皇室典範改正・衆議院議員定数削減・中傷動画作成疑惑を巡る〝反高市・超党派議員連盟〟の結成が急務、与党絶対多数政権におけるリベラル会派のあり方をめぐって(その1)

第221特別国会が7月25日、閉会した。報道各社の世論調査を見ると、内閣支持率は6月から7月にかけて軒並み下落し、高市政権の評価に大きな異変が生じたことを示している。読売69%→57%、日経68%→58%、産経65.3%→61.6%、朝日60%→53%、共同通信55.8%→53.7%など、下落幅は最大10~12ポイントに及んでいる。なかでも「重ね聞き」をしない時事通信と毎日は、時事54.3%→49.0%、毎日51%→41%となり、支持率が初めて5割を割った。さらに、毎日は不支持率が44%で支持率を上回った(朝日、7月28日)。

※「重ね聞き」とは、「支持する」「支持しない」について「わからない(無回答を含む)」と答えた回答者に対して「どちらかと言えば」と再度聞き、そこで得た回答を最初の回答に加算して支持率・不支持率を算出する方法。「重ね聞き」をしない場合は、最初の回答がそのまま支持率・不支持率となるが、「重ね聞き」の場合は、「どちらかと言えば支持」「どちらかと言えば不支持」をそれぞれ「支持」「不支持」に加算するので支持率・不支持率は高くなる。

※調査方法は、コンピューターで無作為に作成した固定電話と携帯電話の番号にかけるRDD(ランダム・デジット・ダイアリング)方式で、18歳以上の有権者を対象にして実施される。時事通信の場合は、全国の18歳以上の男女2000人を無作為に選び、調査員が対象者を訪問して対面で意見を聞く「面接法」によって実施される。この方法は、自動音声による電話の応答よりも正確な意見を収集することが可能となる。

 

国会閉会後の各紙社説は、ニュアンスの違いはあるとはいえ、いずれも高市首相の国会運営への厳しい批判で共通している。以下は朝日・毎日・読売各紙の社説の要旨である。

〇朝日新聞(7月26日):「説明責任からの逃走、国会をゆがめた首相の独善」

・高市首相が衆院選後初めて臨んだ国会で見えたのは、説明責任から逃げ、「数の力」で押し通そうとする首相と、それを制御できない自民党の責任政党としての劣化だった。国民の代表として政府を監視する立法府の機能は大きく歪められ、首相の責任が厳しく問われる。

・日本国憲法は、国会を国権の最高機関と定め、首相や閣僚に出席する義務を課している。国会への出席を軽視する高市首相には、立憲主義の下、立法府に対して行政府の長が果たすべき役割への理解が欠けている。また、政治への信頼にかかわる中傷動画報道に関する対応も場当たり的で、最後まで疑念を払拭する説明はなかった。

・国会最終版では、多くの国民が苦しんでいる物価高騰など国民生活に直結する課題ではなく、改正皇室典範や国旗損壊処罰法、インテリジェンス強化法や副首都法など、日本維新の会との連立合意の具体化が最優先された。連立に応じた維新への恩義に報いるためであり、国政よりも私情を優先する行為そのものだ。

・衆院で圧倒的な議席差があるとはいえ、野党の力不足も深刻だった。衆院で野党第1党の中道改革連合は、参院では立憲民主党と公明党に分かれたままで、インテリジェンス強化法や改正皇室典範では、衆院で中道は賛成、参院で立憲は反対と、重要法案をめぐる態度が分かれた。このままでは、巨大与党に対抗する軸になるのは難しい。だが、政権を監視し、国民の多様な声を政治に反映させる野党の役割は、これまで以上に重みを増している。野党の立て直しと連携強化が急がれる。

 

〇毎日新聞(7月26日):「国会閉会と高市首相、独りよがりが分断深めた」

・特別国会が閉会した。あらわになったのは、立法府の危機的状況である。巨大与党を率いる高市首相は独善的な振る舞いに終始し、審議の形骸化が進んだ。通常国会冒頭で首相は唐突に衆院解散に踏み切り、自民党が衆院の3分の2を超える圧勝を収めた国会では、「国論を二分する政策」の具体化へ突き進んだ。

・国民生活は上向かず、将来不安が増している中で、首相はそうした懸念に応えることなく肝いりの戦略17分野に巨費を投じ、経済成長を実現する構想を描く。後半国会では、日本維新の会との連立合意に固執し、皇統の男系維持に踏み込む皇室典範を改正し、衆院議員定数の「比例代表のみ削減」を主張し、不要不急の国旗損壊処罰法や副首都法を成立させた。いずれも国民感覚とはかけ離れており、政策の優先順位を見誤っている。「二分」させた国論を統合する努力を欠いたまま、独りよがりな政権運営に陥れば分断を深めるばかりだ。

・首相の露骨な国会軽視は、予算委員会の集中審議出席の異例の少なさや中傷動画問題への答弁回避にもあらわれている。自民は首相に追随し、国民政党としての自律性を欠いた。細分化した野党は対立軸を打ち出せず、監視機能も発揮できなかった。言論の府の立て直しは急務である。高市内閣の支持率は下降し、有権者の期待が剥落しつつある。数の力を振りかざす強権的な手法は通用しない。首相は猛省し、多様な声に耳を傾けるべきだ。そうでなければ人々の心はさらに離れる。

 

〇読売新聞(7月29日):「内閣支持率下落、謙虚さを備えた政権運営に」

・特別国会で成立した改正皇室典範については、問題点が多く指摘された。高市首相は謙虚に政権運営にあたらねばならない。読売新聞の7月の世論調査で内閣支持率が57%となり、昨年10月の内閣発足以降で最低となった。調査では、首相が改正皇室典範などに関して国民に十分に説明していると思わない、との回答が62%に上った。旧宮家の男系男子を養子として皇室に迎えるのを可能にしたことについて「評価しない」の方が多かった。

・象徴天皇制の根幹にかかわる重大な制度変更だったが、衆参両院の質疑時間は計6時間余り、多くの国民が納得を得るに至っていない。皇室典範を再改正して、女性の天皇を認めることに「賛成」と回答した人は85%に達した。首相は衆院予算委員会で、安定的な皇位継承策を議論する新たな有識者会議の設置について「ただちに考えていない」と述べたが、改正皇室典範が抱える欠陥を放置してはならない。

・物価高への政府の対応を「評価しない」と答えた人は71%で、前回より15ポイントも増えた。首相は近く食料品の消費税率を1%に引き下げることについて判断を示す見通しだが、野党や有識者からは効果を疑問視する声が上がり、代替財源の確保などへの具体策も示されていない。首相は消費減税を撤回するのが筋だ。

・先の国会では、例年の通常国会より首相の予算委出席時間が少なかった。衆院選などで自身の陣営が他候補の中傷動画をSNSに投稿したとされる案件を巡り、野党の追及を嫌ったとされるが、首相は説明を尽くさねばならない。首相は一人で職務を抱え込む傾向が強い。党幹部や閣僚に任せるべきは任せて、政権運営の態勢を固め直す必要がある。

 

それでも、衆院で3分の2を超える絶対多数の議席を得た高市首相は、世論を無視してでも国会は「数の力」で乗り切れると思っているらしい。7月27日夜の記者会見では、公約実現をめざす方針にはこれまでと変わりないことを強調し、記者団から繰り返し説明を求められた「国民生活に直結する政策が後回しだ。支持率低下の要因は何か」「国会の反省点は」などの質問についても、「反省点というのは特にない」「支持率下落の原因は分からない」などと突っぱねた(朝日・日経、7月28日)。世論の批判を受け付けない「独りよがり」の姿勢は、生来の独善性と政治情勢を客観的に理解できない稚拙性の表れと言えるが、問題はこの状況に対応できない野党にある。

 

最大の問題は、中道改革連合が野党の役割を果たしていないことだ。衆院の立憲民主党がこれまでの安保法制や原発に対する基本政策を理由もなく投げ捨て、公明党に合流した結果、支持者に見放されて総選挙で惨敗(壊滅)した教訓が生かされていない。今国会でも、中道改革連合は公明の路線に引きずられて国民の大半が支持している「女性天皇」の実現に背を向け、あろうことか「赤の他人」に近い旧宮家の養子(男子)を容認し、あまつさえその子(男子)に皇位継承権を認めることに賛成した(参院では公明党賛成、立憲民主党反対)。これでは、中道改革連合、立憲民主、公明3党の合流など「夢のまた夢」に終わる公算が大きい。

 

中道改革連合以外の野党にしても、存在感は薄れるばかりだ。ポピュリズムの波に乗じたれいわ新選組は、山本太郎の政界引退を機に一気に消滅に向かうだろうし、社民党は内紛によるイメージ低下が深刻でこのまま沈んでいく可能性が大きい。共産党は、党の総力を挙げた「集中期間」においても党勢後退を覆すことができなかった。「左派リベラル票」の行方は浮遊しているというべきだろう(日経「れいわとポピュリズム(上下)」、7月23、25日)。

 

となると、野党再編による高市政権への対抗軸の構築に比べて、超党派(議員連盟)で取り組める「皇室典範改正」「衆議院議員定数削減」「中傷動画作成疑惑」の〝3大政治課題〟が浮かび上がってくる。これらは、いずれも自民党内でも異論が大きかった政策だけに、「超党派=政党横断的課題」になってもおかしくない。

(1)第1課題「皇室典範改正」

女性天皇の可能性を封じた時代錯誤の改正皇室典範は、早くも「再改正」が世論になりつつある。※読売世論調査(7月27日)「歴代の天皇の多くは男性ですが、女性の天皇もいました。今後、皇室典範を再び改正して、女性の天皇を認めることに、賛成ですか、反対ですか」、賛成85%、反対8%、答えない6%。

(2)第2課題「衆議院議員定数削減」

 衆議院議員定数「比例のみ」45議席削減は、自民3%減、維新14%減と比較的影響が少ないのに対して、野党は参政40%減、国民29%減、みらい25%減、共産25%減、中道22%減など、壊滅的な影響を受ける(朝日、7月29日)。与党は既に、先の国会で(野党欠席のまま)比例区で45議席を削減する法案を提出しており、秋の臨時国会で採決を強行すれば、国会がマヒ状態に陥り、日本の議会制民主主義は崩壊する。

(3)第3課題「中傷動画作成疑惑」

  自民党総裁選における高市陣営の中傷動画作成疑惑は、自民党の党内問題とは言え、自民党総裁が首相に選ばれる以上、これも議会制民主主義の根幹にかかわる大問題と言える。中傷動画作成疑惑の解明は、高市政権打倒にストレートにつながるだけに、徹底的解明が必要になる。

 

秋の臨時国会を控えて、内閣改造の可能性など雑多な情報が飛び交っている。日本の議会制民主主義が危機に直面している今、党派を超えた国会正常化の努力が求められる。与野党を問わず「リベラル会派」の奮闘を期待したい(つづく)。

日本共産党創立104周年記念講演会の表題は「歴史の岐路、希望の明日を切り開く生き方を」と銘打った壮大なもの、だが、実態は党勢拡大「集中期間」のキャンペーンだった、共産党の再生は可能か(その29)

7月18日に党本部と全国をオンラインでつないで開催された日本共産党創立104周年記念講演会は、いったい何を訴えたのだろうか。田村委員長の記念講演の全文は、赤旗(7月20日)に全3頁にわたって掲載されている。(1)国連憲章を巡る岐路――平和の国際秩序をつくる道か、形骸化を許すのか、(2)日本国憲法を巡る岐路――公布80年、憲法の力を発揮するのか、根本から覆す逆流を許すのか、(3)大企業中心が行き詰まるもと、無謀で危険な道を許していいのか――「富の一極集中」に切り込み暮らしを豊かに、(4)「資本主義というシステムをこのまま続けていいのか」――「人間の自由」が豊かに花開く未来社会への展望をもつ生き方を、という4つの「歴史の岐路」が提示され、「むすび」は日本共産党への入党の訴える「希望の明日を切り開く生き方」の行動提起で終わっている。

 

記念講演を一読して感じることは、「歴史の岐路」を掲げた壮大な時代分析に比べて、「希望の明日を切り開く生き方」があまりにも小さいことである。国連憲章に基づく国際秩序の崩壊、平和憲法の改悪による軍事大国化、大企業の専制支配による富の一極集中、世界資本主義の暴走による地球環境の破壊と格差分断の拡大など、世界と日本はまさに〝人類史的危機〟に直面している。これを「歴史の岐路」というのは、まさにその通りであろう。これに対する「規模の明日を切り開く生き方」として挙げられたのは、(1)「要求対話・アンケート」で国民の中で対話し、要求に応える活動に取り組む方針、実践としての「ストリート対話」、(2)資本論解説の「赤本・青本」の学習運動、の2つである。これらは日常活動レベルのものであって、「歴史の岐路」に立ち向かう時代的戦略行動としては如何にも小さい。後房雄著が指摘する如く、共産党が国の政治に現実的影響力をもつ時代は基本的に終わり、党の「延命」を図るだけで精一杯という段階に入ったのかもしれない。

 

記念講演会を報じる赤旗は、その日から日報体制で入党成果を連日速報している。「全国で60人以上入党、熱い思い胸に今、動かないと」(7月19日)、「入党 18日は80人、2020年代最多 連休さらに」(7月20日)、「記念講演 見て聞いて、2日で123人入党」「集中期間成功へ連日飛躍を」(7月21日)、「党勢拡大 3連休でグングン」(7月22日)といった具合である。さらに後半に入った7月22日には、オンラインで小池書記局長・集中期間推進本部長の「党創立記念講演を力に『集中期間』の目標総達成を」との訴えが出された(7月23日、要旨)。

――党員拡大は、7月に5132人に働きかけ、入党の申し込みが344人、そのうち青年・学生が26人、30代~50代の真ん中世代が74人となっています。先月の同時期と比較すると、入党の働きかけは2.5倍、申し込みは2.2倍のテンポになっています。赤旗購読約束は、日刊紙479人、日曜版2841人で、読者拡大でも先月の同時期を若干上回る拡大になっています。「手紙」の「返事」を出した支部は36.4%、幹部会の時点の「返事」16.2%の2倍以上になっています。

 

「集中期間」が残る4日になった7月28日には、大幡機関紙活動局長の「残る4日間、党員拡大目標達成への大きなうねりのなかで、1年2カ月ぶりに日刊紙、日曜版ともの前進を必ず」の訴えが出された(7月29日、要旨)。

――党員拡大は、7月に約7千人に働きかけ、483人が入党を申し込みました。8中総の「手紙」の「返事」を出した支部は39.4%です。読者拡大は、日刊紙768人、日曜版4397人、前進には日刊紙であと1400人以上、日曜版であと6700人以上の拡大が必要です。読者拡大は、参院選挙後1年2カ月にわたって後退が続いています。地方議員・候補者のみなさんがこの活動の先頭に立ち、8月7日の全国地方議員・候補者決起集会に持ち寄りましょう。

 

6、7月の2カ月で2000人の新規入党者を迎え、全ての支部・グループが「手紙」を討議し「返事」を寄せる――、という「集中期間」の目標からすれば、7月28日現在、入党者数は381人(6月)+483人(7月)=864人(目標の43%)、「返事」を出した支部は39.4%にとどまり、目標を達成することはほぼ不可能となっている。また、小池書記局長によれば、7月の入党申し込み344人のうち青年・学生26人(7%)、30代~50代の真ん中世代74人(21%)、残り144人(71%)は60代以上となり、党組織の「若返り」はいっこうに進まない。加えて、昨年9月から今年3月までの入党者のうち新入党員教育未終了3分の1、党費未納4分の1(赤旗、7月16日)というのだから、これでは新入党員の成長もおぼつかない。共産党の党組織は「質量ともに」危機的状況にあり「延命」さえも難しくなってきている、というべきであろう。

 

一方、「集中期間」が党員拡大に重点が置かれているため、機関紙活動は後退を続け、日刊紙・日曜版ともに参院選後1年2カ月にわたって減紙が続いている。残る4日間で日刊紙1400人以上、日曜版6700人以上の拡大が必要だというが、これが可能だと思う地方議員や党員はおそらく誰一人いないだろう。要するに、党大会で決定した党勢拡大目標が党の実力を無視した「過大」なものであり、それが具体的な数字として表れているにすぎないのである。

 

田村委員長は7月24日夜、特別国会閉会にあたって党国会議員団総会であいさつを行い、最後に次のように述べた(7月26日、要旨)。

――行き詰まっている高市政権、しかしこの政治を変えるには、日本共産党があまりにも小さく、議席も少なすぎる。このことを今国会で私は痛感しています。なんとしても党を大きくして、次の国政選挙で勝利しようではありませんか。その可能性・条件を要求対話・ストリート対話、マルクスの『資本論』を読むムーブメントを起こそうという二つの挑戦の中で、私たちは切り開いてきました。この挑戦を党づくりに必ず実らせましょう。

 

だが、ここには行き詰まっているのは高市政権だけではなく、志位議長が主導する共産党も同じだという自覚がまったく見られない。皇室典範改正を機に高市政権に対する内閣支持率は急激な下落を見せている中で、国民・有権者の政治意識の劇的な変化に対応する清新な政治戦略が求められている今、これを的確に捉える行動提起を生み出せていないことに田村委員長は気付いていないのだろうか。「要求対話・ストリート対話」と資本論の学習ムーブメントだけでは、あまりにも寂しすぎるからである(つづく)。

緒方論文「日本共産党の社会変革の路線――理論と実践に関する若干の経験と考察」(『前衛』2026年8月号)への疑問(下)、党に過度に依存しない党内民主主義の可能性、共産党の再生は可能か(その28)

後房雄著『日・伊共産党の「民主集中制」格闘史』の序章「党内民主主義と党内グループ」には、歴史上最初の社会主義革命を成功させたロシア革命やロシア共産党(ソ連共産党)が唯一絶対のモデルであり、民主集中制は革命思想を実現するための不可欠な手段として位置付けられていた――、と指摘されている。共産党は、ブルジョア民主主義的国家機構(議会制民主主義)を粉砕して、ソビエト型国家を創設し、資本主義(市場経済)を廃止して生産手段の社会化(国有化)に基づく計画経済体制を構築することを目的とする政党であり、そのためには軍事的な集権的規律(民主集中制)が何よりも重視されていたからである。

 

同著の「あとがき」では、社会主義の崩壊から30年以上も経った現在、「共産党」という存在はもはや完全に歴史研究の対象であり、共産党が国の政治に現実的影響力をもつ時代は基本的に終わった――、との大胆な結論が導かれている。

(1)先進資本主義国の共産党は、自由民主主義社会への適応を進めるなかで議会制民主主義を受け入れ、自由や人権を尊重する将来社会像や移行過程を掲げるようになってきた。このような政治状況のもとでは、民主集中制を維持すべき理由はなく、また、現存した社会主義の崩壊と市場経済化によって、資本主義に代わる新しい経済体制像が描けなくなっている。

(2)「共産党」という存在の基礎にあった歴史的プロジェクトが完全に失敗に終わった以上、歴史的に固有の特徴をもつ共産党という政党の存在意義も消滅したと考えるべきである。ありうるのは、共産党ではない新しい左翼政党としての存続だけであろう。

(3)イギリスの歴史家ホブズボームが、1914年の第一次世界大戦(その中での1917年ロシア革命)から1991年のソ連崩壊までが20世紀だったと述べたように、共産党は20世紀を象徴する政党であった。その組織原則の核心に民主集中制(分派の禁止)が位置付けられていたことは、政党における党内民主主義のあり方という、今後も重要な意味をもつ問題を浮かび上がらせている。

(4)この問題を現代の政党として正面から受け止めているのが、イタリア共産党の後身である民主党である。民主党は2007年10月に「左翼民主主義者」と「マルゲリータ」(カトリック系の中道左派政党)の合同によって創立され、その規約は冒頭の第1章で「党内民主主義の原則と主体」を規定している。

(5)注目されるのは、党内民主主義の主体として党員と支持者を挙げていることである。支持者とは、党員であるかないかを問わず、「民主党の政治的提案を認めることを宣言し、選挙で民主党に投票する者」とされている。その上で支持者の権利として、「全国書記と全国評議会の直接選挙に参加することを通じて、党の政治方針の選択に参加すること」(以下略)などが規定されている。要するに、党内民主主義の要に、党員と支持者が党の政治方針の決定や党指導部の選出に直接参加できることが位置付けられているのである。

 

フランス共産党以上に民主集中制の維持に固執してきた、とされる日本共産党の規約に関しては、第4章「冷戦終結、社会主義の崩壊までとそれ以降」において、イタリア共産党との比較が詳細に行われている。ここでは、1970年代以降の日本共産党の綱領と規約の変遷についての見解を簡単に紹介しておきたい(要旨)。

(1)第13回臨時党大会(1976年7月)は、「自由と民主主義の宣言」を採択し、「ソ連や中国を含めいかなる外国の経験をモデルとせず、自由と民主主義の全面的な開花」を目指すことを宣言した。1972年にプロレタリアート「独裁」を「執権」に改めたのに引き続いて、労働者階級の「権力」と変える綱領改正を行い、規約ではマルクス・レーニン主義を「科学的社会主義」に変更した。1976年から78年にかけては、イタリア、フランス、スペインの共産党との間で活発な相互交流が行われ、ユーロコミュニズムへの接近が注目された時期であった。

(2)これらは、①革命思想、③モデルとしてのソ連社会主義、プロレタリア国際主義、④マルクス・レーニン主義の3点について大幅な変更を行い、自由民主主義社会への適応を示したものと言える。しかし、②民主集中制に関する適応すなわち党内民主主義の拡充に関しての変更は皆無であり、そうした趣旨での問題提起や規約改正が(その後も含めて)まったく行われていないことは、極めて不均衡な印象を与える。

(3)各党大会への中央委員会報告を読むと、「党内民主主義」への言及がほとんど見られないのに対して、「党建設」に関しては常に2~3割を占めるほど重視されている。党建設の量的側面(拡大数)だけでなく、質的側面も重視されているが、それは党員や支部の党の方針形成や決定への参加ではなく、党建設における意欲や規律意識を高めるという側面に集中されている。このことは、日本共産党の党組織がますます企業組織(日本的企業)に近づいている印象を与える。

(4)第22回党大会(2000年11月)では、長文の「前文」が削除され、共産党が「前衛政党」だとする規定が消えた。民主集中制についても「分派の禁止」を含めて前文の多くが第3条にまとめられた。不破委員長は「規約改定案が民主集中制の内容をまとめた五つの柱のうち、四つまでが全部前文にあることで肝心の本文にはないのです。それが弱点でしたが、改定案では根本から是正されたと思います」と述べている。民主集中制は、指導機関の選挙制や報告義務などに尽きるものではなく、「分派の禁止」を中心とする総合した制度だからである。

(5)2000年規約全体をみると、党内民主主義を強化しようという志向性はほとんど見られず、それまでの規約に必ず用いられていた「党内民主主義」という言葉が削除され、伝統的な民主集中制(4項目定義+分派の禁止)をそのまま堅持していく強い決意が表明されている。この2000年規約は、四半世紀後の現在も現行規約となっており、日本共産党の規約の最終的到達点といってよい。

 

同著の「共産党が国の政治に現実的影響力をもつ時代は基本的に終わった」「共産党という存在の基礎にあった歴史的プロジェクトが完全に失敗に終わった以上、共産党という政党の存在意義も消滅したと考えるべき」「ありうるのは、共産党ではない新しい左翼政党としての存続だけ」といった結論については、政治史の知識に乏しい者が判断を示すことは難しい。ただ言えることは、先進資本主義国の共産党のなかでも民主集中制を強固に維持してきた日本共産党が、21世紀に入ってから急速に政治的影響力を失い、国政選挙ごとに得票率や議席数を減らしていることは否定し難い事実だ、ということである。

 

この事態は、共産党が「党活動の核心は国民との対話であり、身近な要求に応えること」をタテマエとしながらも、実態は党活動の力点を党建設(党勢拡大)に置いてきた政治方針が、21世紀に入って「歴史的限界」に突き当たったことを示している。国民の要求に応えられず、要求実現の成果を挙げられなくなった政党が支持を広げることは難しい。民主集中制の下での党内民主主義を欠如した党建設は、党員や支部のエネルギーを消耗させ、疲弊させる。さらに、現在のように党勢後退が常態化すると、党活動のすべてが党勢拡大(回復)に向けられる結果、国民との関係はますますズレが大きくなり、党勢後退と支持率低下の「負のサイクル=悪循環から抜け出せなくなる。

 

緒方論文は、「社会主義・共産主義の社会への過渡期は長期にわたる過程となり、全ての段階で国民の合意を前提とする」と述べている。社会主義・共産主義社会への過渡期が「長期」にわたることになれば、この間の国民意識や政治情勢がどれほど変化するか予測が付かない。党員や支部の間でも多様な意見や見解が生まれ、変化する国見意識や政治情勢への対応をめぐって自由な議論が行われなければ、変幻自在の事態には対応できない。党員や支部間の自由な議論を封じ、党首交代に不可欠な政治路線や政策を準備する政策グループを「分派」として禁ずる「民主集中制」は、自らの行動を縛る「足枷」(あしかせ)以外の何物でもない。

 

共産党の時代は終わったと見るか、再生できると見るかは、現時点では即断できない。しかし、志位議長をトップとする現行体制がこのまま継続すれば、「共産党の終わり」が加速することはまず間違いない。「党再生のカギ」はいったいどこにあるのだろうか。朝日新聞オピニオン&フォーラム欄の「自民党は強いのか?」(7月14日)に、斉藤健自民党衆院議員の「党に依存せず という逆説」という面白いインタビュー記事を読んだ(抜粋)。

――先の自民党大会で立党70年を機に発表した「新ビジョン」の策定本部長を拝命した時、私の関心は、他の多くの政党が生まれては消えるなか、我が党は何故70年にわたり支持され続けてきたのか、その一点でした。結論は、我が党の議員が党に過度に依存しなかったがゆえに党が続いたという、逆説でした。

――この間、自民党は政権を失ったり、スキャンダルで逆風が吹いたり、何度も危機的状況に陥っています。しかし、どんな逆境でも一定数の議員が党に頼らずに選挙に勝ち、そうした面々が党を再建している。彼らがどうして当選できたのか。党は気に入らなくても、この人は支持できるという関係を、有権者との間で築いてきたからです。具体的には、地元活動に取り組んだり、困りごとの相談に乗ったりして信用を得る。なにより大きいのは、幅の広さでしょう。

――分断が進む世の中だからこそ、国民の多様な声を全体の利益に結びつける、責任ある民主政治がますます大切です。地域に根差した国民政党であり続けられるかどうか。その一点に自民党の将来がかかっています。

 

もちろん斉藤議員の見解に対しては、「与党には配るものがある。予算編成や政策立案で利益誘導ができる。逆に、野党には与えるものがなく、イデオロギーや理想に走りがち」(同欄、小宮京青山学院大学教授・政治学)といった指摘があることを念頭に置いておかなければならない。それでも、そこには共産党に徹底的に欠けている「党に過度に依存しない」という党内民主主義が根付いていることには注目してよい。換言すれば、議員活動の全てが党中央の方針と指示によって決定される「民主集中制」が続く限り、共産党が「地域に根差した国民政党」に成長することは不可能だということである。

 

7月18日午後から、日本共産党創立104周年記念講演会が開かれる。田村委員長が「歴史の岐路 希望の明日を切り開く生き方を」というテーマで講演するというが、「明日を切り開く」ためにどんな話をするか、注目したい(つづく)。

緒方論文「日本共産党の社会変革の路線――理論と実践に関する若干の経験と考察」(『前衛』2026年8月号)への疑問(上)、民主集中制(分派禁止)は党内民主主義と両立するか、共産党の再生は可能か(その27)

日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2026年8月号の巻頭論文に、緒方靖夫副委員長(国際委員会責任者、78歳)の「日本共産党の社会変革の路線――理論と実践に関する若干の経験と考察――」(緒方論文という)が掲載されている。緒方論文は、フランス共産党政治行動誌『コーズ・コミューン(共同の大義)』編集部の要請に応じて執筆されたもので、各国(幾つかの)共産党・左翼党の路線を紹介する特集の一環として、同誌の「社会主義?議論の中の共産主義の展望」と題する特集号に掲載された。

 

緒方副委員長はまた7月7日、フランス東部ストラスブールの欧州議会で開かれた欧州左翼会派総会に招かれ、同じ論点から日本共産党の歴史や政治方針を紹介した上で、欧州左翼会派や欧州左翼同盟の代表らと会談している(赤旗、7月11日)。これら一連の行動は、志位議長の北米訪問に引き続く欧米左翼進歩勢力との連携を深める国際活動の一環であり、ソ連共産党や中国共産党との関係が深かった日本共産党の「負のイメージ」を払拭するための新たな活動と位置付けられているのであろう。

 

今回の拙ブログは、まず緒方論文の主旨と構成に関する疑問を述べ、次に後房雄名大名誉教授(政治学)の著書を紹介する形で、日本共産党の40年にわたる党勢後退の原因と背景について考えてみたい。なお、拙ブログは長文にわたるため、上下2回に分けて掲載することをお許しいただきたい。

 

日本共産党の社会変革の「理論と実践」に関する緒方論文は、綱領の「民主主義革命」と「社会主義的変革」を中心に構成され、その要点が解説されている。以下は、その中から抜粋した幾つかの箇所の要旨である。

(1)党活動の核心は国民との対話であり、身近な要求に応えることである。

(2)国民の持っている身近な要求は民主主義的な諸課題であり、「資本主義の枠内で可能な民主的改革」は国民的共感を得やすい。

(3)国民は、日本の国力低下のもとで「資本主義の限界」に気付いており、党の政策にそれほどの異論を持っていない。しかし、旧ソ連、中国の否定的影響から社会主義への疑問が多く、党への支持を阻んでいる大きな要因となっている。

(4)綱領は、資本主義時代の価値ある成果をすべて受け継ぎ、市民の思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由を保障している。革命のどの段階でも社会の多数の人びとの納得と支持を基礎にすることが根本方針であり、国民への誓約である。

(5)社会主義・共産主義の社会への過渡期は長期にわたる過程となり、全ての段階で国民の合意を前提とする。社会主義的変革は、①国民の合意のもと、一歩一歩段階的に発展させる、②多数者革命の見地から、どの段階でも選挙で示された国民多数の意思にもとづく、③単独で社会変革を進めるのではなく、統一戦線の結集により各界各層の利益を尊重しつつ、思想・信条の違いを越えて一致点で社会変革を進める。

(6)米国だけでなく欧州においても、資本主義は永遠でなく乗り越えられると認識されており、資本主義に代わる新しいシステムが展望されている。日本共産党が欧米左翼進歩勢力との関係を重視するのは、共通した課題について互いに学び合えるからである。

 

緒方論文を読んで不思議に思うのは、当該論文はいわば綱領の「理論的考察」ともいうべきものであって、規約に基づく党組織や党活動の「実践的経験」にはほとんど触れていないことである。理論と実践は表裏一体のものである以上、理論だけを取り上げて実践経験に触れないのは副題の趣旨にも反するし、タテマエと実態が異なることにもなりかねない。唯一の実践例として取り上げられているのは、ソ連共産党と中国共産党による干渉を受けて党が分裂し、分裂を克服する過程で自主独立路線を確立した経験である。この実践経験から「党内に派閥・分派はつくらない」「党の内部問題は党内で解決する」ことが鉄則となり、「党内民主主義」の重要性が確認されたとしている。

 

周知の如く、統一を回復してからの党勢は、1960年代から80年代初頭にかけての20年間で党員は9万人から48万人へ、赤旗読者は34万人から355万人へと大きく躍進した。しかし、それ以降の40年間は逆に後退の一途を辿り、2026年現在、党員は24万人、赤旗読者は77万人にまで落ち込んでいる。緒方論文が「理論と実践に関する経験と考察」を語るのであれば、日本共産党が国民の共感を得やすい「民主主義革命=資本主義の枠内で可能な民主的改革」を掲げ、社会主義的変革は「資本主義時代の価値ある成果をすべて受け継ぎ、市民の思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由を保障し、革命のどの段階でも社会の多数の人びとの納得と支持を基礎にする」と国民に誓約しているにもかかわらず、なぜかくも党勢が後退し続けるのか、その経験を語らなければならない。党勢後退の「外部要因」として旧ソ連、中国の否定的影響を強調するだけでなく、「内部要因」である党組織や党活動の問題点を実践経験に即して明らかにしなければならない。そうでなければ、論文が完結しないからである。

 

後房雄名大名誉教授(政治学)の注目すべき著書に、『日・伊共産党の「民主集中制」格闘史――「分派の禁止」のもとで党内民主主義は可能か』(かもがわ出版、2025年)がある。膨大な内容なので、序章「党内民主主義と党内グループ」と「あとがき」から骨子を要約しよう。

 

【序章】

(1)共産党の「原型」は、①暴力革命による既存国家の打倒とソビエト型国家の創設という革命思想、②民主集中制という党の組織原則、③社会主義の祖国としてのソ連を防衛し、ソ連共産党の指導のもとに団結するというプロレタリア国際主義、④無謬の理論的基礎としてのマルクス・レーニン主義、の4点を主要な特徴とする。

(2)1919年3月創立のコミンテルン(共産主義インタナショナル)の支部として、その後数年間に創立された各国共産党は、分派の禁止を核心とする「民主主義的中央集権制」(民主集中制という)を絶対的な組織原則として創立されたゆえに、その枠内でいかに党内民主主義を実質化するかについて、深刻な模索と格闘を続けなければならなかった。

(3)1943年5月のコミンテルン解散を経て第二次大戦後は、ソ連共産党から一定の自律性を獲得した資本主義諸国の共産党は、自由民主主義の価値と制度を尊重しながら革命を目指す路線に徐々に転換していった。内部が民主主義的でない政党が主導して建設する社会主義が民主主義的になる、というのは説得力がないからである。

(4)特に、1956年2月のソ連共産党第20回大会において、フルシチョフ書記長がスターリンによる大量殺人を含む独裁的なソ連国家の実態の一部を暴露したことで、各国共産党としても既存社会主義国家の深刻な問題、そうした問題を生み出したスターリンの独裁、それを許した共産党のあり方(特に党内民主主義の欠如)などから目を背けることができなくなった。

(5)自由民主主義社会の共産党の歴史は、共産党という独特の政党のアイデンティティの一部であり、党の統一と団結の保障とされていた民主集中制を維持しようとする力と、党内民主主義を実質化しようとする力との葛藤、せめぎ合いの歴史として捉えることができる。党指導部が最も恐れたのは、党内に分派が形成されてしまうと、党の団結が破壊され、革命を遂行する力が失われてしまうということである。それゆえ、党内民主主義を実質化させることは重要であっても、分派の形成に至らない範囲で行うことが必須となった。

(6)民主主義の通常の理解では、国家においても政党においても最高指導者を選挙によって選び、交代させる可能性がその核心である。その選挙が実質的なものになるためには、それぞれのリーダーとその立場を支持する複数のグループが存在し、それらが思想・信条の自由、表現・出版の自由、集会・結社の自由などが保障され、対等な条件で競争できることが不可欠である。

(7)こうした二律背反のなかで、各国すべての共産党はあくまでも民主集中制(分派の禁止)の範囲内で党内民主主義を実質化させるという形で、民主集中制を優先させる選択を行ってきた。問題は、分派を禁止しながら党内民主主義を実質化することが一定限度以上は不可能だということである。実際、党首選挙において、複数の候補者の実質的競争を経て党首を選出した共産党は存在しない。基本的には、前指導者ないし指導部が事実上指名した唯一の候補者がほぼ満場一致で信任させるのが慣例であった。

(8)各国共産党が「原型」から自由民主主義社会(先進資本主義社会)へ適応していく過程は、①議会制民主主義の枠内での平和的な革命構想、②党内民主主義の実質化、③ソ連型社会主義への批判、ソ連共産党からの自律化、④マルクス・レーニン主義、さらにはマルクス主義の相対化、を伴っていた。

(9)イタリア共産党、フランス共産党、日本共産党のこれら4点における変容の到達点を比較すると、①イタリア共産党は、1989年に規約から民主集中制を削除、党内グループを容認し、1991年に社会民主主義政党(左翼民主党)へ転換した。現在は、民主党として中道左派勢力の中軸政党の地位を確立している。②フランス共産党は、党内民主主義の実質化とソ連共産党からの自律化が遅れ、1994年に民主集中制規約から削除し、現在では党内グループを公認しているものの、得票率3パーセント前後の少数勢力に低迷している。③日本共産党は、フランス共産党と同程度の変容を示しているが、民主集中制についてはフランス共産党以上の固執を続けてきたが、日本社会党の事実上の壊滅もあって6.2パーセントの得票率(2024年10月総選挙)を維持している(筆者註、2026年2月総選挙は得票率4.4パーセントに縮小した)。

(つづく)。

「集団で一本の道を登る」、団塊的・高度成長的価値観と行動様式から脱却できない共産党の悲劇、共産党の再生は可能か(その26)

志位議長をトップとする共産党の体質が容易に変わらない(変わる兆しも見えない)。このままでは党組織が疲弊し、為す術(すべ)もなく自滅していく可能性が高い。5月の党勢拡大の結果が入党者251人と振るわず、赤旗読者は電子版で日刊紙120人増、日曜版287人増だったものの、紙は日刊紙300人減、日曜版1464人減となって、依然として後退が止まらない。こうした事態を打開するため、党中央は例によって「集中期間」を設定して党勢拡大(回復)に躍起になっている。

 

〇6月4日:党中央委員会幹部会決議「党創立104周年、党員拡大・手紙と返事、集中期間(6~7月)をよびかける」採択、①2万人に働きかけ、2000人の新規入党者を迎える、②すべての支部・グループが「手紙」を討議し「返事」を寄せる。

〇6月5日:全国都道府県委員長会議開催、心一つに「集中期間」成功へ、田村委員長報告。

〇6月14日:全国学生支部・党員交流会がオンラインで開催、志位議長出席。

〇6月17日:集中期間推進本部が「働きかけのテンポを6倍にし、党員拡大6月目標の達成を」赤旗で呼びかけ、15日現在の入党の働きかけ1300人、入党申し込み112人。

〇6月18日:全国学生支部・党員交流会における志位議長発言「どうやって党員拡大を前進させるか」を赤旗1頁を使って掲載。

〇6月19日:全国都道府県労働部長・職場支部援助担当者会議委員長会議がオンラインで開催、山下副委員長が問題提起。

 

党幹部会が、6、7月の2カ月で「2万人に働きかけ、2000人の新規入党者を迎える」という途方もない目標を提起し、その後、全国都道府県委員長会議、労働部長会議、学生支部・党員交流会などが相次いで招集された。それにもかかわらず、6月15日現在の成果は「入党の働きかけ1300人、入党申し込み112人」で目標の1割強にすぎない。この現状に対して集中期間推進本部は、目標設定が「過大」であったことには一言も触れず、月前半の毎日の働きかけは平均100人なので、今月1万人に入党を働きかけるには日々のテンポを平均600人、つまり「6倍に引き上げる」ことが必要だとしてあくまでも目標達成の旗を降ろさない。

 

それでは、拡大運動のテンポを「6倍」にするにはどうするのか。それは「党員拡大を正面から議論する」「幹部会決議どおりに実践する」「特別の推進体制を確立する」ことだという。幹部会の言うとおりに党機関が正面から党員拡大に取り組めば、「道は自ずと拓ける」というのである。この論法がそのまま通用するのなら、党機関は何も苦労することはないだろうし、党員拡大の成果も挙がるはずである。だが、拙ブログでも繰り返し指摘してきたように、この論法は党内外の状況を無視した観念的主張であり、現実条件を欠いた精神主義でしかない。党を取り巻く世論は冷え切っており、どの世論調査をとってみても共産党支持率は2~3%に低迷している。一方、党組織の主体的状況と言えば、党員の大半が高齢者で占められ、党支部の多くが活動停止状態にある。このような状況を無視して「働きかけのテンポを6倍にする」「幹部会決議どおりに実践する」など言うのは、党指導部の高圧的姿勢と傲慢さを示す以外の何物でもないだろう。

 

客観的・主体的条件がない情勢のもとで、このまま見込みのない党員拡大を続ければ、最終的には「玉砕戦法」に行きつかざるを得ない。玉砕戦法とは「進退窮まった部隊が最後の戦術として行う自殺的な突撃」のことであり、太平洋戦争中に実行された日本陸軍の「バンザイ突撃」に象徴される自爆戦法のことである。自動火器や火砲の充実したアメリカ軍に対し、武器弾薬の補給や増援を望めず撤退も不可能な状況の日本兵が「天皇陛下万歳」「大日本帝国万歳」などの雄叫びを上げて突撃し、全滅していった絶望的な状況を指している。勝ち目のない戦況のもとで降伏や撤退を許されず、ただ「玉砕」するしかなかった日本兵の無念さは如何ばかりだったかと思うが、それと似たようなことが、今後、共産党にも起こらないとは限らない。見込みのない党員拡大を強要され、批判をすることも異議申し立てをすることも許されない状況のなかで、支部や党機関が疲弊して自滅していく事態がそれである。

 

このような共産党の体質はいったいどのようにして形成されてきたのであろうか。最近読んだ広井良義典著『日本の未来像――地球定常文明のデザイン』(岩波新書、2026年)には、次のような一節がある(要旨)。

――日本にいま求められるのは、「集団で一本の道を登る」ようにひたすら「拡大・成長」を求めた高度成長期とは異なる「成熟社会の豊かさ」の構想とその実現だろう。現在の日本は「団塊的・高度成長期的」な価値観からの大きな移行期を経験しつつある。

――団塊世代の価値観や行動様式には強い「拡大・成長」志向がある。この価値観や行動様式は、団塊世代が生きた高度成長期の日本の姿をそのまま反映するもので、経済や人口が「限りない拡大・成長」を続け、物質的な豊かさが着実に増大し、それを通じて人々の幸福が比例的に増加していくのが自明であるような時代状況に対応するものだった。これらの傾向は「団塊世代がもともと持っていた属性」というものではなく、「時代が作った」ものである。これらの傾向は、高度成長期あるいは急速な工業化の時代という、当時の日本の状況における「適応的な行動パターン」として進化したものである。

――団塊的価値観や行動様式は、工業化が急速に進む高度成長期の日本に〝適応的〟だった一つのモデルであり、それは全体として〝国を挙げての経済成長〟という単一のゴールを目指して「集団で一本の道を登る」社会のありようと呼応していた。いま日本に求められているのは、そうした高度成長期的な枠組みから脱却し、これまでよりも個人が自由度の高い形で多様な働き方や生き方をデザインし、集団を超えて他者とゆるくつながりながら、自らの創造性を伸ばしていくという社会のありようである。そうした方向は持続可能性とともにイノベーションや経済活力にもつながり、また個人の幸福(ウェルビーイング)にも寄与する。

 

そう言えば、高度成長期に躍進した共産党は「集団で一本の道を登る」典型的な拡大・成長時代の産物だった。共産党は、上意下達の「民主集中制」の党規約で強固な「集団」を形成し、党中央の指導で拡大・成長の「一本の道を登る」という、高度成長期の日本に適合した〝政党モデル〟だった。1982年7月の第16回党大会報告で、不破委員長は1960年代から80年代に至る党勢拡大の成果を次のように誇っている(「前衛」1982年9月臨時増刊号、要旨)。

――わが党の党勢は、1960年代初頭に党員8万6000人、赤旗読者34万人、国会議員6名、地方議員818名からスタートし、70年代初頭には党員28万人、赤旗読者176万人、国会議員21名、地方議員1680名、80年代初頭には党員48万人、赤旗読者355万人、国会議員41名、地方議員3653名と飛躍的発展を遂げてきた。80年代には「50万の党、400万の読者」を早期に実現し、「100万の党、500万の読者」を目指す。

 

だが、不破構想は実現しなかった。1980年代に入ってバブル経済が崩壊し、出生率が激減して日本は一転して低成長と人口減少に直面する「ポスト高度成長期」に入った。1990年代にはソ連・東欧の社会主義体制の崩壊も相まって若者世代が一斉に離党し、党勢の急落が始まった。志位氏が委員長(2000年)に就任した頃には、高度成長期に全盛を誇った拡大・成長型の〝政党モデル〟はすでに崩壊しており、次のモデルが求められていた。本来なら、党内から「新しいモデル」への動きが起こり、指導部の交代によって党改革を進めなくてはならなかった。しかし、そのための党員・支部間の自由な意見交換は「民主集中制」の規約によって封じられ、「党首公選制」による指導部の交代も実現しなかった。深刻な閉鎖的状況が続く中で、今度は党の前途に悲観した中堅世代の離党が相次ぎ、残された党組織では高齢化が急速に進行した。そして、多くの支部で活動が事実上停止するという事態に陥ったのである。

 

それでも、志位議長は意気軒昂そのものだ。志位氏が党幹部要職に就いてから既に40年近くも経っているというのに、未だ自分が第一線で活躍しなければならないという使命感に燃えている。自分の孫世代にあたる全国学生支部・党員交流会に出席し、家庭教師よろしく「どうやって党員拡大を前進させるのか」を教え諭す有様だ。ポスト高度成長期に入って党員や赤旗読者を激減させてきた党中央のトップが、あろうことか未来を担う学生・青年に党員拡大のノウハウを伝授しようというのだから、これはもはや「喜劇」(パロディ)を通り越して「悲劇」という他ない。

 

7月2日に公表された6月の党員拡大の成果は、入党申し込み381人、赤旗読者は日刊紙612人減、日曜版3252人減、日刊紙電子版87人増、日曜版電子版74人増に終わった。入党の働きかけに足を踏み出した支部は全体の1割強、「返事」を出した支部は3割弱だった。党幹部会決議「6,7月で2000人の新規入党者を迎える」「すべての支部・グループが「手紙」を討議し「返事」を寄せる」は、最初の1カ月で早くも破綻している。しかも「党員拡大」に集中した所為か、発行危機に瀕している赤旗が(紙と電子版を合わせて)3703人減となった。

 

党組織の多くは、もはや「乾いた雑巾を絞っても水一滴も出ない」状況にあるのではないか。集中期間推進本部は「7月は、6月の3倍の働きかけで、5倍以上の入党申し込みを実現する」と𠮟咤激励するが、こんな状況が続けば、乾いた雑巾は擦り切れて破断してしまう。それでも志位議長は、なお党組織に対して「集団で一本の道を登る」方策を強要するのだろうか(つづく)。

「マスメディアの時代」から「ソーシャルメディアの時代」への移行期に対応できない赤旗の桎梏、共産党の再生は可能か(その25)

日経新聞の社会欄「Analysis」(6月10~12日)に、3人のメディア研究者による「新しい大衆の姿」が3回連続して掲載された。主題は、戦後の大量生産・大量消費時代に成立した「マスメディアの時代」における〝大衆〟と、現在の「ソーシャルメディアの時代」における〝新しい大衆〟の違いについて論じるものだ。いろんな角度からの分析が示されていて、社会とメディアの関係の変化がよくわかる。山腰修三慶大教授(政治社会学、第1回)は、その違いを次のように整理する(要旨)。

――大衆社会は、同一のメッセージを不特定多数に向けて伝達するラジオやテレビなどのマスメディアが発達・普及したことによって形成された。大量生産・大量消費の資本主義体制下で産業化したマスメディアが伝達するメッセージは、人々の価値観や行動様式を画一化させるだけでなく、自律的、批判的な思考力や判断力を奪うものと考えられた。その結果、マスメディアの消費者は、メッセージによって操作・動因される受動的な大衆になると理解された。

――インターネットの発達やデジタル化の進展によるメディア環境の変化すなわちソーシャルメディアは、利用者の情報環境を個々の関心や属性に基づいて多様化、断片化させていく。マスメディアからソーシャルメディアへの移行は、同一の情報を国民国家単位で伝達・共有するという、大衆社会を成り立たせてきたマスコミュニケーションの前提そのものを終わらせつつある。

――現代のメディア環境は、データ収集を最優先する新たな資本主義が生み出したものであり、「現代的な大衆=マス」はその産物である。データ資本主義の原理によって国民の行動や態度は予測され、判断や思考に先回りして干渉され、変容が促される。

 

田辺俊介早大教授(計量社会学、第2回)は、メディア環境の変化を主として経済的不平等や社会格差の背景から説明する(要旨)。

――マスメディアが隆盛を見たのは、第2次世界大戦後の成長を経た先進諸国であり、安定した職業を持つ「中間層」が増加し、一国内の経済的平等がある程度達成されたように考えられ時代だった。中間層の情報手段となった新聞やテレビは共通の話題を提供し、一定程度均質で平等な存在としての「大衆」を生み出した。マスメディア時代の先進諸国では、貧困や不平等に対処する福祉国家を前提として、既存政党から投票先を選び、政権交代させる政治過程が基本モデルとされていた。

――最近数十年の間に、インターネットの普及を背景としてソーシャルメディアが急速に浸透した結果、誰もが発信者になりうる情報環境へと変化した。経済階層の不平等化の一方、情報発信の平等化が進む。先進諸国における政治過程も大きく変容し、既存主要政党は職業階層に基づく支持層の多くを失っていく。アウトサイダー的なポピュリスト政治家は、ソーシャルメディアを通じてメッセージを伝え、直接支持を調達する。ソーシャルメディアで情報を得ている人びとは、事実と異なる社会認識を持ちやすい。そこで可視化された同意や注目を「世論」と見なす。「新たな大衆」はそこにいると考えられる。

――経済的な不平等化や各種のセキュリティ不安など、大衆が感じる違和感に既存の政党・政治家、マスメディアは適切に応えることができずにいた。人びとは解答を求めてソーシャルメディアで情報を集め、問題の解決策を声高に主張するポピュリスト政治家に期待してしまう。広がる一方の認知バイアス利用に対峙して、事実を伝えていけるのか、大衆の不安に真摯に向き合っていけるのか、いまマスメディアは問われている。

 

伊藤昌亮成蹊大教授(デジタルメディア論、第3回)は、TikTokに投稿された「切り抜き高市動画」の調査を基に、それらの動画を人々がどのように受容したかを分析している(要旨)。

――高市動画に対する「いいね率=好感度」は、「言説=言っていること」よりも「振る舞い=やっていること」の方がはるかに高い。つまり人々がより強く好感を示しているのは、高市氏の政策に関する発言内容よりも政治に対する取り組み姿勢、とりわけに疲れるまで仕事に打ち込むといった「政治的振る舞い」への好感度が最も高い。

――このことは、人々が「切り抜き高市動画」を政治家としての高市氏から政策を聞くために見ていたのではなく、高市氏を一種のモチベーターあるいはロールモデルと見なし、「元気をもらう」自己啓発の手段として見ていたことを示している。このため、高市氏の発言は政策としては薄いものだったにもかかわらず、「あなたの人生を守る」といった強いメッセージとして受け入れられた。

――理性的な討議よりも感情的な反応が優先される「新たな大衆」の行動は、民主主義にとってはネガティブな要素とされる一方、人々はそうしたやり方で政治を「自分ごと」化し、主体的な政治参加を試みていると見ることもできる。大切なのは、大衆の中にある個々の生の次元にまで立ち返りながら、実際に何が行われているのかを内在的に見ていくことであろう。

 

3人のメディア研究者の分析から感じることは、赤旗は典型的な「マスメディアの時代」の産物だということだ。赤旗は、大量生産・大量消費の資本主義体制下でマスメディアが伝達するメッセージに対しては批判的視点を提供し、人々の自律的、批判的な思考力や判断力を養うメディアとして評価された。党中央の指導の下に編集される政治方針や論説は、その時代の「均質化された大衆=党員や支持者」などの読者にはアピールすることができた。革新自治体が全国的に広がる中で福祉国家が現実の目標と化し、政権交代を担う革新政党への支持と期待が高まっていたこともあった。

 

だが、今は違う。新自由主義経済の下で福祉国家体制が崩壊し、経済格差と社会分断が進んで革新政党の支持基盤だった中間層は没落しつつある。それとともに「均質化された大衆=党員や支持者」などの読者が激減し、赤旗は効果的なメッセージを発することができなくなった。加えて、インターネットの普及を通してソーシャルメディアが急速に浸透し、利用者は個々の関心や属性に基づいて多様な情報を発信するようになった。党中央の政治方針によって編集される赤旗は読者の多様化に対応できず、「新たな大衆=新しい読者」を獲得できなくなったのである。

 

赤旗の最大の欠陥は、党員や支部の自由な意見交換を禁じる「民主集中制」の規約によって紙面が恐ろしく画一化していることだ。外部識者による紙面刷新の検討組織もなければ、編集方針に対する読者からの意見や異論も許されない。その一方、「志位しんぶん赤旗」と称されるほど、志位議長の発言は一字一句掲載される。これでは、赤旗の読者は高齢化した「かっての大衆」だけとなり、日が経つにつれて(確実に)減っていくことになる。また、赤旗の配達・集金は党員のボランティア活動に大きく依存しているが、党員の高齢化と減少により担い手不足が深刻化し、配達・集金活動の維持が困難になっている。このことは単に新聞を届けるという物理的な問題だけでなく、党と地域社会・支持者とを結ぶ重要な接点が失われつつあることを意味する。

 

例によって、党中央委員会幹部会は6月4日、「党創立104周年、党員拡大・手紙と返事、集中期間をよびかける」との幹部会決議を採択した(赤旗、6月5日)。趣旨は、第30回党大会の成功と国政選挙・統一地方選挙勝利に向けて、6~7月を「党創立104周年、党員拡大・手紙と返事集中期間」とし、①党員の拡大で必ず現勢での前進に転じる(2万人に働きかけ、2000人の新規入党者を迎える)、②すべての支部・グループが「手紙」を討議し、「返事」を寄せるという「二つの課題」を重点課題として取り組み、やり抜くことをよびかける――、というものである。

 

党員拡大と読者拡大はこれまで党勢拡大の「二つの柱」とされてきたが、もはやそれも不可能になったのか、今回は赤旗読者拡大の指示は出されていない。しかし、「手紙」と「返事」の取り組みは、8中総決定(2026年3月)が全支部・党員が参加する運動をつくるための最大の力点として提起したにもかかわらず、僅か16.2%からしか「返事」が寄せられていない。今年3~5月の3カ月で「2割足らず」しか寄せられていない「返事」を、残る「8割余り」を6,7月の2カ月で達成するというのはいくら考えても無理だと思うが、そうでも言わない限り組織が動かなくなっているのかもしれない(つづく)。

「キグチコヘイハ シンデモ ラッパヲ クチカラ ハナシマセンデシタ」(戦前戦中の修身教科書)を想起させる赤旗党活動欄、88歳支部長の手記、共産党の再生は可能か(その24)

赤旗編集局が6月1日から減ページすると告知した翌日(5月23日)、8中総決定推進本部は、第30回党大会(来年1月)の党勢拡大目標達成のため、「いま党内を『明るく』『楽しく』『元気がみなぎる』状況にしていく政治的・理論的援助が大切です」「日本と世界の情勢との関係で、わが党の政治的、路線的、理論的立場への深い確信をもち、『語りたい』『広げたい』というエネルギーが沸き立つところまで深めてこそ、党づくりの飛躍をつくることができます」と地方党機関に指示している。

 

その一方、赤旗党活動欄には「明るく」「楽しく」「元気がみなぎる」状況とは真逆の(絶望的な)手記が相次いでいる。「絶望から希望に変える時、手紙を5回読んで入党の原点を思い出す」と題する手記は、88歳の支部長が「もう限界」と悩みながら、党中央からの「手紙」を5回も読んで「返事」を書いたというのである(5月27日、要旨)。

――支部会議を開くと、いつも「高齢者ばかりで支部が消滅するのではないか」「党員の病気、体調不良の現状のもと、地区がもっと足を運んで支部員の苦しみ、悩みを共有して一緒に解決の方向に寄り添ってほしい」との声が出る。党中央からの「手紙」も読んだが、「言っていることはわかるが、やろうという気になれない」「不安を抱えながら配達・集金だけで精一杯」の声で終わる。

――それでも「手紙」を5回読んで、(みんな)入党した時のことを思い出した。ある同志は「長兄がニューギニアで戦死し、石ころしか入っていない遺骨箱が帰ってきた国民学校2年生の時から、戦争だけは絶対反対だと思い続けて生きてきた。戦前の治安維持法下にも侵略戦争に命がけで絶対反対と言い続けてきた日本共産党があったことを知った時の感動で入党した自分を思い出し、今こそ信念を貫き通す時だと『手紙』から感じることができた」と発言した。

――しょぼくれて足がすくんでいた自分も「絶望から希望に変える時だ」と「手紙」から教えられた。「こんな支部になりたい」と、配達・集金の助け合いや来年の県議選で議席回復に力を尽くすことを「返事」に記した。

 

88歳と言えば、終戦を国民学校(尋常小学校)1,2年生で迎え、戦後の飢餓状態を何とか生き抜いてきた苦難の世代である。身内の悲惨な戦争体験から「反戦平和」の旗を掲げた政党活動に参加し、平和運動や労働運動に身を捧げて日本の民主化に貢献してきた戦後世代の中核的存在でもある。本来ならば、これらの人々が高齢に達した段階では身体を酷使するような党活動を避け、穏やかな老後生活を送れるように配慮するのが政党の責務というものであろう。

 

共産党には1万7000の支部があるという。その多くが高齢者支部であるにもかかわらず、党中央は党勢拡大目標を「1支部当たり党員1人、日刊紙1部、日曜版5部」などと機械的に割り当て、しかも「双方向・循環型」活動などと称して党中央からの「手紙」に対する「返事」を求めている。体調不良者や病人が続出している高齢者支部に対しても、地区委員会から日夜「返事」を書くようにと矢の催促がくる。88歳の支部長が「手紙」を5回も読んで漸く「返事」を書いたという手記は、その苦境を余すところなく物語っている。

 

問題は、赤旗党活動欄が上記の手記を「革命的精神の発露」であるかのような論調で紹介していることだろう。本来ならば、病人が続出しているような高齢者支部に対して画一的な拡大目標を押し付けることは、「人権侵害」「高齢者虐待」にも相当する〝非人道的行為〟にほかならない。ところが、赤旗はそれを党活動の「模範」と位置付け、他の高齢者支部も見習うべき事例として紹介している。これでは支部活動を「絶望から希望に変える」どころか、却って「絶望を深める」ことになりかねない。

 

私はこの手記を読んだ瞬間、自分が国民学校1年生だった頃の修身教科書を思い出した。日本は1945(昭和20)年に無条件降伏したが、当時の国民学校は「軍国主義教育」のカリキュラムで埋め尽くされ、「軍国少年」の養成機関と化していた。児童は、毎朝は旭日旗を掲げて「予科練の歌」を歌いながら集団登校、校門を入ると天皇の写真を祭った奉安殿に最敬礼、朝礼では直立不動の姿勢で皇居遥拝をするのが日課だった。放課後の遊びはもちろん「センソウゴッコ」「ヘイタイサンゴッコ」だった。国定教科書は「ヘイタイサン ススメススメ」で始まり、修身教科書には「キグチコヘイハ シンデモ ラッパヲ クチカラ ハナシマセンデシタ」の一文が「軍人精神の発露」として掲げられていた。

 

修身教科書の「シンデモ ラッパヲ クチカラ ハナシマセンデシタ」という有名な一節は、戦場で敵に撃たれて死亡したラッパ手が唇からラッパを離さなかったことが「軍人精神の発露」として美化され、すべての国民は「かくあらねばならぬ」として修身教科書の必読科目とされたものである。支部長の手記を読んでこの修身教科書を思い出したのは、当時の「軍人精神の発露」と手記の「革命的精神の発露」がよく似ていると思ったからだ。両者とも上部の命令には忠実に従う「滅私奉公」の精神で貫かれており、個人の意思や生活を犠牲にしてでも命令を遂行することを「美徳」とする点で驚くほど共通している。上意下達の「民主集中制」のもとで長年党活動をしてきた戦後世代は、「革命的精神の発露=滅私奉公」のマインドコントロール状態に置かれ、「ニホンキョウサントウトウインハ シヌマデ アカハタヲ ニギッテ ハナシマセンデシタ」といった「革命的精神」を叩き込まれてきたからであろう。

 

高齢者支部にまで過酷な拡大方針を一律的に強いる状況のもとでは、「革命的精神」を発揮できない支部は解散し、党員は離党するほかない。然るに、党大会報告や大会決定文書には「離党」という文字は一切なく、離党数も公表されたことがない。第28回党大会時の党勢(2020年1月)「党員27万人、赤旗読者100万人」及び第29回党大会時の党勢(2024年1月)「党員25万人、赤旗読者85万人」からわかることは、4年間の入党数1万6000人、死亡数1万9814人(≒2万人)だけである。とはいえ、そこから「27万人+入党1万6000人-死亡2万人-離党1万6000人=25万人」の計算式が導ける。つまり、4年間で入党数と同規模の離党が発生しているにもかかわらず、その実態も原因も明らかにされることなく、百年一日の如く党勢拡大方針が叫ばれているのである。

 

党勢拡大が思うように進まず、党勢後退が止まらないことから、2026年1月に予定されていた第30回党大会は2027年1月に延期され、拡大目標も「党員27万人、赤旗読者100万人」から「党員25万人、赤旗読者85万人」に下方修正された。このことは、もはや「拡大=増やす」ことが不可能になり、「回復=減らさない」ことさえが困難になっている状況を示している。こんな状況を「明るく」「楽しく」「元気がみなぎる」ものにするため、もっぱら〝精神論〟で乗り切ろうというのだから失敗は目に見えている。

 

『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(中公文庫)は、旧日本軍の最大の特徴は極端な〝精神論〟の偏重であり、物質的な戦力差よりも「精神力」や「意志」を重視する考え方が軍の作戦立案の基礎になっていたことを明らかにしている。日本軍は下部組織からの様々な意見を「軍律・軍紀」で封じ、厳格な「戦闘序列体制」のもと、参謀本部や軍上層部が専決して無謀な太平洋戦争に突入した。日本軍は会戦中の不利な戦況を国民に知らせず「大本営発表」で偽りの報道を続け、致命的な敗北を喫して膨大な犠牲者を生み出し、国民を耐えがたい窮乏生活に陥れた。

 

日本軍の「失敗の本質」は、日本共産党の「失敗の本質」にも通じるものがあるのではないか。「反戦平和」を掲げて戦後の民主化運動を推進してきた日本共産党が日本軍と同じ組織的体質をもち、同じように破綻していく有様は「歴史の皮肉」としか言いようがない。とりわけ、以下の組織的体質は際立っている。

(1)高齢化で支部活動が疲弊しているにもかかわらず、「革命的精神」を発揮すれば党勢を立て直せるという「精神主義=党勢拡大方針」。

(2)党内の多様な意見を「民主集中制」の規約で封じて党首公選制を実施せず、党中央の政治方針を下部組織に押し付ける「官僚主義=専制体制」。

(3)入党数に匹敵する離党数の実態と原因を公表せず、党指導部体制の欠陥を覆い隠す(「大本営発表」にも比すべき)「秘密主義=赤旗報道体制」。

 

次期党大会(2027年1月)まであと7カ月を残すのみとなった。毎月報告される「党勢拡大の結果」を年ごとに積算すると、党勢後退が依然として止まらない状況が浮かび上がる。

〇2024年:入党4852人(月平均404人)、日刊紙7884人減(月平均657人減)、日曜版(紙3万6047人減、電子版970人増、月平均2923人減)、赤旗読者4万2961人減(月平均3580人減)

〇2025年:入党3281人(月平均273人)、日刊紙(紙6869人減、電子版562人増、月平均525人減)、日曜版(紙3万5066人減、電子版9303人増、月平均2146人減)、赤旗読者3万2070人減(月平均2672人減)

〇2026年2月~5月(1月は未公表):入党895人(月平均223人)、日刊紙(紙3864人減、電子版687人増、月平均794人減)、日曜版(紙2万1587人減、電子版1887人増、月平均4925人減)、赤旗読者2万2877人減(月平均5719人減)

 

2024年、25年、26年の月平均で比較すると、入党数は404人→273人→223人と年ごとに縮小し、赤旗読者数は3580人減→2627人減→5719人減と後退が止まらない。26年の月平均の数字が今後も継続するとなると、2026年は入党2676人、赤旗読者6万8628人減となり、2024年1月から26年12月までの3年間の合計は入党1万819人、赤旗読者14万3659人減となる。この間の党員死亡数及び離党数を2020年1月から23年12月までの年平均で算出すると、死亡数は1万5000人(2万人×3/4)、離党数は1万2000人(1万6000人×3/4)となり、2027年1月の党員現勢は「25万人+入党1万819人-死亡1万5000人-離党1万2000人=23万3819人≒23万4000人」、赤旗読者現勢は「85万人-14万3659人=70万6341人≒70万6000人」になる。いずれも「党員25万人、赤旗読者85万人」の目標を下回り、「党員23万人、赤旗読者70万人」に近づく。

 

2027年4月の統一地方選挙はこの党勢で迎えることになるが、前回に135人(11%)の現職議員を失い、その後の中間選挙においても議席減が続いている状況の下で、さらなる後退が予測される。志位議長はいつまで「北米訪問の成果」を吹聴し、日本共産党の「明るい未来」を語り続けるのであろうか(つづく)。