「がんばろう共産党」のスローガンでは党組織を再生できない、日本共産党第4回中央委員会総会報告を読んで、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その50)

日本共産党第4回中央委員会総会(4中総)の報告を読んでいたとき、朝日新聞の「『がんばろう神戸』から30年 エールは今」(1月13日)というルポルタージュ記事が目に留まった。趣旨は、「がんばろう神戸」のスローガンが阪神・淡路大震災で被災地から社会に発信されて間もなく30年になる。「がんばろう」という言葉への受け止め方がどう変化したのか。災害の現地に探った――というもの。神戸だけでなく、東日本大震災の石巻市や能登半島地震の穴水町の声も拾った記事だが、私にはこの声を読み解いた2人の研究者のコメントが深く心に残った。

 

――「がんばろう神戸」のスローガンを目にしたのを機に、言葉と社会の関わりを研究してきた帝京大学の大川清丈教授(比較社会学)は、「高度成長やバブルを経て、『がんばれば報われた時代』が終わりかけていたとき、阪神大震災が起きた」と解説する。「苦難の共同体」は、「がんばろう」の有効性を一時的に復活させた。「だが、その後は、がんばっても報われない『失われた30年』だった」と読み解く。

 

――大阪大学の村上靖彦教授(哲学)は、「『がんばろう』の言葉は、個々の困難な状況を見えなくして、我慢を強いる作用を近年まとってしまった」と指摘。社会の格差が広がるなか、「がんばろう」のもつ「丸投げ度」が年々重くなっていると感じている。「いま必要なのは、個々の切実さに根ざした、もっと肌感覚に沿った言葉ではないでしょうか」。

 

なぜ、2人の研究者のコメントが心に残ったかというと、「がんばろう神戸」のスローガンと共産党の4中総全体に流れる「がんばろう共産党」のスローガンが余りにもよく似ているからであり、また私の受け止め方も2人の研究者とまったく同じだったからである。志位議長の中間発言は、党活動の基本的構えとして、一つは「選挙勝利の活動と党づくりの活動の一体的追求」、もう一つは「毎月の党勢拡大の前進と党の総力をあげての世代的継承の一体的追求」をあげている。少々長くなるが、具体的にはどういうことかを抜粋しよう。

 

――決議案にもありますように、従来、私たちの声が届いていた範囲の活動の繰り返しでは、国民の中に起こっている新しい変化を党の前進に実らせることはできません。総選挙のたたかいを振り返りますと、広大な無党派の人々、若い世代の中に私たちの声が届いていない、声が届いていないから日本共産党ははなから選択肢に入らない。そういう人々には、これまでの活動の繰り返しでは私たちの声が届かない。それにくわえて、名簿が少ない、細っていく、電話がかからない、などの問題があります。

それでは、新しい層への結びつきをどうやって広げていくか。ここで「要求対話・要求アンケートで新しい結びつきを広げる」という新しい活動方法に挑戦し、これを選挙活動と党づくりを一体的にすすめる「大きなカナメ」の活動として位置づけようじゃないかということを決議案では打ち出しました。

 

――もう一つの一体的追求は、党勢拡大の問題です。毎月の党勢拡大の前進と党の総力をあげての世代的継承の一体的追求です。ここでまず大事なことは、決議案が毎月毎月の前進のために独自追及をはかることが絶対に不可欠だと強調していることです。「要求対話・要求アンケートで新しい結びつきを広げる」という戦略的大方針は、党勢拡大でも新しい大きな前進の条件をつくることになります。しかし、それだけで自動的にこの課題がすすむことはありません。独自追及が絶対に必要になります。これを欠いたら、あっという間に党は大きく後退してしまいます。

同時に、世代的継承の問題は党の現在と未來にとって文字通り死活的に重大な課題となっています。世代的継承のとりくみは、本当に緒についたところで、このままでは党の未来は開けないという状況の中で、どうやってこれを毎月毎月の拡大と一体的にすすめるか。ここでの一体的追求については、「二つのカギ」という提起をしています。

 

―― 一つ目の「カギ」は、世代的継承について何よりも大事なことは、担当者や担当部門まかせにするのではなく、党機関や党組織の長が先頭に立って党をあげてのとりくみにしていくことです。もう一つの「カギ」は、短期の目と中長期の目、両方の目で党の活動にとりくんでいくということです。短期の目で執念をもってがんばることなしに前進は絶対にかちとれません。同時に、中長期の目を大事にする。世代的継承のとりくみは、すぐには党勢拡大に実らないことも多い。しかし、とりくみを通じて人間的信頼関係ができた、結びつきができた、これは一つひとつが財産になります。

決議案は結びの部分で、選挙勝利と党づくりを一体的に前進させる「最大の保障」となるのは、全支部・全党員がたちあがる運動にすることにあると訴えています。これが決議案全体をやりぬく「最大の保障」なのです。それ以外に道はありません。

 

この部分だけを読めば、「その通り」だと言えるのかもしれない。だが、決議案には次のような厳しい現実も指摘されている。

 

(1)自力の不足の深刻化が党活動の量的レベルのみならず質的レベルにまで影響を及ぼしている。総選挙は前回比で党員数は93.2%、日刊紙読者は88%、日曜版読者は84.9%でたたかったが、宣伝・組織活動はそれ以上に落ち込み、「選対体制がつくれない」などの事態も生まれている。

(2)総選挙では、得票目標決定支部は7割、3中総の討議支部は6割、読了党員は2割強にとどまった。

(3)党大会以来、党員拡大は毎月2千人の入党者を迎えることを目指してきたが、昨年1年間で4400人を迎えただけで現勢での後退が続いている。読者拡大でも党大会時の現勢から後退傾向になっており、前進の軌道に乗せられていない。世代的継承は、青年・学生党員ではこの1年あまり現勢をほぼ維持しているが、青年・学生・労働者、真ん中世代の党員拡大は、党大会で決めた「5カ年計画」の目標の水準には大きく届いていない。

 

また、「しんぶん赤旗」の発行を守るためとして、次のような訴えも出されている。

――いま、「赤旗」の経営が大変厳しい事態にあります。日刊紙は、年間十数億円の赤字であり、日曜版の読者数も後退が続いています。「赤旗」の発行を守るために、現在、日刊紙、日曜版、電子版合わせて80数万人の「赤旗」読者を100万人にするために力を貸してほしい。もう一つは、今年1年間に10億円の「赤旗」支援募金をお願いしたい。

 

このような党組織、党活動の厳しい現実と、「あれもこれも」と指令を出す志位議長の中間発言との間には〝天と地〟と言っていいほどの大きなギャップがある。従来の党活動の延長では、広大な無党派や若い世代に共産党の声が届かないことは事実だが、だからと言って、現在の党組織・党活動の自力からして「要求対話・要求アンケートで新しい結びつきを広げる」という新しい活動方法を提起することが果たして適切なのか、実現可能なのか、疲弊させるだけではないのか――という疑問が拭えないからである。

 

「3中総の読了党員が2割強」「総選挙での選対体制をつくれない」という疲弊した党組織の現実を無視して、志位議長が「選挙勝利と党づくりを一体的に前進させる『最大の保障』となるのは、全支部・全党員がたちあがる運動にすることにある」「それ以外に道はありません」と絶叫するのは、これまで何度も指摘してきたように、劣勢な戦況を無視して〝バンザイ突撃〟を繰り返して全滅した日本軍の戦法にほかならない(『失敗の本質~日本軍の組織論的研究~』中公文庫、表紙には「大きな声は論理に勝る」「データの解析がおそろしくご都合主義」とのキャチコピーが掲載されている)。

 

このような「それ以外に道はない」といった退路を断つ戦法は、冷静な判断をする参謀が(誰も)いなくなった組織の司令官が陥る「罠」や「落とし穴」であって、司令官が無能であり独善的であればあるほど「罠」や「落とし穴」は大きくて深くなる。今回の4中総は「全会一致」で決定され、異論を唱える中央委員がただの一人もいなかったというのだから、党中央そのものが深くて大きい「罠」「落とし穴」の中にすっぽりと嵌まっているのだろう。

 

 共産党の党勢の推移を振り返るとき、30年前の第20回党大会(1994年7月)から現在まで、党員は36万人から25万人弱へ、赤旗読者250万人から80数万人へと右肩下がりで減少してきている。しかも党員の年齢構成(2024年現在)は、65歳以上の高齢者が3分の2近くを占めているというのだから、活動量は当時に比べて飛躍的に落ちていると言わなければならない。大川教授の言を借りれば、高度成長やバブルを経て「がんばれば報われた時代」が終わった今、「がんばろう共産党」は党勢を一時的に復活させたが、その後は、がんばっても報われない「失われた30年」になった――ということではないか。

 

村上教授が指摘する「がんばろう」という言葉の解釈にも重いものがある。この言葉は「個々の困難な状況を見えなくして、我慢を強いる作用を近年まとってしまった」とあるように、志位議長の中間発言は党組織が直面している個々の困難な状況を見えなくして、党組織にただ我慢を強いるだけの言葉に転化している。「いま必要なのは、個々の切実さに根ざした、もっと肌感覚に沿った言葉ではないでしょうか」との教授の指摘は、志位議長にはどうやら通じないらしい。

 

東京都議選と参院選が真近に迫っている。4中総全体を覆う「がんばろう共産党」の言葉がどれだけ効果を発揮するかは、選挙結果が仮借なく示してくれるだろう。主権者である国民そして有権者が判断を下す選挙結果は、政党活動に対する総合評価であって決して恣意的なものではない。国政選挙や地方選挙での敗北の原因をもっぱら自力不足や選挙戦術の拙さに転化し、党中央が新しい戦略戦術を打ち出せば選挙戦に勝利できるなどというのは〝幻想〟にすぎない。進路変更が効かない船はいずれ氷山にぶつかって沈没する運命が待っているだけなのである。(つづく)

党組織の空洞化問題をスルーして「希望ある未來」を大いに語るのか、赤旗元旦特集記事「激動の世界 希望ある未來、志位議長が大いに語る」を読んで、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その49)

 全国紙でも元旦の特集記事は分量が多いだけでつまらないものが多いが、今年の赤旗元旦特集記事「激動の世界 希望ある未來、志位議長が大いに語る」のインタビューは、大仰でしかも場違いな感じを抱いただけだった。国民生活に関わる記事をほとんどボツにして編集された6頁に亘る大特集は、志位議長のご高説をただ単におうかがいするというもので、政治評論としてもさして読みごたえのある内容ではなかった。そこには、国民の声よりも志位議長のご意向を忖度する赤旗編集局の体質が露骨に表れていて、読むのが辛くなったというのが率直な感想だ。

 

 そればかりではない。共産党が目下直面している深刻な党組織の空洞化問題すなわち志位氏が委員長に就任して以降の党勢後退に関しても何ひとつ言及がなかった。また、昨年10月の総選挙の結果についても枕詞として僅か数行が割かれているだけで、党中央の総選挙に対する「結果責任」を棚に上げ、素知らぬ顔でこれからの「決意」を述べただけだ。要するに、このインタビュー記事は、自分(党中央)にとって都合の悪いことは全てスルーして、志位氏が得意とする政党外交の成果を吹聴しただけのことであって、所得減と物価高に悩む国民生活や国民の気持ちなど「どこ吹く風」の扱いだったのである。以下は、そのことを証明する冒頭の1節である。

 

 ――昨年10月の総選挙は悔しい後退となりました。教訓をしっかりと明らかにし、都議選、参院選では必ず前進に転ずる決意を述べたいと思います。

 

 ――昨年を振り返っての強い実感は、一言で言いますと、情勢の大激動のなかで、党綱領と科学的社会主義、そして党大会決定の生命力が躍動しているということです。党大会決定では、「自民党政治の全体が末期的な状況に陥っている」と述べ、腐敗政治、経済無策、戦争国家づくり、人権後進国、あらゆる面で自民党政治が出口なしの政策破綻に陥っていることを暴き出しましたが、そのことは総選挙での自公過半数割れという国民の審判によって証明されました。共産党と「赤旗」の奮闘で情勢が一歩前に大きく動きました。

 

 ――党大会決定では、東アジアの平和構築をはかる党の「外交ビジョン」をさらに発展させることを決め、4月17日、「東アジア啓和宣言」を発表し、この「提言」をもって国内でもアジアでも欧州でも対話と交流を行ってきましたが、どこでも私たちの「提言」が歓迎され、響き合ったことはうれしいことです。

 

 ここでは「党大会決定」が何度も引用され、自分はそれに従って行動していることが強調されている。また党大会決定は、情勢が大激動するなかで党綱領と科学的社会主義とともに「生命力が躍動している」と認識されている。これらの一節は、自分の行動が時代の風に即したものであり、世界でも歓迎されていることを主張するための前段として位置づけられていて、図らずも志位氏の党活動に対する基本認識をあらわすものとなっている。つまり、目下の日本共産党にとっては東アジアの平和外交を推進することが第一義的に重要であり、それ以外は「その他の課題」として片付けられているということである。

 

 だが、政党外交の重要性は否定しないまでも、それが有効に働くのは当該政党がその国において国民的支持を受け、国の外交政策に対しても一定の影響力を持っていることが前提になる。国政政党としての実力がなければ海外では誰にも相手にされないし、行っても無駄足に終わることが多い。そのことを考えれば、〝党組織の空洞化問題〟(党活動の中核を担う世代が少なく、党中央が肥大化し、組織の空洞化が進んでいる状態)が深刻化している現在、事態を放置して党外交に現(うつつ)を抜かすことなど物事の順序を取り違えているとしか言いようがない。元旦特集記事が党組織の空洞化問題に焦点を当て、党内外の多様な討論のきっかけをつくるのであればまだしも、党外交の成果を志位議長に能天気に語らせるのは場違いもいいところではないか。

 

 わけてもこのインタビュー記事で不思議なのは、志位氏がこれほど頻繁に党大会決定を持ち出しながら、党勢拡大に関する党大会決定については何ひとつ触れようとしないことである。志位氏は党大会決定が「生命力が躍動している」と言っているが、もしそれが正しければ、党組織がこれほど長期にわたって後退し続けていることなどあり得ない。実態はその逆であり、党大会決定が「生命力を枯渇している」からこそ党勢後退が続いているのである。机上の空論として「共産主義と自由」や「希望ある未來」を説くのもよいが、党組織の空洞化という現実から目を背けて幾ら未来を説いても国民の耳には届かないし、党支持者や党員の心を動かすこともできないだろう。

 

 志位議長が語らなかった第29回党大会決定は、第30回党大会(2年後)までに第28回党大会現勢(党員27万人、赤旗読者100万人)を必ず回復・突破し、2028年末までに党員と赤旗読者を第28回党大会時比3割増(党員35万人、赤旗読者130万人)にすることを決定していた。

 

 ――第30回党大会までに第28回党大会現勢27万人の党員・100万人の「しんぶん赤旗」読者を必ず回復・突破する。党員と「しんぶん赤旗」読者の第28回党大会時比「3割増」35万人の党員、130万の「赤旗」読者の実現を2028年末までに達成する。第28回党大会で掲げた青年・学生、労働者、30代~50代の党勢の倍化、この世代で10万の党をつくることを党建設の中軸にすえ、2028年までに達成する。1万人の青年・学生党員、数万の民青の建設を2028年までに実現する。そのためにすべての都道府県・地区・支部が、世代的継承の「5カ年計画」と第30回党大会までの目標を決めやりとげる。

 

 この方針を達成するため、2024年7月末までに(1)毎月2万人以上に働きかけ、2千人以上の党員を迎える、(2)毎月1200人の日刊紙読者、6000人の日曜版読者の増勢をはかる、(3)党員拡大の6割、7割を青年・学生、労働者、真ん中世代で迎える――という方針も決定されていた。だが、その後の党勢推移はどうか。赤旗各月の報告によれば、党大会から1年を経過した現段階の党勢現勢は以下のようになっている。

 

    〇1月:入党447人、日刊紙1605人減、日曜版5380人減、電子版94人増

 〇2月:入党421人、日刊紙1486人減、日曜版5029人減、電子版74人増

 〇3月:入党488人、日刊紙947人減、日曜版6388人減、電子版28人増

 〇4月:入党504人、日刊紙74人増、日曜版135人減、電子版72人増

 〇5月:入党477人、日刊紙111人減、日曜版564人減、電子版70人増

 ○6月:入党514人、日刊紙537人減、日曜版3498人減、電子版59人増

 〇7月:入党648人、日刊紙350人増、日曜版467人増、電子版67人増、

 〇8月:入党375人、日刊紙119人増、日曜版398人減、電子版58人増、

 〇9月:入党334人、日刊紙455人増、日曜版613人増、電子版11人増、

 〇10月:入党213人、日刊紙2006人減、日曜版3212人減、電子版309人増

 〇11月:入党211人、日刊紙1254人減、日曜版49162人減、電子版159人増

 〇12月:1月3日現在、未公表

 〇2024年11か月合計:入党4421人(月平均400人)、日刊紙1254人減、日曜版4万9162人減、電子版159人増

 

 この実績が示すものは、毎月2千人以上の入党者を迎えるはずの党員拡大目標が400人(5分の1)に止まり、毎月7200人の読者増勢を図る赤旗拡大目標が昨年11月末現在では5万人減になっているという厳しい現実である。つまり、党勢拡大に関する党大会決定はいまや完全に破綻しているのであって、その方針を抜本的に是正しなければ党勢の維持すらも難しくなり、共産党の「希望ある未來」はないと言ってよい。

 

第29回党大会(2024年1月)で公表された党勢現勢は、第28回党大会(2020年1月)時党員数27万人、赤旗読者100万人、4年間の入党者数1万6千人(年平均4千人)、死亡者数1万9814人(年平均5千人)、2024年時党員数25万人、赤旗読者80万人というものだった。ここから、27万人+入党者数1万6千人-死亡者数2万人-離党者数1万6千人=25万人との計算式が導ける。入党者数に匹敵する離党者数(未公表)が恒常的に発生しており、これに死亡者数が加わって党員数が4年間で2万人減少し、それとともに赤旗読者20万人が減少したのである。また、党員の年齢構成が公表されていないので詳しくは分からないが、年々死亡者数が増えていることからも党組織の高齢化が著しく進んでいることはまず間違いない。すでに死亡者数が入党者数を4千人(年平均1千人)上回っており、このままでいけば入党者数よりも死亡者数が多い「自然減」が今後も継続し、これに離党者による「社会減」が加わって恒常的な党勢後退が進むことが予測される。

 

第29回党大会以降の11か月間の入党者数は4421人、12月分を入れても恐らく5千人には届かないだろう。死亡者数を過去4年間と同じく年平均5千人、離党者数も同じく年平均4千人と考えると、この1年で党員4千人減、赤旗読者5万人減となり、このままでは1年後に予定されている第30回党大会までに党員27万人、赤旗読者100万人を回復・突破することは難しい。また若い世代の入党者が少ないことから、党組織の高齢化がますます加速し、党活動の中核を担う人材が枯渇して党勢後退の悪循環から抜け出せない。

 

 2021年衆院選の共産党比例得票数は416万6千票、得票率7.25%、2022年参院選の比例得票数は361万8千票、得票率6.82%だった。当時は党員26万人余、赤旗読者100万人近くを擁していたにもかかわらず、400万票前後しか得票できなかった。今年の参院選は、さらに高齢化した党勢(党員24万人程度、赤旗読者75万人程度)で選挙戦をたたかわなくてはならず、しかも得票数は650万票、得票率10%以上を目指すというのである。この現実は、志位議長の「共産主義と自由」の理論、党外交の成果を以てしても如何ともしがたい事態だと言わなければならない。1月10日に中央委員会総会が開かれるというが、そこでどのような方針が打ち出されるのか注目したい。(つづく)

 

斎藤兵庫県知事の2期目 就任1カ月を迎えて、ダンマリを決め込む共産党兵庫県委員会、SNSが支配した兵庫県知事選挙(4)、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その48)

 兵庫県の斎藤元彦知事は12月19日、2期目就任から1カ月を迎えた。全国紙の見出しを並べてみると、毎日新聞は「兵庫知事2期目 就任1カ月、斎藤県政 混迷なお」「公選法違反疑惑、議会・職員と修復模索」、朝日新聞は「2期目始動1カ月、兵庫県職員 きしみ今も」「斎藤知事『感謝』 関係改善を模索」「鳴りやまぬ電話 『泥舟』転職者も」、日経新聞(関西版)は「斎藤兵庫知事2期目1カ月、『丁寧な対話』議会は注視」「調整役不足、2月議会が正念場」というもの。いずれも先行きは不明、情勢は混沌としているというのが共通した見方だ。

 毎日新聞は、ノンフィクションライター・松本創氏の言葉を引用して長文の記事をこう締めくくった。

 ――「既得権への不信を背景に、知事の座から一敗地にまみれた男が立ち上がるストーリーが共感を得て、(NHK党の)立花氏のネット動画やSNSで増幅された」と分析。斎藤氏を「アジテーション(扇動)するわけでも強い発信力があるわけでもなく、新しい、薄いポピュリズムの政治家だ」と見る。県政正常化の見通しについては、こう語った。「斎藤氏のコミュニケーション能力が本質的に改善されるか否かにかかっている」。

 

 朝日新聞は、県庁への苦情電話と職員の疲弊について詳報している。

 ――県庁には、告発者の元西播磨県民局長が亡くなった7月以降、苦情の電話が殺到した。県によると、斎藤氏が失職した9月末までに約6400件の電話があった。知事選後も電話は鳴り続け、11月18日~12月16日で1200件余り。斎藤氏を応援する意見、批判する意見、それぞれあるという。ある中堅職員は「毎日電話を受けている」とこぼす。10年以上働いてきた県庁を辞め、別の自治体へ転じた職員もいた。別の職員は「いつまで混乱が続くのか。職員は疲弊している」と県庁の現状に懸念を示した。

 

 日経新聞は、議会との関係や執行部体制についての懸念材料を列挙した。

 ――議会との関係では、就任直後に斎藤氏が各会派に挨拶回りし、3日には各会派の方から25年度当初予算編成に向けた申し入れをした。議会が全会一致で不信任を決議したころに比べれば、対話ができる環境にある。ただ、看板政策を進めるにあたり「民意を盾に、意見を十分に聞かず押し切ろうとするのではないか」との疑念を持つ県議は少なくない。

 ――議会調整の要となる副知事の人事提案は見送られた。ある県議は「斎藤氏は自分で議会と交渉しようとしない。周りの職員がカバーするには限界がある」と懸念を示す。熱の県幹部は「火中の栗を拾って引き受けようという人がいないのが実情だ」とみる。

 

 このことと関連して先日、先輩研究者たちが続けてきた京阪神自治体の幹部が集まる研究会が大阪で開かれた。長い歴史のある研究会なので、当時は現役バリバリの幹部たちもいまでは退職後の静かな生活を送っている。それでも元の職場の情報には詳しく、研究会は貴重な情報交換や意見交流の場になって参考になることが多い。今回はもちろん、兵庫県知事選とその後の政治状況が話題の中心になった。レジュメを用意してきた県元幹部は、「混迷の歴史(兵庫県知事選挙)」とのテーマで、戦後代々の県知事選の流れとその特徴を解説してくれた。それによると、これまでの知事選も決して平穏なものではなく、後継者と目された副知事に対しては庁内あるいは在野から数多くの対立候補が立ち、激しい選挙戦が展開されてきたという。以下は、その要旨である。

 

 長年、副知事が後継者として前任者の政策を受け継ぐという兵庫県のこれまでの伝統が今回崩れたのは、前知事の評価を巡って与党の自民党が分裂し、後継候補の副知事が落選したからである。維新と自民党離党組が担ぎ上げた斎藤氏は知事就任直後に「新県政推進室」を設置し、「行財政運営方針見直し案」を公表して前知事の施策を全否定する荒療治に乗り出した。その時に側近として重用されたのが、東日本大震災復興に兵庫県から派遣されていた職員たちだった(斎藤氏は当時宮城県財政課長だった)。斎藤氏の手法は「パワハラ」と言われても仕方がないほどの強権的なもので、それが発端になって西播磨県民局長の告発文が出されることになったという。しかし、斎藤氏はあくまでも自らの正当性を譲らなかった。

 

問題は、百条委員会が審議を尽くして結論を出す前に県議会で全員一致の不信任が可決され、斎藤氏が失職を選んで知事選に再び立候補したことから始まった。研究会でも百条委員会の措置の是非をめぐって議論が白熱したが、2期目の選挙戦では結局そのことが立花氏らの付け入る隙となり、SNS発信によって不信任決議が不当なものであり、斎藤氏こそが「県議会=既得権力」に立ち向かうヒーローだとする構図が作られる原因になったのである(以下、経過は省略)。

 

 だが、問題はこれで終わらなかった。斎藤氏の再選後初登庁の翌11月20日、斎藤陣営の選挙戦の中心を担ったPR会社の女性社長が、インターネットで「広報全般を任せていただいた」などと発信して衝撃が広がった。斎藤氏は11月25日、PR会社に「ポスターなどの製作費」として70万円を支払ったことを認めたが、公職選挙法違反には当たらないと強弁した。しかし、12月2日には大学教授らが斎藤氏とPR会社社長を公職選挙法違反(買収、被買収)容疑で県警と神戸地検に告発した。

 

 たまたま12月上旬に知事選に関わった弁護士たちと会う機会があり、そこでもこの告発が話題になった。弁護士たちの意見では地検はおそらく受理しないだろというものだった。だが、彼らの予想に反して県警と神戸地検は異例のスピードで2週間後に受理したのは驚きだった。政界は「一寸先は闇」だというが、兵庫県政の先行きの予断は許されない。先の研究会での議論では、県職員の大半は「様子見」あるいは「面従腹背」の状況にあるという。県議会はもとより県職員の間でも知事選はまだ終わっていないのであり、結果が出るのはこれからのことなのである。

 

 一方、壊滅的大敗を喫した共産党兵庫県委員会は、11月20日の赤旗報道以来ダンマリを決め込んでいる。ホームページを見ても、県委員会としての選挙総括がどこを探しても見当たらない。これでは責任ある国政政党としての有権者に対する責任が疑われるが、そんなことはお構いなく県委員長が来年の参院選への投票を呼び掛ける行動に出ているというのである。こんな話を聞くと、兵庫選挙区での得票数は県知事選の7万票余りからさらに減少してもおかしくない。それでも県委員会は相変わらず党勢拡大を叫び続けるのであろうか。(つづく)

 

共産党兵庫県委員会幹部は、SNSを理由にして県知事選の壊滅的大敗の責任を回避することはできない、SNSが支配した兵庫県知事選挙(3)、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その47)

 兵庫県知事選をめぐる情勢は、選挙前よりもむしろ選挙後の方が加熱してきている。当選した斎藤知事のSNSを駆使した選挙運動が公職選挙法に違反するとして12月2日、斎藤知事と西宮市のPR会社社長に対する刑事告発状が神戸地検と兵庫県警に提出された。PR会社社長は、選挙戦の広報戦略全般を取り仕切っていたと誇らしげにインターネット投稿サイトで発信していたが、これが問題になり始めるや否や当該箇所を次々と削除・修正している。これらの箇所を繋ぎ合わせると、兵庫県知事選におけるPR会社の役割がクッキリと浮かび上がってくるのだから、彼女は二重三重に疑惑を上塗りしていることになる。

 

 斎藤知事自身や代理人弁護士は、記者会見でPR会社社長の投稿は「事実ではない」と言い張り、この会社に支払った70万円はポスター制作費であって、公職選挙法で認められている範囲の対価であり「違法性はない」と主張している。検察側が立件するかどうかは目下未定だが、立件するしないにかかわらず、斎藤知事の政治的正統性が大きく揺らいでいることには変わりない。

 

一方、マスメディアはほとんど関心を示していないが、私はこの知事選で壊滅的大敗を喫した共産党兵庫県委員会幹部の責任の取り方に注目している。2021年前回知事選の共産党候補得票数18万4千票(得票率10.1%)だったのに対して、今回は7万3千票(3.0%)と僅か4割に激減したのである。にもかかわらず、県委員会はその原因をSNSのフェイク宣伝にすり替え、自らの選挙戦略の誤りを認めようとしない。国政選挙では「野党共闘の要」と位置付ける立憲民主党との共闘を県知事選では追求しようとせず、立憲が実質的に支援する稲村候補を斎藤候補や維新候補と同列に位置付け、これに敵対して大敗するという〝致命的な失敗〟を犯したにもかかわらず――、である。

 

ミソクソの区別もつかない県委員会の稚拙極まる情勢分析と政治判断の下に行われた兵庫県知事選は、今後このような誤りを防ぐためにも選挙総括が決定的に重要になる。ところが、投開票日から半月が経過した現在においてもキチンとした総括が出てこない。赤旗は、特報記事として「兵庫県知事選で何が起きた SNSと選挙を考える」(12月2日)でフェイク宣伝を批判しただけで、県委員会の誤りについては一言も触れようとしない。

 

そしてまたもや全紙2面にわたって大々的に掲載されたのが、アジア政党国際会議総会に参加した「志位議長が語る」(12月3日)の特大記事である。「私たち日本共産党が、アジアの平和の本流の側に立っていることに誇りと確信をもって、東アジアの平和構築のために引き続き知恵と力をつくす決意です」との言葉で結ばれているこの特大記事は、国内の党組織の抱える矛盾を直視せず、党員や支持者の目を海外に逸らせるため――、としか思えない。

 

赤旗が兵庫県委員会幹部の責任を追及しない(できない)のはなぜか。国政選挙にしても地方選挙にしてもその都度幹部の責任を追及すれば組織がもたないこともあるが、その根源は2021年衆院選の志位委員長発言にある。志位委員長は投開票翌日の11月1日、党本部で記者会見し、議席と得票数を減らしたにもかかわらず「責任はない」と明確に否定したのである。「総選挙の結果について」(赤旗2021年11月2日)と題する常任幹部会声明も同様の趣旨で展開されており、志位委員長をはじめ幹部役員の政治責任は一切棚上げされている。

 

政治は〝結果責任〟が原則なのであるから、意図はどうあれ敗北した場合は幹部が責任をとらないわけにはいかない。だが、志位委員長の発言は「我が党は、政治責任を取らなければならないのは間違った政治方針を取った場合だ。今度の選挙では、党の対応でも(野党)共闘でも政策でも、方針そのものは正確だったと確信を持っている」(毎日新聞2021年11月2日)というものだった。しかし、この主張は選挙結果にあらわれた〝民意〟を軽視するものであり、それよりも上に党の政治方針を置く「革命政党」の体質を遺憾なくあらわしている。

 

党の決定はあくまでも正しい。誤りやすい大衆を正しい方向に導くのが党の使命である。選挙結果などには一喜一憂せず、毅然として党の政治方針を貫徹しなければならない――というのであろう。だがこの主張を突き詰めていくと、有権者の生活感覚や政治意識の動向、時代の流れを察知できない無神経さと思い上がりにつながり、国民の心情から遊離した政治方針をいつまでも改めようとしない官僚主義、専制主義に陥ることになる。まして兵庫県委員会の場合は、稲村候補を斎藤候補と同一視するという決定的な「間違った政治方針」を取ったのであって、この論法でさえ通じないことは明白なのである。

 

来年の参院選・都議選ではさらに大きな波乱が予想される。SNSを駆使する新党の登場が幾つか予想されるし、想定外の戦術展開も考えられる。変幻極まる情勢の変化に対応するには、その場その時の変化に応じて柔軟に選挙戦を展開できるセンスと能力が必要だが、それが従来通りの党決定学習と党勢拡大で身に付くとは思えない。支部活動のあり方を抜本的に変える「自由な議論」「多様な討論」が必要なのであり、それが党改革の第一歩にならなければならないだろう。

 

だが、11月27日に行われた小池書記局長の「都道府県・地区役員、地方議員への訴え」(赤旗11月28日)は、いつも通り「常任幹部会声明」や「全国都道府県委員長会議」の読了と党勢拡大運動の推進を強調するばかりでまったく新味がなかった。そして12月2日の中央委員会書記局報告(赤旗12月3日)では、11月の党勢拡大運動は小池書記局長がいうように「党大会後最小の入党者数」になったのである。志位議長の華々しい海外活動にもかかわらず、共産党はいま「日暮れて途遠し」の状態に陥っている。(つづく)

 

〇1月:入党447人、日刊紙1605人減、日曜版5380人減、電子版94人増

〇2月:入党421人、日刊紙1486人減、日曜版5029人減、電子版74人増

〇3月:入党488人、日刊紙947人減、日曜版6388人減、電子版2 8人増

〇4月:入党504人、日刊紙74人増、日曜版135人減、電子版72人増

〇5月:入党477人、日刊紙111人減、日曜版564人減、電子版70人増

○6月:入党514人、日刊紙537人減、日曜版3498人減、電子版59人増

〇7月:入党648人、日刊紙350人増、日曜版467人増、電子版67人増、

〇8月:入党375人、日刊紙119人増、日曜版398人減、電子版58人増、

〇9月:入党334人、日刊紙455人増、日曜版613人増、電子版11人増、

〇10月:入党213人、日刊紙2006人減、日曜版3212人減、電子版309人増

〇11月:入党211人、日刊紙1254人減、日曜版4916人減、電子版159人増

前知事選比「6割」の大量得票を失った共産党兵庫県委員会幹部は責任(辞任)を取らないのか、SNSが支配した兵庫県知事選挙(2)、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その46)

SNS情報が乱れ飛んだ兵庫県知事選挙が終わった。しかし、その後も選挙中の報道のあり方についての記事や論評が相次いでいる。マスメディアが「中立」的報道に終始して論点を掘り下げなかったことが、斎藤陣営に加担するグループによる「パワハラはなかった」「既得権益と1人で闘う斎藤候補」といったデマ宣伝の跳梁を許し、予想外の結果につながったとの反省からであろう。

 

朝日新聞社説(11月23日)は、「選挙と立花氏、言動を看過できない」として、「選挙に立候補し、自らの当選を目指さずに他候補を応援する。政見放送や街頭演説など候補者に認められた権利を使い、事実とは言い難い内容を含む主張を、威圧的な言動もまじえて発信する。兵庫県知事選で、そんな異例の『選挙運動』が展開された。事態を放置すれば、民主政治の土台である選挙の根幹が揺らぎかねない」と鋭く批判した。

 

 11月24日のNHK日曜討論「いま考える『選挙とSNS』」は、久々の聞き応えある番組だった。その中で異口同音に指摘されたのは、SNSで氾濫した誤情報や偽情報に対するマスメディアの反応の鈍さだった。(NHKも含めて)危機意識が欠如しているからなのか、それとも取材能力が劣化しているからなのか、選挙中の情報空間はSNSに独占されて「やりたい放題」になり、マスメディアはファクトチェックをはじめ効果的な対応を怠ったとの指摘である。

 

知事選で敗れた稲村陣営は11月22日、開設したX(ツイッター)のアカウントが選挙期間中に凍結されたとして、容疑者不詳のまま偽計業務妨害の疑いで兵庫県警に告訴状を提出した。N党立花代表によって自宅前で「出てこい奥谷!」「自死されたら困るのでこれぐらいにしておく!」と脅迫めいた演説をされた県議会百条委員会委員長の奥谷県議は、名誉棄損されたとして即刻県警に告訴した。また、県百条委員会は同日、選挙中には公開しなかった証人尋問(10月24,25日)の記録を公開した(毎日新聞11月23日)。

 

今後こうした事態の解明を通して、選挙中に一方的に拡散されたSNS情報の誤りや歪みは是正されていくであろうが、しかし、選挙結果がもはや覆ることはないのである。NHK会長も民報連盟会長も、今後は選挙中の報道のあり方を見直すと遅まきながら言明したが、日本新聞協会は目下何の声明も出していない。N党立花某などによる民主政治の原則を無視した(破壊する)確信犯的行動を考えると、同協会には「社会の公器」としての新聞の役割を果たすためのさらに踏み込んだ対応が求められる。

 

一方、惨敗を喫した維新陣営や共産陣営からは然るべき選挙総括が出ていない。維新は代表選挙でそれどころではないのかもしれないが、共産は党首選挙をやらないのだから選挙総括をしない理由はないはずだ。赤旗の「一片の記事」(11月20、21日)と「主張」(社説、22日)でこのまま済ますということにでもなれば、国政政党としての共産党の存在が問われることになる。また、惨敗の原因を掘り下げることなく参院選や東京都議選に臨むようなことがあれば、同じ結果を招くことは必定と言わなければならない。11月24日現在、新たな選挙総括が出ていないことを前提に私なりの感想を述べたい。

 

まずは、赤旗11月20日の紙面についてである。「兵庫県知事選の結果について」の党県常任委員会の見解は、僅か300字余りの〝3段記事〟でしかなかった。内容は「大沢候補は、県政混乱のもと真っ先に出馬表明し、県政正常化と斎藤県政に代わる命と暮らし第一の県政政策を掲げて立ち上がった」「大型開発優先で県民の暮らしは最低クラスの県政の実態を示し、真の対決軸は『大沢候補対自民党支援の3候補』だと明らかにしてたたかった」「党員、後援会員、支持者の声を聞いて総活と教訓を深めて、来年の参院選勝利へ頑張る」というものだ。その前に置かれている小池書記局長の記者会見記事(400字足らず)もまったく同じ文脈で、「大沢候補は(斎藤氏の)県民不在の県政と県政の私物化は一体のものだと批判した」「こうした論戦をしたのは大沢氏だけでこの意義は大きい。奮闘に心から敬意を表する」と述べただけだった。

 

注意しなければ見逃すような「兵庫県知事選の結果について」の小さな記事の隣の頁には、「教育の現状と未来を語る、『あいち教職員の集い』志位議長の発言」と題する記事が全紙にわたって掲載されていた。紙面のボリューム(大きさ)から言えば、県知事選記事の7~8倍もある大型記事である。こちらの方は一問一答まで詳報するという特別の扱いなのだ。いつでも紹介できる志位議長の講演記事が、よりによって県知事選の翌々日に大々的に掲載されている有様は、党中央が県知事選の結果などまったく気にしていない様子を窺わせる。小池書記局長の記者会見しかり、赤旗の編集方針しかりである。

 

翌21日の記事「兵庫県知事選ふり返って」(兵庫・個人名)はもっと酷かった。機関としての見解なのか、記者の個人的意見なのか判然としない類の記事だが、しかもその内容が振るっている。選挙戦の構図を「自民党が支援する3氏(斎藤氏、元尼崎市長、前維新参院議員)と日本共産党が推薦する大沢氏の対決」と規定し、それがSNSのフェイクによって「斎藤か否か」の歪められた構図として描かれて有権者に影響を与えた――との分析である。ここには、党兵庫県委員会の硬直した政治姿勢と情勢認識の歪み(弊害)が余すところなくあらわれている。私の感想は以下の3点である。

 

第1は、2021年知事選で斎藤氏を推薦した自民と維新が、斎藤氏の「パワハラ疑惑」で不信任決議をせざるを得ない状況に陥り、それぞれが内部分裂して複雑な政治情勢が現出しているにもかかわらず、その政治変化を分析できずに、一律に「オール与党」と決めつけていることである。この情勢認識は、共産が「少数野党」として県政から孤立している状況が常態化しているため、「共産以外は敵」といったセクト的感情に陥り、この期に及んでもなおそこから脱却できない典型的な「左翼小児病」の症状をあらわしている。

 

第2は、驚くべきことに稲村元尼崎市長を斎藤氏と同列に「自民党支援候補」と見なしていることである。圧倒的多数の県民が斎藤氏の言動に呆れかつ怒って県政の交代を望んでいるとき、その世論動向を理解できずに「『斎藤か否か』が争点のように描かれ、元尼崎市長が『反斎藤』の期待を集めましたが、政治姿勢も政策も自民党・『オール与党』県政の枠内でした」との的外れの情勢分析をしているのだから、呆れるほかはない。稲村氏に対するこの決めつけは、共産支持票が激減する最大の要因となったが、悲しいことに選挙中に方針の誤りを糺す声も出なければ、党中央から是正されることもなかった。「民主集中制」はまさに機能不全に陥っていると言わなければならない。

 

第3は、情勢の変化に応じた柔軟な政策展開ができず、「大沢氏は大型開発から『なにより命、暮らしを大切に』と自民党県政を県民本位に転換する道を堂々と訴えました」と、百年一日の如く昔ながらの古色蒼然とした政策しか訴えることができなかったことである。これは、大沢候補の街頭演説の現場にいた人から実際聞いた話だが、動員されていた少数のグループを除いて立ち止まる人はほとんどいなかったという。TPO(時、場所、場面)をわきまえない街頭演説は、誰も引き付けることができないのは自明の理と言わなければならない。悲しい話ではあるが事実なのだから仕様がない。

 

最後に最も重要な点を指摘したい。以上の見解はいずれも到底「総括」とは言えないような(低レベルの)粗末な代物であるが、より重要なのは選挙総括の要である得票数、得票率の分析には一切触れていないことである。民意を問う国政選挙や地方選挙の総括において肝心の選挙結果の分析が欠落していることは、有権者にとっては「臭いものは隠す」政党だとしか映らない。自分に都合のいいことは大宣伝するが、都合の悪いことを隠すような政党は、有権者から信頼されることは(絶対に)ない。このまさに絵にかいたような光景が目の前で展開されているのである。これでは、共産党の選挙総括それ自体が「フェイク」だと言われても仕方がない。以下、前回知事選との比較で選挙結果を見よう。

 

前回の2021年知事選は、有権者数452万9千人、有効投票数186万1986票、投票率41.1%だった。候補者5人による選挙戦の中で共産候補得票数は18万4811票、得票率は10.1%でそれなりの成果を得ていた。共産得票数の内訳は、神戸市(大都市)5万5262票、10.6%、市部(近郊都市、地方都市)12万0023票、6.8%、郡部(農村部)9526票、8.6%であり、大都市から農村までほぼむらなく得票していた。

 

今回の2024年知事選は、有権者数446万3千人、有効投票数248万3814票、投票率55.6%と有権者の関心が高まる中で一挙に跳ね上がった。ところが、有効投票数が62万1千票も増えたにもかかわらず、共産候補得票数は逆に11万949票減(▲60.0%)の7万3862票、得票率は7.1ポイント減の3.0%へと激減したのである。減少数の内訳は、神戸市3万1431票減(▲56.8%)、市部7万2822票減(▲60.6%)、郡部6696票減(▲70.2%)といずれも6~7割の激減となった。この結果は「大敗」「惨敗」の域を通り越してもはや「壊滅」に近い。これは、党県委員会幹部が総辞職しても埋め合わせることができないほどの惨憺たる結果ではないのか。

 

2020年代に入ってから、共産党の比例代表得票数は416万6千票、7.3%(21年衆院選)、361万8千票、6.8%(22年参院選)、336万2千票、6.1%(24年衆院選)と着実に減少してきた。もし次期参院選で兵庫県知事選並みの「6割減」となると、比例代表得票数は134万4千票となり、共産は遠からず〝消滅可能性政党〟となるかもしれない。小池書記局長は「県知事選の奮闘に心から敬意を表する」と述べただけ、志位議長は相変わらず国際会議に出かけて政党外交に熱中していて、県知事選の総活は放置されている。もしこのまま然るべき総括が中央委員会総会においてもなされず、兵庫県委員会幹部の責任が問われないとしたら、共産党そのものが国民や有権者から見放されることになる。兵庫県委員会幹部に対する責任追及と厳正な処分が求められているのである。(つづく)

機関紙拡大と票読み活動はもはや時代遅れの選挙運動になったのか、SNSが支配した兵庫県知事選挙、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その45)

2024年11月17日に行われた兵庫県知事選挙で、県議会の全会一致の不信任決議で失職した斎藤元彦前知事が異例の再選を果たした。それも2021年前回選挙85万8千票を大幅に上回る111万3千票を得票してのことである。投票率も前回41.1%から55.6%へと大幅に跳ね上がった。職員への「パワハラ」や訪問先での「おねだり」で、斎藤氏は知事としての資質や人間性を疑われていたが、そんなことは問題ではなかったらしい(私などはこれまでの神戸の友人たちとの情報交換を通して、斎藤氏は政治家失格で完全に「アウト」だと思っていた)。

 

翌18日の各紙は、「斎藤さん SNS攻勢、演説動画を配信 支持急拡大」(読売新聞)、「SNS戦略 勝敗左右、斎藤氏 負のイメージ覆す、フォロワー急拡大 20万人超え」(産経新聞)、「ネット駆使 支援うねり、パワハラ疑惑否定 浸透」(毎日新聞)、「斎藤氏 膨らんだ聴衆、演説動画・活動予定 SNSで発進」(朝日新聞)、「斎藤氏、SNSが原動力、若者票、稲村氏の3倍」(日経新聞)などと、選挙結果をトップ記事で大きく報じた。

 

翌々19日の各紙も、引き続いてSNS選挙の影響力〈功罪〉について分析している。

毎日新聞はネット活用で注目された選挙を3つ挙げ、与野党からは来年夏の参院選や東京都議選に向けて警戒感が高まっていること、SNS戦略の練り直しの声が上がっていることを紹介している。

(1)2024年7月、政党の支援を受けない石丸伸二・前広島県安芸高田市長が約166万票を得て2位に。立憲民主党元代表代行の蓮舫氏は3位に沈む。

(2)10月、与党が過半数割れし、国民民主党(玉木雄一郎代表)が公示前から4倍の28議席を獲得。

(3)11月、県議会から不信任決議を受け失職した斎藤望彦前知事が再選。

 

朝日新聞は「斎藤氏再選、原動力はどこに」との見出しで、詳しい分析結果を掲載した。

(1)原動力となったのは、インターネットにあふれる情報と、有権者の既存メディアや県議会への不信感だ。

(2)県議会やメディアなどの「既存勢力」に対し、斎藤氏1人が対峙するかのような構図が作られ、共感が広がった。

 (3)朝日新聞の出口調査によると、斎藤氏は若年層の支持が厚いのが特徴で、20代以下が65%、30代が66%、40代が54%、50代が52%で、いずれも稲村氏を上回った。

 

日経新聞も同じく、斎藤氏勝利の原因として街頭演説の動画がSNSで拡散し、若年層の支持を集めたと結論している。

(1)SNSは選挙に重大な結果をもたらす。都知事選での石丸伸二氏、衆院選での国民民主党の善戦に続く、兵庫県知事選での斎藤元彦氏の再選。もはや偶然ではない。

(2)ネットでの選挙運動の解禁から10年あまり、今回の知事選では、SNSを見て演説会場に足を運んだ若者もいた。これまで関心の薄かった人たちを政治に向かわせたのなら、いいことだ。

(3)だが、手放しのプラス評価は危ない。ネットの世論形成メカニズムには注意がいる。人々の関心を引く、わかりやすい情報が飛び交いやすい。敵と味方に分けたような明快なストーリーが受け、拡散する。選挙に行くきっかけはSNSでも、投じる1票は考え抜いた結果でなければならないはすだ。ネットで醸成された何となくのムードに押された投票では、民主主義の根幹がゆらぐ。

 

共産党は兵庫県知事選2日前の11月15日、全国都道府県委員長会議をオンラインで開いた(都知事選であれば、投票日前に全国都道府県委員長会議を開いたりなどはしないだろう)。その中の「2,日本共産党の選挙結果についての中間的総括について」では、「SNSを選挙戦勝利の大戦略として、日常的に推進することの立ち遅れ」が指摘されている(赤旗11月16日)。

(1)大会決定では、総選挙躍進への独自のとりくみとして、①「声の宣伝」を「全有権者規模」に大きく発展させる、②「折り入って作戦」を選挙勝利と党勢拡大の要の活動と位置づけ、大規模に発展させる、③「SNSに強い党」になり、ボランティア、サポーターが参加する選挙にする――「三つの突破点」を提起した。

(2)赤旗読者や後援会会員を二度三度訪問して対話する「折り入って作戦」は早い段階からとりくむことが必要だったが、選挙間際では間に合わなかった。

(3)「SNSに強い党」となり、ボランティア、サポーターが参加する選挙は、今回の総選挙では「始めたばかり」の段階にとどまった。

 

つまり、総選挙では従来からの党勢拡大活動を結合した選挙運動が中心となり、「折り入って作戦=票読み活動」を展開してきたのであるが、これだけでは不十分なので「SNS活動」を強化しなければならないというのである。当然のことながら、この大会決定は兵庫県知事選でも適用されて「三つの突破点」が実践されているはずだから、選挙戦では然るべき成果を挙げて当然と思われるが、結果は悲劇的とも言える悲惨なものだった。当日の有権者数450万6千人、有効投票数220万5千票だったのに対して、共産党推薦候補の得票数は僅か7万3千票にとどまり、得票率3.3%にすぎなかった。前回2021年知事選と比べても党推薦候補得票数は18万4千票から11万1千票も減り、得票率は10.0%から3分の1に激減したのである(兵庫県知事選の総活はまだ行われていない)。

 

兵庫県知事選におけるSNS選挙の大々的な展開は、従来型の「機関紙拡大+票読み活動」の選挙運動の限界を感じさせる。とりわけ党組織が高齢化している共産党の場合は、高齢者党員がSNS選挙に取り組むことはまず不可能だろうし、と言って、若いボランティアやサポーターがそれほど沢山いるわけでもないので、大規模にSNS戦略を展開することは容易ではないのである。

 

『日本共産党――「革命」を夢みた100年――』(中公新書2022年)を著した中北浩爾中央大教授(現代日本政治論)は、日経新聞2024年11月2日のインタビュー「有権者の実像、識者に聞く」シリーズで、総選挙の結果について次のように語っている(要旨)。

(1)自民党のほか、公明党や共産党など多くの党員をもち機関紙活動も活発な組織政党が後退したのも印象的だった。SNSを駆使して党首の魅力やわかりやすい政策を発信し、若者を中心に共感を集めた政党が躍進した。

(2)組織政党の退潮は半ば不可逆的な傾向だ。欧州と同じく日本でも「社会の個人化」が進み、業界団体、労働組合、町内会などさまざまな組織が衰退する。政党の組織も弱体化し、若年層を中心に無党派層が増えている。

(3)政党が強固な組織や支持団体を持つ強みは変わらない。選挙運動にはマンパワーが不可欠で、苦しいときほど固定票が大切になる。一方で政党が生き残るには、ある程度の時代に対応し変化が欠かせない。

(4)共産党は組織面で分派の禁止を伴う民主集中制を維持する。閉鎖的なトップダウンの組織は時代になじまない。反対意見を公然と述べた党員を簡単に除名・除籍し、排除するのも問題といえる。複数の候補者による党首公選をやるなどの組織改革が必要になる。自由で開かれた組織に転換しなければ今の若者は入ってこない。

 

共産党がこの批判に反論することを大いに期待するが、ただし反論はイデオロギーからだけのものではなく、実践を伴うものでなければならないだろう。民意を問う国政選挙や地方選挙がその実践の場である以上、選挙結果を政策や運動方針の誤りではなく「自力不足」だけに限定するのは無理があるというものである。田村委員長には兵庫県知事選の総活も含めた「新しい政治プロセス」への対応が求められる。(つづく)

〝国政プレイヤー〟としての共産党の影が次第に薄れていく、総選挙後はマスメディアへの登場がばったり途絶えた、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その44)

 総選挙後は、報道各社から選挙戦全般についての論評や講評が出るのが通例となっている。だが、今回の場合は、自公与党の過半数割れもあって次期首班指名をめぐる話題がホットテーマになり、総選挙そのものについてはまとまった論評が見当たらない。その所為か、赤旗が〝2千万円スクープ〟をものにしたことは知られているが、共産党の動向についてはほとんど言及がない。

 

 その中で、3人の政治学者(遠藤乾東大教授、中北浩爾中大教授、谷口尚子慶大教授)が討論した毎日新聞の座談会「どうなる日本政治」(10月29日)は比較的読みごたえのある内容だった。座談会の主題が総選挙の結果とその後の政権の行方であり、必ずしも政党論そのものではなかったが、政党名では自民、公明、立憲民主党、国民民主党、日本維新の会、参政党、日本保守党、れいわ新選組が上がり、政治家名では石破茂、岸田文雄、野田佳彦、安倍晋三が話題に出た。しかし、共産党がまったく話題にならずに話が進んだことには強い印象を受けた。このことは、今回の総選挙で共産党の存在が、政治学者の意識に上らない程度のものになってしまったことを示している。

 

 今回の総選挙の帰趨は、前回(2021年)衆院選と今回衆院選の比例代表得票数を比較すると一目瞭然になる。毎日新聞(10月30日)の各党比例代表得票数の増減率をみると、与党側では自民26.8%減、公明16.2%減と自公両党ともに大きく票を減らしたことが特徴だ。しかし、野党側では明暗が分かれて見事に2極化した。国民138%増、れいわ71.7%増、立憲0.6%増に対して、維新36.6%減、共産19.3%減、社民8.3%減である。ただ、立憲は議席数では大きく躍進したが、比例代表得票数では1156万票で前回とほとんど変わらない。大きく票を伸ばしたのは国民とれいわで、国民は前回の259万票から617万票へ2.4倍、れいわは221万票から380万票へ1.7倍になり、両党は共産を上回った。維新の凋落については有り余るほどの報道が溢れているので省略するが、共産と社民が歩調をそろえて後退しているのは深刻な現象だと言える。

 

 直接的ではないが、その回答に示唆を与える記事に山本健太郎氏(北海学園教授、政治学)のコメントがある(日経新聞10月31日、「有権者の実像、識者に聞く」)。コメント(骨子)は以下のようなものだ。

 (1)今回の衆院選で比例代表の得票数を見ると、自民党は過去最少の1458万票に落ち込んだ。有権者の怒りがはじけ、自民からはがれた分の票は棄権に回ったか、国民民主党に入ったのだろう。

 (2)小選挙区は自民よりは「まし」だとの考えで、立憲民主党に一定程度の票が集まったと見ている。有権者の戸惑いが感じられ、立民への好感度が高かったために公示前の1.5倍の148議席になったわけではない。期待がもっと高まっていれば、今回1156万票を獲得した比例票はもっと伸びてもよかったはずだ。

 (3)第2次安倍政権以降の10~30歳代の若年層の自民支持が他世代に比べて分厚いという特徴は、今回の総選挙では見事なまでに崩れた。若年世代が政治に期待しているのは実行力であり、安倍政権に対してはいろいろ批判があったが、アベノミクスを掲げて好景気をもたらしたことで支持を得ていた。反対に旧民主党の勢力は批判に傾きすぎて、実行力に欠けると受け止められていた。

 (4)若年層の自民支持がはがれた要因は、長期的には岸田政権も石破政権も明確なメッセージが若者には感じられず、短期的には石破首相が就任直後に解散・総選挙に踏み切った点が信頼感を著しく損ねたことがある。若年層の票を吸収したのは国民民主やれいわ新選組とみている。

 (5)特に国民民主が議席を伸ばした要因は大きく3つある。①SNSの露出度の高さ、②対決よりも解決という姿勢、③手取りを増やすとうたった経済政策だ。既存の政治勢力は、若年層からすると距離が遠い存在になっている。学生からは少しでも将来に希望が持てる経済状況を求める声を聞く。国民民主のスローガンは若者にとって手の届くと感じられる表現で、従来とは異なる新しさのようなもの、付加価値があったのではないか。

 

 このコメントは若年層の動向が中心なので、維新、共産、社民の各党がそもそも対象になっていない。このことは、とりもなおさず上記各党が若年層にアピールできず「反自民票」の受け皿にならなかったことを物語っている。また立民の躍進は「よりまし」程度のことであって、期待が高かったからではない(比例票が伸びていない)という指摘も興味深い。要するに、自民党の敗北が予想外に大きかったために、「反自民票」が小選挙区では立民に、比例代表では国民民主とれいわに流れたにすぎないとの分析である。野党側に政権交代させるだけの実力がなく、むしろ自公与党の敵失によって「よりまし」な野党が浮かび上がったとの冷静な分析である。

 

 世上では自公両党が過半数割れした選挙結果について、「政治とカネ」の問題が大きいことは間違いないが、それが導火線となって日本社会に充満している憤りと不満に火が付いたと考えるべきだ。その不満とは、物価上昇など生活の苦しさに対して政府与党が確たる見通し策を提示できなかったからだ――との声が溢れている。ならば、政府与党に対して最も厳しい批判を展開してきたはずの共産がなぜ「反自民票」の受け皿にならなかったのか。そして、共産はこの事態をいったいどう見ているのだろうか。

 

それを解明するカギになるのは、「自公両党が『与党過半数割れ』の歴史的大敗を喫したことは、国民が自民党政治に代わる新しい政治を模索し、探求する、新しい政治プロセスが始まったことを示しています。この点に関して決定的な役割を果たしたのは、自民党の政治資金パーティーによる裏金づくりを暴露し、さらに選挙の最中に裏金非公認への2千万円支給をスクープした赤旗と共産党の論戦でした」とする常任幹部会声明の中にある(赤旗10月29日)。赤旗の紙面は、共産の比例代表得票数・得票率の減少にはほとんど触れず、「与党過半数割れに追い込んだ〝МVP(最優秀選手)〟は赤旗と共産党だ」との一色で染められている。〝裏金スクープ〟という場外ホームランを放った赤旗を称えることで、党組織が抱える構造的問題(党員高齢化と党員数減少)と比例代表得票数の減少という事実には触れないように編集されているのである。

 

言うまでもないが、〝МVP(最優秀選手)〟は勝利したチームの中から選出されるのであって、敗れたチームから選ばれることは(絶対に)ない。赤旗が健闘したことは事実であるが、共産は比例得票数・得票率の減少によって議席を失ったことは明々白々たる事実であり、「試合に負けた」という厳粛な事態を覆い隠すことはできない。たとえ1人のホームランバッターがいても、残るメンバーに貧打で実力がなく、監督やコーチに差配能力がなければ、試合に勝利することは難しいからである。この点で、赤旗と共産が〝МVP(最優秀選手)〟だと称える記事や見出しは明らかに「ゴマカシ」であって、これらは即刻削除して訂正されなければならない。

 

 最後に、京都の選挙結果についても簡単に触れておきたい。2019年参院選、2021年衆院選、2022年参院選、2024年衆院選の過去4回の国政選挙における共産党の比例代表得票数・得票率の推移は、16万7千票・17.5%、15万2千票・13.1%、13万票・12.5%、12万7千票・11.8%と確実に減少の一途をたどっている。だが、先日開かれた総選挙報告集会での京都府委員会書記長の報告は、選挙結果については簡単に触れただけで、「自公過半数割れで『自民党政治の終わりの始まり』を切り開いた日本共産党の役割に確信を持ち、公約実現に力を尽くす」という決意をもっぱら強調するものだった。

 

最後には申し訳程度に「自力の問題、選挙方針、いずれの問題でも、なぜチャンスを得票増に実らせることができなかったのか、多くの党員、後援会員、支持者の皆さんの忌憚ないご意見をいただきながら、しっかりと自己分析を深め、次の躍進に力を尽くします」(京都民報11月3日)と述べたが、これは党組織自体に自己分析能力がないことを告白しているようなもので、集会参加者の中には絶句した人たちも数多くいたという。集会の参加した人たちからは、共産党は京都においても〝国政プレイヤー〟としての存在感を失くしつつあるとの声が上がったというが、それも当然のことだろう。(つづく)