大阪都構想が住民投票で否決、保守補完勢力の維新・公明の敗北は菅政権を直撃した(上)、菅内閣と野党共闘の行方(7)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その232)

大阪都構想が住民投票で否決、保守補完勢力の維新・公明の敗北は菅政権を直撃した(上)、菅内閣と野党共闘の行方(7)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その232)

 固唾を呑んで見守っていた「大阪都構想」が、11月1日の住民投票で5年前に引き続き否決された。私は大阪府立高校の出身なので、大阪や堺には知人友人が沢山いる。5年前の住民投票では大阪に出かけて行って行動を共にしていたが、今回は地元京都でのいろんな出来事が重なり、反対運動に十分に参加できなかった。それでも日々送られてくる情報に神経をそばだてていたことには変わりない。

 

賛成、反対の票差は前回と同じく僅差(投票数の1%余り)だった。それでもこの勝利の重要性はいくら強調してもし過ぎることはない。たとえ1票でも賛成が反対を上回れば、歴史ある大阪市が永遠に消えてしまうのだから、反対が1万7千票余りも上回ったことは、画期的出来事だと言わなければならない。しかも投票率が60%を超えての勝利だから、まさに大阪市民は歴史的な決断を下したのである。

 

投票結果を報じている各紙(大阪本社版)を全て読んでみたが、いずれも特大の紙面で扱っていた。帰りに立ち寄った喫茶店のマスターと感想を交わしたところ、「可決されていたらこんな大きな扱いにはならなかった」というのが一致した意見だった。逆に言えば、否決されたことがそれほどの「大事件」だということなのである。大阪都構想の住民投票結果は、単に「大阪ローカル」の問題にとどまらず、「全国マター」の政治問題に発展する可能性を秘めているのであり、菅政権を直撃するくらいのマグマをもった大事件なのである。

 

周知の如く、菅首相は大阪維新の会の松井代表と古くから親密な関係にあり、また創価学会幹部(副会長)ともホットラインで連絡を取り合うほどの仲だと言われている。毎年の暮れには、安倍・橋下・菅・松井(敬称略)の4人が宴席を囲むことが恒例となっており、維新が自民補完勢力として破格の待遇を受けていたことがわかる。そこで話し合われていたことは、自公政権が次第に力を失いつつある現在(公明幹部の自民追随があまりにも露骨なので、創価学会会員が離反しつつあると言われている)、維新を第2補完勢力に取り込んで「自公維政権」、あるいは公明が離反したときは「自維政権」をつくり、〝中央集権国家〟への国家改造を推し進めるための謀議だったとされている。

 

この点で、安倍・菅と橋下・松井は「肝胆相照らす仲」だと言っていい。大阪維新は、大阪都構想を手はじめに次は大阪府下市町村を束ねた「グレーター大阪」、その次は近畿各府県を一括する「関西州」を実現し、最後は日本全土に「道州制」を敷くことで〝中央集権国家・専制国家〟を完成させるという一大野望を抱いていた。松井は「地域政党=大阪維新の会」の代表でありながら、同時に「国政政党=日本維新の会」の代表を兼ねているのは、地域政党・大阪維新を国政政党・日本維新へ発展させるための布石であり、そのどこかの時点で橋下を「日本維新の党首」として復活させることが想定されていた。

 

その意味で、大阪都構想が大阪維新のスタート地点である「1丁目1番地」だということは間違いないにしても、大阪維新は日本維新として戦後の地方自治制度の根幹(府県制、市町村制)を破壊し、その先に(日本財界の悲願である)道州制を実現させるというゴール地点「X丁目Y番地」を目指していた。明治維新以降、幾多の歴史を重ねて現在に至った民主主義の根幹である地方自治制度(府県制、市町村制)を破壊することが日本維新の究極の目標であるからこそ、安倍・菅政権は彼らを破格の待遇でもてなし、自民の前哨戦部隊として利用することに厭わなかったのである。

 

だが賢明にも、大阪市民はその野望を2度にわたって打ち砕いた。1度は橋下を下して政界から(一時)引退させ、今度は松井を引退声明させる破目に追い込んだのである。松井は大阪維新代表から退いて日本維新代表に専念するというが、彼の年齢からしてもはや道州制を目指すエネルギーは残っていないだろう。また、今回の大阪都構想の否決で、維新の全国政党への道は極めて険しくなったことも間違いない。東京都知事選で予想外の得票を獲得したような「維新旋風」はもう起こらないだろう。大阪維新(親亀)がこければ、日本維新(子亀)もこけるしかない。かくして、安倍・菅政権の策略は大阪都構想とともに破綻したのである。

 

だが、事態はこれで終わらない。それは、大阪都構想住民投票が「常勝関西」といわれた大阪の創価学会会員に与えた影響が予想以上に大きかったからだ。大阪維新の前にひれ伏し、大阪での議席欲しさに「大阪市を売った公明」に対する反感と批判が渦巻いているからだ。次回はそれについて書くつもりだ。(つづく)