赤旗(日刊紙)を読まない党員が4割を超える現実をどうみるか(追伸3)、入党を上回る離党が発生している事態は深刻にしてかつ重大だ。「底の抜けた樽」に水を注ぐような党勢拡大運動はもはや限界に来ている

 前回に引き続き、拙ブログの「追伸」に寄せられたもう一つのコメントにも触れたい。趣旨は、無理な党勢拡大運動が却って離党者を増やしているのではないか――というものだ。このコメントについては、すでに拙ブログ(1月16日)で詳細に論じているが、改めて考えてみることにしたい。本論に入る前にまずは「党大会決議」(赤旗1月19日)の文面を確認しておこう。

 ――目標としていた「130%の党」、その「第一ハードル」であった第28回党大会時の回復・突破には、党勢拡大、読者拡大とも大きな距離を残している。前大会以降の4年間でみると、全党で1万6千人の新しい党員を迎えてきたが、党員現勢では25万人となっており、党員数で長期の後退から脱することができていない。「赤旗」読者の現勢も85万人となっており、長期の後退から脱していない。党づくりは、わが党の現在と未來にとって、いよいよ緊急で死活的な課題となっている。

 ――私たちの運動は、大きな課題を残している。それは党建設・党勢拡大が、一部の支部と党員によって担われていることにある。入党の働きかけを行っている支部は毎月2割弱、「赤旗」読者を増やしている支部は3割前後である。これをいかにして全支部・全党員運動にしていくかは、私たちが突破すべき大きな課題となっている。

 

 第29回党大会の「志位委員長あいさつ」および「党大会決議」に基づき作成した4年間の党員数の増減を表す計算式は、以下の通りである。

〇27万人余(2020年1月現勢)+1万6千人(入党者、年平均4千人)-1万9814人(死亡者、年平均4954人)-1万6千人余(離党者、年平均4千人余)=25万人(2024年1月現勢)。

 ただし、党公表の27万人「余」という数字は微妙な表現なので、仮に27万1千人(27万500人でも構わない)に置き換えると、離党者は1万7186人(年平均4296人)、27万500人の場合は1万6686人(年平均4171人)となり、いずれの場合も離党が入党を上回っている。

 

 何度でも言うが、この事態は深刻にしてかつ重大だと言わなければならない。党員の4割以上が日刊紙を読んでいないこともさることながら、すでに入党を上回る大量の離党が発生している現実は見過ごせないものがあるからだ。これは、党大会決議がいう「長期にわたる党勢後退から脱していない」といったレベルの話ではなく、‶党の存亡〟に直結する重大事態であろう。離党と死亡を合わせるとその数は「年平均9千人」を超えることになり、入党の倍以上の党員が毎年減少していくのである。このような事実を伝えないで入党数だけを報じることは、情勢を客観的に伝えなければならない公党の政治方針としてはもとより、機関紙の編集方針としても完全に間違っている。志位議長をはじめとする党幹部は、責任ある説明をしなければならないだろう。

 

 しかし、大会決議は「離党」の実態には一言も触れていないし、赤旗にも離党関係の記事は一切見かけない。党規約第10条には「離党」に関する条文が以下のように書かれており、その実態を報じなければならないにもかかわらず、現実はそうなっていないのである。

 ――党員は離党できる。党員が離党するときは、支部または党の機関に、その事情をのべ承認をもとめる。支部または党の機関は、その事情を検討し、会議にはかり、離党を認め、一級上の指導機関に報告する。ただし、党規律違反行為をおこなっている場合は、それにたいする処分の決定が先行する。

一年以上党活動にくわわらず、かつ一年以上党費を納めない党員で、その後も党組織が努力をつくしたにもかかわらず、党員として活動する意思がない場合は、本人と協議したうえで、離党の手続きをとることができる。本人との協議は、党組織の努力にもかかわらず不可能な場合にかぎり、おこなわなくてもよい。

 

 離党には「党規律違反」による場合と「党員として活動する意思がない」場合の2種類があり、後者の場合はこれまで「実態のない党員」問題として扱われてきた。だが「離党」という言葉がマイナスイメージを連想させるからか、離党の実態や実数は報告されたことがない。要するに、党員増減に関しては「入党数=増加分」が報告されるだけで、「死亡数+離党数=減少分」は公表されない仕組みになっているのであり、党勢拡大運動はただただ「入党数を如何に増やすか」をめぐって展開されているのである。

 

 しかし「収入」だけで「支出」を記入しない会計帳簿などないように、収支を突き合わせて初めて「決算」を明らかにすることができる。経済動向に関しては四半期ごとの決算が公表されるように、党員現勢に関しても四半期ごとに増減数の内訳が公表されなければ実態は明らかにならない。それが、党大会ごとに党員現勢の概数が示されるだけで、増減数の内訳(入党数、死亡数、離党数)が明らかにされないようでは、党員はもとより支持者も正確な党勢を把握することができないのである。

 

 念のため、志位委員長の在任期間中(2000年11月~2023年12月)の入党、死亡、離党の各実数および年平均(いずれも筆者算出、再掲)を挙げておこう。第22回党大会(2000年11月)から第29回党大会(2024年1月)までの23年2カ月の党員増減数は、38万6517人(2000年11月現勢)+入党18万3895人(年平均7937人)-死亡9万8809人(同4264人)-離党22万1602人(同9564人)=25万人(2024年1月現勢)であり、第29回党大会で公表された党員現勢25万人と一致している。驚くのは、離党22万1千人(平均9564人)が入党18万4千人(年平均7937人)を4万人近くも上回っていることであり、死亡者が10万人近く(9万9千人、年平均4264人)に達していることである。

 

 これは、第26回党大会(2014年1月)で明らかになった大量の「実態のない党員=離党者」問題以降、2017年から離党が入党を上回るようになり、2020年からはそれが常態化するようになったからである。加えて死亡数が年々増加しているので、「離党+死亡」の合計が「入党」の倍以上となり、「長期にわたる党勢後退」に拍車がかかるようになった。志位氏が「長期にわたる党勢後退」の実態を明らかにしない(できない)のは、実態が明らかになれば「理論的・政治的路線に誤りはなかった」――とするこれまでの志位発言が根底から崩れるからであろう。以下は、党大会ごとの計算式である(再掲)。

 

〇第23回大会(2004年1月)

38万6517人(2000年11月現勢)+入党4万3千人-死亡9699人-離党=40万3793人(2004年1月現勢)、離党1万6025人

〇第24回党大会(2006年1月)

40万3793人(2004年1月現勢)+入党9655人-死亡7396人-離党=40万4299人(2006年1月現勢)、離党1753人

〇第25回党大会(2010年1月)

40万4298人(2006年1月現勢)+入党3万4千人-死亡1万6347人-離党=40万6千人(2010年1月現勢)、離党1万5951人

〇第26回党大会(2014年1月)

40万6千人(2010年1月現勢)+入党3万7千人-死亡1万8593人-離党=30万5千人(2014年1月現勢)、離党11万9407人

〇第27回党大会(2017年1月)

30万5千人(2014年1月現勢)+入党2万3千人-死亡1万3132人-離党=30万人(2017年現勢)、離党1万4868人

〇第28回党大会(2020年1月)

30万人(2017年1月現勢)+入党(無記載、暫定2万1240人)-死亡1万3828人-離党=27万人(2020年1月現勢)、離党3万7412人。党大会記録に入党者数が記載されていないので、2017年1月から2019年12月までの赤旗(各月党勢報告)を調べたところ、3年(36カ月)のうち入党者数が掲載されていたのは26カ月、計1万5354人、月平均590人だったので、590人×36カ月=2万1240人を暫定値として離党者3万7412人を算出した。

〇第29回党大会(2024年1月)

27万人余(2020年1月現勢)+入党1万6千人-死亡1万9814人-離党者=25万人(2024年1月現勢)、離党1万6186人余

 

 このような現状を直視すれば、「130%の党=党員35万人、赤旗読者130万人」の拡大目標(2028年末)が如何に非現実的な数字であり、「第一ハードル=党員27万人、赤旗読者100万人」ですら容易に回復できない目標であることに気付くというものである。組織の生態学から言えば、死亡者と離党者をカバーするだけの入党者を確保できなければ組織を維持することが不可能になり、組織は急速に衰退・縮小していく。共産党の場合、党組織全体が超高齢化していることからも、今後死亡数が増えることはあっても減ることはない。死亡数が公表されるようになってからの推移は、2000年代3万3442人(9年2カ月、年平均3647人)、2010年代4万5539人(10年、年平均4554人)、2020年代1万9814人(4年、年平均4954人)と着実に増加しており、2020年代を通してみれば年平均5千500人に達することはまず間違いないと思われる。

 

 そうなると、「130%の党」の党員拡大目標を2028年末までの5年間で達成するためには、以下の計算式を成立させなければならない。しかし過去4年間の入党1万6千人(年平均4千人)を今後の5年間で一挙に桁違いの15万人(年平均3万人)に引き上げることは、誰が見ても無理難題というものである。それを承知で拡大運動を無理やりに進めるとなると、結果は却って離党者を増やすことにもなりかねない。また、そうなる可能性は十分ある。

 〇35万人(2028年末目標)=25万人(2024年現勢)+15万人(入党、年平均3万人)-2万8千人(死亡、年平均5500人)-2万2千人(離党、年平均4400人)

 

 加えて問題なのは、「追伸」でも指摘したように、入党者の大半(8割弱)が「60代以上」という事実である(赤旗3月2日)。党組織全体が「60代以上が多数、50代以下がガクンと落ち込んでいる」(志位発言)にもかかわらず、新規入党者がそれに輪をかけた高齢者集団というのでは、党組織の高齢化がますます進むことにしかならない。この事態は、入党者への働きかけが高齢者中心になり、若年層や中年層には手が届かないことを示している。党中央の公式見解をオウム返しに伝えるだけの拡大運動は、多様な価値観を持つ若年層や豊富な社会経験を持つ中年層の心には響かないからだ。複雑極まる政治情勢の下での拡大運動は、自らの頭で「考える」ことのできる党員でなければ開拓できず、党中央の公式見解を「ただ学ぶ」だけの党員では対応できない。党員拡大を実行している支部が「2割弱」、読者拡大を働きかけている支部が「3割前後」という数字は、「考える」ことのできる党員が如何に少ないかという現実を映し出しているのである。

 

 これらの事態を一言で言えば、党組織の現状はもはや「底の抜けた樽)」とでも形容すべき状態にあるのではないか。樽にいくら水(入党)を注いでも、その尻から抜けていく(離党)のでいっこうに溜まらない、おまけにもう一つの穴(死亡)が次第に広がって水位がどんどん下がっていく――というのが現実の姿なのである。こんな「底抜け」状態では、いくら発破をかけても拡大運動の成果は上がらない。「底の抜けた樽」に水を注ぐような運動はもはや限界に来ている。このまま党勢拡大運動を続ければ、「底が割れる」時が必ずやってくる。それを避けるための抜本的な方針転換が求められている。(つづく)

赤旗(日刊紙)を読まない党員が4割を超える現実をどうみるか(追伸2)、志位1強体制の下での「官許哲学」の押し付けは、党の思想・理論水準の劣化しかもたらさない

 前回の拙ブログの「追伸」に対して幾つかのコメントが寄せられた。その中の一つに、「党組織の問題点を指摘する批判を排除する官僚的執行部はますます孤立し衰退していく。その原因は党中央の思想水準の低下にある」との指摘がある。そう言えば、不破体制の下では不破氏がマルクス主義の解釈を一手に引き受け、それが共産党の「公式見解=官許哲学」として定着していた。不破氏は、2004年から2024年まで20年間にわたって中央委員会付属社会科学研究所所長(1970年設立)のポストを独占し、研究所を秘書付きの自分の書斎のように使っていた。党の理論指導は「自分一人で十分」「集団指導は必要ない」との揺るぎない自負と党内での権威がそれを可能にしていたのだろう。

 

 世評では「理論面では不破氏に(はるかに)劣る」とされてきた後継者の志位氏も、第28回党大会(2020年1月)で改定綱領を制定した頃から自信をつけ始めたのか、最近では「理論家」としての言動が目につくようになった。とりわけ第29回党大会(2024年1月)の「党大会決定」は自信作らしく、議長就任後初の全国都道府県委員長会議(赤旗2月8日)では田村委員長の倍近い時間を取って発言し、これまでにも増して存在感を発揮している。この発言を赤旗が「中間発言」として扱ったのは「志位1強体制」をカモフラージュするためであろうが、中身は党決定を地方組織に指示する「中央発言」そのものであって、それ以外の何物でもない。

 

 発言のなかで志位氏が特に強調したのは、「党大会決定の新しい理論的・政治的突破点について」である。「私は1990年の第19回党大会以降、11回の党大会の決議案の作成にかかわってきました。そういう経験に照らしても、私は今回の党大会決定ほど多面的で豊かで充実した決定はそうはない、と言っても過言ではないと思います」「今度の党大会決定というのは、新しい理論的・政治的な突破という点でも大変豊かな内容を含んでおります」と臆面もなく自画自賛しているのだから、彼自身は本当にそう思っているのだろう。

 

 志位氏のいう「新しい理論的・政治的突破点」とは、(1)党の世界論・外交論の発展――「外交ビジョン」の「二つの発展方向」、(2)日本の政治の行き詰まりの性格をどうとらえ、どう打開するか――太い答えを出した、(3)「多数者革命と日本共産党の役割」という角度から日本共産党論を明らかにした、(4)「党建設の歴史的教訓と大局的展望」――党大会準備の過程で模索し、答えを出した、(5)社会主義・共産主義論――綱領路線の発展に道を開く新しい解明、の5点である。

 

 小論では全てに言及することはできないまでも、個々の論点を少しでも検討すれば、そこにはかなり思い込みの激しい(手前勝手な)主張が並べられていることが目につく。たとえば「日本の政治の行き詰まり=自民政治の末期的状況」を指摘するのは当然だとしても、その打開策が「自民党政治を終わらせる国民的大運動を超す」「総選挙での日本共産党の躍進」というのでは、それは単なる政治スローガンに過ぎず「太い答え」とはとうてい言えない。また「多数者革命と日本共産党の役割」については、多数者革命を進める主体が主権者・国民だと言いながら、「国民の自覚と成長は自然成長的に進まない」との留保条件をつけ、「その仕事をやり抜くためには日本共産党と民主集中制が必要」との我田引水の結論を導くなど、その便法は徹底している。

 

 「党建設の歴史的教訓と大局的展望」にいたっては噴飯物としか言いようがない。党の理論的・政治的路線、政治的対応には誤りがなく、先駆的な理論的・政治路線を発展させてきたとするこれまでの主張を志位氏は絶対に改めようとしないので、「長期にわたる党勢後退」の原因を、党勢現勢の推移だけに気を取られて新入党員の動向を見ていなかったといった「うっかりミス」のレベルでしか説明できないのである。「社会主義・共産主義論」についても、未来社会への複雑極まりない移行過程の問題を抜きにした単なる「ユートピア論」の列挙にすぎず、多数者革命の主体である国民を納得させるシナリオにはなっていない。それでいて今度の党大会決定は、「綱領路線をふまえ、それを発展させた社会科学の文献」「科学である以上は学ばなくてはいけない。時間がかかってもそれを惜しまず最優先で学ばなくてはいけない」と一方的に強調するのである。

 

 しかしながら、志位氏の「中間発言」の最大の矛盾は、「私は、書記局長と幹部会委員長をあわせますと33年半ほどやってまいりました。この期間に行ったさまざまな政治的・理論的な対応については振り返ってみても悔いはないのですけれども、党建設でさまざまな努力を続けてきたものの、結果として前進に転じることに成功していない」と、結びの言葉で言わざるを得なかったことである。党の方針が本当に政治的・理論的に正しければ、「長期にわたる党勢後退」など起こるはずがなく、党建設(量的拡大か質的発展かは別にして)が進まないはずがないからである。問題は「政治は結果責任」と世上言われているにもかかわらず、志位氏はなぜ「長期にわたる党勢後退」をもたらした方針の誤りを認めず、いまなお責任を取ろうとしないのかということだ。

 

 原因は大きくいって2つある。第1は「不破1強体制」と「志位1強体制」があまりにも長く続いてきた結果、党内の思想・理論の集団的研鑽と系統的蓄積が進まず、党中央の思想的・理論的水準が全体として著しく劣化していることである。第2は、「民主集中制」のもとで党中央の政治方針が機関紙・赤旗を通して徹底されてきた結果、党内の思想的画一化が進み、党中央の方針を「ただ学ぶ」だけの受け身の党員が大半を占めるようになったことである(異論を持つ党員の多くは党を離れた)。上意下達の組織風土が党の隅々まで浸透し、党中央においても相互批判がなく、また下部組織からも異論が上がって来ないような組織状況の下では、志位氏が自らの誤りを認めざるを得ないような政治的契機は生まれてこない。事実上の〝裸の王様〟になった志位氏の下で、この体制を支えている「民主集中制」が維持される限り、「長期にわたる党勢後退」は避けがたいと言って間違いないだろう。

 

 どうすれば、党内に新しい風を吹き込み、市民社会の時代に相応しい新しい思想・理論状況をつくることができるのか。それは、まず第一歩として赤旗に多様な思想家・理論家を登場させ、党内外に談論風発の気風を高めることだ。だが、事態は逆方向に進んでいる。最近、「日本共産党を論ずるなら事実にもとづく議論を――中北浩爾氏の批判にこたえる」と題する理論委員会事務局長の主張が掲載された(赤旗2月21日)。中北氏の著書『日本共産党〈革命〉を夢見た100年』(中公新書、2022年5月)が刊行されたのは、およそ2年前のことである。当該著書は多くの識者に注目され、マスメディアでも肯定的な書評が相次いだ。本来ならば赤旗紙面でも積極的に紹介し、著者を交えた座談会を開くなどの対応がとられてもおかしくなかった。ところがそれを一切黙殺しておいて、中北氏が党大会決定に異論を唱えると、今度はいきなり批判を始めたのである。

 

 この事態は、現役党員の除名問題を巡ってマスメディアが共産党の「閉鎖的体質」を指摘した時、それを「反共攻撃」とみなして反撃に終始したときと同じ構図だ。これでは、共産党は党の公式見解以外の多様な意見や見解を一切認めないことになり、世論の動向を無視した「唯我独尊」の道を歩むことになる。冒頭のコメントが指摘しているように、このままでいけば「党組織の問題点を指摘する批判を排除する官僚的執行部はますます孤立し衰退していく」ことは明らかであり、未来は限りなく暗い。共産党はいままさに「存亡の岐路」に立っているのであり、その自覚無くして未来への展望は開けない。(つづく)

赤旗(日刊紙)を読まない党員が4割を超える現実をどうみるか(追伸)

 前回の拙ブログから3日後、「幹部会決定にたちかえり、3月こそ『三つの課題』をやりきる月に」との呼びかけが、大会・幹部会決定推進本部から改めて出された(赤旗3月2日)。趣旨は、2月には「掲げる目標ではなく、やりきる目標」として党勢拡大を訴えたものの、その変化は一部にとどまり、目標を達成できなかったことから、3月は「月初めからダッシュする」ことを訴えるものだ。では、2月の実績はどうだったのか。

 

 2月中に党大会決定を読了した党員は19.9%(2割)、討議・具体化を開始した支部は66.2%(3分の2)で緒に就いたばかり。党員拡大は3651人(目標の3分の1)に入党を働きかけ421人(目標の4割)が入党、ただし50代までの入党は100人強(入党者の2割強)にとどまったという。赤旗読者拡大は、日刊紙1486人減、日曜版5029人減、電子版74人増と、1月に続く連続後退となった。この数字は「2月中に大会決定を全支部で討議し、3月中に5割が読了して党勢拡大運動に踏み出そう」(志位議長、中間発言)、「1万人以上に入党の働きかけを行い、1千人以上の新しい入党者を迎えよう。そのうち6割、7割を若い世代で迎えることも追求しよう」(山下副委員長、緊急の訴え)との目標を悉く下回るもので、党中央の指導がもはや地方組織にそのまま届かなくなっていることを示している。

 

 赤旗の「党活動」の頁には党勢拡大の先進事例が連日掲載され、「やればやれる!」との革命的気概が強調されている。その一方、党勢拡大に踏み出せない支部の困難な事情や背景はほとんど掘り下げられたことがない。党活動の頁だけを読んでいると、党勢拡大運動は「飛躍的前進」を遂げているように見えるが、月間報告は相変わらずの「連続後退」となっている。この著しいギャップはいったいどこから生じるのだろうか。

 

 「木を見て森を見ず」ということわざがある。物事の細部や一部に気を取られて、全体を見失うことを意味する言葉だ。確かに「革命的気概」を持った先進事例は存在するだろう。だが、それは「類まれな木=特殊解」であって、「森全体=一般解」を表す存在ではないのではないか。単なる「宣伝ビラ」であれば、革命的気概を鼓舞する事例の紹介や言葉の羅列で済むのだろうが、いやしくも「しんぶん赤旗」を名乗るのであれば、「森全体」を眺める視点と分析が不可欠になる。

 

 まして〝科学的社会主義〟を政治信条とする政党ならば、その機関紙は同じく科学的であり分析的でなければならないだろう。党勢拡大目標と実績のギャップを何一つ分析しないまま、百年一日の如く党勢拡大を叫び続けるだけでは党員が日刊紙を読まなくなり、心ある読者が離れていくのは当然というものである。党活動の頁の抜本的刷新を図らない限り、赤旗の拡大はおろか回復も難しい状況がこれからも続くことは間違いない。

 

 それにしても、大会・幹部会決定推進本部が発表した2月の拡大結果は衝撃的だった。入党者が少ないことはいっこうに驚かないが、今回初めて発表された「50代までの入党100人強」という数字には正直度肝を抜かれたのである。党組織全体が著しく高齢化しており、「50代以下がガクンと少ない」(志位発言)現状の下で「世代的継承」が中心課題に掲げられているそのとき、入党者の大半(8割弱)がなおかつ「60代以上」というのではパロディにもならない。今後、党組織の高齢化にますます拍車がかかることがあっても、「若返る」ことなどおよそ絶望的だからだ。

 

 党員の4割が日刊紙を購読していないという現実は、党組織の著しく高齢化していることの反映でもある。高齢化すれば文字を読むのが生理的に苦痛になり、新聞離れが進んでいくのは洋の東西を問わない。加えて「見るだけで頭が痛くなる」長文の大会決定読了を迫られるとあれば、それが「党生活3原則」からの離脱につながり、やがては「実態のない党員」問題に波及していくことは目に見えている。日刊紙の購読義務付けを軸とする「党生活3原則」を不磨の大典として墨守するのではなく、新しく見直すべき時代が訪れているのではないか。

 

 すでに何回も述べてきたように、過去2回にわたって各々10万人を超える大量の「実態のない党員」が整理され、「長期にわたる党勢後退」の構造的原因になってきた。第28回党大会(2020年1月)から第29回党大会(2024年1月)までの4年間の党勢推移は、党員は27万人余から25万人へ2万人余減、赤旗読者は100万人から85万人へ15万人減とそれぞれ後退している。大会以降連日の党勢拡大の呼びかけにもかかわらず1月、2月以降も党勢後退が依然として継続していることは、「長期にわたる党勢後退」が共産党の構造的問題であり、党勢拡大方針を抜本的に見直さない限り是正できない問題であることを示している。

 

 このような現実を直視する時、今後2年間で27万人の党員、100万人の赤旗読者を回復し、その後の3年間で35万人の党員、130万の赤旗読者を実現することは、「掲げる目標」というよりは「果てしない夢」と化す恐れがある。まして、今後5年間で30代~50代の党勢の倍化し、この世代で10万の党をつくることなど「夢のまた夢」ともいうべきスローガンでしかない。科学的社会主義は空想的社会主義を克服して生まれてきたとされているが、時代が逆行している様な印象を受けるのは、実現不可能な党勢拡大方針が相変わらず掲げられている所為かもしれない。(つづく)

赤旗(日刊紙)を読まない党員が4割を超える現実をどうみるか、長文の政治方針の学習が忌避され、配達体制が崩れてきている、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その19)、岸田内閣と野党共闘(84)

 2月6日の全国都道府県委員長会議以来、赤旗の紙面は「党大会決定の徹底、党勢拡大、世代的継承の3課題をやりぬこう」との檄文で埋め尽くされている。具体的には、志位議長が「中間発言」で解明した新しい理論的・政治的突破点を〝導きの糸〟にして、2月中に大会決定を全支部で討議し、3月中に5割が読了して党勢拡大運動に踏み出そうというのである。2月22日には「暮らしでも平和でも、希望がみえる新しい政治へ、あなたの入党を心からよびかけます」と、入党のよびかけが全紙を使って掲載された。

 

 その一方、党勢拡大(回復)の困難さを窺わせる訴えもある。2月16日の機関紙活動局長の訴えがそれだ(赤旗2月17日)。

 ――第29回党大会は、「全支部・全党員を結集する党に成長してこそ、国民多数を結集することができる」を合言葉に、政治的・思想的に強い党をつくるために、「党生活確立の3原則」(①支部会議に参加する、②日刊紙を購読する、③党費を納める)、決定の読了と一大学習運動で党の質的強化をよびかけました。

 ――いま全国で日刊紙を購読していない党員は4割をこえています。この現状は、‶夜明け前〟にある日本社会の夜明けを実現するために、多数者革命への日本共産党の役割を果たし、民主集中制にもとづいて党中央と全支部・全党員が固く結束し、かつ双方向・循環型の強く大きな党をつくるうえでの根本問題です。この抜本的打開へ二つの方向へ全党的努力をよびかけます。

 ――多くの県で「大運動」期間中の入党者のうち日刊紙を購読している3~5割にとどまっています。(略)未購読党員は、配達が郵送や業者委託になっている地域でより多くなっています。もっとも重要なことは、党員拡大と「党生活確立の3原則」など質的建設を力にした支部の配達体制の確立ですが、そのためにもいまいる党員が日刊紙を読み活動することが急務です。中央は、郵送以外に配達できない地域での経済的に困難な党員への援助措置(1カ月の郵送料1440円の半額720円)をとっています。電子版の紹介とともに積極的活用をよびかけます。

 

 日本共産党の機関紙・赤旗は、日刊紙月3497円(郵送料1410円)、日曜版月930円(郵送料239円)とそれほど安くない。全国紙も昨年夏から値上げされて朝日・毎日・産経は朝夕刊セットで月4900円、日経は5500円になった(読売は4400円で据置)。新聞購読料の値上げは販売部数の更なる減少につながるだけに各社とも随分苦心したというが、それでも値上げしなければやっていけないので踏み切ったと聞いている。赤旗は全国紙に比べて頁数が半分程度しかないのでもともと割高感が否めない。それをカバーしているのが党員による宅配だが、それが高齢化や人手不足で不可能になった地域では郵送・業者委託となり、郵送料が加算されることになる。郵送料を含めると日刊紙は月4907円、日曜版は月1169円となり、全国紙とほぼ同価格(ただし朝刊のみ)になる。これでは党員といえども相当な経済的負担になると言わなければならない。

 

 しかし、赤旗を読まない党員が増えているのはそれだけではないだろう。日刊紙を読まなくなったのは、紙面自体に魅力がなくなって‶新聞〟としての価値が減じているからだ。「長文の政治方針(たとえば大会決議)は見るだけで頭が痛くなる」「肝心のニュースが少なくて読みたい記事がない」「党活動欄は毎日同じ調子のキャンペーンで紙面の無駄」「志位さんの発言や記事がやたらに多すぎる」などなど、そこにはさまざまな原因が横たわっている。赤旗がいくらスクープを連発しても紙面が刷新されるわけではなく、毎日毎日相変わらずの調子で繰り返される主張や檄文は「新聞」というよりは「宣伝ビラ」に近い――と感じている読者が少なくないからである。

 

 なぜ、かくも日刊紙には長文の政治方針が多くの紙面を占めるのか。なぜ、長文の政治方針をかくも徹底して「学習」させるのか。そこには、党中央が「民主集中制」の原則に基づいて党の政治方針を党組織の末端まで徹底させる――という編集方針が墨守されているからだろう。2月23日の「『2月目標をやりきる』連日の推進はかり3連休の行動に踏み出そう」には、こんな1節がある。

 ――2月中に全支部が党大会決定の討議・具体化をはじめることは、党勢拡大目標達成の根本的な力、2年後・5年後目標実現の土台。決定を全党員に届けきり、‶読みましたか〟‶読みましょう〟の声かけを。「五つの突破点」を力に、支部討議と読了推進の手だてをつくそう。

 ――‶奈落の底の自民党〟‶注目される共産党〟――情勢の大変動をつくりだした党と「赤旗」に確信をもって、見本紙を大量に活用して「赤旗」購読を呼びかけよう。機関紙活動局長「訴え」を力に日刊紙拡大の独自の努力を強めよう。

 

 支持者はもとより党員といえども政治や社会に対する関心はさまざまで、全く同じということはない。それを徹底して政治方針の一字一句まで「学習」させることなどおよそ不可能だし、また現実的でもない。大筋で納得できればあとはそれぞれの自由な判断に委ね、疑問点を解明して論点を深めるような紙面づくりの方が効果的だ。そうならないのは、党中央が一から十まで教え込まなければ党員は内容を理解できないという(思い上がった)固定観念があるからだろう。

 

 2月26日に公表された最新の日経新聞世論調査によれば、内閣支持率と自民党支持率はともに25%、いずれも自民党が2012年の政権復帰以降の最低を更新したとある。一方、これに対して支持政党なしの無党派層は36%に上昇したが、共産党支持率は依然として2%程度の底辺に低迷している。「注目される共産党」の支持率が2%程度というのでは前途は限りなく暗くなり、党員はもとより無党派層にも読まれる紙面づくりをしなければ、共産党の未来は開けない。「党大会決定の徹底、党勢拡大、世代的継承の3課題をやりぬこう」との檄文で埋め尽くされた日刊紙など、無党派層の人たちはもとより支持者といえども容易に手に取るとは到底考えられないからである。

 

 2月20日に山下副委員長(大会・幹部会決定推進本部長代理)が行った「緊急の訴え」(赤旗2月21日)では、「2月を、目標を掛け値なしにやり抜く最初の月にしよう」というものだった。具体的には「1万人以上に入党の働きかけを行い、1千人以上の新しい入党者を迎えよう。そのうち6割、7割を若い世代で迎えることも追求しよう」「入党の働きかけと赤旗購読の訴えにとりくむ支部と党員を広げるならば、どの県、どの地区も、残る期間で党員拡大でも読者拡大でも実現が可能な2月目標となっている。ならば掛け値なしにやり抜こうではありませんか」と呼びかけている。だが、この勇ましい掛け声とは裏腹に「現時点の到達点は、入党の働きかけ1500人余り、入党申し込み200人弱となっています。このままでは後退の危険があることを率直に直視したい」と言わざるを得なかった。

 

 赤旗の党員訃報欄には、2月に入ってから延べ153人(26日現在)の死亡者が掲載されている。掲載率を38%とするとすでに400人を超えるに死亡者が出ており、このままでいけば450人を超えることはほぼ確実と思われる。党員現勢=入党者-死亡者-離党者の数式で計算する(離党者数は不明)と、少なくとも数百人以上の入党者がなければ党勢は後退に転じることになる。今年1月の結果は入党者447人、日刊紙1605人減、日曜版5381人減、電子版94人増だった(赤旗2月2日)。推計死亡者数481人なので、離党者を除いても党員増減数は34人減となる。2月もまた党員減、読者減と党勢は後退するのだろうか。(つづく)

表紙は変わっても中身が変わらない〝志位体制〟の抜き差しならない矛盾、「政治路線も組織路線も間違っていない」の言明にもかかわらず、「長期にわたる党勢後退」を克服できないのはなぜか、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その18)、岸田内閣と野党共闘(83)

 歴史的な京都市長選が終わった翌々日(2月6日)、日本共産党の全国都道府県委員長会議が開かれた。その模様は、赤旗(2月7~9日)で詳しく報道されている。驚いたのは、田村委員長の「問題提起」が前座として取り扱われ、志位議長の「中間発言」が本番に位置づけられていたことだ。率直に言って、田村委員長の「問題提起」は大会決議の党勢拡大方針の単なる解説に過ぎず、全ての内容は志位議長の「中間発言」に託されていたのである。

 

 志位委員長時代の赤旗紙面は、重要会議の記事は悉く「志位発言」で埋め尽くされていた。ところが、田村委員長になって初めての今回の全国都道府県委員長会議では、田村発言は脇役に追いやられ、質量ともに志位議長の「中間発言」がど真ん中に位置しているではないか(紙面の分量でも田村発言は志位発言の6割にすぎない)。志位議長の発言は、「中間発言」と言いながらも事実上の「最終発言」であり、大会決議の実行を全国都道府県委員長に指示する「結語」として位置づけられているのである。

 

 志位議長は「党建設の歴史的教訓と大局的展望」に関する発言のなかで、「『なぜ長期にわたって党勢の後退が続いてきたのか』『なぜ私たちはこの問題でこれだけ苦労しているのか』『現状を打開する展望はどこにあるのか』――これは全党のみなさんが答えを求めていた問いだったと思います」と前口上を述べ、「実は、私自身もこの問題については十分な回答を持てないでいた問題でした」と思わせぶりな言い回しをしている。そして、その原因を「私たちはこれまで党員の現状をみる際に主に党員の現勢がどう推移したかで見ていくという傾向がありました」と述べ、「しかし、その角度からだけでは問題点がはっきりと見えてきません。角度を変えて、その年に新しい党員を何人増やしたかという目で見てみると、はっきりと弱点が浮かび上がってきました」というのである。

 

 しかしながら、志位議長が「長期にわたる党勢後退」の原因を、新入党者の動向に注目することなく、党員現勢(総数)の推移だけに気を取られていたためだと説明した「薄っぺらな理由」は、会場の都道府県委員長たちをしてさぞかし仰天させたに違いない。会場の面々は、赤旗が毎月初めに前月分の入党者数、赤旗読者増減数を掲載していることを百も承知しており、そのために四苦八苦してきた人たちばかりだからである。考えてもみたい。党組織運営の原則からして、党員の「フロー(出入り)」と「ストック(現勢)」の両方を知らなければ、その現状を把握することはできない。こんな組織運営のイロハを指導部が知らなかったというのでは、もうそれだけで「一発アウト!」だと言われても仕方がないだろう。

 

 とはいえ、志位議長が党組織の現状を党員現勢の推移(だけ)で見てきたと説明したのは、それなりの原因と背景があるのだろう。そこには党指導部にとって党員の「フロー(出入り)」を公表できない事情、すなわち〝離党者〟が余りも多いという現実が横たわっているからである。言うまでもなく、党員の「フロー(出入り)」を正確に把握しようとすれば、入党者のみならず離党者と死亡者の実数を合わせて公表しなければならない。しかし、死亡者数は辛うじて党大会ごとにまとめて公表されるようになったが(年単位では未公表)、離党者数はこれまで公表されたことがない。離党は党規約で認められているのだから公表されて当然の数字だが、現実には統計として公表されたことがないのである。

 

 党員拡大を持続的に追及しようとすれば、その前提として入党者と離党者の実態を正確に把握しなければならない。入党者の動機や背景を知ることはもちろん重要だが、それにも増して離党者がなぜ出るのか、その原因と背景を明らかにしなければ「長期にわたる党勢後退」を止めることはできない。民間企業においても、社員がどんどん辞めていくような会社は慢性的な「人手不足」に陥り、優れた新入社員を迎えるのが難しいのと同じ理由である。

 

 不破委員長時代に定式化された党勢拡大方針は、第19回党大会(1990年7月)で書記局長に抜擢された志位氏に引き継がれ、現在までの30年有余年間一貫して踏襲されてきた(これからも踏襲されようとしている)。この間、「数の拡大」を至上目的とする大運動によって「実態のない党員」が大量に生み出され、それら党員が離党処分の対象になって大量の離党者が発生したことは周知の事実である。具体的に言えば、第19回党大会から第20回党大会までの4年間に実に党員48万人の4分の1に当たる12万人が整理され(党員現勢が36万人に激減)、第25回党大会(2010年1月)から第26回党大会までの4年間に同じく党員40万6千人の3割に当たる12万人が整理された(党員現勢が30万5千人に激減)。逆説的に言えば、「長期にわたる党勢後退」の原因は「数の拡大」を至上目的とする党勢拡大方針が生み出したと言えなくもない。しかし、上記のいずれの場合も離党者の大量発生の原因について本格的な討論もなければ、党としての総活が行われたこともなかった。大会決議にも正式の議題として取り上げられたことがなかったのである。

 

 それでも、志位議長はへこたれずに自画自賛している。「私は、1990年の第19回党大会以降、数えて見ましたら11回の党大会の決議案の作成にかかわってきました。そういう経験に照らしても、私は、今回の党大会決定ほど多面的で豊かで充実した決定はそうない、と言っても過言ではないと思います」――。志位氏が書記局長・委員長在任中に11回の大会決議案の作成に関わったことは事実だが、そこで発生した党組織の存亡に関わる大量の「実態のない党員」問題すなわち離党者問題を真正面から取り上げたことはなかった。それでいて「長期にわたる党勢後退」の最大原因である離党者問題を意図的にスルーした大会決議案・大会決定を、「非常に内容の充実したまさに歴史的決定であり、綱領路線をふまえ、それを発展させた社会科学の文献」と天まで持ち上げるのだから、志位氏の理論水準がどの程度か分かるというものである。

 

 「失敗は成功の母」というが、「失敗=大量の離党者」の原因を究明し、これまでの拡大方針を総括しなければ、「成功=党勢の持続的発展」は得られない。「党勢の持続的発展」(サステイナブル・デベロップメント)とは、「数の拡大」を至上目的とする拡大運動に疲弊した党員が党を離れていくような事態を避け、党員数の大小にかかわらず政策の影響力が大きく、国民に信頼される「数にこだわらない」党勢の発展のことである。だから「数の拡大」に失敗した志位氏は、委員長退任と同時に最高権力者の座から退くべきだったのだが、「政治路線も組織路線も間違っていない」と公言する志位議長は、こんな自明の理を無視して依然として「数の拡大」を目指して号令をかけ続けるのである。

 ――残念ながら、現勢では後退が続いている。つまり党建設の根幹が後退していることが、読者拡大も含めてすべての党活動の隘路となり、制約になっている。これが私たちの運動の現状であります。ここを私たちは直視し、ここをこの2月からどうしても突破しよう、これが今度の方針です。党員拡大で現勢を前進に転ずるには、全国で少なくとも1万人以上に働きかけ、1000人以上の新入党者を迎える必要がある。規模でいえば1月の運動の規模の約3~4倍の規模のとりくみをやろう、というのが今度の提起であります。

 

 それでは、今後の見通しはどうか。第29回党大会を目指しての拡大大運動の最後の月は2024年1月だったが、結果は入党者447人、日刊紙1605人減、日曜版5381人減、電子版94人増である(赤旗2月2日)。赤旗掲載死亡者数は183人、掲載率を38%とすると推計死亡者数481人(183人×100/38)、党員増減数は34人減となる。党大会終了を以て大量の減紙が発生するのはいつものことであるが、今回もまたその例に漏れず赤旗読者数は7000人近く減っている。これでは、志位議長が幾ら大号令を掛けても、「第30回党大会までに、第28回党大会現勢――27万人の党員・100万人の赤旗読者を必ず回復・突破する。党員と赤旗読者の第28回党大会時比『3割増』――35万人の党員、130万の「赤旗」読者の実現を、2028年末までに達成する」への道は程遠いと言わなければならない。

 

 もうそろそろ方針転換の時期ではないか。「数の拡大」を至上目的とする党勢拡大方針から、「数にこだわらない」党勢の発展を目指すべき時がやってきているのである。マルクス主義の経済思想を研究する斎藤幸平東大准教授は、毎日新聞の論点「複合危機への処方箋、2024年にのぞんで」(2024年2月9日)の中で〝脱成長コミュニズムを実現し価値観転換を〟を唱えている。斎藤氏は共産党のことを直接に論じているわけではないが、この言葉は「数にこだわらない」党勢の発展にも通じるものがある。

 ――強いリーダーが社会を変えていく20世紀型のトップダウン的運動ではトップダウン的社会しかつくれません。そうでない社会を目指すには、そうでない社会の萌芽を自分たちの運動のなかで示していく必要があります。リーダーを固定するのではなく、いろいろな人がそれぞれの専門や能力をその時々で発揮する「リーダーフル」な運動のあり方を模索していますし、提唱したいのです。

 

 「民主集中制」の組織原則のもとで党中央の下に一糸乱れることなく団結し、社会革命を実現するといった「20世紀社会」はもはや終わったのではないか。同時に、20世紀型の強いリーダーの下でのトップダウン的運動も歴史的終焉の時を迎えている。党首公選制一つですら実現できないような「20世紀型政党」が21世紀にも生き残れるとは思えない。今からでも遅くない。志位議長は辞任して若い世代に座を譲るべきではないか。「表紙」だけでなく「中身」を変えるためにも。(つづく)

「支援」と「推薦」はどう違うか、市民派首長選挙における政党の立ち位置に共産は失敗した、2024年京都市長選から感じたこと(2)

 前回に引き続き、もう少し有権者の投票行動に関する分析を見よう。朝日新聞の出口調査は、「門川市政の評価」および「候補者を応援する政党や議員、団体」との関係から誰に投票したかを尋ねている(朝日新聞2月6日)。総じて、門川市政に肯定的な人は松井氏に、否定的な人は福山氏にと投票先がはっきりと分かれている。また、候補者の政治的背後関係を重視した人が3分の2、そうでない人が3分の1と、多くの人が候補者をよく理解して投票している。投票率は全体として40%余りと低かったが、浮動票的な投票は少なく、よく考えた投票が多かったと言える。

 (1)門川市長の4期16年間の市政に対しては「評価する」(「ある程度」と「大いに」を合わせて)52%、「評価しない」(「あまり」と「全く」を合わせて)47%だった。「評価する」と回答した人の47%が松井氏に、28%が福山氏に投票した。「評価しない」と回答した人の43%が福山氏、24%が松井氏だった。

 (2)投票の際、候補者を応援する政党や議員、団体などをどの程度重視したかについては、「重視した」(「ある程度」と「大いに」を合わせて)64%、「重視しなかった」(「あまり」と「全く」を合わせて)34%だった。「重視した」人の39%が松井氏に、37%が福山氏に投票した。「重視しなかった」人の32%が福山氏、30%が松井氏だった。

 (3)世代別では、松井氏が80歳代以上で49%の支持を集めた一方、30代では23%だった。福山氏は40代が27%だったほかは、各年代で3割以上の支持を集め、70代では40%が支持した。

 

 毎日新聞は2月4日、投票を終えた有権者を対象にインターネット調査を実施し、投票行動を分析した(毎日新聞2月6日)。松井氏は自民・公明支持層を固め、立憲・国民支持層の半分近くを獲得したが、「政治とカネ」の問題および「門川市政の評価」の関係からすると、福山氏が松井氏を凌駕して批判票の受け皿になった。

 (1)「政治とカネ」の問題については、投票者の64%が「考慮した」と回答し、うち41%が福山氏に、32%が松井氏に投票した。「考慮しなかった」人の55%は松井氏を選んだ。

 (2)門川市政の評価に関しては、6割が「評価しない」(「あまり」と「全く」を合わせて)、4割が「評価する」(「ある程度」と「大いに」を合わせて)だった。「評価しない」と答えた層の4割が福山氏を選んだ。

 (3)政党支持者別にみると、松井氏は自民支持層の7割、公明支持層の9割を固めたが、立憲支持層は4割、国民支持層は5割、無党派層は3割だった。福山氏は共産支持層の9割、立憲支持層の4割、無党派層の4割を獲得した。

 

 投票率は41.7%と前回40.7%から僅かに上がったが、有権者の5割に届かず依然として非常に低い。しかし行政区別に投票率をみると、松井・福山両氏の得票数が投票率と密接に関係していることがよくわかる。行政区別投票率と得票数を掲載している朝日新聞(2月6日)によると、投票率が高い北区(45.9%)、上京区(46.6%)、左京区(48.9%)、中京区(46.1%)では、中京区を除いていずれも福山氏がトップになり、それ以外の投票率が低い行政区では全て松井氏が第1位となっている。とりわけ投票率の低い南区(35.8%)、山科区(37.8%)、伏見区(36.2%)では福山票と松井票の差が大きく、投票率が勝敗を分けるカギになったことをうかがわせる。

 

 それからもう一つ選挙戦の勝敗を分けたのは、松井陣営と福山陣営における政党の立ち位置だった。松井陣営は自民・立憲・公明・国民の4党推薦で「非共産=与野党相乗り」連合艦隊を組んだが、福山陣営は候補者本人が「市民派」を標榜し、「政党の推薦は受けない」と宣言したことから、共産は後方からの「支援」政党となった。ところが、選挙戦が加熱してデッドヒート状態になってくると、この構図に大きな変化が生じたのである。毎日新聞(2月6日)は、終盤戦の状況を次のように伝えている。

 ――今回の選挙は日本維新の会などが村山氏の推薦を決め、35年ぶりに主要政党レベルでは3極の戦いになるとみられた。だが、村山氏側の政治資金問題で告示直前に推薦が取り消され、長年続く「共産対非共産」の構図が軸になった。福山氏の激しい追い上げに、松井陣営は演説や新聞広告などで「市役所に赤旗が立っていいのか」「時計の針を戻してはならない」とネガティブキャンペーンを張り、他陣営から「品格を欠く」との批判もあった。

 

 松井陣営のネガティブキャンペーンに激しく反応したのは、「支援政党」の立場にある(はずの)共産だった。終盤戦には田村委員長をはじめ党幹部が総出で街頭演説に立ち、しんぶん赤旗は「反共攻撃打破!」一色になった。

 〇「福山氏激しく競り合う」「反共攻撃打破し必勝を」、渡辺党府委員長の情勢報告(赤旗1月30日)

 〇「京都市長選 市民と共産党が手つなぎ自民党政治と対決、三つの争点、田村委員長の訴え」(赤旗1月31日)

 〇「反共攻撃振り払い勝利へ」、共産党府委員長が会見(赤旗2月1日)など

 

 京都市長選に2度目の挑戦を決意した福山氏が「一人街宣」を始めたのは、昨年9月のことだった。そのキャッチフレーズは「〝ええもん〟は継承し〝あかんもん〟は変える」、所信は「1.忘れ物を取りに行く~暮らしとなりわいを全力応援する市政に」「そろそろ京都をリニューアル」「おもろい街京都」といった全ての市民にアピールできる穏やかものだった(京都民報2023年9月17日)。また、記者会見での一問一答では次のように答えている(抜粋)。

 ――門川市政の評価は、「門川さんは大学の先輩で、あんまり悪くは言いたくはないです。京都みたいな難しい土地で、4期もよく頑張らはったと思います。ただ、生活に苦しんでいる市民に対し、『社会的な役割を行政が果たすのはもう終わり』というような言い方で、コロナ禍で一番しんどい時に、福祉のカットを『ショックドクトリン』的にやりました。そういう痛みに向き合わなかった点が残念です」

 ――前回選の教訓は、「勝つつもりでしたが、結果は結構、票差がありました。僕自身は市民にとってええものはええと政策本位でやろうと言うてきました。保守層の中には恐れや不安を持っている人がいたと思います。そういう人たちに、きちんと届く政策や訴えができたのか、その点では少し反省があります。京都独特の『共産対非共産』という対立構図に、飲み込まれてしまった部分があると思います。市民の懸念や不安を受け止めながら前に進めれば、前回とは違う景色が見える可能性があるんじゃないかと思います」

 

 福山氏はこのように、保守層も含めて「門川市政」に疑問を感じる広範な市民が支持できる市長選挙をやろうと考えていた。その政治姿勢に共感する多彩な市民が福山陣営に集まり、支持の輪が次第に広がっていった。「共産対非共産」でもなく「保守対革新」でもない、京都ではかってない新しい選挙構図が生まれつつあったのである。共産も中盤戦ころまでは自制的に振舞い、このまま行けば勝利する展望が広がりつつあった。ところが、この情勢に危機を感じた松井陣営が最後に打った手が「反共キャンペーン」だった。そして、この「反共キャンペーン」の〝挑発〟にまんまと乗せられたのが共産だったのである。京都の事情を何も知らない田村委員長がある日突然やって来て、「京都市長選は自民党政治と対決だ」とぶった瞬間から、京都の空気が変わった。「支援政党」であるはずの共産が前面に立ち、市長選の終盤を「反共攻撃打破!」一色で染めた瞬間から、市民派選挙は「政党選挙」へと変貌したのである。

 

 だが、今回の京都市長選は貴重な教訓を残した。民意が多様化し、政党も多党化している現在、首長選挙を「政党選挙」として展開することはもはや不可能になったということだ。これからは「支援」の在り方が首長選挙のカギになる。この情勢の変化を理解できず、複雑な選挙情勢を「反共攻撃」としか受け止められないような政党は消えていくしかない。福山氏は実に立派な候補者だった。40歳で司法試験に通った苦労人弁護士は、穏やかな風貌と飾り気ない語り口で多くの有権者の心を掴んだ。こんな素晴らしい候補者は、やはり「政争の都・京都」でしか生まれない。30年余に及ぶ「共産対非共産」の不毛な政治的対立から抜け出て、「市民の市民による市民のための市政」を実現するのは容易なことではない。でも、その可能性を見せてくれたのが福山氏だった。福山氏にはぜひ「三度目の正直」に臨んでもらいたい。私の周辺の老いぼれたちは、みんな「生きてその日を迎えよう」と決意している。(つづく)

「裏金政党」自民と手を組む立憲民主(京都)に明日はない、2024年京都市長選から感じたこと(1)

事前に「横一線」と伝えられていた2024年京都市長選は、松井孝治候補(自民・立憲民主・公明・国民民主推薦)が福山和夫候補(市民派・共産支援)に1万6千票の僅差で競り勝った。自民党派閥の裏金疑惑が渦巻く中での市長選だったが、長年続いてきた「非共産対共産」の政治構図の下で、「非共産=オール与党体制」候補が辛くも勝利を手にしたのである。当選確実が決まった2月4日深夜、松井氏は周囲が万歳三唱するなかで頭を下げ続け、「厳しい選挙だった」と繰り返していた。

 

私は地元テレビ・KBS京都の実況中継を見ていたが、会場となったホテルの壇上には西脇知事、門川市長、伊吹元衆院議長、西田自民党府連会長などがズラリと居並び、末席には福山哲郎立憲民主府連会長の姿もあった。彼は出番もなくただ座っているだけだったが、所在無さげにスマホをいじっていた姿はなぜか哀れだった。「裏金政党」自民と臆面もなく手を組み、連合京都とともに「国政と地方政治は別」「府市協調がなによりも大切」「共産に市長を渡すわけにはいかない」などとぶって回っていた福山立憲府連会長は、選挙期間中からも立憲支持者から厳しい批判を浴びせられていたからである。

 

朝日新聞が投票当日に実施した出口調査によると、立憲支持層の47%が松井候補に投票しただけで、35%は福山候補に流れている。連合京都とともに京都府連が総力を挙げて応援したにもかかわらず、立憲支持層の多くは松井候補に投票せず「NO!」を突きつけたのである。また、無党派層の35%が福山候補に投票しているのに対して、松井候補は27%に止まっている。立憲支持層の過半数が「裏金政党」自民と手を組む立憲に反旗を翻し、無党派層も含めてその多くが市民派候補の福山和夫氏の支援に回ったのは明らかだろう。

 

朝日記事は、この結果を「自民支持層は前回市長選の出口調査結果よりも細っており、その分を前回よりも厚みを増した維新支持層のからの30%や、前回と同程度の厚みの立憲支持層の47%の指示で埋め合わせ、接戦を制したとみられる」と分析している(朝日新聞2月5日)。事実、松井候補に投票したのは自民支持層の63%にすぎず、14%は福山候補に流れている。「裏金政党」自民への批判が自民支持層の中にも渦巻いていることを示したのが、今回の京都市長選の特徴だと言っていいだろう。

 

2024年京都市長選挙は、当初は維新の会と前原新党が仕掛けた「3極選挙」になるはずだった。両党が結託して地域政党・京都党の村山候補を担ぎ出し、長年続いてきた「非共産対共産」の政治構図に代わる新しい潮流をつくる算段だった。維新の会は、前原新党と組んで京都市長選の勝利で弾みをつけ、次期総選挙で一気に「野党第1党」に伸し上がろうと目論んでいたのである。ところが「政治は一寸先が闇」というが、告示日が目前に迫った1月12日、維新の会が村山候補の推薦を突如取り消し、前原新党も推薦を撤回した。村山氏の政治資金管理団体が8回もの「パーティー」を開いて会費を集めながら、実際のパーティーには来場者がなく、会場代を除いた収入の大部分が資金管理団体の収益になるという「架空パーティー疑惑」が発覚したからである。

 

それでも村山氏は、「市民の選択肢を狭めたくない」との口実で立候補を断念しなかった。「オール与党体制」を維持するため「身を切る改革」を断行しようとしない自民への不満を維新がすくいあげ、「3極選挙」を展開しようと考えていたのである。だが、村山候補は「裏金疑惑」が致命傷となり、前回市長選での得票に遠く及ばなかった。毎日新聞は、「2008年と20年に続いて挑んだ市長選。この間、地域政党・京都党を創設し、市議として実績も重ねた。だが、自らの政治資金パーティーを巡る疑惑が浮上し、告示直前に異例の推薦取り消しに。『政治とカネ』の疑惑が致命傷となった」と評している(2月5日)。

 

それからもう一つ、2月4日の投票日が直前に迫った1月31日、第2の「政治の闇」が明るみに出た。自民党派閥の政治資金パーティー問題が国政上の大問題になり、安倍派が政治資金収支報告書の訂正を迫られて6億円を超える巨額の「裏金」が明るみに出たのを機に、安倍派に属する自民党府連会長の西田昌司参院議員が1月31日、安倍派から過去に411万円の還流を受けていたことが発覚したのである。西田氏は、自民単独では京都市長選に勝利できないことを自覚していたのか、伊吹元衆院議長とともに立憲民主や国民民主を巻き込んで松井氏を「オール与党体制」候補に祭り上げた張本人であり、選挙戦の「司令塔」だった。それだけにその影響は大きく、松井陣営はかってない危機感に見舞われた。

 

一方、福山和夫候補はよく頑張った。共産陣営が党組織の高齢化と除名問題の影響で後退一途にあったことから、「市民派」としての旗色を鮮明に打ち出し、政党支持にはこだわらない選挙戦を展開した。親しみのある穏やかな風貌と人柄が人気を呼び、保守層の中にも支持が広がって、自民支持層の中からも1割を超える投票が福山候補に寄せられた。またNHKの出口調査では、福山候補が松井候補をリードしていると伝えられたことも期待を大きくした。最後は松井候補に勝利を許したが、これまでの政党中心の選挙戦術を大きく変える成果を挙げたと言える。

 

 立憲民主党は京都市長選当日の2月4日、東京都内で党大会を開き、次期衆院選で「自民党を超える第1党となる」と掲げた2024年度活動計画を決めた。泉代表は「自民党を政権から外し、新たな政権を発足させ、政治改革、子ども若者支援、教育無償化などを実現しよう」と声を張り上げたという(朝日2月5日)。だが、立憲民主党が自民と一体で市長選を展開している京都では、泉代表と長年行動をともにしてきた福山府連会長が「反自民」の「は」も言わず、自民党と同じ壇上で万歳をしているのである。こんな「鵺(ぬえ)」のような得体のしれない政党は類を見ないのではないか。

 

 2月5日の日本経済新聞オピニオン欄「核心」に、芹川論説フェローが「自民党の明日はない、平成改革世代なぜ立たぬ」と題する主張を書いている。「政治とカネ」にまつわるスキャンダルが自民党内に吹き荒れているというのに、若手世代がなぜ改革に立ち上がらないのかとの叱咤激励である。骨子は「政党のダイナミズムを感じさせる侃々諤々(かんかんがくがく)の保守政党はどこへ行ったのだろうか。それが失われているとすれば自民党に明日はない」というものだ。だが、自民と立憲が馴れ合う京都では、「自民も立憲も明日はない」という言葉が当てはまる。次期衆院選では、泉代表(京都3区)は激しい選挙戦に曝されるだろうし、次期参院選では同じく福山府連会長も当落のかかった選挙戦に直面するだろう。「裏金政党」自民と手を組む京都の立憲民主党に「明日はない」のである。(つづく)