菅政権が〝末期症状〟を呈している、強権・恫喝政治の行きつく先は懲役・罰金行政でしかない、菅内閣と野党共闘の行方(19)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その244)

 

 菅政権が〝末期症状〟を呈している。学術会議会員候補者6人の任命拒否に端を発した菅政権の強権・恫喝政治は、新型コロナ対策が悉く後手に回る中で、遂に懲役・罰金行政に行きついた。厚生労働省は1月15日、感染症の専門部会を開き、新型コロナウイルス対策として入院勧告を拒否した感染者に対して罰則を設ける案を示し、おおむね了承されたという。政府が与野党に示した感染症法改正案では、入院勧告に反した場合には「1年以下の懲役または100万円以下の罰金」、保健所の調査を拒否したり、虚偽の申告を行ったりした場合には「50万円以下の罰金」などが想定されている(各紙、1月16日)。

 

 これに対し、医療系の136学会でつくる日本医学会連合はその前日1月14日、「新型コロナの感染者への偏見を防ぐ対策を講じず、罰則を設けることは倫理的に受け入れ難い」「個人が罰則を恐れて検査を受けなかったり検査結果を隠したりする恐れがあり、感染抑止がかえって困難になる」との緊急反対声明を出した。日本公衆衛生学会と日本疫学会も同日、罰則は適切でないとする声明を出した。学術会議会員候補者(人文社会系)の任命拒否問題ではなかなか動かなかった医学会も、菅政権の強権政治が自らの領域に及んでくるに至って、遂に立ち上がらざるを得なかったのだろう(同上、1月15日)。

 

 それにしても、菅首相の最近の失態(醜態)ぶりは目に余る。新型コロナの感染拡大で緊急事態宣言の対象区域を広げる1月13日の記者会見では、首相は肝心の県名を「福岡県を静岡県」と言い間違えたばかりか、会見の終わりまで言い間違えたこと自体に気づかなかった。麻生元首相の漢字の読み間違えは、国民の失笑(嘲笑)を買って早期退陣の引き金になったが、こちらの方はまだ実害が少なかった。それに比べて菅首相の言い間違えは深刻だ。緊急事態宣言の発令区域が該当する県から関係のない県になれば、当該区域住民の命と健康は守れない。首相がその政治責任を自覚していないとすれば、これはもう「付ける薬がない」ということになる。

 

 かくなる失態を曝しても平然としている(振りをしている)菅首相とは、いったいどういう人物なのか。最近、神戸の友人から送られてきた中野晃一上智大教授(政治学)の安倍・菅分析が面白かった(全国新聞ネット、2020年9月17日、12月22日)。少し長くなるが、さわりだけでも紹介しよう。

 

 「安倍は、2012年12月に民主党政権とともに二大政党制が崩壊した際に政権復帰を果たし、官邸支配と呼ばれる強権的な仕方で不都合な公文書の隠蔽、改ざん、廃棄までも自ら犯すほどに官僚制を掌握、操縦した(略)。森友学園問題、加計学園問題、桜を見る会問題、検察幹部定年延長問題、カジノ汚職事件、河井夫妻による買収事件など枚挙にいとまがない数々のスキャンダルについて、法の支配をゆがめ、説明責任の放棄を繰り返しても、菅官房長官が『全く問題ない』『適切に対応している』『その指摘は当たらない』と言えば済んでしまう、新しい政治体制(レジーム)――言うなれば2012年体制――を築いてきたのである」

 「菅が安倍や二階によって後継首相に選ばれたのは、安倍内閣が倒れても安倍政権を存続させ、その取り組んできた体制変革を定着させるのに最適な人物だからにほかならない。安倍政権とそのミッションを引き継ぐ以外に当面存在基盤がない以上、まずは菅内閣が安倍内閣にとって代わっただけで、実態としては安倍政権がそっくりそのまま続くと言って差し支えない」

 「しかし実態は、老獪な二階が安倍や麻生らの一瞬の隙を突き、『菅総裁誕生』の流れを作ったに過ぎない。菅は、来年9月の任期切れで用済みとなる可能性が高いと見るべきである。なぜか。自民党の世襲政治である。1991年に就任した宮沢喜一以降、自民党総裁・総理はことごとく世襲議員であり、小渕首相が倒れたさなかに密室の談合で選ばれた森喜朗だけが例外である。2006年に安倍が小泉の後を継いで以降、自民党は単なる世襲ではなく、元首相の子か孫でなければ首相に就けないと思えるほどの『スーパー世襲政党』と化しているのである」

 「目下、東京地検特捜部の取り調べでけん制されている安倍にとって、菅は急場しのぎで留守を預からせただけで、使用人として見下しきっているのが実態だろう。事実、辞意表明直後に敵基地攻撃能力に関して談話を発表し、後任首相の手を縛ろうとした。このことだけでも常軌を逸しているが、辞任からわずか2カ月後の11月に衆院解散・総選挙について『もし私が首相だったら非常に強い誘惑に駆られる』とわざわざ言って注目を浴びた。永田町の常識で言えば、菅をよほどばかにしていなければ到底できることではない」

 「同じく元首相の孫で自身も元首相にて今や8年の長きにわたって副総理兼財務相として居座る安倍の盟友・麻生は、党内第2派閥を率いる(略)。80歳でもなおキングメーカーとして影響を保持しようと目論み、傲岸不遜で知られる麻生が、『たたき上げ』の菅を対等の人間として見ているとは到底考えられない」

 

 中野教授は、「菅は来年9月の任期切れで用済みとなる可能性が高い」と言っているが、菅退陣の時期はもっと早いのではないか。なぜなら、菅首相が政権維持(浮揚)のカギと見ている東京五輪開催が、新型コロナの感染拡大で急速にリアリティ(実現可能性)を失いつつあるからだ。すでに国民の大多数(7~8割)が東京五輪開催の「中止」「再延期」が妥当と判断しており、予定通り「実施すべき」とする世論は2割にも満たない。世論はすでに東京五輪から遠く離れており、国民の関心は新型コロナをいかに収束させるかに移っているのである。

 

 毎日新聞東京経済デスクの三沢耕平氏は、1月15日の「オピニオン・記者の目」で、コロナ禍の日本経済を立て直すには、「全てのGoToを即廃止し、給付金の支給による事業者支援に切り替えるべきだ。また、一部のアスリートから再延期を求める声が出始めた東京オリンピックについても今年の開催を返上し、医療崩壊を防ぐために奔走する関係機関への五輪予算の振り向けを真剣に検討する時期だ」と提言している。

 

 また、朝日新聞投書欄(1月15日)には、「五輪中止へ、都知事が先導して」と題する次のような都民の声が掲載されている。

 「小池さん、今こそ『都民ファースト』を掲げたリーダーの出番です。国際オリンピック委員会(IOC)などに働きかけてください。あなたの行動を多くの人が待っています。新型コロナウイルスの感染者が爆発的に急増し、まさにオーバーシュートの中、五輪は不要不急の最たるものとお思いになりませんか」

 「膨大な予算や人的資源は、医療の整備や困窮者のために使って下さい。その日の食べ物にも困り、寝る場所も確保できない人々の映像が毎日のように流れているのはご存じでしょう。皆が幸せにならなければ、世界的なスポーツの祭典を心から楽しむことはできないのです」

 

 安倍前首相の「使用人」にすぎない菅首相、そしてその後釜を狙う(と囁かれている)小池都知事にとっては、東京五輪の返上などは思いもよらないことだろうし、またそんなことを決断できるだけの器でもない。要するに、成り行き任せで小出しのコロナ対策を繰り返しながら、支持率低下とともに自滅していく道を歩いているだけだ。

 

 だが、国民にとって不幸なのは、菅政権の次が見えないことだ。菅政権の失策を批判するだけで、それに代わる政権構想を示すことができない野党は、誰も信用しない。口先だけの批判を並べることはもう止めて、今こそ「ポスト自民」の本格的な政権構想を示すべきときなのである。(つづく)