2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧
石巻市が「世界の復興モデル都市」を目指すことの是非は別にして、「(世界最大級の)被災都市」であることは間違いない。いま改めて被害状況を振り返ってみても、その凄まじいまでの数字は言葉を失うばかりだ。(『石巻市の復興状況について』、石巻市、201…
私はこの石巻市シリーズの冒頭で、「最大の被災都市から世界の復興モデル都市石巻を目指して」という石巻市震災復興計画のサブタイトルにこそ、“石巻市の悲劇”のすべてが凝縮されていると書いた。その理由は、「最大の被災都市」から「世界の復興モデル都市…
「復興計画(素案)」(2011年11月7日)が公表された段階で、市はすでに雄勝地区を災害危険区域に指定し建築制限をかけることを事実上決定しており、12月市議会にそのための建築条例案を提出することが予定されていた。しかし11月15日からはじまった市内一円…
亀山市長・本庁幹部職員約20名、市議数名、雄勝支所長・支所職員数名、雄勝地区住民約100名が参加した「石巻市震災復興基本計画(素案)」に関する意見交換会(2011年11月27日)は、雄勝地区復興まちづくりの歴史的な第3ステ―ジの幕開けとなった。市長挨拶の…
雄勝地区の復興まちづくりの第1ステージは、市当局・雄勝支所が地区会長(集落代表など)らに呼び掛けて「雄勝地区震災復興まちづくり協議会」を発足させ、亀山市長に「高台移転促進を求める要望書」を提出させた2011年5月から7月までの2ヶ月間だ、と以前に…
建築基準法第39条に「災害危険区域」に関する条文がある。その内容は、「1.地方公共団体は、条例で、津波、高潮、出水等による危険の著しい区域を災害危険区域として指定することができる」、「2.災害危険区域内における住居の用に供する建築物の禁止その…
復興まちづくりの方向をめぐる被災者・住民対立の背景には、同じ地域に居住しながらも職業や働き場所、生活圏の違いなど生活様式が多様化しているという現実がある。前近代社会(封建社会)は、職業・身分・居住場所が三位一体的に固定され、それが社会と空…
もうひとつの特集記事「震災と過疎 石巻・雄勝町の今(下)」(河北新報、2012年03月18日)は、見出しが「進まぬ計画」「合併影響、人手が不足」「高台移転、溝埋まらず」とあるように、高台移転を前提とする市当局の復興計画が被災者の激しい分裂を招き、思…
平成大合併がもたらした石巻市の悲劇を象徴するかのような特集記事が2つある。ひとつは震災から半年後の「震災と平成大合併(上)、石巻市」(河北新報、2011年10月16日)、もうひとつは1年後の「震災と過疎、石巻・雄勝町の今(下)」(同、2012年03月18日…
「石巻市震災復興基本方針」が2011年4月27日に発表されて以降、9月12日の「被災市街地復興推進地域の決定について」までの4ヶ月半、驚異的なスピードで石巻市の「復興まちづくりアンケート調査」と「都市基盤整備復興計画」の策定作業が進められた。全ては宮…
前回、震災後僅か2か月足らずで、石巻市の運命を左右しかねない復興計画の骨子が、『石巻の都市基盤整備に向けて』(2011年4月29日)という文書で市建設部から発表されたことを書いた。その手法は、阪神淡路大震災において神戸市都市計画局が震災1ヶ月余りで…
石巻市のホームページや「東日本大震災復興計画ポータルサイト」(財団法人国土技術研究センター作成)で石巻市復興計画の関係資料を調べてみたが、しかしその内容は村井県政の復興方針の単なるコピーの域を出ず、内容もお粗末で計画のレベルも低い。これで…
河北新報のデータベースを検索していると、興味深い記事が幾つも浮かび上がってくる。なかでも『回顧‘09』シリーズの記事には、合併後の2度目の石巻市長選に関する鋭い総括が掲載されていて大いに参考になる。石巻総局記者の署名入り記事「不満噴出、刷新…
1市6町の石巻地域合併協議会によって、合併後の新市「石巻市」を建設していくための基本方針を示す「新市まちづくり計画」(2004年)が策定された。計画は「序論」にはじまり、「新市の概要」、「主要指標の見通し」、「新市建設の基本方針」、「新市の施策…
平成大合併における石巻市関連の各種記録(石巻地域合併協議会議事録、宮城県市町村課資料、日本都市センター合併情報など)を読むと、無理難題な広域市町村合併がいかに住民自治を侵害し、災害非常時における地域対応力を奪ってきたかがくっきりと浮かび上…
宮城県の地域構造は、仙台都市圏への「一極集中」という点で際立っている。戦後高度成長が始まる前の1955年、仙台都市圏はすでに県人口の39%(67万人)を占めていたが、その後の30年間で倍近い伸びを見せ、1985年には56%(121万人)に達した。2012年現在、…