「政治資金収支報告」に見る党勢の消長、党費・赤旗購読料・個人寄付の縮小による「20世紀成長型モデル」の破綻、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その10)、岸田内閣と野党共闘(75)

 2023年11月24日、総務省から「2022年政治資金収支報告」が公表された。翌25日の赤旗には、日本共産党中央委員会(党中央)の政治資金収支報告概要が掲載され、財務・業務委員会の岩井鐵也責任者の談話が発表された。その中で私が注目したのは、次の4点である。

 第1は、収入総額(前年比94.7%)、支出総額(前年比96.3%)がともに数パーセント前後縮小したことである。このことは、資金面から見て党活動が総体的に後退していることを意味する。また収支差引で3億円を超える赤字が計上されたことは、財政状況が急速に悪化していることをうかがわせる。共産党の資金三本柱である党費(前年比94.9%)、機関紙誌収入(赤旗購読料など、前年比98.1%)、寄付(前年比39.7%)が全て縮小していることは、党勢が構造的に衰退しつつあることを示すものといえよう。

 第2は、収入と支出の太宗を占める機関紙誌収入が目減り(前年比98.1%)しているにもかかわらず、支出は逆に増加(前年比103.1%)していることである。このことは、機関紙誌事業の収支採算が極度に悪化していることを示しており、党全体の財政危機につながる可能性が大きいと言わなければならない。

 第3は、党中央の経常経費の縮小幅(前年比95.7%)に比べて、地方党機関交付金の縮小幅(前年比79.8%)が大きいことである。このことは、党中央よりも地方機関への資金減のシワヨセが大きく、地方の党活動が資金面(2割カット)で困難な事態に直面していることを想起させる。

 第4は、党中央を含めて全国の地方機関に寄せられる寄付を総合計すると、毎年約80億円に上ることが談話の中で明らかにされたことである。このことは、党中央への寄付が「前年比40%」に落ち込んだ不安を打ち消すために言及されたのであろうが、「中央委員会の2022年の個人寄付は前年より減っていますが、これは亡くなられた党員・支持者からの遺贈が多い年と少ない年があるためです」との説明は、却って個人寄付の不安定さを示すものとなっている。

 

 共産党の財政状況については、ホームページに「日本共産党の財政」として過去26年度分の政治資金収支報告(1995~2022年度)が公表されている。その中で一番古い1995年度の収支報告(志位書記局長就任から5年目、党員36万人、赤旗読者250万人)をみると、上田均財務・業務局長の次のような説明がある(要約)。

 ――日本共産党の政治資金は、憲法違反の政党助成金とも金権腐敗のおおもとである企業・団体献金ともまったく無縁です。日本共産党の政治資金は、党を構成している党員の党費、日本共産党が発行している新聞「赤旗」(機関紙)、週刊・月刊紙誌等の事業収入、党の支持者などから寄せられる個人寄付という3つの収入を財源の原則にしています。

 ――中央委員会の収支についていえば、収支全体のなかで機関紙誌等の事業活動の収入と支出が圧倒的に大きい比率を占めています。全国的には全党組織の資金を総合計すると、党費、機関紙、個人寄付はそれぞれほぼ3分の1ずつを占めていますが、中央についていえば「赤旗」など機関紙誌の発行元として事業収入と事業経費が多くなるのは当然だということです。

 ――日本共産党の収入は311億円となっており、各党の「報告」のなかでは1位です。しかし中央委員会の収入の圧倒的部分(89.4%)が機関紙誌の事業収入です。これは日本共産党が近代的組織政党にふさわしく機関紙中心の党活動を他党にくらべて抜群に発展させてきたことを示すものであり、「収入」とは「利益」ではなく、一般の事業でいう売り上げにあたるものです。事業経費を差し引いた「実質収入」は、政治資金収支報告での収入額の3割弱の88億円となり、自民党229億円、新進党135億円よりはるかに少なく、社民党83億円とほぼ同じくらいです。

 

 この説明から推察すると、1995年度の実質的な機関紙誌収益は55.4億円(収入278億円-支出222.6億円、全党資金の3分の1)なので、党費は機関紙誌収入と同じく55億円程度(党員36万人、1人当たり年1万5千円)、個人寄付も同じく55億円程度となり、資金総計は165億円と考えられる。ここから党中央の88億円(53%)を差し引くと、地方機関の資金は77億円(47%)となる。また、帳簿上の党中央の収入は311億円、支出は306.4億円で4.6億円の黒字となり、繰越金は69.4億円に達している。1990年代の党財政は、潤沢な機関紙誌事業の収益に支えられて繰越金を積み増すなど、順調に推移していたと言える。

 

 共産党の政治資金収支報告は、党本部ビル建設や赤旗印刷のカラー化などの新規投資によって大きく変動するが、それらの影響を除いた通常年度の党費・機関紙誌収入・個人寄付の推移を辿ってみると、その消長がよくわかる。本部ビル建設(2005年1月竣工)が終り、財政状況が通常に戻った2008年度(党員40万人、赤旗読者150万人)と1995年度(同36万人、250万人)を比較すると、この14年間に財政状況が大きく変貌していることに気付く。以下は、その概要である。

第1は、2008年度の収入総額は249億6100万円(1995年度比80.2%)、支出総額は250億875万円(同81.6%)、収支差引は4775万円の赤字、繰越金は22億2860万円(同32.8%)となり、収支は2割減、繰越金は7割減と大きく縮小していることである。これは、収入総額の86%を占める機関紙誌収入の減少が大きく影響している。

第2は、党員が40万人と1995年度から見かけ上増加(1割増)しているにもかかわらず、党費9億1603万円(1995年度比68.2%)、機関紙誌収入215億5847万円(同77.6%)が3割前後も減少していることである。これは、無理な党勢拡大運動の結果、当時から「実態のない党員」(いわゆる幽霊党員)が多数存在しており、それが党員数と党費・機関紙誌収入との大きな乖離をもたらしていたと考えられる(2014年には党員40.5万人のうち4分の1にあたる10万人が「実態のない党員」として整理され、30.5万人に修正された)。

 第3は、機関紙誌収入が大きく減少(1995年度比▲62億3716万円)しているにもかかわらず、同支出がそれ以上に減少(同▲68億5555万円)しており、収益が61億4933万円(同△13億2461万円)に増加していることである。これがどのような原因(例えば印刷費の大幅合理化など)によるものかわからないが、機関紙誌収益が経常経費やその他の政治活動費を支える重要な資金源であるだけに、この段階ではまだ、機関紙誌収益の縮小が党機関や党活動の存続の危機に直結していなかったのであろう。

 

次に、2008年度から2022年度に至る14年間の変化を見よう。この間の変化は前半の14年間よりもさらに厳しいものとなっている。

第1は、党員と赤旗読者の減少が依然として止まらず、2022年度は収入総額190億9543万円(2008年度比76.5%)、支出総額194億6019万円(同77.8%)、収支差引3億2802万円の赤字、繰越金11億13万円(同49.3%)と財務諸表の全てが縮小していることである。この結果、収支は4分の1減、繰越金は半減し、党勢の衰退傾向はいまや動かしがたいものになっている。とりわけ、赤字が3億円を超えたことが注目される。

第2は、党財政の基盤である機関紙誌収入が166億5329万円(2008年度比77.2%)に落ち込み、機関紙誌収益が43億7070万円(2008年度比71.2%)に縮小したことである。党費も5億1435万円(同56.1%)と大きく減少し、党員減に比べてさらに落ち込みが激しい。これは、党員数の減少に加えて党員の高齢化が進み、党費減免対象者である低収入・年金生活者が増えたことによるものであろう。

第3は、機関紙誌収益と党費の縮小にともない、党中央の経常経費(2008年度比80.4%)と地方党機関交付金(同69.8%)が削減され、党活動の困難さが増していることである。全党で年間80億円に上る寄付がこれらの収入減をどれだけカバーしているかはわからないが、党専従者の生活支援募金の呼びかけが年々増えているところをみると、党組織の維持が「危機レベル」に達していることがうかがわれる。また、機関紙誌支出(同79.8%)も縮小していることから、赤旗の編集・印刷にも無視できない支障が生じていると聞く。最近、「赤旗記者」の募集広告を頻繁に見かけるのは、記者の早期退職が相次いでいるからであろう。

 

 こうした状況を反映してか、2010年代末から2020年代初頭にかけて党財務・業務委員会責任者から悲痛な訴えが連続して出されるようになった。例えば、「しんぶん赤旗と党の財政を守るために」(赤旗2019年8月29日)、「しんぶん赤旗を守り党の財政と機構を守るために心から訴えます」(同2021年12月22日)、「財政の現状打開のために緊急に訴えます」(同2023年6月9日)などである。訴えの趣旨は、(1)2019年8月に赤旗読者が100万人を切った、(2)日刊紙の減紙で赤字がさらに増え、安定的な発行を続けることが困難な状況になっている、(3)日曜版の大きな減紙は機関紙誌事業の収入減につながり、日曜版収入でようやく支えている日刊紙の発行を困難にし、党中央財政と地方党組織財政の危機を招き、日常活動と体制維持を困難にしている、(4)しんぶん赤旗の危機は党財政の困難の増大そのものであり、危機打開のためには赤旗拡大を前進させる以外に道はない――というものである。

 

だが、赤旗読者はその後も減り続けて85万人にまで落ち込み、来年1月に開催される第29回党大会を目前にした現在においてもいまだ回復の兆しは見えない。「民主集中制」に基づく党運営は必然的に党中央組織の肥大化をもたらし、それを支える財政基盤を確立するための党勢拡大運動はいまや破綻寸前となっている。戦後における経済成長と人口増加にともなって形成された共産党の「20世紀成長型モデル」は、経済停滞と人口減少を迎えた今、次の「持続可能型モデル」への転換を求められている。次期党大会において如何なる議論が展開されるのか、その行方を注目したい。(つづく)

〝人口減少問題〟にまったく触れない決議案の不思議、第29回党大会決議案を読んで(2)、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その9)、岸田内閣と野党共闘(74)

 最近の赤旗広告欄で頻繁に目に付くのは、友寄英隆著『人口減少社会とマルクス経済学』(新日本出版社、2023年10月刊)の広告だ。友寄氏は共産党中央委員、赤旗編集委員、同経済部長、月刊誌『経済』編集長などを歴任した多数の著書を持つ共産党の理論家である。同氏は『人口減少社会とは何か』(学習の友社、2017年)を皮切りに数々の人口問題に関する論考を発表してきたが、今回の著書はその集大成ともいえるもので、マルクス経済学の立場から人口問題にアプローチした労作といえる。「はじめに」の中には、同氏の問題意識が次のように記されている(抜粋)。

 ――そもそも人口問題は、人間の生命の生産と再生産に関わると同時に、人間社会の生成・発展・没落の展開と深く絡み合っている問題である。それは、個々の人間の生き方、家族形成と子孫継承のあり方と同時に、人類の社会発展と文明の消長にも深く関わっている。科学的社会主義の基礎である唯物史観は、人類社会の発展の法則を人類そのものの生産と再生産、人間存在の物質的条件(生活手段・生産手段)という二つの問題を基礎に据えてとらえる歴史観、世界観である。唯物史観の前提が「人間」であり、人間相互間の社会的関係としての「人間社会」であることから、人口問題の探求は、唯物史観の探求と深く関わっている。

 ――しかし、従来の唯物史観のとらえかたは、社会発展の法則についての側面だけに注目して、その根底にある人間の生産と再生産の問題、人口問題への目配りが欠けていたのではないだろうか。言い換えれば、唯物史観の基礎としての人口問題の探求が欠落していたのではないだろうか。

 ――少子化・人口減少問題は、様々な国家政策を左右する重要な要因となっている。年金、医療、保育、介護などの社会保障政策はもちろん、税制、労働政策、産業政策、教育政策などにも大きな影響を持っている。その意味では、人口問題の研究は、階級闘争のための理論的イデオロギー的課題でもある。

 

 すでに、メディアの世界においても「人口減少問題」は一大トピックスと化している。その先頭を切る日本経済新聞は、50人余の取材班を編成して2021年8月から23年4月まで大型連載「人口と世界」を掲載し、今般、加筆・再編成して『人口と世界』(日本経済新聞出版、2023年6月)を刊行した。その問題意識は次のようなものである(はじめに、要約)。

 ――かって人類最大の課題は人口爆発だった。20世紀に人口を4倍に増やした人口爆発。現代文明の基礎となったこの急激な人口増加は、今世紀で終わる。米ワシントン大学によると、世界人口は2064年の97億人がピークで、その後、人類は経験したことのない下り坂を迎える。低迷する出生率、経済成長の停滞、労働者不足、社会保障費の膨張――。人口減少のひずみが世界で噴出し始めた。人類は衰退の道へと迷い込むのか、それとも繁栄を続けられるのか。取材班はこの問いから出発し、取材を始めた。

 ――日本はもはや手遅れなのか。人口減少への対策は長年議論されてきたが、結婚や出産への価値観の変化、仕事と育児の両立の難しさ、上がらない収入など、少子化を招いた社会構造は変わらないままだ。旧弊から脱し、新たなモデルを築かなければ停滞から脱するのは難しい。暗く長いトンネルの向こうに光明を見出せるかどうかは、社会を構成する私たち一人ひとりにかかっている。

 

 かたや共産党の理論家、かたや日本資本主義の「機関紙」ともいうべき日本経済新聞の立場は180度異なるが、「人口減少問題」を現代日本が直面する危機的状況と捉える点では共通している。しかし不思議なのは、友寄書が人口減少社会の状況を「現在の日本の人口減少の状況は『日本社会に非常ベルが鳴っている状態』」と強い警鐘を鳴らしているにもかかわらず、共産党の今回の決議案には不可思議にも「人口減少問題」が完全にネグレクト(無視)され、一言も触れられていないことである。おそらくその原因は、志位委員長が主導した「改定綱領」(2020年)が今回の決議案の台本になっており、改定綱領には「人口減少問題」が一言も触れられていないことと無関係ではないだろう。

 

志位委員長による改定綱領の解説書、『改定綱領が開いた〈新たな視野〉』(新日本出版社、2020年)を読むと、そこでは「中国はもはや社会主義国を目指す国ではない」とする綱領上の規定の見直しによって、「世界の見晴らしがグーンとよくなった」とする世界論が誇らしげに展開されている。それに続いて(1)国際政治の主役が一握りの大国から世界の全ての国々と市民社会に交代した、(2)核不拡散条約という枠組みの性格が大きく変わった、(3)東南アジア諸国連合など平和の地域共同体が影響を広げている、(4)ジェンダー平等など国際的な人権保障が発展している、といった一連の国際情勢の進化が列挙されている。

 

つまり、改定綱領は旧ソ連や中国との「歴史的頸木(くびき)」断ち切ることによって、日本共産党が「発達した資本主義国」の社会変革において、今後世界的にも重要な位置を占める党であることを強調するものとなっているのである。旧ソ連や中国のような「資本主義的発達が遅れた国」「自由と民主主義の諸制度が存在しないもとで、革命戦争という議会的でない道で革命が起こった国」においては、社会主義革命が成功しないことが明らかになった現在、マルクス、エンゲルスが言うように「発達した資本主義国」でこそ社会主義革命が達成されるのであり、自主独立の道を貫き、理論と実践を鍛え上げてきた日本共産党が、発達した資本主義国での社会変革において世界をリードする位置を占めている――と言うのである。

 

志位委員長はまた、改定綱領において資本主義では解決できない矛盾の深まりをジェンダー平等、貧富の格差、気候変動などの面からを解明し、社会主義革命にもとづく未来社会への道をより豊かに多面的に示すことによって、「社会主義に前進することは、大局的には歴史の不可避的な発展方向」という命題を導いたことを強調している。そして改定綱領は、21世紀の世界資本主義の矛盾そのものを正面からとらえ、この体制を乗り越える本当の社会主義の展望を、よりすっきりした形で示すことができたと結論づけるのである。

 

 しかしながら、この改定綱領や決議案を別の角度から見ると、そこには容易ならぬ問題が浮かび上がってくる。それは21世紀の世界資本主義にとって死活問題と化している「人口減少問題」が完全に欠落していることである。国立社会保障・人口問題研究所による将来人口推計は国勢調査ごとに毎回行われるが、改定綱領が制定された2020年1月には、2015年国勢調査にもとづく将来推計人口(2017年推計)がすでに明らかになっていた。それによると、日本の総人口は1億2709万人(2015年)をピークに下降に転じ、50年後の2065年には8808万人(69.3%)に激減することが予測されている。また、志位氏が委員長に就任した2000年においても、1995年国勢調査にもとづく将来推計人口(1997年推計)が公表されており、65年後の2065年には8763万人(69.8%)、100年後の2100年には6736万人(参考推計、53.6%))に激減すると予測されていた。これらの推計値の意味するものは、21世紀の現代社会の土台を揺るがす大問題であると同時に、今後の国政選挙の議員定数や選挙区割りに直結する、各政党にとっての大問題でもある。にもかかわらず、改定綱領においても今回の決議案においても「人口減少問題」が一言も触れられていないのはなぜか。

 

 友寄書と相前後して刊行されたマルクス経済学からの人口問題に関する著作には、大西広(慶応大学名誉教授)『〈人口ゼロ〉の資本論、持続不可能になった資本主義』(講談社+α新書、2023年9月)がある。友寄書が多くの論点を掲げて複雑な構成になっているのに比べて、大西書は論旨が明確で読みやすく、結論も分かりやすい。目次構成だけを見てもストーリーが理解できるようになっている(目次は以下の通り)。

 

〇第Ⅰ部 人口問題は貧困問題

第1章 日本人口は2080年に7400万人に縮む、第2章 労働者の貧困が人口減の根本原因

〇第Ⅱ部 マルクス経済学の人口論

 第3章 経済学は少子化問題をどのように論じているか、第4章 マルクス経済学の人口論、第5章 人口論の焦点は歴史的にも社会格差、第6章 ジェンダー差別は生命の再生産を阻害する

〇第Ⅲ部 人口問題は資本主義の超克を要求する

 第7章 人口問題は「社会化された社会」を要求する、第8章 人口問題は「平等社会」を要求する、第9章 真の解決は国際関係も変える、第10章 資本主義からの脱却へ

 

 大西書の最大の特徴は、人間社会が持続していくうえで不可欠の条件である「人口の再生産=人類の再生産」を先進資本主義国が保障できず、「人口減少問題」を解決できないことから、このままの状態が続けば「将来人口ゼロ」となり、先進国段階では資本主義システムが持続可能性を喪失し、正当性を失うことを明らかにした点にある。こうした観点からすれば、21世紀の世界資本主義にとって存続を懸けた最大の課題である「人口減少問題」について一言も触れない綱領などあり得ないことになるが、それにもかかわらず、共産党の改定綱領やそれに基づく決議案が「人口減少問題」に何ら触れないのは不可思議であり、きわめて異常だと言わなければならない。

 

 ここからは私の推測であるが、党勢拡大主義という「成長型モデル」の呪縛から抜けられない共産党にとって、実は「人口減少問題」はきわめて扱いにくい問題であることが想像される。志位委員長の就任からの20年間というものは、党員は38万人から27万人へ、赤旗読者は199万人から100万人と大幅に後退しており、その上、今後「人口減少問題」が激化することになると、もはやこれ以上の党勢拡大は難しいとの空気が広がりかねないからである。志位委員長がことさらに中国に関する規定を改めた改定綱領の意義を強調し、日本共産党が「発達した資本主義国」における社会変革の先頭を切る存在と位置づけるのは、長期にわたる党勢後退問題の分析と総括を避け、その背景となる「人口減少問題」についても触れたくないためではないか――という憶測も成り立つ。目下、赤旗では決議案に対する意見や提案を募集している。拙ブログのような意見を持つ修正案がでないかどうか注目したい。(つづく)

〝党勢後退〟についての本格的な分析と総活がない決議案では事態を打開できない、第29回党大会決議案を読んで、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その8)、岸田内閣と野党共闘(73)

日本共産党第10回中央委員会総会(10中総)が終わった。第29回党大会(2024年1月)に提案される大会決議案が全員一致で採択されたというが(赤旗11月15日)、ざっと読んでみても疑問に感じる点が多い。最大の問題点は、これまでもしばしば言及してきたように〝党勢後退〟についてのしっかりとした分析と総活がないことである。「第28回党大会・第二決議(党建設)にもとづく党づくりの到達点」および「党の歴史的発展段階と党建設の意義」における内容をみよう(抜粋)。

――党勢拡大の現時点の到達点は、この4年間の党建設の努力を通じて、これまで1万4千人を超える新たな党員を迎えてきたが、わが党は党員現勢での長期の後退から前進に転じることができていない。「赤旗」読者拡大でも、現時点では、長期にわたる後退傾向を抜本的な前進に転じることには成功しないしていない。

――党は、1980年代以降、長期にわたる党勢の後退から前進に転じることに成功していない。ここにあらゆる力を結集して打開すべき最大の弱点がある。最大の要因は、わが党を政界から排除する「日本共産党をのぞく」の壁が造られたこと、わけても90年を前後しての旧ソ連・東欧の旧体制の崩壊という世界的激動と、これを利用した熾烈な反共攻撃の影響があった。大局的・客観的に見るならば、日本はいま新しい政治を生み出す〝夜明け前〟ともいえる歴史的時期を迎えている。同時に、どんな客観的条件が成熟しても、社会を変える主体的条件をつくらなければ、社会は自動的に変わらない。〝夜明け〟をひらく最大の力となり、保障となるのが、つよく大きな日本共産党の建設である。1万7千の支部、26万人の党員、90万人の「しんぶん赤旗」読者、2300人を超える地方議員を擁し、他党の追随を許さない草の根の力に支えられ、今日の時代にふさわしい民主集中制の組織原則で結ばれた党組織をもっている。

 

ここでの記述の特徴は、(1)党があらゆる力を結集して打開すべき「最大の弱点」である〝長期にわたる党勢後退〟の正確な実態が明らかにされていない、(2)党勢後退の要因の全てが外部要因である〝反共攻撃〟に帰せられ、党組織や党運営などの内部要因には一切触れられていない、というものである。だが、その実態は看過できるようなものではなく、80年代半ばの党現勢「党員50万人弱、赤旗読者350万人」は、志位委員長が就任した2000年には「党員38万6千人、赤旗読者199万人余」に激減し、さらに第28回党大会(2020年)には「党員27万人、赤旗読者100万人」にまで後退し、さらにその後も後退し続けているのである。

 

第28回党大会から現在までの4年間に1万4千人の入党があったというが、2023年11月の現勢は「党員26万人、赤旗読者90万人」、党大会からは党員1万人減(死亡者+離党者は2万4千人)、赤旗読者10万人減となっている。要するに80年代半ばから現在までの40年間で党員は「2分の1」近くになり、赤旗読者は「4分の1」そこそこにまで落ち込んでいる。とくに最近の4年間は、入党者の倍近い数の党員が亡くなるか、離れるかといった事態が継続しているのである。

 

第28回党大会で決議された党勢拡大目標は、「130%の党づくり=党員35万人、赤旗読者130万人」というものだった。だが、この拡大目標が破綻していることはいまや(以前から)誰の目にも明らかだ。今年になってようやく「第28回党大会現勢の回復・突破」にまで目標が下げられたが、それすらも47都道府県委員会のうち1県しか達成していない(それも党員のみ、赤旗11月14日)。第29回党大会まであと僅か2か月となった現在、「大会現勢の回復・突破」などは期待すべくもない「夢のまた夢」なのである。

 

にもかかわらず、なぜ〝長期にわたる党勢後退〟についての本格的な分析と総活が行われないのか。その回答は、「第3章 党建設――到達と今後の方針」の冒頭、「多数者革命と日本共産党の役割、②民主集中制の組織原則を堅持し、発展させる」の中にある(抜粋)。要するに「民主集中制」を不磨の原則として堅持し、それを前提にして党勢拡大方針を立てようとするので、党勢後退の大きな原因になっている「民主集中制」の問題点を分析することができないのである。

――日本共産党が、国民の多数者を革命の事業に結集するという役割を果たすためには、民主集中制という組織原則を堅持し、発展させることが不可欠である。多数者革命を推進する革命政党にとっては、民主集中制は死活的に重要な原則である。行動の統一ができないバラバラな党で、どうして支配勢力による妨害や抵抗を打ち破って、国民の多数者を結集する事業ができるだろうか。わが党を「異論を許さない党」「閉鎖的」などと事実をゆがめて描き、民主集中制の放棄、あるいはこの原則を弱めることを求める議論がある。

――党の外から党を攻撃する行為は規約違反になるが、党内で規約にのっとって自由に意見をのべる権利はすべての党員に保障されている。異論をもっていることを理由に組織的に排除することは、規約で厳しく禁止されている。党のすべての指導機関は、自由で民主的な選挙を通じて選出されている。これらの党規約が定めた民主的ルールは、日々の党運営において厳格に実行されている。わが党が民主集中制を放棄することを喜ぶのはいったい誰か。わが党を封じ込め、つぶそうとしている支配勢力にほかならない。わが党は、党を解体に導くようなこのような議論をきっぱりと拒否する。

 

ここには、日本の多数者革命を果たす役割は共産党しかないという「前衛党」意識が濃厚に出ている。また、多数者革命を推進する革命政党にとって「民主集中制」は死活的に重要な組織原則だとする認識も示されている。第22回党大会(2000年)においては、激減する党勢を目前にして党規約が改訂され、党と国民との関係あるいは党とその他の団体との関係を「指導するもの」と「指導されるもの」との関係だと誤解される「前衛党」という名称が削除された。同時に、共産党の体質を象徴する「党の決定は無条件に実行しなければならない。個人は組織に、少数は多数に、下級は上級に、全国の党組織は党大会と中央委員会にしたがわなければならない」とする上意下達条項も削除された。それが、その時よりも遥かに深刻な党勢後退に直面している今日、「居直り」ともいうべき口調で堂々と復活しているのだから驚くほかない。

 

市民社会における「多数者革命」は多様な姿をとることが予想される。多様な政治集団の中からその時々の政治情勢に応じた統一戦線が結成され、それが政権交代につながることは何ら不思議なことではない。共産党(だけ)がそのカギを握っているとか、共産党が国民を導かなければ「多数者革命」を成功させることができないとか考えるのは、思い上がりも甚だしいと言わなければならない。おそらくこの大会決議案は2か月後に「全会一致」で採択されるだろうが、その先に待っているのは「国民の党」から遠く離れた共産党の姿への世論の厳しい批判であり、次の総選挙での厳しい結果であろう。

 

朝日新聞(11月15日)は10中総に関する記事を掲載したが、末尾で次のような観測記事を書いている。

――今回の10中総では、決議案の説明を志位氏ではなく田村氏が担ったことに、出席者から「普通なら議案は委員長が説明する」と驚きの声が上がった。委員長就任後初めて、志位氏が綱領改正案や決議案の報告に一切立たなかったこともあり、党内では「田村氏への委員長禅譲があるのではないか」(別の関係者)との憶測も出ている。

 

決議案では「居直り」ともいうべき口調で「民主集中制」を擁護した志位委員長も、さすがにこのまま委員長ポストに居座ることはできないと考えたのか、それが決議案説明と結語を田村氏に譲ることになったのであろう。志位氏の行く先が「議長席」への横滑りとなるか、それとも潔く身を引くかは予測できないが、大方の予測は議長就任によって「志位院政」を敷くというものである。そうなると、田村氏は自ら説明し結語を述べた決議案に縛られることになり、「志位院政」と運命をともにすることにもなりかねない。連合会長に神津氏の後釜として初めての女性会長が登場したが、その後の行動は前任者を上回る強硬路線となって世の中を驚かせている。共産党初の女性委員長となるかもしれない田村氏が、志位委員長を上回る強硬路線にならないことを祈るばかりである。(つづく)

政党は社会とのキャッチボールの中でこそ育てられる、党内外の多様な交流を妨げる「民主集中制」はその障害物でしかない、第29回党大会では「開かれた党規約」への改定が求められる、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その7)、岸田内閣と野党共闘(72)

 「革命政党」を標榜する共産党が、社会の〝前衛〟として大衆を導き、階級闘争を指導する時代はいまや遠くに去ったのではないか。大衆社会が〝市民社会〟へと発展し、国民一人ひとりの自発的意思に基づく世論が形成され、無党派層が政党支持層全体の半数に近い最上位を占める今日、政治情勢が極めて流動化しかつ多様化していることは周知の事実だ。このような情勢の下では、かってのような「自共対決」方針のもとに革新勢力を結集し、民主連合政府を樹立しようとする政権構想はもはや期待すべくもない。時代の流れに相応した新たな政権構想が求められる所以である。

 

 この間、共産党が従来方針から一転して「市民と野党共闘」路線に転換したのは、一つには長期にわたる党勢後退の下では「自力」による政権構想の実現が不可能になったからであり、もう一つは市民社会の成熟にともなう「市民と野党共闘」路線に新たな可能性を感じ取ったからであろう。ただ問題なのは、共産党には路線転換にともなう党内改革への認識が乏しく、それに必要な措置が何らとられなかったことだ。本来なら、これほどの大きな路線転換は党綱領や規約の改定を必要とする戦略的転換である以上、「臨時党大会」を開催するなどの措置がとられなければならなかった。しかし、そこまでの認識がなかったのか、それともその必要性を認めなかったのか、それ以降の政治方針は従来の延長線上で進められてきた。そこには、長期にわたる「自力衰退=党勢後退」についての踏み込んだ総括もなければ、変幻極まる野党共闘についての戦術的分析もなかったのである。

 

 要するに、共産党は「自共対決」路線から「市民と野党共闘」路線に舵を切ったものの、それに対応する党組織や党運営は旧来のままだったために新たな事態に対応できず、新しい路線を持続的に展開することができなかった。そうこうするうちに事態に対応できない党指導部への不信感が高まり、それが現役党員2人による「党首公選制」の提起となって表面化した。いわば、「新しい政治情勢」の下で「新しい党運営」が求められていたにもかかわらず、それが党指導部の共通認識とならなかったところに「ほころび」が生じたのである。加えて、それへの対応が当該党員の〝除名〟という最悪の形になったことで、事態はさらに紛糾することになった。

 

 「党首公選制」を主張した現役党員に対する反論は、当初、赤旗編集局次長の見解(2023年1月21日)として公表され、当該党員の言動は(1)「党の内部問題は党内で解決する」という党の規約を踏み破るもの、(2)党内に「派閥・分派はつくらない」との原則と相いれないとされ、後に志位委員長が追認する形を取った。しかしその後、メディア各紙から〝除名〟は共産党の閉鎖的体質をあらわすものとして批判され、それが「民主集中制」という組織原則そのものの権威主義的非合理性を指摘するに及んで激しい論争に発展した。

 

 朝日社説(2月8日)は「共産党員の除名、国民遠ざける異論封じ」、毎日社説(2月10日)は「共産の党員除名、時代にそぐわぬ異論封じ」との見出しで次のように論じた。

――党勢回復に向け、党首公選を訴えた党員を、なぜ除名しなければならないのか。異論を排除するつもりはなく、党への「攻撃」が許されないのだというが、納得する人がどれほどいよう。かねて指摘される党の閉鎖性を一層印象づけ、幅広い国民からの支持を遠ざけるだけだ(朝日社説)。

――組織の論理にこだわるあまり、異論を封じる閉鎖的な体質を印象付けてしまったのではないか。共産党が党首公選制の導入を訴えたジャーナリストで党員の松竹伸幸氏を除名とした。最も重い処分である。今回の振る舞いによって、旧態依然との受け止めがかえって広がった感は否めない。自由な議論ができる開かれた党に変わることができなければ、幅広い国民からの支持は得られまい(毎日社説)。

 

両紙は、党首公選制は「決定されたことを党員みんなで一致して実行する」「党内に派閥・分派はつくらない」という〝民主集中制〟の組織原則に反するという党規約の特異性についても言及している。

――共産党は、党首選は「党内に派閥・分派はつくらない」という民主集中制の組織原則と相いれないという立場だ。激しい路線論争が繰り広げられていた時代ならともかく、現時点において、他の公党が普通に行っている党首選を行うと、組織の一体性が損なわれるというのなら、かえって党の特異性を示すことにならないか(朝日社説)。

――共産は党首公選制について、決定されたことを党員みんなで一致して実行するという内部規律「民主集中制」と相いれないと説明する。機関紙「赤旗」は、複数の候補者による多数派工作が派閥や分派の活動につながると指摘した。この独自の原理には、戦前に政府から弾圧され、戦後間もない頃には党内で激しい路線闘争が繰り広げられた歴史的背景がある。だが、主要政党のうち党首公選制をとっていないのは今や、共産だけだ。松竹氏の提案は、「異論を許さない怖い政党」とのイメージを拭い去る狙いがあるという。「公然と党攻撃をおこなっている」との理由で退けて済むは問題ではないはずだ(毎日社説)。

 

 これに対する共産党の反論は、それ以降「赤旗キャンペーン」として事あるごとに打ち出され、最近では「語ろう共産党Q&A」シリーズの中でも精力的に展開されている(赤旗10月20日、要約)。

 ――「異論許さぬ閉鎖的な体質」ってホント? 共産党こそ開かれた民主的運営を貫いています。「異論を許さない」というのは事実と違います。異論があったら、党内で自由に意見を述べる権利は、すべての党員に保障されています。除名された元党員は、異論を持ったから除名されたのではありません。異論を正規のルールにしたがって党内で表明することを一度もせずに、いきなり出版という形で、党の規約や綱領に対する事実に反する批判―攻撃をしてきたために処分されたのです。

 ――志位さんの在任期間が長すぎる? 意図的に持ち込まれた議論、党全体ではね返します。他の野党に比べれば、志位委員長の在任期間が長いのは事実です。しかし、「長い」ことのどこが問題だというのでしょうか。批判する人たちは「選挙で後退した」「党勢が後退した」といいますが、日本共産党は民主的討論を通じて方針を決め、全党で実践しますから、「志位さんだけのせい」ではありません。つまりこの攻撃は日本共産党そのものに対する攻撃というべきです。

 ――なぜ、共産党はこんなにバッシングされるの? 一言でいえば、日本共産党が日本の政治を「大本から変える」ことを大方針に掲げている革命政党だからです。古い政治にしがみつく勢力にとっては、もっとも恐ろしく手ごわい相手だからこそ、激しいバッシングが起きるのです。党が躍進するたび、支配勢力は謀略的反共宣伝や右翼的政界再編で阻もうとしました。それとのたたかいで、党は鍛えられてきましたし、いまもその途上です。

 

 しかし、共産党の「異論許さぬ閉鎖的な体質」の根源となっている〝民主集中制〟という組織原則については、共産党自身がこれまでも党規約の改定という形で「表現」を変えるなど一定の努力をしてきたことに注目しなければならない。それが、不破委員長の下で行われた第22回党大会(2000年11月)の「党規約改定案についての中央委員会の報告」である。不破委員長は、第1に党の性格規定を(マルクス、エンゲルスもこの言葉を一度も使ったことがないとして)「日本の労働者階級の前衛政党」を削除して「労働者階級の党であると同時に日本国民の党」に改訂し、第2に、組織原則である「民主集中制」については、「党の決定は無条件に実行しなければならない。個人は組織に、少数は多数に、下級は上級に、全国の党組織は党大会と中央委員会にしたがわなければならない」との条項を削除して、その基本的内容を「(1)党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。(2)決定されたことは、みんなで実行にあたる。行動の統一は、国民に対する公党としての責任である。(3)すべての指導機関は、選挙によってつくられる。(4)党内に派閥・分派はつくらない。(5)意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない」との5つの柱に集約した。

 

 改定の理由は、(1)従来の「日本共産党は労働者階級の前衛政党である」との規定が、農民や中小自営業者、知識人などから「自分たちとは関係のない政党」だとみなされるため「日本国民の党」を併記する、(2)「前衛」という言葉は、党と国民との関係あるいは党とその他の団体との関係を「指導するもの」と「指導されるもの」との関係だと誤解される恐れがあるので削除する――というものである。不破委員長はその背景と意図を「日本共産党と日本社会の関係が大きく変わったことに対応したもの」であり、「日本社会の全体との対話と交流を広げる」「民主主義、独立、平和、国民生活の向上、そして日本の進歩的未来のために努力しようとするすべての人びとに党の門戸を現実に開く」「21世紀の早い時期に民主連合政府をつくるという大事業を担いうる、大きな、民主的な活力に満ちた党をきずき上げる力になる」と説明している。

 

私は改訂理由のなかでも、とりわけ「日本共産党と日本社会の関係が大きく変わったことに対応したもの」「日本社会の全体との対話と交流を広げる」という一節に注目する。このフレーズには2つの意味がある。第1は、これまで「少数政党」であった共産党が、1960~70年代の革新勢力の躍進にともなって国政に一定の影響を与える政治勢力に成長した結果、そこから新たな発展を目指すためには広く国民に受け入れられるように「党の性格」を変えなければならないとする側面である。第2は、ソ連・東欧の共産党政権の崩壊や中国共産党の天安門事件の武力弾圧などによる影響で激減した党勢を立て直すため、ソ連・中国共産党との同一名称を避け、差別化を図ろうとする側面である。このことは、党の存亡に関わる事態に直面したときは、共産党が党組織の原則である〝民主集中制〟を大胆に変えることを示している。ならば、志位委員長の就任以来、長くに亘って続いてきた構造的な党勢後退がもはや限界(存亡の危機)に達している現在、〝民主集中制〟に代わる開かれた組織原則が設けられても何ら不思議ではない。

 

 今回の党員除名問題で私がもっとも不思議に思うのは、党規約にも書かれていない「党首公選制」の提起が、なぜ「党内に派閥・分派をつくらない」という党規約に違反するのかということだ。「党首公選制」を導入すれば複数候補が並立することになり、それが「派閥・分派」の結成につながる――といった理屈は、党員や支持者はもとより一般国民が聞けば一笑に付される程度の屁理屈でしかない。複数の候補者間で党組織や党運営、政策などについて議論が交わされ、それが党外にも広がれば、むしろ共産党への理解が深まり「日本社会全体との対話と交流を広げる」ことになるからである。

 

志位委員長は、第22回党大会(2000年11月)の不破委員長の「党規約改定」に臨んだ姿勢に学び、第29回党大会(2024年1月)においては〝民主集中制〟そのものの廃棄に踏み切り、党内外の対話と交流を促進する「開かれた党規約=組織原則」を制定すべきではないか。そうでなければ、ただ党委員長ポストにしがみ付くために「党首公選制」に反対するだけの〝末期的リーダー〟の烙印を押されるだけだ。(つづく)

党中央主導の「民主集中制」は半ば崩壊している、党勢拡大大運動は「笛吹けども踊らず」で成功しない、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その6)、岸田内閣と野党共闘(71)

 小池書記局長の「緊急の訴え」(赤旗10月21日)、「オンライン全国都道府県委員長会議への問題提起」(11月4日)に引き続き、今度は志位委員長のオンライン会議での「発言」が赤旗に大々的に掲載された(11月5日)。そこでは、「第一の手紙」に引き続いてなぜ「第二の手紙」を出すのか、それをどうやって全党運動に発展させるかについて、党機関(都道府県委員会)の果たすべきイニシアティブが繰り返し強調されている。最大の理由は、党中央主導の党勢拡大大運動が「笛吹けども踊らず」といった膠着(泥沼)状態に陥り、いっこうに進展しないからだ。小池書記局長の「緊急の訴え」とオンライン会議当日の「志位委員長の発言」をみよう。

――直視すべきは、今週に入って取り組みの勢いが落ちていて、福岡県のように連日成果をあげている先進的経験が生み出されている一方、10月に入って入党ゼロの県も10県ある。読者拡大も全国的に先週とほぼ同水準で推移しており、先週も今週も9月に比べて変化がないという県も少なくない。この事態をそのままにしておくならば、党大会現勢の回復・突破は言葉だけになってしまう。とりあえず掲げているだけになってしまう。ましてや、党大会まで3カ月、9中総を受けてギアチェンジしなければならないのに、結局先月と同じような結果になりかねない(小池書記局長「緊急の訴え」)。

 ――「大運動」を7月、8月、9月と3カ月やって、前進に向けた「土台」はつくったが、飛躍はつくれていない。毎月、党員拡大に足を踏み出している支部は2割弱で、2割にいかない状態がずっと続いている。読者拡大もだいたい2割~3割の成果によって支えられている。これでは前進もなかなかで飛躍はつくれない(志位委員長「1回目の発言」)。

 ――10月に1人も党員を迎えていない地区委員会は、全国で84あります。内田(福岡)県委員長は「譲らないときは絶対に譲らない」という決意で頑張っていると言っていましたが、この姿勢が大事だと思います。「譲らないときは絶対に譲らない」、いろいろな困難や消極的な意見が出されたときに丁寧にそれを返しながら、確固として推進する思想的に強い党をつくっていく。反共攻撃に断固として立ち向かうことはもとよりですが、党建設という一番困難な課題を推進していくうえで、一切の消極論、さまざまな惰性を吹っ切って本当の意味で強い党をつくっていく。その中心に県委員長のみなさんがなっていただきたいと思います(志位委員長「2回目の発言」)。

 

 この「訴え」と「発言」から見えてくる光景は、今年1月から始められた党勢拡大大運動が1万7000支部・グループの2~3割にしか浸透せず、第29回党大会を2カ月余に控えた10月においても47都道府県のうち10県(2割)が「入党ゼロ」、全国311地区委員会のうち84地区委員会(3割弱)が「入党ゼロ」という、荒涼たる風景が広がっているというものである。要するに、党中央がどれだけ必死になって訴えても(締め付けても)、全国支部の7~8割は「笛吹けども踊らず」という状態でダンマリを決め、それを指導する県委員会や地区委員会の2~3割が動かない状態にあるということだ。このことは、共産党の組織原則であり行動原理である「民主集中制」が半ば崩壊していることを示すものではないか。

 

 ところが、志位委員長はこう「決意」を述べる。

 ――党組織の後退が長期にわたって続いてきた。これをいかにして前進に転じるか。みんなで考え出した結論が、支部の自発的なエネルギーに依拠しようということでした。一切の惰性を吹っ切るのだといって始めた運動が「手紙」と「返事」のとりくみです。この運動こそが本当に強い党をつくる唯一の道なんだということに思いを定めて出したのが、7中総の「第一の手紙」であり、9中総の「第二の手紙」なのです。この方針にとことん依拠して党大会までの2カ月間、頑張りぬきたい(「2回目の発言」)。

 

 志位発言の趣旨は、「第一の手紙」で前進に向けた「土台」をつくったが、「第二の手紙」で「飛躍」させたいというものだ。しかし、前回の拙ブログでも指摘したように、「第一の手紙」が提起された今年1月から「第二の手紙」の10月までの党勢の推移を見ると、党員数(入党者数-死亡者数-離党者数)は実質的にマイナスとなり、赤旗読者数も5万人近く減っている。「土台」は依然として崩れたままであり、「飛躍」出来るような状態ではさらさらないのである。

 

 そこで志位委員長が持ち出すのが、「中央と地方が心一つに『第二の手紙』のとりくみを徹底してやり抜く」という方針である。私が注目するのは、この発言のなかに「中央」という言葉が11回も出てくることだ。「中央として推進」「中央のキャンペーン」「中央としてニュースをどんどん出していきたい」「全国の経験を中央に送ってほしい」「中央としてみなさんに返す」「中央と地方のみなさんが力を合わせてやり抜きたい」「一切の惰性を中央から一掃する決意」「中央も反省」などなど、まるで自分が「党中央の化身」であり、中国共産党で言えば「習近平=党の核心」であるかのように振舞っているのである。

 

 しかし、日本の政党組織をみると、志位委員長が連呼する「中央」という名称を使っているのは共産党ぐらいのもので、それ以外ではほとんど見られない。志位委員長がこれだけ「中央」の威光をかざすのは、「民主集中制」に基づく上意下達の党運営が「中央」という名称の裏付けになっていたからであり、今もなお有効だと信じているからであろう。この点で最も有名なのは中国共産党組織で、そこには「中央委員会」「中央軍事委員会」「中央委員会総書記」「中央政治局常務委員会」「中央政治局」「中央書記処」などなど「中央」がオンパレードで並んである。中国は共産党が全ての権力を一手に掌握している専制主義国家であり、それを象徴するのが「中央」という名称だ。国家権力と政党組織が「中央」という名のもとに統合され、比類のない中央集権国家が出来上がっている。中国を覇権主義国家として批判している日本共産党が、こと党組織に関しては中国と同じ「中央」という名称を重用しているのは、案外その体質が共通しているからなのかもしれない。

 

 また「中央と地方」という表現も、わが国では国と地方が「上下・主従関係」にあったことを反映する言葉だ。本来、対等協力の関係に置かれるべき国と地方が、機関委任事務制度と補助金の仕組みを通じて「上下・主従関係」に置かれ、上級機関としても国家が下級機関としての地方公共団体(都道府県、市町村)を支配してきたのである。共産党の組織もこれと同じく「中央→都道府県委員会→地区委員会→支部」というピラミッド型で構成され、「民主集中制」に基づく指揮命令系統が隅々にまで行き渡るシステムとして機能してきた。

 

 志位委員長は、長期にわたって続いてきた党組織の後退を前進に転じるためには、〝支部の自発的なエネルギー〟に依拠するしかないと表明している。だとすれば、全国支部を起点とする「なぜ党組織は長期にわたって後退を続けてきたのか」という議論からまず始めるというのが筋というものだ。ところが、口先では「支部の自発的エネルギー」に依拠すると言いながら、実際には「中央」という言葉を連呼して「譲らないときは絶対に譲らない」「一切の消極論、さまざまな惰性を吹っ切って本当の意味で強い党をつくっていく」「その中心に県委員長のみなさんがなっていただきたい」と上からの指示の必要性を強調するのである。いわば「建前」と「本音」を巧妙に使い分け、党員や支持者には「建前」を語り、党機関には「本音」で指示を出してその実行を迫っているのである。

 

 だが、今ではもはや岸田首相の言葉を国民の誰もが信じないように、志位委員長の言葉を真に受ける党員や支持者はほとんどいないだろう。全国支部の2~3割しか党勢拡大大運動に参加していないことは、7~8割という圧倒的多数の支部が方針を支持していないことを意味する。「民主集中制」という上意下達システムは半ば崩壊しているのであり、志位委員長が「壊れたマイク」の前でいくら声を張り上げても、もはやその声は届かなくなっているのである。

 

聞くところによれば、志位委員長は第29回党大会を前にして「130%の党づくり」の失敗をもはや言いつくろうことができず、委員長ポストから退かざるを得ない状態に追い込まれているという。ところが、きれいさっぱりと政界から身を引くのではなく、(これも噂にすぎないが)委員長ポストを退く代わりに、空席の「議長」に居座ることを考えているとも言われる。こうなると、今の党内事情からして「志位院政」が敷かれることは目に見えていて、これからも従来からの悪弊が続くことになる。「立つ鳥跡を濁さず」という美しい言葉があるが、志位委員長にはせめてもこの言葉の如く「有終の美」を発揮してほしい。(つづく)

人口減少時代における「持続可能型モデル」の必要条件、「民主集中制」(党規約)の廃棄と党首公選制の実現が求められる、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その5)、岸田内閣と野党共闘(70)

本論に入る前に、党勢拡大大運動の直近の進捗状況をみよう。赤旗(11月3、4日)によれば、小池書記局長は全国都道府県委員長会議(オンライン)で10月の党勢拡大の到達点について「党員拡大は680人、機関紙拡大では日刊紙(電子版含む)は前進、日曜版は123人の後退」と報告した。ちなみに、今年1月から9月までの拡大運動の成果(赤旗で各月3,4日掲載)はすべて実数で報告されてきたが、今回は日刊紙だけがなぜか「前進」というあいまいな表現になっている。実数を公表できない裏に何があるのかわからないが、統計数字に基づかない分析などあり得ない以上、今回の報告はそれだけで「失格」というべきだろう。

 

これらのことを前提に、今年1月から10月までの拡大成果を合計すると、入党4364人、日刊紙(電子版含む)7582人減+「前進分」、日曜版4万1049人減となる。10ヶ月を通してみれば、日刊紙は増紙3カ月と減紙7か月、日曜版は増紙2カ月と減紙8ヶ月となって、その後退傾向は覆うべくもない。以下は、各月の結果である。

・1月、入党391人、日刊紙339人減、日曜版208人減、電子版86人増

・2月、入党470人、日刊紙203人増、日曜版2369人増、電子版2人減

・3月、入党342人、日刊紙1197人減、日曜版8206人減、電子版26人増

・4月、入党146人、日刊紙4548人減、日曜版2万3104人減、電子版8人減

・5月、入党230人、日刊紙945人減、日曜版7048人減、電子版11人増

・6月、入党234人、日刊紙628人減、日曜版3930人減、電子版60人増

・7月、入党641人、日刊紙約40人増、日曜版247人増、電子版約20人増

・8月、入党621人、日刊紙247人減、日曜版448人減、電子版18人増

・9月、入党609人、日刊紙170人減、日曜版598人減、電子版37人増

・10月、入党680人、日刊紙・電子版「前進」、日曜版123人減

 

すでにこうなることを予測していたのか、小池書記局長は10月20日、「緊急の訴え」(赤旗10月21日)で次のように述べている(要約)。

 ――昨日までの党勢拡大の現状は、9月同日に比べて入党申し込み者113%、日刊紙112%、日曜版121%。「130%の党」への「第1ハードル=党大会現勢の回復・突破」のためには、このテンポを5倍、10倍に引き上げることが必要。直視すべきは、今週に入って取り組みの勢いが落ちていて、福岡県のように連日成果をあげている先進的経験が生み出されている一方、10月に入って入党ゼロの県も10県ある。読者拡大も全国的に先週とほぼ同水準で推移しており、先週も今週も9月に比べて変化がないという県も少なくない。

 ――この事態をそのままにしておくならば、党大会現勢の回復・突破は言葉だけになってしまう。とりあえず掲げているだけになってしまう。ましてや、党大会まで3カ月、9中総を受けてギアチェンジしなければならないのに、結局先月と同じような結果になりかねない。

 

党勢拡大報告で注意すべきは、赤旗読者数は増減数が示されているが、党員数は入党者数のみで死亡者数と離党者数がわからないことだ。ただし、2000年代から党大会ごとに死亡者数が公表されるようになり、第22回党大会(2000年11月)から第25回党大会(2010年1月)までの9年2カ月間の死亡者数は3万3532人、第25回党大会から第28回党大会(2020年1月)までの10年間は4万5539人である。ここから年平均死亡者数を割り出すと、2000年代は3657人、2010年代は4554人となる。党員数の減少にもかかわらず死亡者数が着実に増えているのは、高齢者比率の上昇によるものであり、2020年代の年平均死亡者数が5000人を超えることはまず間違いないだろう。

 

一方、離党者数については一切公表されていないので推測するほかないが、志位委員長の幹部会報告(赤旗2022年8月2日、23年1月6日)によれば、2023年1月の党員現勢は約26万人で、2020年1月の27万人余から3年間で1万人余減少したことになっている。この間の新入党者は1万1364人なので、差引すると死亡者数・離党者数は2万2千人余(年平均7600人余)と推定され、年平均死亡者数を5000人とすれば離党者数は年平均2600人程度になる。

 

 要するにここで言いたいことは、党勢拡大報告における入党者だけの公表は一種の「大本営発表」(戦況を正確に報道せず、「勝った」「勝った」の数字ばかりを並べた旧日本陸軍の宣伝活動)のようなもので、赤旗だけを読んでいると如何にも党員数が増えているような錯覚に陥るが、死亡者数と離党者数という「背後の数字」と読み合わせると、今年の入党者数が後2カ月の奮闘で6000人台に到達したとしても、党員数は2000人台の減少になることは免れない。

 

随分前置きが長くなってしまったが、本論に入りたい。さすがの赤旗も「𠮟咤激励」ばかりでは効果が出ないとでも考えたのか、「緊急の訴え」から2日後の赤旗(10月23日)には、「食べて歌って語ったJCBサポーターまつり」の特大記事が掲載された。1面トップの見出しは〝楽しく政治を変えたい〟というもの。紙面の随所に「対話」「問いかけ」「トーク」「若者を引き付ける発信」など見出しが溢れ、小池書記局長や田村副委員長がハッピを着て盆踊りの輪に加わる姿や、志位委員長が蝶ネクタイのバーテンダー姿でカクテルをつくる写真なども大きく出ている。この間、党勢拡大大運動を推進するには「鬼気迫る提起」や「革命政党の気概」が必要だとして、赤旗はまるで戦時体制下を思わせるような檄文で紙面を埋め尽くされていた。ところがこの日は紙面がガラリと変わり、「食べて歌って楽しく政治を語る」場となったのである。連日の党勢拡大運動に追われてきた赤旗読者は、いったいどのような気持ちでこの特大記事を受け止めたのだろうか。

 

 先日、久しぶりに集まった関西の口喧しいオールドリベラリストたちの間でも、蝶ネクタイ姿の志位委員長の姿をどう見るかで議論が大いに盛り上がった。「志位嫌い」を自認する某は、「あれは単なる人気取りのパフォーマンスだ。見苦しいと思わないか!」と一言の下に切って捨てたが、別の1人は「それでも彼は苦労している。そうでもしないと人が集らないからだよ」と案外同情的だった。議論はこの2人の間でとめどもなく行き来したが、ふだん見慣れない雰囲気がわれわれ(シニア世代)に複雑な気持ちを抱かせたことは間違いない。「なんだかすっきりしない」「こんなことをこれからもやるんだろうか」などなど、帰り際に図らずも交わした言葉がいみじくもそのことを物語っていた。

 

 「衣の下の鎧(よろい)」という言葉がある。戦いを前にすでに鎧で身を固めながら、その上に衣をまとって普段と変わらない平静さを装うという「演出=パフォーマンス」を意味する言葉だ。私はその場では口に出さなかったが、彼らの議論を聞きながらあれこれとこの言葉の意味を考えていた。なぜなら、志位委員長らが党内では「鎧姿」の党勢拡大一本やりの厳しい姿勢で臨みながら、党外のサポーターの前では蝶ネクタイのバーテンダーというソフトな「衣姿」で登場しなければならない状況に、いまの共産党が直面している深刻な矛盾(裏と表を使い分けなければならない党内と党外のズレ)があらわれていると感じていたからである。

 

 もう少し詳しく説明しよう。志位委員長を取り巻く目下の厳しい状況は、党勢拡大を基調とする「成長型モデル」がもうとっくの昔に破綻しているというのに、その現実を直視すれば政治方針上の誤りを認めることになり、自分への責任追及はもとより延いては「民主集中制」に基づく党体制の瓦解へ波及する恐れがあるため、党内ではハードな「鎧姿」でいつも通りの方針を繰り返さざるを得ない――というものである。といって、「鎧姿」では党外のサポーターにアピールするはずもないので、蝶ネクタイのバーテンダーという「衣姿」を装って変身し、「対話」や「問いかけ」をするというソフトな演出をすることになったのだろう。つまり、現在の世の中の流れに合わせようとすれば、対話や問いかけを通して市民に働きかけるほかなく、赤旗で連日強調しているような「鬼気迫る提起」や「革命政党の気概」はもはや通用しなくなっていることが明らかなのである。

 

 こんな党内と党外の「ズレ」を放置したままでは、それが「大きな壁」となり「高いハードル」となって党勢拡大運動が難渋することは目に見えている。その所為か、最近では2カ月後の次期党大会を目前にして、これまで掲げてきた「(前大会比)130%の党づくり」の目標がいつの間にか「130%の党への第一ハードル=党大会現勢への回復・突破」に切り下げられ、新たな大号令が発せられるようになった。しかし、それとても容易でなくなってきている現状の下では、「3割増の党勢拡大」の目標が「1割減の党勢後退」の実績に終わる可能性が極めて大きい。これを次期党大会でどう総括するかは目下のところ不明だが、もしもいつもの調子で「政治方針は正しかったが、党内のやる気が足りなかった」との説明で切り抜けるようなことがあれば、党内は乗り切れても党外からは「もう終わり」と切り捨てられることが確実だろう。

 

これは「イフ?」の話であるが、党内外を通して「志位体制支持率」の世論調査が行われれば、おそらくその支持率は岸田内閣の支持率と同じく(地を這うような)史上最低の水準にあることが判明するに違いない。この意味で〝党首公選制〟は政党党首の適格性を判断するための不可欠のシステムであり、これなくしては独裁体制の恒常化を防ぐことができない。また、党首公選制を実現するには「民主集中制」を組織原則とする党規約の刷新(廃棄)が前提となる。戦時共産主義体制下の軍事命令を根源とする「民主集中制」が(文面を少し変えただけで)いまなお共産党の組織原則・行動原理として機能していることには驚くほかないが、それをあれこれの理由を挙げて維持しようとする権威主義的体質にはさらにのけぞるというものだ。窺った見方をすれば、志位委員長が党首公選制を(あくまでも)忌避するのは、それが自らの(低)評価につながり、退陣に結びつくことを恐れているからではないか――とも言える。

 

「持続可能型モデル」とはどんなものか。一口で言えば、赤旗がJCBサポーターまつりで掲げた〝楽しく政治を変えたい〟ということを本気で目指す政党づくりのことだと考えてよい。言い換えれば、「成長型モデル=党勢拡大一本やり」という鎧を脱ぎ捨てて平服に「衣替え」することであり、党内外のズレをなくすことである。広範な国民が自公政権(岸田内閣)に心底愛想を尽かしている現在、また「自民崩れ」の民主党政権への一時的な宿替えが幻想に終わったことを国民が実感している現在、市民と野党共闘のなかで掲げた政策の愚直な実行を通して政治改革を持続的に追求することであり、市民と野党共闘が将来の〝変革〟につながることを確信し、ブレずに改革姿勢を貫くことである。

 

そのためには、何よりも共産党が国民の信頼に足る「言行一致」の政党であることを示すことが求められる。共産党への批判を「反共攻撃」とみなし、「党勢拡大こそ反共攻撃に対する最大の回答」などと党員や支持者を駆り立てることは、結果として党員や支持者の「視野狭窄」の弊害を招き、共産党の閉鎖的で偏狭的なイメージを一層拡大することになり、「赤く小さく固まる」孤立主義に陥ることにしかならない。そのためにも、党の権威主義的体質を抜本的に刷新し、党規約を改正して「民主集中制」を廃棄し、党首公選制を実施して、党内外のズレをなくさなければならないだろう。(つづく)

少子高齢化・人口減少が一段と加速し、新聞購読数が激減している中で、〝党勢拡大〟を追求する矛盾、「成長型モデル」から「持続可能型モデル」への転換が必要、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その4)、岸田内閣と野党共闘(69)

 かねがね思うことだが、共産党は政治の動きには素早い反応を示すが、社会の動向や時代の流れに関しては恐ろしいほど鈍感だ。目下、党の命運がかかっているとして連日ハッパをかけている〝党勢拡大大運動〟にしても、その視野は党周辺の狭い「拡大対象者」に限られていて、日本全体が直面している少子高齢化や人口減少の動きにはほとんど目を向けていない。少子高齢化の急速な進行が党勢拡大にいったいどれほど大きな(否定的)影響を与えているのか、これまで通り党勢拡大を続けていっても果たして成果が得られるのか、党勢拡大運動が若者層に忌避されてブレーキになっていないのか、などなど――、誰もが抱く疑問や問題意識が(党勢拡大一本やりの)赤旗の紙面からはいっこうに伝わってこないのである。

 

 日本人口の少子高齢化と減少はいま、世界でも類を見ないほどの規模と速さで進行している。とりわけ共産党が「世代的継承」の不可欠な拡大対象としている若者層の動向を「18歳人口」の推移で見ると、第2次ベビーブーマー(団塊ジュニア世代)が18歳になった1992年に205万人のピークに達して以来、その後は30年間にわたって直線的に減少し、2021年には114万人に半減している(総理府統計局)。さらに、国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が今年4月26日、2020年国調に基づき公表した「日本の将来人口(2023年推計)」によると、日本の総人口は50年後には現在の7割に減少し、2022年に80万人を下回った出生数は、2043年に70万人割れ、2052年に60万人割れと減少を続け、2070年には50万人に落ち込むとされている。つまり、2022年に生まれた子どもが18歳になる2040年には、現在の114万人がさらに80万人(7割)に減少するのである。

 

共産党の党勢の推移をたどると、1960年代と70年代は大衆的前衛党の建設が進んだ「躍進」の時代であり、党員数は60年代初頭の8万8千人、70年代初頭の28万人、80年代初頭の48万人(ピーク)と急増した。しかし、80年代は現勢を維持したものの、90年代に入ると「停滞」が目立つようになり、それ以降は2000年初頭に40万人割れ、2010年初頭に35万人割れ、2020年初頭に30万人割れと「後退」一途に転じている。これまでの党史によれば、党勢は偏(ひとえ)に〝政治対決の弁証法〟に規定される政治現象であって、党勢の消長はすべて党活動の結果を反映するものとされてきた。言い換えれば、党活動の奮闘如何によって党勢が決まる(決められる)との判断の下で、政治闘争に打ち勝つためには党勢を拡大しなければならないとする原則が生まれ、党勢拡大運動が常態化することになったのである。

 

しかしこのような党勢拡大を基調とする「成長型モデル」は、人口増加時代には通用したとしても、人口減少時代にそのまま適用できるとは(とても)考えられない。とりわけ人口が激減すると予想される今後の状況下では、やみくもな党勢拡大運動は却って高齢党員の疲弊や中堅党員の離反を招き、逆効果になることすら予想される(すでにその兆候は濃厚にあらわれている)。大局的にみれば、これまでもっぱら党活動の成果と見なされてきた党勢拡大も、その動きは基本的に日本人口の動向に規定されているのであって、それを無視した(時代の流れに逆らう)方針は持続性を持ち得ないのである。

 

それでは、日本人口は如何なる様相を示しているのだろうか。1960年代から70年代にかけての人口推移を見ると、60年代前半から70年代後半までは毎年100万人を超える人口増加が恒常的に続き、年少人口(0~14歳)比率は総人口の20数%を維持し、老年人口(65歳以上)比率は10%未満にとどまるという「人口ボーナス期」(生産年齢人口が従属人口をはるかに上回る状態、社会保障負担が少なく経済振興資源が豊富)が続いていた。その後、80年代から90年代にかけて人口増加数が50万人を割るようになると、年少人口比率は20%を割って10%台に落ち込み、老年人口比率が10%を超えて20%近くに急増するなど、「人口オーナス(重荷)期」(生産年齢人口と従属人口の差が縮小し、社会保障負担が急増して財政硬直化が進む)の兆候があらわれるようになった。そして2000年代にはもはや人口増加の勢いはまったく影をひそめ、2010年代からは本格的(不可逆的な)人口減少が始まったのである。

 

これを共産党の党員数の推移と重ね合わせると、60年代と70年代の「躍進期」は「人口ボーナス期」に相当し、90年代からの「停滞期」は「人口オーナス期」とほぼ重なり、2000年代からの「後退期」は日本人口の減少と軌を一にするようになったと言える。党指導部が「政治方針は正しいからやれる!」「自民党の悪政下で党勢拡大の条件は広がっている!」「やる気を起こせば党勢拡大は可能だ、やらなければならない!」といくら叱咤激励しても党員数の減少が止まらないのは、この〝地殻変動〟ともいうべき人口減少の動きに対して党勢拡大運動が到底抗しきれないからである。

 

 また、党員数の減少とともに赤旗読者数も大きく減少している。赤旗読者数が党員減少をはるかに上回る速度で減少しているのは、新聞業界が現在直面している急激な部数減少傾向と大きく関係している。IT革命や所得低下の影響で一般紙を購読しなくなった世帯が、赤旗だけを特別扱いして購読するとはあまり考えられないからである。「日刊紙」はともかく「日曜版」が廉価ということで爆発的に増加した時期がかってあったが、現在の高齢世帯や低所得世帯ではそれとても難しくなっている。それが、現実なのである。

 

日本新聞協会資料による年間発行部数の推移は、1960年2440万部、70年3630万部、80年4640万部、90年5190万部と30年間で2倍以上の成長を遂げ、1997年の5376万部がピークだった。その後2000年代初頭までは5300万部台を維持したが、2000年代半ばから減少傾向があらわになり、2010年に5000万部割れ(4932万部)、2018年に4000万部割れ(3990万部)、2023年に3000万部割れ寸前(3085万部)となって減少が止まらなくなった。1960年から2000年までの40年間で2900万部(年平均73万部)増加したが、それ以降の23年間は2300万部(年平均100万部)近い減少となり、今後はますます減少傾向が加速するのではないかと懸念されている。

 

21世紀に入ってから僅か四半世紀足らずの間に新聞発行部数が半分近くにまで激減した背景には、IT革命による若年世帯の急激な「新聞離れ」に加えて、高齢単身世帯の急増にともなう「非購読世帯」の広がりが大きく影響している。その結果、これまで世帯ごとに購読していた新聞数が大きく減り、1世帯当たりの部数は21世紀に入って1部を割り、2022年には0.53部(半数近く)にまで落ち込んでいる。実に全世帯の半分が「非購読世帯」となり、拙宅の周辺でも若い人たちの家庭では(全部と言っていいほど)新聞を購読していない。

 

赤旗読者数の推移を党員数と同じく追ってみると、60年代初頭の10万人からスタートして、70年代初頭に180万人、80年代初頭に355万人と「躍進期」には飛躍的な増加を記録している。この数字は、日刊紙だけではなく日曜版も含んでいるので一般紙との正確な比較はできないが、当時は一般紙だけでなく赤旗も急成長していたことは間違いない。80年代冒頭の第15回党大会において不破書記局長は、「第14回大会決定は『百万の党』の建設を展望しつつ、当面『五十万の党、四百万の読者』の実現という課題を提起した」「80年代には、わが党が戦後、党の再建以来目標としてきた『百万の党』の建設を必ずやりとげなければなりません」「『百万の党』とは決して手の届かない、遠い目標ではありません。日本の人口は1億1千万、『百万の党』といえば、人口比で1%弱の党員であります。私たちは、大都市はもちろん遅れたといわれる農村でも、少なくとも人口の1%を超える党組織をもち、こうして全国に『百万の党』をつくりあげることは、必ずできる目標だということに深い確信をもつわけであります」と豪語していたのである。

 

しかしこの頃が党勢の絶頂期で、80年代は300万人台の赤旗読者を維持したものの、90年代に入ると300万人を割り、2000年代には200万人割れ、2010年代には150万人割れ、2020年代には100万人割れと雪崩(ながれ)のように「後退」傾向が止まらなくなった。一般紙の発行部数のピークは1990年代後半だったが、赤旗読者数はそれよりも10数年も早く頭打ちとなり、ピーク時からの減り方も一般紙の4割(▲42%)に比べて7割(▲72%)と倍近く大きい。おそらくその背景には、一般的な「新聞離れ」の傾向に加えて「政党離れ」が働いているのではないか――、というのが私の推測である。時代の変化につれて、「国民政党」だといいながら党勢拡大を連呼する赤旗への違和感が大きくなり、共産党の権威主義的体質への忌避感も相まって赤旗読者数が激減しているのであろう。

 

党勢拡大運動一本やりの「成長型モデル」の時代は終わった。少子高齢化が加速し、人口が不可逆的に激減していく時代においては、それに柔軟に対応できる「持続可能型モデル」への転換が求められる。次回はその内容について書くことにしよう。(つづく)