品性と知性と趣味を共有するトランプ大統領と安倍首相との親密な日米首脳会談が終わった、さすれば次は日米共同経済プログラムの展開だろう、世論の動きはそれからだ、国民世論は「脱安倍」へと着実に向かい始めた(11)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その42)

 2017年2月13日午後、安倍首相が日米首脳会談を終えて帰国した。記者会見を開いて首脳会談の模様を語るかと思いきや、例の如くNHKをはじめ民放テレビを回って一方的な話をしただけだった。念の入ったことには、ニュースキャスターの横には首相番記者を侍らせての出演だから、これでは手痛い質問を受けることもなく安心して喋れるというものだ。プーチン大統領との日露首脳会談のときの釈明番組も嫌だったが、今回の日米首脳会談に対する自画自賛番組にはもっと嫌になった。

 それにしても、安倍首相はアメリカを「自由、民主主義、人権、法の支配といった価値観を共有する国」と見なし、これまで事あるごとにアメリカとの連携を強調するばかりか、「日米同盟は不変の法則」とまで言い切ってきた。またトランプ大統領に対しては、「信頼できる世界の指導者」「選挙で選ばれたアメリカの代表者」として天まで持ち上げてきた。

 ところが、トランプ大統領が発令したシリア難民やイスラム教圏7カ国出身者の入国を禁止する移民規制の大統領令が、世界各国からの批判はおろかアメリカ国内においても轟轟たる非難を浴び、ワシントン州の連邦地裁によって2月3日、即時停止を命じる仮処分が下された。これに対しトランプ政権は2月5日、合衆国控訴裁判所(高等裁判所)に不服を申し立て、決定の効力停止を求める緊急申し立てを行ったが、これまた控訴裁によって申し立てが棄却された。アメリカの「自由、民主主義、人権、法の支配」といった価値観は、裁判所によって辛うじて守られているのである。

 こうなると、トランプ氏は「自由、民主主義、人権、法の支配」を旨とする合衆国憲法に反逆する大統領となるが、これは安倍首相の言明とは矛盾しないのであろうか。退任した大統領が後任の大統領に対して批判しないとの政治的慣例まで破って、オバマ前大統領がトランプ大統領を批判したのは、その言動のなかにアメリカの普遍的価値に対する挑戦と破壊の危険性を感じたからにほかならない。

 安倍首相が、これまでオバマ大統領と緊密な関係を築いてきたことは周知の事実だ。オバマ政権に対しても「自由、民主主義、人権、法の支配」を共有する国家関係を推進してきたはずなのである。そのオバマ大統領がトランプ大統領を名指しで批判し、移民規制大統領令の撤回を求めているときに、安倍首相はダンマリを決め込んで何も言わない。これは、相手がアメリカ大統領であればどんな意見の持ち主であっても日本が「イエスマン」になることを宣言しているに等しいことになる。世界各国の首脳たちや国民はさぞかし日本を軽蔑していることだろう。

 そういえば、今日2月14日の国会討論において、民進党の前原氏がトランプ大統領イスラエルの米大使館をテルアビブからエルサレムに移転させると言っているがどう思うかと質問した。これに対して安倍首相は答えられず、最後に言った言葉はこれも「コメントしない」ということだった。

エルサレムへの米大使館移転については、イスラエルのネタニヤフ首相がこれまでも強硬に主張し、トランプ氏も選挙戦から国際社会がイスラエルの首都と認めていないエルサレムに米大使館を移すと表明していた。エルサレムをめぐってはイスラエルパレスチナが帰属を争い、米国を含む各国大使館は全てテルアビブにある。パレスチナアラブ諸国は、米大使館移転は「越えてはならない一線」として強い懸念を示しており、もし強行されれば世界秩序が一挙に不安定化しかねない。

 移民規制という国際問題をアメリカの内政問題として相変わらず「ノーコメント」しか言えず、国際平和のカギを握る米大使館のテルアビブ移転に対しても一切意見を言わない。それでいて日本が「サミット7」や「サミット20」のメンバー国だというのだから、安倍首相は国際政治の舞台で今後どんなポジションを占めるか想像もできない。きっとトランプ大統領の発言を聞いて頷き、相槌を打つことになるのであろうが、これでは国際社会における日本の発言権や影響力は目に見えて後退していくことだろう。

 だが、今日のNHKニュ−スで最新の世論調査の結果を聞いてもう一段衝撃を受けた。それによると内閣支持率は3ポイント上がって58%になり、不支持率は6ポイント下がって23%になったというのである。拙ブログのサブタイトルが「国民世論は『脱安倍』へと着実に向かい始めた」というものだから、これとは真逆の事態が進行していることになる。現在の国民世論と私見のギャップをどう考えるのか...かねてからコメント諸氏にも指摘されてきたが、「もう少し時間が欲しい」というのが私の苦しい言い訳である。

理由は、品性と知性と趣味を共有するトランプ大統領と安倍首相が如何なる個人的な人間関係を築いても、次の政治プログラムである日米間の経済関係をどう再構築するかという段階に入ってくれば、国益国益の容赦ないバトルが始まるのであり、個人的関係などは一夜にして吹っ飛んでしまうからだ。そこまでどれ程の時間を必要とするかわからないが、そのためにも「もう少し時間が欲しい」と思うのである。(つづく)