泉健太政調会長の〝野党候補一本化〟は「地域事情による=京都を除く」のダブルスタンダード(二枚舌)で成り立っている、泉氏はその理由を立憲支持者に説明しなければならない、岸田内閣と野党共闘(その6)

 立憲民主党代表選挙が本格化してきた。自民党総裁選挙の二番煎じの感があるが、それでもマスメディアで大きく取り上げられ、NHKテレビの日曜討論会にも出演するようになると、候補者一人ひとりの発言はそれなりの重みをもつようになる。一方、共産党の方は、機関紙で「志位委員長の発言を広げよう」「常幹声明を討議・具体化し、公約実現と大きな党づくりに踏み出そう」と連日呼びかけているが、こちらの方はいっこうにニュースにならない。マスメディアが取り上げるような新味ある材料が見つからないからだろう。

 

 代表選が告示された11月19日、逢坂誠二、小川淳也、泉健太、西村智奈美の4候補は党本部で記者会見し、政策や党改革の抱負を語った。その中で野党間の選挙協力に関しては、逢坂氏は「地域事情に配慮しながらできる限り(与党と)1対1の構図を作る」、小川氏は「野党は一本化する努力が必要だ」、泉氏は「(参院選の)1人区では一本化を目指していくことを明確にしたい」、西村氏は「(選挙協力は)自公政権の議席を一つでも減らしていくためには必要不可欠だ」とそれぞれ言明した。いずれも「野党共闘」は基本的に継続するとのことである(日経11月20日)。

 

 一方、共産党との選挙協力に関しては、各候補とも明確な方針を示さなかった。政権奪取時に共産が「限定的な閣外からの協力」をするという合意に関しては、泉氏は「連立や閣外協力という言葉が先走ったことを真摯に反省すべきだ」と合意の見直しを示唆したのに対して、逢坂、西村、小川3氏は合意への姿勢を明確にしていない(毎日11月20日)。

 

 私は、泉氏が「野党候補一本化」を言明したことに驚いた。これまでも再三再四指摘してきたように、泉氏は今回衆院選において地元京都での野党候補一本化には徹頭徹尾反対し、野党共闘に端から背を向けてきた人物だからである。たとえば、立憲民主党京都府連は衆院選前の10月9日、役員会と常任幹事会を開いた際、立憲京都府連会長を務める泉氏は、共産党から協議の申し入れのあった共闘については、「京都は自民、共産両党とは議席を争った地。これまでも非自民・非共産の立場で支持されてきた」と説明し、「『野党統一候補』という考えは取らないし、共産との選挙協力はない」と重ねて強調している(毎日10月10日)。

 

今回、枝野代表とともに幹事長を辞任した福山氏も、京都新聞(10月12日)の「――共産党とは「限定的な閣外協力」で合意したが、京都では共闘しない。福山幹事長、泉健太政調会長の地元で共闘しないことを有権者にどう説明するか」との質問に答えて、「私も共産党と20年以上、選挙を含めて争っている。一方、全国的には自公を倒すために共産を含めて他の野党と選挙区調整をして戦う機運がすごく高まっている。今回は『市民連合』が仲介した常識的な政策を実現する限定的な閣外からの協力であり、日米安保や天皇制、自衛隊の存在では以前から変わらない距離で共産党と向き合う」と、訳のわからない説明を相変わらず繰り返している。

 

 福山幹事長と泉政調会長は、いずれも共産党と選挙協力を結んだ立憲民主党の幹部(当事者)ではないか。それが京都では、これまで共産党と選挙戦を戦ってきたという理由にならない理由で「共闘しない」「選挙協力しない」と言うのでは、政党間の選挙協力なんて「いったいなんだ!?」ということになる。国政選挙における政党間の選挙協力に関する合意が、「地域事情」によって簡単に変更されたり破棄されたりすることが許されるのであれば、政党間の選挙協力は無意味なものになり、有権者には見向きもされなくなる。

 

 朝日新聞地方版(11月20日)は、立憲代表選に泉氏が立候補したことに関して、府内各党の反応を伝えている。立憲京都府連は11月21日に常任幹事会を開き、代表選への対応を協議するというが、田中健志幹事長は「政策について活発な議論を交わすことで、野党第1党としての存在感を高めてもらうことを期待する」と語ったという。一方、京都3区(泉氏が当選)で党候補の擁立を見送った共産党については、「10月の衆院選で立憲と『共闘』した共産党の渡辺和俊・府委員長は『新代表のもとで野党共闘を進めて、共通政策の発展に取り組まれることを望む。自公政権に対抗するため、国民の関心を引きつけてほしい』と述べた」という。共産党は、泉氏を含め新代表に誰になっても歓迎するということだろうか。

 

 京都では参院選に向けての前哨戦が早くも始まっている。立憲京都府連は11月5日、来年夏の参院選京都選挙区(改選数2)に現職で党幹事長の福山哲郎氏(59)を擁立すると決めた。福山氏は先月下旬、京都新聞社の取材に対し、来夏の参院選への対応について「私は自民党、共産党と戦うことになるだろう。私は私の主張を訴えていく」と述べていた。京都選挙区では、自民党府連が今期限りでの政界引退を表明した二之湯国家公安委員長(77)の後任に、京都市議の吉井章氏(54)を擁立すると決め、共産党も候補者擁立を目指している(京都新聞11月6日)。

 

 だが、福山氏の見通しは限りなく甘い。日本維新の会の馬場幹事長は11月10日の定例会見で、来年夏の参院選京都選挙区(改選数2)に向け「実際に候補者を発掘していく作業に入っていきたい」と述べ、独自候補の擁立に積極的に動く考えを示した。馬場氏は、先の衆院選で京都府内の維新の比例票が自民党(約33万8千票)に次いで2位(約26万6千票)だったことを踏まえ、2人区の京都について「候補者を出して活動すれば、当選する可能性が非常に高い都道府県になっている」と分析。衆院選で堀場幸子氏が比例復活を果たした京都1区で「かなりの得票をいただいている」とも述べ、「堀場さんを中心に京都の地方議員とタイアップして党勢を拡大し、次の参院選では京都でも1議席お預かりできるように努力したい」と意欲を見せた(京都新聞11月11日)。

 

 泉氏は、代表選における「野党候補一本化」の公約と地元京都での「野党共闘反対」の矛盾について説明しなければならない。「地域事情が国政選挙公約に優先する」理由を明確に説明できなければ、政治家としては失格の「ダブルスタンダード=二枚舌」を弄する人物になる。泉氏がこのまま頬かぶりを続けるのか、それとも納得できる説明をするのか、京都3区の有権者はもとより全国の立憲支持者の目が注がれているからである。

 

 福山氏も安泰というわけにはいかない。維新候補が来年参院選に候補者を擁立すれば、共産党との対決を強調して保守票を取り込もうとする立憲京都府連の選挙戦略は根元から崩れることになる。野党統一候補であり立憲副代表の辻元清美氏(京都府に隣接する大阪10区)は、今回の衆院選では名もない維新新人候補に大差で敗れ、比例復活もできなかった。自民党と共産党の間で「ヌエ」のように生き延びてきた民主党は、立憲民主党に衣替えしたもののその本質は変わっていない。福山氏がその路線を取り続けるかぎり生き残る保証はない。泉氏や福山氏に代表される「野党共闘拒否路線」はいまや終焉のときを迎えたのである。(つづく)

【番外編】歴史的、文化的、学術的価値の高い京都府立植物園の〝イベント広場化〟は許されない、京都府に開発整備計画の白紙撤回を求める

立憲民主党代表選については、どうやら泉健太政調会長と逢坂誠二元政調会長の2人の政調会長経験者に的が絞られつつあるようだ。この件についてはいずれ別稿で論じることにして、今回は私の古巣である京都府立大学と京都府立植物園をめぐる「緊急事態」について報告したい。

 

京都府が、府立植物園や府立大学などの文教施設が集まる左京区の「北山エリア」を再開発しようという計画が進んでいる。2021年11月8,9日には住民向けの府の説明会が開かれ、参加者たちからは多くの反対の声が相次いだ。メディア各紙でもその様子が詳しく伝えられている。以下、朝日新聞(11月11日)、京都民報(11月14日)、毎日新聞(11月16日)の3つの記事の中から主な内容を紹介しよう。

 

【朝日新聞】

見出しの「北山エリア再開発計画、植物園影響 懸念の声」「園内外に商業施設」「『自然楽しむ場壊す』見直し求める署名10万筆」とあるように、記事は批判的な論調で展開されている。

――整備計画の対象は、京都市営地下鉄北山駅の南に広がる約38ヘクタールの府有地。その3分の2(甲子園球場約6個分)を占めるのが、約1万千種の植物を保有している府立植物園だ。府は、この一帯は「賑わいや交流機能が少なく、周遊、滞在しにくい」「多くの施設が老朽化している」として、昨年「北山エリア整備計画」を策定した。計画では園西側の鴨川沿いにレストランやミュージアムショップを作り、北山通沿いにも商業施設を整備して、人の流れを園内に引き込みやすくするという。植物園の周りでも、園の南側にある府立大の体育館を約1万席のアリーナを備えて施設に建て替え、園の東側に劇場など芸術複合施設を作ることも検討している。

――この計画には反対の声が相次いでいる。植物園と道路を隔てる生け垣が伐採される恐れがあるほか、観覧温室の移転が検討されており、移動に伴い植物が枯れるリスクがあると懸念されているためだ。住民や全国の園芸関係者らが計画見直しを求める署名活動中で、歴代園長も反対の立場で会見をひらく異例の事態になっている。

 

【京都民報】

 京都民報の記事はもっと厳しい。「北山エリア整備基本計画、初の住民説明会に500人」「府立植物園開発、緑地削る計画、理解できない」「1万人アリーナ、なぜ大学施設を開発に使う」「反対意見噴出も府は推進姿勢」「〝署名運動さらに〟見直し求める署名10万人突破、『なからぎの会』が報告」との見出しにあるように、多くの反対の声が上っているにもかかわらず、計画推進の姿勢を崩さない府の態度を厳しく批判している。

 ――京都府は8、9の両日、府立植物園の開発や府立大学に1万人規模のアリーナ建設計画を盛り込んだ「北山エリア整備基本計画」についての初の住民説明会を行いました。参加した住民からは「植物園の開発は中止を」「府立大に1万人のアリーナは要らない」「計画を白紙撤回すべき」などの意見が相次ぎ、府側は明確な回答を避けながらも計画推進姿勢を示しました。また、参加した大学の研究者からは、「植物園をしっかり残せば文化遺産になる。もっと勉強し直してほしい」「なぜ広大な緑地を削るような計画を作るのか、理解できない」などの意見が出されました。

 ――「京都府立植物園整備計画の見直しを求める会」(なからぎの森の会)などが呼びかけてきた見直しを求める署名が、ネット署名などを合わせて10万人分を超えました。8日の説明会後、同会は感想交流などを行う集会を開催。代表は「説明会では、多くのみなさんが見直してほしいと声を上げた。今後も府にタウンミーティングを開くよう求めていきたい。今日をスタートにして頑張っていこう」と呼びかけました。

 

【毎日新聞】

 毎日新聞は、府側の態度を中心に伝えている。

 ――地域住民はこれまで、説明会の開催を再三要望していた。府の担当者は8日の会の冒頭で「コロナ下でどんな形で開くべきか模索していた。遅くなり申し訳ない」と陳謝した。府は「計画は最大限のイメージで、具体的な中身は検討中」と強調した。府側は、住民らから反対意見があることを踏まえ、植物園の整備の方向性を議論する有識者懇話会の設置を発表。懇話 会は、植物園の専門家を中心に経済界、文化界などからメンバーを選定中と説明した。国内外の植物園の取り組みを参考に、整備の方向性を議論するという。

 ――アリーナをめぐっては「学生の教育活動を最終戦すべきだ」との意見や、防犯面を不安視する声も上がった。アリーナなどの建設費や管理面に関する質問も相次いだが、府は「設備面を検討中」として明言しなかった。

 

 メディア各紙の報道にもあるように、長年府民に親しまれてきた植物園の開発計画に対しては多くの府民が関心を寄せている。また、園芸関係者や専門家の間でも開発計画が植物園の学術的価値を損なわないかについて、深刻な懸念が広がっている。私も「なからぎの会」の要請に応えて署名呼びかけ人の1員になったが、そのときに書いたのが以下の一文である

 

歴史的、文化的、学術的価値の高い京都府立植物園の〝イベント広場化〟は許されない

日本最初の公立植物園であり1924年(大正13年)1月に開園した京都府立植物園は、「生きた植物の博物館」として国際的評価を得ている歴史的、文化的、学術的価値の高い植物園である。しかし、その植物園が存廃の危機に曝されたことが過去にあった。終戦直後、京都に進駐した米占領軍によって植物園が全面接収され、米軍家族宿舎(デペンデントハウス)の建設工事によって貴重な樹木や山野草などが根こそぎ破壊されたのである。『京都府立植物園誌』(1959年3月刊)は、1958年(昭和33年)末に接収が解除された当時の惨状を次のように記している。

 

「大典を記念して大正の初期に建設計画を立て、大正13年から有料開園となった京都植物園は、毎年整備を重ね全国でもその比を見ない立派な植物園に完成したのであるが、昭和21年についに進駐軍の接収するところとなった。それから10年余り進駐軍兵舎となり、昭和32年末に返還を受けるまで、植物園としての管理がなされていないので、いま荒涼とした植物園に臨み、復元の困難さを痛感している」

 

「家屋・道路等の突貫工事が始まったのは、昭和21年10月頃であり、営々30年にわたって生育した樹木は何等顧みられることなく伐採され、花壇、薬草園及び生態園等々も跡形もなくなってしまった。第1期工事は大体昭和22年4月に完了し、家屋には米軍家族が直ちに入居した。昭和22年6月から11月頃までが第2期工事であり、このときに東北隅の菊花壇、苗場、薬草園等々がブルドーザーの響きとともに一瞬にして消滅し、代わりに広い道路が完成したが、この道路はついに使用されずに終わった」

 

「宿舎の建設にともない、京都司令部アンダーソン教育部長らの進言にもかかわらず、残された貴重樹種も藪蚊の発生防止という名目で下枝を全部切り払われ、灌木のほとんどが除去された。また、池には強力な薬剤を投入して貴重な魚類を絶滅せしめ、後には干し上げたので池辺の水温を好む多数の植物は全滅した。病虫害防止用薬剤撒布による薬害は甚だしく、枯死する樹木が続出した」

 

対日講和条約が発効すれば、占領軍は撤退することがボッダム宣言に明記されていたにもかかわらず、米占領軍はサンフランシスコ講和条約調印(1951年9月)後も植物園に居座り続けた。周辺住民は、1953年に「植物園返還同盟」を結成して返還運動をスタートさせ、約3000人の署名を集めて蜷川知事に返還を強く要請した(都新聞1953年9月15日、夕刊京都9月16日)。日本植物園協会もアメリカ植物園協会宛に府立植物園の実情を訴え、接収解除への努力を重ねた(「府政だより資料版」194号・1972年2月1日発行)。京都府もこれに応え、政府特別調達庁に対して粘り強く接収解除の折衝を続けた。

 

1954年(昭和29年)4月30日、府立大学グランド部分が返還され、1957年(昭和32年)12月12日全面返還が実現した。政府特別調達庁は、国家財産となった米軍住宅とその付属施設を府がそっくり引き取ることを希望していた。しかし、蜷川知事は、「つわものどもの夢の跡はいっさい要らない。持って帰ってもらおう!」と拒否したという。「それは、文化施設を軍靴で踏みにじった者に対するやるかたない憤懣が吐かせた言葉であり、府民のすべてが心に思っていたことでもあった」と「府政だより資料版(195号)」(1972年3月1日発行)は結んでいる。

 

荒廃した植物園の再建は苦闘の連続だった。全面返還後、米軍建物の撤去などにほぼ1年を要し、工事跡の整備にはトラック1万台分の膨大な土の運搬が必要だった。定年退職後、その功績を称えて府立植物園初の「名誉園長」の称号を贈られた松谷茂氏は、著書『打って出る京都府立植物園~幾多の苦難を乗り越えて~』(淡交社2011年刊)の中で次のように語っている。

 

「返還された植物園の現状を府民に報告するため、昭和34年4月15日から12日間の無料公開を行った。アンケートを実施したところ、再開園に向けて大きな弾みとなる数多くの府民・市民から力強い応援の声をいただいた。『1日も早く開園せよ』『有料でよいから早く開園せよ』『公園化することなく純粋の植物園にせよ』...。大典記念京都植物園の『普通教育を基本とし、大自然に接して英気を養い、園内遊覧のうちに草木の名称、用途、食用植物、熱帯植物、有毒植物、特用植物(染料、工芸植物)、薬用植物及び園芸植物等の知識と天然の摂理一般を普及させ、加えて我が国植物学会各分野の学術研究に資する目的』とする崇高な理念を、府民・市民が忘れることなく後押ししてくれた格好だ」

 

「再開園にあたってのコンセプトは、『遊びの場ではなく、あくまでも自然観察を中心とする府民の憩いの場であり、単なる公園ではなく総合植物園であること』。この理念は、私が携わってきた15年間、決して揺らぐことなく押し進め、そして継承してきたつもりだ。また昭和34年11月、日本植物園協会の臨時総会が臨時公開中の当園で開催され、『京都植物園の復興』が決議された」

 

国民を苦難のどん底に陥れた太平洋戦争の終戦(敗戦)から四半世紀、この間、府民・市民と京都府がともに手を携えて再建してきた府立植物園が、いま心無い関係者の手によって再び存廃の危機に曝されようとしている。イベント開発をなりわいとする商業コンサルタントの甘言に乗って、歴史的、文化的、学術的価値の高い府立植物園が、ただ集まって楽しむだけの「イベント広場」にされようとしているのである。

 

20世紀の高度経済成長にともなう「開発ブーム」は、もはや過去の遺産となった。また、21世紀初頭に流行した「イベント開発」も時代遅れの遺物になりつつある。時代は、国連が2016年に提唱した〝持続可能な開発目標(SDGs)〟を実現する局面へ大きく変わろうとしている。SDGs(Sustainable Development Goals)は、世界の人々の暮らしにかかわる「未来のかたち」を提起したものであり、経済・社会・環境にまたがる17目標が互いに連関して全体の目標体系を形作っていて、政府、自治体、企業、コミュニティを横断する世界共通のキーワードとなりつつある。

 

SDGs17目標の中には、「教育の質と生涯教育」(目標4)、「持続可能な自然資源管理」(目標14、15)が掲げられている。比叡と北山をのぞみ、日本最初の親水河川である鴨川と一体化している比類ない自然環境は、まさにSDGsの理念を体現する世界の先行事例の府立植物園にふさわしい。府立植物園はまた、「生きた植物の博物館=生涯教育の場」として機能している最高の存在でもある。政府、自治体、企業、国民が総力を挙げてSDGsを達成するための努力を傾けている現在、その時代に逆行するような府立植物園の「イベント広場化」を絶対に許してはならない。占領軍支配のもとにあっても「植物園返還運動」を果敢に展開した府民・市民は、今回もまた国連〝持続可能な開発目標〟を掲げて、この歴史的暴挙をふたたび阻止し粉砕するだろう。

「敵に塩を送る」ことは美談だが、立憲京都府連を支援することは「票をドブに捨てる」のと同じことだ、岸田内閣と野党共闘(その5)

 ことわざ辞典によれば、「敵に塩を送る」ことの意味は、敵が苦しんでいるときに弱みにつけ込もうとするのではなく、逆にその弱みを助ける行為を指すとされている。「正々堂々」「真っ向勝負」の意味に通じる部分があり、そこには相手と自分が最善の状態で戦いたいというニュアンスが含まれている。今回の総選挙に関して言えば、立憲と野党各党は政策合意に基づき多くの選挙区で候補者を一本化したが、一本化できなかった選挙区も相当あったことも忘れてはならないだろう。一本化できなかった選挙区ではそれなりの事情もあるのだから、野党各党は「正々堂々」「真つ向勝負」で互いに戦うのは当然であり、それが有権者に対して政党の取るべき真摯な態度だと言える。

 

 ところが、この中で世にも世にも奇怪な動きをした選挙区があった。立憲民主党の福山幹事長や泉政調会長、国民民主党の前原代表代行、共産党の穀田国対委員長など、野党各党の幹部を輩出している京都の選挙区である。総選挙投開票日の翌日、11月1日に開かれた共産党京都府委員会の総選挙報告集会では、渡辺委員長が次のような報告をしている(京都民報11月7日)。

 「今回の選挙では、9月8日に市民連合と野党4党が20項目の共通政策に合意し、30日には、枝野代表と志位委員長の間で共通政策実現のためにわが党が閣外から協力する政権合意が成立し、その上に公示直前の調整によって約7割の小選挙区で野党候補の一本化が実現して選挙戦に臨みました。野党の陣容が整い、メディアも総じて『自公対野党共闘』などと二極対決の構図が報道の基本となりました。野党間のこの合意と協力は、都市部を中心に自民党の有力議員の議席を奪って、一本化した62選挙区で野党候補が当選するなど、一定の力を発揮しました。京都では、6選挙区中2選挙区で自民党が議席を失い、3区・6区で一本化された野党候補が当選しました。私たちはこのことを喜び、当選者がこれまで以上に国会共闘を発展に尽力し、20項目の野党共通政策実現のために奮闘されることを期待します」

 

 これだけ読めば、京都では1区・3区・6区で野党候補が一本化され、3区・6区では一本化された野党候補が勝利したように聞こえる。しかし、メディア各紙はどこもそのような報道をしていない。幾つかその事例を挙げよう(要約)。

 「(京都)1区は、12期務めた自民の伊吹文明元衆院議長が引退して、新顔2人と前職1人が争い、自民新顔の勝目康氏が初当選を決めた。共産前職の穀田恵二氏は比例区で復活当選して10選を決めた。今回も『悲願』の小選挙区初勝利は果たせなかった。選挙戦では、党国対委員長として野党共闘の旗振り役を担った実績を強調し、自公政権のコロナ対策を批判。党も1区を『必勝区中の必勝区』と位置づけ、穀田氏を『実質上の野党統一候補』と訴えたが、実際には1区で選挙協力はできていなかった」(朝日11月1日)。

 「京都1区では、初当選した自民新顔の勝目康氏に自民支持層の82%、公明支持層の8割弱が投票した。ただ、立憲が候補を擁立しなかったことで『実質上の野党統一候補』と訴えた共産前職の穀田恵二氏には、共産支持層の96%が投票した一方、立憲支持層で投票したのは59%だった。全国レベルでの野党共闘路線とは異なり、京都では共産が共闘に前向きな一方、立憲は共産との共闘に否定的だった。立憲支持層の32%は、維新新顔の堀場幸子氏に流れていた。一方、共産が候補者を立てなかった3区では、立憲の泉健太氏に共産の93%が投票していた。同じく共産候補がいなかった6区でも、共産支持層の91%が立憲の山井和則氏に投票し、山井氏の小選挙区の議席奪取を後押しした」(朝日11月2日)。

 

 朝日記事が示すように、京都ではどの選挙区においても野党候補は一本化されていない。1区では共産が穀田氏を「実質上の野党統一候補」と勝手に言っているだけで、福山氏や泉氏は自らが野党共闘に責任を負う党幹部の要職にありながら、立憲京都府連や京都連合の意向を受けて最初から最後まで「京都では共産と共闘はしない」との態度を頑なに変えなかった。二枚舌もいいところだが、これに同調する立憲支持層の3分の1が(あろうことか)、維新の会候補に投票したのである。

 

3区と6区でも共産は(頼まれもしないのに)候補者を擁立せず、それを「野党共闘の大義」であり、「野党候補の一本化」などと勝手に称しているにすぎない。共産支持層は、なぜこんな(荒唐無稽な)府委員会の方針に疑問を抱こうとしないのか。共産支持層の9割超が府委員会の指示に従って(共闘拒否の先頭に立つ)泉政調会長に投票し、当選に貢献したのである。私などはこれは「敵に塩を送る」どころの話ではなく、戦う前から「白旗を上げる」行為そのものではないか――と思うのだが、京都3区ではそんな風に考える有権者はいなかったらしい。

 

 しばらくして、毎日新聞(11月5日)が今回の選挙状況を総括する記事を掲載した。長い記事なので骨子の部分だけを抜粋しよう。

 「街頭演説で穀田陣営は、立憲重鎮(小沢一郎、原口一博、中村喜四郎、赤松広隆など)からの為書きを並べて立憲との連携を強調する選挙戦を展開した。ただ、これとは対照的に立憲府連は共産との連携を拒否し続けた。他府県では立憲候補が共産の集会などに参加して連携を訴える場面もあったが、京都の小選挙区ではそのような姿は最後まで見られなかった。立憲府連には、福山哲郎幹事長や泉健太政調会長など立憲幹部も名を連ねる。にもかかわらず、府連会長を務める泉氏自身が『選挙協力できる環境にない』と共産との対決姿勢を強調するなど、中央との違いは鮮明だった」

 「投開票の結果、穀田氏は6万5201票で次点となり、維新新人に約3000票差まで迫られた。得票数は、前回17年(6万1938票)を約3000票上積みしただけで、得票率30.5%は前回33.3%を下回った。結果的には苦戦とも見える状況に、穀田氏は『野党共闘の意義や展望を伝える期間がなかった』と振り返る。共産府委員会の幹部は、候補の擁立を見送った京都3区、6区で立憲が優位に選挙戦を進めたことを引き合いに、『我が党の票がなければ2人と通っていない』と強弁する。そして、自らに言い聞かせるように語った。『野党共闘は初挑戦だから、全てうまくいくわけはない。今後もこの道を進む以外にない』と」

 

 京都1区の得票数・得票率をもう少し詳しく説明しよう。まず、自民勝目氏が8万6238票(40.4%)を得票して伊吹氏の8万8106票(47.3%)をほぼ継承することに成功した。これに対して、穀田氏は前回17年衆院選の比例近畿で立憲が1区で得た約3万6000票を取り込むことができなかった。維新新人の堀場氏が予想外の6万2007票(29.1%)を得票して、その多くを奪ったからである。ちなみに維新は、京都1区の比例代表で5万4042票(17.9%)を得票し、前回17年の1万9547票(10.4%)から3万4000票も上積みしている。一方、自民は6万665票(28.4%)で前回5万8152票(30.8%)から2500票の微増、共産も3万3636票(15.7%)で前回3万1814票(16.9%)から1800票しか上積みできなかった。立憲の2万4165票(11.3%)と前回3万6233票(19.2%)の減少差1万2000票の多くが、投票数の増加分とともに維新に持っていかれたのだ。

 

 全国でも同様の傾向が出ている。読売新聞(11月1日)は、「共産支持層の大半が立憲候補を支援する一方、立憲支持層から共産候補への支援は限定的で、共闘に関する温度差が明らかになった」とする出口調査分析を掲載している。それによると、全289小選挙区のうち213選挙区で野党5党が統一候補を立て、このうち160選挙区では立憲候補に、39選挙区では共産候補にそれぞれ統一した。同紙の出口調査では、立憲候補に一本化した選挙区全体では、統一候補は立憲支持層の90%、共産支持層の82%を固めた一方、共産候補に一本化した選挙区全体では、統一候補は共産支持層の80%を固めたのに対して、立憲支持層は46%にとどまり、自民候補に20%、維新候補に11%が流れた。野党5党が統一候補を一本化した選挙区においてもこうなのだから、京都1区のように立憲が共闘拒否の姿勢を明確にしている選挙区では、共産が「実質上の野党統一候補」になることは極めて難しかったのである。

 

 直近の朝日新聞世論調査(11月6、7日実施)では、今回の衆院選で自民党が過半数を大きく超える議席を獲得したことは「よかった」47%、「よくなかった」34%という驚くべき結果が出た。過半数超えの理由は「自公の連立政権が評価されたから」19%、「野党に期待できないから」65%だった。維新が議席を増やして自民、立憲に次ぐ第3党に躍進した理由は「維新への期待から」40%、「ほかの政党に期待できないから」46%だった。衆院選では立憲や共産など野党5党が候補者の一本化を進めたが、来夏の参院選で一本化を「進めるべきだ」27%にとどまり、「そうは思わない」51%だった。立憲と共産が安全保障政策などで主張の異なるまま、選挙協力することには「問題だ」54%、「そうは思わない」31%で、両党の支持層で温度差がみられ、立憲支持層では58%が「問題だ」と答えたのに対し、共産支持層は「そうは思わない」が「問題だ」より多かった。いずれの回答からも、今回の野党共闘に対する大きな失望感が読み取れる。

 

 この先、事態はどう展開するのだろうか。目下の話題は、立憲民主党枝野代表の後任を決める代表選に集中している。代表選に立候補するためには国会議員の推薦人20人を集める必要があるが、衆参約140人規模の立憲にとって推薦人20人のハードルはかなり高いとされている。朝日新聞(11月6日)は、「昨年9月に旧立憲と国民民主党の一部などが合流した際の代表選で、枝野氏と戦った泉健太政調会長は今春、『新政権研究会』を立ち上げた。20人台半ばが参加し、自前のグループで推薦人を確保できるのが強みで、今回も有力候補だ」と伝えている。

 

 泉氏は今回総選挙でも、京都では「共産との共闘」を頑なに拒否した共闘反対派の急先鋒だ。「死んでも共産とは一緒にならない」と宣言する前原氏とは政治信条が極めて近く、国民民主党時代に常に行動を共にしてきた仲である。その泉氏がもしも次期立憲代表に選出されることになれば、渡辺共産府委員長が「京都では3区・6区で一本化された野党候補が当選しました。私たちはこのことを喜び、当選者がこれまで以上に国会共闘を発展に尽力し、20項目の野党共通政策実現のために奮闘されることを期待します」とするとの期待は、無残にも裏切られることになる。

 

私は冒頭で、立憲京都府連を支援することは「票をドブに捨てる」のと同じことだと(ドギツイ言葉で)言ったが、おそらく事態はそれだけにはとどまらないだろう。共産府委員会は「敵に火薬を送る」ことで、野党共闘を木端微塵にするような切っ掛けを作ったと言われても仕方がない――、こんな事態が起こらないよう立憲代表選の行方を見守りたい。(つづく)

 

 

共産党はなぜ党首の直接選挙を実施しないのか、政策論議もなく、党首交代もない「改革拒否政党」の前途は危うい、岸田内閣と野党共闘(その4)

 今回の衆院選で自民党が大勝した背景には、周到に仕組まれた総選挙前の党首選挙の実施がある。自民は事前の党首選挙を本番の総選挙さながらに演出し、その巧みな選挙戦術によって菅前首相のダークイメージをクリアーすることに成功した。自民の党首選挙に注ぎ込まれたメディア報道量は総選挙のそれよりもはるかに多く、その意味で自民は本番の総選挙を「戦わずして勝った」といえる。総選挙前に大々的に展開された党首選挙によって自民はメディア空間を独占し、その余勢を駈って総選挙の勝利を手にしたのである。

 

 これに対して野党共闘は、前回の拙ブログでも指摘したように、不人気な枝野代表(立民)と志位委員長(共産)という両党の「1強コンビ」が手を組んだことで、メディア効果が更に低下した。枝野代表はそのことを自覚していたのか、選挙中は志位委員長と一緒に映像を撮られることを極力回避したという。せっかく野党共闘を組んだのだから、せめてもにこやかに握手している「ツーショット写真」でイメージチェンジを図るかと思いきや、今まで通りの「枝野1強」にこだわったのである。

 

その結果、枝野代表が出ずっぱりになることで立民のイメージはますます硬直化し、「能面スピーチ」も最後まで止むことがなかった。立民は枝野代表に代わるフレッシュな人材を「選挙の顔」として起用できず、最後の最後まで「政権交代」を象徴するイメージをつくり上げることができなかった。立民は、政権交代に不可欠な「選挙の風」を巻き起こすことができず、小選挙区では野党共闘のお陰で辛うじて議席を増やしたものの、比例代表区では大幅に議席を減らした。「枝野1強」に象徴される立民の旧態依然たる体質が、「新しい器=野党共闘」に「新しい酒=革新勢力」を盛ることを拒んだのである。

 

 一方、志位委員長のほうはどうか。こちらの方はもう朝から晩まで志位委員長ばかりがクローズアップされて、それ以外の光景はどこを探しても見つからなかった。共産は「志位1人政党」かと思うぐらいの露出ぶりで、これでは志位委員長の存在は「昔の名前と顔で出ています」という懐メロ(ナツメロ)程度の宣伝効果にしかならない。有権者は同じ人物が性懲りもなく出てくると、たとえ違うことを言っていても「また同じだ」と受け取ってしまう。聞く前から拒否感が前面に出て(いわゆるマスキング効果)、共産のいう「歴史的なチャレンジ」などいっこうに話題にはならなかったのである。かっての「共産=革新政党」のイメージはどこへやら、いまは「志位1強=改革拒否政党」になったのではないか――、私の周辺ではこんな評価がもっぱら行きわたっている。

 

 事態を抜本的に変えなければならない――、さすがの立民もそう決意したのだろう。枝野代表が辞任し、新しい党首を選ぶことになったのがその表れだ。立民の党首選挙が実施されれば、世論も少しこの話題で盛り上がるのではないか。枝野氏に代わるフレッシュな人材が党員や党友の直接選挙で選ばれることになれば、今までの「枝野1強」にうんざりしていた世論にも少しは変化が生まれるというものだ。まして、意表を突くフレッシュな代表が選出されることにでもなれば、立民の政党支持率にも大きな変化が生じるかもしれない。これからの党首選挙の行方が注目される。

 

 これに対して、共産の方はうんともすんとも反応しない。志位委員長は総選挙翌日の11月1日、党本部で記者会見し、議席と得票数を減らしたにもかかわらず「責任はない」と明確に否定した。同日付の「総選挙の結果について」と題する常任幹部会声明も同様の趣旨で展開されており、志位委員長をはじめ幹部役員の政治責任は一切棚上げされている。政治は「結果がすべて」だから、結果責任をとらないというのは格好がつかないだろう――と思うのだが、不思議なことにそうはならないのである。理由は「我が党は、政治責任を取らなければならないのは間違った政治方針を取った場合だ。今度の選挙では、党の対応でも(野党)共闘でも政策でも、方針そのものは正確だったと確信を持っている」(毎日11月2日)というものだ。だが、これでは共産がこれから幾ら議席と得票数を減らし続けても、志位委員長は政治責任を取らず、党首の座に永久に座り続けることになる。

 

 こんな世間外れの見解を党内ではいったいどう受け止めているのだろうか。機関紙赤旗は即刻、「『常幹声明』を討議・具体化し、公約実現と強く大きな党づくりに踏み出そう」(中央委員会書記局、11月4日)とのキャンペーンを開始した。

 ――常任幹事会の声明「総選挙の結果について」の討議がスタートし、「選挙結果の見方がわかり、スッキリした」「共闘の道を胸を張って進んでいきたい」など、積極的に受け止められています。同時に、全党が懸命に奮闘したにも関わらず残念な結果になっただけに、〝がっかり感〟〝モヤモヤ感〟を多くの支部と党員がもっています。選挙結果と今後の課題がみんなの腑に落ちるよう、丁寧に討議することが重要です。

 

 この書記局キャンペーンを読むと、共産の党内議論の進め方がよくわかる。常幹声明が出てから僅か2日後に、(まだ誰も読んでいないにもかかわらず)「選挙結果の見方がわかりスッキリした」との感想が上から一方的に流され、「選挙結果と今後の課題がみんなの腑に落ちるよう丁寧に討議することが重要です」との指示が出されるのである。このやり方は、選挙活動に参加した党員や支持者の疑問や意見を時間をかけて積み上げるのではなく、上からの常幹声明を「丁寧に討議」することで党内の見解を即刻集約し、選挙結果に関する原因究明や役員幹部の政治責任追及を封じようとしている――としか思えない。最近は、さすがに上部指示を教科書のように「学習」するという言葉は使われなくなったが、言われたことをそのまま「討議」するのでは、これまでの「学習」とさほど変わらない。

 

 最近、若者の間では「保守政党」「革新政党」という言葉が使われなくなったと聞く。われわれオールド世代では政策の内容で、政党の「保守」「革新」を判断するのが普通だったが、最近では「改革」とう言葉が基準になって政党の評価が行われているように思える。そういえば、今回躍進した日本維新の会のキャッチフレーズも「改革政党」だった。「身を切る改革」「大阪での改革実績」を強調した維新が世論の風を集め、「革新の大義」を掲げて「歴史的にチャレンジ」した共産が敗れたのである。

 

 私は、今回の選挙の敗因を「力不足」の問題に一元化するのは誤りだと思う。共産は党首を直接選挙することもやっていないし、幹部役員の定年制も設けていない。90歳を越える役員が上席を占める常任幹部会が政策のすべてを決定し、そこで党首が実質的に決められ、志位委員長が相も変わらず続投する――、こんなことが百年一日の如く繰り返されてきただけだ。政策論議もなく、党首交代もない「改革拒否政党」の前途は危うい。いまこそ共産は党首直接選挙を実施し、志位委員長に代わるフレッシュな人材を登用すべきではないか。次回は、「事実上野党共闘」を目指した京都1区選挙の分析をしたい。(つづく)

不人気で魅力のない野党党首が〝野党共闘不発〟の引き金を引いた、「能面ロボットスピーチ」(枝野立憲代表)や「強面(こわもて)演説」(志位共産党委員長)では有権者を引き付けることができない、岸田内閣と野党共闘(その3)

2021年総選挙が終わった。今回の衆院選で立憲民主、共産、国民民主、れいわ、社民の野党5党は、全国289ある小選挙区の4分の3に当たる213選挙区で候補者を一本化して選挙に臨んだ。しかし、予想に反して、野党5党が勝利したのは59選挙区(立憲54、国民3,共産1,社民1、勝率28%)にとどまった。213選挙区のうち、立民候補者に一本化された160選挙区で立憲が勝利したのは54選挙区(勝率34%)、国民民主は3選挙区、共産は39選挙区のうちたった1区(沖縄1区、勝率3%)でしか勝てなかった(読売11月2日)。

 

立憲が狙ったのは選挙区だけの勝利ではなかった。野党共闘の効果で比例代表区でも議席を大幅に伸ばし、あわよくば「政権交代」を目指していたのである。しかし、立憲は比例代表得票数で1149万票(得票率19.9%)にとどまり、議席数は公示前の62議席から23議席減の39議席へ大幅に後退した。共産は、目標850万票(得票率15%)に対して得票数は僅か半分以下の416万票(得票率7.2%)、しかも前回440万票(得票率7.9%)から更に減少して議席数も11議席から9議席へ2議席後退した。その結果、立憲は公示前の110議席から14議席を失って96議席となり、共産は12議席から2議席減の10議席となった。共産は、国民(8議席から11議席へ増加)の後塵を拝することになり、野党の末席に追いやられることになった。いずれも散々な結果としか言いようがない。

 

立憲や共産の不振に比べて、目を見張るような成果を挙げたのが日本維新の会である。維新は地盤の大阪で19選挙区のうち(公明前職がいる4選挙区を除いて)15選挙区に候補者を立てて全員が当選し、自民10議席(前回)を「ゼロ」に追い込んだ。通常、選挙区選挙において自民が「ゼロ」になるなんてことは凡そ考えられないが、大阪ではそれが実際に起こったのだから〝驚天動地〟の出来事だと言うほかない。そればかりではない。維新は比例代表区においても得票数805万票(得票率14.0%)を獲得し、前回得票数338万票(得票率6.0%)から一挙に倍増(2.4倍)させた。それとともに比例代表議席数を8議席から25議席へ3倍増させ、全体として公示前の11議席から4倍弱の41議席へ(公明32議席を抜いて)第3党に躍進した。

 

かくなる大変動が生じた原因は何か。メディア各紙では、そもそも「野党共闘」に無理があったとの論調が広がっている。朝日、毎日、日経などは、立憲と共産の共闘にかねてより異論を唱えてきた連合の動きに焦点を当て、次のような解説記事を掲載している(11月2日、要約)。

――立憲枝野代表は1日、支援団体である連合の本部を訪れ、芳野友子会長に衆院選敗北を詫びた。芳野氏は選挙期間中に共産との「野党共闘」で組合員が混乱した選挙区があったことを指摘。『来年の参院選に向けてしっかりやってほしい』と敗因の総括を求めた。連合本部には立憲に反発し、各地の組合が立憲候補の応援に動いていない状況が報告されており、参院選に向けて支援体制を見直すべきだとの見方が広がっている(朝日)。

――敗因を巡り、(立憲)党内では政策が異なる共産との協力が支持層の離反を招いたとの見方が大勢だ。あるベテランは「与党側が配る『立憲共産党』のビラの影響は大きく、中盤以降はきつかった」と指摘した。党関係者は「共産党と組むべきではなかった」と執行部の判断を批判した。立憲と候補者調整を行う一方、共産と距離を置いた国民民主党が3議席増の11議席となったことで、連合も立憲執行部への不信感を強めている。1日には「国民は健闘した一方、立憲は大きな課題を残した」と指摘した芳野友子会長は、記者会見で立憲と共産の共闘を「現場が混乱し、連合が戦いづらかった」と批判し、2020年夏の参院選での、立憲、共産両党の協力は「認められない」と釘をさした(毎日)。

――衆院選の結果は小選挙区で候補者を一本化する共闘態勢をとれば野党に勝機が生まれるという定説を崩した。安全保障政策などで隔たりのある共産党との連携は有権者の理解を得にくいという実態が露呈した。立民は2019年参院選でも市民団体を介して共産と政策協定を締結した。今回が異なるのは政権交代が実現した場合、共産が「限定的な閣外からの協力」をすることで合意した点だ。共産が他党の政権に協力することを表明したのは初めてだった。立民執行部には共産との閣内協力を含む連立政権はつくらないという「歯止め」という認識があった。それでも政権のあり方まで踏み込んだことで与党から格好の批判材料になった。立民の支援団体である連合も警戒を強め、選挙協力に支障が出た。野党5党の共闘と一線を画す姿勢をとった日本維新の会は躍進した。与党にも立民にも不満をもつ層の受け皿になった(日経)。

 

こうした批判を受けて立憲枝野代表は11月2日、国会内で開いた党執行役員会で、衆院選で敗北した責任を取り、代表を辞任する意向を表明した。枝野氏は執行役員会の冒頭、「ひとえに私の力不足。政権の選択肢として次のステップを踏み出すことが役割で、新しい代表のもと、新しい体制を構えて、来年の参院選、次の政権選択選挙に向かっていかなければならないと決断をした」と語った。首相指名選挙が行われる特別国会の閉会日に枝野氏が辞任し、代表選はその後、党員やパートナーズなどが参加した形で行う考えも示した(各紙)。

 

 一方、共産党の志位和夫委員長は1日、党本部で記者会見し、衆院選で共産が議席と得票数を減らしたことに対する引責辞任の可能性を問われ、「責任はないと考える」と否定した。理由として「我が党は、政治責任を取らなければならないのは間違った政治方針を取った場合だ。今度の選挙では、党の対応でも(野党)共闘でも政策でも、方針そのものは正確だったと確信を持っている」と説明した(毎日11月2日)。共産党機関紙赤旗によれば、中央委員会常任幹部会発表の「総選挙の結果について」の骨子は以下の通りである(要約)。

 ――この選挙での野党共闘は、共通政策、政権協力の合意という大義を掲げてたたかったものであり、一定の効果をあげたことは間違いありません。同時に、野党共闘は今後の課題も残しました。とくに、野党が力をあわせて共通政策、政権協力の合意という共闘の大義、共闘によって生まれうる新しい政治の魅力をさまざまな攻撃を打ち破って広い国民に伝えきる点で、十分とは言えなかったと考えます。共闘の大義・魅力を伝えきれなかったことが、自公の補完勢力=「日本維新の会」の伸長という事態を招いた一因にもなりました。全国の支持者、後援会員、党員のみなさんには懸命の奮闘をしていただきましたが、それを結果に結びつけられなかったのは、わが党の力不足によるものだと考えています。私たちはこの間、党の地力をつける活動、党の世代的継承の活動にとりくんできましたが、このとりくみは途上にあります。地力をつける活動を必ず成功させ、次の機会で必ず捲土重来を期したいと固く決意しています。

 

 興味深いことは、枝野、志位両氏とも野党共闘の敗因を抽象的な「力不足」という一言で片付けていることだ。この言葉は「一億総懺悔(ざんげ)」という言葉にも似て、全てを語っているようで実は何も語っていない。「力不足」とは党全体の力量を測る言葉であって、選挙で敗北した原因を具体的に解明する言葉ではあるまい。野党共闘の敗因をこのような言葉でしか語れないことは、枝野、志位両氏が野党共闘敗因の総括にまともに取り組む気がないことを示している。

 

 私は、今回の野党共闘の敗因は、枝野、志位両氏の党首としての魅力の欠如や不人気さが大きな比重を占めていると考えている。「能面ロボット」のように早口で喋りまくる枝野代表や、仁王立ちで聴衆を見下ろして「強面(こわもて)演説」を繰り返す志位委員長からは〝政治の魅力〟がいっこうに伝わってこない。日本維新の会の吉村副代表(大阪府知事)の演説には多くの聴衆が集まり、熱気あふれる集会になったのとは対照的だ。

 

 志位委員長は「政策や政治方針に誤りがなければ責任はとる必要がない」と広言したという。だが、政策や政治方針が独り歩きをしているわけではない。それなら、ビラやチラシ、スピーチロボットだけでも十分ではないか。なぜ、政治家は聴衆に直接語りかけるのか。それは、自らの口を通して〝政治の魅力〟を伝え、有権者の支持と共感を得るためだろう。それには、政治家自身が何よりも〝魅力ある存在〟でなければならない。党首にとっての必要な資質は、人間としての魅力があることだ。長年同一人物が党首の座に居座り、同じ顔と同じ口調で選挙演説を繰り返す――このような光景にもう支持者はうんざりしているのではないか。枝野代表と同じく、志位委員長にも「ひとえに私の力不足」を自覚してほしい。(つづく)

立憲民主党と共産党が奇妙な取り引き(?)、京都は〝魑魅魍魎〟の世界なのか、岸田内閣と野党共闘(その2)

国会が10月14日に解散され、衆院選告示が19日と間近に迫った。自民党は11日、小選挙区と比例区の1次公認295人を発表し、残る5選挙区でも候補者調整の目途をほぼつけたとされる。野党共闘の方は立憲民主党と共産党の選挙協力態勢が固まり、競合していた選挙区で立憲民主党は3小選挙区、共産党は22小選挙区で候補予定者を取り下げた。この結果、全国289の小選挙区のうち、立憲、共産、国民、社民、れいわの5党の候補者が一本化される選挙区は200以上になる見通しとなった(朝日10月14日)。

 

ところが...である。京都では立憲民主党幹部からの共産党との共闘を否定する発言が相次いでいる。立憲民主党京都府連は10月9日、役員会と常任幹事会を開き、公認候補を擁立していない京都の1区、2区、4区についての対応を協議した。その結果、共産党の穀田国対委員長が立候補を予定している1区では(あくまでも)独自候補の擁立を追求し、その一方国民民主党が前原氏を擁立する2区と、無所属の北神氏が立候補予定の4区については、両氏がいずれも連合の推薦候補であることから独自候補を立てないという方針を表明した。党政調会長の要職にありかつ京都府連会長も務める泉氏は、終了後の記者会見において共産党から協議の申し入れのあった共闘については、「京都は自民、共産両党とは議席を争った地。これまでも非自民・非共産の立場で支持されてきた」と説明し、「『野党統一候補』という考えは取らないし、共産との選挙協力はない」と改めて強調した(毎日10月10日)。

 

また、京都新聞は10月12日、福山立憲民主党幹事長および田中京都府連幹事長の衆院選に関するインタビュー記事を掲載し、両氏が共産党との選挙協力を明確に否定したことを紹介している。

【福山幹事長】

 ―共産党とは「限定的な閣外協力」で合意したが、京都では共闘しない。福山幹事長、泉健太政調会長の地元で共闘しないことを有権者にどう説明するか。

「私も共産党と20年以上、選挙を含めて争っている。一方、全国的には自公を倒すために共産を含めて他の野党と選挙区調整をして戦う機運がすごく高まっている。今回は『市民連合』が仲介した常識的な政策を実現する限定的な閣外からの協力であり、日米安保や天皇制、自衛隊の存在では以前から変わらない距離で共産党と向き合う」

―京都1区は独自候補の擁立をまだ検討するのか。

「ぎりぎりまで府連の努力を見守りたい。1区は(自民党の)伊吹さんが議席を守ってきた。候補者を立てるのならしっかりとした候補者をという思いも泉府連会長にはあるようだ」

―京都で、共産党とは1、3、6区で「すみ分け」しているようにも見える。

「京都で話し合いの場があるわけでもなく我々は関知していない。すみ分けしているつもりは全くない」

【田中府連幹事長】

 「京都3区と5区、6区の3人はいずれも現職(比例復活含む)であり、必勝を期す。現在空白の1区は候補者を見つけられるよう最後まで努力したい。2、4区は独自候補の擁立は見送るが、近畿ブロックでの当選者を増やすため、街宣活動を強化して比例票を伸ばす」

 「連携を重視するのは、党本部が選挙協力で覚書を結んだ国民民主党だ。2区は国民現職、4区には無所属元職とかって共に活動した仲間がいる。信頼関係を維持したい。共産党とは地方選挙で対立してきた過去の経緯から京都府内では選挙協力できない」

 

 驚くのは、福山幹事長と泉政調会長がいずれも共産党と選挙協力を結んだ立憲民主党の幹部(当事者)でありながら、京都ではこれまで共産党と選挙戦を戦ってきたという理由にならない理由で「共闘しない」「選挙協力しない」と言い切っていることである。こんな(屁)理屈が全国に適用することになると、野党各党はこれまで互いに選挙戦を激しく戦ってきたのだから、野党共闘や選挙協力などは永久にできないことになる。要するに、福山幹事長も泉政調会長も田中府連幹事長も、政党としての政策協議などはそっちのけで、「共産党とは死んでも一緒にやらない」と言っているだけのことなのである。

 

 ところが、さらに驚くべきことが起こった。共産党京都府委員会は10月14日記者会見を開き、渡辺委員長が立憲民主党府連に対し1区で穀田国対委員長を野党の統一候補にすることを前提に、立憲前職がいる3区と6区は自主投票とし、共産党が候補者擁立を見送る方針を明らかにしたのである。共産党は過去の衆院選では全6選挙区に候補者を擁立してきたにもかかわらず、今回候補者擁立を見送る理由として渡辺委員長が挙げたのは、「中央では共通政策・政権合意・選挙協力という3つの合意が成立した意味は大きい。政権交代のために全力を尽くす」、「その代わり3区、6区については、比例での大幅得票増を狙う」との説明だった(毎日・京都10月15日)。

 

 6区の山井氏はともかく、3区の泉氏がおよそ野党共闘の対象たり得ない人物であることは、今回の立憲府連会長としての行動をみれば即座にわかることだ。それがあろうことか共産党が候補者擁立を見送るというのだから、呆れてものが言えない。京都新聞はこの事態を「実質的には京都3区と6区で立憲民主党の前職を応援することになる」と書いている(10月15日)。

 

かくいう私は京都3区の有権者である。2016年衆院補選でも共産党は全国での野党共闘を推進するためと称して京都3区で候補者を擁立せず、泉氏を「革新統一候補」として応援するという間違いを犯した。「二度あることは三度ある」というが、今回の方針はこれまでとは比較にならないほど(悪)影響が大きい。前回の衆院補選では、こんな有権者を馬鹿にした選挙には行かないとばかり、私の周辺では大量の棄権者が続出した。私自身も選挙権を持って以来、初めて棄権したのがこの選挙だった。

 

京都3区の有権者は猛烈に怒っている。泉氏に投票するぐらいなら死んだ方がましだと本気で思っている有権者が数多くいるのである。共産党は有権者を馬鹿にしてはいけない。渡辺委員長が候補者擁立を取り下げる代わりに比例の大幅得票増を狙うと言ったらしいが、こんな計算がどうしてできるのか不思議でならない。第一野党共闘の支持者が投票に行かないのだから、共産党の比例票が増えるわけがないのである。

 

こんなことは考えたくないが、立憲民主党が京都1区に擁立できる候補者が見つからないのを見越して、共産党が3区と6区の候補者を降ろしたのだとしたら、これは「密約」以外の何物でもないことになる。これでは、京都はまるで〝魑魅魍魎〟の世界ではないか。市民と野党共闘の政策を踏みにじり、理由にもならない理由で共産党との選挙協力を拒否してきた福山幹事長や泉政調会長を応援することは、野党共闘の大義を否定することになる。共産党は遠からずして京都3区の有権者の厳しい審判を受けることになるだろう。(つづく)

〝ポスト菅政権〟の自民党戦略、自民党は総裁選挙、新政権樹立、解散・総選挙で局面打開を図った、岸田内閣と野党共闘(その1)

岸田新首相は10月4日、新内閣発足後の記者会見で、大規模なコロナ・経済対策を打ち出すためにも早期に国民の信任を得たいとして、今月21日に任期満了を迎える衆議院の解散・総選挙に関して、14日解散、19日公示、31日投開票との日程を示した。菅首相が退陣表明をしたのは僅か1カ月前の9月3日のこと、それから2週間後の17日には自民総裁選が始まり、29日には岸田文雄氏を新総裁に選出。10月4日召集の臨時国会で第100代首相に選出された岸田氏はその日、10日後に衆院を解散し、次期衆院選の投開票日を9月31日にすることを明らかにしたのである。

 

日経新聞(10月5日)は、「衆院選 異例の短期決戦、高い支持率保ち投開票狙う」との見出しで、「首相就任から1カ月弱の異例の短期決戦になる。政権発足時に期待する高支持率を維持したまま投票日を迎える狙いだ」と指摘する。過去の首相指名から解散までの日数は、第1次鳩山内閣46日、第1次森内閣58日、第2次吉田内閣70日などだったが、岸田内閣は僅か10日と格段に短い。野党各派からは「奇襲」「乱暴」「選挙優先」などの批判の声が渦巻いている。

 

しかし私は、この日程は練りに練った自民党の〝ポスト菅戦略〟の一環だと考えている。内閣支持率が20%台にまで落ちた菅首相が、総裁選前の解散・総選挙で事態の打開を図り、政権維持を画策したのに対して、自民各派は結束して手も足も出ない状態に追い込んだ。そこから衆院議員の任期切れを目前にした〝ポスト菅戦略〟がスタートしたのである。その要諦は、総裁選と新政権づくりをお祭り騒ぎにしてイベント化し、国民の眼を釘付けにして菅内閣の陰鬱なイメージを払拭することだった。

 

マスメディアとりわけテレビ各社の果たした役割は絶大だった。オリンピックの時もそうだったが、テレビ番組は自民総裁選に独占され、候補者4人は一躍「時の人」になった。彼・彼女らが朝から晩までテレビに露出することで、菅首相はまだ「現役」であるにもかかわらず急速に影が薄くなっていった。菅首相は、退陣表明したその日から事実上「過去の人」となり、もはや誰にも顧みられることのない存在になったのだ。世襲議員でないため派閥を持たず(持てず)、危機に際しても支えてくれる側近がいなかった「たたき上げ」の政治家は、こうして政治の表舞台から跡形もなく姿を消すことになった。菅氏は、選挙地盤の横浜においても今後議席を維持できるかどうかわからない。秋田の田舎に帰る日もそう遠くない――と囁かれているのはそのためだ。

 

これに対して、立憲枝野代表をはじめとする野党陣営の構えはどうか。私はこれまでも繰り返し指摘してきたように、枝野氏には〝ポスト菅戦略〟がなかったと思う。彼はコロナ禍の進行とともに日々低下していく内閣支持率を横目で見ながら、次期衆院選での勝利(単独過半数)を夢見ていた。国民民主党や社民党との合併によって百数十人の国会議員を擁する「最大野党」に伸し上がった立憲民主党は、「夢よもう一度」とばかり、政権交代が近づきつつあるとの情勢分析に凝り固まっていた。枝野氏は、菅氏の官房長官時代の凄腕を長年にわたって見てきただけに、菅政権がかくも脆く崩壊するとは想像すらできなかった。枝野氏は、菅首相が最期まで政権にしがみついて総選挙に突入し、有権者の総スカンを食らってタナボタ式に政権が転がり込むと期待(楽観)していたのである。

 

このため、枝野氏は立憲など野党各党の政党支持率が地を這っているにもかかわらず、総選挙対策としての政策づくりの準備をすることもなければ、野党共闘を実現するために政策協定や選挙協力の準備をすることもなかった。今年4月以来、野党各党との協議は事実上放置され、連合や国民民主党などとの話し合いは進めても、共産党や社民党との協議はいっこうに進まなかった。そこにきて菅首相の突如の退陣表明によって事態は一変した。「驚天動地」ともいうべき世論の変化が起こり、菅政権に代わる自民新政権への期待が高まり、野党各党の影は一層薄くなったのである。

 

岸田内閣が安倍・麻生の「丸抱え政権」であることは、新聞をまともに読む人なら誰でも知っている。しかし、国民の多くはそれほど新聞を熱心に読まないし、若い人たちも最近ではテレビ番組も見ない人が多くなったと聞く。イベント化された情報が飛び交い、その中で派手なパフォーマンスとともにこれまで見たこともない政治家が露出するようになれば、自民政治が刷新されたと錯覚しても不思議ではない。岸田内閣が「初入閣」のメンバーを数多く揃えたのも、その「表紙効果」を期待してのことだ。中身は旧態依然でも構わない。表紙を変えれば中身まで新しくなったように見える。自民党にとってはそれだけでよいのである。

 

しかし、時間を経過してくると読者は頁をめくるかもしれない。表紙と目次が新しくても中身が古ければすぐに飽きられる。「表紙効果」がさめないうちに総選挙を実施しなければならない――。これが、自民党の〝ポスト菅戦略〟である。これから解散まで僅か10日足らず、そして総選挙は今月末に行われる。有権者は果たして新内閣の中身に興味を持つのか、それとも表紙だけで満足するのか、野党各党はこれまでにない選挙対策を迫られている。(つづく)