2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧
この訪問記も震災2周年を直前にしてやっと最終回に辿り着いた。それは一応の締め切りにふさわしい論稿に出会えたからだ。先の日大シンポを主催した糸長浩司教授の報告、「原発災害に抗した二拠点多重居住システム―福島県飯舘村への支援活動を通して―」がそれ…
私がこのシンポの開催を知ったのは関係学会からのメーリングリストによるものだが、参加しようと思ったのは、実行委員長の糸長日大教授と建築学会で同じ農村建築・農村計画の研究会に属していたこともあり、その人柄や行動力をよく知っていたからだ。またプ…
「震災1周年」から「震災2周年」への私の旅は長かった。この間、ブログは110回(25万字)、コラムは14回(10万字)、その他の論文を含めると50万字程度は書いたことになろうか。でも、訪れた地域や取り上げたテーマは数えるほどしかない。それほど東日本…
今回の総選挙をどう見るか 2012年12月4日公示、16日投開票の第46回総選挙が間近に迫った。11月14日の党首討論で野田首相が衆院解散を突如表明した以降、2日後の16日にははやくも解散が挙行されるなど、この間の政局は一転して台風の目に突入した。野党側はも…
原発事故直後の見取り図 原発事故発生直後、国土・地域・都市計画にかかわる「国土開発ムラ」のドンがいかなる対応策を語っていたか、その紹介からはじめよう。原発災害を引き起こした張本人が、「原子力ムラ」といわれる政財官学メディア共同体であることは…
震災1周年から半年 「東日本大震災1周年」の連載を始めてからもう半年経った。震災発生から1年後の東北3県の実情を少しでも知らせたいと思って始めたが、それがいつの間にか1年半後の実情になってしまったというわけだ。それも岩手県と宮城県のシリーズをや…
全国死者・行方不明者数の2割が集中 『石巻市震災復興基本計画』(2011年12月策定)には「最大の被災都市から世界の復興モデル都市石巻を目指して」というサブタイトルがつけられている。「最大の被災都市」というネーミングはウソでも誇張でもない。『石巻…
2011年度日本新聞協会賞を受賞 東日本大震災の発生以来、岩手県の「岩手日報」と同じく宮城県においても「河北新報」が地方紙ならではの健筆をふるってきた。連載企画「証言3.11大震災」「ドキュメント大震災」「焦点3.11大震災」など、同紙は被災者の目線に…
これぞ、地球大の災害便乗型復興計画 村井知事(防衛大学校卒、松下政経塾出身)が主導する宮城県震災復興計画は何から何まで異色ずくめだ。「この知事にして、この計画あり」というところだろうが、それにしてもこれほど赤裸々な「災害便乗型復興計画」(シ…
スピーディな計画、スローな復興 東日本大震災1周年余を迎えた現在、被災地域の復興は著しく遅れているといわれる。だが、復興計画の策定に関しては必ずしもそうではない。地元紙『岩手日報』の報道によると、岩手県の被災12沿岸市町村の復興計画は、洋野町…
盛岡駅は雪のなかだった 3月27日早朝、京都駅を立って「のぞみ」と「はやて」を乗り継ぎ、ようやく盛岡駅に到着したのは正午前だった。しかし盛岡駅一帯は石川さゆりの歌(津軽海峡冬景色)の青森駅ではないが、文字通り周囲が見えないほどの「雪のなか」…
再録『ねっとわーく京都』2011年10月号、善意が失意に変わるとき〜京都五山送り火騒動が教えるもの〜(広原盛明の聞知見考、第9回)「いい話だ」と無条件に思った たしか6月末の京都新聞(30日)だったと思う。「被災松の薪、送り火に」、「大文字で復興…
物議をかもすことになるかもしれない 「原発周辺地域にどうすれば人が住むことができるか」。いまどきこんなコラムを書いたら、物騒だとか、時期尚早だとか、いたずらに読者の不安をかきたてて物議をかもすことにもなるかもしれない。でも震災発生からはや数…
憲法22条が否定されようとしている 日本国憲法第22条に、国民の基本的人権として「居住・移転・職業選択の自由」が明記されている。条文で言えば、「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」というものだ。前近代社会に…
被災地のワンパック相談会 4月29日から5月4日までの約1週間、東北3県の被災地調査と被災者ワンパック相談会に行ってきた。「ワンパック相談会」とは、各種専門家が一堂に会してその場で被災者支援と被災地の復旧・復興に関するあらゆる疑問・質問に答…
あれから時間が止まった 東日本大震災の発生からもう1カ月余り(2か月近く)になる。だが、現場での懸命の支援活動にもかかわらず、被災地の復旧は遅々として進んでいない。なかでも深刻なのが、福島第1原子力発電所の事故だ。原発周辺はおろか10キロ・…
東北地方太平洋沖大地震の発生 2011年3月11日(金)午後2時46分、私はたまたま自宅でBSテレビを見ていた。そのとき、朝のラジオ放送で時々試験的に鳴る「緊急地震速報」(予報・警報)の信号音が突然画面に流れ、アナウンサーが緊張した声で「東…
このブログと並行して書いているコラムに、『ねっとわーく京都』の「広原盛明の聞知見考」がある。コラムの執筆を始めたのは2011年2月号からのことで、最新号(2013年3月号)で26回目の連載になる。テーマはその時どきのトピックスを取り上げ、私なりの感想…
この連載の第1回を書き始めたのは、昨年(2012年)4月3日のことだった。当初は「印象記」程度のことを考えていたので、3カ月ぐらいで終えるつもりだったのが、だんだん「調査レポート」のような形になった所為か、100回を超える長期の連載になってしまった。…
結論的に言って、私の考えは井戸川町長の見解ときわめて近い。東京電力や政府関係省庁など「原子力ムラ」の誰ひとりが責任を取らず、被災者・避難者の生活再建の確たる道筋も示さないで、中間貯蔵施設候補地を原発周辺地域に選定するなど“もっての他”だと思…
双葉町(当局)の場合、井戸川町長の「帰還は30年後」発言もあって、とりわけ「仮の町」への政策的関心が強いように思われる。もし帰還時期が30年後ともなれば、その間の町民の避難生活を支える「仮の町」がどうしても必要になるとの思いがそうさせるのであ…
大熊町の住民意向アンケート調査について書いたその日(2月5日)、奇しくも双葉町の調査結果が復興庁から公表された。大熊町の調査期間は2012年9月、双葉町は2013年1月だから、両町の調査期間には約4カ月のタイムラグがあり、この間の住民意向に変化があるか…
大熊町住民の意向が「戻りたい」1割、「戻らない」5割弱、「未定」4割であることはすでに述べた。これらはいずれも昨年9月段階での調査結果であり、しかも「現時点=当時」での判断であるから、住民意向が今後どのような方向に変化していくかについては注意…
「福島県の原子力災害による避難区域等の住民に対する意向調査」は、復興庁・福島県・地元自治体が共同で調査主体となり、(株)日本リサーチセンター(民間の調査会社)に調査業務の委託をして2012年半ばから実施中だ。葛尾村は2012年8月、大熊町(第1回)…
中間貯蔵施設候補地の現地調査が始まれば、地元自治体は否応なく避難区域住民の“帰還可能性”についての判断を迫られることになる。いつまでも判断を引き延ばして、「虚構の世界」に浸っているわけにはいかないからだ。国の方でも「帰還困難区域」「居住制限…
2013年1月4日、町の仕事始めの訓示で井戸川町長が「故郷への帰還目標を暫定的に30年後とする」と発言したことは、またたく間に全国ニュースとなって国中を駆け巡り、町民(避難者)はいうに及ばず政府・県当局や周辺自治体にも大きな波紋を広げた。各紙のな…