存在になり、実質的な議論に参加することがますます困難になる。いわば山極氏は「外回り」の仕事だけになり、「内回り」のことは筆頭副学長を中心に執行されていく学内体制がいつの間にかでき上がってしまっていたのである。

 

こうして、総長イニシアティブの空洞化とともに大学ガバナンスの空洞化が一路進むようになると、京大の中での山極氏の影はますます薄くなる。山極氏がタレントまがいの講演や対談の依頼に応じ、さまざまな分野のタレント(お笑い芸人とさえ)との出版に精を出すようになったのは、京大総長としての存在感の喪失を紛らわすためであったかもしれないが、そうであれば、ご本人にとっても大学にとっても悲しいことだ。

 

 6年前、山極氏が京大総長に選ばれたとき、口勝手なことを言っていた連中に最近会う機会があった。コロナ禍のなかでもあり、いつものように喧々諤々(けんけんがくがく)の議論とはいかなかったが、結論は不思議なことに一致した。要するに山極氏は「ゴリラ研究者」であって、それ以上でもそれ以下の存在でもなかったということだ。比喩的表現として適切かどうかはしらないが、「やはり野に置けれんげ草」という句が妙に当てはまる。一同何となく納得して散会した。