赤旗(日刊紙)を読まない党員が4割を超える現実をどうみるか、長文の政治方針の学習が忌避され、配達体制が崩れてきている、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その19)、岸田内閣と野党共闘(84)

 2月6日の全国都道府県委員長会議以来、赤旗の紙面は「党大会決定の徹底、党勢拡大、世代的継承の3課題をやりぬこう」との檄文で埋め尽くされている。具体的には、志位議長が「中間発言」で解明した新しい理論的・政治的突破点を〝導きの糸〟にして、2月中に大会決定を全支部で討議し、3月中に5割が読了して党勢拡大運動に踏み出そうというのである。2月22日には「暮らしでも平和でも、希望がみえる新しい政治へ、あなたの入党を心からよびかけます」と、入党のよびかけが全紙を使って掲載された。

 

 その一方、党勢拡大(回復)の困難さを窺わせる訴えもある。2月16日の機関紙活動局長の訴えがそれだ(赤旗2月17日)。

 ――第29回党大会は、「全支部・全党員を結集する党に成長してこそ、国民多数を結集することができる」を合言葉に、政治的・思想的に強い党をつくるために、「党生活確立の3原則」(①支部会議に参加する、②日刊紙を購読する、③党費を納める)、決定の読了と一大学習運動で党の質的強化をよびかけました。

 ――いま全国で日刊紙を購読していない党員は4割をこえています。この現状は、‶夜明け前〟にある日本社会の夜明けを実現するために、多数者革命への日本共産党の役割を果たし、民主集中制にもとづいて党中央と全支部・全党員が固く結束し、かつ双方向・循環型の強く大きな党をつくるうえでの根本問題です。この抜本的打開へ二つの方向へ全党的努力をよびかけます。

 ――多くの県で「大運動」期間中の入党者のうち日刊紙を購読している3~5割にとどまっています。(略)未購読党員は、配達が郵送や業者委託になっている地域でより多くなっています。もっとも重要なことは、党員拡大と「党生活確立の3原則」など質的建設を力にした支部の配達体制の確立ですが、そのためにもいまいる党員が日刊紙を読み活動することが急務です。中央は、郵送以外に配達できない地域での経済的に困難な党員への援助措置(1カ月の郵送料1440円の半額720円)をとっています。電子版の紹介とともに積極的活用をよびかけます。

 

 日本共産党の機関紙・赤旗は、日刊紙月3497円(郵送料1410円)、日曜版月930円(郵送料239円)とそれほど安くない。全国紙も昨年夏から値上げされて朝日・毎日・産経は朝夕刊セットで月4900円、日経は5500円になった(読売は4400円で据置)。新聞購読料の値上げは販売部数の更なる減少につながるだけに各社とも随分苦心したというが、それでも値上げしなければやっていけないので踏み切ったと聞いている。赤旗は全国紙に比べて頁数が半分程度しかないのでもともと割高感が否めない。それをカバーしているのが党員による宅配だが、それが高齢化や人手不足で不可能になった地域では郵送・業者委託となり、郵送料が加算されることになる。郵送料を含めると日刊紙は月4907円、日曜版は月1169円となり、全国紙とほぼ同価格(ただし朝刊のみ)になる。これでは党員といえども相当な経済的負担になると言わなければならない。

 

 しかし、赤旗を読まない党員が増えているのはそれだけではないだろう。日刊紙を読まなくなったのは、紙面自体に魅力がなくなって‶新聞〟としての価値が減じているからだ。「長文の政治方針(たとえば大会決議)は見るだけで頭が痛くなる」「肝心のニュースが少なくて読みたい記事がない」「党活動欄は毎日同じ調子のキャンペーンで紙面の無駄」「志位さんの発言や記事がやたらに多すぎる」などなど、そこにはさまざまな原因が横たわっている。赤旗がいくらスクープを連発しても紙面が刷新されるわけではなく、毎日毎日相変わらずの調子で繰り返される主張や檄文は「新聞」というよりは「宣伝ビラ」に近い――と感じている読者が少なくないからである。

 

 なぜ、かくも日刊紙には長文の政治方針が多くの紙面を占めるのか。なぜ、長文の政治方針をかくも徹底して「学習」させるのか。そこには、党中央が「民主集中制」の原則に基づいて党の政治方針を党組織の末端まで徹底させる――という編集方針が墨守されているからだろう。2月23日の「『2月目標をやりきる』連日の推進はかり3連休の行動に踏み出そう」には、こんな1節がある。

 ――2月中に全支部が党大会決定の討議・具体化をはじめることは、党勢拡大目標達成の根本的な力、2年後・5年後目標実現の土台。決定を全党員に届けきり、‶読みましたか〟‶読みましょう〟の声かけを。「五つの突破点」を力に、支部討議と読了推進の手だてをつくそう。

 ――‶奈落の底の自民党〟‶注目される共産党〟――情勢の大変動をつくりだした党と「赤旗」に確信をもって、見本紙を大量に活用して「赤旗」購読を呼びかけよう。機関紙活動局長「訴え」を力に日刊紙拡大の独自の努力を強めよう。

 

 支持者はもとより党員といえども政治や社会に対する関心はさまざまで、全く同じということはない。それを徹底して政治方針の一字一句まで「学習」させることなどおよそ不可能だし、また現実的でもない。大筋で納得できればあとはそれぞれの自由な判断に委ね、疑問点を解明して論点を深めるような紙面づくりの方が効果的だ。そうならないのは、党中央が一から十まで教え込まなければ党員は内容を理解できないという(思い上がった)固定観念があるからだろう。

 

 2月26日に公表された最新の日経新聞世論調査によれば、内閣支持率と自民党支持率はともに25%、いずれも自民党が2012年の政権復帰以降の最低を更新したとある。一方、これに対して支持政党なしの無党派層は36%に上昇したが、共産党支持率は依然として2%程度の底辺に低迷している。「注目される共産党」の支持率が2%程度というのでは前途は限りなく暗くなり、党員はもとより無党派層にも読まれる紙面づくりをしなければ、共産党の未来は開けない。「党大会決定の徹底、党勢拡大、世代的継承の3課題をやりぬこう」との檄文で埋め尽くされた日刊紙など、無党派層の人たちはもとより支持者といえども容易に手に取るとは到底考えられないからである。

 

 2月20日に山下副委員長(大会・幹部会決定推進本部長代理)が行った「緊急の訴え」(赤旗2月21日)では、「2月を、目標を掛け値なしにやり抜く最初の月にしよう」というものだった。具体的には「1万人以上に入党の働きかけを行い、1千人以上の新しい入党者を迎えよう。そのうち6割、7割を若い世代で迎えることも追求しよう」「入党の働きかけと赤旗購読の訴えにとりくむ支部と党員を広げるならば、どの県、どの地区も、残る期間で党員拡大でも読者拡大でも実現が可能な2月目標となっている。ならば掛け値なしにやり抜こうではありませんか」と呼びかけている。だが、この勇ましい掛け声とは裏腹に「現時点の到達点は、入党の働きかけ1500人余り、入党申し込み200人弱となっています。このままでは後退の危険があることを率直に直視したい」と言わざるを得なかった。

 

 赤旗の党員訃報欄には、2月に入ってから延べ153人(26日現在)の死亡者が掲載されている。掲載率を38%とするとすでに400人を超えるに死亡者が出ており、このままでいけば450人を超えることはほぼ確実と思われる。党員現勢=入党者-死亡者-離党者の数式で計算する(離党者数は不明)と、少なくとも数百人以上の入党者がなければ党勢は後退に転じることになる。今年1月の結果は入党者447人、日刊紙1605人減、日曜版5381人減、電子版94人増だった(赤旗2月2日)。推計死亡者数481人なので、離党者を除いても党員増減数は34人減となる。2月もまた党員減、読者減と党勢は後退するのだろうか。(つづく)

表紙は変わっても中身が変わらない〝志位体制〟の抜き差しならない矛盾、「政治路線も組織路線も間違っていない」の言明にもかかわらず、「長期にわたる党勢後退」を克服できないのはなぜか、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その18)、岸田内閣と野党共闘(83)

 歴史的な京都市長選が終わった翌々日(2月6日)、日本共産党の全国都道府県委員長会議が開かれた。その模様は、赤旗(2月7~9日)で詳しく報道されている。驚いたのは、田村委員長の「問題提起」が前座として取り扱われ、志位議長の「中間発言」が本番に位置づけられていたことだ。率直に言って、田村委員長の「問題提起」は大会決議の党勢拡大方針の単なる解説に過ぎず、全ての内容は志位議長の「中間発言」に託されていたのである。

 

 志位委員長時代の赤旗紙面は、重要会議の記事は悉く「志位発言」で埋め尽くされていた。ところが、田村委員長になって初めての今回の全国都道府県委員長会議では、田村発言は脇役に追いやられ、質量ともに志位議長の「中間発言」がど真ん中に位置しているではないか(紙面の分量でも田村発言は志位発言の6割にすぎない)。志位議長の発言は、「中間発言」と言いながらも事実上の「最終発言」であり、大会決議の実行を全国都道府県委員長に指示する「結語」として位置づけられているのである。

 

 志位議長は「党建設の歴史的教訓と大局的展望」に関する発言のなかで、「『なぜ長期にわたって党勢の後退が続いてきたのか』『なぜ私たちはこの問題でこれだけ苦労しているのか』『現状を打開する展望はどこにあるのか』――これは全党のみなさんが答えを求めていた問いだったと思います」と前口上を述べ、「実は、私自身もこの問題については十分な回答を持てないでいた問題でした」と思わせぶりな言い回しをしている。そして、その原因を「私たちはこれまで党員の現状をみる際に主に党員の現勢がどう推移したかで見ていくという傾向がありました」と述べ、「しかし、その角度からだけでは問題点がはっきりと見えてきません。角度を変えて、その年に新しい党員を何人増やしたかという目で見てみると、はっきりと弱点が浮かび上がってきました」というのである。

 

 しかしながら、志位議長が「長期にわたる党勢後退」の原因を、新入党者の動向に注目することなく、党員現勢(総数)の推移だけに気を取られていたためだと説明した「薄っぺらな理由」は、会場の都道府県委員長たちをしてさぞかし仰天させたに違いない。会場の面々は、赤旗が毎月初めに前月分の入党者数、赤旗読者増減数を掲載していることを百も承知しており、そのために四苦八苦してきた人たちばかりだからである。考えてもみたい。党組織運営の原則からして、党員の「フロー(出入り)」と「ストック(現勢)」の両方を知らなければ、その現状を把握することはできない。こんな組織運営のイロハを指導部が知らなかったというのでは、もうそれだけで「一発アウト!」だと言われても仕方がないだろう。

 

 とはいえ、志位議長が党組織の現状を党員現勢の推移(だけ)で見てきたと説明したのは、それなりの原因と背景があるのだろう。そこには党指導部にとって党員の「フロー(出入り)」を公表できない事情、すなわち〝離党者〟が余りも多いという現実が横たわっているからである。言うまでもなく、党員の「フロー(出入り)」を正確に把握しようとすれば、入党者のみならず離党者と死亡者の実数を合わせて公表しなければならない。しかし、死亡者数は辛うじて党大会ごとにまとめて公表されるようになったが(年単位では未公表)、離党者数はこれまで公表されたことがない。離党は党規約で認められているのだから公表されて当然の数字だが、現実には統計として公表されたことがないのである。

 

 党員拡大を持続的に追及しようとすれば、その前提として入党者と離党者の実態を正確に把握しなければならない。入党者の動機や背景を知ることはもちろん重要だが、それにも増して離党者がなぜ出るのか、その原因と背景を明らかにしなければ「長期にわたる党勢後退」を止めることはできない。民間企業においても、社員がどんどん辞めていくような会社は慢性的な「人手不足」に陥り、優れた新入社員を迎えるのが難しいのと同じ理由である。

 

 不破委員長時代に定式化された党勢拡大方針は、第19回党大会(1990年7月)で書記局長に抜擢された志位氏に引き継がれ、現在までの30年有余年間一貫して踏襲されてきた(これからも踏襲されようとしている)。この間、「数の拡大」を至上目的とする大運動によって「実態のない党員」が大量に生み出され、それら党員が離党処分の対象になって大量の離党者が発生したことは周知の事実である。具体的に言えば、第19回党大会から第20回党大会までの4年間に実に党員48万人の4分の1に当たる12万人が整理され(党員現勢が36万人に激減)、第25回党大会(2010年1月)から第26回党大会までの4年間に同じく党員40万6千人の3割に当たる12万人が整理された(党員現勢が30万5千人に激減)。逆説的に言えば、「長期にわたる党勢後退」の原因は「数の拡大」を至上目的とする党勢拡大方針が生み出したと言えなくもない。しかし、上記のいずれの場合も離党者の大量発生の原因について本格的な討論もなければ、党としての総活が行われたこともなかった。大会決議にも正式の議題として取り上げられたことがなかったのである。

 

 それでも、志位議長はへこたれずに自画自賛している。「私は、1990年の第19回党大会以降、数えて見ましたら11回の党大会の決議案の作成にかかわってきました。そういう経験に照らしても、私は、今回の党大会決定ほど多面的で豊かで充実した決定はそうない、と言っても過言ではないと思います」――。志位氏が書記局長・委員長在任中に11回の大会決議案の作成に関わったことは事実だが、そこで発生した党組織の存亡に関わる大量の「実態のない党員」問題すなわち離党者問題を真正面から取り上げたことはなかった。それでいて「長期にわたる党勢後退」の最大原因である離党者問題を意図的にスルーした大会決議案・大会決定を、「非常に内容の充実したまさに歴史的決定であり、綱領路線をふまえ、それを発展させた社会科学の文献」と天まで持ち上げるのだから、志位氏の理論水準がどの程度か分かるというものである。

 

 「失敗は成功の母」というが、「失敗=大量の離党者」の原因を究明し、これまでの拡大方針を総括しなければ、「成功=党勢の持続的発展」は得られない。「党勢の持続的発展」(サステイナブル・デベロップメント)とは、「数の拡大」を至上目的とする拡大運動に疲弊した党員が党を離れていくような事態を避け、党員数の大小にかかわらず政策の影響力が大きく、国民に信頼される「数にこだわらない」党勢の発展のことである。だから「数の拡大」に失敗した志位氏は、委員長退任と同時に最高権力者の座から退くべきだったのだが、「政治路線も組織路線も間違っていない」と公言する志位議長は、こんな自明の理を無視して依然として「数の拡大」を目指して号令をかけ続けるのである。

 ――残念ながら、現勢では後退が続いている。つまり党建設の根幹が後退していることが、読者拡大も含めてすべての党活動の隘路となり、制約になっている。これが私たちの運動の現状であります。ここを私たちは直視し、ここをこの2月からどうしても突破しよう、これが今度の方針です。党員拡大で現勢を前進に転ずるには、全国で少なくとも1万人以上に働きかけ、1000人以上の新入党者を迎える必要がある。規模でいえば1月の運動の規模の約3~4倍の規模のとりくみをやろう、というのが今度の提起であります。

 

 それでは、今後の見通しはどうか。第29回党大会を目指しての拡大大運動の最後の月は2024年1月だったが、結果は入党者447人、日刊紙1605人減、日曜版5381人減、電子版94人増である(赤旗2月2日)。赤旗掲載死亡者数は183人、掲載率を38%とすると推計死亡者数481人(183人×100/38)、党員増減数は34人減となる。党大会終了を以て大量の減紙が発生するのはいつものことであるが、今回もまたその例に漏れず赤旗読者数は7000人近く減っている。これでは、志位議長が幾ら大号令を掛けても、「第30回党大会までに、第28回党大会現勢――27万人の党員・100万人の赤旗読者を必ず回復・突破する。党員と赤旗読者の第28回党大会時比『3割増』――35万人の党員、130万の「赤旗」読者の実現を、2028年末までに達成する」への道は程遠いと言わなければならない。

 

 もうそろそろ方針転換の時期ではないか。「数の拡大」を至上目的とする党勢拡大方針から、「数にこだわらない」党勢の発展を目指すべき時がやってきているのである。マルクス主義の経済思想を研究する斎藤幸平東大准教授は、毎日新聞の論点「複合危機への処方箋、2024年にのぞんで」(2024年2月9日)の中で〝脱成長コミュニズムを実現し価値観転換を〟を唱えている。斎藤氏は共産党のことを直接に論じているわけではないが、この言葉は「数にこだわらない」党勢の発展にも通じるものがある。

 ――強いリーダーが社会を変えていく20世紀型のトップダウン的運動ではトップダウン的社会しかつくれません。そうでない社会を目指すには、そうでない社会の萌芽を自分たちの運動のなかで示していく必要があります。リーダーを固定するのではなく、いろいろな人がそれぞれの専門や能力をその時々で発揮する「リーダーフル」な運動のあり方を模索していますし、提唱したいのです。

 

 「民主集中制」の組織原則のもとで党中央の下に一糸乱れることなく団結し、社会革命を実現するといった「20世紀社会」はもはや終わったのではないか。同時に、20世紀型の強いリーダーの下でのトップダウン的運動も歴史的終焉の時を迎えている。党首公選制一つですら実現できないような「20世紀型政党」が21世紀にも生き残れるとは思えない。今からでも遅くない。志位議長は辞任して若い世代に座を譲るべきではないか。「表紙」だけでなく「中身」を変えるためにも。(つづく)

「支援」と「推薦」はどう違うか、市民派首長選挙における政党の立ち位置に共産は失敗した、2024年京都市長選から感じたこと(2)

 前回に引き続き、もう少し有権者の投票行動に関する分析を見よう。朝日新聞の出口調査は、「門川市政の評価」および「候補者を応援する政党や議員、団体」との関係から誰に投票したかを尋ねている(朝日新聞2月6日)。総じて、門川市政に肯定的な人は松井氏に、否定的な人は福山氏にと投票先がはっきりと分かれている。また、候補者の政治的背後関係を重視した人が3分の2、そうでない人が3分の1と、多くの人が候補者をよく理解して投票している。投票率は全体として40%余りと低かったが、浮動票的な投票は少なく、よく考えた投票が多かったと言える。

 (1)門川市長の4期16年間の市政に対しては「評価する」(「ある程度」と「大いに」を合わせて)52%、「評価しない」(「あまり」と「全く」を合わせて)47%だった。「評価する」と回答した人の47%が松井氏に、28%が福山氏に投票した。「評価しない」と回答した人の43%が福山氏、24%が松井氏だった。

 (2)投票の際、候補者を応援する政党や議員、団体などをどの程度重視したかについては、「重視した」(「ある程度」と「大いに」を合わせて)64%、「重視しなかった」(「あまり」と「全く」を合わせて)34%だった。「重視した」人の39%が松井氏に、37%が福山氏に投票した。「重視しなかった」人の32%が福山氏、30%が松井氏だった。

 (3)世代別では、松井氏が80歳代以上で49%の支持を集めた一方、30代では23%だった。福山氏は40代が27%だったほかは、各年代で3割以上の支持を集め、70代では40%が支持した。

 

 毎日新聞は2月4日、投票を終えた有権者を対象にインターネット調査を実施し、投票行動を分析した(毎日新聞2月6日)。松井氏は自民・公明支持層を固め、立憲・国民支持層の半分近くを獲得したが、「政治とカネ」の問題および「門川市政の評価」の関係からすると、福山氏が松井氏を凌駕して批判票の受け皿になった。

 (1)「政治とカネ」の問題については、投票者の64%が「考慮した」と回答し、うち41%が福山氏に、32%が松井氏に投票した。「考慮しなかった」人の55%は松井氏を選んだ。

 (2)門川市政の評価に関しては、6割が「評価しない」(「あまり」と「全く」を合わせて)、4割が「評価する」(「ある程度」と「大いに」を合わせて)だった。「評価しない」と答えた層の4割が福山氏を選んだ。

 (3)政党支持者別にみると、松井氏は自民支持層の7割、公明支持層の9割を固めたが、立憲支持層は4割、国民支持層は5割、無党派層は3割だった。福山氏は共産支持層の9割、立憲支持層の4割、無党派層の4割を獲得した。

 

 投票率は41.7%と前回40.7%から僅かに上がったが、有権者の5割に届かず依然として非常に低い。しかし行政区別に投票率をみると、松井・福山両氏の得票数が投票率と密接に関係していることがよくわかる。行政区別投票率と得票数を掲載している朝日新聞(2月6日)によると、投票率が高い北区(45.9%)、上京区(46.6%)、左京区(48.9%)、中京区(46.1%)では、中京区を除いていずれも福山氏がトップになり、それ以外の投票率が低い行政区では全て松井氏が第1位となっている。とりわけ投票率の低い南区(35.8%)、山科区(37.8%)、伏見区(36.2%)では福山票と松井票の差が大きく、投票率が勝敗を分けるカギになったことをうかがわせる。

 

 それからもう一つ選挙戦の勝敗を分けたのは、松井陣営と福山陣営における政党の立ち位置だった。松井陣営は自民・立憲・公明・国民の4党推薦で「非共産=与野党相乗り」連合艦隊を組んだが、福山陣営は候補者本人が「市民派」を標榜し、「政党の推薦は受けない」と宣言したことから、共産は後方からの「支援」政党となった。ところが、選挙戦が加熱してデッドヒート状態になってくると、この構図に大きな変化が生じたのである。毎日新聞(2月6日)は、終盤戦の状況を次のように伝えている。

 ――今回の選挙は日本維新の会などが村山氏の推薦を決め、35年ぶりに主要政党レベルでは3極の戦いになるとみられた。だが、村山氏側の政治資金問題で告示直前に推薦が取り消され、長年続く「共産対非共産」の構図が軸になった。福山氏の激しい追い上げに、松井陣営は演説や新聞広告などで「市役所に赤旗が立っていいのか」「時計の針を戻してはならない」とネガティブキャンペーンを張り、他陣営から「品格を欠く」との批判もあった。

 

 松井陣営のネガティブキャンペーンに激しく反応したのは、「支援政党」の立場にある(はずの)共産だった。終盤戦には田村委員長をはじめ党幹部が総出で街頭演説に立ち、しんぶん赤旗は「反共攻撃打破!」一色になった。

 〇「福山氏激しく競り合う」「反共攻撃打破し必勝を」、渡辺党府委員長の情勢報告(赤旗1月30日)

 〇「京都市長選 市民と共産党が手つなぎ自民党政治と対決、三つの争点、田村委員長の訴え」(赤旗1月31日)

 〇「反共攻撃振り払い勝利へ」、共産党府委員長が会見(赤旗2月1日)など

 

 京都市長選に2度目の挑戦を決意した福山氏が「一人街宣」を始めたのは、昨年9月のことだった。そのキャッチフレーズは「〝ええもん〟は継承し〝あかんもん〟は変える」、所信は「1.忘れ物を取りに行く~暮らしとなりわいを全力応援する市政に」「そろそろ京都をリニューアル」「おもろい街京都」といった全ての市民にアピールできる穏やかものだった(京都民報2023年9月17日)。また、記者会見での一問一答では次のように答えている(抜粋)。

 ――門川市政の評価は、「門川さんは大学の先輩で、あんまり悪くは言いたくはないです。京都みたいな難しい土地で、4期もよく頑張らはったと思います。ただ、生活に苦しんでいる市民に対し、『社会的な役割を行政が果たすのはもう終わり』というような言い方で、コロナ禍で一番しんどい時に、福祉のカットを『ショックドクトリン』的にやりました。そういう痛みに向き合わなかった点が残念です」

 ――前回選の教訓は、「勝つつもりでしたが、結果は結構、票差がありました。僕自身は市民にとってええものはええと政策本位でやろうと言うてきました。保守層の中には恐れや不安を持っている人がいたと思います。そういう人たちに、きちんと届く政策や訴えができたのか、その点では少し反省があります。京都独特の『共産対非共産』という対立構図に、飲み込まれてしまった部分があると思います。市民の懸念や不安を受け止めながら前に進めれば、前回とは違う景色が見える可能性があるんじゃないかと思います」

 

 福山氏はこのように、保守層も含めて「門川市政」に疑問を感じる広範な市民が支持できる市長選挙をやろうと考えていた。その政治姿勢に共感する多彩な市民が福山陣営に集まり、支持の輪が次第に広がっていった。「共産対非共産」でもなく「保守対革新」でもない、京都ではかってない新しい選挙構図が生まれつつあったのである。共産も中盤戦ころまでは自制的に振舞い、このまま行けば勝利する展望が広がりつつあった。ところが、この情勢に危機を感じた松井陣営が最後に打った手が「反共キャンペーン」だった。そして、この「反共キャンペーン」の〝挑発〟にまんまと乗せられたのが共産だったのである。京都の事情を何も知らない田村委員長がある日突然やって来て、「京都市長選は自民党政治と対決だ」とぶった瞬間から、京都の空気が変わった。「支援政党」であるはずの共産が前面に立ち、市長選の終盤を「反共攻撃打破!」一色で染めた瞬間から、市民派選挙は「政党選挙」へと変貌したのである。

 

 だが、今回の京都市長選は貴重な教訓を残した。民意が多様化し、政党も多党化している現在、首長選挙を「政党選挙」として展開することはもはや不可能になったということだ。これからは「支援」の在り方が首長選挙のカギになる。この情勢の変化を理解できず、複雑な選挙情勢を「反共攻撃」としか受け止められないような政党は消えていくしかない。福山氏は実に立派な候補者だった。40歳で司法試験に通った苦労人弁護士は、穏やかな風貌と飾り気ない語り口で多くの有権者の心を掴んだ。こんな素晴らしい候補者は、やはり「政争の都・京都」でしか生まれない。30年余に及ぶ「共産対非共産」の不毛な政治的対立から抜け出て、「市民の市民による市民のための市政」を実現するのは容易なことではない。でも、その可能性を見せてくれたのが福山氏だった。福山氏にはぜひ「三度目の正直」に臨んでもらいたい。私の周辺の老いぼれたちは、みんな「生きてその日を迎えよう」と決意している。(つづく)

「裏金政党」自民と手を組む立憲民主(京都)に明日はない、2024年京都市長選から感じたこと(1)

事前に「横一線」と伝えられていた2024年京都市長選は、松井孝治候補(自民・立憲民主・公明・国民民主推薦)が福山和夫候補(市民派・共産支援)に1万6千票の僅差で競り勝った。自民党派閥の裏金疑惑が渦巻く中での市長選だったが、長年続いてきた「非共産対共産」の政治構図の下で、「非共産=オール与党体制」候補が辛くも勝利を手にしたのである。当選確実が決まった2月4日深夜、松井氏は周囲が万歳三唱するなかで頭を下げ続け、「厳しい選挙だった」と繰り返していた。

 

私は地元テレビ・KBS京都の実況中継を見ていたが、会場となったホテルの壇上には西脇知事、門川市長、伊吹元衆院議長、西田自民党府連会長などがズラリと居並び、末席には福山哲郎立憲民主府連会長の姿もあった。彼は出番もなくただ座っているだけだったが、所在無さげにスマホをいじっていた姿はなぜか哀れだった。「裏金政党」自民と臆面もなく手を組み、連合京都とともに「国政と地方政治は別」「府市協調がなによりも大切」「共産に市長を渡すわけにはいかない」などとぶって回っていた福山立憲府連会長は、選挙期間中からも立憲支持者から厳しい批判を浴びせられていたからである。

 

朝日新聞が投票当日に実施した出口調査によると、立憲支持層の47%が松井候補に投票しただけで、35%は福山候補に流れている。連合京都とともに京都府連が総力を挙げて応援したにもかかわらず、立憲支持層の多くは松井候補に投票せず「NO!」を突きつけたのである。また、無党派層の35%が福山候補に投票しているのに対して、松井候補は27%に止まっている。立憲支持層の過半数が「裏金政党」自民と手を組む立憲に反旗を翻し、無党派層も含めてその多くが市民派候補の福山和夫氏の支援に回ったのは明らかだろう。

 

朝日記事は、この結果を「自民支持層は前回市長選の出口調査結果よりも細っており、その分を前回よりも厚みを増した維新支持層のからの30%や、前回と同程度の厚みの立憲支持層の47%の指示で埋め合わせ、接戦を制したとみられる」と分析している(朝日新聞2月5日)。事実、松井候補に投票したのは自民支持層の63%にすぎず、14%は福山候補に流れている。「裏金政党」自民への批判が自民支持層の中にも渦巻いていることを示したのが、今回の京都市長選の特徴だと言っていいだろう。

 

2024年京都市長選挙は、当初は維新の会と前原新党が仕掛けた「3極選挙」になるはずだった。両党が結託して地域政党・京都党の村山候補を担ぎ出し、長年続いてきた「非共産対共産」の政治構図に代わる新しい潮流をつくる算段だった。維新の会は、前原新党と組んで京都市長選の勝利で弾みをつけ、次期総選挙で一気に「野党第1党」に伸し上がろうと目論んでいたのである。ところが「政治は一寸先が闇」というが、告示日が目前に迫った1月12日、維新の会が村山候補の推薦を突如取り消し、前原新党も推薦を撤回した。村山氏の政治資金管理団体が8回もの「パーティー」を開いて会費を集めながら、実際のパーティーには来場者がなく、会場代を除いた収入の大部分が資金管理団体の収益になるという「架空パーティー疑惑」が発覚したからである。

 

それでも村山氏は、「市民の選択肢を狭めたくない」との口実で立候補を断念しなかった。「オール与党体制」を維持するため「身を切る改革」を断行しようとしない自民への不満を維新がすくいあげ、「3極選挙」を展開しようと考えていたのである。だが、村山候補は「裏金疑惑」が致命傷となり、前回市長選での得票に遠く及ばなかった。毎日新聞は、「2008年と20年に続いて挑んだ市長選。この間、地域政党・京都党を創設し、市議として実績も重ねた。だが、自らの政治資金パーティーを巡る疑惑が浮上し、告示直前に異例の推薦取り消しに。『政治とカネ』の疑惑が致命傷となった」と評している(2月5日)。

 

それからもう一つ、2月4日の投票日が直前に迫った1月31日、第2の「政治の闇」が明るみに出た。自民党派閥の政治資金パーティー問題が国政上の大問題になり、安倍派が政治資金収支報告書の訂正を迫られて6億円を超える巨額の「裏金」が明るみに出たのを機に、安倍派に属する自民党府連会長の西田昌司参院議員が1月31日、安倍派から過去に411万円の還流を受けていたことが発覚したのである。西田氏は、自民単独では京都市長選に勝利できないことを自覚していたのか、伊吹元衆院議長とともに立憲民主や国民民主を巻き込んで松井氏を「オール与党体制」候補に祭り上げた張本人であり、選挙戦の「司令塔」だった。それだけにその影響は大きく、松井陣営はかってない危機感に見舞われた。

 

一方、福山和夫候補はよく頑張った。共産陣営が党組織の高齢化と除名問題の影響で後退一途にあったことから、「市民派」としての旗色を鮮明に打ち出し、政党支持にはこだわらない選挙戦を展開した。親しみのある穏やかな風貌と人柄が人気を呼び、保守層の中にも支持が広がって、自民支持層の中からも1割を超える投票が福山候補に寄せられた。またNHKの出口調査では、福山候補が松井候補をリードしていると伝えられたことも期待を大きくした。最後は松井候補に勝利を許したが、これまでの政党中心の選挙戦術を大きく変える成果を挙げたと言える。

 

 立憲民主党は京都市長選当日の2月4日、東京都内で党大会を開き、次期衆院選で「自民党を超える第1党となる」と掲げた2024年度活動計画を決めた。泉代表は「自民党を政権から外し、新たな政権を発足させ、政治改革、子ども若者支援、教育無償化などを実現しよう」と声を張り上げたという(朝日2月5日)。だが、立憲民主党が自民と一体で市長選を展開している京都では、泉代表と長年行動をともにしてきた福山府連会長が「反自民」の「は」も言わず、自民党と同じ壇上で万歳をしているのである。こんな「鵺(ぬえ)」のような得体のしれない政党は類を見ないのではないか。

 

 2月5日の日本経済新聞オピニオン欄「核心」に、芹川論説フェローが「自民党の明日はない、平成改革世代なぜ立たぬ」と題する主張を書いている。「政治とカネ」にまつわるスキャンダルが自民党内に吹き荒れているというのに、若手世代がなぜ改革に立ち上がらないのかとの叱咤激励である。骨子は「政党のダイナミズムを感じさせる侃々諤々(かんかんがくがく)の保守政党はどこへ行ったのだろうか。それが失われているとすれば自民党に明日はない」というものだ。だが、自民と立憲が馴れ合う京都では、「自民も立憲も明日はない」という言葉が当てはまる。次期衆院選では、泉代表(京都3区)は激しい選挙戦に曝されるだろうし、次期参院選では同じく福山府連会長も当落のかかった選挙戦に直面するだろう。「裏金政党」自民と手を組む京都の立憲民主党に「明日はない」のである。(つづく)

〝政治とカネ〟問題が2024年京都市長選挙を直撃している、京都の「オール与党体制」が崩壊する可能性が出てきた、京都政界にみる政治構図の変化(1)

2月4日投開票の2024年京都市長選挙は、当初、維新の会と前原新党が仕掛けた「3極選挙」になるはずだった。両党が結託して地域政党・京都党の村山候補を担ぎ出し、長年続いてきた「非共産対共産」の政治構図に代わる新しい潮流をつくる算段だったのである。維新の会は前原氏と組んで京都市長選の勝利で弾みをつけ、次期総選挙で一気に「野党第1党」に伸し上がろうと目論んでいた。このため、前原氏は京都市議会(67議席)で第1会派の自民党(19議席)に次ぐ第2会派の維新・国民民主・地域政党「京都党」の3党による合同会派(18議席)を立ち上げ、京都市長選の候補者擁立に向けて着々と準備を進めてきた。

 

ところが「政治は一寸先が闇」というが、1月21日の告示が目前に迫った12日、維新の会が村山候補の推薦を突如取り消す方針を決め、続いて前原新党も推薦を撤回した。村山氏の政治資金管理団体が8回もの「パーティー」を開いて会費を集めながら、実際のパーティーには来場者がなく、会場代を除いた収入の大部分が資金管理団体の収益になるという「架空パーティー疑惑」が発覚したからである。毎日新聞(1月13日)は「3極構図一変、村山氏推薦取り消し 出馬意向変えず」との見出しで第1報を伝え、「村山氏を維新などが推薦する枠組みの立役者だった前原氏は『パーティーの実態がなければ脱法的と言われても仕方なく、看過できないと判断した。支援者におわびしたい』と述べた」ことを伝えている。

 

翌13日に開かれた記者会見では、維新の会馬場代表と前原氏が釈明に追われて無様(ぶざま)な姿をさらす結果になり、維新の会は京都市長選から心ならずも「退場」せざるを得なくなった。だが、それ以上に市民の怒りを買ったのは、別の会場で記者会見を開いた村山氏が、「皆さまに迷惑をかけた。深くおわびしたい」と言いながら、恥知らずにも出馬を撤回しなかったことだ(朝日新聞1月14日)。こんな候補者の言動を見て、この瞬間から〝政治とカネ〟問題が一気に京都市長選の最大テーマに浮上したのである。

 

醜態をさらした前原氏はその後、京都新聞のインタビューで「京都市長選では政治資金問題を理由に村山祥栄氏の推薦を取り消した(のは)」との質問に対して、「思い切った行財政改革や教育無償化を京都からやってもらえると期待していたが、政治とカネの問題で脱法的行為と言われても仕方がない。とにかく残念の一言に尽きる。支援をお願いしていた方々や、『共産対オール与党』ではない、新たな選挙構図を望んでおられた有権者の方々には、心からおわび申し上げたい」「陣営の世論調査でも(村山氏は)他候補をリードし、トップだった。非自民非共産の枠組みとしてピタッとはまっていたのが村山さんだった。一生懸命やっていただいた方々は茫然自失としており、後援会のみなさんや企業におわび行脚している」と語っている(「2024決戦、京の各党に聞く」京都新聞1月18日)。

 

「オール与党体制」(自民、立憲民主、公明、国民民主推薦)の候補は、元参議院議員で元内閣官房副長官の松井幸治氏だ。国会では激しく対立している(はずの)自民と立憲民主が、京都ではまるで何事もなかったかのように公然と手を組むのは誰が見てもおかしいと思うが、福山哲郎立憲府連会長は「中央官僚としての経験があり、府知事とも連携できる松井さんの人柄と能力を誠意を持って市民に伝え、松井フアンを増やす。共産党や日本維新の会に市政を渡すわけにはいかない。いたずらに市民生活に混乱をきたすことは望まない。オール京都・府市協調で20年、30年先の未来に対する責任を持つ選挙になる」とまったく意に介さない。また「自民の裏金疑惑は市長選に影響するか」との質問に対しては、「市政は市民の生活を守るもので、国政の在り方がダイレクトに影響するものではない。市長選と裏金疑惑はつながっておらず、最も大切なのは府市協調だ。争点ずらし以外の何物でもない」と平然と居直っている(「2024決戦、京都の各党に聞く」京都新聞1月6日)。国政と直結しているはずの地方政治を「国政とは別」との詭弁で切り離し、あくまでも「オール与党体制」にしがみ付こうとする立憲の態度はこの上もなく見苦しい。

 

松井氏も京都新聞が主催した候補者討論会で、福山和人氏からの各候補者に対する質問である「政治とカネの問題だ。(自民党派閥の政治資金パーティーの)裏金疑惑が浮上している。パーティー券収入を得る政党から推薦を得たり、かって所属された人もいる。有権者に説明すべきではないか」に対して、「政治不信が募っていることに対して、自治体の首長(候補)がどうこう言う話ではない。国政で政治資金の在り方をどうするか真剣に考えていただきたい」と立憲と同様の態度を示している(「立候補予定者4人 本社討論会詳報④」京都新聞2023年12月22日)。「オール与党体制」候補の松井氏にとっては、政治資金疑惑問題は陣営に亀裂をもたらす導火線である以上、この問題にはあくまでも触れたくないというのが本音なのである。

 

ところが投開票日2月4日が直前に迫った1月31日、第2の「政治の闇」が明るみに出た。自民党派閥の政治資金パーティー問題が国政上の大問題になり、安倍派が政治資金収支報告書の訂正を迫られて6億円を超える巨額の「裏金」が明るみに出たのを機に、安倍派に属する自民党府連会長の西田昌司参院議員が1月31日、安倍派から過去に411万円の還流を受けていたことを明らかにしたのである。西田氏はユーチューブでコメントを読み上げ、「秘書の独自の判断だが、監督不行き届きであったことを痛感している」「深い政治不信を抱かせる問題が発生したことを心からおわびする」と述べた(朝日新聞2月1日)。このニュースは同日、NHKテレビでも繰り返し流されてあっという間に京都中に拡散した。

 

西田氏はかって、京都新聞のインタビューで「自民党派閥の政治資金パーティー券問題に批判が集まっている」との質問に答えて、「ご心配と政治不信を招いたことに自民党、清和政策研究会のメンバーとしてお詫びしなければならない。ただ、ただ私自身はこの問題について派閥から全く説明を聞かされておらず、関わってもいない。(派閥が)裏金を作る目的でやっとしか思えない処理をしているのは非常に腹立たしい。責任者は責任を取り、徹底的に膿を出してもらわなければならない」と語っていた(「2024決戦、京都の各党に聞く」京都新聞1月5日)。それが舌の根が乾かないうちに「真っ赤なウソ」であることが明らかになったのだから、「オール与党体制」の選挙陣営にとっては深刻な打撃になったことは間違いない。西田氏は、伊吹元衆院議長とともに松井氏を「オール与党体制」候補に祭り上げた張本人であるだけに、その影響は計り知れない。福山哲郎立憲府連会長もこのまま事態を「頬被り」のままで済ますことはできないだろう。

 

すでに告示日以前から、村山氏の「架空パーティー疑惑」を契機に〝政治とカネ〟問題は、京都市長選の一大テーマに浮上していた。京都新聞世論調査では「パーティー券問題が市長選に『影響する』67%、『影響しない』33%」とその影響の大きさを示唆していたし(京都新聞1月13日)、毎日新聞は京都市長選を「自民の政治資金パーティーを巡る裏金事件発覚後の大型選挙」と位置づけ、「『政治とカネ』影響必至」と報じていた(1月20日)。そこに来て、今度は京都市長選の「司令塔」、西田自民党府連会長の裏金疑惑の発覚である。投開票日直前のことだけに、松井陣営にとってはもはや「打つ手」がなく、運を天に任せるほかなくなったのである。

 

加えて、門川市長の後継候補として目される松井氏にとって、予想しない世論調査結果が出た。1月27,28両日に行われた朝日新聞世論調査では、門川市政への評価が「評価しない」(「まったく」と「あまり」を合わせて)51%、「評価する」(「大いに」と「ある程度」を合わせて)47%を上回ったのである(朝日新聞1月30日)。そう言えば、松井氏の広告ポスターは、門川市長ではなく西脇知事とのツーショット写真だった。知事選ではなく市長選なのにどうしてと思っていたが、門川市長に人気がないことが事前にわかっていたのだろう。これが「オール与党体制」候補の弱点になるとすれば、今度の京都市長選は意外な結果をもたらすかもしれない。なんだか「オール与党体制」の崩壊が迫ってきているような気がする。(つづく)

超高齢化した党組織は2050年で〝自然死状態〟(生物学的生存危機)に直面するかもしれない、若者世代を迎えて党勢を立て直すには「開かれた組織」になるしかない、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その17)、岸田内閣と野党共闘(82)

 党員現勢は、人数(量)と年齢構成(質)が公開されて初めて正確な実態を知ることができる。毎年3月に発行される国立社会保障・人口問題研究所編集の人口統計資料集『人口の動向、日本と世界』(以下、社人研資料という)は、目次が「Ⅰ 人口および人口増加率」「Ⅱ 年齢別人口」から始まっているのはそのためである。前回の拙ブログでは、入党者数と死亡者数から離党者数を割り出し、志位委員長在任中(23年2カ月)の党勢現勢の推移を算出した。しかし、年齢構成についてはこれまで一切公表されていないので、取り付きようがなかったのである。

 

 ところが今回、不十分ながらも党員の党歴構成が志位委員長の「開会あいさつ」で明らかになった。内容からして中央委員会報告として正式に公開すべきだと思うが、2024年1月現在の党歴構成は「10年未満」17.7%、「10~19年」14.0%、「20~29年」11.0%、「30~39年」8.0%、「40~49年」19.5%、「50年以上」29.8%というものである。党歴20年未満が3割、20~30年未満が2割、40年以上が5割という数字が示すものは、高齢者党員に著しく偏った「逆三角形」の人口構造そのものである。志位氏は、この状態を「60代以上が多数、50代以下がガクンと落ち込んでいる」と説明しているが、年齢構成については依然として曖昧なままにしている。年齢構成を明らかにすれば、党組織が〝超高齢化〟している深刻な実態が浮かび上がり、全党に動揺が広がることを恐れているからだろう。

 

 限られた資料から年齢構成を知るにはどうすればいいか。党規約上の入党資格は「18歳以上」だが、党員の入党年齢は個々バラバラで党歴構成から年齢構成を割り出すことが難しい。そこで平均入党年齢を暫定的に「25歳」と仮定して、年齢構成を割り出すことにした。「25歳」という平均入党年齢は、多くの関係者の意見を聴いて設定したもので、それほど間違っていないと思う。結果は「35歳未満」17.7%、「35~44歳」14.0%、「45~54歳」11.0%、「55~64歳」8.0%、「65~74歳」19.5%、「75歳以上」29.8%となり、65歳以上の「高齢者党員」が5割、75歳以上の「後期高齢者党員」が3割を占める結果になった。

 

 とはいえ、「党歴10年未満」の党員が必ずしも若い世代とは限らない。最近は拡大運動の行き詰まりから党員の近親者(親世代)を入党させる傾向が強まっていて、65歳以上の高齢者入党(とりわけ75歳以上)が増えているからである(末尾の備考欄参照)。こうしたことを勘案すると、党組織の高齢化はもっと進んでいて、高齢者党員が6割、後期高齢者党員が4割という水準に達しているかもしれない。

 

 志位委員長在任中の死亡者数(性別死亡者数は公表されていない)の推移を概観しよう。1990年代後半から党大会間の死亡者数が「開会のあいさつ」で公表されるようになった。第22回(2000年11月)から第25回(2010年1月)までは3万3442人(9年2カ月、年平均3648人)、第25回から第28回(2020年1月)までは4万5539人(10年、4554人)、第28回から第29回(2024年1月)までは1万9814人(4年、4954人)である。年平均死亡者数は、2000年代3648人、2010年代4554人、2020年代4954人と着実に増加してきている。

 

 党員数が減少しているにもかかわらず死亡者数が増えているのは、年齢構成が高齢化して死亡率(死亡者数/党員現勢)が上昇しているためである。男女合わせての党員死亡率は、2000年代0.94%、2010年代1.12%、2020年代(2024年1月現在)1.83%と急上昇しており、2020年代後半に2%を超えることはほぼ確実だと思われる。社人研資料「年齢(5歳階級)別死亡率」によると、死亡率2%は「男70~74歳人口」と「女80~84歳人口」の中間に位置するので、この死亡率から類推すると、遠からず党組織全体が「70代半ばの超高齢者集団」に移行していくことになる。同じく社人研資料「年齢(5歳階級)別平均余命」によれば、65歳人口の平均余命は男20.0年、女24.9年なので、現在の党員現勢25万人の5~6割を占める高齢者党員(10数万人)は、2050年までに全員亡くなることになる。換言すれば、党組織が人口学的に若返ることなくこのまま推移すれば、21世紀半ばには〝自然死状態〟(生物学的生存危機)に直面するかもしれないということだ。以下は、志位委員長在任中の死亡者数および死亡率の推移である。

 

 〇2000年11月~2003年12月(3年2カ月)、死亡者数9699人、年平均死亡者数3069人、第23回党大会

〇2004年1月~2005年12月(2年)、同7396人、同3698人、第24回党大会

〇2006年1月~2009年12月(4年)、同1万6347人、同4086人、第25回党大会

〇2010年1月~2013年12月(4年)、同1万8593人、同4648人、第26回党大会

〇2014年1月~2016年12月(3年)、同1万3123人、同4374人、第27回党大会

〇2017年1月~2019年12月(3年)、同1万3823人、同4607人、第28回党大会

〇2020年1月~2023年12月(4年)、同1万9814人、同4954人、第29回党大会

 〇2000年代(9年2カ月)、死亡者数3万3442人、年平均死亡者数3648人、死亡率0.94%(3648人/38万6517人)

 〇2010年代(10年)、4万5539人、4554人、1.12%(4554人/40万6千人)

 〇2020年代(4年)、1万9814人、4954人、1.83%(4954人/27万人)

 

 今大会の特徴は、党の「生存危機」にかかわる議論がまったく見られなかったことである。田村副委員長の中央委員会報告「『大運動』と前大会以降の党づくり到達点と教訓」「党勢拡大の新しい目標と方針について」(赤旗1月17日)は、当面の拡大目標の提起に終始し、人口学的視点からの党組織の長期的動向や課題設定に関しては何一つ触れず、無関心そのものだった。党組織存続の危機が四半世紀後に迫っているにもかかわらず、不破・志位体制以来の拡大方針が「百年一日」の如く繰り返され、それ以外の選択肢はまったく示されなかったのだ。以下は、田村報告の抜粋である。

 ――前大会以降、「130%」を一貫して掲げて党づくりに奮闘したことは、大きな意義をもつものでした。この目標を機関でも支部でも真剣に討議し、挑むなかで、「130%」を達成した支部も全国に数多く生まれています。目標に正面から挑んだからこそ、前回党大会時の党勢を回復・突破してこの大会を迎えた党組織も次々と生まれました。この流れをさらに生かすことが大切です。同時に、党の現状からみて、党勢を着実に維持・前進させること自体が、大奮闘を要する大仕事であることも明らかになりました。こうした到達点をふまえて、新たな大会期の目標を次のように提案します。

 ――第30回党大会までに、第28回党大会現勢――27万人の党員・100万人の「しんぶん赤旗」読者を必ず回復・突破する。党員と「しんぶん赤旗」読者の第28回党大会時比「3割増」――35万人の党員、130万の「赤旗」読者の実現を、2028年末までに達成する。第28回党大会で掲げた青年・学生、労働者、30代~50代の党勢の倍化――この世代で10万の党をつくることを、党建設の中軸にすえ、2028年までに達成する。1万人の青年・学生党員、数万の民青の建設を、2028年までに実現する。そのためにすべての都道府県・地区・支部が、世代的継承の「5カ年計画」と第30回党大会までの目標を決め、やりとげる。

 

 党勢拡大の「目標」や「計画」は、紙の上では幾らでもつくることができる。問題はそれを実行できるかどうか、そのための条件が備わっているかどうかである。田村副委員長は、この点で矛盾に満ちた報告をしていることに気付いていない。拡大の実態は「極めて厳しい」の一言に尽きるにもかかわらず、その一方で国際情勢の変化や自民党政治のゆきづまりを強調して「為せば成る!」と断言しているのである。この論法は、超高齢化していると党組織の現実を見ないで「野党外交」や「未来社会論」の展望を熱く語る志位委員長の論法とよく似ている。将来の夢を語るのは結構なことだが、目の前の現実に真正面から向き合わないことは、政党活動の「リアリズム」から逸脱していると思われても仕方がない。

 ――私たちの運動は大きな課題を残しています。それは党建設・党勢拡大が、一部の支部と党員によって担われているということです。入党の働きかけを行っている支部は毎月2割弱、読者を増やしている支部は毎月3割前後にとどまっています。現状では、大会決定・中央委員会総会報告の決定を読了する党員が3~4割、党費の納入が6割台、日刊紙を購読する党員が6割となっており、抜本的打開が求められています。(略)同時に、客観的条件という点でも、主体的条件という点でも、いま私たちが「党勢を長期の後退から前進に転じる歴史的チャンスの時期を迎えている」ことが全面的に明らかにされました。

 

 言うまでもないことだが、政治情勢の変化に応じて「変革の波」を引き起こすためには、それに見合うだけの体力がなければならない。しかし党員が高齢化の一途をたどり、党員現勢が最盛期の2分の1、赤旗読者が4分の1に後退している現在、情勢分析から直ちに政治方針を導き、それに見合う党勢拡大方針を提起し、拡大運動に党員や支持者を総動員するといったやり方は、いわば「高度成長時代の残像」ともいうべきものであって政治的リアリティがあるとは思えない。こんな時に、志位委員長や田村副委員長がいくら檄を飛ばしても「大言壮語」としか響かないし、党員や支持者の行動を促す力にもならないのではないか。

 

 それでは、党組織の現実はいったいどうなっているのだろうか。これまでは「赤旗を読む」「支部会議に出席する」「党費を納める」という〝党生活確立の3原則〟が党活動の基本であり、それを守らない党員は「実態のない党員」として離党処分の対象になってきた。前回の拙ブログは、不破・志位体制の下での「数の拡大」を至上目的とする拡大方針によって、20数万人もの「実態のない党員」が生み出されて大量の離党処分が行われたこと、それが党勢後退の基本的原因になってきたことを指摘した。また「実態のない党員」を生み出した拡大方針が、原因究明もされることなく現在まで継続され、さらにこれからも踏襲されていこうとしていることも指摘した。

 

 不破・志位体制から50年後の現在、党生活3原則を維持している党員は25万人の6割(15万人)に過ぎず、残りの10万人は党費も納めず、赤旗も購読していない。また党員拡大で動いている支部は2割弱(3千支部)、読者拡大を働きかけている支部は3割前後(5千支部)にとどまっている。当時、志位書記局長は「実態のない党員」問題を解決したことが「前衛党らしい党の質的水準を高めるうえでの重要な前進」になり、委員長になってからは「全党員が参加する党をつくろうという新たな意欲と機運を呼び起こした」と強弁した。だが今日の事態は、これらの発言には何の根拠もなく、離党者の大量発生に対する指導部責任を免れるための方便にすぎなかったことを明らかにしている。

 

 田村報告は大会決議として採択されたが、2028年末までに第28回党大会時比「3割増」すなわち35万人の党員、130万の「赤旗」読者の実現を達成する――という目標達成は容易でないだろう。低所得で年金生活を余儀なくされている多数の高齢者党員にとっては、党費や赤旗購読料の負担は大きく、「実態のない党員」にならざるを得ない状況が広がっているからである。また、支部の2~3割しか拡大運動に参加していないのは、思想建設の遅れといった理由からではなく、身体的不自由な高齢者党員が党全体の5割を占めているという実態の反映にほかならない。

 

 今後5年間で党員10万人、赤旗読者45万人を2~3割の実働支部(3~5千支部)で増やすことは、1支部当たり党員30人(年平均6人)、赤旗読者100人(同20人)近くを増やさなければならない。最近4年間の年党員増減数(年平均)は、入党者4千人-死亡者5千人-離党者4千人=5千人減であり、赤旗読者は4年間で15万人(年平均3万7千人)減となっている。このようにもはやエンジンが老朽化して動けず、坂道では逆に後退していくような党勢の動きを止めることは容易でない。党中央からは相変わらず「全支部が活動すれば目標を達成できる」といった檄がとばされているが、こんな現実の姿を見ない「たられば」の空理空論はもはや通用しない。動きたくても動けない高齢者党員が党組織の多くを占めているからである。

 

 こうした状況が広がっているにもかかわらず、党中央主導の拡大運動が今なお是正されないのはなぜか。そこには「身体部分」がやせ細っても「頭部」だけが大きい共産党独特の組織構造が横たわっている。「民主集中制」の組織原則の下に運営される党組織は、必然的に党中央の図体が大きくなり、組織改革が進みにくい体質を有している。その結果、指導部の世代交代がなかなか進まず、特定の指導者の影響が長年にわたって続き、政策や方針が刷新されにくくなるという結果をもたらしている。50年余に及ぶ不破・志位体制は、その典型だといえるのかもしれない。

 

 田中均元外務審議官は、毎日新聞(2024年1月23日)の「時代を見る目」で自民党の裏金問題を題材に、日本の議会制民主主義や政治家の質の劣化の原因を論じている。その中で1994年の政治改革法により(自民党では)党中央の力が強くなり、「最高権力者であった人が権力の座を降りても引き続き強い影響力を行使続けるならば、世代交代は起こらず、思い切った改革、政策イニシアティブは出てこない」と指摘している。旧日本軍の『失敗の本質』を解明した野中郁次郎一橋大学名誉教授は、日経新聞(2023年10月8日)の「直言」欄で「数値偏重では革新起きず」との興味深い問題提起をしている。骨子は「数値目標の重視も行き過ぎると経営の活力を損なう」「計画と評価ばかりが偏重されると実行との改善に手が回らない」「計画や評価が過剰になると身体知(本質的な力)が劣化する」「計画や評価は高度成長期には躍進の原動力だったとしても、今では成長を阻害する原因となっている」というものである。また仏教学者の末木文美士氏は、毎日新聞オピニオン欄(2024年1月10日)「宗教と社会の今を考える」というテーマで旧統一教会や創価学会の問題を論じている。その中で「共産党は党員の高齢化が進んでいるようです。創価学会も新規の会員が増えているとはあまり聞きません」との質問に対して、「どちらも、2世や3世の若手はいても、これまで全く縁のなかった人が入る例は少ないのでしょう。個人単位の時代に、旧来型の組織形態が合わない面があるのかもしれません」と答えている。

 

これらの有識者の指摘は、共産党にもそのまま当てはまるのではないか。数値目標が重視され、目標達成のための計画と点検が偏重されるようになると、行動が軽視され、本質的な力が失われる。数値目標は高度成長期には「躍進」の原動力だったが、今では成長を「阻害」する原因に転化している――、まさにその通りだろう。個人単位の時代には「旧来型」の組織形態が合わないという指摘も頷ける。今大会では「1万人の青年・学生党員、数万の民青の建設を2028年までに実現する」と決議されたが、共産党綱領に学び、「民主集中制」を組織原則とする規約の下では、民青が若者世代を引きつけることは容易でないだろう。〝解党的出直し〟という言葉がある。この言葉には、まるで「共産党のため」と思えるほどの強い響きがある。マスメディアや世論をいたずらに敵視することなく、市民社会の流れに沿って自らの体質改善につなげる――これ以外に共産党再生の道はないと思うが、どうだろうか。

 

 (備考)最後に党員死亡数に関する資料として、赤旗に毎日掲載される「党員訃報欄」を挙げておきたい。党員訃報欄には死亡者氏名、死亡年齢、入党年、在住地などが記されているが、本人や遺族が望まない場合は掲載されないので、その数は実態よりかなり少ない。筆者は2017年1月からカウントを始めたが、第28回党大会公表の3年間(2017年1月~2019年12月)の死亡者数と比較すると、死亡者1万3823人に対して掲載数5257人、掲載率38%となる。第28回から第29回党大会に至る4年間の掲載数7442人だから掲載率38%とすると、4年間の推計死亡者数1万9584人(7442人×100/38)となり、この数字は第29回発表の死亡者数1万9814人とほぼ一致する(誤差230人)。したがって、掲載率は年によって多少変動するかも知れないが、赤旗掲載数から死亡者の大まかな動向を把握することは不可能ではない。以下は、赤旗に掲載された死亡者の基本属性である(2017年1月~2024年1月、7年1カ月)。この数字の2.6倍(100/38)が推計死亡者数となる。

 

(1)死亡者数、計1万2882人、男8833人(68.6%)、女4049人(31.4%)、男が女の倍以上となっている。2017~2021年までは年平均1700人台だったが、2022年からは1900人台に増加している。

(2)死亡年齢、「70歳未満」1075人(8.3%)、「70~79歳」3498人(27.2%)、「80~89歳」5175人(40.2%)、「90歳以上」3134人(24.3%)、80代と90代が合わせて3分の2を占めていて長命者が多い(100歳を越える場合も珍しくない)。

(3)入党年、「~1959年」2084人(16.2%)、「1960~79年」7459人(57.9%)、「1980~99年」1339人(10.4%)、「2000年~」2000人(15.5%)、党員の「団塊世代」ともいうべき60年代と70年代の入党者が死亡者の6割近くを占める。「2000年以降」が6分の1近くを占めているのは、高齢入党者が多いためである。

(4)在住地、「北海道・東北」1941人(15.1%)、「関東」4245人(33.0%)、「中部」1898人(14.7%)、「近畿」2898人(22.5%)、「西日本」1900人(14.7%)、関東と近畿で6割近くを占め、それ以外の地方は6分の1程度で分散している。(つづく)

『日本共産党の百年』が語らない〝長期にわたる党勢後退〟の原因、数の拡大を至上目的とする拡大運動が多数の離党者を生み出し、硬直的な組織体質が若者を遠ざけて党組織の高齢化を引き起こした、共産党はいま存亡の岐路に立っている(その16)、岸田内閣と野党共闘(81)

 『日本共産党の百年』の「むすび――党創立百周年を迎えて」は、それ以前の五十年史や八十年史には見られなかった悲壮な言葉で綴られている。とはいえ、党の危機を訴える一方、なぜ〝長期にわたる党勢後退〟が継続しているかについては十分な説明がされていない。

 ――全国各地で奮闘が続けられてきたものの、党はなお長期にわたる党勢の後退から前進に転ずることに成功していません。ここに党の最大の弱点があり、党の現状は、いま抜本的な前進に転じなければ情勢が求める任務を果たせなくなる危機に直面しています。いま党は、この弱点を根本的に打開し、強く大きな党をつくる事業、とりわけ世代的継承――党の事業を若い世代に継承する取り組みに新たな決意で取り組んでいます。

 

 そこには、支配勢力の反共攻撃や反動的政界再編などの外部要因は数々挙げられているものの、党自体が抱えている内部要因についてはほとんど説明らしい説明がない。拙ブログではこの内部要因として、第1に「数の拡大」を至上目的とする拡大運動が多数の離党者を生み出したこと、第2に党の硬直的な体質が若者を遠ざけて党組織の著しい「高齢化」を招いたことを挙げたい。

 

 日本共産党の1960年代から80年代初頭にかけての20年余の党勢拡大方針を概観すると、第8回党大会(1961年7月)が当面の課題として提起した「数十万の大衆的前衛党」の建設が大きな成果を挙げたことから、70年代後半には「百万の党」の建設を展望しつつ、当面「五十万の党、四百万の読者」を実現する――との壮大な展望が語られるようになった。そのことを象徴するのが、第15回党大会(1980年2月)における不破書記局長の結語である。不破氏は、第11回党大会(1970年7月)で書記局長(40歳)に抜擢され、第16回党大会(1982年7月)で委員長に就任している。

 

 不破書記局長は、拡大運動の絶頂期において「百万の党」の拡大方針を次のように提起した。

――60年代初頭の4万2千余の党員、10万余の機関紙読者から、60年代を通じて28万余の党員、180万の読者へ(70年代初頭)、さらに70年代を通じて今日の44万の党員、355万を超える読者へ、これがこの20年来の党勢拡大の大まかな足取りであります。第14回大会決定(1977年10月)は「百万の党」の建設を展望しつつ、当面「五十万の党、四百万の読者」の実現という課題を提起しました。80年代には、わが党が戦後、党の再建以来目標としてきた「百万の党」の建設を必ずやりとげなければなりません。「百万の党」とは決して手の届かない、遠い目標ではありません。日本の人口は1億1千万、「百万の党」といえば、人口比で1%弱の党員であります。私たちは、大都市はもちろん遅れたといわれる農村でも、少なくとも人口の1%を超える党組織をもち、こうして全国に「百万の党」をつくりあげることは、必ずできる目標だということに深い確信をもつわけであります。

 

 不破書記局長によって定式化された拡大方針は、委員長就任後はさらに精緻化され、第19回党大会(1990年7月)で書記局長に抜擢された志位氏(35歳)に引き継がれた。だが志位氏は、書記局長就任直後から「実態のない党員」問題に直面しなければならなかった。「数の拡大」を至上目的とする拡大運動が数合わせのための「実態のない党員」を大量に生み出し、もはや放置できなくなっていたからである。この事態は、不破委員長のもとで推進されてきた拡大方針に重大な誤りがあり、「実態のない党員」を大量に生み出す原因になっていることは明らかだった。だが、第20回党大会(1994年7月)は、事態の原因を究明することもなければ、本格的な討論を行うこともなかった。志位書記局長は、「実態のない党員」を整理したことは「前衛党らしい党の質的水準を高めるうえでの重要な前進だ」との詭弁で、事態の幕引きを図ったのである。以下は、志位書記局長の発言である。

 ――まず党勢の現状です。1990年11月の第2回中央委員会総会で、「実態のない党員」の問題の正しい解決に勇気をもってあたるという問題を提起しました。その結果、現在の党員数は約36万人となっています。「実態のない党員」の問題の解決が基本的に図られたことは、前衛党らしい党の質的水準を高めるうえで重要な前進でありました。同時にソ連・東欧の崩壊などの情勢の急激な変化を、科学的につかみきれずに落後していった者が一部に生まれました。いかなる情勢でも揺るがない思想建設の重要性、同志愛あふれる党づくりの重要性を痛切な教訓として汲み取らなければなりません。

 

 信じられないことだが、「実態のない党員」問題が提起された2中総(1990年11月)の僅か4カ月前の第19回党大会の冒頭発言で、不破委員長はこのような深刻な問題には全く触れずに、拡大運動の楽天的な見通しを強調していた。不破氏がこの時点で膨大な「実態のない党員」の存在を知らなかったはずがない。それでいながら「50万近い党」を誇示し、拡大方針の正しさを強調したのである。

 ――わが党は綱領が確定した第8回党大会以来、歴史的に大きく前進いたしました。党員は8万8千人から50万近い党へ、「赤旗」読者が34万余から300万、国会議員が6名から30名、地方議員が818名から3954名へと前進しております。これは綱領の方向で党組織と多くの支持者が奮闘された結果であります。

 

 それからの4年間で党員48万人の4分の1に当たる12万人が「離党者」として整理され、党員現勢が36万人に激減するという事態が起こった。このことは、不破発言の虚構を白日のもとに曝すものであり、党組織の根幹を揺るがす大問題に発展してもおかしくなかった。しかし、志位書記局長は「こうした現状をふまえて、いまこそ党員拡大を本格的前進の軌道にのせていく必要があります」と、まるで何事もなかったかのようにこれまで通り拡大運動を続けていく方針を強調した。このことは、「民主集中制」の組織原則の下では、下位の書記局長が上位の委員長に対して異を唱えられない党組織の硬直性をまざまざと示すものであった。

 

 もう少し説明を加えよう。志位氏は上記の報告で「実態のない党員」問題に対しては「正しい解決に勇気をもってあたる」と発言している。このことは、彼がこの問題を「正しくない」と認識し、「勇気をもって」当たらなければ解決できない問題だと考えていたことを示している。そうしなければ、「実態のない党員」を大量に生み出す拡大運動の誤りを是正できないし、持続的な拡大方針を提起することもできない。にもかかわらず志位氏は、そのことが不破委員長に対する批判に波及することを忖度して「臭い物にフタをする」道を選んだのである。

 

 それ以降、第22回党大会(2000年11月)で委員長に就任した志位氏のもとで、以前にも勝る勢いで拡大運動が展開されるようになった。とりわけ党大会直前の期間は「特別拡大月間」が設けられ、それまでの遅れを取り戻すためとして党中央から地方機関に大号令が下されて「拡大競争」が大々的に組織されるようになった。赤旗で連日報道される「拡大実績」を目の前に突きつけられた地方機関は、遮二無二拡大運動に追い立てられ、こうした中で数合わせのための「実態のない党員」が大量に生み出される素地が再び形づくられていったのである。

 

 その結果、20年前と同じことが第26回党大会(2014年1月)で起こった。志位委員長は、「実態のない党員」問題が発生したこの間の党建設の取り組みを(淡々と)報告している。

 ――私たちはこの4年間、第25回党大会決定にもとづき、また2010年の参院選を総括した同年9月の2中総決定で、「党の自力の問題」にこそ、わが党の最大の弱点があることを深く明らかにし、強く大きな党づくりに一貫して力を注いできました(略)。党員については拡大のための努力が重ねられてきましたが、2中総決定が呼びかけた「実態のない党員」問題の解決に取り組んだ結果、1月1日の党員現勢は、約30万5千人となっています。「実態のない党員」問題を解決したことは、全党員が参加する党をつくろうという新たな意欲と機運を呼び起こしています。

 

 志位氏は、「実態のない党員」の規模があまりにも大きかった所為か、正確な数字を公表していない(大会決議にもない)。ただ90年代後半から党大会間の死亡者数が公表されるようになったので、「前党大会党員現勢+入党者-死亡者-離党者=今党大会党員現勢」の計算式で、離党者数を算出することができる。この計算式で算出すると、20年前と同じく12万人もの大量の「実態のない党員」が整理されたことになる。

  〇40万6千人(2010年1月現勢)+入党者3万7千人-死亡者1万8593人-離党者=30万5千人(2014年1月現勢)、離党者11万9407人(約12万人)

 

 20年前には、党員現勢48万人の4分の1に当たる12万人もの大量の離党者が生まれた。この時に「数の拡大」を至上目的とする拡大方針の誤りが是正され、持続的拡大を目指す新たな方針が提起されていれば、党の発展は別の道をたどったかもしれない。しかし、今回も40万6千人の3割に当たる12万人が離党者として整理されるということが再び起こった。そして、志位氏は今回も「『実態のない党員』問題を解決したことは、全党員が参加する党をつくろうという新たな意欲と機運を呼び起こしています」と強弁したのである。これでは、前衛党としての質的水準を上げ、全党員が参加する党をつくろうと思えば、「離党者が増えるほどいい」といった荒唐無稽な理屈になりかねない。だが、さすがの志位氏も「これだけでは拙い」と思ったのか、以下のコメントを付け加えた。

 ――「実態のない党員」を生み出した原因は、十数年に及ぶ「二大政党づくり」など日本共産党抑え込みという客観的条件の困難だけに解消できるものではありません。それは「支部を主役」に全ての党員が参加し成長する党づくりに弱点があることを示すものと言わねばなりません。「二度と『実態のない党員』をつくらない」決意で、革命政党らしい支部づくり、〝温かい党〟づくりへの努力を訴えるものであります。

 

 志位委員長は、上記の発言からもわかるように、依然として「数の拡大」を至上目的とする党中央主導の方針の誤りを認めていない。逆にその責任を支部活動に転化し、支部活動が活発になれば「実態のない党員」は生まれないとして、離党者が発生する原因を末端組織に押し付けている。「民主集中制」を基本とする党活動は、上級の指示に下級が従うことが組織原則になっている以上、この組織原則を是正することなく「実態のない党員」問題の責任を支部に押し付けることは、本末転倒の議論だと言わなければならない。しかも、それが「大会決議」として正当化されるのだからなおさらのことである。

 

 念のため、志位委員長の在任期間(2000年11月~2023年12月)の入党者数、死亡者数、離党者数と年平均(いずれも筆者算出)を挙げておこう。本来ならば、この種の資料は党自身が公表して然るべきものであるが、都合の悪い数字は曖昧にされるという長年の慣行のため、そのまま利用できる確たる資料がない。拙ブログの計算式に基づく算出は、老眼を酷使した作業の結果であるため誤りがあるかもしれないが、それでも大まかな傾向はつかめるので参考にしてほしい。

 

 第22回党大会(2000年11月)から第29回党大会(2024年1月)までの23年2カ月間の党員現勢の変化は、38万6517人(2000年11月現勢)+入党者18万3895人-死亡者9万8989人-離党者22万1602人=24万9821人(2024年1月現勢)であり、第29回党大会で公表された党員現勢25万人とほぼ一致している。驚くのは、離党者22万1千人が入党者18万4千人を大きく上回っていることであり、死亡者が10万人近く(9万9千人)に達していることである。以下は、党大会ごとの計算式を示そう。

 〇第23回大会(2004年1月)

38万6517人(2000年11月現勢)+入党者4万3千人-死亡者9699人-離党者=40万3793人(2004年1月現勢)、離党者1万6025人

 〇第24回党大会(2006年1月)

40万3793人(2004年1月現勢)+入党者9655人-死亡者7396人-離党者=40万4299人(2006年1月現勢)、離党者数1753人

 〇第25回党大会(2010年1月)

40万4298人(2006年1月現勢)+入党者3万4千人-死亡者1万6347人-離党者=40万6千人(2010年1月現勢)、離党者1万5951人

 〇第26回党大会(2014年1月)

40万6千人(2010年1月現勢)+入党者3万7千人-死亡者1万8593人-離党者=30万5千人(2014年1月現勢)、離党者11万9407人

 〇第27回党大会(2017年1月)

30万5千人(2014年1月現勢)+入党者2万3千人-死亡者1万3132人-離党者=30万人(2017年現勢)、離党者1万4868人

 〇第28回党大会(2020年1月)

30万人(2017年1月現勢)+入党者(無記載、暫定2万1240人)-死亡者1万3828人-離党者=27万人(2020年1月現勢)、離党者3万7412人

党大会記録に入党者数が記載されていないので、2017年1月から2019年12月までの赤旗(各月党勢報告)を調べたところ、3年(36カ月)のうち入党者数が掲載されていたのは26カ月、計1万5354人、月平均590人だったので、590人×36カ月=2万1240人を暫定値として離党者3万7412人を算出した。

 〇第29回党大会(2024年1月)

27万人(2020年1月現勢)+入党者1万6千人-死亡者1万9814人-離党者=25万人(2024年1月現勢)、離党者1万6186人

 

 2000年11月~2023年12月(23年2カ月)の合計は、入党者18万3895人(年平均7937人)、死亡者9万8809人(同4264人)、離党者22万1602人(同9564人)であり、党員数は13万6517人減(同5892人減)となった。次回は、若者離れがもたらした「超高齢化」の実態を分析する。(つづく)