『ねっとわーく京都』連載コラム、「広原盛明の聞知見考」の再開にあたって、「コロナ禍」でも突き進む京都観光(番外編1)

 

 日本を代表する観光都市京都は、いまコロナ禍の中で〝どん底〟に沈んでいる。「閑古鳥が鳴く」といったありふれた状況ではなく、まさに閑古鳥も鳴かないほどの暗闇の中に沈んでいるのである。2年余り前のインバウンドブームに酔いしれていたころの話はもはや「今は昔」、まるで大嵐の後の廃墟のような静けさが漂っているではないか。

 

私は、これまで10年余にわたって連載を続けてきた月刊誌『ねっとわーく京都』(1990年12月創刊)のコラムの中から観光関連のテーマ(2017年4月~20年7月)を抜き出し、これに幾つかの講演録を加えて『観光立国政策と観光都市京都』(文理閣2020年10月)を昨年上梓した。残念ながら、『ねっとわーく京都』は2021年3月(386号)で休刊となったが、その後も京都観光への関心が決して薄れることはない。

 

京都観光はいま、コロナ禍の下で未曽有の困難に直面している。観光関係業界では懸命の努力が続けられているというが、コロナ禍が収束しないこともあって、行く先はいっこうに見えてこない。まさに「五里霧中」とはこのような状況を指すのであろう。タイタニック号の遭難事件を考えるまでもなく、こんな時には一旦立ち止まって(停泊して)方向を定めるのが常道というものだが、不思議なことに京都市政にはその気配が見られない。まるで何事もなかったかのように、観光政策の基調はこれまでと変わらないのである。このままでは、氷山に向かって粛々と進んでいくタイタニック号のような運命をたどることにならないか―、心ある市民はみんなが心配している。

 

門川市政は4期目に入り、予想外の苦境に直面している。コロナ禍で観光客数が激減するにともなって経済状況が急激に悪化し、肥大化した市財政が極度の赤字状態に陥ったのである。市中では、雨後の筍のごとく増えた民泊(簡易宿所)の大半が「空き家」状態になり、多くの民泊では廃業の危機が訪れている。門川市政が観光を基軸に据えた経済政策に舵を切った(偏重した)結果、大都市京都の産業構造はこれまでになく歪な構造になり、観光不況が京都経済を直撃するようになったのである。

 

インバウンドブームの絶頂期に市長を降りるのは残念とばかり、権力の座にしがみついた門川市長にとっては、この状況は予想外の事態だったに違いない。インバウンドブームを門川市政の〝レガシー〟に位置付け、京都市政に残る名市長として「有終の美を飾りたい」との当初の思惑は大きく外れたのである。2024年2月の退任までにコロナ禍が収まるか収まらないかは別にして、いずれの場合においても残り3年間が門川市政にとって「いばらの道」になることは間違いない。

 

とはいえ、これまで安倍政権の観光立国政策に呼応してインバウンドブームを煽ってきた門川市長からすれば、その後継政権である菅内閣の下でいきなり観光政策を転換することは至難の業だろう。菅政権はこの期に及んでも「2030年6000万人」のインバウンド目標を政府の「骨太の方針」として堅持しており、それに背くことはできないからだ。加えて、菅政権の成長戦略会議には京都観光の指南役、デービッド・アトキンソン氏が委員として参加している。いわば京都市は、「GoToキャンペーン」などを推進する菅政権の直轄下におかれているのであり、京都が先頭に立って菅政権の観光政策を推進する役割を課されているのである。

 

その象徴的な事件が、世界文化遺産・仁和寺前に「上質宿泊施設誘致制度」を適用して富裕層向けホテルを建設しようとする無謀な企みだろう。菅首相は、アトキンソン氏主張の「三ツ星ホテル」誘致論に積極的に賛同し、並々ならぬ意欲を示してきた。門川市長もかねてから富裕層向けの「ラグジュアリーホテル」誘致を、国賓クラスの富裕層を泊めるラグジュアリーホテルが京都の品格を高めるからと言う理由で推進してきた。だが、市民はラグジュアリーホテルよりも世界文化遺産の方が大切だと思っている。世界文化遺産の周辺環境を破壊して富裕層向けのラグジュアリーホテルを誘致することなど、本末転倒だと思っているのである。

 

この6月26日(土)の午後1時30分から、烏丸御池東北角の登録会館で「シンポジウム〝京都の歴史遺産、過去・現在・未来〟―京都にはもうホテルはいらない」が開催される。講演者は、宮本憲一先生(滋賀大学元学長、学士院会員)と私の二人、多くの市民の参加を歓迎している。宮本先生は3月25日、ホテル建設の見直しを求めるアピールの呼びかけ人として市役所での記者会見に臨まれ、その熱い想いを披露された。すでにアピール賛同署名は800名を超えており、このシンポジウムを機に市民活動の一層の高まりが期待されている。

 

これまで門川市政と並走してきた私にとっても、残り任期の3年間は21世紀の京都の未来を見定める大事な時期となる。「ポストコロナ時代」の国内外情勢の動向を見きわめ、コロナ後の京都観光をどう立て直すか、その戦略と方策を多くの方々とともに考えていかなければならない。『ねっとわーく京都』の連載はそのための得難い情報発信基地となってきたが、これからは拙ブログ「広原盛明のつれづれ日記」に場所を移して、その時々の観光政策について考えていきたい。(つづく)