2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

「雄勝未来会議」は、大学研究者・教育者の“モラルハザード”(倫理退廃)が象徴的にあらわれた場だった、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編12)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その63)

松館氏のブログ『震災日誌in仙台』(8月19日)の指摘を俟つまでもなく、“雄勝未来会議”と題する大げさなネーミングは、学生たちに説明会で「雄勝の未来を語らせる」ための仕掛けだった。松舘氏流に言えば、学生たちの“夏休み自由研究”レベルの報告を長々とさ…

“雄勝未来会議”と銘打った市当局・大学アドバイザー・土木コンサルタント三位一体の高台移転計画説明会が開催された、そして学生までが動員された、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編11)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その62)

2012年8月19日に開かれた「雄勝地区復興計画(案)住民説明会及び意見交換会」は、何から何まで異様づくめの集会だった。まず、会の名称が“雄勝未来会議”といういままで聞いたこともない名前に変えられていた。次に、会の主催は石巻市雄勝総合支所、協力が雄…

雄勝地区(中心部)高台移転計画は被災者の激しい批判を浴びた、だが計画は平然と進められている、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編10)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その61)

2011年11月に入ると、『石巻市震災復興計画(素案)』が公表され、市民との意見交換会が各地区で始まった。だが、雄勝地区の心臓部ともいうべき中心部では様子が違った。行政側の高台移転計画がはじめて地元で説明されたとき、被災者から猛烈な反発の声が上…

“ふるさとを守り郷土を育てる”という使命感と復興理念を見失った雄勝地区高台移転計画の愚かさ、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編9)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その60)

雄勝支所の高台移転担当者および大学アドバイザーは、2011年9月末で高台移転事業が「復興まち協」で合意され、地区会長会(区長会)でも確認されたという“報告”を市役所本庁(基盤整備課)に提出(さえ)すれば、後は一部住民の異論があったとしても高台移転…

当局の高台移転計画に加担(推進)する大学アドバイザー(アーキエイド)、雄勝地区は“高台移転促進事業の実験場”なのか、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編8)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その59)

私が最初に「アーキエイド」(東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク)の活動報告に接したとき、この集団は1960年代から70年代にかけてアメリカやイギリスで誕生した「コミュニティ・アーキテクト」・「アドボケイト・プランナー」の“日本版…

被災者に対する“情報公開”と“合意”なき高台移転計画は必ず破綻する、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編7)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その58)

2011年12月10日、石巻市震災復興基本計画(案)意見交換会において雄勝支所から提出された「高台移転計画の方針決定に係る経過概要」には以下のような内容が記されている。おそらく防災集団移転促進事業に関する国交省への申請書類にも、同趣旨の「住民合意…

“地元再建”の被災者ニーズを乱暴に踏みにじった「要望書」、そして高台移転計画に被災者を追いたてる「意向調査」、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編6)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その57)

雄勝地区の全世帯アンケート調査結果が「復興まち協」でどのように議論されたのか、私は詳しく知らない。しかし7月29日に市長に提出された「要望書」なるものは単なる要望事項の羅列にすぎず、それを裏付ける討議資料(議論らしい議論がなかった)もアンケー…

雄勝地区震災復興まちづくり協議会の「全世帯アンケート調査」は大きな意義をもつものだ、しかし“重大な欠陥”があった、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編5)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その56)

「復興まち協」が発足する以前に石巻市が行ったアンケート調査には、全市規模の『石巻の都市基盤復興に関する市民アンケート』(2011年5月実施、6月結果発表)がある。この調査は以前にも書いたように、「これほど杜撰な調査はない」(詳しい理由は7月16日の…

「雄勝地区震災復興まちづくり協議会」は、宮城県主導の“高台移転・職住分離・多重防御3原則”を実施するための上意下達組織だった、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編4)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その55)

震災から僅か2カ月余り、徹頭徹尾、行政の手で設立された「雄勝地区震災復興まちづくり協議会」(「復興まち協」という)の役割には、驚くなかれ以下のような項目が平然と並んでいた。 ①雄勝地区の復興ビジョンや地域課題について意見交換を行い、集約し、市…

“産業廃棄物対策室”が雄勝地区の復興まちづくりを担う違和感と矛盾、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編3)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その54)

震災前、雄勝地区(合併前の旧雄勝町)には1637世帯・4300人が住んでいた。うち7割の1150世帯・3千人が被災したが、旧町内に建設された仮設住宅は僅か500人分だけで、残り2500人は町外の仮設住宅、市内外の民間賃貸住宅や親戚の家などに広く離散せざるを得な…

石巻市の“アドバイザー”とはいったい如何なる存在なのか、第三者機関なのか、それとも単なる「行政の助っ人」なのか、平成大合併がもたらした石巻市の悲劇(番外編2)、(震災1周年の東北地方を訪ねて、その53)

雄勝中心部(震災前人口1668人、618世帯)の高台移転計画の経緯を追っていくと、そのなかに石巻市の「アドバイザー」という名の建築家(大学教員、アーキエイドメンバー)がしばしば登場する。石巻市雄勝支所が設けた「雄勝地区震災復興まちづくり協議会」の…