「政策協定」はするが「連立政権」は組まない、立憲民主党枝野代表の思惑はいったどこにあるのか(その2)、菅内閣と野党共闘の行方(44)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(269)

 

立憲民主党枝野代表の連立政権否定論の本質は、9月1日の共同通信インタビューや9月9日の日経新聞インタビューにもよくあらわれている。キーワードは「考えられない」という言葉だろう。枝野氏は、共産党との連立政権は「考えられない」と何度も明言している。「考えられない」という言葉を類語辞典で引いてみると、「全くありそうもない」「想像不可能」「あり得ない」「とんでもない」と言った意味が並んでいる。要するに、枝野氏は共産党との連立政権を原理的に否定しているわけで「考える余地はない」というものである。交渉用語でいえば、いわゆる「ゼロ回答」だということだ。

 

意味深長なのは、枝野氏が「考えられない」という言葉に続いて、「この点は共産党も理解いただいていると思う」と言っていることだろう。「と思う」という表現は、枝野氏の個人的意向をあらわすものだが、言わんとするところは「共産党もこの点は分かっているはずだ」ということだ。言い換えれば、連立政権は原理的に無理だから、「いくら言っても無駄ですよ!」と念を押しているのである。これが「最終的には選挙までに説明する」ことの意味であり、政策協定によって「パーシャル(部分的な)な連携」はするが、連立政権は絶対に組まないと宣言しているのである。

 

枝野氏は「本物の保守」「保守本流」だと自称しているように、おそらくは革新勢力とは縁もゆかりもない人物なのだろう。「非自民・非共産」を掲げる日本新党に参加したことが政治家としての出発点だったように、枝野氏の「非共産」は遺伝子レベルの体質であり〝母斑〟と言ってもいい。一方、枝野氏にとって「非自民」は必ずしも「非保守」を意味しない。現在の自民党のような古い体質の「旧保守」は批判の対象になるが、「新保守」に生まれ変われば、明日にでも手を組む相手になると考えているのである。枝野氏自身も最終的には「保守新党」の結成を目指しているように、現在の立憲民主党は「仮の宿」にすぎない。

 

一方、共産党の方はどうか。『AERA』2021年9月13日号に掲載された志位委員長のインタビュー記事の概要は以下の通りだ(AERAdot.9月12日、抜粋)。

――衆院選では、共産党は「野党共闘」を強くアピールしています。特に立憲民主党にはかねて「野党連合政権」を呼び掛けてきました。菅自公政権への批判が国民からこれだけ広がっていたわけですから、野党の姿勢も問われていると思います。

 「わが党は、新自由主義からの転換、気候危機の打開、ジェンダー平等、憲法9条を生かした平和外交、立憲主義の回復などを争点として訴えていきます。他の野党とかなりの部分で方向性は一致すると思います」

── 一致できない部分はどうしますか。特に日米安保条約に関しては共産党は「廃棄」ですが、立憲民主党は「日米同盟を外交の基本」としています。天皇制についても共産党は「天皇制のない民主共和制」を目指し、一方の立憲民主党は「象徴天皇の維持」を掲げています。

 「政党が違うのだから、政策が異なるのは当たり前です。不一致点は共闘には持ち込みません。共闘は一致点を大切にして前進させるという立場を堅持します。天皇の制度については、天皇条項も含め『現憲法の前文をふくむ全条項を守る』ということがわが党の立場であり、この点では一致するでしょう。野党が共通で掲げる政策を大切にしながら、党独自の政策も大いに訴えていく。二段構えで進むというイメージです」

──政権交代をしたら、共産党は連立政権に加わりますか。

「『閣内協力』か『閣外協力』か、どちらもありうると一貫して言ってきました。話しあって決めていけばいいと思っています」

──それにしても、2009年に民主党が野党から与党になった時、ここまで共産党は柔軟な姿勢ではなかったと思います。

 「私たちが変わったことは間違いありません。今までは独自の道をゆくやり方でやっていましたから。しかしそれでは、あまりにひどくなった今の政治に対応できないと考えました。特に15年の安保法制の強行成立は、日本の政治にとって非常に大きな分水嶺でした。憲法9条のもとでは集団的自衛権は行使できないという憲法解釈を一夜にしてひっくり返し、自衛隊を米軍と一緒に海外で戦争できるようにするという、立憲主義の根本からの破壊でした。破壊された立憲主義を回復することは、国政一般の問題とは違う次元の問題として捉え、この年に共闘路線に舵を切ったのです」

──とは言え、立憲民主党は「保守」を自認しています。その保守と「筋金入りのリベラル」の共産党とが共闘を組むのは水と油のようにも映ります。

 「1960年代から70年代の統一戦線は、共産党と社会党の統一戦線、革新統一戦線でした。今回は保守の方々と共産党との共闘が当たり前になっている。これは現政権がまともな保守ともよべない反動政権に堕していることを示していると思います」

──野党共闘で戦う上で不安材料はないのでしょうか。

 「共闘を成功させるには、『対等平等』『相互尊重』が大事だと考えています。今年4月に広島、北海道、長野で行われた国政選挙でも、8月の横浜市長選でも勝利を勝ち取ったことは大きな成果ですが、『対等平等』『相互尊重』は今後の課題となりました。衆院選は、この二つの基本姿勢をしっかり踏まえてこそ一番力ある共闘になるし、成功すると考えています」

──対等平等でもなく相互尊重もされていなかったら、共闘はやめるのでしょうか。

 「そう単純なものじゃありません。ただ、本当に力を出すには『対等平等』『相互尊重』はどうしても必要だということです」

──枝野代表との信頼関係は。

 「私は信頼感を持っています」

 

志位委員長の発言の核心部分を要約すると、以下のような注目すべき内容が浮かび上がる。

(1)2015年の安保法制の強行成立による立憲主義破壊(集団的自衛権は行使できないという憲法9条の解釈変更)を、国政一般の問題とは違う次元の問題として捉え、この年に(自共対決路線から)野党共闘路線に舵を切った。

(2)1960年代から70年代の統一戦線は、共産党と社会党の統一戦線すなわち「革新統一戦線」だったが、今回の野党共闘は反動政権に対する「保革連携戦線」ともいうべきものであり、「保守」を自認する立憲民主党との共闘に違和感はない。

(3)野党共闘を成功させるには「対等平等」「相互尊重」が大事だが、それが無視されたからと言って共闘を止めるほど政治は単純なものではない。枝野代表には信頼感を持っている。

 

志位発言をどう分析するか、残念なことに私にはそれだけの蓄積がない。国民一般(共産党支持者を含めて)の印象から言えば、これだけ立憲民主党にコケにされながら、なぜ共産党はおめおめと付いていくのか――といったことになるが、志位発言がこのような国民の素朴な疑問に対して納得できる回答になっているかどうか、私には判断できないのである。とはいえ、私なりの幾つかの感想を述べれば、次のようなことになる。

(1)2015年の安保法制の強行成立による立憲主義破壊を契機にして「野党共闘路線」に転換したとあるが、すでにそれ以前から「独自の道を行くやり方」(自共対決路線)は国民感覚から遊離しており、破綻していたのではないか。弱小政党の共産党が幾ら自民党批判を試みても国民の共感を呼ぶことができず、政治的実行力を伴わない政治批判は宙を舞うだけだった。

(2)1960年代、70年代の「革新統一戦線」の相手である社会党が消滅したことも大きかった。社会党が「自社さ連立政権」を組むことで革新統一戦線から離脱した結果、国民の前から国政革新勢力の姿が見えなくなった。加えて、革新統一戦線の中核を担った世代の高齢化が進み、その後の世代交代が進まなかったこともあって、共産党が独自で事態を打開していく力も衰えた。小なりといえども共産党が政治的存在感を発揮するには、反動政権に対する「保守連携戦線」を構築する以外に道がなかったのだろう。

(3)野党共闘における「対等平等」「相互尊重」を強調しながらも、立憲民主党がそれを守らなかった場合の対応があいまいなのは、野党共闘から決別した場合の痛手が大きいからだ。この曖昧さは、曖昧な妥協を重ねるしかない弱小政党の共産党の苦しい内部事情を反映している。機関紙「しんぶん赤旗」では、連日悲鳴とも聞こえる読者拡大、党勢拡大の掛け声が続いているが、私の周辺では「もはや身体が動かない」支持者が多数派となっている。こんな旧態依然のやり方では、党勢拡大の掛け声が宙に舞うだけで共産党の再生は難しい。

(4)志位委員長が党首に就任してからはや20年余を数えるが、この間、党首交代は一度も実現していない。そして、日を増すごとに志位委員長の一言で党の方針が決まるような傾向が強まっている(そう見える)。自民党が総裁選で華々しく党首を選んでいるにもかかわらず、共産党は党員や支持者による党首直接選挙を一度も実施していない。これではどちらが国民に「開かれた政党」なのか、一目瞭然ではないか。国民は敏感だ。国民の前で共産党幹部が党首選挙をめぐって論争する――、こんな光景が日常的に展開するようにならなければ、共産党がどんな政策や方針を出しても国民には信頼されない。透明性のあるプロセスのなかで政策や方針が議論され、決定されていくのでなければ国民は政党を信頼しないのである。共産党の政党支持率が数パーセントを越えないのは、このあたりに根本原因があるのではないか。

 (5)野党共闘の「政策合意」を「政権協力」「選挙協力」にステップアップする道は限りなく遠い――、これが私の率直な感想だ。しかし、志位委員長は「枝野代表には信頼感を持っている」のだそうだ。信頼感は個人的な好き嫌いで生まれるものではない。政党間の信頼関係は「約束を守る」という政党間の行動によって担保される。枝野代表が共産党との「連立政権は考えられない」と言っているにもかかわらず、志位委員長が枝野代表に「信頼感」を持つのはいったいどうしてなのか、志位氏はその根拠を示さなければならない。そうでなければ、志位委員長は国民や党支持者には「ウソ」の情報を流したことになり、その政治責任を問われることになる。(つづく)