最後の最後まで「わけのわからない」首相だった、退陣理由も意味不明なら、コロナ対策への「専念」を「せんにん」としか読めない情景も哀れだった、菅内閣と野党共闘の行方(41)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(266)

 昨日9月3日、菅首相が突如、自民総裁選に出馬しないと表明した。咄嗟に四面楚歌、八方塞がり、雪隠詰め...などの四文字熟語が頭に浮かんだが、その退陣理由を聞いてさらに驚いた。「コロナ対策に『せんにん(専念)』したいので退陣する」というのである。新型コロナ対策は、世界の専門家の誰もが「長期戦」になると言明している。WHO(世界保健機関)もCDC(米疾病対策センター)も、これまでに経験したことのないようなパンデミック(世界的大流行)だと認識しているからだ。

 

 しかし、菅氏の言い分は「総裁選に莫大なエネルギーを必要とするので、出馬するとコロナ対策が疎かになる(両立しない)」「国民への公約を果たすため、コロナ対策に専念する」というものだ。新型コロナがこの1ヶ月で収束する見通しがあるのであればまだしも、9月明けの緊急事態宣言解除の見通しもないなかで「コロナ対策に専念する」といっても国民には何のことかさっぱりわからない。菅氏が自民総裁選への出馬を止め、首相の座から退いても新型コロナをめぐる感染状況は何も変わらないからだ。こんな意味不明の理由で退陣表明する菅氏の頭の構造はいったいどうなっているのか、いつもテレビ出演している「脳科学者」に聞いてみたいものだ。

 

 メディアはこれから自民総裁選一色に染まるだろう。情報もなく政局分析もできない私には、その報道の行方を見守る以外に術(すべ)がない。ただし、申し訳程度に出てくる枝野立憲民主党代表などの野党の動きに関しては、少しばかりコメントしなければならないと思う。自公政治を倒して「政権交代」を実現することが野党共闘の大義名分だったからであり、この政変に臨んで野党各党がどのような戦略戦術で対応するかが注目されるからだ。

 

 日頃から意見交換している神戸のジャーナリストが昨夜、こんなメールを送ってきた。

「それにしても、一番驚いたのは枝野や共産党ではないでしょうか。『敵失選挙』による『勝利』を見込んでいたのが崩れ、総裁選後の『ご祝儀相場』の支持率で選挙になり、選挙結果は様変わりでしょう。まあ野党惨敗とはいかないまでも、河野や大穴の石破で自民が意外と持ち直し、野党の目論見が崩れるのは必至でしょう。この1年、無策の政権が感染爆発をもたらし、亡くなった人や後遺症を引きずる人たち、廃業、失業、貧困のどん底に押しやられた人たちが犠牲になりました。 せめて家族や遺族、150万を超える罹患者は、その恨みの一票を投じることになりませんかね」

 

 全く同感だ。菅退陣など予想もできなかった枝野代表は9月1日、共同通信のインタビューに応じ、次のように語っていた。重要な発言なので、共同通信の配信記事をそのまま再掲しよう(共同9月1日)。

「(枝野代表は)次期衆院選について『単独過半数の獲得を目指す』と述べ、政権交代の実現に意欲を示した。目指す政権の在り方として『共産党とは日米安全保障条約や天皇制といった長期的に目指す社会像に違いがあり、連立政権は考えられない』と明言。『どういう連携ができるか公示までに具体的に示したい』とした。289ある小選挙区での野党共闘について『共産との競合区は約70しかない。200を超える選挙区で野党候補は一本化されており、与野党一騎打ちの構図が事実上できている。既に大きな到達点を越えている』と語った」

 

 ここで枝野氏が言っていることは、共産党との間におけるこれまでの野党共闘の話し合いや取り決めをすべて〝ご破算〟にするということだ。立憲民主党が単独で過半数を目指すのであれば、そもそも選挙協力の必要もなければ、政策協定の必要もない。すでに200を超える選挙区で野党候補(国民民主党など)が一本化されているので、与野党一騎打ちの構図はすでに出来上がっている。共産党との競合区70などは問題にならず、それぞれの選挙区の情勢に応じて水面下の裏取引をすればいいというのである。枝野氏は菅内閣の継続を前提に政局を読み、立憲民主党の「単独過半数」も不可能ではないとの見通しの下で、本性をあらわして強気に出たのである。

 

 これに対して、共産党は依然として沈黙を強いられている。志位委員長が百年一日のごとく「政権交代」の必要性を声高に叫んでいるだけで、枝野発言に対しては一言も反論していない。しかし、情勢は激変している。それは自民党内部のことだけではなく、野党各陣営の間でも情勢は激変したことを意味する。自民内部の政変はもはや「コップの中の嵐」などではなく、野党間も含めて「バケツの水をぶちまける」ような台風並みの大嵐になったと考えなければならない。

 

野党各党はこの期に及んでいかに戦うのか。これまで「市民と野党の共闘」に真摯に努力してきた人たちを含めて、心ある国民の多くが注目している。野党のふりをしながら「保守新党」を目指すような政党は「化けの皮」が剝がれてもいい。いまこそ「本物の革新」をめざす野党がイニシアティブを取るべき時なのである。(つづく)