「東北復興」・「福島再生」がいつの間にか「地方創生」に摺りかえられようとしている、「地方創生」キャンペーンの意図と役割を分析する(その3)

 このところ東日本大震災関連の「暗いニュース」は少しずつ脇に追いやられ、東京オリンピック関連の「明るいニュース」が次第に比重を増してきているような気がする。これはひとりマスメディアの編集方針の所為というよりは、一方ではニュースの受け手である国民の心理状態を反映しているともいえる。災害発生直後には「災害ユートピア」といわれる助け合い精神が高揚し、ヒューマニズムに溢れたボランティア行動がさらに助け合いの輪を広げるといった状況が出現するが、それも時の経過とともに消えていくのは避けがたいからだろう。

 このことは学問研究の世界でも例外ではない。阪神・淡路大震災のときもそうだったが、震災発生1年目には全国から研究者・学生が殺到し、被災者の救援活動や被災地の調査活動にあたった。この現象は「ボランティア元年」ともいわれ、これはこれで大きな役割を果たしたことは間違いない。阪神・淡路大震災で培われた「ボランティア・マインド」は、その後も全国各地で発生した災害に対する救援活動として受け継がれ、いまやボランティアの存在なしの救援活動など考えられなくなったほどだ。

 とはいえ、被災地の現場から言えば、災害復旧・復興の道程は長期にわたるものである以上、時とともに支援活動が目に見えて消えていくのは辛いことだ。できるなら中長期にわたる持続的で粘り強い支援活動が欲しいし、また制度的な裏づけも必要だ。でも阪神・淡路大震災では2年目にはいると多くの研究者が姿を消し、3年目には「(ほとんど)誰もいなくなった」のである。これでは持続的に被災者の生活再建や被災地復興を支援することはおぼつかない。神戸を中心に中長期的な支援活動を展開するボランティア団体やNPО法人が立ち上がったのは、こんな社会的要請に応えてのことだろう。東日本大震災阪神・淡路大震災よりも遥かに長期にわたる支援活動が求められるだけに、この点に関する検討がもっと深められてよいと思う。

 マスメディアでは通常1周年や2周年など時期を区切って災害大特集が組まれる。東日本大震災の場合は前代未聞の大災害であっただけに、新聞やテレビも総力を挙げた紙面や番組が組まれた。私はその全てをスクラップにして保存しているが、各社とも力作ぞろいで資料価値としても貴重なものだ。だがしかし、来年3月の4周年においてもこのような編集になるかどうかは確信が持てない。というのは意図的かどうか別にして、東京オリンピックを前面に出して紙面や画面の性格が次第に変わっていくことが予測されるからだ。

 理由は大きく言って2つあると思う。ひとつは「辛いものは見たくない」、「何時までも辛いことを考えたくない」という日本人にありがちな大衆心理の反映だ。テレビ番組ひとつを取ってみても、東日本大震災の現場に蜜着した優れたドキュメンタリーは数多いが、これが視聴率となると信じられないような低さとなり、製作者たちが落胆に落胆を重ねているのはそのためだ。

しかし、コミュニケーション心理学の研究者に聞くと、この傾向はごく自然なもので自分が辛くなると同種の番組を敬遠するのは通常のケースだという。辛くて悲しい体験を吹っ切るのに「忘れる」ことが必要であるように、自分の気持ちを立て直すためには、ときには現実から「目をそむける」ことも必要になるのだというのである。こうして紙面や番組に「明るいニュース」が求められるようになり、それが視聴率に反映されるようになると、東日本大震災の惨状を直視するような「暗いニュース」は片隅に追いやられていくかもしれないーーー、こんな懸念を感じるのは私ひとりだけではないだろう。

もうひとつは、政府や資本の意向を直接反映した紙面や番組がこれから大々的に登場してくることだ。その最大のキャンペーンが6年後に迫った東京オリンピックであることは論を俟たない。IОC総会で東京オリンピックの招致が決まったのは、東日本大震災からちょうど2年半の時期だった。この時点では、安倍首相や政府は別にしても国民すべてがオリンピック騒動に巻き込まれる雰囲気ではなかった。だが、これからは違う。来年3月の震災4周年あたりを境にして、マスメディアでの東京オリンピック露出度は一挙に拡大し、それを契機に日本の情報空間は「オリンピック一色」に染められていくかもしれない。

今回、安倍政権が打ち出した「地方創生」キャンペーンにおいて、「地方再生」としなかった理由についてはすでに述べた。しかしもうひとつ考えられる理由としては、「東北復興」「福島再生」のスローガンを薄めるために、一般的な名称である「地方創生」が採用されたというのが私の仮説だ。安倍首相が「地方創生」を叫び、全国の地方自治体がそのキャンペーンに巻き込まれていくと、自ずから東日本の被災者・被災地の影は薄くなる。そこまで言うのは「穿ち過ぎ」との批判を受けるかもしれないが、情勢はそのような方向に展開しているのだから言わないわけには行かないというのが私の心情だ。(つづく)