菅首相、なぜ新型コロナ感染拡大について記者会見を開かないのか? 国民は納得ある説明を求めている、菅内閣と野党共闘の行方(10)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その235)

3連休中の京都は、物凄い人混みで1日中ごった返した。テレビでも嵐山渡月橋、清水寺舞台、永観堂境内などの物凄い混雑風景が放映されていたが、都心でも恐ろしいほどの人出だった。どうしても欲しい本があって河原町通りの丸善書店に行こうとしたが、京阪電車を降りた途端、三条大橋の異様な混雑ぶりを見てそのまま引返さざるを得なかった。これではとても安心して京都の街を歩けない。それでいて、京都は感染者数が大阪に比べて段違いに少ないのはなぜか。京都市民の間では、「データーが隠蔽されているのでは?」との噂が飛び交っているほどなのである。

 

こんな不安が京都はもとより全国でも広がっているというのに、菅首相はこの間まともな記者会見を一度も開いたことがない。11月以降、記者団のぶら下がり取材に対してもコロナ感染に関しては僅か2回発言しただけで、国民に対して説明しようとする姿勢がまったく感じられない。世界各国の首脳の中でもこれほどコロナ感染に無関心(無知)であり、国民の不安を軽視している人物はいないのではないか。居たら教えてほしい。

 

それでいて内輪の自民党地方組織との会談はしばしば行い、経営者相手の講演会には積極的に出かけている。11月23日の東京都内の講演会では、首相は新型コロナウイルス感染拡大に伴い、観光支援策「GoToトラベル」の一時停止を決めたことに関し、「トラベルは延べ4000万人の方が利用している。その中で現時点での感染者数は約180人だ」と指摘し、トラベル事業が感染拡大の原因との見方に否定的な考えを示したという。その上で「医療への過度な負荷をかけないため短期間に集中して感染リスクが高い状況に焦点を絞った対策が必要だ」「(対策を)徹底することによって、国民の命と暮らしを守る」と強調したのだそうである(時事通信11月23日)。

 

 要するに、GoToトラベル事業は多数の国民が利用しているが、大規模な感染拡大は発生していない。しかし医療への過度の負担を避けるため、予防的に感染リスクの高い「一部地域」に限って「一時的対策」をとるという姿勢なのである。そこには、感染が収束していないにもかかわらず、自らが旗振り役となって開始したGoToトラベルが〝感染第3波〟を引き起こした政治責任をあくまでも回避しようとする魂胆が透けて見える。この人物にとっては、国民の命と健康よりも政権維持の方が大事なのである。

 

 菅首相のこの見解は、多くの専門家が指摘しているように、新型コロナウイルスに関する科学的認識の決定的欠如(無知)によるものだ。新型コロナの直ちに症状は現れないが感染力は抜群に強いという特性、すなわち「無症状」の感染者が市中感染によって広範に拡散しているという傾向を無視し、「発症していない状況」を「発生していない状況」と読み違えているだけなのである。ヨーロッパでは、10月になってから顕在化した大規模な〝第3波“の原因が、夏のバカンス旅行によるものだと誰もが認識している。日本のGoToトラベルがその後を忠実に追っていることは、いまや世界の常識なのである。

 

 多くの国民はすでにその危険を察知している。共同通信が11月14、15両日に実施した世論調査によると、コロナ感染者が過去最多を記録した現状への不安を尋ねたところ「不安を感じている」は「ある程度」を含め84.0%だった。来年1月末までを実施期間としている観光支援事業「GoToトラベル」を延長する政府方針に対しては、反対が50.0%、賛成は43.4%だった。 新型コロナへの取り組みで政府が感染防止と経済活動のどちらを優先するべきかを尋ねたところ「どちらかといえば」を含め「感染防止」との回答が68.4%だった(共同通信11月16日)。

 

 この世論調査が行われた11月14、15日時点の1日新規感染者数は1690人台、まだ1700人に届いていなかった。しかし、1週間後の11月22日時点の新規感染者数は早くも2500人を突破している。「過去最多記録」は日々更新されているのであって、この先どのような事態が待ち受けているか、今のままでは誰も予測がつかない。「一部地域」を対象とした「一時的対策」は、もはや実施する前から破綻することが目に見えている。この程度の対応で菅首相が「国民の命と暮らしを守る」と繰り返しているようでは、「お先真っ暗!」といわれても仕方ないのである。

 

 首相がこの程度なら担当大臣もその程度(あるいはそれ以下)でしかない。西村経済再生担当相は、北海道を中心に感染者が急増していた11月13日、政府の旅行支援策「GoToトラベル」の活用を国民に促すかを問われると、西村担当相は「それを使って旅行されるかは国民の皆さんの判断だ」とまるで他人ごとのように回答した。また初めて新規感染者が2千人を超えた11月18日には、「GoToトラベル」をめぐり、「それぞれの都道府県に聞いているが、制限をするという意向は聞いていない」と答え、自らがどう判断しているかについては態度を示さなかった。極め付きは11月19日夜の記者会見だろう。今後の感染者数の広がりについて「神のみぞ知る」「予測困難」と答えたのである(朝日11月19日電子版)。そして11月22日のNHK日曜討論では、「GoToトラベルを中止するかどうかは知事の判断だ」と、再度政府の責任を回避した。

 

 かくまで政府が責任を回避しようとするのはなぜか。西日本新聞(東京支社取材班)はこの点を次のように明確に分析している(11月14日電子版)。

「政府が『GoToキャンペーン』の見直しや緊急事態宣言に消極的な背景には、営業や移動の自粛要請で感染を抑え込むやり方ではなく、経済回復を重視する菅義偉首相の姿勢がある。ただ新型コロナウイルスの感染者数は11月13日、2日連続で過去最多を更新した。拡大の一途をたどれば『手をこまねいた』と批判が一気に高まり、政権が揺らぐ恐れも出てくる」

 「GoToキャンペーンは、首相が第2次安倍政権の官房長官として旗を振って推進してきた経済対策の柱だ。『移動による感染リスクは少ない』などと就任後もたびたび効果を強調。実際、共同通信社の10月の世論調査では、コロナを巡る政府対応を『評価する』とした割合が3月以降で初めて5割を超えた。GoTo人気が押し上げたとみられている。政府がGoToにこだわる背景にあるのが、4~5月に実施した緊急事態宣言の副作用の大きさだ。2020年4~6月期の実質国内総生産(GDP)は戦後最悪のマイナス成長に陥った。観光や飲食業は深刻な影響を受けた中小事業者が多く、支援への期待は膨らんだ。『日本学術会議の会員任命拒否問題を批判されても支持率が大きく落ちないのは〈GoTo〉のおかげだと首相は思っている』と官邸関係者は指摘する」

 

 事態は刻々と急変している。だが、政府の対策会議の後、菅首相は記者団に「政府としてできることは速やかに実行する。会食の際も含めてマスク着用を心からお願いしたい」と呼びかけたという。これは「アベノマスク」に勝るとも劣らない迷言だろう。菅政権の「会食マスク」は、安倍政権の「アベノマスク」とともに国民の間で長く語り継がれるに違いない。(つづく)

大阪の懲りない面々、維新と公明はまだ〝裏取引〟を続けるのか、保守補完勢力の維新・公明の敗北が菅政権を直撃(下)、菅内閣と野党共闘の行方(9)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その234)

 

公明党大阪府本部は11月14日、「大阪都構想」の住民投票の否決を受けて、歴代最長の11年間にわたって代表を務めた佐藤衆院議員が退任し、石川参院議員に交代したと発表した。記者会見で土岐幹事長は、「(佐藤氏は)否決の結果を踏まえて辞意を固めた」と述べ、公明が賛成していた都構想が否決されたことを受けた事実上の引責であることを認めた(日経11月14日電子版)。

 

 大阪の知人の言によれば、佐藤氏は今回の都構想住民投票で創価学会員の激しい批判に曝され、「公明は市民から〝大阪市を売った〟と見られている」「次の選挙には協力しない」と言われたという。「常勝関西」の拠点である大阪府本部にとってこれは由々しき事態であり、佐藤氏の本心はどうあれ、このまま代表に留めて置くことができなくなったらしい。幹部の間では、表紙を付け替えれば中身は変わらなくても「この場は切り抜けられる」と踏んだのだろう。

 

 もっとも大阪に応援に駆け付けた公明党山口代表も、それに先立つ11月5日の党本部会合で大阪都構想否決について陳謝したという。だが、いったい何を陳謝したのかその意図がいっこうにはっきりしない。都構想住民投票の否決について「広く浸透を図り切れず申し訳ない」と陳謝し、同時に賛否が拮抗(きっこう)した結果に関して、「しこりとなってさまざまな活動に影響を及ぼすことがあってはならない」と述べただけだ(共同通信11月5日)。

 

山口代表の発言は、公明が〝鵺(ぬえ)政党〟と言われるだけあって、いつもその意味が曖昧模糊(あいまいもこ)としている。前半の「その意図を大阪市民に広く浸透させることができなかった」ことに重点があるのか、それとも後半の「しこりとなってさまざまな活動に影響を及ぼすことがあってはならない」ことに真意があるのか、この記事だけではわからないのである。おそらく今回の都構想住民投票では、公明が大阪自民と維新との間で股裂状態きになり、大阪はもとより国会でも与党内の「さまざまな活動」に支障が出てくることを懸念しているのだろう。

 

 住民投票で否決されたにもかかわらず、意外にも公明大阪府本部内では安堵(あんど)の空気が漂っているという。「公明党には支持者の説得に汗をかいてもらった。非常に信頼関係が深まった。感謝している――」、維新代表の松井大阪市長は11月1日深夜に始まった記者会見で表向きこう謝意を表した。また、衆院選での対抗馬擁立の可能性を記者団から問われても「ない」と否定した。公明は維新から取り組みを「評価」され、衆院選の選挙区での維新との「すみ分け」が維持される見通しとなったと受け止め、ひとまず安堵したらしい(時事ドットコム11月4日)。

 

 だが、維新代表の松井大阪市長の発言には裏があった。松井市長は11月5日の定例記者会見で〝都構想簡易版〟ともいえる新制度の検討を打ち出し、またもや並み居る会派の度肝を抜いた。新制度の内容は「広域行政の一元化条例案」、もう1つは「総合区設置案」である。松井市長は、住民投票で「二重行政をなくすことが民意で示された」と強調し、「大阪府大阪市の対立や二重行政をなくすルール作りをやっていきたい」と表明した。都構想が住民投票で否決されたにもかかわらず、府と連携して行政運営している現状を制度化する新しい「一元化条例案」をつくる方針を示したのである。

 

これに合わせて11月6日には、代表代行の吉村府知事が「現状を制度化するだけでなく、都構想で市から府へ移管するとしていた約430の事務が検討対象になる」「仕事と財源はワンセットだ」と述べ、一元化すれば大阪市の約2千億円の財源も府へ移ることになると表明した。総務省によると、事務の委託や代替執行は議会の議決を経て規約を定めればできることになっている。府と市は来年2月の定例議会への条例案提出を目指しているが、約430の事務すべてを(大阪市の財源2000億円付きで)移管すれば都構想と中身はほとんど変わらない規模での変更となる(朝日11月11日)。

 

 都構想を住民投票で否決された維新が、その舌の音も乾かないうちに今度は住民投票を必要としない「抜け道」を出してきたことには驚く。奇策・陰謀を得意とする維新の面目躍如というところだろうか。維新は府議会では過半数を制しているものの、大阪市議会では公明を引き込まないと過半数に達しない。松井代表が次期衆院選では公明現職がいる選挙区には「対抗馬を立てない」と言った背景には、こうした策謀が隠されていたのである。

 

しかも、公明を引き寄せるための「餌」(えさ)まで用意されている。都構想で掲げた4つの特別区を設置する代わりに、8つの総合区を設置する案だ。過去に公明が総合区の導入に前向きな姿勢を示したことがあるので、これを利用しようとする魂胆だろう。「総合区設置案」を餌にして「一元化条例案」を釣りあげようというわけだ。

 

大阪市を残したままで24行政区を再編して権限と財源を強化する総合区は、特別区と異なり選挙で選ばれた区長は存在せず、行政区と同様に市の組織の一部のままだ。総合区は、2016年施行の改正地方自治法で政令指定市に導入できるようになった仕組みで、市議会で議決すれば設置できる。総務省によると、総合区を設置している政令指定市はまだないという(朝日同上)。

 

松井市長は11月11日、総合区の導入に向けた条例案を2021年2月市議会に提案する意向を明らかにした。同時に、市の広域行政を府に一元化する条例案も2月市議会に提出する方針だという。松井市長は、現在の24行政区を8総合区に再編する案は「吉村市長時代に公明と密に協議してまとめあげたもので非常に良い案」と述べ、公明大阪府本部幹事長の土岐市議も11月7日、記者団に「総合区の方向を進めていきたいというのは市長の考えと同じ」と前向きに議論する意向を表明した(毎日11月12日)。

 

次期衆院選がいつ始まるかわからないこの時期、公明にとっては維新との「議席すみ分け」は死活問題だ。懲りない維新と公明はふたたび〝裏取引〟を始めてようとしているのではないか。市民の眼が届かない市議会での密室談合で、もし「一元化条例案」が可決されるようなことになれば、2度にわたる都構想住民投票で示された大阪市民の意志は無残にも踏みにじられることになる。市民自治の精神を根底から否定するようなこんな事態は決して許されないし、また許してはならないだろう。

 

しかしこのことは、大阪の「ローカルマター」で終わらないことも押さえておかなければならない。維新と公明の談合(野合)は、自民と公明の与党関係に深刻な影響を及ぼさずにはおかないからだ。菅政権は、自民内での権力基盤を公明(創価学会幹部)と維新の両方に二股をかけることで強化してきた。派閥をつくるだけの力がない菅氏にとって、維新と公明(創価学会幹部)はいわば菅政権を支える「2枚カード」であり、そのカードゲーム(調整力)でさしたる見識と能力のない人物が首相の座にまで上り詰めたのである。

 

だが、大阪の維新と公明の野合で自民との関係が悪化すれば、菅政権は自民党内での権力基盤を即座に失うことになる。派閥を持たない菅首相の権力基盤は微々たるもので、安倍政権の裏方として策動してきたにすぎない。菅政権は安倍政権の「影絵」だと言ってもよく、実物の姿は意外に小さい。菅政権の凋落は、維新への肩入れが度を外したことに発している。まいた種は自らが刈り取らなければならない...。これが政治の鉄則である。(つづく)

議席欲しさに大阪市を売った公明党は求心力を失った、保守補完勢力の維新・公明の敗北が菅政権を直撃(中)、菅内閣と野党共闘の行方(8)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その233)

 大阪は公明の牙城だと言われている。国政選挙にはめっぽう強く、「常勝関西」と言われているのはそのためだ。しかし大阪市内の政党支持率をみると、公明の支持率はそれほど高くない。大阪都構想住民投票の前に大阪市内の有権者を対象にして行われた2回の毎日新聞世論調査(前回9月4~6日、今回10月23~25日実施)によると、公明の支持率は5%程度しかない。各党の支持率は以下の通りである。

 

▽自民24・0%(前回27・3%)▽維新22・5%(同27・8%)▽公明5・1%(同6・2%)▽共産4・3%(同4・7%)▽立憲3・7%(同2・9%)▽れいわ1・7%(同0・5%)▽支持政党なし32・4%(同26・9%)

 

 一方、2017年衆院選挙(大阪市内6小選挙区)では、定員6人のうち公明が3人、自民が3人と議席を分け合っている。この他、公明は堺市でも1議席を獲得しているので、大阪府全体(19小選挙区)では4人の議席を確保していることになる。大阪市内では支持率5%程度の公明が、なぜ小選挙区でトップ当選できるのか。その秘密は自民・維新との選挙取引にある。公明が議席を得た4選挙区では、いずれも自民と維新は候補者を立てていない。公明はこの4選挙区に大阪府下はもとより関西一円から創価学会員を総動員して選挙戦を戦い、その他の選挙区ではそれぞれの情勢に応じて自民と維新に票を回しているのである。

 

この間の経緯はおよそ次のようなものだ。公明と維新の間で「バーター取引=議席のやり取り」が成立したのは2012年衆院選のこと。公明が維新の推進する「都構想」に協力する代わりに、公明が候補を擁立する大阪4小選挙区と兵庫2小選挙区の6選挙区では維新が対抗馬を立てないことで合意した。ところが公明は、2014年10月の大阪市議会の制度案を作る法定協議会の席上で突如反対に転じた結果、協議会案は否決された。その背景には、都構想が実現すれば自らの議席を失う公明市議からの反発が強く、学会本部の指示に逆らえない国会議員が維新と取引することは許せない――とする空気があったと言われている。

 

公明の「寝返り」に烈火の如く怒った橋下市長(当時)は、2014年12月の衆院選で公明幹部のいる選挙区(堺市)に立候補するとの脅しをかけ、この脅しに屈した公明は、「大阪都構想には反対だが、住民投票には賛成」という訳の分からない態度で収拾を図った。要するに「大阪都構想には反対」ということで自民の顔をたてる一方、「住民投票は賛成」ということで維新の攻撃をかわそうとしたのである。この時の「寝返り」に際しては、松井維新代表の要請を受けた菅官房長官(当時)が創価学会幹部にその意向を伝え、学会幹部が公明党大阪本部(代表・佐藤衆院議員)に圧力をかけて翻意させたと伝えられている。

 

こうして一旦否決されたはずの住民投票が実施されることになったが、維新は都構想の住民投票は「1回切り」と公約したにもかかわらず、2015年の住民投票で否決された後も都構想の実現を諦めなかった。橋下市長引退直後の2015年暮れ、維新は知事選と大阪市長選の「ダブル選挙」を仕掛け、当選した松井知事と吉村市長の下で再び法定協が設置された。そして2017年衆院選では上記6選挙区で維新が候補者を立てないことと引き替えに、公明から「2回目の都構想住民投票に協力する」との〝密約〟を取りつけたのである。

 

だが、公明は大阪市民の批判を恐れて〝密約〟の実行を渋り、住民投票の引き延ばしにかかった。松井知事は、2017年衆院選で公明に協力したにもかかわらず「食い逃げされた」との思いから、2018年暮れに密約の存在を暴露した。まるで〝狐の狸の騙し合い〟そのものの光景だが、それ以降、維新と公明の関係が修復されることはなかった。

 

 維新は恐ろしく奇策に長けている。とりわけ「出直し選挙」「ダブル選挙」「クロス選挙」といった選挙活動を通して、有権者に直接働きかける手法を得意としている。情勢を一気に打開するには、議会内での交渉や裏工作よりも街頭選挙戦を通して「正面突破作戦」を展開する政治集団なのである。2019年4月の統一地方選に合わせて松井・吉村両氏が知事と市長を入れ替わって臨んだ「ダブルクロス選」は、既存政党や有権者の度肝を抜いた作戦だった。その余勢を駆って、維新は両首長選だけではなく府議選、市議選でも圧勝し公明を驚愕させた。次期衆院選で公明が議席を有する6選挙区に維新の「刺客」を差し向けられるような事態になれば、公明は全滅するほかはないと震え上がったのである。

 

 そこからの公明の〝変節〟は一瀉千里だった。大阪の「民意」が変わったなどと称して維新にすり寄り、特別区の設置コストを最小限に抑えることや住民サービスを低下させないなどと「形ばかり」の4条件で都構想の住民投票を実施することに180度方針転換した。そして第1回目の住民投票では、「都構想は百害あって一利なし」と大宣伝していたにもかかわらず、第2回目では「大阪の未来」のために都構想を実現しなければならないと叫んだのである。

 

 極め付きは、公明党山口代表が住民投票が告示されて初めての日曜日となった10月18日、維新の松井代表とともに大阪市内3カ所で街頭演説を行ったことだ。山口代表は聴衆に対して「なっちゃんでーす。勝たせてください!」「大阪を(東京に並ぶ)二つ目の軸として大きく伸ばすため、都構想の実現を!」と呼びかけた。昨春の大阪府知事・市長のダブル選での維新の大勝は、「都構想を実現してほしいとの民意のあらわれ」と強調し、「(住民サービスの維持など)公明の提案が全部受け入れられた」と述べ、公明支持者や学会会員に対して方針転換への理解を求めたのである。だが、それでも公明支持者の都構想への賛否を覆すことはできなかった。

 

朝日新聞出口調査によると、2015年前回住民投票に比べて、今回は都構想への賛否比率が全体として「反対」側に傾いている。以下は、その結果である。

 

▽自民支持層、賛成37%(前回42%)、反対63%(同58%)、▽維新支持層、賛成90%(同97%)、反対10%(同3%)、▽公明支持層、賛成46%(同21%)、反対54%(同79%)、▽共産支持層、賛成8%、反対92%、▽立憲支持層、賛成15%、反対85%、▽支持政党なし賛成39%(同48%)、反対61%(同52%)。

 

こうして都構想は否決されたが、1999年10月に自民と公明の連立政権ができてから21年、両党の関係には深刻な危機が訪れている。公明はもはや、維新と自民の「二股膏薬」の役割を担うことは不可能になった。また、維新を側面支援してきた菅首相に対しても大阪自民から鋭い批判の目が注がれている。住民投票反対の支援のため大阪に入った全国政令市自民市議からも同様の声が聞かれる。山口公明代表が維新支援のために来ているのに、「菅首相は自民支援のためになぜ大阪に来ないのか」――こんな声が絶えなかったという。(つづく)

大阪都構想が住民投票で否決、保守補完勢力の維新・公明の敗北は菅政権を直撃した(上)、菅内閣と野党共闘の行方(7)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その232)

大阪都構想が住民投票で否決、保守補完勢力の維新・公明の敗北は菅政権を直撃した(上)、菅内閣と野党共闘の行方(7)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その232)

 固唾を呑んで見守っていた「大阪都構想」が、11月1日の住民投票で5年前に引き続き否決された。私は大阪府立高校の出身なので、大阪や堺には知人友人が沢山いる。5年前の住民投票では大阪に出かけて行って行動を共にしていたが、今回は地元京都でのいろんな出来事が重なり、反対運動に十分に参加できなかった。それでも日々送られてくる情報に神経をそばだてていたことには変わりない。

 

賛成、反対の票差は前回と同じく僅差(投票数の1%余り)だった。それでもこの勝利の重要性はいくら強調してもし過ぎることはない。たとえ1票でも賛成が反対を上回れば、歴史ある大阪市が永遠に消えてしまうのだから、反対が1万7千票余りも上回ったことは、画期的出来事だと言わなければならない。しかも投票率が60%を超えての勝利だから、まさに大阪市民は歴史的な決断を下したのである。

 

投票結果を報じている各紙(大阪本社版)を全て読んでみたが、いずれも特大の紙面で扱っていた。帰りに立ち寄った喫茶店のマスターと感想を交わしたところ、「可決されていたらこんな大きな扱いにはならなかった」というのが一致した意見だった。逆に言えば、否決されたことがそれほどの「大事件」だということなのである。大阪都構想の住民投票結果は、単に「大阪ローカル」の問題にとどまらず、「全国マター」の政治問題に発展する可能性を秘めているのであり、菅政権を直撃するくらいのマグマをもった大事件なのである。

 

周知の如く、菅首相は大阪維新の会の松井代表と古くから親密な関係にあり、また創価学会幹部(副会長)ともホットラインで連絡を取り合うほどの仲だと言われている。毎年の暮れには、安倍・橋下・菅・松井(敬称略)の4人が宴席を囲むことが恒例となっており、維新が自民補完勢力として破格の待遇を受けていたことがわかる。そこで話し合われていたことは、自公政権が次第に力を失いつつある現在(公明幹部の自民追随があまりにも露骨なので、創価学会会員が離反しつつあると言われている)、維新を第2補完勢力に取り込んで「自公維政権」、あるいは公明が離反したときは「自維政権」をつくり、〝中央集権国家〟への国家改造を推し進めるための謀議だったとされている。

 

この点で、安倍・菅と橋下・松井は「肝胆相照らす仲」だと言っていい。大阪維新は、大阪都構想を手はじめに次は大阪府下市町村を束ねた「グレーター大阪」、その次は近畿各府県を一括する「関西州」を実現し、最後は日本全土に「道州制」を敷くことで〝中央集権国家・専制国家〟を完成させるという一大野望を抱いていた。松井は「地域政党=大阪維新の会」の代表でありながら、同時に「国政政党=日本維新の会」の代表を兼ねているのは、地域政党・大阪維新を国政政党・日本維新へ発展させるための布石であり、そのどこかの時点で橋下を「日本維新の党首」として復活させることが想定されていた。

 

その意味で、大阪都構想が大阪維新のスタート地点である「1丁目1番地」だということは間違いないにしても、大阪維新は日本維新として戦後の地方自治制度の根幹(府県制、市町村制)を破壊し、その先に(日本財界の悲願である)道州制を実現させるというゴール地点「X丁目Y番地」を目指していた。明治維新以降、幾多の歴史を重ねて現在に至った民主主義の根幹である地方自治制度(府県制、市町村制)を破壊することが日本維新の究極の目標であるからこそ、安倍・菅政権は彼らを破格の待遇でもてなし、自民の前哨戦部隊として利用することに厭わなかったのである。

 

だが賢明にも、大阪市民はその野望を2度にわたって打ち砕いた。1度は橋下を下して政界から(一時)引退させ、今度は松井を引退声明させる破目に追い込んだのである。松井は大阪維新代表から退いて日本維新代表に専念するというが、彼の年齢からしてもはや道州制を目指すエネルギーは残っていないだろう。また、今回の大阪都構想の否決で、維新の全国政党への道は極めて険しくなったことも間違いない。東京都知事選で予想外の得票を獲得したような「維新旋風」はもう起こらないだろう。大阪維新(親亀)がこければ、日本維新(子亀)もこけるしかない。かくして、安倍・菅政権の策略は大阪都構想とともに破綻したのである。

 

だが、事態はこれで終わらない。それは、大阪都構想住民投票が「常勝関西」といわれた大阪の創価学会会員に与えた影響が予想以上に大きかったからだ。大阪維新の前にひれ伏し、大阪での議席欲しさに「大阪市を売った公明」に対する反感と批判が渦巻いているからだ。次回はそれについて書くつもりだ。(つづく)

この人物には思想もなければ知性もない、あるのは恐怖政治による飽くなき権力支配欲だけだ、菅内閣と野党共闘の行方(6)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その231)

やっと始まった菅首相の衆参両院所信表明演説だったが、2日間にわたる代表質問への答弁を聞いて、この人物には日本国憲法に関する基本知識もなければ、法治主義に基づく統治思想についても理解ゼロ(何も学んでいない)だということが腹の底からわかった。地方議員時代(横浜市議)から職員人事に介入することで権力者としての地位を獲得してきたとの自負があるのか、人事には異常な関心を示し、人事介入と人事操作を武器に権力階段を一歩一歩登ってきたという、その種の人間特有の不気味さと臭気が菅首相の身体全体から漂ってくるのである。

 

一時期は「令和おじさん」ともてはやされ、「パンケーキ」が好きな庶民感覚の政治家、あるいは秋田出身の「たたき上げ」の苦労人などといった田舎っぽいイメージを振りまいていたこともあったが、学術会議会員候補者の任命拒否によって「化けの皮」が一気に剥がれてしまったことは、当人にとっても予想外の出来事だったのではないか。国民の前で被っていた「令和おじさん」の仮面の下の素顔が丸見えになり、冷酷極まりない権力者の正体が露わになったからだ。

 

今回のような行為は、これまで人事権の掌握を通して国家官僚を思うがままに操作してきた官房長官時代の経験からすれば、日常茶飯事だったのかもしれない。しかし高級官僚なら自分の出世を考えて権力に迎合するかもしれないが、学者・研究者の場合はそうはいかない。学術会議会員候補者の任命が理由もなく拒否されるような行為は、多くの学者・研究者に対して「居間に土足で踏み込む」ような威圧感と恐怖感を与えることで、誰もが学問の自由、研究の自由が侵される危険が身近に迫っていることを察知したのである。

 

学者・研究者と同じく作家や芸術家、映画監督なども似通った反応を示している。毎日新聞夕刊「特集・ワイド」欄では、最近この問題に関連して大型インタビュー記事が掲載されるようになった。その中でも特に印象深かったのは、作家辺見庸氏の「首相の『特高顔』が怖い」(10月28日)、井筒和幸映画監督の「キナ臭いよな、権力むき出しの暴力、若者よ立ち上がれ」(10月29日)だった。辺見氏は次のように語る(抜粋)。

「菅さんってのはパンケーキだか何だかが好きだっていうね。可愛いおじさん? でも俺から見ると彼は昔の特高(戦中の特別高等警察)の仕事をしていると思うんだよね。日本学術会議の人選で容赦なく6人を外すっていうのがそうでしょ。前代の安倍さんもそうだけど、菅さんの場合は機密という意味のインテリジェンスがあっても、総合的な知性というインテリジェンスがないと思うんです。だから、この人は好かんな、怖いなというイメージがあります」

「菅さんっていうのはやっぱり公安顔、特高顔なんだよね。昔の映画に出て来る特高はああいう顔ですよ。で、執念深い。今まで(の首相が)踏み越えなかったところを踏み越えるような気がする。総合的な品格に裏付けされたインテリジェンスを持っていない人間の怖さだね。(略)安倍の方が育ちがいい分、楽だった。でも菅さんはもっとリアルで違うよ。今まで為政者を見てきてね、こいつは怖えなと思ったのは彼が初めてだね。(略)僕は戦争を引きずっている時代を知っているわけ。だから、ああいう特高警察的な顔をしたやつがいましたよ。たたき上げ、いわばノンキャリでさ。(情状の通じない)手に負えないという怖さがあるんだ」

 

また、井筒監督は次のように言う(同)。

「何やらキナ臭いよな。キナ臭いってのはさ、何がどうなるやらよう分からんって意味でしょ。すぐ我々映画屋に負荷がかかってくるとかいう話ではないと思うし、直ちに表現の自由を奪うかは別次元の問題だしね。それでも、なんかキナ臭いって感じてしまうんだなあ」

「科学はほったらかしにされても自由に育つもの。誰かが、ましてや政治が規制するものじゃない。研究者は言われなくても日々科学を深めますよ。排除された6人の研究領域は、政治や歴史検証など人文・社会科学の分野。そうした学問こそ、時の政権への忖度なしに研究が進められるべきものでしょ。なのに政府は彼らを除外することで、その学問の力まで弱めようとしている。政府がしていることは、『我々の歴史認識、政治手法に触れるな』という、これは恫喝だよ。安倍晋三政権を『継承』した菅内閣は、憲法を改変しようとするのではないか。目障りとなりそうな学者を排除し、日本を『次』のステージに進めるつもりでは」

 

さすがに、作家や映画監督の皮膚感覚は鋭い。学者・研究者ならまず言説や行動の分析から入るが、お二人は視覚と嗅覚で菅首相の権力者としての本質を一瞬にして見抜いている。そして、国民もまた視覚と嗅覚で菅という人物の陰湿な権力体質を薄々感じ始めているのではないか。これまでマスメディア相手に木で鼻をくくったような答弁に終始してきた菅氏が、漸く国会という表舞台で容赦なく国民の視線を浴びるようになった今、その本質が視覚と嗅覚を通して露わになるのも時間の問題だろう。

 

今国会の施政方針演説と代表質問のやり取りで明らかになったことは、菅首相が学術会議会員候補者の任命拒否に関して「変更するつもりはない」と何回も断言したことだ。これだけはっきりとした答弁を繰り返すのだから、彼自身はもはや後戻りできない状態に追い詰められているのだろう。おそらく予算委員会でも「総合的、俯瞰的に判断した」と、壊れたレコードのように繰り返すだけだ。

 

それでも野党は彼を徹底的に追い詰めなければならない。機械的答弁を繰り返す菅首相の傲慢な態度や冷酷な表情を白日の下に曝すことによって、国民が皮膚感覚を通して彼の陰湿な権力体質を理解する機会を提供することが何よりも重要だからだ。結果は次の世論調査であらわれる。おそらく男性よりも女性の支持率が下がるだろう。菅首相の本質を理解する上で、皮膚感覚に優れていることは必須条件だからである。(つづく)

菅政権による日本学術会議への人事介入に抗議する京都緊急集会が開かれた、菅内閣と野党共闘の行方(5)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その230)

 

10月20日夜、JR京都駅前のキャンパスプラザ京都で「菅政権による日本学術会議への人事介入に抗議する緊急集会」が開かれた。急な呼びかけにもかかわらず大講義室に集まった大学関係者は約150人、これ以上だとソーシャルディスタンスの確保が困難になると思えるほどの盛会だった。主催は、各大学の教職員組合や科学者団体、研究者有志で構成される実行委員会だったが、会の進行はスムーズに行われ、用意された資料(日本学術会議法条文、各団体の声明文など)も充実していた。

 

当事者の一人である松宮孝明氏(立命館大学大学院法務研究科教授)の特別報告の後、各団体からのリレートークが行われた。印象に残ったのは、今回の事件に関して各代表が異口同音に強い危機意識を表明したことだ。菅氏のファッショ的体質は、8年間にわたる官房長官時代の傲慢極まる記者会見でよく知られている。その当人が今度は最高権力者のポストに就いたのだから、これからは「タダでは済まない」との空気を皆が感じ取っているからだろう。

 

それにしても、菅首相からはえも言われぬ不気味な雰囲気が漂ってくる。権謀術数の世界をくぐり抜けてきた「たたき上げ政治家」特有の得体のしれない匂いが、人々を不安に陥れるのである。その所為か各団体の代表からは、今回の学術会議人事介入について「恐怖を感じる」といった言葉が数多く聞かれた。無表情で感情を表に出さず、木で鼻を括ったような官僚答弁を繰り返す――そんな光景が人々の脳裏に焼き付いているからだろう。その矛先が今度は学問研究の世界に向けられてきたのだから、皆が警戒するのも無理はない。

 

松宮教授の特別報告で目を開かれたのは、今回の学術会議への人事介入事件は単に〝学問の自由〟を脅かすだけの問題ではなくて、〝法治国家〟の土台を揺るがしかねない大事件だということだ。日本学術会議法という法律を平然と踏みにじり、全ての権限が首相にあるかの如く振る舞う菅首相の行為は、「法の支配」を無視した行政権の濫用であり、事実上の「クーデター」だと言ってもいい。麻生財務相が2013年7月、東京都内のホテルでの講演で、「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」と述べたが、菅首相は学術会議への人事介入という「手口」を通して独裁国家への道を目指しているのではないか。

 

 ここでは多くの声明文に言及する紙幅がないので、松宮教授の所属する立命館大学法学部・法務研究科の教員有志緊急声明、「私たちは、日本学術会議会員任命拒否に抗議し、全員の任命を求めます」の紹介だけに止める。緊急声明は前文、問題点の指摘、後文から構成されている。

 

【前文】

2020年10月1日、菅内閣総理大臣は、日本学術会議が推薦した新会員候補105名のうち、第1部会(人文社会系)候補6人の任命を拒否しました。その中には、私たちの同僚である本学法務研究科所属の松宮孝明教授が含まれています。刑事法学の優れた研究業績を有する松宮教授が明確な理由も示されず任命されなかったことは、私たちは同僚として強く抗議します。任命拒否された6名のうち、3名は法学、1名は政治学、1名は近代史の研究者であることも、同じ学域の研究者を抱える立命館大学法学部・法務研究科として看過できません。加えて今回の任命拒否は、「法の支配」を無視した行政権の濫用であり、本来的に政治権力から独立していないと成り立たない学問活動に対する極めて政治的な介入行為として、法律学・政治学を学び教える立場として容認できません。

 

【問題点】(要旨)

  1. 学問研究活動は、本来的に政治権力から独立していなければ、その真の力を発揮することはできません。日本学術会議法は、会員を内閣総理大臣の任命としていますが(7条2項)、それは学術会議の推薦が前提であり(同)、首相の任命が形式的なものだからこそ、学術会議の政府からの独立性・自律性が担保できるのです。この点は、1993年の政府答弁からも明らかなように、歴代の政府も受け入れてきた「確立した習律」というべきものであり、その時々の内閣の都合で恣意的に破ることはできないものです。
  2. 首相は、学術会議会員の任命について「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から判断した」と述べています。しかし、これは首相の任命判断がフリーハンドだという誤った学術会議法の解釈に拠るものです。ましてや「優れた研究又は業績」の有無とは別の、政権に批判的か否かといった事由により任命の判断を行うのは、他事考慮そのものです。そうではなくて「優れた研究又は業績」の観点から判断したというのであれば、政府はその判断根拠を明らかにすべきですが、拒否された6人の業績からすれば学術的に耐えうる理由を示すことは困難なはずです。したがって、今回の任命拒否は違法なものというほかありません。
  3. 「税金を投入しているのだから学術会議の運営や人選に政府が介入するのは当然」といった弁明が与党議員の一部から出ていますが、学術会議は時の政府から独立していてこそその職務を果たすことができることから、恣意的な任命を正当化する理由にはなり得ません。同様に、政府が指摘する国民の公務員選定罷免権(憲法15条)を理由とする介入正当化論も、現行の日本学術会議法は、学問の自由を保障した憲法23条の要請を踏まえ、特別職公務員である学術会議会員の自立性を確保する趣旨から首相の任命を形式的なものにしたのであり、憲法15条と矛盾するものではありません。
  4. 首相は具体的な拒否理由を明らかにしていませんが、外形的事実に即してみれば、政府の推進する法案に批判的な候補者を「狙い撃ち」で拒否したとみることは十分可能です。政府の政策について学術的観点から疑問を提起した研究者を「狙い撃ち」で不利益扱いするのは、特定の思想や学説を国家が選別する差別行為です。
  5. 拒否理由の非公表は、拒否された候補者のみならず、市民全体を疑心暗鬼に陥らせ、「萎縮と忖度」で社会を分断させることで統制を行う「人治主義」の手法といえます。このような統制は、やがて大学への補助金や私学助成はもちろん、文化芸術の分野さらには市民の生活全般にも拡大されるおそれがあります。

【後文】

 立命館学園は、戦前の重大な学問の自由に対する侵害事件である滝川事件に関わって京大法学部を辞した研究者を多く受け入れ、その中から末川博を日本国憲法下における初代の学長に迎えました。そのような歴史を持つ立命館だからこそ、今回の任命拒否にあたって、大学を挙げて異議を唱える必要があると考えます。私たちは、今回の任命拒否に強く抗議し、拒否に至った経緯を明らかにした上で、すみやかに6人全員を任命することを求めます。

                            20201015

                  立命館大学法学部・法務研究科教員有志

   

いまさら言うまでもないが、京大滝川事件と末川氏を戦後の初代学長に迎えた立命館大学との間には切っても切れない関係がある。松宮教授は京大法学部・大学院法学研究科で刑法を学び、滝川幸辰教授(刑法)のひ孫弟子に当たる。その後、立命館大学に奉職した松宮教授に対して菅首相が学術会議会員への任命を拒否したことは、戦前の思想統制をともなった政治権力の大学介入事件を想起させる。だからこそ、緊急集会の参加者は身の毛もよだつような恐怖感を覚えたのである。

 

1960年代には京大に「教官研究集会」というリベラルな学部横断的会合があった。湯川秀樹教授を始めとするリベラルな教官がその時々の政治課題について自由に語り合った場だ。各学部の助手が世話係を務め、助教授たちが会合の企画について相談に乗っていた。私は工学部助手(建築学科)として参加していたが、その時の法学部助手は広渡清吾氏(人文社会系で初めて学術会議会長になった東大名誉教授)だった。また、法学部の相談役は中山研一助教授(刑法、滝川教授の孫弟子)と園部逸夫助教授(後の最高裁判事)だった。

 

歴史は繰り返すというが、滝川事件のような悲しい歴史は二度と繰り返してはならないだろう。そんな思いが去就した京都の緊急集会だった。

 

公安警察官僚が差配する菅政権、学術会議会員推薦者6人はこうして排除された、菅内閣と野党共闘の行方(4)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その229)

 

 時事通信は10月12日夜10時、「菅首相、『6人排除』事前に把握=杉田副長官が判断関与―学術会議問題」と電子版で報じた。内容は次のようなものだ。

 「日本学術会議が推薦した会員候補105人のうち6人が任命されなかった問題で、菅義偉首相がこの6人の名前と選考から漏れた事実を事前に把握していたことが分かった。除外の判断に杉田和博官房副長官が関与していたことも判明した。関係者が12日、明らかにした」

 「今回の人事を首相が最終的に決裁したのは9月28日。関係者によると、政府の事務方トップである杉田副長官が首相の決裁前に推薦リストから外す6人を選別。報告を受けた首相も名前を確認した。首相は105人の一覧表そのものは見ていないものの、排除に対する『首相の考えは固かった』という」

 「首相が105人のリストを見ていないと発言したことを受け、政府は12日、釈明に追われた。加藤勝信官房長官は記者会見で『決裁文書に名簿を参考資料として添付していた』と明らかにした上で、『詳しくは見ていなかったことを指しているのだろう』と説明。実態として把握していたとの認識を示し、首相発言を軌道修正した。同時に『決裁までの間には首相に今回の任命の考え方の説明も行われている』と繰り返し、人事は首相の判断により決まったことを強調した」

 

 ここで報じられている事実は、(1)学術会議から提出された105人の会員推薦名簿に関して、杉田官房副長官が6人を選別して推薦リストから除外した、(2)杉田官房副長官は、6人を除外する「今回の任命の考え方」を決裁前に菅首相に説明した、(3)報告を受けた菅首相は6人の名前を確認した、(4)6人を排除するとした「首相の考えは固かった」、(5)決裁文書には参考資料として学術会議からの会員推薦名簿が添付されていた、(6)菅首相は自らの判断に基づき6人を排除することを決裁した――というものだ。

 

ハフポスト日本版(10月13日)によると、杉田官房副長官は警察庁出身で「危機管理のプロ」とある。言い換えれば、生粋の「公安警察=思想警察」出身の国家官僚だということだ。官邸公式サイトでは、杉田氏は1941年4月生まれの79歳、1966年に東京大学法学部を卒業後、警察庁に入庁、鳥取県・神奈川県警察本部長、警察庁警備局長を歴任した。その後、1997年の橋本内閣では情報機関「内閣情報調査室」(日本版CIAといわれる)の室長に就任、2001年の小泉内閣では「内閣危機管理監」となり、2004年に退官するまで内閣の危機管理を担った。2012年12月の第2次安倍内閣発足に伴い内閣官房副長官に就任し、菅内閣でも続投したことで約8年間にわたって官房副長官の地位にある。副長官としての在職日数は歴代2位であり、2017年からは中央省庁の幹部人事を一元管理する内閣人事局長も兼ねている。

 

ハフポスト日本版は、安倍内閣時の2017年7月13日、朝日新聞デジタルが杉田氏について次のように報じていたことを紹介している。「杉田氏の執務室は官邸内で首相と同じフロアにあり、各省庁幹部が政策の説明や人事案の相談で頻繁に出入りする。歴代の事務副長官は旧自治省、旧厚生省の出身者が少なくないが、杉田氏は警察庁出身。情報収集を得意とする「警備畑」を長年歩んできた。その経験を生かして霞が関ににらみを利かせ、首相や菅氏の意向を踏まえて差配する」。

 

このように「警備畑=公安畑」の経験を生かして「霞が関」全体に睨みを利かせ、安倍首相(当時)や菅官房長官(同)の意向を踏まえて官僚機構を差配してきた杉田氏が、今度は学術会議会員の交代期を利用して会員人事に介入し、あわよくば学術界全体を差配して学問研究を政治支配下に置こうとしたことが、今回の事件の本質だろう。任命から排除された6人の1人、松宮立命館大学教授(刑事法学)は、京都新聞のインタビューに答えて次のように語っている(10月3日)。

 

――任命されなかったことについて率直な気持ちは。

「率直に言うと、『とんでもないところに手を出してきたな、この政権は』と思った。学術会議というのは、まず憲法23条の学問の自由がバックにあり、学術は政治から独立して学問的観点で自由にやらなければいけないということでつくられた学者の組織だ。もちろん内閣総理大臣の下にはあるが、仕事は独立してやると日本学術会議法で定められている。そこに手を出してきた」

「しかも法律の解釈が間違っている。日本学術会議法では会員の選び方について、学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命すると書いてある。推薦に基づかない任命はないかわりに、基づく以上は『任命しない』もないのだ。どのような基準で推薦しているかというと、結局その分野の学問的な業績、そして学者としての力があるということを見て決める。これも日本学術会議法17条に書いてある。推薦に対して『不適格だ』というなら、それは研究者としての業績がおかしいと言わなければ駄目だ。ところが、その専門家でない内閣総理大臣に、そのようなことを判断できる能力はない。だから結局、機械的に任命するしかないのだが、今回それをしなかった。任命しないのならその理由を問われるが、総理には言うことができないだろう」

 

京都新聞は全紙を使ってこの大型インタビュー記事を掲載しているが、私が最も強い印象を受けたのは、「政権 とんでもないところに手出した」という見出しだった。この記事を読んだ何人かの仲間と議論したが、異口同音にこの見出しが一番印象に残ったという。菅政権の蛮行に対する学会や研究者仲間の気持ちをあらわすのに、最もぴったりする言葉だからだ。

 

これは私の単なる憶測かもしれないが、法政大学時代の菅青年は空手道に熱中して憲法をあまり真面目に勉強しなかったのではないか。安倍前首相の成蹊大学時代の恩師(憲法学)も同じようなことを言っていたところをみると、両者は案外似ているのかもしれない。学生時代にあまり勉強せず、学問研究に対するリスペクトもなく、政治世界に飛び込んだ政治家にとっては権力だけが全てであり、権力さえあれば全てを支配できると思い込みがちだ。「たたき上げ」という言葉がそんなキャラクター・イメージと重なることになれば、本当の苦労人は心外だと思うに違いない。

 

だがしかし、この間の新聞雑誌はもとよりテレビ番組でもこの問題が頻繁に取り上げられるようになり、一般社会には縁遠かった学問研究の世界に関する理解が格段に進んだことが注目される。憲法23条に保障された〝学問の自由〟を否定し、思想統制が広がれば、それはいつか庶民生活にも及んでくることがおぼろげながらも理解し始められている。10月末から始まる国会論戦で本格的な議論が始まると、菅政権のファッショ的性格はますます露わになり、「たたき上げの庶民政治家」のイメージは一挙に崩壊することだろう。すでにNHK世論調査で内閣支持率の低下傾向が表れている。これに続く各紙の世論調査でどんな結果が出て来るか、「とんでもないところに手を出した」菅政権に対する審判が、早晩明らかになることだろう。(つづく)