立憲民主党と共産党の党首合意は「対等平等・相互尊重」の原則からは程遠い、これが〝野党連合政権〟だと言えるのか(その2)、菅内閣と野党共闘の行方(最終回)

 立憲民主党と共産党の党首合意について、メディア各紙の評価が低い原因と背景を考えてみたい。最大の要因は、党首合意に同意した立憲枝野代表に対する政治家としての信頼度が著しく低いことだ。一般的に、枝野氏は「発信力がない、乏しい」などと言われているが、それはコミュニケーション能力の問題ではなく、「言うことが信頼できない」という政治家の本質に関わることなのである。

 

枝野氏はこれまで事あるごとに、共産党と「連立政権は組まない」と明言してきた。共産党との連立など根本的に「考えられない」と言明してきたのである。ただその一方、選挙協力だけは進めると言い、「共有する政策でのパーシャル(部分的)な連携や(衆院選の)候補者一本化に努力したい」とは言っていた。共産に立憲の票を取られたくないので、部分的な政策連携で共産に候補者擁立を断念させ、その票を掠め取ろうとする身勝手極まりない党利党略戦術だ。

 

政権の枠組みについてはこれまで協議に上ったこともなかった。政権交代など「夢のまた夢」でそんなことを考える必要がなかったからだろう。「野党第1党」としての地位だけはとにもかくも確保したい、そのためには「パーシャルな連携」を進めてできるだけ多くの議席を確保する、しかし選挙後は活動の自由を束縛されたくないので政権枠組みの話は一切しない――、これが枝野氏の政治戦略であり、政治ビジョンとされてきた。こんな不当な要求に屈して、事実上の「下駄の雪」になってきたどこかの政党も情けないこと限りない。

 

それが一転して、今回は立憲・共産間で「限定的な閣外からの協力」の党首合意が成立した。菅首相の突然の退陣表明で世論状況がガラリと変わり、枝野氏が描いていたタナボタ式の〝立憲単独過半数〟の夢が一瞬にして崩れたからだ。もともと「保守本流」を自称する枝野氏には、自公政権に代わる政策転換のモチベーションが働かない。「旧自民」に代わる「新保守」の政策は、日米安保体制や天皇制など「国のかたち」を基本的に継承することが使命であり、これに少し改革的な要素を付け加えれば「それでよし」と考えてきたからだ。枝野氏ら少数幹部が政策づくりを独占し、立憲全体の政策論争を許さないのはそのためだ。

 

だが、菅首相の退陣表明を契機に情勢は一変した。自民が総力を挙げて「新政権」づくりを演出するため自民党総裁選挙の大キャンペーンに乗り出し、マスメディアが挙げて支援する一大イベントとなった。自民党内の「コップの嵐」を「巨大台風」並みに仕立て上げ、全国民を巻き込んで次期総選挙に雪崩れ込むという策謀が、見事大成功を収めたのである。この大嵐の中で「野党第1党」の立憲の姿は見えなくなった。そして、枝野代表の姿も見えなくなったのである。

 

慌てたのは、これまで「野党第1党」の座に胡坐をかいていた枝野代表だ。このままでは次期総選挙で立憲は埋没する、今更のごとく「新政策」を打ち上げても自民党の1派閥程度にしか扱われない、怒涛の如く襲い掛かる自民総裁選の前では何を言っても相手にされない――、こんな追い詰められた状況のなかでたどり着いたのが〝党首合意〟だったというわけだ。

 

立憲内部では野党共闘に踏み切らない枝野代表への批判が高まり、このまま枝野氏が既成路線に固執して総選挙で敗北した場合、代表の座を失うとまで言われている。「新保守政党」の設立を目指す枝野氏にとっては、その踏み台としての「立憲」を去ることは避けなければならない。あくまでの代表の座にとどまり、「次の次」あるいは「次の次の次」を狙うためには、その土台を失うわけにはいかないのである。これが、志位委員長が「枝野代表の決断に心から敬意を表する」と皮肉った立憲の内幕であろう。

 

だが、今回の党首合意に関するメディア各紙の評価が低いのはそればかりではない。「限定的な閣外からの協力」が果たして新政権で機能するかどうか、その確信が得られていないからだ。合意第2項では、「立憲民主党と日本共産党は、『新政権』において市民連合と合意した政策を着実に推進するために協力する。その際、日本共産党は合意した政策を実現する範囲での限定的な閣外からの協力とする」となっているが、ここには枝野代表の二重三重の罠が仕掛けられている。次期総選挙で自公政権が勝利することは確実なので、「新政権」は現実の課題にならないこと、また「閣外からの協力」は政権運営のチエックは果たせてもその原動力にはなり得ないからだ。

 

こんなことは、おそらく共産も「百も承知」のことだろう。しかし、共産にも「限定的な閣外からの協力」に応じざるを得ない内部事情がある。それは、志位委員長が「自共対決」から「野党共闘」に舵を切ってから以降も党勢の後退が依然として止まらないことだ。この党勢後退は人口学的な法則に基づくもので、必ずしも政治路線上の誤りを意味するものではない。しかし、1960年から70年代にかけて入党した党員が半世紀後のいま一斉に引退しており、赤旗の死亡欄には連日数名を下らない人たちの経歴が紹介されている。一方、党勢拡大の方は時々報告されるだけでその数も知れている。年間千数百名を下らない党員が死亡しているにもかかわらず、それに見合う新しい党員の拡大は進んでいないのである。

 

共産党には「前衛党」意識がまだ払拭されていない。我こそが日本の革命を担う先進分子であるとの「前衛意識」がその活動を支えているのであろうが、その前衛意識が国内政治勢力の「少数部分」であるにもかかわらず、過大な政治使命(例えば比例投票数800万票目標など)を実現しようとするため政治活動の自由を奪っている。志位委員長を筆頭とする幹部の固定化と高齢化(90歳を越える幹部もいる)、「使命」ばかりを強調されて日々疲労困憊していく高齢党員、共産の周囲にはいまや〝死屍累々〟ともいうべき状況が積みあがってきている。

 

今回の党首合意は、かねてから共産が主張してきた「対等平等」「相互尊重」からは程遠いものだ。しかし、共産がもはや「弱小政党」に過ぎないという現実を見つめなおし、それに見合う自由で活発な政治活動を展開するのであれば、「限定的な閣外からの協力」も党再生の1つのきっかけになるかもしれない。(つづく)