日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2026年8月号の巻頭論文に、緒方靖夫副委員長(国際委員会責任者、78歳)の「日本共産党の社会変革の路線――理論と実践に関する若干の経験と考察――」(緒方論文という)が掲載されている。緒方論文は、フランス共産党政治行動誌『コーズ・コミューン(共同の大義)』編集部の要請に応じて執筆されたもので、各国(幾つかの)共産党・左翼党の路線を紹介する特集の一環として、同誌の「社会主義?議論の中の共産主義の展望」と題する特集号に掲載された。
緒方副委員長はまた7月7日、フランス東部ストラスブールの欧州議会で開かれた欧州左翼会派総会に招かれ、同じ論点から日本共産党の歴史や政治方針を紹介した上で、欧州左翼会派や欧州左翼同盟の代表らと会談している(赤旗、7月11日)。これら一連の行動は、志位議長の北米訪問に引き続く欧米左翼進歩勢力との連携を深める国際活動の一環であり、ソ連共産党や中国共産党との関係が深かった日本共産党の「負のイメージ」を払拭するための新たな活動と位置付けられているのであろう。
今回の拙ブログは、まず緒方論文の主旨と構成に関する疑問を述べ、次に後房雄名大名誉教授(政治学)の著書を紹介する形で、日本共産党の40年にわたる党勢後退の原因と背景について考えてみたい。なお、拙ブログは長文にわたるため、上下2回に分けて掲載することをお許しいただきたい。
日本共産党の社会変革の「理論と実践」に関する緒方論文は、綱領の「民主主義革命」と「社会主義的変革」を中心に構成され、その要点が解説されている。以下は、その中から抜粋した幾つかの箇所の要旨である。
(1)党活動の核心は国民との対話であり、身近な要求に応えることである。
(2)国民の持っている身近な要求は民主主義的な諸課題であり、「資本主義の枠内で可能な民主的改革」は国民的共感を得やすい。
(3)国民は、日本の国力低下のもとで「資本主義の限界」に気付いており、党の政策にそれほどの異論を持っていない。しかし、旧ソ連、中国の否定的影響から社会主義への疑問が多く、党への支持を阻んでいる大きな要因となっている。
(4)綱領は、資本主義時代の価値ある成果をすべて受け継ぎ、市民の思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由を保障している。革命のどの段階でも社会の多数の人びとの納得と支持を基礎にすることが根本方針であり、国民への誓約である。
(5)社会主義・共産主義の社会への過渡期は長期にわたる過程となり、全ての段階で国民の合意を前提とする。社会主義的変革は、①国民の合意のもと、一歩一歩段階的に発展させる、②多数者革命の見地から、どの段階でも選挙で示された国民多数の意思にもとづく、③単独で社会変革を進めるのではなく、統一戦線の結集により各界各層の利益を尊重しつつ、思想・信条の違いを越えて一致点で社会変革を進める。
(6)米国だけでなく欧州においても、資本主義は永遠でなく乗り越えられると認識されており、資本主義に代わる新しいシステムが展望されている。日本共産党が欧米左翼進歩勢力との関係を重視するのは、共通した課題について互いに学び合えるからである。
緒方論文を読んで不思議に思うのは、当該論文はいわば綱領の「理論的考察」ともいうべきものであって、規約に基づく党組織や党活動の「実践的経験」にはほとんど触れていないことである。理論と実践は表裏一体のものである以上、理論だけを取り上げて実践経験に触れないのは副題の趣旨にも反するし、タテマエと実態が異なることにもなりかねない。唯一の実践例として取り上げられているのは、ソ連共産党と中国共産党による干渉を受けて党が分裂し、分裂を克服する過程で自主独立路線を確立した経験である。この実践経験から「党内に派閥・分派はつくらない」「党の内部問題は党内で解決する」ことが鉄則となり、「党内民主主義」の重要性が確認されたとしている。
周知の如く、統一を回復してからの党勢は、1960年代から80年代初頭にかけての20年間で党員は9万人から48万人へ、赤旗読者は34万人から355万人へと大きく躍進した。しかし、それ以降の40年間は逆に後退の一途を辿り、2026年現在、党員は24万人、赤旗読者は77万人にまで落ち込んでいる。緒方論文が「理論と実践に関する経験と考察」を語るのであれば、日本共産党が国民の共感を得やすい「民主主義革命=資本主義の枠内で可能な民主的改革」を掲げ、社会主義的変革は「資本主義時代の価値ある成果をすべて受け継ぎ、市民の思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由を保障し、革命のどの段階でも社会の多数の人びとの納得と支持を基礎にする」と国民に誓約しているにもかかわらず、なぜかくも党勢が後退し続けるのか、その経験を語らなければならない。党勢後退の「外部要因」として旧ソ連、中国の否定的影響を強調するだけでなく、「内部要因」である党組織や党活動の問題点を実践経験に即して明らかにしなければならない。そうでなければ、論文が完結しないからである。
後房雄名大名誉教授(政治学)の注目すべき著書に、『日・伊共産党の「民主集中制」格闘史――「分派の禁止」のもとで党内民主主義は可能か』(かもがわ出版、2025年)がある。膨大な内容なので、序章「党内民主主義と党内グループ」と「あとがき」から骨子を要約しよう。
【序章】
(1)共産党の「原型」は、①暴力革命による既存国家の打倒とソビエト型国家の創設という革命思想、②民主集中制という党の組織原則、③社会主義の祖国としてのソ連を防衛し、ソ連共産党の指導のもとに団結するというプロレタリア国際主義、④無謬の理論的基礎としてのマルクス・レーニン主義、の4点を主要な特徴とする。
(2)1919年3月創立のコミンテルン(共産主義インタナショナル)の支部として、その後数年間に創立された各国共産党は、分派の禁止を核心とする「民主主義的中央集権制」(民主集中制という)を絶対的な組織原則として創立されたゆえに、その枠内でいかに党内民主主義を実質化するかについて、深刻な模索と格闘を続けなければならなかった。
(3)1943年5月のコミンテルン解散を経て第二次大戦後は、ソ連共産党から一定の自律性を獲得した資本主義諸国の共産党は、自由民主主義の価値と制度を尊重しながら革命を目指す路線に徐々に転換していった。内部が民主主義的でない政党が主導して建設する社会主義が民主主義的になる、というのは説得力がないからである。
(4)特に、1956年2月のソ連共産党第20回大会において、フルシチョフ書記長がスターリンによる大量殺人を含む独裁的なソ連国家の実態の一部を暴露したことで、各国共産党としても既存社会主義国家の深刻な問題、そうした問題を生み出したスターリンの独裁、それを許した共産党のあり方(特に党内民主主義の欠如)などから目を背けることができなくなった。
(5)自由民主主義社会の共産党の歴史は、共産党という独特の政党のアイデンティティの一部であり、党の統一と団結の保障とされていた民主集中制を維持しようとする力と、党内民主主義を実質化しようとする力との葛藤、せめぎ合いの歴史として捉えることができる。党指導部が最も恐れたのは、党内に分派が形成されてしまうと、党の団結が破壊され、革命を遂行する力が失われてしまうということである。それゆえ、党内民主主義を実質化させることは重要であっても、分派の形成に至らない範囲で行うことが必須となった。
(6)民主主義の通常の理解では、国家においても政党においても最高指導者を選挙によって選び、交代させる可能性がその核心である。その選挙が実質的なものになるためには、それぞれのリーダーとその立場を支持する複数のグループが存在し、それらが思想・信条の自由、表現・出版の自由、集会・結社の自由などが保障され、対等な条件で競争できることが不可欠である。
(7)こうした二律背反のなかで、各国すべての共産党はあくまでも民主集中制(分派の禁止)の範囲内で党内民主主義を実質化させるという形で、民主集中制を優先させる選択を行ってきた。問題は、分派を禁止しながら党内民主主義を実質化することが一定限度以上は不可能だということである。実際、党首選挙において、複数の候補者の実質的競争を経て党首を選出した共産党は存在しない。基本的には、前指導者ないし指導部が事実上指名した唯一の候補者がほぼ満場一致で信任させるのが慣例であった。
(8)各国共産党が「原型」から自由民主主義社会(先進資本主義社会)へ適応していく過程は、①議会制民主主義の枠内での平和的な革命構想、②党内民主主義の実質化、③ソ連型社会主義への批判、ソ連共産党からの自律化、④マルクス・レーニン主義、さらにはマルクス主義の相対化、を伴っていた。
(9)イタリア共産党、フランス共産党、日本共産党のこれら4点における変容の到達点を比較すると、①イタリア共産党は、1989年に規約から民主集中制を削除、党内グループを容認し、1991年に社会民主主義政党(左翼民主党)へ転換した。現在は、民主党として中道左派勢力の中軸政党の地位を確立している。②フランス共産党は、党内民主主義の実質化とソ連共産党からの自律化が遅れ、1994年に民主集中制規約から削除し、現在では党内グループを公認しているものの、得票率3パーセント前後の少数勢力に低迷している。③日本共産党は、フランス共産党と同程度の変容を示しているが、民主集中制についてはフランス共産党以上の固執を続けてきたが、日本社会党の事実上の壊滅もあって6.2パーセントの得票率(2024年10月総選挙)を維持している(筆者註、2026年2月総選挙は得票率4.4パーセントに縮小した)。
(つづく)。