この人物には思想もなければ知性もない、あるのは恐怖政治による飽くなき権力支配欲だけだ、菅内閣と野党共闘の行方(6)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その231)

やっと始まった菅首相の衆参両院所信表明演説だったが、2日間にわたる代表質問への答弁を聞いて、この人物には日本国憲法に関する基本知識もなければ、法治主義に基づく統治思想についても理解ゼロ(何も学んでいない)だということが腹の底からわかった。地方議員時代(横浜市議)から職員人事に介入することで権力者としての地位を獲得してきたとの自負があるのか、人事には異常な関心を示し、人事介入と人事操作を武器に権力階段を一歩一歩登ってきたという、その種の人間特有の不気味さと臭気が菅首相の身体全体から漂ってくるのである。

 

一時期は「令和おじさん」ともてはやされ、「パンケーキ」が好きな庶民感覚の政治家、あるいは秋田出身の「たたき上げ」の苦労人などといった田舎っぽいイメージを振りまいていたこともあったが、学術会議会員候補者の任命拒否によって「化けの皮」が一気に剥がれてしまったことは、当人にとっても予想外の出来事だったのではないか。国民の前で被っていた「令和おじさん」の仮面の下の素顔が丸見えになり、冷酷極まりない権力者の正体が露わになったからだ。

 

今回のような行為は、これまで人事権の掌握を通して国家官僚を思うがままに操作してきた官房長官時代の経験からすれば、日常茶飯事だったのかもしれない。しかし高級官僚なら自分の出世を考えて権力に迎合するかもしれないが、学者・研究者の場合はそうはいかない。学術会議会員候補者の任命が理由もなく拒否されるような行為は、多くの学者・研究者に対して「居間に土足で踏み込む」ような威圧感と恐怖感を与えることで、誰もが学問の自由、研究の自由が侵される危険が身近に迫っていることを察知したのである。

 

学者・研究者と同じく作家や芸術家、映画監督なども似通った反応を示している。毎日新聞夕刊「特集・ワイド」欄では、最近この問題に関連して大型インタビュー記事が掲載されるようになった。その中でも特に印象深かったのは、作家辺見庸氏の「首相の『特高顔』が怖い」(10月28日)、井筒和幸映画監督の「キナ臭いよな、権力むき出しの暴力、若者よ立ち上がれ」(10月29日)だった。辺見氏は次のように語る(抜粋)。

「菅さんってのはパンケーキだか何だかが好きだっていうね。可愛いおじさん? でも俺から見ると彼は昔の特高(戦中の特別高等警察)の仕事をしていると思うんだよね。日本学術会議の人選で容赦なく6人を外すっていうのがそうでしょ。前代の安倍さんもそうだけど、菅さんの場合は機密という意味のインテリジェンスがあっても、総合的な知性というインテリジェンスがないと思うんです。だから、この人は好かんな、怖いなというイメージがあります」

「菅さんっていうのはやっぱり公安顔、特高顔なんだよね。昔の映画に出て来る特高はああいう顔ですよ。で、執念深い。今まで(の首相が)踏み越えなかったところを踏み越えるような気がする。総合的な品格に裏付けされたインテリジェンスを持っていない人間の怖さだね。(略)安倍の方が育ちがいい分、楽だった。でも菅さんはもっとリアルで違うよ。今まで為政者を見てきてね、こいつは怖えなと思ったのは彼が初めてだね。(略)僕は戦争を引きずっている時代を知っているわけ。だから、ああいう特高警察的な顔をしたやつがいましたよ。たたき上げ、いわばノンキャリでさ。(情状の通じない)手に負えないという怖さがあるんだ」

 

また、井筒監督は次のように言う(同)。

「何やらキナ臭いよな。キナ臭いってのはさ、何がどうなるやらよう分からんって意味でしょ。すぐ我々映画屋に負荷がかかってくるとかいう話ではないと思うし、直ちに表現の自由を奪うかは別次元の問題だしね。それでも、なんかキナ臭いって感じてしまうんだなあ」

「科学はほったらかしにされても自由に育つもの。誰かが、ましてや政治が規制するものじゃない。研究者は言われなくても日々科学を深めますよ。排除された6人の研究領域は、政治や歴史検証など人文・社会科学の分野。そうした学問こそ、時の政権への忖度なしに研究が進められるべきものでしょ。なのに政府は彼らを除外することで、その学問の力まで弱めようとしている。政府がしていることは、『我々の歴史認識、政治手法に触れるな』という、これは恫喝だよ。安倍晋三政権を『継承』した菅内閣は、憲法を改変しようとするのではないか。目障りとなりそうな学者を排除し、日本を『次』のステージに進めるつもりでは」

 

さすがに、作家や映画監督の皮膚感覚は鋭い。学者・研究者ならまず言説や行動の分析から入るが、お二人は視覚と嗅覚で菅首相の権力者としての本質を一瞬にして見抜いている。そして、国民もまた視覚と嗅覚で菅という人物の陰湿な権力体質を薄々感じ始めているのではないか。これまでマスメディア相手に木で鼻をくくったような答弁に終始してきた菅氏が、漸く国会という表舞台で容赦なく国民の視線を浴びるようになった今、その本質が視覚と嗅覚を通して露わになるのも時間の問題だろう。

 

今国会の施政方針演説と代表質問のやり取りで明らかになったことは、菅首相が学術会議会員候補者の任命拒否に関して「変更するつもりはない」と何回も断言したことだ。これだけはっきりとした答弁を繰り返すのだから、彼自身はもはや後戻りできない状態に追い詰められているのだろう。おそらく予算委員会でも「総合的、俯瞰的に判断した」と、壊れたレコードのように繰り返すだけだ。

 

それでも野党は彼を徹底的に追い詰めなければならない。機械的答弁を繰り返す菅首相の傲慢な態度や冷酷な表情を白日の下に曝すことによって、国民が皮膚感覚を通して彼の陰湿な権力体質を理解する機会を提供することが何よりも重要だからだ。結果は次の世論調査であらわれる。おそらく男性よりも女性の支持率が下がるだろう。菅首相の本質を理解する上で、皮膚感覚に優れていることは必須条件だからである。(つづく)