2012-01-01から1年間の記事一覧

富岡町の「町外コミュニティ」を川内村に想定することは難しい、“帰村宣言”は現実のものとなり得るか(9)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その25)、震災1周年の東北地方を訪ねて(95)

今回の調査では、残念ながら富岡町役場(郡山市)に行く時間がなかった。しかし富岡町役場のホームページや東日本大震災ポータルサイトに掲載されている同町の資料を見ると、役場の広報活動は活発に行われており、避難者とのコミュニケーションもよく取れて…

川内村の人口目標は達成可能な「計画目標」なのか、それとも単なる「政治スローガン」なのか、“帰村宣言”は現実のものとなり得るか(8)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その24)、震災1周年の東北地方を訪ねて(94)

川内村が10年、20年先に3千人から5千人の人口目標を設定するには、それなりの根拠があるのだろう。また避難している村民に一刻も早い帰村を呼びかけるためには、「将来への希望に満ちた復興計画」でなければならないといった事情もあるに違いない。でも、そ…

川内村は「脱原発」の復興計画をどのようにしてつくるのか、“帰村宣言”は現実のものとなり得るか(7)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その23)、震災1周年の東北地方を訪ねて(93)

川内村の復興ビジョンに変化の兆しが見え始めたきっかけは、福島県が「脱原発」を掲げた『福島県復興ビジョン』(2011年8月)を公表してからのことだ。佐藤雄平知事自身も当初は原発に対する態度が必ずしも明確でなかったが、復興ビジョン検討委員会の討議が…

“開発幻想”から脱しきれない川内村災害復興ビジョン、“帰村宣言”は現実のものとなり得るか(6)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その22)、震災1周年の東北地方を訪ねて(92)

川内村の視察や研修に訪れる全国の自治体は相当多いらしく、私が訪れた直前にも鹿児島県から薩摩川内市(川内原発の立地自治体)の職員が研修に来ていた。川内村がそのときにつくった研修資料・『福島第一原子力発電所事故に伴う川内村の状況と避難・帰村の…

人口減少はいまに始まったことではない、人口減少に対応する復興計画こそが“リアル”であり“サステイナブル”なのだ、“帰村宣言”は現実のものとなり得るか(5)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その21)、震災1周年の東北地方を訪ねて(92)

川内村はもともともと典型的な過疎地域(人口減少地域)だった。国勢調査人口は1960年の6144人をピークにしてその後一貫して減少し、2010年には2810人まで落ち込んでいる。半世紀で実に半分以上(54.3%)の人口を失ったわけだ。おまけに国立社会保障・人口…

“男女の気持ちの違い”を考慮しない「帰村意向アンケート調査」には限界がある、“帰村宣言”は現実のものとなり得るか(4)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その20)、震災1周年の東北地方を訪ねて(91)

川内村の帰村宣言の直後に行われた第2回調査は、「村の復興と行政機能再開に向けた帰村の意向調査」という名の通り、避難者の帰村意向の確認のために行われた調査である。ホームページには調査結果の重要な部分が公開されており、かつ10代から70代以上までの…

「架空の質問」に対する「架空の回答」は参考にならない、“帰村宣言”は現実のものとなり得るか(3)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その19)、震災1周年の東北地方を訪ねて(90)

川内村が実施した住民アンケート調査は過去2回ある。第1回目は被災者の避難先が大体落ち着いた2011年6月、第2回目は帰村宣言直後の2012年2月、そして2012年11月現在、総合計画策定のための第3回目の調査が行われている。いずれも川内村にとっては“自治体行政…

避難の継続か帰村か、原発災害によって引き裂かれる被災者の苦悩、“帰村宣言”は現実のものとなり得るか(2)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その18)、震災1周年の東北地方を訪ねて(89)

川内村の“帰村宣言”をめぐる行政と被災者の葛藤、そして避難の継続か帰村かの間で揺れる被災者の苦悩は、原発災害がもたらす悲劇の本質とそこから生じる復興の困難さを象徴するものだろう。原発周辺自治体は、事故発生後から東京電力や政府の無責任・無能な…

川内村への道程は遠かった、“帰村宣言”は現実のものとなり得るか(1)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その17)、震災1周年の東北地方を訪ねて(88)

広野町から川内村へ行く道程は遠かった。震災前なら広野町から北上して富岡町に入り、20キロほど西方面に行けば川内村に着ける。だが福島第2原発が立地している富岡町は全町立ち入り禁止なので、常磐自動車道の広野インターから一旦元の道をバックしていわき…

“原発災害=絶対災害=破局的ピンチ”は、地域すべての“持続的発展可能性=未来へのチャンス”をすべて奪い去る、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その16)、震災1周年の東北地方を訪ねて(87)

『広野町復興計画』が「ヒロシマ・ナガサキ」に言及したのは、その意図はともかく、原発と原爆のもつ共通性を図らずも浮かび上がらせることとなった。人は言うだろう。原爆は戦争目的のため、原発は平和目的のためなのだから、両者の性格は全く異なる。世界…

双葉地域の町村合併を目指し、「双葉市」(仮称)の創設を想定した『広野町復興計画』の意図、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その15)、震災1周年の東北地方を訪ねて(86)

ふたたび『広野町復興計画(第一次)』に戻ろう。広野町の復興シナリオに基づく4つの基本方針のなかには、「(1)誰もが安心して暮らせるまちづくり」と「(2)災害に強い都市基盤と心のネットワークによる安全・安心なまちづくり」に加えて、「(3)21世紀…

『広野町復興計画』の背景にあるもの、いわき市を取り巻く“復興状況”と広野町の“開発前夜”、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その14)、震災1周年の東北地方を訪ねて(85)

東日本大震災後、最初に福島市といわき市を訪れたのは昨年の5月連休中のことだった。目的は主として被災者支援だったが、いわき市では副市長から震災直後の市内状況の説明を受け「これは大変なことになる」と思った。その意味は二つある。ひとつは双葉地域の…

破局的危機をもたらす原発災害に対して「ピンチはチャンス」などといった不遜な言葉は許されない、「フクシマ」を冒涜する“ショック・ドクトリン”的発想に驚く、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その13)、震災1周年の東北地方を訪ねて(84)

最近、企業経営者などが好んでよく使う言葉に「ピンチはチャンス」というキーワードがある。経営不振や経営危機に襲われた経営者が自らを奮い立たせるための言葉として使うのなら、昔から「災いを転じて福となす」という格言もあるぐらいだから、それはそれ…

広野町復興計画における「復興構想シナリオ」への疑問、“脱原発・原発ゼロ”の方向性を明示しない復興構想は果たして「復興計画」といえるのか、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その12)、震災1周年の東北地方を訪ねて(83)

広野町の復興計画に携わる幹部職員は、「自分は少し変り者かもしれないが」と前置きしながら、次のような“確信的楽観論”を語ってくれた。「役場が戻ってきても町民がなかなか帰ってこないというのは事実だ。しかし帰還町民が1割という数字は役場に届け出た人…

役場が戻れた町、戻れない町、広野町の場合、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その11)、震災1周年の東北地方を訪ねて(82)

福島原発周辺自治体の調査に入るまで、私はもっぱら宮城県石巻市雄勝地区(旧雄勝町)をウォッチングしてきた。雄勝地区の復興計画は、東日本大震災復興まちづくりのなかで「ワーストワン」の名に恥じない全国最悪の事例であり、その実態をどうしても全国に…

原発周辺自治体を引き裂く避難区域の“線引き”、科学的線引きと政治的線引きとの間の矛盾、原発周辺地域・自治体の行方めぐって(その10)、震災1周年の東北地方を訪ねて(81)

福島原発周辺自治体の行方を地域目線で考えるには、双葉郡の8町村や相馬郡の幾つかの市町村を選び出し、自分の足で現地調査に行くことがどうしても必要になる。勿論、現地調査に行っても時間の制約や調査に応じてくれる方々の都合もあって、そこから得られる…

「福島の再生なくして日本の再生はない」と言明した野田内閣の公約はいったいどこへ行ったのか、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その9)、震災1周年の東北地方を訪ねて(80)

いまから1年余り前の2011年9月2日、野田首相は首相官邸で行った首相就任会見で次のような見解を披歴した(要旨)。 「震災からの復旧・復興は、私どもの内閣については菅内閣に引き続き最優先の課題であると思っております。この震災の復旧・復興をこれまで…

大西隆氏が日本学術会議議長に就任した背景、「原子力ムラ」「開発ムラ」「安全保障ムラ」を横断する政治人事(3)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その8)、震災1周年の東北地方を訪ねて(79)

日本学術会議は、我が国の人文・社会科学、生命科学、理学・工学の全分野の約84万人の科学者を内外に代表する機関だとされ、210人の会員と約2000人の連携会員によって組織されている。学術会議(1948年発足)は文法経理工農医の7部会で構成され、各部会会員…

「能動的平和主義=集団自衛権行使→改憲」を打ち出した国家戦略会議フロンティア分科会報告、「原子力ムラ」「開発ムラ」「安全保障ムラ」を横断する政治人事(2)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その7)、震災1周年の東北地方を訪ねて(78)

国家戦略会議フロンティア分科会の「平和」部会長を務めた中西寛京大教授は、高坂門下の親米タカ派研究者であり、またマスメディアにも頻繁に登場する「安全保障ムラ」の名高い論客でもある。中西氏は自民党政権時代から安全保障問題に関する数々の政府諮問…

なぜ、大西隆氏は国家戦略会議フロンティア分科会座長に就任したのか、「原子力ムラ」「開発ムラ」「安全保障ムラ」を横断する政治人事(1)、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その6)、震災1周年の東北地方を訪ねて(77)

財界代表が政府審議会の主要メンバーとして政策立案に関与することは従来からの慣行であったが、各省庁の「タテワリ審議会」を超えた国家戦略機関が“財界の司令塔”として猛威を振るうようになったのは、小泉内閣の「経済財政諮問会議」以降のことだ。民主党…

「プラン」だけで「ドウ・シー・チエック」のない計画行政学は成立するのか、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その6)、震災1周年の東北地方を訪ねて(77)

計画行政学会(計画理論研究専門部会)編の『東日本大震災の復旧・復興への提言』(以下、『提言』という)を一読して感じることは、この学会には「プラン」という文字はあるが、「ドウ・シー・チエック」の概念が欠落していることだ。どんな計画学の教科書…

「日本計画行政学会」(大西隆会長)は原発周辺自治体の“廃町”を提案している、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その5)、震災1周年の東北地方を訪ねて(76)

「開発ムラのドン」・伊藤滋氏の後継者は大西隆氏(東大教授、都市工学)である。東大都市工学科は国土交通省技術系キャリア官僚の実質的な養成機関であり、それゆえに教授陣は国交省関連の各種審議会・委員会・研究会などの要職を歴任する慣行となっている…

放射性廃棄物の「中間貯蔵施設」が“最終処分場”に転化する恐れはないのか、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その4)、震災1周年の東北地方を訪ねて(75)

野田政権への移行後、佐藤知事や原発周辺地域の双葉郡8町村長らと会談した細野原発・環境相は、放射性物質に汚染された土壌などの廃棄物を保管する中間貯蔵施設を福島県双葉郡内につくる考えを初めて示した。細野氏はその理由を「廃棄物が大量発生する地域の…

原発周辺地域の土地を強権的に収用し、住民を強制移住させる民主党案が練られていた、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その3)、震災1周年の東北地方を訪ねて(74)

だが伊藤発言には、実は「隠された意図」があった。それは「福島第一原発基地は廃炉となり、新しく植林された平林地のなかに取り残される。このようなこれまで全く想像できなかった地域の光景がこれから生まれてくるのであろう」という一節のなかに隠されて…

伊藤滋氏(東大名誉教授・国土計画協会会長)発言の“ホンネ”、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その2)、震災1周年の東北地方を訪ねて(73)

伊藤滋氏(東大名誉教授、都市工学)が、原発事故直後に国土計画協会の機関誌、『人と国土21』(第37巻第1号、2011年5月15日発行)で語った巻頭言を抜粋して紹介しよう。「地域と国土計画的観点から原子力災害を考える」と題するこの巻頭言は、「原子力ム…

福島原発災害の復興問題・復興課題にどうアプローチするか、福島原発周辺地域・自治体の行方をめぐって(その1)、震災1周年の東北地方を訪ねて(72)

2012年3月末に東北3県を訪ねて以来、もう7カ月も経った。ブログの「震災1周年」の看板に偽りがあるといけないので、8月末に福島県に補足調査に出かけたのだが、それから2か月が過ぎている。福島原発災害の復興問題・復興課題をどう論じるかをめぐってなかな…

自助と共助にもとづく「震災ユートピア」と「震災ヒューマニズム」だけでは、被災地・被災者を取り巻く「リアリズムの世界」に迫れない、いまこそ本物の「復興まちづくり」が必要なのだ、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編20)、震災1周年の東北地方を訪ねて(71)

雄勝出身者氏には、これまで私の日記に度々コメントを寄せていただきながら、何ら言及してこなかったことを最初にお詫びしなければならない。しかし今回は、雄勝地区住民の気持ちを率直にあらわすものとして受け取ることが出来た。いや、受け止めなければい…

震災の廃墟は観光資源にならない、「震災廃墟=震災遺産」ではない、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編19)、震災1周年の東北地方を訪ねて(70)

今回は「来年3月までには全て取り壊しが決まっていますが、被災した旧雄勝総合支所・雄勝病院・公民館・雄勝小学校・雄勝中学校を震災遺産として残して、石巻市の有形文化財に登録して、最終的には世界遺産までもっていけましたら、年間50万〜10万人世界各…

アーキエイドの活動資金はどこから提供されているのか、石巻市2012年度当初予算から、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編18)、震災1周年の東北地方を訪ねて(69)

10月9日から10日にかけて、私の拙いブログに対して4人もの方々(「ひとこと」・「蘇れ石巻」・「部外者」・「雄勝出身者」の各氏)から貴重なコメントをいただいた。私の日記は毎日平均して200件前後のアクセスがあるが、コメントをいただける方はごく僅かな…

いまからでも決して遅くない、「雄勝中心部計画=ゴーストタウン計画」を破棄して抜本的に復興計画を見直すべきだ、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編17)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その68)

この「番外編」を閉じるにあたって、いま一度、松舘忠樹氏(元NHK社会部記者)の『震災日誌in仙台』(8月19日)を引用したい。8月19日当日の雄勝未来会議の様子を伝えた氏の日記には、前半はあくまでも高台移転計画を強行しようとする雄勝支所の方針に抗…