赤旗(日刊紙)を読まない党員が4割を超える現実をどうみるか(追伸2)、志位1強体制の下での「官許哲学」の押し付けは、党の思想・理論水準の劣化しかもたらさない

 前回の拙ブログの「追伸」に対して幾つかのコメントが寄せられた。その中の一つに、「党組織の問題点を指摘する批判を排除する官僚的執行部はますます孤立し衰退していく。その原因は党中央の思想水準の低下にある」との指摘がある。そう言えば、不破体制の下では不破氏がマルクス主義の解釈を一手に引き受け、それが共産党の「公式見解=官許哲学」として定着していた。不破氏は、2004年から2024年まで20年間にわたって中央委員会付属社会科学研究所所長(1970年設立)のポストを独占し、研究所を秘書付きの自分の書斎のように使っていた。党の理論指導は「自分一人で十分」「集団指導は必要ない」との揺るぎない自負と党内での権威がそれを可能にしていたのだろう。

 

 世評では「理論面では不破氏に(はるかに)劣る」とされてきた後継者の志位氏も、第28回党大会(2020年1月)で改定綱領を制定した頃から自信をつけ始めたのか、最近では「理論家」としての言動が目につくようになった。とりわけ第29回党大会(2024年1月)の「党大会決定」は自信作らしく、議長就任後初の全国都道府県委員長会議(赤旗2月8日)では田村委員長の倍近い時間を取って発言し、これまでにも増して存在感を発揮している。この発言を赤旗が「中間発言」として扱ったのは「志位1強体制」をカモフラージュするためであろうが、中身は党決定を地方組織に指示する「中央発言」そのものであって、それ以外の何物でもない。

 

 発言のなかで志位氏が特に強調したのは、「党大会決定の新しい理論的・政治的突破点について」である。「私は1990年の第19回党大会以降、11回の党大会の決議案の作成にかかわってきました。そういう経験に照らしても、私は今回の党大会決定ほど多面的で豊かで充実した決定はそうはない、と言っても過言ではないと思います」「今度の党大会決定というのは、新しい理論的・政治的な突破という点でも大変豊かな内容を含んでおります」と臆面もなく自画自賛しているのだから、彼自身は本当にそう思っているのだろう。

 

 志位氏のいう「新しい理論的・政治的突破点」とは、(1)党の世界論・外交論の発展――「外交ビジョン」の「二つの発展方向」、(2)日本の政治の行き詰まりの性格をどうとらえ、どう打開するか――太い答えを出した、(3)「多数者革命と日本共産党の役割」という角度から日本共産党論を明らかにした、(4)「党建設の歴史的教訓と大局的展望」――党大会準備の過程で模索し、答えを出した、(5)社会主義・共産主義論――綱領路線の発展に道を開く新しい解明、の5点である。

 

 小論では全てに言及することはできないまでも、個々の論点を少しでも検討すれば、そこにはかなり思い込みの激しい(手前勝手な)主張が並べられていることが目につく。たとえば「日本の政治の行き詰まり=自民政治の末期的状況」を指摘するのは当然だとしても、その打開策が「自民党政治を終わらせる国民的大運動を超す」「総選挙での日本共産党の躍進」というのでは、それは単なる政治スローガンに過ぎず「太い答え」とはとうてい言えない。また「多数者革命と日本共産党の役割」については、多数者革命を進める主体が主権者・国民だと言いながら、「国民の自覚と成長は自然成長的に進まない」との留保条件をつけ、「その仕事をやり抜くためには日本共産党と民主集中制が必要」との我田引水の結論を導くなど、その便法は徹底している。

 

 「党建設の歴史的教訓と大局的展望」にいたっては噴飯物としか言いようがない。党の理論的・政治的路線、政治的対応には誤りがなく、先駆的な理論的・政治路線を発展させてきたとするこれまでの主張を志位氏は絶対に改めようとしないので、「長期にわたる党勢後退」の原因を、党勢現勢の推移だけに気を取られて新入党員の動向を見ていなかったといった「うっかりミス」のレベルでしか説明できないのである。「社会主義・共産主義論」についても、未来社会への複雑極まりない移行過程の問題を抜きにした単なる「ユートピア論」の列挙にすぎず、多数者革命の主体である国民を納得させるシナリオにはなっていない。それでいて今度の党大会決定は、「綱領路線をふまえ、それを発展させた社会科学の文献」「科学である以上は学ばなくてはいけない。時間がかかってもそれを惜しまず最優先で学ばなくてはいけない」と一方的に強調するのである。

 

 しかしながら、志位氏の「中間発言」の最大の矛盾は、「私は、書記局長と幹部会委員長をあわせますと33年半ほどやってまいりました。この期間に行ったさまざまな政治的・理論的な対応については振り返ってみても悔いはないのですけれども、党建設でさまざまな努力を続けてきたものの、結果として前進に転じることに成功していない」と、結びの言葉で言わざるを得なかったことである。党の方針が本当に政治的・理論的に正しければ、「長期にわたる党勢後退」など起こるはずがなく、党建設(量的拡大か質的発展かは別にして)が進まないはずがないからである。問題は「政治は結果責任」と世上言われているにもかかわらず、志位氏はなぜ「長期にわたる党勢後退」をもたらした方針の誤りを認めず、いまなお責任を取ろうとしないのかということだ。

 

 原因は大きくいって2つある。第1は「不破1強体制」と「志位1強体制」があまりにも長く続いてきた結果、党内の思想・理論の集団的研鑽と系統的蓄積が進まず、党中央の思想的・理論的水準が全体として著しく劣化していることである。第2は、「民主集中制」のもとで党中央の政治方針が機関紙・赤旗を通して徹底されてきた結果、党内の思想的画一化が進み、党中央の方針を「ただ学ぶ」だけの受け身の党員が大半を占めるようになったことである(異論を持つ党員の多くは党を離れた)。上意下達の組織風土が党の隅々まで浸透し、党中央においても相互批判がなく、また下部組織からも異論が上がって来ないような組織状況の下では、志位氏が自らの誤りを認めざるを得ないような政治的契機は生まれてこない。事実上の〝裸の王様〟になった志位氏の下で、この体制を支えている「民主集中制」が維持される限り、「長期にわたる党勢後退」は避けがたいと言って間違いないだろう。

 

 どうすれば、党内に新しい風を吹き込み、市民社会の時代に相応しい新しい思想・理論状況をつくることができるのか。それは、まず第一歩として赤旗に多様な思想家・理論家を登場させ、党内外に談論風発の気風を高めることだ。だが、事態は逆方向に進んでいる。最近、「日本共産党を論ずるなら事実にもとづく議論を――中北浩爾氏の批判にこたえる」と題する理論委員会事務局長の主張が掲載された(赤旗2月21日)。中北氏の著書『日本共産党〈革命〉を夢見た100年』(中公新書、2022年5月)が刊行されたのは、およそ2年前のことである。当該著書は多くの識者に注目され、マスメディアでも肯定的な書評が相次いだ。本来ならば赤旗紙面でも積極的に紹介し、著者を交えた座談会を開くなどの対応がとられてもおかしくなかった。ところがそれを一切黙殺しておいて、中北氏が党大会決定に異論を唱えると、今度はいきなり批判を始めたのである。

 

 この事態は、現役党員の除名問題を巡ってマスメディアが共産党の「閉鎖的体質」を指摘した時、それを「反共攻撃」とみなして反撃に終始したときと同じ構図だ。これでは、共産党は党の公式見解以外の多様な意見や見解を一切認めないことになり、世論の動向を無視した「唯我独尊」の道を歩むことになる。冒頭のコメントが指摘しているように、このままでいけば「党組織の問題点を指摘する批判を排除する官僚的執行部はますます孤立し衰退していく」ことは明らかであり、未来は限りなく暗い。共産党はいままさに「存亡の岐路」に立っているのであり、その自覚無くして未来への展望は開けない。(つづく)