2015年4月統一地方選で自民・公明の選挙協力はどうなる(2)、公明党は創価学会によって「疑心暗鬼」の渦中に投げ込まれた、橋下維新の策略と手法を考える(その14)

 創価学会は罪なことをしたものだと思う。当初、公明党大阪府本部は大阪都構想に反対することで意志統一し、統一地方選では維新との対決姿勢を明確にして戦うはずだった。それが、創価学会の「鶴の一声」でなにもかも滅茶苦茶になってしまい、「常勝関西」の牙城が大きく揺らいでいるのである。この1月以来、変節した言い訳と辻褄合わせに時間を取られ、いつもならとっくの昔に終わっているはずの選挙準備が告示日直前になってもなかなか整わないのだという。

 これでは、山口代表や井上幹事長が大阪に来ていくら叱咤激励しても、現場ではいっこうに雰囲気が盛り上がらないはずだ。本来ならば政治的独立性を守らなければならない公党の代表者が、逆に創価学会の手先になって大阪本部の決定を覆したのだから、その張本人が来たところですんなりと指示が通るはずがない。逆効果になるだけの話だ。

今回の首相官邸創価学会本部がグルになって仕組んだ大阪都構想の逆転劇は、実は公明党の「終わりの始まり」を告げる兆しではないかと思う。創価学会公明党による選挙活動の際立った特徴は、政策的確信を二の次にして宗教的情熱で以って学会員や支持者を組織し、地域の人間関係を通して猛烈な選挙活動を展開することにある。その情熱が「大衆とともに」という結党理念に根ざしていることは良く知られているし、具体的には「現場主義」といわえる行動原理に凝縮されている。地元の事情を良く知り、地を這うようなドブ板活動で地域の人間関係の網目を広げていく「現場」での情熱がなければ、いくら学会・公明党といえども票固めすることはできない。

ところが、この「現場主義」を根底からひっくり返したのが大阪都構想に対する方針の豹変だった。政策転換であれば、それなりの理屈をつけなければならない。しかし今回の態度豹変は「理屈抜き」の転換であるから、これを政策転換と呼ぶことはできず、「変節」という他はないのである。変節は「変節漢」という言葉にもあるように、真面目な宗教心や信仰心とは相容れない行為だ。変節は「裏切り」や「寝返り」といった嫌な言葉と同義語であり、それは何よりも学会会員や公明党支持者の宗教的情熱の発揮を妨げるのである。

そうでなくても、公明党はいま大きな転換点に差し掛かっている。自民党と連立を組み与党入りしてからというものは、もはや政党としてのアイデンティティ(存在意義)を完全に失い、「平和の党」や「福祉の党」といった党是は影も形も見えなくなった。「社会保障を充実する」と称して消費税の値上げを主導しながら、その舌の根も乾かないうちに社会保障予算の大幅削減を臆面もなく容認する。「戦争を放棄し、平和を守る」といいながら、集団的自衛権の行使容認の閣議決定に加わり、憲法9条をなし崩しに骨抜きにする。「いまや進んでいる安保法制の一連の議論を見る限り、もはや自民党と一体不可分な『自民党公明派』に映る」といわれる所以だろう(朝日新聞、「検証・集団的自衛権閣議決定攻防編」、2015年3月27日)。

自民党が今国会での成立を目指している「カジノ法案」についてもそうだ。公明党統一地方選の投開票を控え、支持者の反発が予想される「カジノ法案」の提出はできるだけ先送りしたい意向だといわれる。しかし、自民党内には公明党はいずれ妥協せざるを得ないとの観測が流れている。理由は、公明の賛成が無くても自民・維新・次世代の3党が共同提出すれば法案は成立するからであり、連立政権で公明が閣僚を出している以上、政府提出法案となる実施法に反対するわけにはいかないからである。公明党内からは「安保法制で連立離脱をしなかったのに、カジノで離脱するわけがない」との声が聞こえてくるのだという(産経新聞、4月2日)。
「大衆とともに」という公明党の結党理念は、党の政策が大衆の気持ちや要求に叶っているとき、「現場主義」という行動原理と結びついて爆発的なパワーを発揮する。それが「常勝関西」といわれてきた大阪での学会・公明党の選挙活動の強さの根源だった。それがどうだろう。学会会員や公明党支持者は、消費税増税に賛成し、社会保障費の削減に賛成し、集団自衛権の法制化に賛成し、大阪都構想の実現に賛成しているのだろうか。各紙の世論調査においても支持政党別結果をみれば、公明支持者の気持ちや要求の在り処は明らかではないか。

支持者の要求に反する政策を実行しようとすれば、「現場主義」を貫くことができなくなる。集団自衛権閣議決定のときは、「地方議員や支持者には説明がないまま、行使容認が決まった。『何を議論しているのかの説明はなく、ブラックボックスだった』(学会幹部)との声をよく聞いた」(朝日新聞、同上)というのが実情なのだ。このことにさらに輪をかけたのが、今回の大阪都構想住民投票に対する豹変と変節だった。公明党大阪府本部や府議・市議たちにとっては「青天霹靂」の出来事であり、「現場主義」を完全否定した上部決定が無理やり押し付けられただけだ。こんな政党が長続きするはずがない。

最近開かれた公明党大阪府本部の選対会議では、党本部の重鎮が「都構想賛成派、反対派の双方から票を取らなければいけない。都構想批判だけではだめだ」と選挙担当者に言い渡したという。公明の候補予定者は「都構想賛成派は公明支持者ではない。反対を訴えずに支持層からどう票を取れるんだ」と疑問を感じているというが、表だった反論は出てこない(日経新聞、4月2日)。

大阪都構想への賛否の態度を明らかにしないまま、「ヌエ」的態度に終始する公明に対して、連合傘下の労組幹部は「裏では住民投票の賛成で維新と組んでいるのでは」と不信感を示し、維新関係者は「大阪では維新、反維新のどちらも公明に疑心暗鬼になっている」とみている(日経、同上)。おそらく選挙活動の最前線に立つ学会会員や公明支持者も、周辺からは同様の目で見られているに違いない。「疑心暗鬼」の渦中に投げ込まれた公明が、都構想反対を訴えずに支持層から票を取れはずがないのである。

今回の統一地方選でおそらく公明は支持者からそっぽ向かれ、府議大阪市議選ともに厳しい選挙戦を強いられるだろう。それとともに自公選挙協力も空洞化し、維新の対抗勢力にはならない公算が大きい。とすれば、反維新・大阪都構想反対陣営は、「公明頼み」から脱却して自力で維新を倒すしかない。次回はその方法を考えよう。(つづく)