「さざ波」転じて「大波」と化す、菅五輪丸の〝強行船出〟はコロナ禍の大波に吞みこまれるだろう、菅内閣と野党共闘の行方(33)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その258)

 

 内閣官房参与を務める高橋洋一・嘉悦大教授は5月9日、主要国の新規感染者数を比較するグラフを掲載した上で、「日本はこの程度の『さざ波』。これで五輪中止とかいうと笑笑」とツイッターに書き込んだ。「笑笑」という言葉は今まで見たことも聞いたこともないが、語感からして「大いに笑う」ということだろう。言い換えれば、「腹を抱える」「嘲笑する」ということだ。

 

 このツイッターが出る前日5月8日、つまり高橋参与の「さざ波」ツイートの判断基準になった新型コロナウイルスの1日新規感染者数は7241人、重症者数1131人、死者数86人、入院・療養者数6万4966人だった。それから4日後の5月12日現在、新規感染者数が7057人と横ばいになったにもかかわらず、重症者数1189人、死者数106人、入院・療養者数6万9255人とじりじり増え続けている。すでに感染者数累計は66万人を超え、死者数は1万1200人に達しているのである(NHK、以下同じ)。

 

 この事態を「この程度のさざ波」と感じる人物とはいったいどんな人間なのだろうか。私はこの話を聞いたとき、とっさに太平洋戦争の最大の失敗だったといわれる「インパール作戦」の悲劇を思い出した。日本の政治体制の本質が、この無謀な軍事作戦に象徴されていると考えるからだ。インパール作戦に関する文献や資料は数多いが、その中でも防衛大学校スタッフが中心となり、組織論研究者の野中郁次郎・一橋大学名誉教授が参加してまとめた、『失敗の本質~日本軍の組織論的研究~』(中公文庫1991年)は何度読み返しても尽きるところがない。

 

インパール作戦は、太平洋戦争後期の1944年3月から7月までイギリス軍の拠点であるインド北東部の都市インパールを攻略するため、日本軍がおこなった無謀極まる軍事作戦である。日本軍はここを征服できれば敵の戦力を大幅に弱体化できると考えていた。しかし、兵站(物資補給など後方支援活動)を無視した精神論一点張りの強行作戦は、2000m級の険しい山岳地帯を転戦する過酷さに加え、食料不足による飢餓状態やマラリア・赤痢などの感染症の蔓延などにより、約10万人いた戦力のうち約3万人を戦闘で失い、戦病者約2万人、残存兵力5万人の大半が負傷者や病人が占めるという壊滅的な結果に終わった。『失敗の本質』はこう指摘する(要約)。

「要するに、作戦計画が杜撰だった。その杜撰さを生んだ主な要因には、情報の貧困、敵戦力の過小評価、先入観の根強さ、学習の貧困ないし欠如であった。また、『必勝の信念』という非合理的心情も、積極性と攻撃を同一視しこれを過剰に強調することによって、杜撰な計画に対する疑念を抑圧した。そして、これは陸軍という組織に浸透したカルチュア(組織の文化)の一部でもあった」(「失敗の事例研究―インパール作戦」177頁)

 

自民党政権の新型コロナウイルス対策は医学的な判断ではなく、時の政権の政治的思惑によって左右され、杜撰極まる対応を繰り返してきたことが特徴だ。第1波の際は、安倍政権が習近平中国国家主席の来日や東京五輪の開催を政治的に考慮し、水際対策が遅れたことが中国武漢からの観光客の大量入国となり、武漢株の感染拡大を招いた。その後、ヨーロッパからの帰国者や訪日客に対しても警戒を怠り、ヨーロッパ株による第2波の急拡大を許した。さらに第3波では、経済活動の抑制への配慮を優先してGoToキャンペーンを続け、専門家の指摘を無視したことが年明けの爆発的感染につながった。また今年1月から3月にかけての緊急事態宣言時は、延期した五輪の開催決定時期が迫って宣言解除に焦り、息つぐ間もなく第4派の爆発的感染に直面することになった。

 

この状況は、インパール作戦の失敗原因をそのまま再現する事態の到来だと言わなければならない。これを現状に即して言い換えると次のようになる(パロディではない)。

「要するに、政府の新型コロナウイルス対策が杜撰だった。その杜撰さを生んだ主な要因には、新型コロナウイルスに関する情報の貧困(世界の情報や先行事例に疎く関心が薄い)、ウイルス感染力の過小評価(専門家の意見に耳を傾けないで勝手に判断する)、先入観の根強さ(日本は別という根拠なき楽観論に依拠する)、学習の貧困ないし欠如(自民党議員・閣僚・首相に共通する著しい資質の劣化、それに基づく学問・知識への軽視など)であった。また、『必勝の信念』すなわち安倍前首相や菅首相が連呼してきた『新型コロナウイルスに打ち勝つ』という非合理的心情も、積極性と対策を同一視しこれを過剰に強調することによって、杜撰な計画に対する疑念を抑圧した。そして、これは自民党政権という組織に浸透したカルチュア(組織の文化)の一部でもあった」(「失敗の事例研究―安倍・菅政権の新型コロナウイルス対策」)

 

 高橋参与の「さざ波」ツイートを見て、一番激怒したのは大阪の医療従事者だ。私は大阪府立高校の出身なので、同級生には医者になった者が多い。すでに彼らのほとんどは引退しているか、後継者に職場を委ねているかのどちらかで、もう医療現場にはいない。それでも彼らから送られてくるメールを見ると、大阪の医療崩壊は「凄まじい」の一言に尽きる。彼らは患者のことはもとより、かっての後輩である医療従事者たちが過労のあまり「死んでしまわないか!」と心配しているほどなのである。

 

 大阪は「大阪維新」の本拠地だ。大阪市長も大阪府知事も大阪維新である。彼らの口癖である「府市連携」は、関西万博やカジノリゾートの誘致のような怪しげなプロジェクトではなく、今回のような新型コロナウイルス対策においてこそ発揮しなければならない。ところがどうだろう。大阪は日本の先頭に立って「医療崩壊」の道を突き進んでいるではないか。読売新聞5月8日は、「大阪、吉村知事3つの誤算」と題して大型解説記事を掲載している。以下はその要約である。

 

―大阪府は新型コロナウイルスの「第4波」で感染者数が高止まりし、患者が適切な医療を受けられない「医療崩壊」の危機に直面している。重症病床の使用率は100%を超え、救急車を呼んでも搬送先が見つからないケースも多発する。なぜこのような事態を招いたのか。府の医療行政を検証すると、三つの誤算が見えてきた。

 ―一つ目は、病床確保の見通しが甘かった。2度目の緊急事態宣言が2月末で解除されることが決まると、府は府内の医療機関にコロナ病床の縮小を要請し、重症病床を220床程度から3割減の150床程度まで減らした。しかし、すぐにコロナ病床に戻せるわけではない。スタッフの確保などで1~2週間はかかる。その後の感染急拡大に追い付かなくなった。

 ―二つ目は、想定を上回る変異ウイルスの広がりだ。大阪府では感染力が強いとされる「N501Y」変異の英国型が早くから拡大し、新規感染者数は人口が約1.5倍の東京都を超える状態が続く。重症者は第3波と比べて3倍のスピードで急増し、4月13日には実運用の重症病床(227床)を上回った。

 ―三つめは、新規感染者数を抑制する飲食店などへの対策強化も後手に回ったことだ。2度目の宣言が予定より1週間前倒しで解除されたのは、感染症対策と経済活動の両立を重視する吉村知事の強い意向だった。3月は社会の活動が活発になる年度替わりを控えた時期で、昨年も同時期に感染が拡大しており、より慎重さが必要だった。関西大学の高鳥毛敏雄教授(公衆衛生学)は「2月末の宣言解除は吉村知事の勇み足だった。『大阪は大丈夫』との誤ったメッセージが府民に伝わてしまった。こうした事態を招いたのは、知事の認識が甘かったためではないか」と指摘している。

 

 もう大阪維新も吉村知事も沢山だ―と友人たちは言う。テレビの前の宣伝口上ばかりでやるべき仕事は何もしていないとカンカンなのである。同じことは菅政権についても言えるのではないか。高橋参与の「さざ波」ツイートは決して「たわ言」でもなければ、形容不足でもない。菅政権の本音が彼の口を通して漏れただけの話なのである。口が滑るとつい本音が出るというのは、世の常というものだ。菅政権にとっては国民が何万人死んでも、それは「さざ波」程度しか響かないのだろう。彼の目の前にあるのは東京五輪の開催であり、それを通しての自らの政権維持への執念だけだ。

 

 だが、今朝5月13日の毎日新聞記事を見て驚いた。新型コロナウイルスの感染拡大で東京五輪の開催可否への関心が高まる中、自民党二階幹事長と東京都小池知事が5月11日に会談したというのである。自民党内では、7月の都議選を控えて「開催中止の相談をしたのでは?」との疑惑が広がっているという。都議選の直前に「五輪開催返上」をぶち上げて菅政権を窮地に陥れる。その隙に乗じて次期政権の搭乗切符を手に入れる――こんなシナリオが両氏の間で練られているというのだろうか。いずれにしても「政治は一寸先が闇」といわれ、二階・小池両氏は政界きっての「寝業師」らしいから、これからの政局には目を離せない。(つづく)