2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧
松館氏のブログ『震災日誌in仙台』(8月19日)の指摘を俟つまでもなく、“雄勝未来会議”と題する大げさなネーミングは、学生たちに説明会で「雄勝の未来を語らせる」ための仕掛けだった。松舘氏流に言えば、学生たちの“夏休み自由研究”レベルの報告を長々とさ…
2012年8月19日に開かれた「雄勝地区復興計画(案)住民説明会及び意見交換会」は、何から何まで異様づくめの集会だった。まず、会の名称が“雄勝未来会議”といういままで聞いたこともない名前に変えられていた。次に、会の主催は石巻市雄勝総合支所、協力が雄…
2011年11月に入ると、『石巻市震災復興計画(素案)』が公表され、市民との意見交換会が各地区で始まった。だが、雄勝地区の心臓部ともいうべき中心部では様子が違った。行政側の高台移転計画がはじめて地元で説明されたとき、被災者から猛烈な反発の声が上…
雄勝支所の高台移転担当者および大学アドバイザーは、2011年9月末で高台移転事業が「復興まち協」で合意され、地区会長会(区長会)でも確認されたという“報告”を市役所本庁(基盤整備課)に提出(さえ)すれば、後は一部住民の異論があったとしても高台移転…
私が最初に「アーキエイド」(東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク)の活動報告に接したとき、この集団は1960年代から70年代にかけてアメリカやイギリスで誕生した「コミュニティ・アーキテクト」・「アドボケイト・プランナー」の“日本版…
2011年12月10日、石巻市震災復興基本計画(案)意見交換会において雄勝支所から提出された「高台移転計画の方針決定に係る経過概要」には以下のような内容が記されている。おそらく防災集団移転促進事業に関する国交省への申請書類にも、同趣旨の「住民合意…
“地元再建”の被災者ニーズを乱暴に踏みにじった「要望書」、そして高台移転計画に被災者を追いたてる「意向調査」、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編6)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その57)
雄勝地区の全世帯アンケート調査結果が「復興まち協」でどのように議論されたのか、私は詳しく知らない。しかし7月29日に市長に提出された「要望書」なるものは単なる要望事項の羅列にすぎず、それを裏付ける討議資料(議論らしい議論がなかった)もアンケー…
「復興まち協」が発足する以前に石巻市が行ったアンケート調査には、全市規模の『石巻の都市基盤復興に関する市民アンケート』(2011年5月実施、6月結果発表)がある。この調査は以前にも書いたように、「これほど杜撰な調査はない」(詳しい理由は7月16日の…
震災から僅か2カ月余り、徹頭徹尾、行政の手で設立された「雄勝地区震災復興まちづくり協議会」(「復興まち協」という)の役割には、驚くなかれ以下のような項目が平然と並んでいた。 ①雄勝地区の復興ビジョンや地域課題について意見交換を行い、集約し、市…
震災前、雄勝地区(合併前の旧雄勝町)には1637世帯・4300人が住んでいた。うち7割の1150世帯・3千人が被災したが、旧町内に建設された仮設住宅は僅か500人分だけで、残り2500人は町外の仮設住宅、市内外の民間賃貸住宅や親戚の家などに広く離散せざるを得な…
雄勝中心部(震災前人口1668人、618世帯)の高台移転計画の経緯を追っていくと、そのなかに石巻市の「アドバイザー」という名の建築家(大学教員、アーキエイドメンバー)がしばしば登場する。石巻市雄勝支所が設けた「雄勝地区震災復興まちづくり協議会」の…